アンリエッタは純白に光り輝くユニコーンがタルブ草原に向かう。
その後ろに幻獣にのった衛士隊が勇ましく続いていく。
蹄や羽音が鳴り響き、鎧の金鳴音が平野に響く。
前方の小高い丘の上に、ピンクのかかったブロンドの髪の人物が馬に乗って見える。
警戒し杖を構える兵を制し、アンリエッタは急いで近づいていく。
待ち望んでいた人物とは違うが、恐らく彼女はメッセンジャーなのだろう。
サイトとアンリエッタの中で公式的に接触して問題なく、かつ裏の裏まで知り尽くした仲間。
「ルイズ!」
「姫様!!」
ひとしきり再開を喜んだあと、慌てたようにアンリエッタは切り出した。
「サイトさんから、何か言伝は?」
ルイズは、そんなアンリエッタの手を優しく握り答えた。
「姫様、まずは落ち着いてください」
いくら心が大人になり、政(まつりごと)が分かり始めたとはいえ、
戦争・人の生き死には初めてなのだ、今この瞬間にさえも誰かが死んでいるかもしれない。
「必ずここに来ると信じていました。タルブはサイトがいますので大きな被害はでていないでしょう。
そしてこれがサイトから託されたものです」
ホッと一息をつき、手渡されたものをまじまじとみる。
それは見事な彫刻の施された仕掛け時計だった。何故か時間があっていない。
「え?これだけ…ですか?他に何か伝言とか。
何か敵に勝利する秘策とか、思いもつかないような武器とか……」
この時計には、何か秘密があるのだろうか?少し落胆してしまう。
しかし……きっと何かわけがあるに違いない。実は恐ろしい魔法の仕掛け時計でたちどころに敵を焼き尽くすとか
この壊れた仕掛け時計を、もとよりサイトを信じるしか道はないのだ。
「サイトさんからのプレゼント……」
そう考えるとなんだか特別で、どんな状況でも負ける気がしなくなってきた。
「それでは、姫様これで。素敵な午後を」
そういうとルイズは颯爽とさっていった。
あっ、と嘆く間もなかった、出来れば一緒にいてくれば心強かったのに……
何かを断ち切る様に2、3度首を振ると後ろに控える兵に声をかける。
良い休憩になったようで気力も十分だ。
「それでは、皆さま参りましょう」
ラ・ロシェールに立てこもったトリステインの前方上空に敵の艦隊が見えた。
大艦隊は「レキシントン」を中心に密集しまるで空中要塞のように堅牢な砦に見えた。
アンリエッタは思わず祈りをささげた。
まるで戦力が違いすぎるのが容易に想像できたのだ。
制空権を抑えられ、そしてあの艦隊に属している兵士が全てそろえば、トリステインの集まった兵の倍以上になる。
空中では、見たこともない竜が地響きを立てて飛び交い、降下しようとする火竜を撃ち落としている。
トリステインから偵察に向かった竜騎士達も地上に兵を降ろさないように牽制している。
しかし、それも時間の問題だろう。密集した艦隊から放たれる散弾銃に一匹、また一匹と撃ち落とされている。
不思議な竜だけは、器用に飛び交い恐るべき速さで飛び交っている。
トリステイン軍は、射程外に陣をとっていた。
彼らが疲弊し降りてきたところを、決死の覚悟で突撃する。
空を抑えられたトリステインが、アルビオンを撃退するための唯一の策だった。
「あの竜は味方かしら?」
「わかりませぬ…しかし、あの竜のお陰でこちらは落ち着いて布陣を敷くことが出来ました。
いつでも姫の号令と共に出撃出来る手はずが整っております」
アンリエッタはサイトから受け取った時計を抱え見る。
既に午後を過ぎていたが、時計の針ではもうすぐ正午になる所だ。
「ふむ…壊れていますな」
不思議なものを見るような目つきでマザリーニ枢機卿が言う。
「この時計が午後をつげた時、出撃しましょう。
私たちには、大いなる加護がついているのですから」
夢見る瞳で語りだすアンリエッタをますます怪訝な目で見つめるのだった。
少し離れたタルブの森では、水のルビーと始祖の祈祷書を掲げたルイズが上空を見ていた。
サイトから送られた懐中時計に目を落とし、光の中の文字を読み始めた。
何度もなぞった呪文、虚無の系統、伝説の系統である。
呪文を口語にする独特のリズムは、まるで子守唄のように自分の中にしみこむ。
初めて呪文を唱える高揚感に、つい定められた章節以上読んでしまいそうになる。
時計の鳴る音が聞こえる……丁度いい時間だ。
ルイズは己の衝動を制し、杖を振ると虚空にめがけて魔法を放った。
ぽーん、ぽーん、アンリエッタの仕掛け時計の鐘が鳴る。
中から可愛らしい赤い鳥がくるくる、くるくると回っている。
「まぁ、可愛らしい」
戦場には似つかわない可愛らしいダンスになんだか癒されるような気がする。
金が鳴り響くと同時に、味方の陣営から大きな歓声が沸いた。
「あれはなんだ!?…鳥か?……火竜か?」
アンリエッタは信じられない光景を目のあたりにした。
密集していた大艦隊、巨大な空中要塞に向けて、赤い赤い巨大な炎の光が現れたのだった。
目を凝らして見てみると、仕掛け時計の中で踊っている赤い鳥に似ているようだった。
羽まで火で出来ているかのように赤々と、周りの景色が陽炎のように揺れている。
光り輝く炎の奔流が、巨大艦隊を飲み込むかのように近づいていく。
ぶつかる、アンリエッタはとっさに目をつむった。
火の鳥は空を遊弋する艦隊を包み込み、視界を覆う程の赤い炎で覆い尽くした。
その光景は一瞬の間に終わり、光は熱さもなく蜃気楼のように立ち消えた
そして……炎が晴れた後、巨艦「レキシントン」号を筆頭に緩やかに地面に向かって墜落していく。
どうみても戦略的に降下しているようには見えない。
一番初めに我に返ったのはマザリーニだった。
「いや、あれは、トリステインが危機に訪れた時に現れるという、伝説の不死鳥、フェニックスですぞ。
おのおのがた、始祖の祝福は我にあり」
するとすぐにあちこちで歓声が上がり、大きなうねりとなった。
「うおおおおおおおーーっ、トリステイン万歳、フェニックス万歳」
「レキシントン」号になにがあったのか……
忌々しい不思議な竜によって、一度空に戻らざるを得なかった艦隊は密集形態をもってタルブに陣を降ろすことにした。
ちまちまと邪魔をされていたが、上陸もまじかの問題だった。
眼前にみえるトリステイン軍の倍以上の兵をおろし、空から陸から責めたてればいい。勝利の見えた戦いのはずだった。
一番最初に異変を見つけたのは、名もない小艦隊の甲板に立っていた新兵のライリーだった。
同郷の先輩兵と一緒に初めての戦場に震えながらも甲板から、下方に飛び交う竜に向けて魔法や大砲を撃っていたのだ。
するといきなり炎の球が膨れ上がり、鳥のような形を模し始めた。
炎に揺らめく立派な尾羽に、羽を広げるとゆらめきとともに全てのものを焼き尽くしてしまいそうな迫力がある。
焦りとは裏腹に、余りの神々しさに見ほれていると、艦隊にぶつかる様に包み込み消えていった。
炎の羽に触れたような気がしたが、熱さも何もなくただただ幻のように消えていったのだ。
「さっきのは、なんだったんだろう……綺麗だったな」
ライリーはそういうと、とさりと甲板に倒れ動かなくなった。
「おい、ライリー何をふざけてるんだ。お前結婚したばかりなんだぞ。
絶対勝てるから、手柄を立てて戻るんだっていってたじゃないか」
いつからかふさぎこんだようにライリーはなっていたような気がする。
あんなに明るく笑っていたライリーは笑わなくなり、その体も不気味な冷たさをもっていた気がする。
「俺だって、帰って母上に報酬をもっていって楽にしてあげるんだ。
こんな所で、死んでたまるか!!なんとしても生き延び……」
そういいながら、とさりと甲板に倒れ込んだ。
そういえば、俺死んでたんだっけ……最後に思い出したのはそのことだけだった。
周りを固めていた艦隊で起こった異変は、またたく間にひろまっていった。
原因不明に今まで生きていた周りの者たちが、静かに眠る様にとさりとさりと倒れていく。
毒でもなく、魔法攻撃でもなく、死の輪廻から外れ動いていた魔法を解除され動かなくなったのだ。
それをみて、周りの兵士たちも、次は自分の番なのか?茫然と立ち尽くすしかなかったのだ。
嫌な事は重なるもので、程なくして動力庫から、ずがんと小さな爆発音が聞こえる。
「な、なんだ、今度は襲撃か!?」
ボーウッドは、死んだように動かないジョンストンを見つめていたがすぐに我に返った。
動力庫には大量の風石がある、もし何かの間違いで一つでも暴発すればひとたまりもない。
息を切らして一人の兵士が司令部に入ってきた。
「報告します、船の動力部が破壊されました」
「こんな時に……それで、被害は、賊は侵入しているのか?」
「いえ、賊は侵入していません…火薬で動力部のみ破壊されたようで、
それ以外は無事なのですが、とても飛行を続けられる状態ではありません」
「動力部の交換はできるか?」
「いえ…このような事態は想定しておらず……港につけばすぐに修復できますが現状では……」
「そうか……」
どうして、こうなってしまったのか…負けるはずのない戦いではなかったのか。
辺りに錯乱する死体、動力が破壊され緩やかに降下していく船。
士気はもうこれ以上下げられないという程下がっていてとても交戦出来るような状態ではない。
玉砕もかなわず、苦渋の選択を飲まざるを得ない。
「……」
生き残っているものは固唾をのんで、現在の最高権力者でもあるジョンストンを見つめている。
「白旗を上げろ……我々の完敗だ…。我々は投降する」
「レキシントン」号からあがる白旗をラ・ロシェールの岩肌の上からマチルダが満足そうに見ていた。
「いくら兵士を操っていたって、平民の整備士までは目が届かなかったようだね。
魔法で従えようなんて気も起きなかったんじゃないのかい?騙して仕掛けをするくらい楽な仕事だったよ」
幹部や兵士の大半は操られていたが、それゆえに管理・監視が不十分となっていたのだ。
技師に時限式の仕掛け爆弾を動力の部分だけに取り付ける。
そして、生きてる人間をなるべく殺さず、船も壊さずに戦意だけ消失させる。
「レキシントン」をはじめとしたアルビオンの空の艦隊が手に入るのだ。
こうして死を超越した不死の軍隊は、戦いを開始する前に呆気なく敗れ去ったのだった。
「あれが、フェニックス……サイトさん…」
金が鳴りやみ火の鳥の踊りが終わった仕掛け時計を握りしめる。
アンリエッタは、水晶の杖を高く掲げ勝鬨を上げた。
「あれこそが、トリステインを勝利に導く始祖の加護です。
全軍突撃!艦隊を包囲し蟻の子一匹通さぬように、
白旗を上げたとて、不可侵条約をやぶったような相手です。油断しませぬように」
森の中で、虚無魔法を二つも使ったルイズはへたり込んでいた。
「これが、わたしの魔法……虚無の魔法」
長年貯めた魔法の半分近くを消費したのだ、腰を抜かしても仕方がない。
ゼロ戦で近くまで降りてきていたサイトは、ゆっくりとルイズに近づき抱きしめた。
「サイト…わたし……」
一つ頷くとルイズはぼろぼろと涙を流し始めた。
優しくハンカチでぬぐうと、頭を撫でる。
「わたし、魔法を使ったわ。もうゼロじゃない。
サイトがいるから、わたしはここまでこれた……その…ありがとう」
人前で魔法を披露できなくてもいい、魔法を使えた事実がある。
そしてサイトの役に立てた、それがただただ嬉しい。
サイトを信じて、サイトにゆだねていけばいい。
トリステインを陰ながらとはいえ、無事守り抜いたのだ。
もし、サイトがいなかったら、いったいどうなっていたのか想像したくない。
幸福が、栄光が、望みが、サイトの行く道にある。
ルイズは静かにサイトに寄り添い、赤い夕陽が沈むのを眺めた。