なだれ込んできた王軍に拘束されたルイズとフェイトが監禁されたのは、市庁舎の地下にある留置場であった。ただし、ルイズがトリステインでも一、二を誇る大貴族の令嬢であることもあって、部屋そのものは貴族向けの調度をもった牢ではあった。
その牢のベッドの上で、ルイズはフェイトに傷の治療を受けつつじっと天井を見つめ続けていた。ウェールズ皇太子とワルドの最後の会話、ワルドとの闘いとその結末。それを何度も何度も繰り返し反芻していた。
「フェイト」
「はい、お嬢様」
ずっと月明かりの中でルイズの傍にいたフェイトが、わずかに小首をかしげて答える。
ルイズは、そんなフェイトの瞳を見て、いつから彼女の瞳が澱むことがなくなり、深淵をたたえるようになったのかと、それを思った。最初に出会ったときの彼女の瞳は、もっと腐り、濁り、狂気をたたえていたのに。今の彼女の瞳は、光こそないものの、深く静かな深淵をたたえているだけである。
「わたしね、立派なメイジになりたかったの。別に、そんな強力なメイジになれなくてもいい。ただ、呪文をきちんと使いこなせるようになりたい。それだけでよかったの」
ルイズは、フェイトの瞳を見つめながら静かに語った。
「小さい頃から、わたし、駄目だって言われ続けてきた。お父様もお母様も、わたしに全然期待なんてしていなかった。クラスメイトにも、ずっと馬鹿にされ続けていた。ゼロ、ゼロ、って」
フェイトは、包帯で覆われたルイズの手を両手でそっと握った。
「でも今は思うの。「虚無」の力が発現しなくてもいいって。あまりに強大な力は、驕りを生むわ。わたし、そんな強い人間じゃないもの。きっと「虚無」の力に飲みこまれてしまう。わたしはただ、みんなができることを普通にできればよかった。そんな、大それた力なんて欲しいとは思わなかった」
ルイズの眼から、一筋、涙がこぼれた。
「ねえ、フェイト。わたし、ワルドと闘って判ったことが一つだけあるの。強くなるっていうことは、何かを失っていくことだって。もう、わたしは昔のわたしじゃない。「ゼロのルイズ」じゃない。あの何もできなくて、何も知らなかった幸せな時は、もう戻ってこない」
ルイズは、自分の手を握っていてくれているフェイトの手を握り返した。
「ねえ、フェイト。あんたは最後まで戦うことこそあの勇敢な皇太子さまの義務だって、言ったわよね? なら、わたしが代わってその義務を果たそうと思う。ウェールズさまは、わたし達三人に、ワルドも含めた三人に、自分の背負っていたものを託されたんだわ。だから、その背負っていたものを、ほんのわずかでもいいから背負いたい」
フェイトは、優しく微笑んで黙ってうなずいた。そして、ルイズの頬を伝った涙のあとを唇でぬぐうと、その桃色がかった金髪に頬を当てた。
と、そんな時であった。
ぼこっと地下牢の床に穴があき、中からジャイアント・モールのヴェルダンデが顔を出し、続いてギーシュがはい出てきた。
「おや? ルイズ、なんでこんなところにいるんだい? 姫殿下からの密命は果たせたのかい?」
「ちょっと、ギーシュ! あんたいつの間にアルビオンに!?」
「タバサのシルフィードで飛んできたのよ」
続いて中から、よいしょっという掛け声とともにキュルケが現れる。
「キュルケ! あんたまで!?」
「ま、どうせ助けが必要だろうと思ったから、貸しを作りにきたのよ。それにしても、酷い傷ねえ。で、あの素敵な髭の婚約者さんは?」
「……裏切り者だったからぶっとばしたわ」
「さすが」
続いて、ぴょこっとタバサも顔を出す。
「うむ、さすがは僕のヴェルダンデだね! 「水のルビー」の臭いを嗅ぎつけてここまでくるなて! ああ、なんて素敵なんだ!」
「ああ、もう。あんた達、お人よしにも程があるわ!!」
負った傷もなんのその、がばっとベッドから起き上がると、顔を真っ赤にしたルイズは、ベッドの上に仁王立ちになって叫んだ。
「当然だろう? 密命を受けたのは君だけじゃないんだぜ?」
「というわけで、あたし達は、まあお手伝いみたいなものね」
当然とばかりに胸を張るギーシュとキュルケ。タバサは、相変わらず何を考えているのか判らない表情でルイズとフェイトを見つめている。
いてえ、頭が割れるようにいてえ。そんな表情でベッドにうずくまるルイズ。
と、牢屋での騒ぎを聞きつけて、看守や兵士らが駆けつけてくる。
「さてと、それじゃ国王陛下に拝謁を賜るといたしましょうか」
鼻歌交じりの楽しそうな声で、キュルケがにやりと笑った。
アルビオン国王であるジェームズ一世は、老い、疲れた表情で市庁舎のホールに据えられた玉座に座っていた。そろそろ夜明けが近いというのに、廷臣や将軍達まで揃っている。
「そなたが、ゲルマニアはアルゴー商会の会長、フォン・ツェルプトーか」
「左様でございます、陛下」
ルイズら四人を後ろに控えさせて、キュルケがひざまずいた姿勢で答える。
「卿のおかげをもって、我が軍は反乱軍相手に存分に戦いえておる。感謝するぞ。貴国の皇帝陛下にも、ジェームズがそう感謝しておったと伝えるように」
「もったいないお言葉でございます。皇帝陛下も、お喜びになられましょう」
そんな儀礼的な言葉が交わされる中、ルイズは居並ぶ廷臣らや将軍らの表情を見ていた。誰もが疲れ、絶望に満ちた表情をしている。すでにルイズを批難するような眼すらしていない。なるほど、ウェールズ皇太子は、それほどに皆にとっての希望であったのだ。
「さてそれで、アルゴー商会の長が、何故に明日の敗北を前にした我が軍に挨拶に来たのかね?」
居並ぶ将軍達の中から、最も上座にいた壮年の男がキュルケに声をかけた。歳の頃はまだ四十台であろうが、すでに髪も髭も半ばまで白くなってしまっている。
「まだ敗北が確定したわけではございませんでしょう?」
「反乱軍は、この二、三日中には五万を数えるであろう。それに対して我が軍は八千。このエッジヒルに篭ったとしても、援軍も見込めぬとなれば一ヶ月ももたないだろう。なれば、我らになしうるは、勇敢に死すくらいしかあるまい」
将軍は、淡々と現状について語った。その見解はここにいる全員の総意らしく、誰も反論しようとはしない。
その場を重い空気が支配したその時であった。
「発言をお許しいただけますでしょうか?」
すっくと立ち上がり、ルイズがジェームズ国王を正面から見据えた。
「ラ・ヴァリエールといったな。何か?」
「勝てぬまでも、負けぬ算段があるとすれば、いかがなさいます?」
その場の全員の目が、ルイズに注目する。
ルイスは、フェイトに顔を向け、うなずいた。それにあわせてフェイトも立ち上がり、周囲を見回す。
「それでは、陪臣ながら私がご説明申し上げます」
フェイトの説明は簡潔で、明瞭であった。
しかし、その内容に誰もが渋い顔をしてのけていた。
「確かに、理にかなってはいる。が、我ら皆にモグラになれというのか」
「左様でございます。しかも、北のダーダネルスまで、ひたすらモグラとなって戦いつつ後退しなくてはなりません」
野戦とは、両軍が戦列を並べて貴族が杖を交わすもの、という先入観が強いのであろう。フェイトの言葉に誰もうなずこうとしない。疲れた表情のまま、ジェームズ国王がフェイトからルイズに視線を移した。
「ラ・ヴァリエール」
「はい、陛下」
「お主は余の息子の最後を見届けたのであったな」
「はい、陛下。裏切り者を連れ込み、あげく殿下を殺めるのを止められなかった罪は、このわたしにございます。なんなりと罰を下さいますよう」
そう言って、ルイズは、もう一度ひざまずいて頭を垂れた。だが、再度顔をあげ、ジェームズ国王を正面から見つめる。
「なればこそ、殿下に代わって万分の一でも、戦場で罪を償うことをお許しください」
「あえて息子の代わりを果たす、か。随分と思い上がった事を口にするのう」
「ご不興をかったことは謝罪申し上げます。しかし、トリステインよりの大使として、随員より裏切り者を出した責任は、全てこのわたしめにございます。それにウェールズ殿下は、名誉ある敗北をお望みでした。ならば、そのためのお手伝いをさせてくださいませ」
その場にいる全員がルイズに注目した。この齢二十にも届かぬ小娘が、かのウェールズ皇太子の代わりを果たすという。皆、怒るよりも前に呆れてしまっていた。
だが、そこであえて発言する者がいた。将軍らの上座にいた、半白髪の将軍である。
「仔細承知した。ならば、卿らの言葉に賭けてみよう。どうせ敗北が決まっているのであれば、いかに戦おうとも結末は同じ。ならば、せいぜいあがいてみようではないか」
「ありがとうございます、閣下」
「ミス・ラ・ヴァリエール。小官はエドウィン・アストレイという。現在は王立陸軍総司令官を務めている。まずは卿とミス・フェイトの献策通りに戦ってみよう。よろしいですな、陛下」
「うむ、卿がそう言うのであればかまわぬ」
「では、具体的な作戦の話にはいろうか。ミス・ラ・ヴァリエール、ミス・フェイト」
「それで、僕は何をすればいいんだい?」
軍議が終わったところで、ギーシュがルイズとフェイトに向かってたずねた。王軍の将軍たちは、すでに各部隊へと散っている。
「姫さまのご命令にあった手紙はお返しいただいたわ。ギーシュ、あんたがそれを姫さまにお渡しして」
ルイズは、ギーシュに封筒に入った手紙を渡した。ギーシュはうなずくと、それを上着の隠しにしまった。
「それであたしは?」
キュルケがフェイトに指示をあおぐ。タバサといえば、興味しんしんという様子で皆を見つめている。
「小銃と大砲の在庫は?」
「五千丁と三十門。弾薬は各二百発と百発というところね。すぐにでも船積みできるわ」
「了解しました。それでは、ダーダネルスの封鎖の突破は、打ち合わせ通りに」
「はいはい。じゃ、あたしもタバサとギーシュと一緒に一旦戻るから」
びしっとサムズアップして、キュルケはにやりと笑う。そんな彼女にルイズは溜め息交じりに言った。
「無茶して戻ってこなくてもいいから。それより、荷物を必ず届けてよ」
「わかってるって。なんたって一千万エキューの大取引ですもの。失敗したら破産だわ」
うわ、そりゃすげえ。ルイズとギーシュは、あんぐりと口をあけた。なにしろトリステイン王室の年間歳費が二千万エキュー、ヴァリエール家の総資産額が四千万エキューである。ちなみにグラモン家といえば、ひっくり返してホコリすら叩き出しても、一千万エキューなんて大金は出せはしない。
「すでに同じ数の小銃と大砲は納品しているもの。ええ、たっぷりと稼がせて頂いているわ」
手の平を口に当てて、ほーっほっほっと笑ってみせるキュルケ。さすがのルイズとギーシュも心底羨ましそうにそれを見ているしかできない。
「ルイズ、あんたもせいぜいがんばって生き残りなさいよ。でないと、からかう相手がいなくなってあたしがさびしいんだから」
「ふん! 言われなくたって、生きて魔法学院に帰るもん! 見ていなさいよ、すごい功績を立てて、見返してあげるんだから!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見ていたタバサが、ぽつりと隣のフェイトに向かって呟いた。
「プチ・トロワには?」
「全て報告してください。あとこの手紙を」
「了解」
フェイトは、他の三人には聞こえないようささやき、そっと手の平に隠してタバサの袖口に手紙を入れた。タバサは、視線すら向けずそれを受け取った。
ガリア王国、首都リュティス。
王都を騒がしているアプサンによる騒動は、いまだ収まらないとはいえ、少しづつ騒動の発生件数は減りつつあった。とはいえ、酔っ払いの数が減ったというわけではない。王立醸造所から供給される各種の香草を発酵させ蒸留したリキュールが、食欲の増進をはかるとか、健康に良いとか、そうした名目で安く大量に供給されるようになり、またアプサンに莫大な税金がかけられるようになって、消費量が格段に減ったためであった。
「というわけで、プチ・トロワの使用人は、すべて入れ換えが完了しました」
「ちゃんと、引きこもりの我侭姫が癇癪を起こしている、という噂は流し続けられるね?」
ウォルシンガム卿の報告に、窓際に立ってカーテンの隙間から外の光景を見ているイザベラが問いかける。その眼下では、少なくない数の酔っ払いが放吟し、ふらふらと歩き回っている。
今イザベラがいるのは、旧市街にある館であった。最近では、プチ・トロワには影武者を置き、もっぱらこの館で北花壇騎士団の管理を行うようになっている。なにしろ権限が増えたために、さばかねばならない書類の量が格段に増えたのだ。それを管理する建物が、プチ・トロワとは別にどうしても必要となっていた。
ウォルシンガム卿は、相変わらず光を失った冷たい眼で簡潔に答えた。
「その為の入れ換えです」
「確認しただけさ。で、ベルサイテル宮殿の各花壇の維持費の流用先は、判りそうかい?」
「南部都市国家郡の金融商会を経て、ロマリアの金融商会から、アルビオンの貴族派に」
「……そうかい」
イザベラは、それからしばらくの間、沈黙の中で思考を広げた。
王政を打破し、貴族による共和制を敷き、ハルケギニアを統一し、聖地を奪回する。そうしたお題目を掲げ、今やアルビオンのテューダー王家を滅亡一歩直前まで追い込んだ「レコン・キスタ」の連中に、父親のジョゼフが何故莫大な援助を行うのかそれが判らない。実際、トリステインやゲルマニアの貴族の少なくない数が「レコン・キスタ」に密かに参加していると、ウォルシンガム卿から報告が上がってきている。
幸いガリアにおいては、その独特な貴族の気風もあってほとんど「レコン・キスタ」の浸透は見られないが、この先どう動くかまでは判らない。
イザベラは、執務机に戻ると、その上に山積みとなっている書類綴りの一冊を引き出した。
それは、ここ数年の間、議会が承認してきた王政府財政の予算と決算であった。
実はイザベラが、ベルサイテル宮殿にある膨大な数の花壇の維持費が何かに流用されているのに気がついたのは、この予算書と決算書をひたすら読み込んだ結果であった。
最初は、父ジョゼフがどうやって王政府に政務を丸投げしたまま、道楽にうつつを抜かしていられるのか、それを調べることから始まったことであった。
そして気がついたのは、要所要所に任じられている貴族が、ことごとく有能ではないものの無能ではなく、そして父ジョゼフに絶対の忠誠を誓っている人間達であることであった。
宰相以下、尚書らは、政策構想能力こそないものの、実務を執り行う能力は有しているものばかりであり、大まかな政策方針の枠組みさえ示されれば、それにそってそれぞれの担当をこなせる者達ばかりである。
議会を構成する議員達も、普段は自分の党派の利権のために権謀術数にあけくれているもの、ジョゼフにとって必要な法案については、何故か党議拘束を外してほとんど全会一致で可決している。特に王政府の予算と決算については、まるで審議する事自体必要無いといわんばかりにあっという間に可決してしまう。
つまり表舞台の政治の場には、一切ジョゼフの存在は現れないように細心の注意が払われているのだ。
「上手いもんだ。はたから見れば、部下に政務を丸投げして道楽にうつつを抜かしているようにしか見えないようになってる」
「はい」
「おかげで、誰も予算の流用には気がつかない。そりゃ、まともに予算も決算も審議しないんじゃ、気がつきようもありはしないけれどね」
心から感心した様子で、イザベラは、書類綴りをとじると机の上に放り投げた。そして大きくため息をつく。
「あたしがちまちまと酒の売り上げをかすめて小金を溜め込んでいる間に、父上は膨大な裏金を自由に使う事ができる」
そして、視線をウォルシンガム卿に向け、すっと眼を細めた。
「お前が眠らせておいた「組織」の維持費は、あたしの「小遣い」で足りるかい?」
「ぎりぎりですな。少なくとも、何か具体的な行動をお望みならば、今の倍は頂きませんと」
「もうちょっと待ちな。なんとかして、稼ぎネタを考えるから」
もう一度、イザベラは大きなため息をついた。いかな北花壇騎士団の団長とはいえ、金を稼ぐというのは中々上手くいくものではない。そんな簡単に金を稼ぐ方法があるならば、この世の中金持ちだらけになっているはずである。
結局、また彼女に借りを作るしかないか。
イザベラは、自ら「師」と仰いでいる、しかし心を許したわけではない女の顔を思い浮かべた。ガリア全土に膨大な量のアルコールを売りさばき、巨億の富を稼いでいる女、フェイト。彼女の顔を思い浮かべるたびに、ふつふつと内心にどす黒い欲望がわき上がってくる。そして、彼女に借りを作るたびに、屈辱に身が打ち震え、全身が熱くなる。
両手で執務机をつかみ、奥歯を噛み締めて震えを押さえ込もうとしている最中であった。
「北花壇騎士七号がプチ・トロワに戻ったそうです」
ウォルシンガム卿の抑揚の無い声に、イザベラは、ようやく「師」への執着から解き放たれた。
タバサは、いつもならば何がしかの嫌がらせを受けてからイザベラに面会することになるのに、それが無いことに落ち着かないものを感じていた。自分の直属上官が、どんな理由があって自分に色々と嫌がらせをするのか、その理由は理解しているつもりである。それだけに、その嫌がらせがないということは、イザベラに何か変化が起きたということに他ならない。
事実イザベラは、私室で待っていたタバサのところに現れると、嫌味や当てこすりすら口にせず、用件を促したのだ。
「手紙を預かった」
イザベラの前にフェイトから預かった手紙を差し出すと、王女は何も言わずそれを受け取り、中身を読み始める。そして最後まで読み終わると、きりきりと奥歯を噛み鳴らし、少なくとも淑女には相応しくない罵倒を繰り返した。アバズレだのクソッたれだの魔女のババァだの。
「で、あの女は他には何か言っていたかい?」
「アルビオン王党派軍に参加し、貴族派軍に対して積極的に攻勢に出つつ、ダーダネルスまで後退する、と」
「……………」
イザベラは黙り込むと、じっと手紙に視線を向けたまま、何事か考えている。そして、黙って席を立つと、机の引き出しから地図の山を取り出した。その中から、アルビオンの地図を何枚か引っ張り出す。そして、地図を眺めつつ、何事か口の中で呟き続ける。
「……そうか、だが、そんな真似が本当にできるのかい?」
それは、タバサに聞かせる言葉ではなかった。あくまで自分の思考の結果が信じられないがゆえに漏れた言葉であった。
そして、しばらく沈思黙考すると、タバサに向かって顔を上げた。
「あの女に伝言だ。助言に心から感謝している、と、伝えろ。あと、父上がアルビオンの貴族派に援助している裏がとれた、と」
そして、きっちりと油紙で包まれ、封がされた小包をタバサの前に放る。
「こいつを渡しな。今回の助言については、これで貸し借り無しとも伝えろ」
「了解」
アルビオンの反乱軍、自らは「レコン・キスタ」と称している貴族達の軍勢が、ケアンズから出撃したのは、フェイト達が動き始めてから三日後であった。それぞれ一万五千の軍団に分かれ、東、南、西の三方向から街道沿いにエッジヒルの街に向けて進軍する。そして五千の部隊が本陣であるケアンズに総予備として後置されていた。
これらの軍団は、丸一日かけてエッジヒルの手前五リーグほどで合流し、その後街を包囲する手はずとなっている。たとえ王党派軍が出撃してきても、それぞれの軍団が二倍からの数を有している以上、まず負けるとは考えられなかったし、時間が経てば残りの軍団が応援に駆けつける事になる。
まさに大軍らしく正面から物量で押しつぶす必勝の作戦であった。
それらの軍団のうち、南側のケアンズからエッジヒルまでほぼまっすぐに伸びる街道を進軍中の軍団の先遣部隊である騎兵連隊が、朝方森の中を通る街道を進んでいる時であった。
聞いた事の無い鋭い銃声とともに、先頭を行く中隊の中隊長が頭部を撃ち抜かれて落馬する。慌てて残りの中隊全員が全周警戒に入り、残りの貴族士官が杖を振って防御魔法を唱えようとする。だが、杖を振りかざした順に士官達は次々と頭部を撃ち抜かれ、兜の隙間から血を撒き散らしながら落馬していく。その衝撃に多数の馬がパニックを起こし、中隊は大混乱に陥ってしまった。そして、さらに数人の下士官兵が射殺され、落馬してゆく。
見えない敵の射撃が途絶えた頃には、中隊の全員が下馬し、地面に伏せていた。なにしろ銃声の聞こえた方向は判っても、発射煙も見えなければ、それらしい射手の影も形も見えないのだ。誰しも反撃も出来ないのに、見えない敵の銃口にその身をさらしたいわけがない。
彼らは、後続の騎兵連隊主力が到着するまで、ずっと地面に伏せ続けていた。
後続の騎兵連隊主力は、前方で響いた銃声に、一斉に戦闘態勢に入った。貴族士官らは杖を抜いて呪文を用意し、下士官兵は槍を抱えて突撃の準備に入る。
と、連隊の先頭付近にいた、連隊長が左胸から血を吹き出しながら落馬した。その一瞬後に聞こえる銃声。慌てて「風」の防御魔法である「エア・シールド」を何人かの士官が唱えるが、連隊全体を覆う前に、さらに二人の貴族士官が胸や頭を撃ち抜かれて落馬する。続いて残った貴族士官が探知魔法を唱えるが、森の中ではろくに視線も通らず射手の姿は見つからない。
数騎の騎兵が、後方の軍団主力へと伝令のために走り去ろうとするが、次々と背後から心臓や頭部を撃ち抜かれて落馬する。乗り手を失った馬がパニックを起こし、連隊の残りの馬達にも、それはすぐに伝わった。振り落とされ落馬する者、そのまま森に駆け込み射殺される者、街道をまっすぐ駆け抜ける者、もう完全に騎兵連隊は部隊としての統制を失っていた。
連隊がなんとか部隊としての統制を取り戻した時には、すぐ背後まで軍団主力の歩兵が近づいてきていた。
軍団長のエセックス伯は、比較的早くに貴族派軍に身を投じた将軍である。「レコン・キスタ」の理想に共鳴した、というよりは、元々王弟モード大公の覚えがよかったせいもあって、モード大公が兄のジェームズ国王に討伐されて後、僻地へと左遷されていたがためであった。
エセックス伯は、前方の斥候部隊が大混乱に陥っている旨、報告を受けると、すぐに王党派軍から鹵獲した新式小銃を装備した銃兵連隊を前方の森へ向けて前進させた。
この新式小銃は、銃身内にライフリングが刻んであり、しかも弾丸は椎の実型で、雷管によって装薬に着火する機構となっている。弾丸は、発射時に底部に掘られたくぼみに蓋が食い込み、ライフリングに弾丸の後ろ半分が食い込む様になっており、これまでの火縄や火打ち石で着火し、丸い鉛弾を発射する滑腔式小銃に比べて、有効射程で四倍、出弾率は倍、発射速度はほとんど変わらないか少し速いくらいと、大幅に火力が向上していた。
貴族派軍がレキシントンの会戦で王党派軍に対して数で勝りながらも、ほぼ同数の損害を出したのは、この新式小銃が五千丁も王党派軍に配備されていたためであった。その長射程と命中精度のため、貴族派軍のマスケット銃兵や長槍兵は、敵歩兵に接敵する前にばたばたとなぎ倒され、多数の貴族士官が魔法防御をもって弾雨から歩兵部隊を護り、多数の騎兵を損害を無視して突撃させる事によって、ようやく王党派軍の戦列を崩す事ができたのである。
この新式小銃は、ゲルマニアのゲベール工房が生産していたことから、両軍ともにゲベール銃と呼んでいた。そしてエセックス伯の軍団は、このゲベール銃を約五百丁装備していたのであった。
ゲベール銃装備の銃兵連隊が、横陣を組んで銃剣を並べ、前進してゆく。この銃剣も、ゲベール銃で初めて装備されるようになった新兵器であり、これによって銃兵は長槍兵によって敵の近接突撃から護られなくても済むようになったのであった。それどころか、自らの射撃で敵の横列が崩れれば、即座に突撃を行い、戦果を拡大できるようにもなったのである。
攻防揃って強大な威力を発揮できるゲベール銃装備の部隊は、まさしく両軍ともに精鋭歩兵としてあらゆる場面で活躍することになる。
なるはずであった。
銃兵連隊が森にさしかかった時、軍団の右斜め後方から鋭い銃声が響き、エセックス伯の口腔から血が吹き出し、またがっていた馬から地面へと落下する。
慌てて護衛の貴族士官が防御魔法を唱えるが、その詠唱のわずか十秒の間に、さらに三人の貴族士官が頭蓋を兜ごと撃ち抜かれ落馬した。残りの幕僚らは、恐怖のあまり自ら馬から飛び降り、少しでも背を低くしようと地面に這いつくばる。
そしてその姿を見た軍団の兵達は、一斉にパニックを起こし、隊列を乱して地面に同じように這いつくばった。もはや軍団は、部隊としての統制を完全に失い、ひたすら姿の見えない敵からの射撃を恐れて地面に張り付く怯えた人間の群れと化してしまっていた。
軍団が、なんとか残余の指揮官らによって統制を回復し、部隊としてのまとまりを取り戻したのは、その日の午後も遅くになってからであった。
東側の街道を進んでいる貴族派軍の軍団指揮官は、アイアトン伯である。レキシントンの会戦で騎兵隊指揮官をつとめ、王党派軍の戦列を突破するのに功のあった猛将であった。彼は、騎兵を中隊単位で扇状に散開させて軍団の前衛として前進させ、王党派軍の奇襲に備えつつエッジヒルへと前進していた。
アイアトン伯が「レコン・キスタ」に参加したのは、レキシントンの会戦で戦死した王党派軍の司令官であったカンバーランド侯と仲が悪かったせいである。互いに自らこそがアルビオン軍では最も騎兵部隊運用の名手であると自負しており、事あるごとに衝突していたのであった。結果として、カンバーランド侯が王党派軍の司令官に任じられたことにより、自ら進んで「レコン・キスタ」軍に参加したのである。
そのアイアトン伯としては、できる事ならば指揮下の軍団を早足で行軍させ、王党派軍の先手をとってエッジヒルの街を包囲したいと考えていた。だが、王党派軍にはまだ二千丁以上のゲベール銃が残っており、わずか八千と自ら率いている軍団の半分に減ったとはいえ、火力の面では決して侮りがたい戦力を保有していることも理解していた。そのため、貴族派軍総司令官であるホーキンス将軍が立案した作戦である分進合撃案に反対することなく、諸兵科連合の軍団を率いて街道を前進していたのであった。
そして、前衛として展開していた各騎兵中隊が王党派軍と接触したのは、昼直前であった。なだらかな傾斜の続く草原に差し掛かったあたりで、各騎兵中隊は地面に穴を掘って隠れていたマスケット銃兵の至近からの一斉射撃によってかなりの損害を出し、一時後退して再編成する事となった。
この報告を受けたアイアトン伯は、ただちに軍団を行軍隊形から戦闘隊形に移行させた。そして、まずは先鋒としてマスケット銃兵と長槍兵の混成部隊の横隊四千名を前進させ、隠れている敵を引きずり出そうとした。
まずは「火」の系統の貴族士官が「ファイア・ボール」などの炎上魔法を唱えて草原を焼き払い、視界をさえぎる障害物を排除する。そして、軽騎兵が射撃を受けたあたりまで混成部隊が前進すると、王党派軍のマスケット銃兵が、一斉に地面に深くジグザグに横方向に掘られた穴の中から立ち上がり、斉射を行ってくる。最初の一撃を敵に許したことで部隊の一部に混乱が発生するが、すぐに貴族士官が唱えた防御魔法によって王党派軍の発射する銃弾のかなりの数が無力化され、混乱した部隊は統制を取り戻し、横隊射撃を繰り返しつつ、敵陣地に向けて前進を再開した。
そして、王党派軍の陣地の手前五〇メートにまで近づいたところで、混成部隊のマスケット銃兵は停止し、その場でひたすら速射に移り、長槍兵部隊が駆け足で突撃に移行する。
と、長槍兵部隊が敵の陣地直前まで迫ったときであった。最前列の兵士らが何かに足をひっかけ転んでしまう。突撃を行っている長槍兵達が次々と何かに足をひっかけ、その場で止まってしまう。長槍兵部隊は、なんと地面に無数に打ち込まれた杭と、その間に張り巡らされた針金に足を取られてしまっていたのだ。
長槍兵部隊の貴族士官らが、慌てて「錬金」の魔法で障害物を排除しようとするが、次々と王党派軍のマスケット銃兵の斉射が浴びせかけられ、長槍兵達はばたばたとなぎ倒されてゆく。後方のマスケット銃兵部隊の貴族士官が、王党派軍の陣地に向けて攻撃魔法を打ち込むが、なにしろ前方の長槍兵部隊が視線をさえぎるのと、王党派軍のマスケット銃兵が一斉射ごとに陣地内に引きこもって装弾するので、中々効果を発揮できない。
アイアトン伯は、これ以上の損害は不可として、混成部隊に後退命令を下した。混成部隊は約一千名の死傷者を出しており、これ以上の戦闘は無理と判断したのである。
そして、布陣の終わった砲兵部隊に、混成部隊の後退と同時に射撃命令を下す。また、後続部隊の貴族士官らに、敵陣のあるあたりに「火」の攻撃魔法を打ち込ませ、その間に「土」の魔法で針金の障害物を排除するよう命令を下した。王党派軍の陣地は火炎に覆われ、次々と撃ち込まれる砲弾や散弾に、追撃どころか頭を上げることさえできない有様であった。
その間に、マスケット銃兵と長槍兵の混成部隊の第二陣五千名が前進を開始し、砲撃と魔法攻撃が止むと同時に早足で王党派軍の陣地へと前進する。すでに足を止める針金の障害物は無く、一気に敵陣地内に突入できるはずであった。
と、火の魔法で焼き払われ、赤茶けた土が露出した地面を五千の兵士らが横隊で進んでいるところに、王党派軍陣地の後方、傾斜部の中央付近から一斉に白煙と銃声があがる。貴族派軍第二陣は、左右斜め前方から降り注ぐゲベール銃の椎の実型の銃弾によって射すくめられ、混乱状態に陥った。貴族士官らが張った魔法の防御壁は、前方からの射撃を想定して張られており、斜め前方から撃たれることは想定していなかったのである。しかも、傾斜部の中央までは約二百メートはあり、ほとんどの魔法攻撃の射程外でもあった。
アイアトン伯は、一旦中止させた砲撃を再開させ、傾斜部中央付近の白煙を目標に王党派軍の陣地を一つ一つ潰させようとした。
だが砲兵が射撃を再開しようとしたところで、今度は傾斜部上部から大砲ならではの轟音と白煙とともに、多数の砲弾が砲兵陣地に降りそそいだ。貴族派軍砲兵も対抗して砲撃を行おうとするが、何しろ敵の砲兵陣地は高地の上にあり、しかもほとんど射程ぎりぎりである事もあって、中々命中弾を出す事ができない。さらには王党派軍の砲兵は、アルゴー商会から購入した新式の野砲を装備しており、発射速度も射程も、貴族派軍の砲兵のそれを圧倒していたのである。
このゲベール銃を生産しているのと同じゲベール工房で生産されている新型野砲は、貴族派軍が主力としている青銅製の六ポンドや十七ポンドの野砲を上回る、二十ポンドの砲弾を発射可能な鋼鉄製の砲であった。しかも、砲脚の中にスプリングが仕込まれており、砲身が据えられている砲架が発射時の反動を受けて砲脚の上を滑って後退するのを受け止め、反動を吸収すると砲架を元の位置に戻す、という機構になっているのであった。さらに、砲身は靭性を重視した内筒と、剛性を重視した外筒とを焼き固めしたものであり、装薬の燃焼時の筒内圧力に応じて砲尾から三重、二重、と、外筒がはめられている。そして、砲尾はネジ式の閉鎖方式となっており、わざわざ砲口から装薬と砲弾を装填しなくても、砲尾から装填が可能という非常に優れた操作性を持っていたのであった。
王党派軍砲兵隊は、一発発射ごとにネジ式の砲尾をぐるぐると回して外し、砲身内を濡れた布を巻いた索杖で清掃すると、砲弾と装薬を装填し、砲尾のねじ山にたっぷりとガス漏れ防止のグリースを塗りつけてから、ぐるぐると回して閉じる。最後に、貴族士官が火口から中に発火の魔法を唱え、装薬に点火し発射する。そして轟音とともに砲身と砲架が後退し、地面に打ち込まれた砲脚の駐鍬がスプリングが受け止めきれなかった反動を受け止め、若干砲身が跳ね上がる。そして元の位置に戻った砲身の砲尾を砲手がぐるぐると回して開く。
王党派軍のゲベール砲の発射速度は、貴族派軍砲兵隊の青銅製の野砲の二倍にも達し、射程も五割増しという強力なものであった。
次々と降り注ぐ王党派軍の銃弾と砲弾とに、貴族派軍砲兵隊と第二派部隊は文字通りばたばたとなぎ倒されていくばかりであった。しかも反撃しようにも、王党派軍は土中に掘った隠蔽陣地の中から射撃してくるばかりで、中々その位置を把握できない。
アイアトン伯は、第二派部隊の後退を命じ、第三派、切り札であるゲベール銃を装備した部隊を殿軍として、その支援の元、全軍に後退命令を下そうとした。
その瞬間であった。飛来した口径八ミリの炭素鋼弾芯の徹甲弾がアイアトン伯の兜後部に命中して貫通し、延髄部分を破砕しつつ頭蓋内部で横転する。そのまま、脳髄を破壊しつつ口腔から抜け、兜の顔面覆いに当たってまた口腔内にはじき戻された。
馬上で指揮をとり続けていたアイアトン伯が、後退命令を出さぬまま戦死し、さらには司令部幕僚が次々と後部から飛来する銃弾に脳髄を破砕され続けたため、指揮系統の麻痺したまま第二派部隊と砲兵隊は兵士と士官の過半を失い、士気を喪失して壊走するまで戦闘を続行する羽目となった。
壊走し始めた第二派部隊は、第三派部隊三千を巻き込み、再編成中の第一陣や騎兵部隊も混乱させ、進撃してきた街道を一路ケアンズへと向けて逃げ出す事となった。
結局、王党派軍の追撃によってさらに損害を重ね、故アイアトン伯の軍団は全ての砲と兵士の半数を失ってケアンズまで後退したのである。
ケアンズからエッジヒルまで、東側から回り込むような形で通る街道を進むフェアファックス伯の軍団が、予定の集結地点に到着したのは、その日の夕刻であった。周囲に放った騎兵斥候は敵影を発見できず、そのまま予定時刻になっても到着しない味方部隊を待ち続ける羽目となった。フェアファックス伯は、宿営地を設定する様命令を下すと、連絡将校をエセックス伯とアイアトン伯の軍団へ向けて送った。
そのまま何事も無いまま夜半に至り、ようやくエセックス伯の軍団が到着したのである。
軍団は、まさしく惨憺たる有様で、士気は落ち、隊列も乱れがちで、少なくない脱走兵を出していた。ただでさえ各軍団は、この数週間で集まった勝ち馬に乗ろうという傭兵が大半で編成されている。軍団長以下、少なくない数の幕僚を失い、旅団長の一人が臨時に司令官代理を務めてようやく軍団としての体をなしている部隊とあっては、早々に士気を失った傭兵が逃げ出すのも致し方無いと言えた。
さらに、アイアトン伯の軍団へと送った連絡将校が戻り、持ってきた報告は、フェアファックス伯を愕然とさせる内容であった。
アイアトン伯とその幕僚団は、ほぼ全員が戦死し、軍団も半数にまで損耗してしまったという。とりあえず総司令官のホーキンス将軍直率の部隊に編入し、再編成を終えてからケアンズを出発するという。そして、ホーキンス将軍の命令は、故エセックス伯の軍団を編入した上で、エッジヒルの街を包囲せよ、という内容であった。
結局フェアファックス伯は、次の日丸一日を軍を再編するのに費やし、しかる後に三万の軍を率いてエッジヒルの街の郊外に布陣したのである。
そしてその頃には、王党派軍はエッジヒルの街を放棄し、北方へと下がってしまった後であった。
さて、エッジヒル西方でアイアトン伯の軍団を撃破したアストレイ将軍率いる王党派軍は、約数百名の損害で一旦エッジヒルの街へと帰還し、街に集積してあった物資の残余とともに、北方五〇リーグにあるアドウォルンの街の南方に移動し布陣していた。
まさかの勝利に王党派軍は沸き、一転して兵士達の士気は高まっていた。全員が戦死を覚悟しての戦いのはずであったのが、まるで奇跡のような逆転勝利となったのである。これで兵士の士気が高まらないわけがない。
そうした勝利に沸く王党派軍の中で、勲功を挙げた者に対して国王自らが勲章と感状を授けていた。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。貴官はエッジヒルの会戦において、その強烈無比な攻撃魔法により、後退する敵軍の殿軍に多大なる打撃を与え、その士気をくじき、壊走せしめ、我が軍の勝利に多大なる貢献をなせり。その武勲顕著なるによって、ここに戦功十字勲章及び感状を授与するものである。アルビオン王国国王ジェームズ・テューダー」
アドウォルンの市庁舎を接収して設営された王党派軍総司令部において、ルイズは、最初に勲章と感状を授与されるという名誉に預かっていた。なにしろ、殿軍を務めていた貴族派軍のゲベール銃装備の精鋭歩兵部隊に対し、フェイトの作ってくれた迷彩スーツを着て匍匐しつつ接近し、得意の爆発魔法を連射して半分以上も爆殺してのけたのである。おかげで、王党派軍のマスケット銃兵と長槍兵は、ゲベール銃の猛射をほとんど受けずに後退するアイアトン伯の軍団に突撃を行うことができたのだ。敵がこうむった損害の過半はこの追撃戦において与えられたものであり、その事からもルイズの挙げた戦功は、王党派軍全軍に布告されるに足るとジェームズ国王もアストレイ将軍も判断したのであった。
というわけでルイズは、裏切り者を連れ込んだ愚か者、という扱いから一転して、まさしく王党派軍の切り札とでも言うべき立場にのし上がったのであった。
だがルイズは、喜びに沸く王党派軍の空気をどうしても共有することができないでいた。
「ねえ、フェイト。あんたは人を殺す時、何を感じるの?」
夜、特別に市庁舎に一室を与えられたルイズは、濡れたタオルで全身の汗や汚れをぬぐいながら、傍らに控えているフェイトにそうたずねた。ワルドに受けた傷は、「水」の秘薬をふんだんに使った治療を受けたおかげもあって、もうすっかり消えて見えなくなってしまっている。
ルイズは、日中の戦闘のことを思い出すと、すぐにでも手が震え、怖くて怖くてたまらなくなる。まして、自分の魔法で爆散する人体を見続けさせられたことで、何か心の大事な部分が壊れてしまったような気すらしていたのであった。
「お嬢様、優れた兵士であるために必要な技能として、忘れる、というものがあります」
そんなルイズに、フェイトは、優しく背中をぬぐいながら答える。
「私も、この戦闘で数十人の敵兵を殺しました。思い出そうと思えば、その一つ一つを思い出せます。ですが、それをすれば心が壊れます」
そう、フェイトは、エセックス伯とアイアトン伯、そしてその幕僚団の過半を事実上一人で殺したのだ。徹底して遠距離からの狙撃のためだけに作られた「バルディッシュ」と、迷彩服と、そして鍛え挙げられた技術によって。
彼女は、夜間に敵の進撃路上に龍騎士を使って空中を移動し、降下して後、多数の狙撃陣地を構築し、それを利用して日中行軍するエセックス伯を狙撃したのである。さらに、一旦森の奥へと後退して待機していた龍騎士と合流し、アストレイ伯と交戦中のアイアトン伯の軍団後方に降り立ったのである。あとは、機会を見て狙撃を繰り返したのであった。
さらに、アストレイ伯率いる王党派軍が行った隠蔽陣地構築と、針金を使った障害物の組み合わせによる野戦築城戦術を提案したのも、フェイトであった。まさしくこの勝利は、フェイトのものであったのである。
本来ならば、フェイトこそが最初に勲章を授与され、感状を受け取るべきなのであった。だが彼女は、あえて自らの存在を秘匿し、敵に対する切り札とすべきであるとジェームズ国王とアストレイ将軍に申し入れ、その勲功を隠すことを選んだのであった。
「引き金を引くとき、何も考えてはいけません。ただ仕事をすると思い込むのです。そうでなければ、心が壊れます」
「わたし、怖い」
フェイトは、ルイズの全身をぬぐい終わると、服を着せ、そっと優しく抱きしめた。そして、その桃色がかった金髪をやさしく撫でながら、耳元にささやいた。
「私がおそばにおります」
フェイトは、その豊かな胸にルイズの頭をうずめさせる。
ルイズは、フェイトの心臓の鼓動を感じて、少しだけ安心することができた。
「生きて魔法学院に帰るわ」
ルイズは、それだけが自分を護ってくれる呪文のように、なんどもフェイトの胸の中で繰り返した。
エッジヒルに布陣した貴族派軍の総司令部で、次の作戦についての会議が開かれていた。
上座に座るのは、緑色のローブとマントの僧服に丸い玉帽をかぶった、三十台半ばの男である。一見して聖職者に見えるが、その雰囲気はむしろ軍人のそれに近い。思いもよらぬ敗戦に、意気消沈している将軍達を前にして、まるで気にもせずに微笑んでいる。
「クロムウェル議長閣下、以上で報告を終わります」
貴族派軍総司令官であるホーキンス将軍が、今回の一連の戦闘に関して、報告を終えたところであった。
「諸卿らの今回の敗北について、余はなんら責めようとは思わない。敵は戦略方針を根本から変更し、意表をつく新戦術を駆使し、このエッジヒルでの決戦を避けて後退したのだ。確かに損害は我が軍の方が大きいが、しかし、撤退したのは敵軍である」
約八千人もの損害を受けたにも関わらず、それをなんでもない風に言ってのけるクロムウェル。
「敵は戦略を変更し、我が軍に土地を明け渡す代わりに損害を強要する、という方針をとった様だ。ならば我が軍は、敵が明け渡してくれる土地を受け取りつつ、損害を最小限に抑える、という方法で戦うまでだ。何か異存はあるかね?」
「いえ、ございません」
将軍達は一斉に頭を下げる。
「議長閣下、よろしいでしょうか?」
席につく若い将軍が、クロムウェルの背後に立つローブをまとった女へと視線を向ける。すっぽりと被ったローブの下からは、わずかにあごと朱の差した唇だけがのぞいている。
「何かね? スキッポン将軍」
「閣下の「切り札」の投入は、いつをお考えなのでしょうか?」
「レキシントンの会戦の様な決戦の時だ」
女は、すっと口の端を歪めて笑みらしきものを浮かべた。
「それでは諸君、次の作戦について討議しようではないか」
会議を終えて退席したクロムウェルは、その足で市庁舎の最上階の一番奥の部屋へと向かった。
そこには、包帯を全身に巻き、右腕の二の腕から先を失ったワルドがベッドに横たわっていた。
クロムウェルが入室してきたのに気がつくと、ワルドはベッドから降りてひざまずこうとする。それを片手で制して、クロムウェルは人懐こい微笑みを浮かべた。
「傷の具合はどうかね? ワルド子爵」
「任務に失敗したあげく、このような醜態をさらし、まことに申し訳なく思っております。閣下」
「いや、ウェールズ皇太子を討ち取っただけでも、十分な功績と言えよう。昨日の会戦の敗北も、彼が無事であったならば、さらに甚大な被害を受けていたであろうしな」
「お言葉、まことにいたみいります」
ベッドに横たわったまま、心底申し訳なさそうな声を出すワルド。
「今我々に必要なものは何か、判るかね? ワルド子爵」
「いえ、閣下の深遠なお考えは、小官には判りかねます」
「結束だよ! そう、鉄の結束だ! 「聖地」を選ばれた貴族によってあの忌まわしきエルフどもから取り戻す! その為には何よりも結束が必要なのだ! だから余は、君のささいな失敗を責めはしない。何故ならば君を信用するからだ。結束に何よりも必要なのは信用だからな」
ゲルマニアの商業港リューネブルグ。その港から数隻の商船が飛び立とうとしている。アルゴー商会が雇った輸送船であった。積荷は、ゲベール銃五千丁とゲベール砲三十門。銃弾十万発と砲弾三千発。そして大量の黒色火薬であった。
「さて、ここまでがあたしの出来る限りね」
キュルケは、その船団を見送りつつ、傍らのタバサに視線を向けた。相変わらずタバサは、何を考えているのか判らない無表情のまま、船団を見つめている。
「しかし、本当に君達もアルビオンに行くのかい?」
トリスタニアの王宮に戻り、アンリエッタの求めた手紙を渡してきたギーシュが、心配そうにキュルケとタバサを見つめる。
アンリエッタの狼狽振りといったら、それはもう見てはいられないものであった。ワルド子爵が裏切ってウェールズを殺したことに始まり、ルイズが戦争に参加したことまで、それはもうおろおろとしっぱなしであったのだ。ギーシュは、そんな彼女に「必ずミス・ヴァリエールを無事に連れ帰ります」と請合い、再度アルビオンに渡る羽目になってしまったのである。
「当然でしょ。ルイズったら、今頃きっと怖くて泣いているに決まっているもの。あたしが行ってからかってやらないと、絶対に立ち直れないわ」
ルイズ本人がいる前では、絶対に口にしない口調と内容で、キュルケが答える。
「まったく、君達も素直じゃないな。僕にとってはそれこそが一番不思議だよ!」
ギーシュが呆れたように頭を振る。
それにキュルケは答えた。
「女ってね、あんたが思っているよりもよっぽど複雑なのよ」