一人の妖怪と二人の神の戦い始まってからしばらくの時が経った。
最初は神たちの方が優勢であった。それも、全力を出さずにで、だ。二人はお互いある理由から戦っていたが、
今は妖怪を倒すまで協力関係を結んでいる。あくまで妖怪を倒すまでなので、倒した後はまたお互い戦うのだ。
その為、彼女たち神は全力を出すことはしなかった。逆に、少ない情報からお互いの力量を見極めようとしていた。
それがいけなかったのか。妖怪は消耗していた力を取り戻し、逆に今までの力を上回る力で神々を圧倒。
ついには、神の本気を出させることとなったのであった。
まずは神奈子が御柱を投擲する。全力を出すと決めた神奈子は、御柱を出し惜しみしない。その威力は壮絶と言っていい物で、
ハジにとっては掠ることすら危険であった。彼は避けようと、地面を蹴り大きく横へと跳び退いた。だが、その進行方向を諏訪子が大岩で押しつぶすそうとする。
ハジは御柱を避け、頭上に現れた大岩を砕くも、岩に気を取られている間に神奈子の接近を許してしまう。
もちろん彼は神奈子に対し反撃を試みるが、先ほどとは比較にならないほどの痛みが全身を支配し、硬直。
そして、諏訪子の祟りによって動きを止めたハジへ、神奈子の御柱の一撃が炸裂する。
一瞬気を失いかけたハジだが、ここで負けるわけにはいかない、とすぐに意識を覚醒させ、
全身を包み込む痛みを気合いでねじ伏せた。
奥理、アマツ、ツキたちレベルの妖怪ならば三分としないうちに命を落とすほどの祟りであったが、それを無視。
実際には痛みだけでなく、呪的な戒めもあり、行動の制限や能力の使用も出来なくしてしまうほどなのだが、
それを感じさせない動きで、追撃を食らわそうと近づいていた神奈子に反撃を食らわす。
神奈子はそれを受け止め、ハジに御柱の攻撃。しばらくその一進一退の攻防が続き、一見戦いは拮抗しているかのように見えた。
だがしかし、全力を出した最強の神々と力の弱った最強の妖怪では、どちらに分があるかは一目瞭然で。
なかなか決定打が出ない現状に焦れ、先ほどのように高速移動で避けられては敵わないと、神奈子はダメージ覚悟で反撃することを決意。
渾身の蹴りを浴びせようと神奈子の頭を狙ったハジであったが、神奈子は元々攻撃を食らうことを覚悟していた。
山に来た神や、諏訪子の部下の神達ならば同時に三人は貫き殺すであろうそれを、神奈子は防御することなく頭で受けきり、肉を切らせて骨を絶つ作戦に出ていた。
ハジは無事頭に攻撃を当てられたことにより、気を抜いてしまった。それは、戦闘中に最もやってはいけないこと。
あと一人!と弱った者特有の希望的観測をしつつ、瞬間、足を掴まれた感触がし、御柱で視界が塞がれる。
そして、ハジは完全に沈黙した。
御柱が顔面に直撃し、そのままハジを地面に突き刺す。地面にはハジの身長の5倍ほどはある大きな窪みが出来ていた。
ハジの顔が無くならなかったのは奇跡に等しい。神奈子が御柱を消すと、ハジの額からは血がただれ、顔は紅く染まっていた。
神奈子は今までの神との戦闘を思い出す。その全ては、御柱による、たったの一撃で沈んでいった。その者たちを思うと、同じ神として情けなく思ってしまう。
神奈子は力を抜き、息をつく。諏訪子も祟るのを止め、少しでも回復に努める。
諏訪子よりも大きなダメージを受けた神奈子。長時間の祟りにより、神奈子よりも多くの力を使っていた諏訪子。
両者とも狙っていたわけではないが、条件は総合的に見てほぼ互角。
妖怪を倒したことにより協力関係は敵対関係へ。
お互いは、いつでも攻撃、反撃が出来るように距離を測りならが空に飛びたった。
諏訪子は威力が桁外れな御柱を警戒する。自分の祟りを受け切った妖怪にすら大ダージを与える威力は目を見張る物がある。
神奈子はミシャクジさまによる祟りを警戒。あれを食らえば自分でも動きは遅くなり、戦闘が不利になると理解していた。
次点で、鉄輪。鉄と言う、自身の御柱よりも硬い素材で作られた武器を見やるが、こちらは既に対策を立てていた。
神奈子は自身の背負った道具の中からか細い植物を取り出す。これらの道具は、備えあれば憂いなしという考えから、
しめ縄と一緒に担いできたものだ。そのくらいしなければ、単体で侵略をしようなどと思えない。
それに、洩矢の神はミシャクジさま以外にも大地を武器とするとの噂を聞いていた。
結果は大成功と言っていいだろう。鉄とは言っても、所詮は鉱物。土に根を張る植物に勝てる道理は無い。
神奈子は植物を天にかざし、己の神力を使用。植物の性質が神奈子の力によって増幅させられ、鉄を錆びさせる。
武器が錆び、使えなくなった諏訪子は、接近戦では分が悪いとし、ミシャクジさまの祟りで応戦。
そして大地の創造を利用し攻撃。岩雪崩や岩石落とし、大技の岩石砲といった多彩な攻撃を神奈子に加えた。
神奈子は御柱によりそれらを砕くが、砕き、細かくなった石は防げない。一つ一つの威力は弱くとも、
量が量だ。祟りのダメージと相まって、少しずつ体力を削っていく。
諏訪子は神奈子との地力の差を悟る。そもそも、相手の、神力を纏わせた武器を一瞬にして錆びさせる、
などという離れ業をやってのけたのである。祟りと岩による攻撃では止めにはならないと気が付いていた。
諏訪子は己の霊力を固めて撃ち出す、通称『霊弾』の使用を決める。
霊弾は、諏訪子がミシャクジさまによる探知と、祟りで動きを止めた後、広範囲に攻撃をするために編み出された技術である。
目視が可能になるほどの霊力を固め、光の玉として相手を襲う飛び道具で、消耗は大きいが、もはや空中の勝負では諏訪子にとって最後の手段であった。
彼女は当たるとは思っていなかったが、それでもやらない訳にはいかない。やらなければ、可能性は永遠にゼロなのである。
神奈子は武器を失ってすらまだ戦う諏訪子の姿に感心し、それでも我は負けないと、祟りの痛みを耐えながら御柱を投擲。
御柱は岩や霊弾をはじき、消し飛ばす。素直に当たる諏訪子ではなかったが、次から次へと向かって来る御柱には、もはや避ける術がなかった。
神奈子は今までの戦いから諏訪子が避けるルートを計算。そして、諏訪子の逃げ道を少しずつ狭めていったのだ。そして、これが最後。
神奈子は御柱の投擲を開始。この戦いはこの一投で終わる。
(これで、詰みだ)
神奈子がそう、確信した時だった。そこに問題が発生した。
跳んできた岩の破片が神奈子の額をかする。眉間付近に当たったそれは、本来は何のダメージもなく、神奈子に少しあたって鬱陶しい、
程度の影響しか与えないはずであった。『本来ならば』。
ここに、ハジと言う介入者が現れなければ、起こることは無かったであろう、それ。
眉間が切れた。傷口は小さいが、出血するには十分な深さ。そして、その血は『神奈子の目』へと入り込んでしまったのだ。
自然、ブレる彼女の視界。一瞬。ほんの一瞬ではあったが、彼女は目を閉じてしまったのだ。
諏訪子の移動する位置を、今までの経験と勘から割り出してきた彼女。今回も、それはしっかりと働き、勝利寸前まで持って行っていた。
だが、彼女は眼を離してしまったのだ。諏訪子から、『諏訪子の攻撃から』。
既に投擲体制を整えていた彼女は『投げない』という選択肢は選ぶことが出来なかった。
その御柱は、本来狙っていたコースから僅かにずれ、諏訪子の横を通り過ぎて行った。そして、諏訪子の霊弾も。
諏訪子の最後の攻撃、霊弾。それは、岩同様に神奈子は御柱で吹き飛ばそうとしていた。だが、狙いはずれてしまい、届いてしまったのだ。神奈子へ。
相手の攻撃のタイミングを図ることが出来ず、碌な防御もするこが出来なかった彼女。神奈子は、地へと落ちていく。
諏訪子は、ただ黙ってそれをみていた。
自身が勝てるとは思っていなかった。素直に、負けを認めても良かった。だが、結果は自分が勝ってしまった。
偶然勝ってしまったようなものだが、勝ちは勝ちである。
諏訪子は落ちていく神奈子を追いかけるため、下へと降りようとする。しかし、そんな彼女の身に大きな影が映る。
諏訪子がその陰に気がついた時、彼女は、一瞬だけ神奈子が口元を歪め、笑っているように見えたのだった。そして、そこで彼女の意識は途絶えた。
そのあと彼女は、地へと落ちる。
決着。
ここに、諏訪大戦は幕を閉じた。
女性が地に伏せている少女へ歩みよる。少女は意識を失っており、彼女は少女の背へ手を回し、己の腕の中で眠らせるようにしていた。
しばらくすると少女は目を覚ます。目を覚ました少女は状況を飲み込めないのか、自身を抱き上げている女性の
顔をまじまじと見つめていた。だが、すぐにある可能性へと思い当たる。
「こーさん」
「はいよ」
少女は自身の体をゆったりと女性に預け、女性も、それを受け止めた。これが、男と女ならば絵になるのだが。
ここには女性と幼い少女しか居なかった。離れた場所には幼い少年が倒れているが。
大和の神、八坂神奈子の勝利であった。
そのあと、諏訪子はこの国を、皆の先頭に立ち守ってくれと言い、神奈子ももちろんだ、と了承。
両者共に納得し、神奈子が諏訪子の隣に腰を下ろして、少し話そうか、と持ちかける。そうした時だ。
シン……と辺りの音が消え去った。
一瞬か、数秒か、もしかしたら分単位だったかもしれない。
一切の音を感じぬ完全な静寂。しかし、自身の鼓動はやけにうるさく感じられる、そんな静寂。
一体、何事か。
この異常は人里にすら到達していた。人々は、先ほどの神を殺した妖怪への恐怖と相まって、
もしかして自身が殺される前触れなのでは、などと考えているほどだった。
人里の全ての人間が、同じことを考え、それぞれ今まで生きてきた光景を思い出す。俗に言う走馬灯である。
だが、永く続いていたと感じられる、この身を切り裂くほどの静寂は、時間にして一秒にも満たなかった。
直後、風の様な速さで、本来『見ることが出来ない』はずの霊力が目視できるレベルで広がっていく。
霧のように広がっていくそれは、人里からも確認が出来、人々はこの世の終わりのような光景に恐怖を感じる事しかできなかった。
諏訪子様……!!!諏訪子様!!!と祈りを捧げる人間を無視するように、社を中心とし広がる霊力。
巨大なそれは、ハジの帰還を待つ妖怪達にも見ることが出来た。よかった、まだハジは元気に生きている、と喜ぶ妖怪達。
しかし、それを黙って見ている神々ではない。発生源が倒したはずの妖怪とみるや否や、
二人は戦いの最初よりも随分と小さくなってしまった力を振り絞り、諏訪子は祟り、神奈子は御柱で攻撃をする。
諏訪子は、人間が死の恐怖により、土壇場になってさらに高まった信仰心を得、少量ながらも力を高めていた。
結果、量は少なくとも質の高まった祟りの攻撃は、ハジをさらに苦しめる。そして、御柱による一撃。
ハジの小さな体は簡単に吹き飛ばされたが、それでも霊力の霧は晴れなかった。
青白い色をした、霊力。一見綺麗な色をしているが、しかしそれは冷たく、人間に原初より刻み込まれた恐怖を引き出すには充分であった。
ハジは壊れた人形のようにゆらゆらと立ち上がり、手をかざす。すると妖力の霧が一か所に集まってく。
社の上に現れた、巨大な霊力の塊。そして、破裂。
轟音が物理的な衝撃となり、二柱の神を襲う。あまりに広域な攻撃に、二人は耳をふさぎじっと耐えるほかなかった。
幸い、人里には被害が出なかったが、社は半壊。人々は異常な現象の数々に畏れ、慄いた。
人里にいた、生き残っている弱き神々が人々を宥めようとするが、それでも、身に刻み込まれた死の恐怖はぬぐえるものではない。
ゆらり、ゆらりと幽鬼の如く歩きだすハジ。
衝撃を耐えきった二柱は、次は何をしでかすのかと注意深くハジを見やるが、ハジの姿は消えていた。
すでに彼女たちの後ろへと移動を終えていたハジは、そのまま神奈子へと殴りかかる。
神奈子は何とか反応しそれを防ぐも、隣に居た諏訪子が『既に』殴られており、何が起きたのかは理解できなかったが、
御柱を顕在させ、ハジに叩きつける。
そしてハジはそのまま動く様子はなく、またしても地に伏せた。
二柱は短いため息をつく。そして本当に大丈夫なのかと疑念を持ち、今度は確実に息の根を止めることにした。
既に抵抗もしない、寝ているだけの妖怪。しかも、まだまだ幼い少年の姿をした妖怪を殺すことは憚られたが、
それでも恐ろしい存在だったことには変わりない。
諏訪子は、もし、この妖怪が神である自身を狙うことなく人里で暴れていたら、と思うと背筋の凍る想いであった。
彼女は狙われた自分が、責任を持ってとどめを刺すと神奈子に言い、ふらふらと妖怪へ近づく。妖怪は仰向けに倒れており、前髪で顔が隠れている。
この少年は、神と妖怪の関係を変える可能性を持っていた。だが、このままだと人間が滅ぼされるかもしれない。
そう考え、手元に土の杭を作り出し、少年へと付きつける。風が、彼女の頬を撫で、神奈子はそれを見守っていた。
そして、彼女は杭を振り上げ
……そのまま足元に落としてしまった。
彼女は信じられないといった表情で、彼から一歩、また一歩と離れていく。
どうしたのかと神奈子が諏訪子に尋ねるも、帰ってくる言葉はそんな、まさか、ありえない、と、彼女には訳の分からない返事。
仕方なく、自身がとどめを刺そうと諏訪子が落とした土の杭を拾い上げ、手に持ったその時だ。
少年が動いた。
一瞬にして警戒を最大レベルにまで引き上げ、未だ茫然自失としている諏訪子を脇に抱え、一足飛びで彼から離れる。
立ちあがろうとするハジを、注意深く見、いつでも攻撃が出来るようにする。顕在できる御柱は残り少ない。
なんとか立ちあがったといった状態の彼は、きょろきょろと周りを見渡し、彼女たちの方を見る。
二柱を目に収めたハジは臨戦態勢を取るが、その動きに当初のキレはなく、神奈子から見ればノロノロと、
既に脅威を抱けないレベルにまで弱っていた。
戦闘態勢を取ろうとした彼であったが、その脚は自重を支えきれずに倒れ込む。
それでも立ちあがろうとする彼の執念は、神である神奈子をも唸らせるほどであった。
ここまで強く、そして神々に戦いを挑む妖怪は、少なくとも彼女にとって彼が初めてであった。
彼女は妖怪へ名を問う。意識を朦朧とさせながらも、名を問われたと理解した少年はハジ、と短く答える。
そしてハジ、しかと覚えたぞ、と言った言葉に反応したのは、意外にも先ほどまで茫然としていた少女、諏訪子であった。
彼女は古い記憶を思い出す。悲しい少年のことを。あの日、より多くの人間を守り、人間の味方として生きると決意した日のことを。
「あ、そうだ。せめて、出て行く前に君の名前をおねーさんに教えて?
君が困ってるって聞いたら、助けに行ってあげるから!」
「だから、私は強いから困らない。お前の気にするところではないと言っただろう。
あと私を子供扱いするんじゃない。私の名前はハジだ。覚えておくのだな」
彼女は古い古い記憶を思い出す。その時の少年はハジと言っていた。これは偶然なのだろうか?
聞かなければならない。あの時、私と出会った少年なのか、と。
諏訪子は目の前の妖怪の少年をじっと見据え聞く。
「ねえ……ハジ……くん?」
見れば見るほど、似ている。いや、記憶している顔、背丈、すべて同じのように思える。
自分と同じ程度の背丈、曇りのない黒い髪。吸い込まれそうな瞳。まさか、そんな。いや、彼は人間のはず。まさか、本当に?
彼女は悩む。自分が心配していた子供が、妖怪だったなんて、そうそう信じられるはずもない。
ましてや彼女は、その悲しき少年を戒めに、忘れることなく万の月日を生きてきたというのに。
「そう、だ。わた、しは……ハジ。
妖怪、を。みん、なを。まも、る、ようか、いだ。負け、る、わけ、には……
負ける、訳には……負ける訳には」
息も絶え絶えの少年は、自身に言い聞かせるように。負けるわけにはいかないと、そう、繰り返す。
「ハジくん。聞かせておくれ。
きみは、私に会ったことがあるかい?」
「……?」
ハジは困惑する。目の前の、自分と同じ程度の背丈しか持っていない、金色の髪をした女。
覚えなどなかった。
「知ら、ん。そもそも、敵、であるわた、しに。何故、そんなこと、を……聞く」
「似ているんだ。私が、守りたかった子供に。
その子も、君みたいな同じ黒い髪で、黒い目をした子供だったんだ」
「似ている、だけで、そんなことを……聞くの、か。神は。暇なんだ、な。
あと、私を、子供あつ、かい……するな」
「……」
そう言って、ハジは能力を使おうとする。失敗する。すでに能力を使えるほど力が残っていなかった。
諏訪子はそんな彼の返事を聞き、確信していく。あの子は、ハジくんは、この妖怪だったのだ、と。
「君は、どうしてここに来たのか、おねーさんに教えてくれるかな?」
「お前を、倒す……ためだと、言った、はず、だ」
諏訪子は思い出す。あの時の少年との会話を。
あの時は、進んで争いを望んではいなかった。
「そう、そうなの。
私はね、神様なの。神様は、人間の味方なの。人間を守って、祈ってもらって、そうして神は強くなるの。
人間を守るために、悪い妖怪は懲らしめなければならないわ」
「知って、いる」
「きみは、強いね。それに、物知りだ。
その歳で……そう言えば、ハジくんはいくつなんだろうね。あの時は人間だと思ってたけど、
もしかしたら、私よりも年上だったのかな」
「……?」
そう言い、ハジの下へと諏訪子は近づく。
ハジは距離を取ろうと、後ろへ下がろうとするが失敗。足を縺れさせ、尻もちをつく。
座り込んでしまったハジは、自然と諏訪子を見上げる形となる。
諏訪子はハジの頭と手を伸ばし、ハジはせめて一矢報いなければ、と全身の細胞から、力をかき集める。
頭を撫でられた。
「……?」
「思い、出せるかな、これで。
私はね、きみが私の洞窟に来て、出て行った後、すごく後悔したんだ。
でも、きみは妖怪だったんだね。ちっとも思ってもみなかったよ」
ハジの目に映るものは苦笑。そうして思いだす、一人の神。
それは、ハジが初めて出会った、人間を守るために生まれた新たな神であった。
妙に心配してくる奴で、変わった奴だと、彼は記憶していた。嫌な奴ではなかった。
「どうでも、いい。
それに私は、神について聞きに、来たのでは、ない」
「思い出してくれたんだ。
なら、神は……きみを、懲らしめなければならない」
「もとより、理解している。
だが、妖怪には、安心して暮らせる場所が、世が、必要なのだ。
妖怪が滅ぶ、くらいなら、例えこの身が、滅びようとも!
やれるものなら……やってみろ!」
「……!」
ハジは会話の中で回復させたなけなしの力を振り絞り、諏訪子を押し倒す。
諏訪子は硬直し、そのまま抵抗せず、後ろへと倒れ込む。
そして、ハジは、そのまま諏訪子の首元へと手を伸ばし
「がげぁっ!」
突如として腕に突き刺さる土の杭。
神奈子はハジと諏訪子の会話を見守りながら、ハジが妙な気を起してもすぐに対応できるようにしていたのだ。
「妖怪、ハジよ。我ら二人を相手によくやったと褒めてやろう。お前のその名、忘れはしない。
だが、我らは神。妖怪は敵だ。お前はここで、始末する。」
宣言し、御柱を顕在させる。お互い疲弊しているが、それでもハジを殺すのには十分な威力を持っていた。
その間、大地に倒れながらも諏訪子は考えていた。
安心して暮らせる場所と彼は言った。
妖怪を……彼を守る存在はいるのだろうか。人間は神が守る。だが、守ってくれる者が存在しない妖怪は、自分で守るしかない。
結局自身の勘違いだった、あの子のように。
それは実際には存在せず、しかし彼女の心にずっと残り続ける戒め。
自身を守ってくれた存在はなく、周りに頼ることをなくしてしまった少年。
それは諏訪子の中でしか存在しない、実在しない少年であった。だが、自分が知らぬところで、『確かに有り得ただろう出来事』。
妖怪に襲われた集落は、一つや二つではない。その中に、滅んでしまったものも多く存在する。
「さらばだ、妖怪、ハジよ。
その強さと、仲間を守るという想い。気に入った。
もし、妖怪以外に生まれ変わったのなら、酒でも飲み交わそうぞ」
諏訪子は考える。
人間が恐怖を忘れたら、妖怪は生きて行けない。
それを何とかしようとした彼は、たった一人でここに来た。誰にも頼らず、手を借りず。仲間を守る妖怪を、彼を守る存在はどこにいるのか。
あぁ、結局自分は諦めきれていないのだ。あの子のことを。ハジのことを。
どうしても諏訪子は、目の前の少年と、『あの子』のことを重ねてしまう。
「ねえ、待って。神奈子」
「なに?」
諏訪子は神奈子を止める。ここで彼を殺してしまったら、きっと自分は後悔する。そう、思った。
ハジが、力尽き目を瞑り、意識を失ったその瞬間。
「来た」
彼は、神奈子達が知覚できないほどの速さで飛来した陰に掴まれ、その場から離れる。
舌ったらずで、ハジとそう変わらない身長。しかし、大きな翼を持つ妖怪、アマツであった。
「はじ!はじ!しっかりして!」
「アマツ!ハジは無事かあっ!?」
「わかんないよ!ねえ!はじったら!」
「ハジ!しっかりしてください!」
続いてツキ、奥理とやってくる。彼女たちは霊力の霧が人里を覆い、それが萃まり爆発した後も、しばらく山から見届けていた。
だが、その後は一向に動きが見られなかった。もしかして、と嫌な予感がした彼女たちは急遽ハジの下へ参戦することにした。
山を守るという約束を破るのは心苦しかったが、それ以上にハジが死ぬ可能性が恐ろしかった。
そうして、『人を襲う妖怪が』人間を『無視』し、神の居る社へ来るという異常な光景が繰り広げられていたのだ。
「さあさあ!あたしのハジをやってくれたのはどっちだい!?
今すぐその身をぶち砕いてやる!」
「落ち着くのだ、ツキ。
アマツ。山へハジを連れて行ってくれ。この二人は私たちが押さえるから」
「うん、わかった。きをつけて」
「くっ、待ちな!」
神奈子は制止の声を上げるが、そんなものを聞くはずがない。
アマツは超高速で天を駆け、即急に離脱した。ここに残る者は四人。
「ちっ……逃がしてしまったか」
「来たんだね。 神奈子、こいつ等は、ちょっと強いよ」
「分かっておる」
臨戦態勢を取る二人。神奈子自身、力をかなり使っていたが、まだ戦えないと言うほどではない。
諏訪子も、極度の疲労に悩まされているが、ダメージ自体は神奈子程ではない。
少し休めば相手を祟り、動きを止める程度は出来る。神奈子に前衛を任せ、体力を回復させつつ祟れば戦えないこともない。
襲われることを警戒しつつ、諏訪子は妖怪二人に話しかける。
「お前たちの目的は、ハジくんの奪還かい?
それとも、また私たちを倒しに来たのかな?」
「無論、両方だ。ハジを殺させる訳にはいかないし、ハジが倒れた今、その意思を継ぎ『妖怪たちを倒す神を倒さなければ』ならないのだ」
奥理は考えていた。ハジの目的は、自分たちを神の猛威から守るためだと。
その為に、無理をし、命を賭けた。
その彼が倒れた今。仲間である自分たちは、彼の意思を継がなければならない、と。
そう、思っていた。
「もう、私には殺す気なんて、起きないんだけどね……」
「何を言っていのだ、諏訪子?」
元々、彼女は妖怪が悪だとは思っていない。この世に生まれ、生きている。
それは、この世界がそれを必要としたから、彼らは生まれたのだ。自分たちが、人間を助けるために生まれてきたように。
心優しき神、諏訪子は、妖怪をそう認識していた。だから、必要以上に争うことはない、と。
そして、あの少年は、彼女にとってはあの時の少年なのだ。たとえそれが勘違いであっても、深い情を抱いてしまっている。
それに、彼は救いを求めていた。彼自身ではない、仲間の妖怪の救いを。
それは、ただ立場が逆転しただけのこと。既に妖怪は滅ぼす側から滅ぶ側へと変わっていたのだ。
滅んだ集落(妖怪)に、ただ一人生き残り、彼を救う者はいない。それが、あの妖怪、ハジの未来のような気がしてしまって。
先ほどのハジの叫びは、一人になりたくないと叫んでいる気がしてしまって。
「ねえ神奈子。私たちにとって妖怪は敵なのかな」
「なにを言う、諏訪子。そんなもの、当り前であろう」
「私は、そうは思わないんだ。私たち神様は『人間の味方』だ。
必ずしも、『妖怪の敵』である必要はないと思ってる。この妖怪達を見ていると、ますますそう思うよ。
ね。人間を無視してここまで来た妖怪さんたち」
奥理たちは諏訪子の考えが読めない。
自分たちの発言を無視したと思ったら、今度は突然話しかけてくる。
そこまでは、まだよかった。しかし、殺すつもりも、下手をすれば戦うつもりもないというのは、どういうことなのか。
「なにが言いたいのだ」
「人間を襲わない時は、争う気は無いってことだよ。私に襲ってきたら、抵抗はするけどね」
「つまり?」
「ちょっとまちな。何が言いたいか、いまいち分からないけど。狼の山を襲ったのはお前たち神だろう?
たとえこっちが襲わなくても、そっちが襲って来るってんなら話にならないね」
そう。神が全員そう思っているわけではない。
たとえ諏訪子のみが言ったところで、それを信用できるのかは別の問題だ。
「それは信じてくれとしか言えない。
でも、既にここらの土地は、全て私の国だ。そんなこと、私がさせない。
いや、本当は神奈子の国になったんだけど、それは、私がさせないと約束する」
「おい諏訪子、何を勝手に」
「神奈子、頼むよ。妖怪とは、無駄に争いたくないんだ」
「確かに、好んで争いを起こすのは得策ではないが……」
もちろんここで、神奈子は拒否することも可能だ。既にここは神奈子の国。
だが、真剣な表情の彼女を、拒否する気にはなれなかった。
「とにかく。妖怪は人間を襲う。これに文句はない。だって、それが生きるためなんだもの。
そして、襲ってきた妖怪を私たち神が倒す。それが私たちの役目だし、人間を生かすためだ。
でも、私は妖怪を滅ぼしたい訳じゃないんだ。人間を襲わない時なら、一緒に酒を飲み交わしたっていいと思っている」
正直な、本音。
恐らく、神と言う立場では許されないのかもしれないが、彼女自身はそう思っている。
妖怪を守る者が居なくても、一緒に、酒を飲むくらいの存在が居てあげてもいいのではないだろうか。
そして、もし妖怪が神に救いを求めるのならば、と。
「だから、もうおしまいにしよう、この争いを。
お前たちが襲って来ない限り、私が戦う理由はない。ハジくんを、助けたかったんだろ?
いくら私たちが弱っていると言っても、それでも、お前たちに負けるほどではないよ」
少々威嚇を込めて言う。
弱ってしまった自分では、既に手加減が出来ない。神奈子は、手加減をする気もないかもしれない。
仲間を失うことを恐れたあの少年のためにも、やらなくてもいい戦いは避けるべきだ。
しかし、それは諏訪子の考え。奥理たちにしてみれば、都合のいいことを言っているだけにしか見えない。
「人間を襲ってはいなかったから、ハジに止めを刺さなかったと?人間を襲ってはいなかったから、私たちを見逃すと?
無礼るなよ、神。私たちは妖怪だ。妖怪は人間を襲うことが役目なのだ。今まで多くの人間を襲って来たのだ。
ハジが倒れた今、ハジの意思を継ぎ『妖怪を倒す神を倒さなければ』ならないのだ!仲間を、守るためにも」
見下すな、と彼女は言う。目の前の神は、自分たちを下に見ていると感じたから。
そして、彼女は思っていたのだ。
『強い神が居るから、人間が襲えない』と。このままでは『妖怪が神に倒されてしまう』と。
だから、ハジは自分から、この土着神の頂点に立つ洩矢諏訪子を狙ったのだ、とも。
「抑止力」
諏訪子は、たった一言を呟く。
その一言は、妖怪二人の顔を、ポカンとさせていた。
神奈子も、何やら神妙な顔をしている。
「なに?」
「抑止力ぅ?」
当然、上がる疑問の声。
それはそうだ。突然の一言。そして、彼女は続ける。
「抑止力。それは、神と妖怪の間を牽制しあう存在。
妖怪にとって、神そのものの存在が抑止力となる。それでも、人間が襲えないというほどじゃない。今、神の数は減ってしまったからね」
彼女は少し、顔を伏せて言う。
この土地の奪い合いの間に、死んでいった神は当然ゼロではない。
それは強き者であったり、弱き者であったり、強さは様々であったが、大勢の者が死んでしまった。
それでも、妖怪の抑止力足り得るのは、神の数が減った分だけ、神の質が上がるからだ。一人ひとりに割り振られる力は当然多くなってく。
それでも、元々多かった土地を少ない神で守るのだ。隙は必ず出来てしまう。
その『隙』があったからこそ、彼女はミシャクジさまを使い、悲劇を繰り返さないようにしていたのだ。悲劇の真実は、勘違いであったが。
「神にとっての抑止力は、ハジくんだ。
あの子の力は私たちとほぼ同等。土着神の頂点たるこの私と同等なんだ。
彼は既に、私の配下の神も殺していったし、大和の神も殺していた。
神を殺す妖怪は、人々に恐れられ、神々にすらその名を知らしめるだろう」
そう言って、彼女は心の中で呟く。本当は、私があの子の味方になってあげたい、と。
知ってしまったら、彼女は無視することは出来ない。
何万年もの昔から、彼女は彼の味方になってあげたかったと思い続けてきたのだから。
一人になってしまった存在を、彼女は今まで守りたかったというのに。
「あの子は、仲間を守りたいと言っていた。他の妖怪も、あの子を守りたいと言うのなら、私の、今から言うことを聞いてくれ」
「……」
「ハジくんの意識が戻ったら、また此処に来るように伝えてくれ。話したいことがある。そして、その際人間を襲わないように、とも。
そうしなければ、私たちはなにもしない。
現に、彼の目的は達成されているはずだ。だから、これ以上は戦う必要なんて、ないんだ」
「目的が達成されている……だと?
お前たち、何を知っている。貴様ら神を倒さねばならぬと言うのに」
ハジとは、若干異なる主張をする彼女に、諏訪子は納得といった表情で説明をする。
「彼の目的は、人間の恐怖を取り戻すこと。人間は、絶対的な神の存在に安心し、恐怖を忘れていっているんだ。
でも、彼は既に目的を果たしていたよ。神の死と、強大な力を人々に見せつけ、その身に恐怖を刻んでいった」
人里上空での戦い、神々の死体、そして、社からやってきた霊力の霧と爆発。
絶対の信頼を置いていた神の死と、原初より築き上げられてきた最上級の『恐怖』は、互いが互いを高め合い、
人々の忘れかけていた恐怖を再び思い出させた。
どちらかが欠けていれば、諏訪子様がいる、神が守ってくれる、という気持ちがあり、そこまでの効果はみ込めなかっただろう。
「少し……守りすぎてしまったのかもしれないね。人間は、自分たちでも身を守れるようにしないと。
そういえば昔は……こんなこと無かった。人間も、妖怪と戦っていた。だから、妖怪の怖さをちゃんと知っていた。必要以上に怖がる必要も無かった」
「恐怖を……取り戻す? 馬鹿な、ハジは、私たちが人間を襲えるように、神を倒そうとしていたのでは……ないのか?」
そもそも、奥理は勘違いをしていたのだ。
ハジの目的は、『人間の恐怖を取り戻すこと』。
諏訪子たちの打倒は、彼にとっては手段の一つに過ぎず、人間に恐怖を刻み込むのに一番効果的だっただけに過ぎない。
神の死も、霧も、彼が狙ってやったことではないが、結果的に、彼は人間に恐怖を刻み込んだ。
人間は、なまじ妖怪との戦いとは無縁の生活を長年続けていたが故に、妖怪への恐ろしさの耐性が落ちていたのだ。
自分たちで何もしなくとも、神が守ってくれていたから。
「多分、違うと思うよ。彼にとって、私たちを倒すことは手段の一つに過ぎなかった。
あの子が意識してやったのかは分からないけど、人間は神をも殺す妖怪の存在を知った。恐ろしい存在を知った。
大方、お前たちを巻き込みたくなかったんだろうね。あの子は、仲間の死を恐れていると思うから」
「そんな。なら……」
「奥理。一旦此処は退こう。こいつの目は、嘘を言っていない。
とにかく、今あたしたちのするべきことは、ハジにこのことを伝えて、ちゃんと聞きだすことだと思う。」
「ツキ……そう、だな。そうかもしれない」
「分かってくれた、かな?」
「だが、忘れるなよ。お前たちが妖怪を滅ぼすと言うのなら、全力を持って抵抗してやる」
「あたしだって、ハジを傷つけたあんたらを許す訳じゃないからね。拳の一つや二つは覚悟しておきな」
「分かってるよ」
奥理たちは社を離れる。人里を通り、人間を無視し、一直線にハジの居る場所へと。
神々の戦いと、妖怪の挑戦は此処に終わりを告げる。
これは、永きに渡る、妖怪と人間を守る神々との関係を少し、少しだけだが変える結果となった。
この変化は、人間をまた一つ強くする。
守られるだけの存在であった人間は、恐怖を取り戻し、再び戦うことを決意する。
時代は、妖怪が人を襲い、人が妖怪を倒し、神がそれを手助けする。そんな関係へと動き出す。
「……勝手に決めて、済まないね。神奈子」
「諏訪子とあの妖怪達の間に、何があったかは知らぬが。それでも、お前は国民たちを蔑にする奴ではないであろう?
ならば、この国の新しい神として、聞きいれてやらねばな。
我の器の大きさに、感謝するといい」
「うん。ありがと、神奈子」
「ふ、ふん。どうせお主は私の配下となるのだ。そうした口を利けるのも今のうちぞ」
「ふっ。それはどうかな?」
「なに?」
「私は事前に手をうっていた。多分、神奈子じゃ私から信仰は奪えないと思うよ。
すくなくとも、ミシャクジさまくらいの影響力は持たないとねえ」
「なん……だと……?」
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あとがき
なにやら超展開なイメージが否めない作者です。でも消して直してを繰り返して行くうちにこんな結果に。
やっぱり、皆さんが強引すぎだと感じたら直そうかと思います。
話の展開としては、結果がこんな感じに終わればいいんですけど。どうやったら自然になるだろう。
次回のお話は戦いのあと、諏訪子たちの話し合いから。
それでは。