雲ひとつない青い空。
少年は一人海辺へ座り、水平線を見続けていた。少年が旅を始めてから数千の時が流れている。
そこには、見渡す限りの澄んだ青が広がっていた。海、空。太陽の光を反射させ、キラキラと輝く透き通った色をした海は、少年の心を落ち着かせる。
少年は一人海を見続ける。
近くに存在する影に、少年は気がつかない。
彼女、兎の妖怪の少女は傷ついていた。
彼女は、兎の妖怪は、力の弱い種である。おくびょうな性格をしており、すばやさは高いがこうげき力は低い。
植物、木の実などを好んで食べ、故に、進んで人間を狙うことは少ない。妖怪というよりも妖獣と言った方がいいだろう。
先祖返りとでも言うべきか、数千年ほど前から獣の特徴を多く引きついだ者が生まれ始めた。
化獣のようなそれは、されど化獣では決してない。獣の姿をして生まれたが、成長すれば人、つまり妖怪の姿もとれるようになっている。
必ずしも人の恐怖を食べる必要はない。彼らは、獣や木の実などを食べることにより、生きることができる。
飢えを凌ぐのではなく、生き延びることができる。故に、妖怪ではなく妖獣。
命名は妖怪のハジである。理由は妖怪が化獣みたいだから、といういたってシンプルな答えであった。
本来、彼女は兎同士で作られた群れの中で行動していたのだが、人一倍高い好奇心と己の頭脳に自信を持っており、一人で群れを出ていった。
自分ならうまくやれると飛び出してきたのだ。生まれてから十年。群れを出てから二年。
まだ若く、世間を知らない彼女に、まだ見ぬ世界は広かった。大きかった。とても、魅力的に見えた。まるで夢見る少女であった。
群れの中の少女たちの間で噂になっていた絶世の美男子、とある土地の神にも興味があった。一目見てみたかった。お年頃であった。
最初のうちはうまくいっていたのだ。慣れぬ場所での野宿には、ちょっぴり怖かったがすぐに慣れた。隠れる術も身につけることができた。
獣に襲われても、逃げ切ることが出来た。人間が襲ってきても、騙し、陥れ、逆に野良妖怪に襲わせることもできたのだ。
若い彼女は、全てが自分の思い通りになると思っていた。その考えが悲劇を呼ぶとも知らずに。
そう、それは彼女が次の人里へ行くために、大きな河を渡ろうとした時。
彼女は泳げない。元々、水に浸かる習慣などはない。耳に水が入り込み、自慢の聴力が弱まるから。
彼女は考えた。どうすれば河を渡ることが出来るだろうか、と。答えはすぐに思いつく。
河に住む妖怪達を騙し、利用してしまえばいいのだ。自分以外の妖怪は皆頭が弱い。そう考えての策であった。
そして彼女は、お前たちの数を数えてやろう、と言い、妖怪達の背に乗り河を渡ったのであった。
彼女は河を渡ることには成功する。河を渡ることに『は』。
彼女は自分の思い通りになると思っていた。彼女の計画通り、河を渡ったのだ。それを見るならば、思い通りだったのだろう。
彼女が相手を虚仮にしなければ。
無事に、とは言うことができない。なぜならば、彼女は妖怪達に襲われたから。
妖怪達は気性が荒いという訳ではない。小さな兎の気まぐれに付き合う程度には、温厚であった。
だが、力の弱い妖怪に虚仮にされ、無能扱いされて黙っているほど温厚ではない。
妖怪達は彼女の服を切り裂き、丸裸にし、背中の皮を剥いだ。そのまま、体を切り刻んで食べようとした。中には彼女を犯そうとした者もいる。
彼女にとって、人生初の命の危機である。あと純潔も。
彼女は心底恐怖した。
今まで、失敗がなかったのだ。なまじ優秀だったがために、失敗をしたことがなかった彼女。
そして初の失敗が命の危機。彼女はわき目も振らずに逃げ出した。無我夢中に、全力で。
現在位置を確認する間すら惜しい。周りの物に目を向ける時間すら惜しい。逃げなければ、死ぬ。殺される。犯される。思考が恐怖で埋め尽くされる。
丸一日、彼女は逃げていた。既に、河に住む妖怪達は追いかけていない。元々、そこまで本気で追いかけようとはしていなかった。
だが、それに気がつく余裕は彼女にはなかった。そして、彼女の体力は底を尽き、地へと倒れる。
そこに近づく影が一つ。
彼女は影に気がつく。ビクリと身を震わせ、両腕で体を抱きしめ、痛む体を無理やり動かし後ずさりをする。
近づいた影は一人の男。どこにでも居そうな顔であるが、身にまとう力はその男を神だと物語っている。
神は兎の妖怪の少女へ問う。どうしたのか、と。
少女は答える。妖怪を騙したら襲われて、傷ついてしまい、やっとの思いで逃げたのだ、と。
神は『背中の』怪我をみやり、優しげな笑みを浮かべ、傷を治すには海水に身を入れ、その後風に当たると良い、と助言する。
少女はそれを信じた。まだ若い少女は、傷の治療は舐める程度しか知らない。
この優しそうな神は、自分の敵ではない。きっと、自分を助けるために言ってくれたのだろう、と。
自分が騙されるとも考えずに。ただ、優しそうな神を信じた。体中の痛みから解放されるために。
神の言った方向へ、痛む体を引きずるように歩みを進める少女。そして見えてくる海。
波の音、太陽の光、やわらかな土。それらが傷ついた少女を迎え、彼女を包みこむ。
彼女、兎の妖怪の少女は傷つき、倒れていた。
そして、波の音をかき消すほどの甲高い悲鳴。
少女は、海へ身を入れていた。体中に傷があったから。
海を眺めていた少年は、突然聞こえた悲鳴に驚く。そして、不機嫌な表情。
彼は海を気に入っていた。見るたびに、いろんな表情を見せる波。不規則でありながらも心地のいい音。
そして自身がちっぽけに思えるほどに広大な存在。
そんな存在を、のんびりと見ている所に邪魔が入ったのだ。少年にとって不機嫌にならないはずがなかった。
少年は悲鳴の聞こえた方向へと歩みを進める。一つ文句を言ってやろうと。
どんな文句を言ってやろうかといろいろ考えていたが、次の瞬間にそれを全て破棄。傷ついた妖怪の少女を目に収めた為だ。
少年は急いで少女へと近づく。そして、自身の腕に抱き、能力を使い自然治癒を早めようとするも、彼女の体が濡れていることに気がつく。
一瞬不思議に思うも、次の瞬間に海水と看破。そして少女に問う。何があったのか、と。
「おい、しっかりしろ。何があった」
「うぐっ……え、えっと。かい、ずいに入、ると、いいって……あぎっ……。
ぞ、ぞれで、風、によく、当だれ、って……いづっ……聞い、だ、がら。
いだい……いだいよぅ……」
痛い痛いと繰り返す少女を傍らに、少年は納得をする。海水には、切り傷など、傷の治りを良くする効果がある。
それを知っていた者がこの少女に教えたのだろう、と思うも、やはり、少し納得がいかない。
よくよく見れば、彼女の傷は、出血は少ないが深い傷もいくつかあり、全身に渡る切り傷、擦り傷。
そして何より目立つ、背中の傷。皮が剥がれ、痛々しいという表現も生ぬるいほどの大怪我。
この場合、治療に海水を使うというのは、むしろ逆効果なのではないだろうか。これでは、あまりに痛みが大きすぎる。
なにより、背中の皮膚の治りが遅くなる。風に当たれと指示を出した者は、知らなかったのだろうか?
この場合、海水ではなく河や湖の水で汚れを洗い流し、傷口を薬草や布、葉などで覆うが適切ではないだろうか。
教えた者に悪意があったのかは知らないが、少年はすぐに洗い流すべきだと判断した。
大きな切り傷から治療し、湖で海水を洗い流す。そのあと、ちゃんとした治療をしよう。そう思い、少年は少女の傷口に手をかざす。
そうした時だ。
「そこの者!何をしている!」
「っ!」
そこに一人の男が現れた。
絶世の美男子と言っていいほどの美貌を持つ、神。
本来ならば、少女が人里へ行き、一目見ようとした存在であった。
少年は不機嫌な顔を隠しはしない。治療を止められたのだから。
男は怒りの顔を隠しはしない。
なぜなら。
傍から見れば、少年が少女を襲っているようにしか見えないからであった。
兎を治療しようとしたら止められた。
私に話しかけてきた者は神。力は見た感じまずまずといったところ。戦えば問題なく勝てるだろうが、複数の意味で戦いたくはない。
私が無暗に神と殺し合いをするのは不味い。こいつに時間を取られて兎の治療が遅れるのも不味い。兎が戦いに巻き込まれても不味い。
戦えば勝てるだろうが、片手が塞がっている。この傷つき、倒れた兎は弱っている。戦いが始まれば、余波で無事では済まないだろう。
完全な敵対をしていないとは言え、神と妖怪。争いのある種族間である。
治療の妨害は十分に有り得る。はやく、なんとかしなければ。
「おい、何の用だ」
「この僕の目が黒いうちは、目の前の女性をむざむざ死なせたりはしない」
「ふん。神が戯言を。立ち去れ」
「戯言ではない。人間だろうと、妖怪だろうと、神であろうと。
男ならば女性を守るものだ。そこに種族なんて関係はない。それに、その子は傷ついている。ならば、やらせはしない」
こいつは何を言っている?女性、つまりは女。
それを死なせないということは、つまりこの兎を死なせないということ。
こいつの目的はなんだ。治療の妨害か?いや、ならば死なせないとは言わないはず。
そもそも、神が妖怪を助けようとするものか。いや、もしかしたら諏訪子みたいな、変わったやつなのかもしれない。
ならば、これ以上の問答は無意味。
治療を再開することにする。
「っ!待て!その子を解放しろ!その子は弱っているのだぞ!」
「黙れ小憎。お前にこの兎の傷を癒せるのか?この兎は愚かで哀れな存在なのだ。剥がれた皮膚に海水を注ぎ、そして風に晒す大馬鹿者だ。それをお前に救えるのか?」
「なに?」
「私はこの兎の治療をしなければならない。邪魔をするな」
既に治療は開始している。
神は動揺をしているようで、隙だらけである。これならば、いくらでも治療を出来る。
既に深く、危険だった傷は塞いだ。あとは背を何とかすればいいが、これ以上能力で治療をすると、兎の体力が持たない。
元々力の弱い兎の妖怪だ。私の能力が切断面を繋げる以外に、『自然治癒をした結果』を持ってくるというモノである以上、
本人の体力、生命力を消費してしまう。既に、この兎の体力は限界に近い。
早く能力以外の治療を開始しなければならないのだ。
「ま、待ってくれ。君は、その子を殺そうとしていた訳ではないんだな?」
「当たり前だ。この私が、妖怪を殺すなど有り得ない」
「……そうか、済まなかった。君に、その子の治療が出来るのか?
先ほども言った通り、僕はその子を救いたい。傷薬なら少し持っている。ぜひ使ってくれ」
「む、そうか。済まないな。だが、傷自体は既に命の危険性はない。それよりも、この兎自身に体力を付けさせなければ」
そう。最後にモノを言うのは本人の力だ。奥理やツキならば、適当に直していたのだが、この兎は弱い。
私の腕の中の兎の動きは鈍い。既に、意識はない。急がねば。
「お前は皮膚に効く薬は持っているか?」
「ああ。今は持っていないが、村へ戻ればあるだろう」
「ならば、頼む。礼は後でしよう。私は海水を洗い落としてくる。向こうの里だな?すぐに戻る。お前はすぐに里へと向かってくれ」
若干早口でまくし立て、急いで湖へと転移する。
あの神は既に村へと向かっているだろう。ならば、この兎を洗った後にすぐに向こうへ転移だ。
背中に水をかけると、兎の表情が歪む。意識がなくとも、痛みは感じているようだ。だが、構わずに水をかけ海水を落とす。
落とした後は、周りにある木の実を回収しつつ先ほどの海まで転移する。距離があったのでそれなりに力を使用したが、気にするほどではない。
海から人里を目指して飛んでいく。既に神は里へと着き、薬を持って入口から出ようとしている所であった。
神と合流をし、早速兎に薬を付けることにする。これは……花粉か?
後は私の服……というか胸に巻いている布を巻き取り、それを兎の体へと巻きつける。
これで、風に当たることもないだろう。治療は終わった。あとは、兎に体力を付けさせなければ。
花粉、花粉。そうか、『アレ』だ。
「すまない。助かった。この礼は必ず」
「いや、構わない。女性を助けるのは男の義務だ。他に、僕に出来ることはないか?」
「ない。あとはこいつに体力を付けさせるだけだ。気を失っているが、何か食わせる。
当てはある。急いでいるから、じゃあな」
「ああ、救ってあげてくれ」
そのまま兎を抱えて山へ転移する。
このまま気を失ったままでは、まともに物を食べられないだろう。恐怖を食わせるにしても、兎妖怪はそちらの食欲は薄い。
食べさせればマシにはなるだろうが、大した栄養にはならないだろう。それよりも、こいつ自身が気を失っているので恐怖を取り込めないのだが。
山へ着いた私は体力の付く『アレ』を探す。
どろどろとしている、粘性の強い液体。蜜。ツキは甘くておいしいと言っていた。
だらしなく、ドロドロとした物が顔にかかりながらも食べていたのは気に入らなかったが。
私は食べたことはないが、アレならばこいつでも食えるだろう。
見つけた。
巣に居る蜂の妖怪達に、蜜を分けてもらうことにする。
対価が必要かと思ったら、無償で分けてくれるようだ。ありがたい。
礼を言い、兎の頬を軽く叩く。うーんうーんなどと魘されているが、目を覚ます様子はない。
仕方がなく霊力で兎を包みこむ。少し、強い刺激を与えなければならないようだ。
瞬間、兎が目を覚ました。
「いや、いやああ、い、いやあああああああ!!!」
「落ち着け。いいから、落ち着け」
「いや!離して!いやあああああぁぁぁあああああ!!!」
暴れる兎を抑え込む。少し刺激が強すぎたか。錯乱してしまった。
いつもなら殴って止める所であるが、こいつは弱いのでその案は除外。殴ったら動きではなく命が止まる。
「いいか、大丈夫だ。落ち着け。お前を傷つける奴は居ない」
「離して!離してよう!はなっ……い、ぎぅいああ」
傷が響いたか。当然である。体中傷だらけだったのだから。暴れればそうなることは道理。だが、好都合。
今のうちにこいつを落ち着かせる。落ち着いてもらわねば困る。
「落ち着け。お前を傷つける者は居ない。いいか?落ち着け」
「え、え?何が、どう、なって、いるの、さ……?」
やっと落ち着いた。
力弱き者を相手にするのは疲れる。どうせなら、殴っても死なない程度の力があればいいのだが。
「落ち着いたか?」
「へ?あ、う……ん」
「よし、ならばいい。では、現状は理解できるか?」
「えーと……それ、は……」
その後、こいつから今までの経緯を聞かされる。
騙した相手に報復され、そして傷ついた、と。その後、逃げた先で優しそうな神に治療法を教わり、実行に移した、と。
そしてあまりの痛さに、気を失ってしまい、私のことは少しだけ覚えている程度らしい。
これは、自業自得と言わざるを得ないのではないだろうか。
とにかく、だいたいは理解したので蜜を食べさせることにする。
「だいたい分かった。とにかく、これを食え。甘くておいしいらしい。力も付く。食えるか?」
「あ、ありが、とう……食べ、られる」
大きな葉で掬われた蜂蜜を、兎の口元へと運ぶ。トロリとしたそれは、兎の小さな口へと入っていく。
少し入ったら飲み込むのを待ち、そしてまた傾ける。それをしばらく繰り返し、全ての蜜を食べ終えた。
これだけ食べれば、大丈夫だろう。あとは、木の実も食べることが出来ればいいが。
「まだ、食えるか?」
「ううん。もうおなかいっぱい」
「そうか。ならば寝ておけ。外敵はいないから、安心しろ」
「うん……ありがとう。そうするね」
兎は腕に抱かれたままの姿勢でまた眠ってしまった。
腕に抱いた兎を背に担ぎ、もう一度蜂の妖怪達に礼を言ってから湖へと転移する。
後は、木の根元に落ち葉を集め、その上に寝かせる。
背中の傷以外は、目を覚ます頃には治っているだろう。そうなれば、後は時間だけだ。
時間さえかければ、問題なく回復する。それさえ分かれば、私も眠ることにしよう。
落ち葉を集め、さらに増やし、兎の横に寝っ転がる。私は面倒見のいい妖怪なのだ。
目を覚ます。開けた視界に映るのは背の高い木々。背中には柔らかい感触がし、ここは森の中だと認識させられる。
綺麗な森だ。そして、近くに湖もある。
……待て、森?何故?
私は洞窟の中で眠っていたはず。いや、洞窟からは移動した。そう。噂の神様を見るために人里へ行こうとしたのだ。
そして、次は……っ……!!!
体の震えが止まらない。奥歯が、ガチガチと音を鳴らしている。
騙した妖怪に襲われた。襲われて、引き裂かれて、肌を剥がされ、殺されそうになった。犯されそうになった。怖い。怖い。怖い。怖い。
(そうだ、服も剥ぎ取られたんだ)
慌てて下を見る。
そこにはいつもの服は見えず、代わりに清潔そうな布が胸に巻かれていた。下は、丸裸だ。
まさか、助かったと思ったのは夢?私は、犯されてしまったのか?いやだ、いやだ、まさか、そんな……。
いや、私はまだ生きている。きっと、いや、絶対逃げ切れたはず。そうだ、そうに違いない。
その証拠に、ここは森だ。湖だ。河ではない。だが、記憶の隅には海が見える。海?
(そういえば、ここはどこなの?なんで私は森にいるの?)
記憶を辿る。
襲われた後は、逃げたはずだ。あまり覚えていないが、体中が痛かったのは覚えている。
そのあと、神様に会った気がする。そして……そう。傷を治すには海に入ると良いと聞いた。そして、風に晒すといいとも。
海に入って……そうだ。あまりの痛みに悲鳴を上げた。喉が張り裂けんばかりに叫んだはずだ。
そのあと、誰かが私を助けてくれた。そうだ。私は助かったのだ。助かった。助かった!
「やった!助かった!助かっ……いててっ」
痛みを感じる。だが、この痛みでさえ私に生の実感を与えてくれるのだ。
それに、あの体中が痛かった時と比べれば、なんと心地のいいことか。
よくよく見れば大きな傷は既に無い。細かい傷は残っているが、じきに治るだろう。
今痛いのは背中のみ。もしかして、この布は治療のために巻いてあるのだろうか。
助けてくれた人はどこに……
居た。
きょろきょろと周りを見渡そうとしたら、隣に寝ていた。むしろ、近すぎて吃驚してしまった。
記憶に残っているのは黒い髪、黒い瞳、そして強い力。
眠っているので瞳は確認できないが、黒い髪と、何よりも感じられる力はあの時のそれと同じ物だ。
意外だったのは、小さいことだろうか。意識が朦朧としていた時は、力強さにより大きく思えたが、実際には私と同じか、少し大きい程度。
あどけない顔をし、腰巻しかしていない姿は、群れの中の少年たちを思い出す。
これほどの力を持っているのだから、私よりは年上なのだろうが。なんとも奇妙なものである。
見つめていても起きる気配はなさそうだ。なら、ちょっと起こしてみようかな。
……起こしても襲ってはこない……よね?
一瞬思ってしまったことに不安になってしまう。
「あ、あの……」
揺する。好奇心は人一倍強いと自覚があるが、流石の私も警戒をしてしまう。
もし、この妖怪があの河の妖怪のように襲ってきたら、私は抵抗する間もなく殺されてしまうだろう。
一瞬で殺されるのならまだましな方だ。むしろ、嬲られ、辱められるようなことがあったら、どうしよう。
私には自分で舌を噛み切る勇気などはない。どんどん自分の考えが後ろ向きになっていくのを自覚する。
だが、ここで、この妖怪を起こさないで行った場合、私は生き残れるだろうか?
背中の痛みのせいで満足に走れそうにはない。体力はいまだ万全でもないし、そもそも此処が何処だか分からない。
道に迷い、襲われて食べられるのが落ちだろう。ならば、この妖怪に助けを求めるのが一番なのではないだろうか。
幸い、うっすらと、ぼんやりとだが、優しくしてもらったような気がするのだ。これが、夢で無いことを祈るしかない。
「あの……ちょっと、あの、起きてください」
早く起きてくれ。でも、起きないでくれ。
相反する二つの想い。どちらも私の胸を締め付ける。どちらも、怖い。
「起きて……」
「う……ん……?」
「ひっ」
起きた。
いつでも逃げられる体制を取る。満足に走れない、長くは走れない。
だが、それでも襲われたら逃げなければならない。
ああ、もういやだ。たすけて。
「ふわぁ……んっ……ああ、起きたか」
「……」
相手に殺す気は?
恐らくない。
私を犯す気は?
恐らくない。
本当に何もしないか?
恐らく何もしない。
信じても、いいのか?
信じよう。この妖怪を。
「あの、あなた」
「よし。起きたのならとっとと食え。その後はお前の服を探す。
私も服を返して欲しいし、裸では不便だろう?」
「っ!?」
そうだ。どうして今まで気がつかなかった。
目の前の妖怪は、裸であった私を助けたのだ。ならば、当然私の裸は見られた。
顔が赤くなるのを自覚する。顔が熱い。
見られた、見られた。知らない人に、男の子に、私の全てが。
すぐさま座り込み、腕で体を隠す。
相手は悪くはない。寧ろ、裸の私に自身の服を与え、私を気遣ってくれるいい妖怪だ。
だが、それでも。理解は出来ても納得は出来ない。乙女の体を見られたのだ。納得など、出来るものか。
「見た……ん、ですか?」
「ん?」
「あの、私の……その、裸……」
「ああ。見たがそれがどうした?」
「っ!」
やはり、見られた。
この妖怪の横っ面を叩いてやりたい。だが、それはあまりにも失礼だ。私の命を助けてくれた存在に、それは出来ない。
しかし、この反応はなんだ?それがどうしたか、だと?
私の体を見て、その程度の反応だと?私の裸を見ておいて、よくもぬけぬけと……!!!
「変な奴だな。まあいい。食べたら、知り合いの所へ行く。そこで服を調達しよう」
そう言って差し出される木の実。
とても美味しそうだが、それとこれとは話が別だ。ただ、相手が何も気にしていない以上、それをわざわざ言うのも気が引ける。
私一人で舞いあがり、私一人で怒り、恩人に対し理不尽に怒りをぶつける。それでは、ただの馬鹿ではないか。
相手が私を気遣って、わざと気にしないフリをしているかもしれない。
木の実を食べながら頭を冷やす。傷の治療、それに、破かれた服まで調達しようとしてくれるのだ。こんな、親切な妖怪に理不尽なことはできない。
「あの、此処は何処でしょうか。それと、知り合い、とは?」
「ここは守矢の国にある森だ。知り合いとは、ここの国の神だ。あいつは、服を作れたような気がする」
「そう、守矢……?え?あの、守矢!?えっ?えっ!?」
「どうした」
守矢。聞いたことはある。だが、決して行けないと思っていた国だ。
私の住んでいたところとは遠く離れていて、距離としても、片道数ヶ月間かかるだろう。そこまで遠くには行こうとは思っていなかった。
まて、どうして守矢にいる?どうやって此処まで来た?
私は、多くても二日、三日程度しか眠っていないはず。それ以上眠っていたら、こうして動けはしないだろう。
ならば、この妖怪は高速移動を得意とする妖怪なのだろうか。それならば、説明はつく。
帰れるのかな……。
「あの、私が居たところってすごく遠い所……です、よね? 私、帰れるの?」
頼む。返すと言ってくれ。こんな、見知らぬ土地に一人で生きていくなんていやだ。耐えられない。
群れを一人で飛びだしたけど、それは噂の神様を見るためだったのだ。河を渡ったら、数日で里に着いた。
そうしたら、ひと月もしないうちに戻れたはずなのに……。
「ああ、すぐに帰してやる。お前が居た海でいいな?」
「はい……あ、いえ。その、近くに里などは無かったでしょうか。
あの海の場所は、よく分からないので……」
そう。ほとんど記憶に無い海に置いていかれても、戻れるかが分からない。ならば、目印になるような里があれば、確率は上がる。
そうだ。こんな親切な妖怪なら、護衛をしてくれるかもしれない。群れに戻るまで、一緒に居てくれたら。
「ああ、あったな。ならばそこにしよう。私も、そこの神に用があるしな」
「ありがとうございます。あの、一つお願いがあるのですが」
「ん?」
「……」
「どうした」
ここまでしてもらって、その上何を頼もうというのだろうか、私は。
今まで一人で何とかなったのだ。ならば、これからも一人で大丈夫だ。私は優秀だし、きっと。きっと大丈夫なはず。
でも……怖い。怖いよ。
「お願いがあります。あの、私を、住処まで連れて行って欲しくて……ちょっと、怖くて」
「ああ、別に構わん。暇だしな」
「っ! ありがとうございます!」
よかった。本当に良かった。
これで、私は死なずに済む。あまりの嬉しさに耳が跳ねるのを止めることが出来ない。
この妖怪はいい妖怪だ。この妖怪は……そういえば、名前はなんなのだろうか。
「では、行くか。掴まれ」
「あ、はい。あの、名前は?」
「私か? 私の名はハジだ。ハジでいい」
ハジ。ハジか。どこかで聞いたことがあるような気がする。
「じゃあ、ハジさん、で。よろしくお願いします」
「ああ」
ハジの差し出してきた手を掴む。飛ぶのかな?と思ったら、次の瞬間には人間の大きな家の前に着いていた。一体、何が起きたのさ?
全然何が起こったか理解できなかったが、手を引かれずんずんと家へと入っていく。
勝手に入っていいのかは分からないが、あまり危険なことにはなって欲しくない。
ここが、知り合いの家、なのか? ということは、此処は……神様の家……?
なんだか、すごいことになってきた。
旅って、すごい。
「諏訪子!諏訪子は居るか!」
「お、今回は早いねー。どうし……って本当にどうしたのその子!服着てないじゃん!どこから攫って来たのさ!」
「どうした、諏訪子や。って、ハジではないか。久し……お前は何をしているかっ!?」
「うるさいな。攫ってない。拾っただけだ。
あと五十年ぶりだな。ごきげんよう」
「あの、着ていない訳じゃなくて、脱がされたというか」
「脱がされたっ!?ハジに!?おねーさんはハジをそんな子に育てた覚えはありませんよっ!?」
「ハジはこんな子供の妖怪にまで手を出すのか!?お前には失望したぞ!
さあ、君は此方に来るのだ。こんな野蛮な男のそばにいてはならない」
「え?なにこれ?」
「お前ら……?まあいい。こいつに服を作ってやってはくれんか。私の布を使えばそれなりの物は出来るだろう?」
「あー……うん。からかってごめんね。まあ、作れるけどさ。ちょっと時間かかるよ?」
「構わん。」
「それにしても、長年最高質の霊力を吸った布で服を作るか。我も欲しいくらいだが、足りるのか?」
「足りない場合は能力で引き延ばす」
「あいよ。じゃあ、さっそく作るね。
じゃあきみ、着いておいで。新しい服作ってあげるよ。特別にかわいいのを作ってあげよう!」
「あ、ありがとうございます……(なんか訳分かんなくなってきた)」
「そういえば、この子の名前は?」
「知らん」
「えっ?」
「あっ、言ってなかった。私の名前は――――――」
少女は布の服+99を手に入れた!
――――――――――――
あとがき
あれ、なんか長い。一万字超えですかそうですか。八話以来の長さでございます。
数千年単位で飛ばすので、その間には当然いろいろ起きています。でも、それを作中で言っていると無駄に長くなってしまいますね。
微妙に人物の性格にも変化があるというか……分かりづらくてすみません。というか登場もしてないですね。
今回新たに出た妖獣。
橙とかは妖怪じゃなくて、妖獣って聞いたので、妖獣種も出しました。化獣と似ていますが、違います。
しかし、ロリ兎の名前を考えるのが大変で大変で。いやーなまえつけることができませんでしたなー。
いつのまにかなまえがついているかもしれませんねー。いったいなまえはなんだろー。
Q.ところでゆかりんまだー?
A.ゆかりんまだー?
会話文を少し削りました。
でも長い。いっそのこと登場人物は主人公だけにしたい。