ガリア王国の首都リュティス。この街は、シレ河沿いの中洲に作られた旧市街と、対岸のベルサイテル宮殿のある新市街とに分けられる。かつてはシレ河を主要な防壁とした城砦都市であったこの街も、今ではほとんどその面影すら残ってはいない。
その旧市街の裏通りを、イザベラは、黒いローブをまとって足早に歩いていた。護衛は北花壇騎士団のシュバリエが二人。
そして、一軒のいかにも貧民窟の木賃宿とおぼしき建物の前で足を止めた。
「ここに間違いないね?」
「はい」
護衛のシュバリエが、ローブの下でうなずく。
イザベラは、自ら先頭に立って建物へと入っていった。
その男の泊まっている部屋は、アプサン特有の独特な臭みで満ちていた。空になったアプサンのビンが、床やベッドサイドテーブルの上に転がっていて、足の踏み場もない。もっとも、ベッドが占める面積が、部屋全体の面積のほとんどである小さな部屋でしかなかったが。
男は、アプサンの酔いが回った譫妄状態特有の眼をしたまま、ベッドの上でぐったりと横になっていた。
「フランシス・ウォルシンガムだね」
ベッドの上の男に、イザベラは開口一番そう言い放った。
男は、わずかに視線だけイザベラに向けると、わけのわからない事を呟いた。なんでも、お迎えが来ただの、告死天使にしちゃ下品だの。
イザベラは、杖を振るうと部屋中の水分を集め、ウォルシンガムと呼んだ男の顔面にぶちまけた。ほとんど氷水に等しい冷たい水をかけられて、男はそのままベッドから床に転がり落ちた。そのまま頭をしたたかに打ち付けたのか、目を回して意識を失ってしまう。
「ちっ、仕方が無いね。おい、こいつを運び出しな」
忌々しげに舌打ちをしたイザベラは、護衛のシュバリエに向かいあごをしゃくって指示を下した。二人は「浮遊」の魔法をかけ、ウォルシンガムを部屋から運びだす。部屋の外で待っていた宿の主人に、イザベラは、一掴みのエキュー金貨を握らせた。
「滞納分はこれで足りるね?」
「はい、十分過ぎるほどでございます、お嬢様」
ぺこぺこと頭を何度も下げる主人に一瞥も与えず、イザベラは、この臭く汚い宿から三人とともに足早に立ち去った。
旧市街の一角に、イザベラが架空の商会の名義で保有している建物がある。北花壇騎士団の予算の大半を占めるにいたった蒸留酒の販売で得た売り上げから、帳簿を操作して作った裏金で購入した建物であった。
その一室の暖炉のある部屋で、ウォルシンガムは下着姿の上から毛布一枚を巻きつけた姿で、火に当たっていた。アプサンによる酔いは、すでに北花壇騎士団員のシュバリエの魔法によって覚まさせられている。そのウォルシンガムの目前で、イザベラは古びてきしみを上げる椅子に座って醒めた冷たい視線を向けていた。ほこりっぽいその部屋には、イザベラとウォルシンガムの二人しかいない。
「酔いは醒めたかい?」
「ええ、お嬢さん」
まるで死んだ魚のような濁って光の無い眼で、ウォルシンガムはイザベラを見上げている。その瞳にフェイトのそれと同じものを感じたイザベラは、内心の恐怖感と嫌悪感を押し殺して、言葉を続けた。
「フランシス・ウォルシンガム卿。アルビオンのモード大公の懐杖だったそうじゃないか」
「昔の話ですよ。今はただの平民の酔いどれです」
「ただの平民の酔いどれは、そういう言い方はしないもんだ。違うかい?」
ウォルシンガムは、無表情のまま、黙ってイザベラの瞳を見つめている。
二人の間の粘つくような沈黙の中、ぱちぱちと暖炉の薪がはぜる音がする。
「で、この酔いどれになんの御用でしょう? イザベラ殿下」
イザベラが彫像の様に動かないのを見て、ウォルシンガムはまずは一石を投じてみた。
「モード大公が何故、兄のジェームズ王に討伐されたのか、そいつが知りたい」
イザベラの言葉は、その蒼い視線のごとく冷たく鋭かった。
だが、ウォルシンガムは、それを平然と受け止めてみせた。
「ジェームズ一世陛下は、ウェールズ皇太子殿下の即位の邪魔となる大公殿下を排除したかったのでしょう」
「モード大公は、討伐された時点では、公式には結婚もしていないし庶子すらいない事になっている。加えて兄とさほど変わらぬ歳の上、ウェールズはアルビオン空軍の本国艦隊の提督として、次の国王として十分な実績と人望を集めていた」
感情の抑揚を感じさせない調子で、イザベラは、即座にウォルシンガムの言葉を斬って捨てた。
「となりますと、たかだか陪臣に過ぎぬ小生めには、とんと判りかねますな」
ぬけぬけとそう言ってのけたウォルシンガムの表情は、その口調とは裏腹に全く何も浮かんではいなかった。
そのまま、また二人の間に沈黙が降りる。
長い長い沈黙の末、薪が燃え尽き、部屋を闇が閉ざす。明かりといえば、わずかな月明かりだけ。
「合格だ。ここでぺらぺら喋られちゃ、わざわざお前を選んだあたしの眼が節穴だったと、あいつに笑われるところだった」
本当に、聞こえるか聞こえないかの小さな囁き声で、そうイザベラは呟いた。
カーテン越しに差し込む月明かりが、イザベラが口を歪めて笑みとおぼしき表情を浮かべているらしい事を、陰影をつけてウォルシンガムに見せていた。
「で?」
あくまで無表情のまま、ウォルシンガムは、イザベラの次の言葉を促した。
「お前をあたしの「杖」にしてやる。たっぷりと「趣味」に浸らせてやろう。お前が好きで好きでたまらない陰謀にね」
「名にしおうガリアの北花壇騎士団団長殿が、アルビオン人の元貴族をですかな?」
「だからさ。お前は北花壇騎士団に属するわけじゃない。あくまであたし個人の「杖」だ」
イザベラの瞳に、屈辱の惨めさに憤る冷たい炎が灯る。
そう、彼女は「師」であるフェイトに言われたのだ。「殿下がお持ちでいらっしゃるものは、全て与えられたものでしかございません」と。つまり、自分が持っていると思っていた全ては、父であるジョゼフ王の所有物のおこぼれであり、その長い手の中で王女としてぬくぬくとしていると言われたに等しい。
その言葉は、イザベラの頬を張り飛ばすかのような威力を持っていた。
何故自分が、こうも周囲に当り散らさずにいられないのか。それは、怯えているからだ。何も自分自身の手で得たものを持たず、ただ与えられたものにすがり付いているだけだからだ。
「ほう」
初めて、ウォルシンガムの面に感情らしきものが浮かぶ。
それは、愉悦であった。何も知らぬ生娘が、精一杯背伸びして、女らしく振舞っているのを見透かす様な愉悦。
「選ばせてやろう。アプサンに浸るか、「趣味」に浸るか」
「素晴らしいですな」
また無表情に戻ったウォルシンガムが、抑揚の無い声で呟く。
「殿下を調教しているのが誰だかは存じ上げませぬが、中々良い腕の持ち主とお見受けいたしました」
「そうさ。だからお前は、そいつと争う事になる。どちらがこのあたしを自分好みに調教できるか、ね」
イザベラは、ウォルシンガムに向かって右手の甲を差し出した。
ウォルシンガムは、その手を押し頂くと、軽く口付けをする。
「それではイザベラ殿下、この「杖」を存分にお振るい下さいませ」
朝もやの中、フェイトとルイズとギーシュは、馬に鞍をつけていた。そしてフェイトとギーシュの鞍には、下着や肌着の換えや、その他もろもろの雑貨の入った背嚢がくくりつけられている。ちなみにフェイトの馬の鞍には、それらに加えて大きな革のケースとデルフリンガーもくくりつけられていた。
ルイズとギーシュの二人はごく普通に貴族が着る乗馬服姿であったが、フェイトは栗毛の馬の色に合わせたかのような、厚手の木綿で仕立てた土茶色のジャケットとパンツを身に着けていた。しかも全てのボタンが外側から見えない比翼仕立てであり、あちこちに大きなポケットがついている。髪の毛は、まとめてつば広の木綿の帽子の中にたくしこんであった。
そんな風に出発の用意をしていると、ギーシュが困ったように言った。
「お願いがあるんだが……」
「なによ?」
ルイズは馬の鞍に荷物をくくりつけながら、ぎろっとギーシュをにらみつける。せっかくのアンリエッタ王女からの密命に横入りしてきたギーシュを、まだ許してはいない様子である。
「ぼくの使い魔を連れていきたいんだ」
「別にいいわよ。それで、どこにいるの?」
「ここ」
ギーシュは地面を指差した。
「いないじゃないの?」
ルイズが、乗馬鞭を片手にすました顔で言った。
ギーシュはにやっと笑うと、足で地面を叩いた。すると、モコモコと地面が盛り上がり、茶色の大きな生き物が、顔を出した。
ギーシュはぱっと膝をつくと、その生き物を抱きしめた。
「ヴェルダンデ! ああ! ぼくの可愛いヴェルダンデ!」
ルイズは心底呆れた声で言った。
「あんたの使い魔ってジャイアントモールだったの?」
はたしてそれは、巨大モグラであった。大きさは小さいクマほどもある。
「そうだ。ああ、ヴェルダンデ、きみはいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。どばどばミミズはいっぱい食べてきたかい?」
モグモグモグ、と嬉しそうにに巨大モグラが鼻をひくつかせる。
「そうか! それはよかった!」
「ねえ、ギーシュ。駄目よ。その生き物、地面の中を進んでいくんでしょう?」
「そうだ。ヴェルダンデはなにせ、モグラだからな」
「そんなの連れて行けないわよ。わたしたち、馬で行くのよ」
さすがにルイズは困ったように言った。
「結構、地面を掘って進むの速いんだぜ? なあ、ヴェルダンデ」
巨大モグラは、うんうんとうなずく。
「あのね、わたしたちは、これからアルビオンに行くのよ。地面を掘って進む生き物を連れて行けるわけないじゃない」
ルイズがそう言うと、「ああ、何てことだ!」とギーシュは心底悲しそうに地面に膝をついた。
そのとき、巨大モグラが鼻をひくつかせた。くんかくんか、とルイズに擦り寄る。
「な、なによこのモグラ」
巨大モグラはいきなりルイズを押し倒すと、鼻で身体をまさぐり始めた。ルイズは、身体をモグラの鼻でつつきまわされ、地面をのたうちまわる。
巨大モグラは、ルイズの右手の薬指に光る「水のルビー」を見つけると、そこに鼻を摺り寄せた。
「この! 無礼なモグラね! 姫さまに頂いた指輪に鼻をくっつけないで!」
「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」
うんうん、と、納得したようにうなずくギーシュ。
と、それまで黙々と馬の鞍に荷物をくくりつけていたフェイトが、つかつかと巨大モグラに近づき、そのどてっぱらを靴底で蹴飛ばしてルイズから引き剥がした。
「ぼくのヴェルダンデに何をするんだ!」
「ならば、もう少し淑女に対する礼儀というものを教えておいて下さいませ」
じろりとフェイトの光の無い深紅の瞳でにらまれて、ギーシュはそのまましゅんとなってしまった。さすがに、フェイトにマウントポジションからフルボッコに殴られて気絶させられた事実は、まだまだ生々しく記憶に残っている様子である。
と、朝もやの中から、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。中から現れたのは、羽帽子をかぶった長身の貴族である。
「誰?」
「姫殿下より君達に動向することを命じられてね。君達だけではやはり心もとないらしい。しかし、お忍びの任務であるゆえ、一部隊つけるわけにもいかぬ。そこで僕が指名されたって訳だ」
ルイズの誰何に、長身の貴族は、帽子を取ると一礼した。
「王女殿下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」
「ワルドさま……」
立ち上がったルイズが、震える声で言った。
「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」
ワルドは人懐っこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱き上げた。ルイズはというと、頬を染めてワルドに抱きかかえられている。
「お久しぶりでございます」
「相変わらず軽いな君は! まるで羽のようだね!」
「……お恥ずかしいですわ」
「彼らを紹介してくれたまえ」
ワルドはルイズを地面に下ろすと、再び帽子を目深にかぶって言った。
「あ、あの、級友のギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のフェイトです」
ルイズは交互に指差して言った。ギーシュとフェイトは深々と頭を下げた。
「君がルイズの使い魔かい? 噂には聞いていたが、本当だったんだね。僕の婚約者がお世話になっているよ」
「恐縮でございます。こちらこそ、お嬢様にはよくして頂いております」
あくまでワルドとは目を合わせず、曖昧な微笑みを浮かべて挨拶するフェイト。そんな彼女を鋭い目つきで見つめると、ワルドはにっこりと笑った。
「僕は武人だから、昨日の君の発表はほとんど判らなかったが、大した博識ぶりだね! 大丈夫、僕も腕には覚えがある。きっと任務を成功させてみせるさ!」
そう言って、あっはっは、と豪傑笑いをした。その拍子にワルドの形の良い口ひげがゆれる。なんというか、ギーシュの様なひょろひょろとした優男ではなく、逞しい体つきの、いかにも大人の男、という感じの快男子であった。
「こちらこそ、道中よろしくお願いいたします」
もう一度、深々と頭を下げるフェイト。
ルイズは、そんな二人を見てなんとなく居心地が悪くなった。フェイトがこういう慇懃な態度を示すときは、大抵相手を警戒しているときであることを、短い付き合いながらも知っていたからだ。
「子爵様、ひとつ質問をよろしいでしょうか?」
「うん? なんだい?」
フェイトは、相変わらず使用人らしい態度でワルドと目を合わせようとはしない。
「今回の任務については、マザリーニ枢機卿猊下は、ご存知なのでしょうか?」
「ああ、そのことか。大丈夫。猊下も致し方なしとして、僕が参加するのを認めて下さったよ」
「ありがとうございます。不躾な質問を失礼いたしました」
「いや、君がそれを気にかけるとはね。さすがは僕のルイズの使い魔だ!」
どうやらワルドは、フェイトのことを気に入ったらしい。にやりと男くさい笑みを浮かべてうなずいている。フェイトもようやく顔をあげて、にっこりと微笑んでみせた。
そんな二人を見ていて、ルイズはなんとなく胸の中にもやもやしたものが広がるのを感じた。
ルイズのそんな心中をおもんぱかってか、ワルドはぴっと一声口笛を吹いて、朝もやの中からグリフォンを呼び出した。鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。立派な羽も生えている。
ワルドはひらりとグリフォンにまたがると、ルイズに手招きした。
「おいで、ルイズ」
ルイズはちょっとためらうようにして、うつむいた。その仕草が、なんとも恋する少女らしく初々しくて可愛らしい。
ルイズはしばらくモジモジしていたが、ワルドに抱きかかえられ、グリフォンにまたがった。ワルドは手綱を握り、杖を掲げて叫んだ。
「では諸君! 出撃だ!」
アンリエッタは、出発する一行を学院長室の窓から見つめていた。
目を閉じて、手を組んで祈る。
「彼女たちに、加護をお与えください。始祖プリミルよ……」
隣では、オールド・オスマンが鼻毛を抜いている。そしてそれをあえて見ないふりをして、冷たい光をたたえた瞳のままルイズら四人を見送るマザリーニ枢機卿。
アンリエッタは、振り向くとオールド・オスマンに向き直った。
「見送らないのですか? オールド・オスマン」
「ほほ、姫、見ての通り、この老いぼれは鼻毛を抜いておりますのでな」
アンリエッタは首を振った。
「トリステインの未来がかかっているのですよ。なぜ、そのような余裕の態度を……」
「すでに杖は振られたのですぞ。我々にできることは、待つことだけ。違いますかな?」
「そうですが……」
それでも心配そうな様子を隠せないアンリエッタ。そんな彼女に向かって静かな声でマザリーニ枢機卿がつぶやく様に語りかけた。
「ワルド子爵の二つ名は「閃光」。かの者に匹敵する使い手は、「白の国」アルビオンにもそうそうはおりますまい」
「そういえば、彼はルイズの婚約者でしたわね」
「はい。ご存知の上で選ばれたのでしたな」
淡々と受け答えするマザリーニ枢機卿の声には、その事実についていかなる感想を抱いているのかもうかがえない。
「ま、あの使い魔ならば、道中どんな困難があろうとも、切り抜けられるでしょうな。あいだっ!」
オールド・オスマンは鼻毛を抜きながら言った。その様子をアンリエッタは呆れ顔で見つめた。
「彼女は学者ではありませんか! 本来ならば、アカデミーに招かれてしかるべき人材ですのに……」
アンリエッタは首を振った。昨日の使い魔品評会でフェイトは、リュシーをアシスタントに本塔にある大講堂で「光の波長ごとの境界面屈折と虹の発生の原理について」という題名で実験発表を行ったのである。
三角形のプリズムの一方から光を当てて、その境界面で波長ごとに光の屈折率が変わり、七色に光が分解されるのを見せ、さらに円形のプリズムに光を当てることで、そのプリズムの周囲を七色の光が覆うのを見せた。その上で「水」のスクエアメイジでもあるリュシーに台上で霧を発生させ、そこに光を当てて虹を作って見せたのであった。そしてそれらの原理について図式と数式で全てを説明してのけたのである。ちなみにルイズは、各種の図式と数式のフリップをかかげる、という形でアシスタントを務めている。
本来は使い魔品評会というのは、主人と使い魔のコミュニケートとコンビネーションを競い合う場である。そうした原則から、優勝は、タバサとその使い魔ウインド・ドラゴンのシルフィードとなった。だが、「光粒子説」が主流であるハルケギニアにおいて「光波長説」を証明してみせたフェイトの発表は、王女自らに特別賞を与えられるという名誉にあずかったのであった。
「かの使い魔には、色々と噂があるようですな」
「えーおほん。彼女は、とにかくよく頭が回りますでな。その知恵をもってすれば、と、いうことですな」
フェイトにまつわる諸々の活動について、あえて知っていることを言外ににじませるマザリーニ枢機卿に対して、オールド・オスマンは咳払いひとつしてすっとぼけてみせた。
そんな二人のやりとりにアンリエッタは、緊張の含まれた空気を振り払うように首を振った。
「ならば祈りましょう。知恵と勇気を持つかの者達に、幸運の風が吹くことを」
魔法学院を出発して以来、ワルドはグリフォンを疾駆させっぱなしであった。フェイトとギーシュは途中の駅で二回馬を交換したが、ワルドのグリフォンは疲れを見せずに走り続ける。乗り手のようにタフな幻獣であった。
「ちょっと、ペースが速くない?」
抱かれるような格好で、ワルドの前にまたがったルイズがたずねた。雑談を交わすうちに、ルイズのしゃべり方は昔の丁寧な言い方から、今の口調に変わっていた。ワルドがそうしてくれ、と頼んだせいもある。
「ラ・ロシェールの港町まで、止まらずに行きたいんだが……」
ワルドは後ろを向いた。ギーシュは、半ば倒れるような格好で馬にしがみついている。フェイトといえば、馬を疾走させることよりも、周囲を警戒することに注意をはらって馬を走らせている。
「無理よ。普通は馬で二日かかる距離なのよ」
「へばったら、置いていけばいい」
「そういうわけにはいかないわ」
「どうして?」
ルイズは、やれやれといった様子で首を振った。
「だってわたしたちは旅の仲間でしょう? それに、使い魔を置いていくなんてメイジのすることじゃないわ」
「やけにあの二人の肩をもつね。彼は君の恋人かい?」
笑いながら冗談めかしてそんなことを言うワルドに、今度こそルイズは大きく溜め息をついた。
「ねえワルド。お願いだから変なところで意地を張ったりしないで。ギーシュには恋人がちゃんといるの。それにフェイトは、未熟なわたしを支えてくれる大切な使い魔なのよ」
「そうか、悪かったよ。確かに僕らは殿下に任務を授かった仲間だしね。それに……、婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうところだったよ」
そう言いながらも、ワルドの顔は笑っている。
「もう、そんな冗談を言うんだから」
顔を赤らめて、ぷい、と横を向くルイズ。
「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! 君は僕のことが嫌いになったのかい?」
昔と同じ、おどけた口調でワルドが言った。
「もう小さくないもの。失礼ね」
「僕にとっては、いまだに小さな女の子だよ」
ルイズは、先日見た夢を思い出した。生まれ故郷のラ・ヴァリエールの中庭。忘れられた池に浮かぶ、小さな小船。
そして、親同士が決めた結婚。婚約者。
あの頃は、その意味がよくわからなかった。ただ、憧れの人とずっといっしょにいられることだと教えてもらって、なんとなく嬉しかった。今ならその意味がよくわかる。彼と結婚するのだ。
と同時に、夢で見たフェイトの事が思い出される。あんな小さな頃から、ひたすら戦うことを強いられてきた彼女。そのことにルイズは、胸が切なさを覚えた。
「僕はずっときみのことを忘れずにいたんだよ」
そんな切なげな想いが表情に出たルイズを見て、遠い目をしてワルドは思い出を語る。ランスの戦いで父親が戦死したこと。そして領地と爵位を相続して軍に入隊し、一生懸命努力し、とうとう魔法衛士隊の隊長にまで上りつめたこと。
「そして、立派な貴族になって、君を迎えにいくって決めていたんだ」
「冗談でしょ。なにもわたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくても……」
ルイズは、激しく動揺していた。こんな立派で格好良い彼が、ずっと自分のことを思っていてくれていたなんてとても信じられなかった。
何しろ、魔法衛士隊といえば、トリステインの若い貴族、男女問わずに憧れの対象である。男子は魔法衛士隊に入隊することを望み、女子はその隊員と結婚することを望む花形なのだ。自分みたいな、つい先日までゼロと呼ばれていた、そして今も爆発魔法以外は使う事のできない半人前のメイジに想いを寄せていてくれているなんて、とても信じられない。
それにルイズにとってワルドは、あくまで遠い思い出の中の憧れの人であって、現実に自分のことを想ってくれている婚約者だということが、どうしても実感できなかったのだ。
「旅はいい機会だ」
ワルドは、落ち着いた声で言った。
「いっしょに旅を続ければ、またあの懐かしい気持ちになるさ」
「もう半日以上、走りっぱなしだ。どうなってるんだ。魔法衛士隊の連中は化け物か」
ぐったりと馬に身体をあずけたギーシュがぼやいた。
「荷物を背負って徒歩で行軍するよりは楽ですよ。ミスタ・グラモン」
「あー、その、なんだ。よければ名前の方で呼んで欲しい」
「よろしいのですか?」
相変わらず周囲への警戒を怠らない様子で、フェイトが答える。
「君は正式な決闘で僕を倒したんだ。その実力は認めるべきじゃないか」
「ありがとうございます。ミスタ・ギーシュ」
「できれば……、ミスタものぞいて欲しい」
「では、ギーシュ様」
うう。あくまで融通を利かさないフェイトの態度に、ギーシュはさらに疲れたようにぐんにゃりと馬の首に身体をあずける。そんな彼の様子を、フェイトはわずかに微笑みながら見ていた。
「恋人のいらっしゃる方を気安く名前でお呼びするのも、馴れ馴れしすぎましょう」
そう一声かけると、フェイトは馬の尻に蹴りを入れてワルド達のグリフォンに向けて駆け去った。
「前路斥候かい?」
「はい。お願いできますでしょうか」
港町ラ・ロシェールは、トリスタニアから早馬で二日、アルビオンへの玄関口である。港町でありながら、狭い峡谷の間の山道に設けられた、小さな街である。だが、アルビオンと行き来する人々で非常に多くの人々が闊歩し、活気に溢れた街であった。
そのラ・ロシェールの入り口で、フェイトは、ワルドに向かって峡谷を上方から偵察してもらえないかと頼んでいた。すでに陽も落ちかけていて、あたりを夕闇がつつもうとしている。
「王党派に雇われていた傭兵が、大挙してトリステインに渡ってきていると聞きます。敗軍の兵ですから山賊化している可能性が高い上、峡谷は絶好の待ち伏せ場所でしょう。一応、安全を確認していただきたいのですが」
「日中、ずっと警戒を怠らなかったのは、それが理由かい?」
「はい。子爵様」
確かに一理あるね。ワルドは感心したようにうなずいた。その鷹のように鋭い目がフェイトをじっと値踏みするように見つめている。しばらくそうして見つめたあと、ワルドは破顔一笑した。
「どうやら、婚約者と久しぶりに出会えて浮かれすぎていたようだ。確かに君の言う通りだね。ではひとっ飛びしてくる。ルイズ、君はここで待っていてくれ」
ルイズを降ろすと、ワルドはグリフォンを飛び立たせた。
「相変わらず隙がないわね、フェイト」
ルイズが、にやりと笑ってフェイトをほめる。どうやら、自分の使い魔が役に立つところをワルドに見せることができて嬉しいらしい。
「何もなければ、それに越したことはありませんが」
「姫さまの密命ですもの。慎重過ぎるということはないわ」
それこそ親指を立ててグッジョブとかやりかねないくらい、ルイズは上機嫌であった。そんな主人の様子に、フェイトも穏やかに微笑んでいる。
「しかし、君らは本当にタフだな」
そんな主従を見つつ、ぐったりとした様子のギーシュが呟いた。さすがに丸一日走りづめで、体力の限界にきている様子である。
「あんたの鍛え方が足りないのよ。へたばっているのはあんただけじゃない」
ルイズにじと目で見られて、一層しょんぼりしてしまうギーシュ。そんなやりとりをしていると、ワルドが戻ってきた。
「フェイトの言う通りだった。峡谷の少し入ったところの崖の上に、山賊の集団が待ち構えている」
「! もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」
ルイズがはっとした声で言う。だがワルドはそれに首を左右に振って否定した。
「連中は、松明と弓矢を用意していた。貴族ならばどちらも使わないだろう」
「では、どう対処なされます? 子爵様」
フェイトが、軽く首をかしげて質問をする。
「そうだな、すまないがフェイトとギーシュには囮になってもらえるか? 僕とルイズが、上空から魔法で攻撃をしかける。ギーシュ、君の系統は?」
「「土」です。ワルド子爵」
「なおさら結構だ。僕らが奴らの後方上空に達したら、ルイズがハンカチを振る。それを合図に峡谷に進入してくれたまえ。「土」の系統なら「土壁」で矢は防げる。いいね?」
「はい、判りました」
これまでの疲労はどこにいったやら、ギーシュは、背筋を伸ばしてワルドの指示にうなずいた。フェイトも同じようにうなずく。
「では、ルイズ、行こうか」
「はい!」
やる気満々でルイズはグリフォンの背にまたがった。それと同時にワルドはグリフォンを飛び立たせる。フェイトは鞍の背からデルフリンガーを抜き、ギーシュは造花の薔薇を構えた。
「相棒、寂しかったぜ。鞘に入れっぱなしはひでえや」
「では、少しはその悪口毒舌を控えてください」
フェイトは余裕なのか、デルフリンガーと軽口を叩き合っている。緊張から肩に力の入っていたギーシュは、そんな彼女と大剣のやりとりに可笑しくなって笑い出しそうになった。なんとういか、そのまま緊張がほどけ、肩の力が抜ける。
しばらくすると、向こうの岩山の陰から、二人乗りのグリフォンの影が現れる。そして、小さい方の影が、白いハンカチを振っているのが見えた。
「では行きましょう。ミスタ・グラモン」
「ああ」
二人が馬を進めようとしたその瞬間であった。上空からばっさばっさと何かが羽ばたく音が聞こえ、同時に崖の上から悲鳴が聞こえてくる。どうやら、いきなりの奇襲に壊乱している様子である。
フェイトとギーシュが上空を見ると、グリフォンはまだ攻撃を仕掛けてはいない。
と、崖の上から男達が吹き飛ばされ転がり落ちてゆき、したたかに地面に身体を打ち付けてひっくりかえってゆく。
月をバックに、見慣れた幻獣が姿を見せた。ギーシュが驚きの声をあげる。
「シルフィード!」
確かにそれはタバサのウインド・ドラゴンであった。地面に降りてくると、キュルケがシルフィードから飛び降りて、髪をかきあげた。
「お待たせ」
捕縛した山賊達をそのまま捨て置いて、ルイズ達一行はラ・ロシェールの街へと入った。尋問したところただの物取りだと判明したためで、ならばアルビオンに渡るのを優先すべきだ、と、ワルドが主張したためでもある。
「まったくもう! あんたたち、何しに来たのよ!」
「助けにきてあげたんじゃないの。朝方、窓から見てたら、あなたたちが馬に乗って出かけようとしているもんだから、急いでタバサを叩き起こして追いかけてきたのよ」
確かに寝込みを叩き起こされたらしく、タバサはパジャマ姿であった。それでもタバサは気にした風もなく、本のページをめくっている。
頭痛が痛い、という表情で、ルイズは首を左右に振った。
「あのね、キュルケ。これはお忍びなの」
「お忍び? だったらそう言いなさいよ。言ってくれなきゃ判らないじゃない。とにかく感謝しなさいよね。危機一髪のところを助けてあげたんだから」
「てゆーか、獲物をもろ横取りされたって感じなんだけど!」
「やーねえ。細かいことをいちいち気にしていたら、成長が止まるわよ? 特に胸とか」
「胸は関係なーいっ!」
ラ・ロシェールで一番上等な宿「女神の杵」亭に泊まることにした一行は、一階の酒場でくつろいでいた。というより、ぐでっていた。無理も無い。一日中馬に乗って走りづめだったのだ。さすがにくたくたになっている。
それでも舌戦を交わさずにいられないのがルイズとキュルケであって、ぴかぴかに磨き上げられたテーブルの上に二人ともくたーっと突っ伏しながらも、舌の止まることがない。
そこに「桟橋」へ乗船の交渉に行っていたワルドが帰ってきた。
ワルドは席につくと、困ったように言った。
「アルビオンに渡る船は、明後日にならないと出ないそうだ」
うんしょっ、と、身体を起こしたキュルケがワルドに問いかける。
「あたしはアルビオンに行ったことないからわかんないけど、どうして明日は船が出ないの?」
「明日の夜は月が重なるだろう? 「スヴェル」の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づく」
そしてワルドは、鍵束を机の上に置いた。
「さて、じゃあ今日はもう寝よう。部屋をとった。キュルケとタバサは相部屋だ。僕とギーシュが相部屋。で、ルイズとフェイト」
全員が納得したようにうなずく。
「ただ、僕はルイズと大事な話がある、すまないが、しばらく席を外していてくれないか、フェイト」
「了解しました。私はこちらにおりますので、お話が終わりましたらお呼び下さい」
相変わらず感情をうかがわせない光の無い眼で、フェイトはワルドにうなずいてみせた。
フェイトとルイズの部屋は、さすがに貴族向けの宿だけあってかなり立派なつくりであった。
テーブルに座ると、ワルドはワインの栓を抜いて杯についだ。
「君も腰掛けて一杯やらないか? ルイズ」
ルイズは言われるままに、テーブルについた。ワルドがルイズの杯にワインを満たしていく。
「二人に」
ルイズは、ちょっとうつむいて、杯をあわせた。
「姫殿下から預かった手紙は、きちんと持っているかい?」
「……ええ」
ルイズは、可愛らしい眉をへの字に曲げた。アンリエッタが最後の一文をしたためた時の表情が、どうしても気になっていたのだ。あんな表情をする理由を、ルイズはよく判っていた。
「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだから」
「そうね、あなたがいればきっと大丈夫よね。あなたは昔からとても頼もしかったもの。で、大事な話って?」
ワルドは遠くを見る目になって言った。
「覚えているかい? あの日の約束……。ほら、君のお屋敷の中庭で……」
「あの池に浮かんだ小船?」
ワルドはうなずいた。
「君はいつもご両親に怒られたあと、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいにうずくまって……」
「いやね。へんなことばっかり覚えていて」
「そりゃ覚えているさ」
ワルドは楽しそうに言った。
「君はいつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、出来が悪いなんて言われていた」
ルイズは恥ずかしそうにうつむいた。
「でも僕は、それはずっと間違いだと思っていた。確かに君は不器用で、失敗ばかりしていたけれど……」
「意地悪ね。それで?」
「……君は失敗ばかりしていたけれど、誰にも無いオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、君が、他人にはない特別な力を持っているからさ。僕だって並のメイジじゃない。だからそれが判る」
「まさか」
「まさかじゃない」
ルイズはふっと思った。この頼もしいワルドにならば、自分の秘密の可能性を話してしまってもいいのではないだろうか?
「あのね、ワルド。笑わないで聞いてね」
「ああ、約束する」
「わたし、……もしかしたら、系統が「虚無」かもしれない」
「! 本当かい!?」
ワルドの眼が驚愕に見開かれ、そして歓喜に輝く。
「素晴らしい! 僕の予感は間違っていなかった! きっと君は、歴史に名を残す偉大なメイジになると信じていた!!」
「待って。そうかもしれない、というだけで、まだ判らないの」
「いや、ルイズ、君の言うことはきっと正しい」
確信に満ちた表情で、ワルドは熱っぽく語る。
「そもそも、人間を使い魔として召喚した時点で、君が偉大な力を持つメイジだという証拠なんだ。歴史上、人間を使い魔として持ったメイジは確認されている限り、始祖プリミルしかいない。使い魔は、そのメイジの系統と可能性を現す重要な手がかりなんだ。学院で教えられただろう?」
ルイズは、ワルドの迫力に押されるようにうなずいた。確かに、コルベールはそうルイズに教え、フェイトとの契約を遂行させた。
「人間というのは、それだけで一つの完結した存在なんだ。それが自然に依存して生きている並の動物や幻獣とは違う点だ。それを召喚できた、という事は、一つの世界の可能性を君が手にしている、という事なんだよ。ルイズ、彼女のルーンはどこに浮かんだんだい?」
「……額」
「とすると、「ミョズニトニルン」か。なるほど、ならば納得もいく」
ワルドは、鷹のように厳しい眼になると、何度も納得したようにうなずいた。そして、表情を改め、両手でルイズの手を握った。
「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ」
「え……」
突然のプロポーズに、ルイズは唖然とした。
「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは、国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」
「……………」
「確かに、ずっとほったらかしだったことは謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃないことも判っている。でもルイズ、僕には君が必要なんだ」
「……………」
ルイスは考えた。確かにワルドの言う事は理路整然としていて納得ができる。だが、それでいいのだろうか? ワルドが求めているのは、あくまで自分の「虚無」の系統のメイジとしての力であって、自分自身ではないのではないか。
女としての勘で、自分とワルドの間に気持ちのすれ違いがある事がわかる。
「ごめんなさい、ワルド。わたし、自分の気持ちがよくわからない」
「ルイズ……」
「お願い。せめてわたしが本当に「虚無」の使い手だって判るまで、結婚のお話は待ってくれる?」
うつむいたまま、左右に首を振るルイズに、ワルドは苦笑いを浮かべた。
「すまない、自分の予感が正しかった事にばかり気がいって、君の気持ちを考えていなかった」
「ごめんなさい。でも、なんか、その……」
「いいさ。急がないよ、僕は」
一階の酒場で、フェイトはフルーツジュースをちびちびと舐めていた。確かに彼女はアルコール依存症の気があったが、任務の最中には一切のアルコールを断てるよう自身を訓練してもいたのだ。さらに最近、寝酒を可能な限り控えるように努力してきた甲斐もあって、アルコールを断っても禁断症状が出るという事もなくなっている。
そんなフェイトに後ろから近づく人影があった。
「お話は済まされましたでしょうか? 子爵様」
「ああ」
ワルドは軽く舌を巻いた。「風」の系統のスクエアメイジであり、トリステインでも有数の使い手の自分が、気配を消して背後から近づくのをあっさり看破してのけるあたり、フェイトはただものではない。彼女が始祖の四人の使い魔のうち、知恵を担当する「ミョズニトニルン」ではなく、盾を担当する「ガンダルーヴ」でもおかしくはない鋭さであった。
「ルイズに結婚を申し込んだよ」
「なるほど。ですが、まだお祝いを申し上げるには早いご様子ですね」
「さすがは「ミョズニトニルン」。聡いな」
「可愛げが無い、と仰ってくださっても構いませんが」
そこで二人して笑いあう。ワルドは、フェイトの正面に座った。
「正直なところを聞かせて欲しい。君はルイズをどう思っている?」
「期待しております」
「どういう意味で?」
「多分、子爵様のお考えになっているのとは、別の意味で」
すっとワルドの眼が、厳しく細まる。
だがフェイトは、相変わらずの光の無い死んだ魚のような眼で、わずかに口の端を歪めて微笑みらしきものを作ってみせただけであった。
「というわけで、お嬢様の使い魔として子爵様にひとつお願いが」
「何かね?」
「急がないで頂けないでしょうか? お嬢様は、まだまだ「未熟」でいらっしゃいます」
「判っているよ。だから、結婚の話は一端棚上げにした」
ワルドは、じっとフェイトの光の無い瞳を見つめた。深紅のそれは、底の見えない深淵をたたえているだけである。
「ルイズは僕のものだ」
「存じ上げております。もっとも、全てはお嬢様ご本人が決められる事ですが」
フェイトとワルドの間に、殺気に近い空気が満ちる。だが次の瞬間、ワルドは破顔一笑してその空気を吹き飛ばした。
「どうやら酔いが回ったようだ。今日はこれで引き上げるとするよ」
「それでは私も」
フェイトとワルドは同時に席を立った。そしてそのまま互いの部屋へと去る。
そんな二人を離れた席で見ていたキュルケは、傍らで本を読んでいるタバサに呟いた。
「ねえ、ルイズってば、いつの間にあんなにモテるようになったのかしら」
「知らない」
次の日、六人はゆっくりと休息をとり、十分に英気を養った。明日の朝にはアルビオンに向けて出発である。そういう事もあって、その日の夜は、宿の一階でたっぷりと食べ、飲んで腹を満たしていた。
そこに油断があったのであろう。外から武装した傭兵の一団がなだれ込んできた時、とっさに動いたのはフェイトとワルドの二人だった。二人はぴったりと呼吸を合わせて食事をしていた机を蹴り立て、盾の代わりとする。一瞬後に反応した四人が、すぐに机の影に隠れ、店の中に飛び込んできた傭兵らに向けて攻撃魔法を放つ。
だが、相手の傭兵も手だれであった。ワルド達の魔法の射程を見切ると、さっさと店の外に後退し、夜闇の中から弓矢で攻撃をしかけてくる。どうやら、ちびちびと魔法を使わせ、魔力が尽きたところで一斉に飛び込むつもりらしい。
「まったく! これじゃ手詰まりじゃない!」
さすがに店そのものを爆破するわけにはゆかず、最小の爆発魔法で応戦していたルイズが歯ぎしりする。相手も歴戦の傭兵らしく、魔法を使おうと頭を上げると、即座に矢を雨のように射てくる。
「参ったね」
ワルドの言葉にキュルケがうなずく。
「やっぱり、この前の連中は、ただの物取りじゃなかったわけね」
「いいか、諸君」
ワルドは低い声で言った。ルイズ達は、黙ってワルドの言葉にうなずいた。
「この様な任務は、半数が目的地にたどり着けば、成功とされる」
こんな時でも優雅に本をひろげていたタバサが本を閉じて、ワルドの方を向いた。自分と、キュルケと、ギーシュを杖で指して「囮」と呟く。
それからタバサは、ワルドと、ルイズと、フェイトを指して「桟橋へ」と呟いた。
「時間は?」ワルドがタバサにたずねる。
「今すぐ」タバサは呟いた。
「聞いての通りだ。裏口に回るぞ」
「え? え? ええ!」
ルイズが驚いた声をあげた。
「今から彼女達が敵をひきつける。せいぜい派手に暴れて、目だってもらう。その隙に僕らは裏口から出て桟橋へ向かう。以上だ」
「で、でも」
ルイズはキュルケ達を見た。キュルケは、赤髪をかきあげ、つまらなさそうに唇を尖らせて言った。
「ま、仕方が無いでしょ。あたし達、あなた達がなにしにアルビオンに行くのかすら知らないもんね」
「行って」
タバサもルイズに向かってうなずく。
「お嬢様、急ぎましょう」
フェイトが、ルイズをうながす。
「大丈夫さ! ぼくの本気ってやつを、奴らに見せ付けてやる!」
ギーシュが、勇ましく胸を張る。
「いいから早く行きなさいな。帰ってきたら……、そうね、貸しをどうやって取り立てるか、考えておくわ」
「……判ったわ。借りはきちんと返すんだから。だから、ちゃんと三人とも無事に待っていなさいよ!」
ルイズは、そう言ってキュルケ達にぺこりと頭を下げた。
ルイズ達は低い姿勢で裏口へ向かって走り出した。矢がひゅんひゅんと飛んできたが、タバサが杖を振り、風の防御壁をはってくれた。
ルイズ達は、ワルドを先頭に、ルイズ、フェイトの順に桟橋へと向けて走った。
ラ・ロシェールの岩山に延々と階段が続き、三人はそこを駆け上っていく。そして、階段の終点には、巨大な樹が生えていた。そこの枝に、たくさんの「船」が舳先をつけて停泊している。樹の根元には、巨大なビルのホールの様な空洞がうがたれている。どうやら枯れた大樹の中をうがって造ったものらしい。
夜なので、人影は無かった。各枝に通じる階段には、鉄でできたプレートが貼ってある。ワルドは、目当ての階段を見つけると、一心に駆け上り始めた。
階段は木でできていて、一歩ごとにしなる。手すりがついているものの、随分と古びていてこころもとない。
と、しんがりを走っていたフェイトが、足を止める。
「どうしたの!?」
「追っ手です。先へ」
フェイトはルイズにそう答えると、背負っていた荷物をその場に下ろし、さっと身を翻した。階段の下から、白い仮面をつけた男が、三人を追ってくる。
白仮面の男は、フェイトを飛び越しルイズに迫ろうとする。宙を舞う男へ向けて、フェイトは、袖口から三本の短剣を引き抜き牽制の意味も込めて投擲した。男はそれを避けると、フェイトの前に降り立った。
ほんの半呼吸だけ対峙した二人は、同時に動いた。フェイトは再度短剣を投擲し、白仮面の男は杖を振るう。
フェイトから伸びた銀色の一閃は、白仮面の放った白光する雷に飲み込まれ、弾き飛ばされる。雷光はそのままフェイトへと伸び、短剣を投擲するために伸ばされた右腕に吸い込まれた。
と、白仮面の男はぐらりと姿勢を崩すと、そのまま手すりをへし折り、下へと落ちていった。男の喉もとには、月光すら反射しない漆黒の短剣が突き刺さっていた。
「フェイト!」
ルイズは、慌ててフェイトへと駆け寄った。今の雷光の一撃は、十分人一人の命を奪うだけの威力を持っている。
「大丈夫です」
フェイトの右腕は、あれだけの雷撃を喰らったにもかかわらず、傷ひとつついていない。
「え? うそ? 今のは」
「早く船へ」
下ろした荷物を再度背負うと、フェイトはルイズの腕を掴んで階段を駆け上りだした。そんな二人を、ワルドはじっと厳しい眼で見つめていた。