そこは、まぎれもなく戦場だった……
心半ばに倒れるもの、重圧に気がふれてしまうもの、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
議会室には書類の束が山積みされ、怒声を上げながら指示していく。
倒れている屍のようなものには、水の秘薬を無理やり飲ませていく。
「倒れるなら、仕事を終わらせてからにしろ」
まったく、高齢である自分ですらまだ休んでいないというのに
最近の若い者は軟弱すぎる、とリッシュモンは水の秘薬を一気飲みした。
王宮の打ちたてた施策は、思いのほか上手くいっていた。
民衆も急な税率増加に当初は不満を上げていたが、すぐにそれも収まった。
やはり一番大きかったのは、医療の確立でそれまで文句をいっていた平民どもは諸手を挙げて、手形を取得しにくるのだった。
一時金として支払う金額はけして安くはなかったが、
手形さえあれば怪我や病気ですら大抵のことであれば解決してしまう。
驚いたことに、貴族の婦人会からも義援金として結構な額が寄付されている。
街の景観や治安が良くなったことも大きいのかもしれない。
戸籍標本、莫大に流れる金、仕事を割り振るために広がる貴族達との交友関係。
多方面から感謝されている、恩を売るのはとてもいいことでもある。
忙しすぎるのを除けば、充実した仕事場だ。本来の法に関する仕事も、それに伴い増えている。
しかしながら、忌まわしきは鳥の骨だ。
我らに鎖をつけて、動かそうなどとは……
確かに金の入りは良くなった、金以外の利益も大きい。
しかし、それも忙しすぎて生かす暇もない。金は得た傍から殆どが返済に充てられている。
3年…いや2年は身動きが取れそうにもない。
手伝いと称して手のものに監視をされているし、
施策事態はまっとうで、王家、貴族、平民、全てに利益があるので反論も出せない。
アンリエッタ姫が考えた施策といっているが、ここまで緻密な案を考えれるものか
裏で操られているといえば、聞こえは悪いがよくある話だ。
そのような不届きものに、王家を任せてなどおけるかと、自分の事を棚に上げて笑うのだった。
「皆さまお疲れ様です、新しい書類と差し入れです」
丁度考えていた所に、アンリエッタ姫がやってくる。
アンリエッタ姫は、両手に手ずから作られたクッキーをもっている。
味はパサパサして正直食べれたものではないが、感動している貴族も多い。
しかもどういう原理か、気力が充実し活力がわいてくる怪しいことこのうえないしろものだ。
正直、皆度々出てくるこの不思議なお菓子と水の秘薬漬になっている。
その後ろには、今広い机の上に乱雑に置かれている書類と同じ量の書類をもった侍女達がいる。
何時まで経っても仕事が終わりそうになる気配が見えずため息をつくのだった。
「お陰さまで、順調に利益が上がっています。
これも皆様のがんばりのお陰ですよ、ここに書いてある金額はここにいる皆さまの純利益です」
その桁違いの数値に部屋にはどよめきが走った。
一瞬周りと同じように喜びのあまり顔をにやけつけさせてしまいそうになったが、
よくよく考えてみたら、この殆どが借金の返済にあてがわれ、最終的に国庫に返還される。
そう思うと、極上の貴金属が目の前に無防備に置いてあるのに、
自分の手に入れることができないような言いようのないもどかしさを感じる。
「リッシュモン様は、皆さまのようにお喜びにはなられないのですか?」
少し離れた場所で覚めた目で見ていた所を、アンリエッタ姫に声かけられた。
取り繕うように苦笑を浮かべ、リッシュモンは答える。
「いえいえ、アンリエッタ姫様、我らも王家に貢献できて光栄に思っております。
ただ、この老体が働くにはいささか仕事の量が多く辛いですな」
するとアンリエッタ姫は、笑みを浮かべ頷いた。
「おっしゃる通りでしたわ、いささか配慮に欠けていました。
皆様に言って一人だけ仕事の量を減らし、家にも毎日帰れるようにしましょう」
にこにこと提案された内容は、あまりに醜聞の悪い内容だった。
もし実行されれば、批難を受けるのは火を見るよりも明らかだ。
「私だけというのであっては、他のものに示しがつきませぬな。
皆も少し休んだ方が、効率もあがるでしょう。どうでしょうか?」
アンリエッタ姫は悲しそうに首を振った。
「今やこの施策は国の要になっているのです。
仕事の量を減らすとなるとその分人員を増やさなくてはなりませぬ。
そうなれば、皆様に払う給金も少なくなります。
そうなると皆の国へ返す返済期間が膨れ上がってしまいます……」
暗に自業自得といわれてるようで腹が立つ。
利子もあるため、期間が延びれば倍苦しい思いをしなくてはならない。
分かってはいても正論ほど頭にくることはない…おのれ、鳥の骨…小娘!
どこまで我らを苦しめればいいのだ。
「しかし、こう休みがなくては体も壊してしまいますぞ。
水の秘薬もに頼るものまで出る始末、あまり良くない状態といえましょう」
しかも水の秘薬は王家から支給され、給金から引かれる仕組みになっている。
「まぁ、それはいけませんね。では、こうしてはどうでしょうか?
今より仕事の量を増やして、2年の所を1年で解放される。
もしくは、仕事の結果を倍以上に出してもらって、虚無の曜日にゆっくり休んでいただく」
名案だとでもいうような顔をしているアンリエッタ姫を見てため息をついて、
弱弱しく今のままで結構ですというのが、リッシュモンの限界だった。
タルブ村では、シエスタの家族が旅行の準備をしていた。
ルイズがシエスタには、お世話になっているから是非王都観光にといったのだ。
入用だろうと数十エキューも渡され、貴族にお願いされては断るわけにもいかない。
そのお金もサイトの懐から出たわけだが、シエスタは感謝するばかりだった。
「おれは、やることがあるから、しばらくここに残るよ」
そうサイトがいうと、ルイズが少しぐずったが、あらかじめ聞いていたのかすぐに顔を引き締める。
「頼んだよ?ルイズ」
そういうと優しく抱きしめ、軽くキスをした。
それだけで、幸せがルイズの脳内を幸福な麻薬が駆け巡るのだった。
エルザが走り寄って抱きつくと、くるくるとそのまままわしてあげた。
キャッキャと喜びながら、ほっぺに軽くキスをすると嬉しそうにするのだった。
シエスタが羨ましそうに見ていたので軽く頭を撫でてあげる。
そうして、ルイズ達は最後の詰めをするべく、
大所帯なので荷馬車も二つに分けて、トリステインの王都に向かうのだった。
ガソリンに関しては、マチルダに準備させてあった。
自分で錬金したか、他の人間を雇ったか分からないが、
注文していたタル五つ分を入念に固定化して、タルブ村へ送らせていたのだ。
ルイズに伝えてある内容、マチルダにさせている準備、そして、悲劇の王ウェールズ。
少々イレギュラーもあるものの、細工は流々、仕上げはごろうじろというものだ。
サイトは無人のシエスタ宅の地下ワイナリーから、年代物のワインを幾つか取り出すと、
グラスにいれると月を見ながら、ちびちびと飲みだした。
なかなか酔えないので、今度はワインを蒸留して度数を高める。
若い香味が鼻と喉に引っかかるが、胃に熱を持ち始め良い感じに酔いが回り始める。
名産であるタルブワインを蒸留して樽で数年寝かせれば、サイト好みの力強い酒が出来あがる。
工程によって出てくる個性も変わるため、レシピ次第ではハルケギニアでも飛ぶように流行るだろう。
金を稼ぐのは沢山あるし簡単だが、その流通をコントロールするのは難しい。
その下地は少しずつ整えていけばいい。
どうとだって楽しむことが出来るのだ、でなければやっていけない。
「今回は、楽しましてくれるんだろうね、ハルケギニアよ」
サイトは、ブランデーに浮かべた月を飲みほした。
ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世と、トリステイン王女アンリエッタの結婚式は、
ゲルマニアの首都、ヴィンドボナで行われる予定であった。
式の日取りは、来月三日後のニューイの月の一日に行われる。
王宮で式に纏う花嫁のドレスを準備するときは大変だった。
太后マリアンヌが見守る中、アンリエッタはまるで心此処に非ずといった面持で、
仮縫いのための縫子達が袖の位置や具合を聞いても、あいまいに頷くばかり。
「愛しい娘や、元気がないようね」
「母さま……」
アンリエッタは冷たい眼差しで、母后を見つめた・
「望まぬ結婚なのは、分かっていますよ」
マリアンヌは、優しく娘の頭を撫でた。
「恋人がいるのですね?」
「「いた」と申すべきですわ。深い、深い沼の底にアンリエッタは沈み込んでいるような気分ですわ。
すべてが私の知らない場所で起こり、気がついた時には膝の上まで飲みこまれている」
マリアンヌは首を振った。
「恋ははしかのようなもの。熱が冷めればすぐに忘れてますよ」
はしかよりもひどい熱病にでもかかってしまった気分だ。
「あなたは王女なのです。忘れねばならぬことは、忘れなくてはなりませんよ。
あなたがそんな顔をしていたら、民は不安になるでしょう」
諭すような口調で、マリアンヌはいった。
「では、なぜ母さまは、父を忘れずに喪に伏したままなのですか?
王家についてわたしを守ってくだされば、
こんな思いなどせずに小娘のままでいられたかもしれませんのに……
わたしは、いったい何のために嫁ぐのですか?」
マリアンヌは絶句した。
「なぜわたしに全てを押し付けて、父さまは逝ってしまったの。
なぜわたしに全てを押し付けて、母さまはここにいるの。
わたしは、何かの道具になるために生まれてきたのですか」
アンリエッタはさめざめと泣きながら立ちつくした。
「ああ、あなたにそのような思いをさせていたなんて、
ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」
「ごめんなさい、母さま……言い過ぎました」
「レコンキスタのクロムウェルは野心あふれる男。
不可侵条約を結んだとはいえ、空の上から大人しくハルケギニアの大地を見降ろして満足するとは思えません。
軍事強国のゲルマニアにいたほうが、あなたのためなのですよ」
母娘は泣きながら抱きしめあった。
かくして不可侵条約を結んだ親善訪問のために、トリステインの艦隊旗艦の「メルカトール」号は、
新生アルビオン政府の客を迎えるために、艦隊を率いてラ・ロシェールの上空に停泊していた。
後甲板では、艦隊司令長官のラ・ラメー伯爵が、国賓を迎えるために正装して居住まいを正している。
アルビオン艦隊は、約束の刻限をとうに過ぎている。
「やつらは遅いではないか。艦長」
イライラしたような口調で、ラ・ラメーが呟くと左舷よりようやくアルビオン艦隊が現れた。
雲とみまごうばかりの巨艦を先頭に、アルビオン艦隊が静静と降下してくるところだった。
「ふむ、あれがアルビオンの「ロイヤル・ソヴリン」級か」
「しかし、あの戦艦は巨大ですな。後続の戦列艦がまるで小さなスループ船のようにみえますぞ」
「戦場では遭遇したくないものだな」
互いに礼砲を撃つと空砲でありながら、ラ・ラメー提督があとじらせるほどの禍々しい迫力を「レキシントン」号はもっていた
それよりも恐ろしいことに空砲を撃ったはずが、アルビオン艦隊の一番最後尾にある船で火災が発生し空中爆発し落ちたのだ。
その艦隊が落ちていくのを眺めながら、「レキシントン」を任されているボーウッドは矢継ぎ早に指令を下していく。
政治上のいきさつも、人間らしい情も、卑怯なだまし討ちである作戦への批判も全て吹っ飛ぶ。
彼はまさに軍人の鏡であった。
「な、何事だ?火災が火薬庫に回ったのか?」
「メルカトール」号の艦上が騒然となる。
手旗手の信号が「レキシントン」から送られてくる。
「「レキシントン」号艦長ヨリ、トリステイン艦隊旗艦。「ホバート」号ヲ撃沈セシ、
貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」
「撃沈?何を言っているんだ。勝手に爆発したんじゃないか」
ラ・ラメーは慌てた、それは戦争の口火を勝手に切るような卑劣な作戦だった。
「すぐに返信しろ。「本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ」」
「タダイマノ貴艦ノ砲撃ハ空砲ニアラズ。
我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス」
有無を言わさず、一斉射撃の轟音が鳴り響き、ラ・ラメーの絶叫を打ち消す。
「砲撃ヲ中止セヨ。我ニ交戦ノ意志アラズ」
「メルカトール」号から、悲鳴のような信号が何度も送られる。
その返答は着弾をもって、ラ・ラメーを吹き飛ばすことで返された。
アルビオンに嵌められたのである。
アルビオン艦隊は一定の距離をとりつつ、冷静に射撃をくわえていく。
艦隊数で二倍、それにくわえ新型の大砲を装備し、砲力はくらべものにならない。
トリステインの艦隊をいたぶるように砲撃はつづけられ、
ついに「メルカトール」号は、爆沈し空中で飛散した。
「レキシントン」号の艦上のあちこちから、「アルビオン万歳、神聖皇帝クロムウェル万歳」の叫び声が響く。
ボーウッドはその行為を醒めた目でみつめるのだった。
束の間の不可侵条約は破られ、トリステインの艦隊の全滅が戦争開始の合図となったのだった。