side:露崎仕種
「おはようございます」
シャルロット―――学校ではシャルルにしておこう―――に部屋を襲撃されてから二日経っての月曜日。私はいつも通り学校に登校した。
ただいつも通りというのは表面上の話。中身はシャルルにエンカウントした時の対処をどうしようと内心びくびく状態なのだ。
まあ、下手をすればあのままえっちい展開になってたんだから無理もない話かもしれない。
「おはよう、仕種」
シャルルも表面上はいつも通りだった。自分のコントロールが上手いのだろう、よかった鈴の時ほど確執は長くなさそうだ。
「あ、ああああ、ううううううう……」
と、思った矢先何がスイッチかは知らないが急に紅潮し出す。
……前言撤回。シャルルお前もか。
シャルルのことを除けば教室はいつも通りだった。
他にあるとすれば学年別トーナメントを心待ちにする特有のちょっとした高揚感。
そんな賑やかな雰囲気もラウラが教室に入ってくると霧散してしまった。
一週間経った今でもラウラだけはこのクラスに馴染んでいない。十代女子特有の気難しさがあるのかもしれないが、それよりもラウラの方が狎れ合いだとクラスの輪に入るのを拒んでいる方が大きい。
言葉を発してはいけない重い空気はまさしく冷や水をぶっかけられたかのよう。……なるほど『ドイツの冷や水』とはよく言ったものだ。
実力は軍属とあって非常に基礎能力が高く、その上で織斑先生に指導を受けていたらしくその実力はセシリアや鈴と比べると目を見張るものがある。
おまけに彼女の機体は第三世代のレーゲン型。あの慣性停止能力、通称AICが積まれているのだ。実弾を主力とする私にとって厄介なことこの上ない。
それにしてもアイツの視線がずっと私に注がれているのは気のせいでしょうか。
転入初日以来、一夏を目の敵にしてきたラウラが今ここにきて私に対して何を恨むようなことがあるのでしょうか。
それともアイツはあのことに気付いたのでしょうか。
そんなことを考えていると隣の席の子が話しかけて来た。ラウラがいるからか声を押さえての話声だった。
「ねえ露崎さんって例の噂信じる?」
「噂? 噂って何の話ですか?」
「あれ知らないの? 情報通っぽそうだから一番にキャッチしてると思ったのに」
「情報化社会においてそれは致命的だよ? 死活問題だよ? そんなんじゃ生きていけないよ?」
「仕方ないじゃない。だってほら、露崎さんってば篠ノ之さんやセシリアと違って織斑くんに興味なさそうだし」
中々キツイことを言われてる気がするが気にしない。日頃キツイことを言ってるバチが当たっただけの話だ。しかし言いたい放題ですねあんたたち。
女の子の間では一週間前からこんな噂が一年だけではなく三年まで流れている。
曰く、今度の学園別個人トーナメントで優勝すれば織斑一夏と付き合える……って待て、この話どこかで聞いたことないか? 確か、どこぞのポニーテールが……。
「あ」
ドンピシャリ。あまりに見事に合致しすぎて開いた口が塞がらない。
ねえ、こんな時どういう表情をすればいいと思う?
笑えばいいと思うよ? ……全然、笑えないんですけど。
「ん? 露崎さんどうしたの?」
「い、いえ。何でもないです」
言葉を濁し、動揺を隠す。しかしその裏には激情が渦巻いていた。
し、篠ノ之箒いいいいいいいいいいっ!!
何をどうとち狂えばこんな噂が流布するようになるんですかああああっ!?
こちらが篠ノ之箒の行動に理解に苦しんでいると、となりの女の子は話しかけてくるのだがどこか様子がおかしい。
擬音語ならそわそわといったところか。それとそれはどこか一大決心を伴ったようなそんな感じだった。
「それで、頼みたいことがあるんだけど。もし、露崎さんが優勝したら織斑君と付き合える権利譲ってくれない? お願い!この通り!」
……なるほど、そういうことですか。
自分たちでは専用機持ちと戦っても勝ち目はない。訓練機とは性能は一線を画す上になんてったってこの学園に来てからISの稼働訓練をやってる彼女たちと違って専用機持ちはこの学園に来る前より何かしらの訓練を受けて来たため稼働時間が段違いなのだ。
専用機持ち同士が潰し合えば万に一つチャンスはあるかもしれないがそれでも確率は万分の一。そんな宝くじの一等を当てるような真似が到底出来る筈もない。
しかし、トーナメントで優勝しなければ織斑一夏と付き合うという千載一遇のチャンスを無に帰すことになる。
そこで彼女たちは考えた。
じゃあ、専用機持ちにも勝てる相手を立てることで自分たちの代わりに優勝してもらおうという魂胆なのだ。
そういう意味で私に白羽の矢が立てられた訳だ。実力は一年の中でもトップクラス、専用機持ちにも全勝。
おまけに他の専用機持ちたちと違って一夏に対してあまり恋愛対象として見ていない。彼女たちにとってはあまりに美味しいパイなのだ。
「ああっ! ずるい! あたしにその権利譲ってくれたら三年間、デザートは奢って上げるけどどう!?」
「わたしなら上とのコネクションを使って露崎さんに色々便宜図って上げられるわよ? 卒業後もばっちりサポートよ?」
「私なら今作ってる一シャル本を出来たら一番にあげるからっ! 他にも色々一夏本付けるよ!!」
どれだけ賄賂を積まれたって誰からの誘いも受けるつもりはないんですけど……って最後のは待ちなさい、私にそういう趣味はありません! 一夏のナニとか興味ありませんから!!
とりあえず、これ以上広がらないよう情報統制という抑止をかけよう。
「……その噂、千冬先生も公認なんですか?」
「「「え゛……!?」」」
温暖化、温暖化と騒がれているがここの一角に氷河期が訪れた。
「え? だってそうでしょう? 女の園でたった二人の男子と付き合うってことは必然的にも千冬先生の耳にも入る。向こうが認めてないのにも交際してたら授業も気まずいったらありゃしないですよ?」
もっとも千冬姉千冬姉と日頃言ってる一夏が同年代との恋愛に興味を示すなんてあり得そうもないんですけど。
「そ、それは、ねえ……?」
「どう、だったかなあ……?」
「あ、あははははは……」
「あ、あたし情報のウラ取りに行く……!」
「ま、待ちなさい……! もうすぐ織斑先生のHR始まるのに今出て行くのは自殺行為だって!」
「大丈夫だ、問題ない」
「それは死亡フラグ……って今ホントに出てっちゃ拙いからあああっ!!」
「織斑先生に隠れて育む禁断の愛……。そしていつの間にかデュノアくんとの三角関係……。ジュル、そそるわあ……」
「あんたもなんかおかしいから!? 変態思考は本だけにしなさい!! 現実にそれを持ちこんだら血で血を洗う修羅場に発展するからあああああっ!!」
まさかここで織斑千冬の名前が出るとは思わなかったのだろう、彼女たちの動揺の色は激しかった。指揮系統は一気に崩壊。戦線は維持できずHRが始まり解散となった。
一夏と付き合うということは上手くいけば将来的に千冬先生が義姉になる可能性があるということでもある。
強過ぎる姉なんてうちの沙種で間に合ってる。それに私生活でいい話聞きませんし。姉さんそのことで愚痴ってばかりだったしなあ。
これで噂も広まるのが止まってくれればいいのですが。はあ……。
結果を先に伝えておこう。
うん、無理♪ 無理に決まってるじゃないですか♪
女子の妄想力というのは恐ろしいもので事象を勝手に都合のいいように書き換える能力でもあるのだろうか、織斑先生も公認なのかという確認通達はいつの間にか織斑先生のお墨付きという確定情報として学園中に出回っていた。
女子の情報の伝わる早さを甘く見てましたよ!! それが誤報だとしてもお構いなしに広まるんですから性質が悪いったらありゃしないですけどね!
結果として私が止めようとして流した情報は昼休みになった今も余計に悪い状態で噂は全校に広まりつつあったのだ。
「うあああああ……。ホントに頭が痛い」
「仕種大丈夫?」
顔を覗き込んでくるシャルル。男装をしているとはいえ女だと分かればホントに女にしか見えないのは不思議なものです。
「体調的には何も問題ないです、精神面だけですので。それもこれも噂のせいです。なんで私がこんなにきにしなきゃいけないんですかあ……」
「噂? ああ、一夏がどうとか?」
一夏がどうとかの話はあってもシャルルがどうとかの話はとんと聞かない。
何故に? 会社の娘として嫁ぐには夢が大き過ぎるから皆遠慮してるんでしょうか?
それとも何か神聖化されてるのでしょうか? ん? 遠くでぶるあああああああああああ!!とか、おおおおおおううううるはあああああああああいる!! ちょめちょめああああああああ!!って叫び声が聞こえたのは気のせいだろうか。
「ホントだったら箒が個人別トーナメントで優勝すれば一夏と付き合ってもらうって内容なんですけどねー……」
それがどこでどう間違えたのやら。今や全校中は『個人別トーナメントに優勝すれば織斑一夏と付き合える』と広まっている。
そもそも各学年の優勝者と付き合うのか。三股か、公然と三股が許されるのか。そんな光源氏が許されていいのか。
「ああ。あの時、篠ノ之さんの様子がおかしかったのはそのせいなんだ」
ピシリと私の表情が固まる。ソレッテドーユーコト……?
「シャルル、なにか心当たりでも……?」
「あ、うん。ちょうど一週間前だけど僕が部屋の手続きとかで部屋に帰ったらちょうど帰って行ったんだ。凄いスピードで」
そっか、あの時はそういうことだったんだ、と一人納得しているシャルル。
そんな穏やかな思考のシャルルとは正反対に私の感情の海が一気に荒れた。
ば、ばかやろおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?
どうしてそんなことを廊下でやってるんですか!? 屋上とか裏庭とか体育館裏とか人気のない場所を選びなさいよおおおっ!?
頭ん中は乙女思考全開のくせに行動がそれに伴ってないじゃないですか! 廊下で宣言とか漢らし過ぎるわ!?
それにここはIS学園ですよ!? 乙女の園ですよ!? 噂好きの巣窟なんですよ!?
迂闊にも程があります! それこそこんなこと引き合いに出すのはいけないことなんでしょうけど千冬先生の授業で居眠りかます位に迂闊すぎますよおおっ!?
「う、はあ……」
非常に激しいツッコミの嵐(ただし、頭の中で)を終えた後、溜息が洩れる。
溜息を吐くと幸せが逃げるとかなんとか言うが、一夏関連のことに首を突っ込んでる時点で既に私の幸福のパラメータはガリガリと削られているのだ。実にいい迷惑である。
「だ、大丈夫? 仕種」
「……大丈夫です。幼なじみの行動の軽率さに呆れ返って脱力してるだけです」
まったく、一夏にしても箒にしても迂闊過ぎます。もう少し慎重になるべきです。せめてシャルルくらいには……ってシャルルも似たようなものか。
「それでこれからのことなんですがどうするつもりですか? このまま三年間隠し通せるとは私は到底思えないのですが」
「確かにそれは自身がないかな。だから必要なデータが集まったらお払い箱かな」
確かにそれは政府としては当然の方策だろう。データ収集が済み、シンリ・シュヴァリエとのコネクションが確立すればフランスの黒い部分を知るシャルルは不要となるということを聡いシャルルは理解していた。
だからシャルルは諦観している。これから起こるであろう運命に身を任せ、抗うことなく流され終えていくつもりだろう。
使い捨ての人生もしょうがなかったと諦めれば色々と悟れることもあるだろう。
だから気に入らない。そうやって諦めているのを。悟った気になっているのを。
あるがまま、為すがままを受け入れることも重要だが流されるだけでは運命を勝ち取ることが出来ない。
私自身もあるがまま、為すがままを受け入れざるをえないような生活を送ってきたがその心まではあいつらに捧げたことは一度もなかった。
あいつらの喜ぶことをしようがそれは私との利害が一致したからであって屈服した訳ではない。
あるがままの偽りの安息の終わりを求めていたから、今に繋がっているんだと私は信じている。
だからシャルルにもせめて、一矢くらい報いて欲しかった。あいつらのいいなりのまま、負けたまま終わって欲しくなかった。
「シャルルはそれでいいんですか。そんな終わり方で。そんな決められたレールで」
「良いも悪いもないよ。僕はただその方針に従うだけ。悔しくはあるけど、僕にはそうする以外方法は取れないんだ」
その一言に言いようもない感情が胸を燻る。それは今まで感じたことのない一瞬にして煮えたぎった熱湯のような激情だった。
ああ、きっと鈴も同じ気持ちだったのだろう。こうやって本心ではSOSサインを送り続けているのにそれを見て見ぬ振りをして心を偽られるということはこんなにも見ていてもどかしいものか。
私もこうやって自分の本心を偽って本当を隠してきたのだろう。
『仕方ない』と言い訳して。建前という嘘の仮面を被って。
きっとその気持ちと向き合うのが怖かったんだ。
本当に選びたかった道はどうしようもなく困難で心が折れそうで。どう足掻いたって上手くいく算段なんて見つからなくて。ならばいっそのこと見なかったことにしたくて。
そうやってホントウを偽って、騙して。見たかった世界に蓋をして。
おそらく今の感情は自己嫌悪。自分で自分の醜いところを鏡合わせにされたような錯覚。
でもそれが私の今の姿、真実の姿。助けを求めているのに助けての一言をどうしても言いだせない弱い自分。
本当は好きなのに好きの二文字がこれから起こるかもしれない絶望に押しつぶされて口にすることが出来ない憶病な自分。
あまりに脆くて、か弱くて、どうしようもなく孤独な自分を映し出した姿。
シャルルの中に露崎仕種の弱い部分を投影したのだ。
「僕は短い間だったけど、この学園での生活は楽しかったよ」
「だからそういう話じゃなくて……! なんでそんな終わったような言い方なんですか! なんでもっと出来ることを探さないんですか!」
だからこそ強く思った。諦めて欲しくないと。そんなに簡単に折れないでと。辿り着きたい未来に足掻き進めと。
だからこそキツイ言葉が口を吐いて出る。それは変な期待の裏返しか。単なる弱い自分を見たくない八つ当たりか。当の本人でさえ感情の昂りにより何が正しいのかさえもあやふやだ。
しかし、その芯はぶれることはない。この少女も幸せになるべきだと。もっと普通を謳歌すべきだと。
それが叶わなかった仕種はそう思って止まなかったのだ。
「そもそもこの学校にはですね……」
「デュノア、こんなところにいたのか」
声に振り向くと千冬先生の姿がそこにあった。トレイには食べ終わった食器が乗せられていてこれから返しに行くところだろう。
「放課後、お前とボーデヴィッヒに個人面談がある。場所は会議室でだが、分からなければ山田先生に聞くといい」
「は、はい」
この時期に個人面談とは珍しい。といってもやる人物が人物だから仕方がないか。
相手はフランスとドイツの代表候補生。学園サイドとしても気を遣うところがあるのだろう。
「なんだ露崎、不機嫌そうだな珍しい。喧嘩でもしたのか?」
「そんな、喧嘩にもなってませんよ織斑先生。僕が、僕が悪いんですから」
三人の間に微妙に気まずい空気が流れる。
「そうか、露崎」
「………………はい」
バシンッ!! う、うおおおおお……。な、何故にこのタイミングで出席簿……? 私が悪いのか? とりあえず全部私のせいなのか……!? それで四角い世の中がまあるく収まるのであればいくらでも叩かれ役に……なりたくないなぁ……。
「お前が私のことを引き合いに出したような気がしたのでな」
気がした、という理由で殴らないでください。した、という明確な根拠なしで殴らないでください。疑わしきは罰せずです。
バシンッ!! 読心術とか勘弁してください……。
side:シャルル・デュノア
昼休みの仕種の言葉を思い出す。
『なんでそんな終わったような言い方なんですか! なんでもっと出来ることを探さないんですか!』
嬉しかった。本当に自分のことのように考えてくれていた仕種が嬉しかった。
焦れてあんなキツイ言い方になってしまったけど真に私のことを考えてくれていた。諦めてしまっている自分を叱咤してくれているような―――いや、実際その通りなのだろう、その言葉が私の胸を突かない筈はなかった。
確かに仕種の言う通りだ。私は既に事を諦めていた。
しかし、それも仕方のないことだ。
あまりにどうしようもないほどに事は仕種が考える以上に大き過ぎた。
事の始まりは一年ほど前。
デュノア社で非公式ながら代表候補生をやっていた時に彼は突如と現れた。
元々は別の会社をやっていたという経歴が買われ古参を押しのけて彼はデュノア社の幹部、引いては右腕となる存在になった。
思えば、それが全ての始まりだったのかもしれない。
四月。
彼は私に交渉を持ちかけて来た。
いや、交渉というのもあまりにおこがましい。あれはあまりに唐突であまりに酷い一方通達だった。
『唯一のIS操縦者である織斑一夏のデータ収拾、及びにシンリ・シュヴァリエと接触しフランスへ帰るよう説得を図れ。出来なければシャルロット・デュノアの素性をばらす』
あまりの無茶に眩暈すらした。
時の人である織斑一夏への接触は子供ながらの自分でもその真意は理解出来た。それが如何ほどに貴重なサンプルであるかも。
しかしフランスの稀代の天才、シンリ・シュヴァリエとの接触はどのような意図があるかは理解出来なかったが、それもすぐに理解することになる。
この男、異常なほどに彼女に執着しているのだ。
フランスには彼女のほかにも彼女に劣らない実力を持つ科学者たちは多い。
が、彼は彼女しか認めようとしなかった。
彼女の作りだすISこそが至高。彼女こそがEU最高の頭脳であると是が非でも譲ろうとしなかった。
その妄念は尚も熱を持ち続ける。
そして彼女への思いは形を変えて手段として篭絡せんと策を張り巡らせる。
取られた策はハイリスク・ハイリターン。勝った時の配当は大きいがその倍率はあまりに高すぎる賭け。
おまけに私への見返りなどそんなもの最初からアリはしない。全ては勝っても負けても親の総取り。
その親というのがフランスではなく、彼個人というところに嫌らしさを覚える。
だが私は彼の命令に乗らざるを得なかった。
彼の取った人質はデュノア社の全社員の生活。
彼の言い分を呑まなければ、何万という人間が路頭に迷うことになる。見捨てるにはあまりに数が多過ぎたのだ。
いや、そもそも人質を取られた時点で私という人間は『見捨てる』という選択肢を選べないのだ。
故に、縦に頷く以外に私に道はなかった。
だってそうだろう。我が身一つと何万の生活。天秤にかけずともどちらが重いかは明白である。
愛人の子であるという負い目のある私にとってそれが唯一の救いの道であり、唯一の親孝行であると彼は私に吹き込んだ。
私の心が揺れたのは言うまでもない。
きっとそれすらも彼は計算の内だったのだろうか。
我が身ひとつを犠牲にすることで何万を救えるのなら、きっと差し出すだろうと。
そんな心の隙間を縫うように彼の甘い言葉は私の揺れた天秤を大きく傾けた。
そして、その命令を受け私はこの学園に来た。
仕種の言葉は確かに嬉しかった―――しかしだからといって反抗したところで状況は好転しない。
それも私にとっては過ぎた願い。心配してもらって引き返せるような場所に私はもう立っていないのだ。
だから進むしかない。足掻くことは許されない。その先が泥沼でも、真っ暗闇でも、救いがなくても。茨の道を行く他に道はないのだ。
そうしなければ私の守りたかったものは、デュノアの名はきっと―――。
「――――――ぁ」
気が付けば授業は終わっていた。
授業の終わりを告げるチャイムが教室に鳴り響く。
授業が山田先生であることと席があまり前の方でないことが幸いした。上の空であったことに気付かれずに授業を終えていた。
嫌なことを思い出していたせいか全然、授業内容が頭に入ってなかった。
織斑先生ならばそんな状態の私に出席簿の一発や二発、軽く飛んで来ただろう。むしろ、今の私にとってはそっちの方が良かったのかもしれない。
「シャルル、今日も練習付き合ってくれよ。こないだの凄い分かりやすかったからさ」
そして一夏はいつものように話しかけてくる。いつもなら嬉しい筈のそれが今回ばかりは胸に刺さる。
仕種の方を見ると仕種は授業が終わるとこちらを見向きもせずに教室を後にする。
(仕種……)
やっぱり怒っているんだろうか。次に会ったら絶交とか言い出すんじゃないだろうか。様々な疑念や不安が次々と湧いてくる。
かといってずっとは気にしていられない。この後に個人面談が控えている。場所は以前に確認したからきっと分かる筈だ。
「ごめん一夏。今日、個人面談があるから練習には参加出来ないよ」
「あ、そうなのか。じゃあ、終わって時間があれば参加してくれよな。第三アリーナで待ってるから」
「うん。時間があれば、ね」
曖昧に返事を返す。そんな自分の弱さに少しだけ自己嫌悪。
「一夏! 何をしている! 置いて行くぞ!」
「いつまでレディを待たせるつもりですの? 時間というのは有限ですのよ?」
教室の入り口で篠ノ之さんとオルコットさんが急かす。
「っと箒とセシリアが呼んでるから俺も行くな」
「うん、頑張ってね」
「おう」
そう言って一夏たちはアリーナへ向かって行った。
とはいうものの今日は訓練をするような気分じゃない。
だから今日は早く面談を終わらせて、早めにシャワーを浴びて、早めに寝てしまおう。
そう指針が決まると、身体は楽に動き出し教室を後にした。
「デュノアです」
「入れ」
二つノックをした後、会議室から厳かな声が返ってくる。
会議室内は予想していた通り味気のない部屋だった。長机を並べて囲まれた大きな死角は大人たちがいかにも仕事をしてそうな空間だ。
「まあ、適当な場所に座れ」
「はい、失礼します」
織斑先生に促され席に着く。
しかし、こうやってブリュンヒルデと面と向かって一対一で話すなんて珍しい体験をしてるのかもしれない。
「さて、今日で転入して来てから一週間が経つが学校の方には慣れたか?」
「はい。周りにはよくしてもらってますし」
「よくしてもらって、か。お前の周りにお節介は多いし心配は無用だったな」
仕種も一夏もお節介だと言ってるようなものだ。
しかし、その仕種を怒らせてしまった。
「授業態度についても特に問題はないな。二カ月も先に来ている織斑に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ」
その後も続く取りとめもない会話、談笑。
このまま、何もなく終わって欲しいのだが―――。
「最後にデュノア、お前についてだが」
そうも問屋が卸さない。
織斑先生がこんな他愛ないことを話すために呼び出したりはしない。
少なくとも、何かしらの明確な目的があってここに呼び出されている。そうでない筈がないのだ。
「何が目的だ?」
その言葉に世界は絶対零度の世界に突入する。
世界を切り離されたかのように感覚が痛いほどに鋭敏になる。
織斑先生がすっと細めた目は怯えに満ちた私の心を射抜くかのように、端整な顔立ちから放たれる威光は私の弱い心を捉えて放さない。
まるで狩人たる鷹の如く、いつでも弱者である私を狩らんとする目に心底震えた。
「な、何のことですか……? ぼ、僕はフランスの代表候補生に選ばれて、それで……」
しどろもどろに言い訳を紡ぐ。そのちぐはぐな言葉を一体誰が信じられようか。
しかし私はそう言うしかなかった。否、それしか言えなかった。
各国が世界唯一のIS操縦者である織斑一夏のデータサンンプルを欲しがる中、フランスはその情報を特に欲していた。
何せ未だ第三世代の開発に着手出来ていない上にあんなことが発覚したのだからその分を取り戻そうと躍起になるのも仕方がない話かもしれない。
だからといって他人事では済ませられない。その役回りが不幸なことに自分に回ってきたのだ。
「ふむ。お前がそう主張するのならばそれで構わん。プライバシーの問題である以上、私も深く詮索出来ないしな」
含みの持った言い方。ここで見逃してくれればどれほど楽な話か。
しかし、織斑千冬からは逃げられはしない。
「だが、お前が男にしては些か筋肉の付き方がひ弱だな。そんな軟弱な男子がこれから三年間大丈夫か?」
シャルロットはこの時点で悟った。自分が性別を偽っていることがばれていると。
IS学園の生徒では細身の男子として通っているのだろう。それこそフランスから来た貴公子と周りが騒ぎ立てるほどに。
しかし、彼女の目は違った。いや、視点が違ったと言えばいいのだろうか。
中性的なシャルルが女であるかを真っ先に疑った。
確かに一夏と比べれば線も細いし、筋肉も男子として見ればかなり少ない。下手をすれば女子と間違えられるレベルだ。……事実、女子なのだからそれは仕方のないことなのかもしれないが。
以前の事件の影響があるからなのか。それとも情報の裏が取れているのか。はたまた勘というものなのか。
どの道、織斑千冬に既にばれているという一点の事実は変わりはしない。
「……僕は、どうしたらいいんでしょうか?」
最後まで白を切り通せばいいものを、気付けばそんなことを口にしていた。
簡単な話だ。私は観念して逃げるということを諦めたのだ。
それに担任である織斑先生から何故かどうすればいいのかを教えてもらえるのではないか、と淡い期待をしてしまう。
自分の正体を知られた敵に助けを求めるとはなんと浅はかなことか。
だが縋らずにはいられなかった。
降りしきる雨の中大きなな木の下で雨宿りしたくなるのは道理。
それは伝わり辛いかもしれない、私の精一杯の『タスケテ』―――。
「さてな。自分で考えろ」
しかし、縋り付きたかったその希望すら砕かれる。
それはあまりに残酷な仕打ち。
後ろめたいことを抱えている自分にとってそれは暗にこの学園を出ていけと言われているような気がしてならなかった。
一言の圧力。下手に多弁で言い負かされるよりも時としてその威力は大きいことこの上ない。それが世界一の言葉であるのならば尚更だ。
男装であることがばれどうしようもなくなり、そしてどうすればいいかすら分からなくなり。
進退窮まり、これ以上の活動は無理だと心が折れてしまいそうになった時、
「ああ、言い忘れていたがうちの学校の校則にはこんなものがあってな」
特記事項第二十一。
本学園における生徒はその在学中にありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。
本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする。
織斑先生がわざとらしく何かを思い出したかのように語りだした。
その様子に訳が分からないとあまりにシュール過ぎる光景に思わずぽかんとする。まさか突然、校則を読み上げられもしたらたとえ普段冷静な仕種あってもぽかんとするだろう。
「……おかしいな。どこか間違っていたか?」
「いえ、間違ってない……と思いますけど。それってどういうことでしょうか……?」
「お前がここにいたいと言えばこの三年間この学園で学ぶことは約束される―――そういうことだ」
織斑先生の言葉の真意が分からずに私は目をぱちくりさせる。
「ああ、ただし留年するなよ? あくまで三年間だけだ。それ以上は私も面倒は見切れん。三年でここで学べる全てを学んでさっさと出ていけ」
その言葉にますます頭が余計に混乱する。
ええと、それはここにいろということなのか? しかしさっきの出ていけとは矛盾しているような……?
「シャルル・デュノア」
「は、はい!!」
急に名前を呼ばれて反射的に返事をしてしまう。
「この特記事項は受ける受けないはお前次第だ。よく考えろよ。お前が考え、お前が選べ。周りがどうこう言おうがお前がここにいたいという意思があればIS学園が全力で守ろう。たとえそれが国家権力であろうとしてもな」
そこまで聞いて初めて理解した。この人は私が女だと気付いても見て見ぬふりをしてくれるのだ。
そしてそのことがばれてフランスが私を咎めようと手を伸ばしてもこの人は私が助けてと一言助けを求めれば守ってくれるのだ。まるでテレビの中のヒーローかのように。
こと武力においてこの人ほど頼りになる人物はいない。それにこの学園にはもう一人の最強がいる。
たとえIS学園を巡って世界と対立したとしてもこの人がいれば数日は持ち堪えることが出来るだろう。
ああ、納得した。こんなお姉さんを持った一夏が彼女に憧れを抱かない筈がない。彼の中の彼女に勝つということは簡単ではない。
諦めるにはまだ早い。
ああ、そうだ仕種の言うとおりだ。まだ終わってなどいない。むしろ、まだ始まってすらいない。
私にはまだ出来ることが残っている筈だ。その希望の芽が完全に摘み取られるまで諦め、屈するにはまだ到底遠い。
「それ、今からあいつらのところに行って訓練するんだろう? 頑張れよ男の子」
その言葉が耳に届く頃には迷いなどすっかりと消えていた。私の行くべき道は決まっていた。
「はい! ありがとうございました!」
「ふ。礼を言われるようなことはしてないぞ」
「はい。でも言いたくなったので言いました。それじゃ駄目ですか?」
「勝手に言ってろ。後ろがつっかえてるんだ。行くのならさっさと行け」
織斑先生はしっしと邪険に扱う。その裏は照れ隠しなのだろう。ああ、本当によく似た姉弟だ。
「はい、失礼します」
一礼をし、会議室を後にする。
扉を開くと外にはラウラ・ボーデヴィッヒが待っていた。
転入してきた時と同じように目を閉じ、壁に寄り掛かっている様はお人形のように儚い存在感を醸し出している。
あんな冷たい雰囲気を纏わなければ残念じゃないのに、という他の女の子たちの声にも納得出来る。
そんな風に思うのも一瞬。次の瞬間には土曜日の対峙した時のことを思い出し自然と身構えてしまう。
「そんなところに突っ立っていると入れないんだが」
「あ、ごめん……」
確かにいくら目の前の彼女が小柄とはいえこんなに堂々と入り口を塞いでいては中に入れない。
反射的に謝ってから入口を譲ると不遜な態度で何事もないようにラウラは動きだしたかと思うと、
「……人攫いの国が」
通り過ぎざまにそう呟いた。
「っ!?」
その言葉の真意を聞こうとした時には既に彼女は会議室に入って行った。
思いもしなかった一言に呆然と立ち尽くさざるを得ない。
一つの希望を手に入れ、一つの空白を手に入れた。
狂乱たる戦いの日はすぐそこまで迫っていた。
* * *
どうも亀更新で申し訳ありません、東湖です。
ちなみにこの回、最初は黒い嵐(シュヴァルツェア・シュツルム)と付ける予定でしたが、なんかシュヴァルツェア・レーゲンのセカンドシフトっぽいなということでボツ。
しかし千冬姉がマジイケメン。前回の醜態と足して引いてもカッコよさが上回る。
それがちーちゃんクオリティ。世界最強の名は伊達じゃない。