太陽が沈み、街々に人々の夜を支える明かりが灯り始める。
そんな中、街灯がポツリポツリとあるだけの狭い路地のあるお店―――アリソンの雑貨屋兼スクロッコの『Atelier・Alison』―――の前で、わたしは精も根も使い切ってレンガ造りの路地に突っ伏していた。
冷たいレンガが火照った肌に心地いい。
もう一歩たりとも動けないのです。
≪あー、マスター?動けるかー?≫
「・・・・・・」
≪返事が無いな、只の屍か?≫
「ま、まだ死んじゃいないのですよぉ」
なんとかシエロに答えるが、正直かなりしんどいのです。
どうしてわたしがここまで疲労困憊しているのかというと・・・・・・。
「なんで街を案内するだけで、疲れ果てなきゃいけないのですか!?」
そうマーレイさんのせいである。
彼がこのネオヴェネチアを訪れた理由とは、彼は妻と今度の正規の長期休暇の際にネオヴェネチアへ訪れたいそうなんですが、その時に『嫁さんにネオヴェネチアのいい場所見せたい』と下調べのためなんだそうだ。
下調べだから、可能な限りケチりたくて軍の輸送機に便乗したとのことで、また、アリソンの家に泊めてもらう様に頼んだのもそのためだそうです。
そして、今日。
わたしは朝練を抜いて、朝から彼にこのネオヴェネチアを案内して回っていたのですが、初めて訪れたこの街に彼はまるで幼い子供のようにありとあらゆることに大はしゃぎ。
しかし嗜好は子供ではなく大人ですので、引き寄せられるのは真昼間から開いている酒場へ突入しようとしたり、
おっぱい橋の逸話を聞いて寒いおやじギャグ、しかも下ネタを披露してのけたり。
しかも、案内するときにニコニコ顔のアリソンが連いてきて悪乗りもかますものだから、わたしは右へ左へ振り回されてばかりだったのです。
「昨日はあれだけ意見の相違で喧嘩していたのに、どういう分けなんですか!?」
≪それはアレだ。アリソンだからだ≫
「そーいえば、そーですよねぇ・・・・・・」
まず心の強さありきと考えるアリソンとまず体の強さありきと考えるマーレイさん、お互いに全く意見が違うのと昨日初対面の影響が大きいとシエロは昨日の喧嘩の原因を分析する。
確かにアルヴァンさんたちとアリソンとの関係は大学時代からですが、マーレイさんとはヴァーチャルネット内で会話したことはあっても、面と向かい合ったのは昨日が初めてです。
たしかにこの差は大きそうだが、アリソンの特徴は相手の意見を受け入れ否定せずに考えてみること。
きっと彼女はマーレイさんとよく意見を交換して意気投合したんでしょう。
でなきゃ、新しい訓練プランを完全に結託したように肩を組みながらわたしに差し出したりはしないのですよ。
≪あのプランは、ものの見事にアリソンの訓練構想とマーレイの海兵隊仕込みの訓練が合わさったハイブリッドだったな≫
「あ、あんなん実行できるわけないのですよ!大体、装備品50キロで長距離行軍って正気の沙汰じゃないのですよ!?」
≪いや実際の訓練でも似たことはしているようだぞ、ホレ≫
どこで入手したのか、茶色い軍服と大きい帽子を被ったグラフィックになったシエロはわたしにあるホログラム映像を見させる。
その格好は後日、アルヴァンさんが用意してくれたものなのだと聞かされたが、彼はなんと他のコミュニティメンバーに対応した衣装もデザイン済みだったというのだから驚きだ・・・・・・閑話休題。
とにかく、その映像はわたしには衝撃、衝撃の連続で途中でギブアップしました。
「あの、これって20世紀の大戦時代ですよね?」
≪いや?2290年度の映像だな!≫
地獄のような海兵隊の訓練風景、見るに堪えなかったのです。
しかも大きな戦いのあった20世紀ではなく23世紀の今の映像だという、さらに言えば20世紀のころからこの訓練はほとんど変わっていないのだと。
肉体と精神を極限まで鍛え上げるそれは、マーレイさんの言うとおり確かに効果はありそうであった。
なにしろ、ご丁寧にビフォーアフターである青年が映されましたが、ひ弱な青年が屈強な男たちに混ざっても違和感なくなっていたのです。
ううう、こんな訓練とコラボされた日にはウンディーネになる前に死んでしまいますよ・・・・・・。
「し、シエロ!わたしの支援AIなら士気を下げるようなことをしないでくださいよ!」
≪はっはっは、悪い悪い?それにこれは少々の誇張表現込みでな、少し脅かしてみた≫
主人を脅かす支援AIって、なんなんですか!?
「スクラップにしますよ!?」
≪むぅ、それは困るなぁ?≫
「懲りたらこれっきりにしてくださいなのですよ?ああ、もう何だか昨日と今日だけで変に感情を進化させてませんか!?」
アルヴァンさんの説明では多くの人の感情に触れさせることが一番の教育だとも言っていたが・・・・・・。
一人で何人分もの感情を見せるマーレイさんと接触させたことは色々と危険だったかもしれないと思う。
「わたしはシエロがマーレイさんのように妙に感情豊かにもアリソンのように不思議イントネーションにもなって欲しくないのですよ」
≪おや、マスターはわたしの母か姉かね?≫
「違いますけど、わたしが貴方の感情教育のために連れて歩かねばならないので、何か責任を感じるのですよ」
教育係のようなものでしょうか?
だが、このシエロという名の出来の悪い教え子は口答えをするのですよ。
≪AIの進化というのは様々な種類の感情に触れることによって為されるんだぞ?あれらもいいデータだ≫
「マーレイさんはともかく、生みの親もデータ扱いですか」
≪ははは、当然だろう?多くの人の感情に触れパターンを蓄積することが、一番の人工知能の感情の発展には貢献するのだぞ?≫
「もう、シエロの感情機能は完成されているような気がしてならないのですよ・・・・・・」
カラカラと笑うホログラムのシエロをため息をつきながら胡乱げに眺める。
「お~い、いつまで外でのびてんだ?風邪ひくからはよ家はいらないか―?」
陽気なマーレイさんの声が店内から聞こえる。
一緒にはしゃいだからか、アリソンは特に疲れは感じていなかったらしく台所で晩御飯の支度を始めているようだ、コンソメのいい香りが鼻孔を抜ける。
でもわたしは彼ら二人のその声にため息をつきながら返事をして、疲れ切った体を壁に手をついて支えて起ち上げさせる。
ちなみに今日回ったのは街のほんの一部ですので、明日も回るそうです。
マーレイさんの滞在日時はあと4日。
わたしの胃や体力、そしてそれらを丸ごと含めた忍耐力は持つのでしょうか、と半ば諦めながら考える。
ああ、今日も空に輝く星々がまぶしいのです・・・・・・。
あんなんで本当に軍人として部下を率いていられるのだろうか、と苦笑しながら思う。
でも、です。
わたしは彼のことは全然知らなかったのです。
まるで少年のような表情を見せる彼に、もう一つの顔があったことをまだわたしは知らず、ただ軍人にあまり見えない陽気な黒人だと思っていただけでした。
その日の夜のこと。
わたしはのどが渇いたので水を飲みにリビングへ降りてくると、そこにはマーレイさんが居たのですが。
「ッ!?」
昼間見せたコロコロ変わる明るい表情は消え失せ、そこにあったのは能面のような無表情と冷めきった眼、ともすればまるで昆虫の瞳のようだった。
冷たい氷のような雰囲気を放ちながら彼は手の中の物を弄っている。
リビングのテーブルの上にぶら下がる電球の灯りに照らされ鈍い光を放つそれらの部品を、彼は丁寧に小さな埃までも掃除していく。
部品に油を挿しそれらを黙々と組み上げ、彼の掌にあるものが完成する。
それは拳銃だった。
映画で見るよりも武骨で機能的で機械的で無機質なそれ。
彼はそれを無言で持つとホルスターに入れて抜いて構えて。
その動作を繰り返すマーレイさんは陽気な黒人のマーレイさんから、わたしの日常とかけ離れたところにいる非日常の存在の兵士、マーレイ少佐となっていた。
「ん、そこにいるのはアッリちゃんか?どうしたー?」
「ひぅっ!?」
だが、わたしがいることに気づいた次の瞬間にはまたあの陽気な黒人へと戻った。
最もわたしは先ほどまでのマーレイさんの雰囲気に押されて、おびえたような声しか出せなかったのですが、彼はそれを普通に急に驚いた時の声だと思ってわたしの知る普段通りに話しかけてくれた。
「もう夜は遅いから早く寝ろよ?明日も連れまわすんだからな?」
「は、はい」
彼が話しかけてきた時、彼は手の拳銃もその整備に使っていた道具も全部自身のバッグへ片づけてしまったようだ。
もしかしたら、結構長くわたしは硬直していたのかもしれません。
わたしを労わるように彼は頭をポンポン叩くと彼に割り振られた寝室へ向かっていった。
彼は、マーレイさんはどちらが本当の彼なんでしょうか?
第二話 『23世紀の海兵さん ~後編~ 』
片腕のウンディーネと水の星の守り人達 第二章 『ある一日の記録』
目の前にはバケットに山ほど積まれたチケッティという切手のように小さなおつまみと木箱に収められた、もちろん満タンのワインボトル。
それをげんなりとした顔で眺めるわたしがショーウィンドウにぼんやりと映っていた。
現在時刻は太陽が昇って朝の時間が終わったぐらい。
それなのに、この男どもは・・・・・・!
「いつまで飲む気なんですか!?マーレイさん!?」
今日はアリソンは夏に向けた商品の製作活動に専念するらしく工房に引き籠って出てこないので、わたしが一人でマーレイさんを連れてネオヴェネチアを案内することになったのですが、案の定と言った事態に陥ってしまいました。
どうも、昨日はアリソンがある意味ストッパーになっていたようなのです、ああ、もちろん彼女がいたから悪化した事態も多かったのですが。
で、どんな事態になっているかを説明すると。
まず、朝から開いている居酒屋にマーレイさんが興味を持ってしまい、入店します。
止めるわたしを無視して、彼がカルティッツァ―――『ヴェネチア』の男達に朝を告げるお酒らしい―――を一杯引っかけている所に地元のおっさんズが集結してきて飲み始めます。
マーレイさん、ノリの良さを発揮し彼らに加わる。
そして、なぜか飲み会が始まったのです。
「ああ、もう!酔っ払ったら案内もできませんし、なにより迷惑なのですから!?」
「はっはっは、そう言わないでくれよアッリちゃん。彼らだって言っているじゃないか・・・・・・えーと、なんだっけ?」
「「「朝日に目覚ましと一杯、お昼に後半頑張ろうと一杯、夕方にお疲れ様と一杯、夜にまた明日と一杯、そしてラストにお休みともう一杯!」」」
陽気なおっさんズがグラスやジョッキや徳利を掲げ、口をそろえてそう言った。
マーレイさんはそれを笑いながら自身でもう一度言い、グラスを空にする。
「あの、それだと今の飲み会はどこに当てはまるんですか?今は朝でもお昼でもありませんよ?」
「あっはっは!そいつぁ忘れてたな!それじゃ追加しようじゃないかよ、アッリちゃん!小昼時におやつ代わりに一杯だ!」
「そ、その考えは無かった!?」
「もちろん3時のおやつの時もだ、違うか諸君?」
「「「異議ナーシ!!」」」
酒屋の中は笑い声に包まれる。
いつもこんな客ばかりなのだろうか、店主も一緒になって盃を交わしはじめた・・・・・・外にはCLOSEDの看板が掲げられていた。
彼らの飲み会はいつまで続くのだろうかとアルコールの匂いでボンヤリとした頭で考える。
なまじっかネオヴェネチアの男は酒に強く、マーレイさん自身もその体躯も合わさってかなり強い部類のようだ、ザルと言ってもいいかもしれない。
わたしはアルコールの芳醇な香り渦巻く
立ち飲み酒屋から這い出し、新鮮な外の空気を深呼吸して肺に送り込む。
そりゃ、わたしだってワインのアルコールが放つ香しい匂いは好きだし、お手頃でスナック感覚で食べられるチケッティは大好きです。
でも、二つともあの量は異常でしょうと言いたい。
ため息をつきながら、あのチケッティの山からテイクアウト用の紙袋に放り込んでおいたそれを口に放り込む。
わたしが取ってきたチケッティのお代は、もちろんマーレイさん持ちですと店主には言ってきましたよ?
揚げたてホカホカホクホク、パリポリサクモチっと。
時にはしょっぱく、時にはふんわり甘く、時にはピリッと辛い。
一つ放り込むごとに、口の中に様々な食感と味が広がる。
「マーレイさんもコレみたいに、たくさんの味を持っているのでしょうか?」
いまだに酒屋で男たちと乱痴気騒ぎをするマーレイさんを眺めていると、そんな気がしてきた。
チケッティもいろんな味がある。
それと同じようにマーレイさんもいろんな味を持つのだろうかと・・・・・・アイリーンは一つの味しかなさそうですね、誰にでも明るい顔を見せる魅力的な彼女には裏表などなさそうだ。
いや、わたしが目にしたことが無いだけで、たとえ彼女でもきっと違うだろう。
アリソンも、そして一月ほど前に出会ったアルヴァンさんにアンバーさんも。
紙袋に入れてきたチケッティの最後の一つを掌に転がす。
塩味の揚げ物が多いチケッティの中にどうして紛れ込んだのか、珍しいビターチョコレートのお菓子だった。
当たりのような気がして少し嬉しく思いながら、口に入れる。
チョコは柔らかく溶け、香ばしいカカオの香りと共に口に苦味が広がる。
苦いものはあまり得意ではないのですが、このチョコは自然と普通に食べることが出来た。
昨晩偶然見た彼の顔はこのチョコの苦みのようだったのかもしれません。
恐怖心や怯えを感じつつも、なぜか朝になってまた案内を求められた時も拒否せずに、彼から離れようとはあまり思えなかった。
なぜでしょうか?
「おーうアッリちゃん!終わったぞー?」
マーレイさんがそう声を掛けながら酒屋から出てくる。
酒屋のドアが開き、先ほどまで酒宴を繰り広げていた男たちがぞろぞろ出てきて帽子を被ったり別れの挨拶をしたりして方々へ散っていく。
・・・・・・もっと長くやるかとばかり思っていたのですが。
「随分早いんですね?」
「ん?いくらなんでも、みな終わらせるタイミングは意識しちゃいるさ」
「「「またなー、軍人さーん!いつか、また飲もうや!」」」
「ああ、了解だ!」
少々飲みすぎたのか足元が若干ふらつく人を肩で支えながら最後に出てきた男は、マーレイさんにそう言うと手を振って広場の喧騒の中へ消え去っていった。
それを笑顔で見送る彼はビシッと敬礼を決める。
「正直なところ、わたしは夜まで続けるかと思っていましたけど」
「彼らにも仕事がある、遊びに来た俺は邪魔するわけにもいかんだろう?」
「うーん、彼らはどこまでもいつまでも飲み続けそうな気がするんですが?」
「そりゃアッリちゃん、それは間違いだ。彼らだって自分の仕事に誇りも義務感も責任感も・・・・・・とにかく、何かしら自分の仕事に思う所はあるはずさ。それを放り捨ててまで、飲みはやらんのよ。もし邪魔なんてしたら、彼らの誇りを汚すことになるかもしれんしな」
子供にはまだわからんかもしれんけどねと付け加え、彼はテイクアウトしたチケッティを口へ放り込み、同じく持ち出したワインボトルを傾ける。
どうやら赤ワインのようで、芳醇なブドウの香りがカナルグランデの風の中に溶け込んでいく。
ネオヴェネチアのゆったりと時間が過ぎていくのどかなひと時を、マーレイさんは心から楽しんでいるように見えた。
その癒されたような横顔にわたしは誘われたように聞いた。
「マーレイさんも、そうなんですか?」
「まぁな。俺だって仕事の時は真面目に真面目、大真面目だぞ?」
「昨晩のように、ですか?」
・・・・・・あっ、と思った。
マーレイさんは少し驚いたような顔をして、困ったように呟いた。
「まさか見られてるとは思わなかったが。あった方がどこか安心できるからって、やっぱり持ってくるべきじゃなかったな・・・・・・迂闊だった。それにしても、アッリちゃんには見られたくなかったがなぁ」
そういうマーレイさんの横顔は、ばつの悪そうな後悔の念が見え隠れしていた。
「うっ、すいません・・・・・・」
「まぁ、見られたからにはしょうがない、か」
マーレイさんは昨晩整備していた銃は自身の私物で、弾が打てないように封印処置された4世紀近く昔の骨董品の銃だから安全だと説明してから、わたしにこう聞いた。
その時の自分は怖かったか、と。
「言ってもいいのですか?」
「ああ、心置きなく言ってくれ。覚悟はある」
「では・・・・・・とても怖かったです。心の底から」
「そうか、そうだよな。それが普通の反応だ。気に病む必要は無いさ」
「いえ、気に病んでなんかいないですよ?怖かったものは怖かったですし・・・・・・正直言えば、今だって少し怖いぐらいですし」
そう言ってわたしは若干マーレイさんから距離を取る、ただしニヤニヤしながら後退したので、マーレイさんも冗談だとわかったようで肩を竦めて口を尖らせる。
「存外ひどいなアッリちゃんは・・・・・・まぁ怖がられても仕方がないし、なにより平時では軍人は評価されず怖がられて避けられる存在であるべきなんだ。だから、アッリちゃんの反応は少し複雑だけど、嬉しいね。その反応には誇りすら感じてさえいるんだ」
「えっと、自らの仕事が評価されてないのに、どうして嬉しいんですか?」
特に軍人は・・・・・・映画みたいに画面の向こう側だけの知識でしかないけど、命を懸けてる職業なのに、世間からは低評価されてその職に就いているマーレイさんは嬉しいと言う。
わたしには理解が出来なかった。
自身の職業がけなされても大丈夫だというのでしょうか?
「マーレイさんは自分の職が評価に値しない、そう思っているのですか?」
「いや、そういうわけじゃあない。ただ『この時代』で評価されるべき存在じゃないんだよ、俺たちは」
「軍人が?」
「そうだ・・・・・・少し、歴史の話をしようか」
23世紀の現在から遡ることおよそ3世紀、世界は戦乱に包まれていた。
一年前の兵器が一年立つと旧式扱いされ世代が変わり兵器が目まぐるしく生まれていっては消えていく、そんな時代。
それらを操作するための人間たる兵士もまた数万、数十万単位で命を散らしていく時代。
「2度の世界大戦、ですか?」
「そうだ、学校で習っただろ?あの時がおそらく最も軍人が持て囃された時代だっただろうな。それはなぜだったと思う?」
「戦争だからじゃないんですか?」
「そうだな、戦争だからなんだが。一番の原因は国民にも相当の被害があったからだ」
無差別爆撃、無差別虐殺、民族浄化、大量破壊兵器の実戦投入・・・・・・戦勝国、敗戦国関係なく両陣営はお互いの国民を殺しあった。
それこそ兵士の犠牲よりも多くの人間が亡くなった。
「俺達軍隊は国家を守るために存在するが、兵隊は国民を守るために存在する。俺たち軍人が仕事をするってことは、国民が犠牲になっているときなんだ。そして、仕事をすれば評価され持ち上げられる」
「つまり?」
「俺たちが仕事をせず、怖がられているんなら、今は平和だということだ。『抜かぬ剣こそ平和の誇り』とも言うしな。そして俺は軍人であることを誇りに思う。たとえ数十年しか保てない平和だったとしても、そのたかが数十年の平和を生んでいる自分たちのことをな」
先ほどの暗い顔からは想像できないほど爽やかにそう言って自身の話を締めくくるマーレイさん。
「ただな、アッリちゃんにはやっぱりあまり見てほしくは無かったな。陽気なただのオッサン状態のままでいたかった」
「あう、すいません」
「いやいや、たとえ旧式で見た目だけの玩具だとしても、懐に銃の重さを感じてないと怖く感じる臆病な俺が悪いのさ」
苦笑いしながら頭を掻くマーレイさんはごく自然体で、昨晩のマーレイさんもごく自然体で・・・・・・甘いものの中に一粒紛れ込んだ苦いものは、より苦く感じるけど、それがアクセントになるように、それらがマーレイさんの魅力(?)を上げていた。
「それにしても、凄いです」
「ん、なにがだ?」
「たとえ嫌われても、避けられても、そうやって自分の仕事に誇りがあるように言えるなんて、凄いと思ったんですよ」
「どんな仕事であれ、誇りを持つのは当然だと思うがな・・・・・・むしろ誇りを持てないんだったら、それは自分向きの仕事じゃないってことだろ?俺はそんな奴には、さっさと転職をお勧めするさね。俺は偶々この職についたんだが、それで偶々誇りを持てたから今でも兵隊やっているだけなんだぜ?」
「それでも凄いです、カッコいいと思うのですよ?」
わたしは本当に彼のことが、年下のわたしが言うのもなんだけれども、気に入ったのだ。
自分の仕事に絶対の誇りを持ち、平和だからこそ誰からも評価されない平和と言う成果を出し続けるために前を歩むその姿勢が。
「はっはっは!そう言ってくれると、やっぱり嬉しいな!」
ガシガシと照れたように丸刈りにした頭を豪快に掻くマーレイさん。
なんだかんだ言っても、怖がられるよりはやっぱりこっちの方が気持ちがいいようだ。
だからこそ、本当にマーレイさんが格好よく見えるのだ。
正しき軍人の在り方と言うやつだろうか、彼の様な生き方が。
戦争を知らないわたしには、本当の答えは分からないけれど・・・・・・今、この時代には、それが一番正しい気がする。
「ありがとな、なんだか元気が出たぜ。お前が見た俺の顔を見て怖がらずにカッコいいなんて言った奴は、お前で二人目だ。部下は怖がらないが、カッコいいなぞ言わんからな!」
「へぇ・・・・・・わたし以外にもいたんですね、物好きでしょうか?」
「・・・・・・お前はやっぱり時々ひどいな、少し傷つくぞ?ま、物好きにゃ違いないがな」
「で、誰なんですか?」
「俺の嫁さんなんだ、これが。こんな俺に惚れ込んで押しかけ女房のような真似してまでアタックしてくるんだなんて・・・・・・本当に物好きだよなぁ。しかも結婚しても、俺は任務でしょっちゅう家にいないし・・・・・・後悔してるだろうな」
寂しそうな顔でそう言ったマーレイさん、肩を落として何だか暗い雰囲気になってしまいました。
余程奥さんに対して、普段は仕事ばかりしている自分が後ろめたく感じているようだ。
仕事優先の男だと思われて、愛想をつかれてるのではないだろうか不安になっているみたいです。
だから家族サービスのように、ネオヴェネチアへ旅行することを決めたのかもしれません。
最も、わたしにはそんな心配は無用の物だと思うのですよ。
その奥さんがわたしの想像通りの人物なら。
・・・・・・それにしても、本当にコロコロ雰囲気が変わる人ですね、マーレイさんは。
たぶん、奥さんは彼のこんなところにも惚れたのではないだろうか?
「大丈夫ですよ、マーレイさん?」
「ん、どうしてだ?」
「普段のマーレイさんと昨晩の様なマーレイさん、どちらも貴方なのだと受け入れられた方なんでしょう?奥さんは。だったら、大丈夫です。同じ女性のわたしが保証しますよ」
「アッリちゃんとあいつとは、親と子ほどの年の差があるぞ?」
「幾つになっても、乙女心っちゅー物はあまり変わりがないのですよ!」
「そ、そうなのか」
わたしの力説に少し引きながらもなんとか納得するマーレイさん。
「では、マーレイさん。街案内を再開しますよ?奥さんを喜ばせたいんでしょう?」
「・・・・・・!ん、ああ。そうしようか」
わたしの誘いに、彼は空っぽになったチケッティの袋を握り潰し、まだ中身の残るワインボトルを懐にしまった。
使命感だろうか、今度はちゃんと書き取るぞと呟きながらいそいそと鞄をあさりメモと筆記用具を取り出すと、いつでも取り出せるように胸ポケットに挿した。
彼の準備は万端のようだ、わたし達も小昼時の休憩は終了だ。
わたしはパンパンと服の埃を払って言った。
「さぁ行きましょうか!ああ、もちろん今度はバーカロには寄らせませんよ?」
「なぬぅ!?」
底に驚かないでくださいよ、全くもう・・・・・・。
「ありがとな、いろいろ教えてくれてよ」
「どういたしまして。ちゃんと奥さんをエスコートしてくださいよ?」
分かっているさと、随分厚くなったメモ帳をポンポン叩くマーレイさん。
今日はマーレイさんが帰る日だ。
わたしは彼を宇宙口の出入り口まで見送りに来ていた。
「あとはウンディーネを雇えば完璧ですよ?」
「おう、そうさせてもらうさ・・・・・・いずれはアッリちゃんに案内してもらおうか?」
「あはは、善処しますよ」
「まぁ人を楽しませるのはウンディーネだけじゃないさ、道はいくらでもある。まだ先は長いからな、じっくり悩めよ!」
ぽんぽんとわたしの肩を叩いて、彼はバッグを背負った。
もうすぐ搭乗の時間だ。
だから、最後にわたしはある質問をした。
「以前掲示板にちょっと不思議なことを書きこんでいましたよね?あれってどういうことなんですか?」
『目標が決まったなら、それはいいことだ。俺みたいになるなよ?じゃ、その目標に絶対に到達すると自分に言い聞かせながら』と、マーレイさんはわたしのメッセージにそう返信したのだが、どういうことなのだろうかと不思議に思っていたのだ。
「ああ、あれか。本当はな、俺は軍人になんかなる気もなかったんだ。目標も持たずに日々ダラダラ過ごしていたんだが、偶々友人に勧められて士官学校を受験したんだ。それが、なぜか合格しちまってな」
その後に教官にこっぴどく指導されて隊を任せられるまでに成長した時に、気づいたら今のような誇りを持つようにもなっていたのだそうだ。
恥ずかしいのか後悔しているのか、微妙な表情でそう答えたマーレイさん。
ちょっと意外に感じつつも、やはり彼は凄いと思う。
「だからな、目標が持てたってだけで十分だと俺は思ったのさ。目標が無い奴は毎日がつらいぞ?まぁ目標が決まった奴は、あとはそのまま突き進むだけだからな、ある意味楽だ。途中で諦めなきゃ」
「実体験なのですか?」
「そうだ。だから心配だったんだ、目標を見失ったように見えたって君の友人からメールを貰った時にはな」
友人とはきっとアイリーンの事だろうと思う。
どうやら彼女は随分前からわたしの入っていた部屋の住人と連絡を取っていたようだ、何とも相変わらず根回しが速いですねぇ、彼女は。
「でも、今なら大丈夫そうだな。そのことを確認できたのも、この旅の収穫だな」
「頑張りますよ、わたしは。精一杯」
「その意気だぜ!じゃあな、サヨナラだ。またどこかで会おう!」
ポフッとわたしの頭を一撫でしてから、彼は踵を返して宇宙口の出入り口へ歩き出した。
「あ、最後にもう一つ質問良いですか!?」
だが、わたしは門をくぐろうとしたマーレイさんを呼び止める。
「今の仕事、やめたいと思ってますか?」
その質問に彼はぴたりと動きを止めると、顔だけをこちらへ向けてニッと笑って返答した。
「うんにゃ、俺にとっちゃ兵隊は天職らしい。やめるつもりなどないさ!」
「わたしもいつか貴方のようになれますか?」
「・・・・・・なれるさ、アッリちゃんなら必ずな!」
そう言うと今度こそ彼は宇宙口の人混みへと消えていく。
さてと。
彼のようになれるかまだ分からないけれども、わたしも練習に行くとしますか。
今のわたしには目標があるのだから。
:今日の日記 あくあ歴74年 △月△日ですよ。
一週間ログインしませんでしたね。
実は、なんとマリンコさんが遊びに来てくれていたので、そのためなのです。
彼が滞在中に見せてくれた多彩な面はここでは絶対に知ることのできないものばかりでした。
その中でも彼の仕事に関する一面はちょっと怖かったけれども、凄くカッコよかったのです・・・・・・奥さんが居なければ惚れてたかもしれませんね、と思うぐらい。
彼のように仕事に誇りを持てるようになりたいのです。
とにかく、まずは入社試験ですね。
頑張ります。
:追伸
彼が来たことで悪影響が一つだけ。
コロコロ雰囲気の変わるマリンコさんと一緒に行動してたら、その影響を受けたのか・・・・・・
シエロが本格的に変な方向に走り出したのですよ!?
うわぁぁぁん!