side:露崎仕種
「あの馬鹿……! なんてことを……!」
珍しく箒に対して悪態づきながら走る。
オルテンシアにサーチをやらせた結果、箒は一夏の飛び立ったピットを目指している。
箒がいないのを気づくと同時に駆けだしたものの、箒の身体能力の高さは抜きんでているため普通に走っていても追い付くことは出来ない。
かと行ってこんな狭い廊下でISを展開しようものなら、逆にそこで動きが取れなくなってしまう。結果、走るしか手段がなくなるのだ。
『一夏あああっ!!』
箒のハウリングが尾を引いた声がグラウンド中に響く。それほど大きな声が外で響いていれば館内にも聞こえてくる。
『男なら、男ならそのくらいの敵に勝てなくてなんとする!!』
箒は言葉を続ける。これしか出来なかったのだろう。だからと言って……。これは無謀としか言えないものでしょう。
『だから、勝てえっ! 一夏ああああっ!!』
箒の鼓舞を聞き入れながら走り続けるが、オルテンシアの送られてくる情報に肝を冷えた。所属不明のISが箒に対して砲撃準備を開始しているのだ。
ISを持っていない人間はあまりに無防備な存在だ。それに乱入してきた時の一撃を放とうものなら確実にその命はない。
「ああもう、間に合えええっ!!」
ピットに辿り着くとそのまま走りながらIS装甲を展開、右足を踏み切ると両肩のスラスターを吹かしそのままスタジアムに出て箒の前に躍り出る。
「っ!!」
咄嗟に箒を抱きかかえ、背中に敵のISから放たれたビームを浴びる。
生憎と防御用の装備がオルテンシアには積まれていない。あるとすれば普通のISよりも分厚い装甲ぐらい。
「ぐ、うっ……!」
奥歯を噛み砕かんばかりにぐっときつく食いしばる。
焼けるような痛みが背中を襲い、絶え間なく熱い風が頬を撫でる。煉獄があるとしたら今この場のことだろう。
(耐えて……! お願い、オルテンシア……!)
私の思いに応えたのか、光の流れが通り過ぎ耐え切った。
額から赤がぽたりと地面に零れ落ちる。頭のどこかを切ったのか血が足りなくて頭が少しフラフラする。
「し、ぐさ……」
箒の声は震えていた。その目は子供が悪いことをして怒られるかどうかを気にした、そんな目だった。
「……まったく、夫婦揃って世話が焼けるんですよ。ISの展開してない素っ裸で戦場に出るなんて正気かどうか疑います」
憎まれ口を叩いてみせるが、相反するように私の機体はスクラップ寸前のボロボロ。立っているのも不思議なくらいだ。自慢の黒髪も毛先が血で赤黒く染まっている。
「にしても、なんつー馬鹿威力。ま、アリーナのシールドを破るくらいなんだからこれくらいの破損は当然ですか」
ISの情報を呼び出して確認するがシールドエネルギーの残り残量は三ケタを切っていた。一撃で七割のエネルギーをごっそり持っていく威力は零落白夜に匹敵するほどだった。
いや、それ以上に。零落白夜に攻撃されたものと比べても受けた物理的ダメージが大きい。
「仕種あっ!」
一夏が叫んだ。他人を気にするそれは一夏の美徳ではあるが、今のこの場では不要なものだ。
「一夏、さっさと倒しなさい!」
私は構わず叫び返す。
「私のことを気にする余裕があるんならさっさとそいつを止めなさい! あんな攻撃二度は持ちませんよ! 私と箒が蒸発してもいいんですか!?」
珍しく声を荒げた。状況はそれほどに切羽詰まった状況なのだ。
「お前しか倒せる奴がいないのに、余所見する馬鹿がいるか一夏ぁっ!!」
それが私に出来ることだった。一夏への檄、そして敵の注意をひきつけること。
狙いはあくまで陽動。ボロボロの私が加戦したところで何の戦力の足しにもならない。それに守る術のない箒の傍を離れるわけにはいかない。
一夏と鈴の準備が手間取る筈がない。幸いと相手はダメージの大きな私と無防備な箒に狙いを定めている。
「鈴、やるぞ! 衝撃砲を最大出力!!」
「わ、分かったわよ!」
鈴が一夏に言われた通り最大出力を放つために補佐の力上展開翼が広がる。その鈴の前に一夏が立ち塞がる。
「ちょ、ちょっと何やってんのよ! どきなさいよ!」
「いいからやれ! 俺を信じろ!!」
「ああ、もうっ! どうなったってしんないんだからね!」
破れかぶれにそう叫ぶと、ドンという音共に一夏は背中に衝撃砲を受ける。
あんな砲撃を背中に受けて大丈夫な筈がない。白式を除いては。
一夏の瞬時加速がはじけスーパーボールの跳躍のように、跳んだ。
オルテンシアを爆ぜるような紫電とするならば、白式は夜を切り裂く白き流星。
衝撃砲のエネルギーを変換して得たその加速力は鈴の不意を突いた時の何倍もの速さだった。
「許さねえ! 鈴を、箒を傷つけようとした、仕種を傷つけたこいつは絶対許さねえ!!」
一夏が怒りを隠そうともせずに吼える。
「うおおおおおっ!!」
雪片弐型のレーザー刃が一夏の気迫に応えんばかりに通常の何倍もの大きさを形成する。
そして長い右腕を薙ぎ、断ち切った。その余波はアリーナの遮断シールドさえ断ち切らんばかりの余剰な風となる。
その直後、左腕からカウンターのパンチが入り一夏は敵が落ちて来た時のクレーターの壁に叩きつけられる。
「「一夏っ!!」」
箒と鈴が同時に叫ぶ。
「大丈夫ですよ」
私の自分でも不思議なくらいに落ち着いた声の後ろをよく見知った蒼が通り過ぎてゆく。
「狙いは……?」
『完璧ですわ!』
いつもの甲高い声とともに四機の雨が降り注いだ。
さきほどの一撃で右腕諸共、遮断シールドは零落白夜によって壊された。あとは援軍を待つのみ。
幸いとあの場に動ける専用機持ちがもう一人いた。
セシリア・オルコット。イギリスの代表候補生にして自律兵器ブルー・ティアーズの仕手。
「決めろ! セシリア!」
「了解ですわ!」
スターライトmkⅢの一撃がISを貫き、敵は動きを止めた。
「ギリギリでしたわね」
「セシリアならやってくれると思っていたさ」
「と、当然ですわ! なにせわたくしはセシリア・オルコット。イギリスの代表候補生なのですから!」
そのフレーズが好きですね、ホントに……。
ハイパーセンサーに異常を感知。敵ISの再起動を確認!
「一夏! まだそいつ動いて……!!」
鈴が叫ぶよりも早く、正体不明の敵は片方だけ残った左腕を最大出力形態に移行する。
エネルギーの切れかけた今の一夏では拙い。なのに、アイツは躊躇わずに敵に向かって突っ込んだ。
「一夏さん!」
「一夏っ!」
セシリアと鈴は同時に叫ぶ。
「しょうのない奴です」
発射態勢に入りエネルギーが放たれるゼロコンマ数秒前、機体に対してそれをさせまいと一筋の光が残った左腕を貫いた。
セシリアのスターライトmkⅢでも、鈴の龍咆からの攻撃でもない。私の放ったレールガンだった。
威力はフル稼働の域には到底届かないが、シールドエネルギーのない今回ではそれだけで充分だった。
「さっきのお返しです」
にやりと口の端を釣り上げ弧を描く。意地悪な笑みを浮かべると同時、発射寸前で充填し切ったエネルギーのオーバーロードを起こした左腕はいとも容易く爆発を起こす。
「ぜああああああああっ!!」
それを見逃すまいと一夏は気合いと共に敵の懐に飛び込んだ。ビームを放つにはあまりにも近過ぎる。かといって近距離の敵を排除する手段はない。
零落白夜が正体不明の機体の胴を通り抜けざまに一閃、真一文字に切り裂いた。
攻撃する両腕のない相手は唯の木偶に過ぎない。ましてや拡張領域を雪片の制御に全て割いている攻撃に特化した零落白夜の前にはISの装甲なんて紙同然だ。
灰色の機体は地面にぐしゃりと崩れ落ち、ようやく今度こそ完全に機能を停止した。
「なんとか、終わりましたか」
そう呟いて膝を突く。貧血を起こしてるのか立っているのも少し辛い。
一夏も緊張の糸が切れて意識が落ちたのかその場に受け身も取らず前のめりに倒れる。あれくらいのダメージなら残っているエネルギーで大丈夫だろう。
少し遅れて突入部隊がアリーナに入って来たのを見届けると、安堵から容赦なく意識を手放した。
「あ……、いつっ……」
全身の痛みの訴えにたまらなくなり目が覚める。
軽く見渡すと寝ているこの部屋は学校の保健室らしい。頭を筆頭に身体のいたるところに包帯が巻かれている。時間も外の茜空を見る限り、放課後のようだ。
「起きたか露崎」
千冬先生の声と共にしゃっとカーテンが開けられる。空けられた瞬間に西日! なんてこともなかった。思えば建物の構造的に逆ですし。
「最初にお前のISだがダメージレベルがCに達している。しばらく動かすのは禁止だ、実践は訓練機を使え」
「分かりました」
これだけの怪我をして、私自身がキズものにならなかったのはISの絶対防御によるものが大きいだろう。
ただ、それまで自分のISとは行動を共に出来ないというのがなんとも痛い。一分一秒と長く経験を積ませてあげなければならないというのに。
焦ったところで仕方ない。よし今度の休みに一度、会社に見てもらいにいこう。今日の影響でパーツの補填などをしなくちゃいけないでしょうし。それにもう一つの方の仕上がり具合も気になりますし。
「そういえば、一夏は?」
あの場で私よりも早く一夏はぶっ倒れた筈だ。ということは一夏も起きるまでどこかの部屋で寝ている筈だ。ひょっとすると、私の隣に……。
「そんな訳あるか馬鹿者。男と女が同じ部屋に寝させると思うか? 別の部屋で寝ている、安心しろ」
それは千冬先生なりの気遣いなのだろう。私と一夏が横にいて間違いが起こることがないとは言えない。
私自身はそういう気はなくても向こうがそういう星に生まれた人間なのだ。流石姉弟、そういうところはよくわかっている。
「ああ、それと」
バシン、と怪我人には重すぎる出席簿の一撃が頭に振り落とされる。ち、千冬先生、怪我人は労わろうって道徳で習わなかったですか……?
「あの馬鹿を守るために身を楯にする馬鹿がどこにいる?」
呆れたように言ってのける。それってもっと上手くやれなかったのかと暗に言っているようなものだ。最善は尽くした筈ですが……。
「……あの馬鹿を守るにはあれしかなかったんですよ」
ていうか箒がもし死にでもしたらその日の内にに束さんに全世界の核ミサイルがハッキングされて世界滅亡なんてあり得すぎて笑えない。
というか人類の未来はそれしかないような気がするのは何故でしょう?
「だったら篠ノ之の行動に目を光らせておけ。あれはとんだじゃじゃ馬だということが身に染みて理解しただろう」
ええ、十二分に理解しました。自分の命を賭けて激励とかどんな三大恥ずかしい告白ですか。一夏スキーにも程があります。
「……まあ、よく生きて帰って来た。知り合いが死なれてはこちらも寝覚めが悪い」
千冬先生の声色はどこか柔らかかった。小さいころから露崎家と織斑家は似たような家庭からか付き合いが長い。だから千冬先生は身内同然に接しているのだろう。
ふと先程の戦闘を思い出し、疑問が湧いた。
「千冬先生、あのISは……」
「まだ解析中だ。かといってお前らに口外することはないからお前が気にする必要はない」
私の考えが見えていたのか先に質問の答えが出される。
全身装甲の妙に機械的だった乱入したあのIS。
最後の再起動が妙に引っかかる。
ハイパーセンサーは一度、あのISが機能停止したことを告げていたにも関わらず、再び動き出した。
人間ならば意識が落ちてしまえばすぐには戻ることはない。
「さて、私は行くが、露崎も一息ついたら部屋に帰れ。いつまでもここにいれる訳ではないのだからな」
「はい」
そう返事すると、ふっと笑みを零して保健室を去って行った。
「入るわよ」
その声とともに入れ替わるように鈴はこちらの許可するよりも早く敷居を跨いだ。まあ、鈴は私が断ったところで関係なく結局入ってくるのですが。
「さっき一夏んとこ行って来たけどやっぱ仕種の方が酷そうね。あいつ全身打撲で一週間は地獄だって」
「こっちも似たようなもんですよ。しばらくはISの起動禁止をさっき千冬先生に言い渡されました」
「心配したんだから」
そんなふうに言われると罪悪感が湧き上がってくる。おまけにその言われる相手が鈴なために罪悪感が通常の二割増しだ。
「あ、それと試合で無効で対抗戦はもう中止だって」
さらりと言ってベッド脇の手近な椅子に座る。
あれだけの騒ぎになったんだからこれ以上続けるのは不可能に近いため仕方ないか。
「ねえ仕種。どうしてあんたはISに乗れるの?」
ぽつりと夕日の入る保健室に鈴はぽつりと言葉を落とす。それは以前の時の凄みを利かせたようなものではなく、ぽろりと出た本音のようなそんな呟きだった。
「何を今更。先日の焼き回しのつもりですか?」
「別に。なんとなく聞いてみただけ。今なら答えがぽろっと出るかなあと思って」
「……何も初めから乗れた訳ではありません」
え? と小さく意外そうな声が漏れる。
「私はISを起動せはすれど、今のように自由に扱えはしなかった。私のISランク知ってますか? Eですよ? E」
ISランクは潜在的にISを上手く扱える指数のことである。経験を得てランクの変動があったりするがそれでも伸び代の幅はだいたい決まっている。
ランクはS~Fの七段階で表され、自分はその中でEランク、ISの稼動に問題をきたすレベルだ。その下のFは起動不可を指す。
つまり、私のランクが稼動出来るか出来ないの瀬戸際なのだ。優秀なこの学園の生徒はEランクなんて私を残して他に誰もいないだろう。
そんな私が奇跡的にもISに乗れるのは、ISを動かせるのはそれに見合った時間を専用機と共に過ごしてきたから。
共にいた時間の分だけ、私のことを理解して心開いてくれたから。オルテンシアは私の手足となってくれるのだ。
「ただ乗れるようになった、と言っても正確には乗れるように身体を弄くったっていうのが正しいんでしょうけどね」
自虐的に苦笑する。
「じゃあ、あんたってやっぱり……」
鈴はそこまで言って口を噤む。
そして訪れる沈黙。
なんともいえない空気が保健室を支配する。
その沈黙を破ったのは私の方だった。
「……ふっ。それってもう答えを言ってるみたいなもんですよ、鈴」
「そうね。露崎仕種は男なんでしょ」
それが辿り着いた答え。そして露崎仕種の真実。
「はい、正解。で、どうしてその結果に至ったのですか?」
「最初はあたしも自分の記憶を疑ったわ。仕種は女だったかもしれないって」
「でも、そうは思わなくなる何かがあったんでしょう? それってどんな理由ですか?」
「あんたが大浴場に姿を見せないから」
あまりに大雑把な回答に思わず面食らう。
「なんていうか短絡的な思考ですね」
「うっさいわね。ま、それ以外にも色々あるけどさ。部屋割とか昔の写真と比べてとか。でも決定的だったのは千冬さんがだんまりを決め込んだあたりかな」
普段なら知らない、と一言で切り捨てる筈の千冬先生が切り捨てられなかった。
私と鈴があの事件の当事者で馴染みが深いだけに捨てられなかった。
「で、一夏と篠ノ之に言わなくていいの? 幼なじみなんでしょ?」
「言わなくていいでしょう? 気付いてないんですし。気付かれるまでひた隠しにしますよ。案外、一夏は三年間気付かなかったりしてね」
「でも……」
鈴は食い下がる。
「それに、私は知られたくないんですよ少なくともあの二人には。私の身体のことは姉さんと千冬さんと束さんが絡んでる。だからおいそれとあの二人に話せないんですよ」
「千冬さんに沙種さん、それに束博士が……?」
束さんの名前が出て鈴は意外そうな表情をする。
「あの二人はまだ受け止めることが出来ない。私のせいでこれ以上、溝を作りたくない」
あの二人は千冬先生や姉さんのように割り切った思考をすることが出来ない。だから私のことがばれるとなれば箒と束さんの間にある溝はますます広がるだろう。
デリケートな問題とはよくいったものだ。私のせいで他人友人の姉妹仲を裂くことになるかもしれないなんて。
「仕種……」
鈴はもどかしそうな表情をする。
「この話は終わり。このことは鈴と私の秘密ということで」
明るく振る舞ってみせる。バレてしまったことは仕方ない。幸い、鈴は口が固い。鈴がヘマを起こさない限り私のことは漏れないだろう。もっとも、私がヘマしない保証もないのだけれど。
「ねえ、あの約束覚えてる……?」
茜空であの約束と聞いて幼いころの記憶を思い出す。あれは六年生の頃だったか。
「覚えてますよ。『料理が上達したら毎日あたしの酢豚食べてくれる?』でしょう?」
「え。あ、ああう……」
その言葉を皮切りに鈴の顔がリンゴのように紅潮する。この反応を見る限りビンゴのようですね。
「でもあの時言いませんでした? 酢豚だけ上手くなっても……」
「うっさい! あれから色々努力したわよ! 酢豚も、棒棒鶏も、青椒肉絲も、回鍋肉も、麻婆豆腐も、炒飯も、天津飯も、カニ玉も、エビチリも、坦々麺も、餃子も、八宝菜も、飲茶も、なんでも作れるようになったわよ!!」
私が振った時の口上を述べようとした時、被せるようにいきなり啖呵を切られた。一息で言い切ったためふーふー、と鈴の息遣いが荒い。
「……マジですか?」
「ええ、大マジよ」
思わずそう聞き返すと、自信満々にそう言い返してきた。
なんでもこの幼なじみは私を振り向かせるために中華料理一通りをマスターしたらしい。見上げた根性です。女はやはり強いです。
「で、どうなのよ」
どうなのって……たぶん、嬉しいと思う。これだけ自分のことを思って料理が上手くなってくれたっていうんなら男冥利に尽きる。
それに鈴は同年代でも可愛い部類に入る。女の子のレベルの高いIS学園でも上位に相当すると思う。
何より、気心知れているのが一番大きい。幼なじみのため私のことをよく理解してくれているのは付き合うとしたらだいぶ気を使わなくても済む。
それは、どんなに楽しいだろうなっって………。
だけど――――。
「やっぱり、無理です。こんな身になったうえに例のアレもある以上、鈴の気持ちに応えられない」
鈴の顔が苦々しく歪む。それを見るこちらも非常に辛い。
「治んないの……? それ」
「ええ、家系による呪いですから。これとは一生付き合っていかなきゃいけないんですよ」
勝ち続けなければ生き残れない、そんないつ終わるか分からない呪われた人生。そんな不安定な片道切符の列車に鈴を相乗りにすることは――――出来ない。
「だから、私は鈴とは―――――、」
「……違う。あたしが聞きたいのはそんなんじゃない。身体のこととか言い訳にして本心を隠さないでよ! 立場とか身体のこととか全部、取っ払って全部見せてよ!」
鈴が批難する。
それは私が一番言い返しにくい言葉だった。
本音と建前が対極に位置する思惑を口にしてしまうとそれは承諾、ということになる。しかし鈴にいつ終わるか分からない旅に連れていくことはしたくない。
両端に揺れる思いに言うのを躊躇っているところに。
突然、不意打ちのようなキスに唇を塞がれる。
「ん……」
色っぽい声が目と鼻の先から聞こえる。
目の前に鈴の顔がスクリーンいっぱいに映る。
何が起こったのか分からず、思考が置いてけぼりを食らい頭が回らない。
それ以上に密着している鈴の唇に柔らかさに気が回って完全に思考が停止する。
くすぐったいような、甘酸っぱいような、不思議な感覚にただ酔いしれるように。
「―――――――――――っ」
いきなりのことに心臓が早鐘を打つ。
今、どういう状態になっている?
そうだ、鈴とキスをして――――。
しばらく口づけをした後どちらからという訳でもなく、お互い重なっていた唇を離すと唾液の銀の糸がつーっと橋を架ける。
鈴はほんのりと気恥ずかしさで目を潤わせ頬を桜色に染めている。私も似たようなことになっているに違いない。心臓の音が大きく聞こえて落ち着かない。
「仕種、あたしはそういうの全然気にしない。女の子みたいになっても仕種を好きな気持ちに変わりはないから」
真っ直ぐとただ私を見据えながら告げる。
「だからあたし、諦めないから。絶対、仕種のこと振り向かせてやるんだから」
それは告白というよりも宣言だった。
「そこはあたしを取らなかったことを後悔させてやるんだから!とか言わないんですか?」
「嫌よ。あたし、諦めるつもりないし」
あっけらかんとさも当然かのように言い放つ。
「絶対、仕種が何もかもを投げ出してあたしを取るように女を磨くから。だから、首を洗って待ってなさい」
そう言い切ると顔を真っ赤にして保健室を後にした。
「なんていうか、困ったなあ……」
一人残された保健室で大きな独り言を呟く。長らく使っていなかった男口調で。
零れる茜色の夕日は、全てを見ているだけでなにも語ってはくれなかった。
side:織斑一夏
夕食を食べ終えて部屋に戻ると、真っ暗闇が迎えに出た。
誰もいないのかと電気を付けると、真っ黒な空間の中でベッドに腰掛けている同居人がぴくりと肩を震わせる。
「箒……?」
「…………一夏」
返ってきたのは今にも消え入りそうな声だった。箒にしては柄にもない虚ろな受け答え。
「どうしたんだよ。部屋の電気も点けないで」
しな垂れたポニーテールは箒の沈んでいる感情そのままを表しているようだった。
「……あれは私のせいだ」
ぽつりと箒は言葉を落とした。何を……と言うより早く、今日のことについてだと認識する。
「私が余計なことをしたばかりに仕種に傷を負わせてしまった」
「ちげえよ。あの応援が余計なことなわけあるかよ」
「違わない! 私があんなことをしなければ仕種は出ずに済んだし、お前も今傷つかずに済んだ……」
俺の言葉を強く否定する。
「一夏。私は、弱い。実力も、心もお前たちに及ばないほどに。心の弱さを上辺だけの力で塗り固めた虚勢を張って……」
独白。
「私は私を許せないんだ! 無力な、自分が……!」
それは悲痛な叫びだった。いや、今まで心の奥に閉ざしていた箒の弱音かもしれない。
専用機のないもどかしさ、悔しさ、歯痒さ、焦燥感。そして友人を傷つけたことへの恐怖、そして後悔。
ありとあらゆる感情がごちゃまぜになって整理がつかない、パンク寸前で剥きだしな感情は聞いているこちらの心も痛くなる。
「私は、私は……!」
「箒!」
錯乱する箒をぎゅっと抱き寄せる。
「は、離せ、一夏!」
拘束から逃れようと暴れる。剣道で培った肉体は強靭で箒が暴れる力は生半可なものではなかった。
「いいから、このまま聞け」
それでも離さないようにするために箒を押さえつけるようにきつく抱きとめる。
いつもなら相手を尊重して解放するのだが今回はしなかった。今、離してしまうともう箒がどこかに消えてなくなってしまいそうだったから。
「俺だって自分の力のなさを悔しく思うことだらけだよ。今回のことだってもっと上手くやれた筈なのにさ、自分の不甲斐なさに情けなくて泣きたくなるさ」
抱き寄せた箒に優しく話しかける。
思い返せば織斑一夏はあまりに無力な存在だ。
二年前のあの時だって、自分の無力さのせいで千冬姉の経歴に泥を塗ることになってしまった。
今日も自分の力が足りなくて仕種を傷つけてしまった。
そして今、箒をここまで追いこんでしまった。
これほどなまでに自分の無力さのせいで迷惑をかけていると情けな過ぎて、あの時に戻れるのならもっと上手くやれと殴りとばしてやりたいくらいだ。
「けど前を向かなくちゃ進めない。前を向かなくきゃ強くなれない。そう俺は思ってるから」
一歩でも遠くへ、一歩でも強くなるために歩みを止めない。
「やっちまったことは仕方ない……って言ったら開き直りかもしれないけど、それはしっかり反省して次に生かせばいいさ」
後悔と反省は違う。後悔は悔やむだけ。後悔だけでは次に進めない。
反省は失敗を生かし次につなげる。強くなるためのステップアップ。
「そうやって少しずつ強くなることが仕種へのせめてもの罪滅ぼしだって俺はそう思っている」
「いち、か……」
震える声で呟く。
「あ……、れ……。涙、どうして……」
箒の目から涙がぽろぽろと零れる。
「箒、辛いこととか泣きたいこととかあったら我慢しなくていいんだぞ。俺がそういうのちゃんと受け止めてやるから」
「………っ!!」
俺のその一言に今まで堪えていた涙が決壊した。
その泣き方は六年分、溜めに溜めたような感情の氾濫だった。
箒は子供のように泣き続けた。えんえんと人目を憚らないような大声で泣き続けた。
俺はそんな大きな子供をあやすように優しく背中と頭を撫でてやるしか出来なかった。
しばらくすると箒も泣き止み、いつもの落ち着きを取り戻した。
「すまない。情けないところを見せたな」
涙をぬぐいながら恥ずかしそうに言う。目は泣き腫らして真っ赤になっている。
(そういえば、箒が泣くの始めて見た気がするな)
ふとそんなことを思った。俺の知る限り箒はいつも毅然としていた。他者を寄せ付けない見えない白刃を常に周りに向け、鉄面皮を被って血も涙もない女か、と思うくらいにきついような面もある。
しかし、それも裏を返せば弱さを見せないための高い壁。外敵から身を守るために有刺鉄線で囲い、何人も近づけない魔城のような中にいた囚われの心はなんと繊細なことか。
「一夏、お前は強いな」
「別に強くなんかねぇよ。強くなりたい理由があるから、止まりたくないだけだよ」
「強くなりたい理由、か……」
箒はその言葉を聞くと考え込む。
あの事件以降、決勝を放り出してまで俺のことを助けに来てくれた千冬姉みたいに俺も守られるのではなく、何かを守れる存在になりたいと憧れた。そのために強くなりたいと、初めて心の底からそう思った。
だが、それも未だ敵わない。脆弱にして惰弱な自身の腕では他人は愚か自分の身を守ることすら敵わない。
だけど、諦めない。それは絶対に諦めたくない目標だから。今まで守ってくれていた千冬姉に恩返しをしたいから。
「すまない、よく分からない。私はただあの人と比べられたくなかったぐらいしか思いつかない」
思い返せば束さんと箒が一緒にいて笑いあってる絵は見たことがない。
劣等感。よく出来た姉を持つと弟妹は必ず姉と比べられる。自分がどれだけ劣っているかを見せつけられるような形で。
箒の場合、それがより顕著でより敏感だったのだろう。
幸いと世界最強の姉を持つ身として俺自身は劣等感に悩むなんてことは特になかった。
そのことを囃し立てる周りの目にウンザリすることはあれど千冬姉を恨むようなことはなかった。むしろ、誇らしかったりする。思った以上に俺はお気楽な性格なのかもしれない。
「私にはどうして強くなりたいのかという確固とした理由が、ない。そういうことを考えてこなかった。なあ一夏、強くなりたい理由がなければ強くなれないのか?」
「どうだろうな。強くなりたいと思う理由って力の使い方の道標みたいなもんじゃないのかな。そういう目標があるから頑張れるっていうのもあるし」
こう言ってはいるものの俺自身もよく分かっていない。あくまで感覚論な訳だしそうじゃない人だっている。
……そういえば、仕種の強さの根底にあるのは一体何なのだろう。
「決めたぞ。私もお前と同じ目標にする」
「俺と同じって。箒はいいのか、それで」
「ああ。私もなってみたいんだ、誰かを守れるような強い私に」
その時笑った箒の顔は泣き腫らしていたにも関わらず、とても綺麗だった。
* * *
あとがき
更新が遅れてしまって申し訳ありません東湖です。
あともう一話で第一巻分は終了です。
ちなみに「脆いところに口づけを」と書いて「ペインキラー」と読ませます。無茶があるか……。