アッリ・カールステッド(Alli・Carlstedt)
『ネオ・ヴェネチア ミドルスクール』在校生
『Atelier・Alison』
「オートフラップ付オールとその管制用AI『リップル』、ですか・・・・・・?」
「うん、アッリに見せたかったもの。今日ここへ来た最大の理由。で、アリソン。答えは? もし使うとして、お金はいくらぐらい払えばいい?」
「やっぱり? ここのところ、貴女がデータ取りにいやに熱心にやっていたことと貴女との会話の中でたびたび出てくるようになった手が不自由な人の話・・・・・・それらから大体は予想がつく?」
「流石だね・・・・・・で、結局どれぐらい?」
どんどん話を進めようとするアイリーンとエレットさん・・・・・・ちょ、ちょっと待ってください。
そもそも、わたしには『オートフラップ付オールとその管制用AI『リップル』』とやら自体がさっぱりわからないのですが!?
「まってリーン。アリカちゃんが困ってる? まずはあの子達の紹介をしてあげないと?」
「ああ、そういえば何も説明していなかったね。えっと、なんて言うのかな。アリソン、代わりに説明してくれないかな?」
自分でわたしに使わせようとしているものを説明しないんですか。
まぁ、アイリーンですからね。
あと本当にわたしのことは『アリカ』って呼ぶことにしたんですね、エレットさんは。
「じゃ、そうする? まずはオートフラップ付オールのほうから紹介するから?」
ガサゴソ、コトン。
エレットさんは周りの品物を片付けて一定のスペースを作ると、奥のほうから一本のオールを持ってきた。
その滑らかな流線型の先端部を持つそれを、パッと見るとそれはまるで舟をこぐためのオールというより、空を飛ぶ飛行機の翼のように思えた。
そして、その翼にはまたさらに小さな羽がいくつか付いていた。
「これがオートフラップ付オール、この子の持つ最大の長所は、水流の偏向能力『ベクタード』?」
「あの、ベクタードって何ですか? 偏向?」
「本格的に喋ると、小難しい理論の集合体になってしまうから、噛み砕いて言うと・・・・・・。」
そう言ってエレットさんが説明するには、オールの先端部分の水かきに相当する部分に大昔の飛行機についていたフラップのような可動式の小さな翼を持ちその中に水流を制御する能力を持った機器が内蔵されているとのことらしい。
「それが、ここと・・・・・・ここと・・・・・・ここと・・・・・・ここ?」
エレットさんの白い指がオールの上をすべり、フラップのある位置を指し示していく。
場所は、ええと・・・・・・先端部に二箇所、左右に一箇所ずつ。
んで、その水流を制御する能力というのが『ベクタード』で、それはシルフ達も使うエアバイクやサラマンダーたちの仕事場である浮島に用いられている技術の応用により、このオールの周りを渦巻く水を制御することを可能にした技術なのだそうだ。
エアバイクを浮かせる力場のようなものを水中に発生させることによって、オールを漕いだ際の水の動きの変化を制御するとかなんとか。
エレットさんによれば、これでも細かく噛み砕いた説明なのだそうだが・・・・・・かなり専門用語が多いと思うのですよ。
ナントカ機関だとか、ナンチャラフィールド発生器だとか、カントカの法則だとか、云々。
隣で一緒に聞いていたアイリーンはいつのまにやら、頭からシュ~という音でも上げそうな白煙を上げて撃墜されているのですよ。
「・・・・・・それで、主任技術者のサナダ氏が開発した・・・・・・。」
「あ、あの。もうちょっと、もうちょっと簡単になりませんか?」
「ん? もしかして、難しくなっちゃった?」
「は、はい・・・・・・。」
最初のほうは分かりやすく説明しようとする気があったようですが、もうそんな気ありませんよね?
「ごめん? 専門分野になるとちょっと夢中になってしまうことがあるから? ええと、それじゃあ分かりやすく言うと・・・・・・極端に言えば、魔法みたいに水を操ることが可能なオール?」
その力を使うと、最初に少し力を加えてやれば止まることなく、なんとオールが『泳ぐ』ことが出来るそうだ。
独りでに水面を滑らかに切って進むオールの勇姿?を想像してみると・・・・・・とてもシュールな絵なのです、それは。
「えっと、説明だけじゃ分からない? ちょっとこの子を起動してみる?」
「あ、はい。お願いします。」
「じゃあ、リーン?」
「了解、了解。」
エレットさんからオールを手渡されたアイリーンは、それをゴンドラ漕ぎのように握り、オールの柄部分の一部の突起を押した。
カチッ・・・・・・フオン、フオォン、フオォオン、、、、。
「おおおう、これは!」
機械の駆動音のようなものがなりだすと、無風のはずの店内に風を感じた。これは、エアバイクが空に飛び立つときの感じに似ているのですよ。
最初は小さかった駆動音が段々と大きく低く唸るのしたがって、感じ始めた風の勢いが強くなっていった。
そして次の瞬間なのです。
「よーし、そぉーれっ!」
ブワッ!
アイリーンの掛け声とともに、突風のようなものが顔にぶつかった・・・・・・エアバイクが宙に飛び上がったときのダウンウォッシュ、そうあんな感じの。
だけどその風の強さの割りに店内はひどく穏やかだ。
あの風の強さなら周りのものが少しぐらい乱れていても不思議じゃないのに。
「ふふ、やっぱりアッリも驚くよね。けど、これだけじゃないんだよ。アッリ、ちょっと降参のポーズとってみて。」
「こう、ですか?」
アイリーンに言われるがまま両手を挙げる。
すると、顔にだけ風が当たっている感じがする、両手には全く何も感じない。
アイリーンは今当たっている風が両手に当たったら手を下げて、と言った。
「んで、このオールを・・・・・・よいしょぉっと!」
いきなりアイリーンがオールを大きく振り回し始めたのですよ、それじゃ風の流れも変わって・・・・・・しまわない?
両手は挙げたままである。
「どう? すごいでしょ? こんなに大げさに振り回しても風の流れは変わらない、『ベクタード』によって風を制御しているから。これを水に当てはめるように応用すれば、アッリの左腕が変に反応しても、オールを落としたり船の操船を誤ったりはしないと思うよ。」
「この子のすごさ、分かった? でも、この子は元からあった水流をうまく扱うことしか出来ない。空気や風と違って、水の力というのは存外に強くて重くて、この程度の力では無理やり最初から水流を生むことは不可能? だから、使い手がまずしっかりと漕ぎ始めなければいけない。」
このオールが出来る事はせいぜいがその程度らしい。
水流を自ら起こして泳ぎ始めることはできず、発生した水流を利用するのだそうだ。
もう少し出力が大きくて、発声する力場も力強いものだったならば、全て自力で泳げるそうなのだが。
なんでも、オールに、それも小さなフラップに内蔵するために小型化をした結果、出力が原型になったエアバイクの駆動部より遥かにパワーダウンしたんだそうだ。
だから、あくまでウンディーネのサポートしかできない。
ふと、疑問がわく。
「あれ? だったら、それって別にオールにつける必要はないんじゃないですか? 舟のどこかにつければ、素人考えですが前に進むことができるんじゃないですか? 舟だったら、もっと大きくても良いじゃないですか。」
「ん、それも考えた? マンホームの太平洋上に浮かぶ巨大ギガフロートにはサイズがとんでもなく大きいだけで、これと全く同じ技術が用いられている? けど、それじゃあウンディーネは廃業?」
「・・・・・・え。」
観光案内は機械音声と記憶装置、ゴンドラの航行はこの技術と後はGPSによる誘導で。それでウンディーネを代用できるシステムが完成する。しかも絶対に観光案内を間違えることも無いし、操船を誤って事故を起こすことも無いだろう完璧なシステム。
エレットさんによれば、それが今の技術ならたやすく可能なはずらしい。
更にこう言った。
人間が出来ることのほとんどをもう機械は代わりにやれる、と。
「でもね、そんなすごい機械でも不可能なことがある? それは営みを創ること。」
「営みを、創ること?」
「人がそこにいるって言う温かみ、人と人とがつながる絆、そこに人がいるから生まれる世界の色。抽象的だけど分かる?」
「なんとなく、ですが。」
例えばウンディーネで考えてみれば。
・・・・・・人が違えば、同じ観光案内のルートを辿ったとしても、内容や受ける印象が変わってくる。
たとえば、食いしん坊なウンディーネだったら穴場なレストランやマル秘グルメを力説するだろうし、歌が得意なウンディーネだったらその場その場に合ったカンツォーネを歌い、お客様を楽しませるだろう。
人懐っこいウンディーネだったら、お客様との世間話で盛り上がっていつの間にか友達になっているだろうし、操船が得意なウンディーネだったら、華麗な操船技術を見せられて驚くかもしれない。
よき相談相手にもなるかもしれないし、そばにいるだけで幸せになれるように思えるかもしれない。
そうなるのは心がある人だからだと、たぶんきっと彼女は言っていると思う。
「でも、一人の人間が出来る事はあまりにも少ないから機械を使わなければならない。私は営みの中にさりげなく機械を溶け込ませる事がしたい。」
あの変なイントネーションは鳴りを潜め、ハッキリとした喋り方でそう言った真剣な顔つきのエレットさん。
このことはきっと彼女にとって譲れない何かなんでしょうね。
と、そこで彼女はハッとした顔になった。
「・・・・・・あ、ごめん話がずれた? とにかく、この子はすごいことが出来るオールってことだけ分かってくれればいい?」
確かに少々話がずれたような気もするのです。
いつのまにかフラップ付きオールの話から飛んでいましたしね。
もしかしてエレットさんって注意してないと話をどんどん転がしていく人なんでしょうか。
「じゃ、次行く? この子・・・・・・フラップ付きオールだけでも水を操れるけど、ウンディーネのオール捌きで発生する複雑な水の流れまでは制御できないから『リップル』が補佐するの。」
たしか、管制用AIといっていましたっけね、『リップル』を。
「フラップ付きオールは力はあるんだけど、それをうまく扱えない? つまりは、馬鹿?」
「・・・・・・生みの親が子を馬鹿って言っていいんですか?」
「子を馬鹿って言うのは親の特権? で、『リップル』にはもう一つビックリするかもしれない特徴があるんだけど? 見たほうが早い?」
アリソンさんは服のポケットの中から小さな丸い円盤状の物を取り出して言った。
「起きて、リップル。貴女のことを紹介してるから?」
≪・・・・・・りょうかい。いま、おきる。むにゃ、しばしばまってくれ、まいまざー。≫
「うひゃあ!」
突然、寝ぼけ眼で目をこする三頭身ぐらいの白黒のライン入りのベレー帽のような帽子をかぶった黒髪のジト目をした少女が現れました・・・・・・ええと、なにこれ。
急に目の前に出てくるので驚いてしまったではありませんか。
「これはホログラフ、ですか。」
「うん、そう? ほら、リップル? お客様に挨拶しなさい?」
≪フムン、リップルだ。よろしく。まだ暖まってないから、こんなくちょうで失礼する。もうすこしまってくれ。≫
「あ、ああ、ご丁寧にどうも。」
そういうと彼女は目を閉じ、それと同時に円盤状の物が静かに低くうなりだした。
「ふふっ、やっぱりアッリも驚いてるね?」
「当然ですよ、アイリーン。」
いきなり喋るAI、まぁそれぐらいなら見たことがあるが、映像つきで人間のように喋るAIは初めて見たのですよ。
ドラマやアニメ、映画の中ならともかく現実で見ることになるとは思いもよりませんでしたよ。
これがマンホームのジャパニメーションのキャラクターのようにデフォルメされていなかったら、もっと驚いたかもしれません。
「『リップル』は、アリソンが学校にいたころ、機械と人が溶け込む・・・・・・ならば、やっぱり擬人化しか無い!って言った人がアリソンのグループにいたらしくて、それであれよあれよと言う内にこの子が生まれたんだって。」
「機械に擬似感情、そして容姿を持たせ人がコミュニケーションを取れるようにすることによって溶け込みやすくする・・・・・・って発想は良かった? でも、その子の外見を考えた人・・・・・・擬人化しか無いって言った人が大のジャパニメーション好きでそんな風になった。人格形成は普通の子になるように私がやったから、たぶんまとも?」
≪・・・・・・よし、完璧に起きたぞ。で、マイマザー。私を起こしたということは、自己紹介しなさい、か?≫
「そう?」
≪マイマザー、いい加減その変なイントネーションはやめてくれ。誤認識してしまう。ああ、ではコホン。汎用AIの『リップル』だ、元々汎用的に作られたAIだからマイマザーの説明は間違ってるな。別に管制専用のAIじゃない、他の仕事も出来る。それと『リップル』は私を含めた汎用AIの総称だ、私自身にはまだ名前は無い・・・・・・とは言っても、まだ私しか『リップル』はいないから私の固有名詞としても良いぞ。≫
おおう、確かにまともそうですね。
わたしのイメージしていたSFに出てくるようなAIですよ、この固そうな口調が。
「む、私としてはもう少しインパクトのある自己紹介をして欲しかった?」
≪インパクト? それは少し厳しいが。ふむ、なら・・・・・・そうだな、こういう自己紹介はどうだ?私は汎用AIなのだが、元々は軍事利用を前提としたAIだとしたら君達はどうする? 例えば、軍事衛星の攻撃管制や無人攻撃機の制御などだ。≫
そう言うと『リップル』はわたしの方を向いて、にやりと笑った。
その時です、わたしに電流のような何かが走った。
なぜでしょう、わたしはこう思った・・・・・・『これはやるしかない』、と。
「ほうほう、軍事利用ですか・・・・・・ということは、エレットさんは死の商人なんですか?」
「・・・・・・え?」
≪ふふ、そうだな、きっとそうだ。いや、死の商人ではないな。まっどさいえんてぃすとだ、このようにか弱い少女の容姿を持つAIに人を撃たせるんだから、もしかしたら変態かもしれないなっ。≫
「え? え?」
「となれば、死の商人はきっとアイリーンですね。あなたをわたしに使わせようとしたんですから。」
≪そうだなっ、きっとそうにちがいないっ。≫
「あははー、アッリに『リップル』。ちょっと良いかな?」
「はい、なんでしょうか。」≪なんだ? アイリーンさん?≫
「アリソンが混乱してるよ? これ以上するなら、私・・・・・・お・こ・る・よ?」
「ごめんなさいです。」≪申し訳ない。≫
なんでしょう、急にガラッと雰囲気が変わった。
空気がピリピリ緊張しているような気もしてきます、魔王閣下降臨ですか?
正直、足が震えてきたんですけど。ついでに悪寒も。
これは、間違いなく怒っていらっしゃいますね、ハイ。
だから素直に謝るのが正解なのです。
それにしても、このAIとまさかここまで息が合うとは思わなかったのですよ。
さっき思ったSFに出てくるようなAIを訂正してジャパニメーションに出てくるようなAIに変更です。
「あのエレットさん、本当にAIなんですか、これ?」
「ひうっ、ごめんなさい私は死の商人じゃないマッドサイエンティストでもない変態でもない。ゆるして。」
「・・・・・・すいません、ごめんなさい。元に戻ってはくれませんか?」
まさか、すこしAIと合わせて弄っただけでこうなるとは思いもよりませんでしたよ。
ああ、アイリーンの批難の視線が痛い、痛い。
アイリーンはエレットさんの背中をやさしくさすってあげて、なんとか彼女を元の調子に戻してくれました。
無論、その後にアイリーンによって頭をぐりぐりされましたが。
仕方ないじゃないですか、『リップル』からヤレという意思を持った目線が飛んできたんですから。
そういえば、あのにやりと笑った時の目、どこかで見た覚えがあると思ったらお父様がお母様を弄るときや悪巧みをしている時の目に似ていたのです。
本当にこの『リップル』はAIなんですか、いやに人間じみているんですけど・・・・・・本気で疑いたくなってきましたよ、わたしは。
この円盤状の物は実は通信装置で人間がリアルタイムで通信しているとしても、わたしは絶対に驚きませんよ。
「はぁ、ふぅ・・・・・・まさか、アリカちゃんにリップルがそんな子だとは私は思わなかった?」
「ううっ、ごめんなさい。」
≪すまなかった、マイマザー。だが、インパクトのある自己紹介をして欲しかったと言ったのは、マイマザーだ。≫
「私だけど、私だけど? アレは少しひどすぎる? それにあなたの容姿を決定したのは私じゃない。」
≪うう、すまない。≫
「アッリには、またあとで私がきつーく言っておくから。グリグリつきで。」
アイリーン、あなたは本当にわたしのお母さんですか?
本当に、本当にそっくりだと思うのですよ・・・・・・。
「まぁ、とにかくこれでアリカちゃんとリップルの相性はバッチリだってことが分かった? あとは貴女の意思しだい?」
エレットさんは『リップル』のホログラフを発生させていた円盤状の物をオールの柄の一番上にはめ込むと、柄をわたしの方へ差し出した。
「意思、ですか。」
「そう。これを握るか、握らないか。」
「それは・・・・・・。」
さっき見せてくれたように、フラップ付きオールそして『リップル』が、わたしの腕が突然変な風に動いたとしても自分の力を使い、わたしを助けてくれる。
あとは彼らに助けてもらいながら練習そしてリハビリをすれば、左腕はどうにでもなるだろう。
エレットさんはそう続けた。
そういえば、お医者様も同じようなことを言っていたのを思い出した。
正直に言えば少し希望が沸いた、もう一度漕げるようになるかもしれないと。
それに、歩けることすらできない人が、リハビリの結果で歩くどころか走れるようになったのを、昔テレビで見たことがある。
しかも、その話は二百数十年前のマンホーム(地球)の物だ。
今の技術ならより確実だとは思う。
でも、わたしはまだ迷っている。
これでどうにかならなかったら、漕げるようにならなかったら、もう二度と元に戻らないとしたら・・・・・・。
そう思って、一歩目を踏み出せない。
「エレットさん、すいません。まだ怖いです、迷って、しまいます。」
「アッリ、すこし腕の力を弱めて。痕が付いちゃうよ。」
「あ・・・・・・。」
アイリーンの手が左腕を握り締めていた指を一本一本丁寧に優しくはがしていく。
見れば、うっすらと痕が付いていた。
「ごめんなさい、アイリーン。わたしは・・・・・・。」
「ううん、謝らなくて良いよ、アッリは。迷ってるってことは、昨日や今日の朝みたいに『どうせ』って言って否定せずに、漕ぐことに挑戦することを選択肢に入れてるって事だと思うから。違うかな。」
「それは・・・・・・あっている、と思うのです。あのオールの力を見たとき、これならばって思いました。でもわたしはその希望が・・・・・・。」
その希望が壊れてしまうのではないか・・・・・・そう思ってしまう。
その可能性が無いわけじゃないから。
「いいよ、アッリ。迷ってくれるだけでも、私にとっては十分だもの。あとはアッリがゆっくり時間をかけて決めて。私は、アッリに後悔して欲しくないから。」
「分かりました、なのです。」
アイリーンはわたしをこれ以上前へ押そうとはしなかった。
彼女がしたのはあくまでスタートラインの位置を教えただけなのだ、その位置に付いて一歩目を踏み出すのはやはり自分だ。
そこにアイリーンのちょっとした厳しさのような、本当に母親のような厳しさを感じた。
コォーン・・・・・・コォーン・・・・・・コォーン
突然壁にかけられていた時計が鳴る。
12時なら分かるが、今は11時だ・・・・・・一体なんだろうか。
「あ、もう予定の時間? じゃ、アリソン。予定通りアッリも連れて行くから。」
「OK? 屋上で暖機している? 『リップル』は待機状態。」
≪了解した、マイマザー。≫
時計が鳴るのと同時に、アイリーンとエレットさんは慌しくオールを片付けて、さっきせっかくOPENにした看板をCLOSEに変えた。
・・・・・・あのですね、わたしの希望になるかもしれないオールをその辺に放置しないで欲しいのですが。
いや、まだあれを握るとは決めたわけじゃないんですけど、さっきまであれほど話の中軸に置かれていたものをぞんざいに扱われているのを見ると、なんだか言いようの無い無常感に襲われるのですが。
「えっと、あの話についていけないのですが。」
なんだか、今日は話に置いてけぼりにされることが多いと思うのですよ。
「あはは、ごめんごめん。えっと、朝さ。希望を教えてあげるって言ったよね。なにも希望はこれだけじゃあないの。今から行くところにもある・・・・・・まぁ、今度は希望って言うより、心が落ち着く場所、気分がすっきりする場所、かな。私がね、迷いごと悩み事があるときいつもそこへ行ってるんだ。」
「あの、それはどういうところなんですか?」
「ふふっ、私やアリソン、そして彼女達はそこを『ウンディーネの寝所』って呼んでいるんだ・・・・・・あとは行って見てからのお楽しみかな? じゃ、これ読んでおいて。」
そう言って、彼女はわたしに『初心者ダイバーのススメ』なる本を渡してきた。
・・・・・・はて?
「ああ、そうだ。アッリ、誤解が起きないように先に言っておくけれど・・・・・・。」
「はい、なんでしょうか。」
「アリソン、27歳だからね。」
「・・・・・・ええっ!?」