side:篠ノ之箒
気がつけば、走り出していた。
思えば、私は焦っていたのかもしれない。
専用機。その有る無しは専用機を持つ一夏との距離間に大きな揺らぎを与える。
セシリア以上になす術のない私は、今回は行き場のない感情をどうにか飼いならすことが出来なかった。
歯痒かった。自分は何も出来ない歯痒さ。一夏の隣に立てない悔しさ。
苦しかった。辛かった。この感情を私は弄んでいたのかもしれない。
だから叫んだ。
「一夏あっ! 男なら、男ならそのくらいの敵を勝てなくてなんとする!」
思いの丈を。もどかしさを。私の中の醜い感情を。訳の分からない自分でも形容しがたい感情の塊を。
全て吐き出した。吐き出さずにはいられなかった。
「だから、勝てえっ!! 一夏あっ!!」
この言葉があってどうなるという訳でもない。
言ってしまえば自己満足。我慢弱い自分の身勝手と自分可愛さを綺麗な形で昇華して見せているに過ぎない。
目の前と敵対する一夏を鼓舞する形にして。
なんて独善。なんて幼稚。
なんて、惨め。
それでも行動に移したのは自分にはそれしか出来なかったから。意地しかなかったから。
一夏の力になりたいと思ったこの感情に嘘を吐きたくなかったから。
「っ!!」
こちらに砲身を向けられる。
当然のことだ。あれだけの大声を上げれば相手の注意を自分に向けることになる。
おまけに今の私はISを装着していない制服のままだ。ひとたまりもない。
いや、ひとたまりもないではない。確実に跡形もなく死んでしまう。
それを認識した時にあったのは愚かしさに対する後悔ではなく全身を蹂躙するような恐怖。身も竦むような絶望。無機質に光るセンサーレンズに対する畏怖。
「箒、逃げろ!!」
一夏が叫ぶ。私だってそのつもりだ。ここがどこよりも危険なことは今身を以って実感している。
が。
無情にも腕から光が放たれた。
一夏と自分との距離はあまりにもかけ離れ過ぎている。
物理的にどう足掻いても絶望的な距離。
私はもうここまでなのだろうか。
「箒いいいいいいいっ!!」
一夏の絶叫が響いた。
「っ!!」
光が自分の目の前まで迫ったところで飛び起きる。
息遣いは荒く、額も背中も冷や汗でぐっしょりだ。
「っ……。夢、か……?」
虚ろな瞳が部屋の様子を探る。ここがあの場面のアリーナではなく、寮の部屋であることを確認すると安堵からか深い溜息が洩れる。
まったく嫌な夢だ。記憶を蒸し返すような悪夢。焼き回しのような現実の再現。
時計を見るが、まだ丑三つ時。眠りについてからそれほど時間は経っていなかった。
「…………」
隣を盗み見るが、一夏には気づかれていないようだぐっすりと眠っている。
一夏に少しだけ心配されたい気もするが、かえってこれ以上気を使わせたくないとも思う心もあり少し複雑だった。
本来ならばクラス対抗戦のあったあの日、私は部屋の整理がついて別の部屋に移動する筈だった。
しかし私が取り乱したため、不安定な精神の私を別の部屋にすぐには移すことは出来ないと、今回の引っ越しは見送られもうしばらく一夏と一緒の部屋にいれることになった。
とはいえ、それも一時的な措置。すぐに一夏とも一緒にいれなくなる。
男女七歳にして同衾せず。早く一夏と別の部屋にしないと学園側としても拙いものを感じるのだろう。
無駄な思考をやめ、ひとまずシャワーを浴びることにする。
これからどうすればいいかはそこで考えればいい。
それにぐっしょりに濡れたこの嫌な汗を一刻も早く落としたかった。
シャワーから上がるが一夏は今日、いやもう昨日か。昨日の出来事で疲れているためか起きる気配がない。
太い神経をしているのだか、鈍いのだかよくわからないお気楽そうに眠っているその寝顔に思わずくすりと笑いが込み上げる。
長いようで短かった一か月。出会いこそ唐突なものだったが、それでも久しぶりに幼なじみと一緒に過ごした時間は今まで離れていた時間を埋めるかのような嬉しいものだった。
あまりの鈍さに腹の立つこともあったが、それはそれだ。
一夏だから納得しなさい、と仕種ならいうのだろうがもう少しくらい人の感情の機微くらい読み取ってくれてもいいのではないのだろうか。
身体をベッドに横たえるが眠気というのが全くやってこない。寝直すにしてもあんな夢の後のためか頭がそんな気にもならないのだ。
脇目もくれずに剣道に打ち込んでいるせいか手軽な趣味という、こういう時のための時間潰しの手段もない。
手になんとなく携帯電話を取り、電話帳を開く。
今でこそクラスメイトの数人とメールアドレスを交換したが学園に来た当初はほとんど誰も登録されておらず新品同様な状態だった。
転校を繰り返してきた自分と周りの人間とは浅い付き合いしかなく一夏や仕種のような幼なじみぐらいしか深い付き合いをした友人はいなかった。
よくて剣道部の同じ部員。それ以上の関わりを持とうともしなかったし、何よりもあの時は周りに気を使おうという心の余裕がなかった。
あの頃の私は擦り減っていた。
一夏と離されたせい。仕種と離されたせい。家族と離されたせい。
ISの開発者である姉、束のせいで転校を繰り返す日常。それに伴い姉の場所を探るためと重要人保護という名目のための政府主導の監視と聴収の日々。
特に中学生の時は監視の目が一段と厳しかった。
大人たちはいつも張り詰めていた。何かに警戒するように。その失敗を繰り返しをしないように。政府の大人たちはいつもそんな雰囲気だった。
そのせいで神経がかなり参っていた。
当時の私を称するならば触れるもの全てを傷付ける抜き身の刀。生徒は愚か、教師でさえ近づけないような気を常日頃から纏っていたらしい。
そして、あの事件が起こってしまった。
それは忌々しい記憶。自分が生きてきた中で、一番自らの醜態を晒したあの事件。封印したい筈なのに、それは時折ふとした拍子に甦る。
忘れたいのに忘れられないその記憶は私にとっての戒めなのかもしれない。
強い力を望み、道を踏み外した姿に目を決して逸らさせはしない。
焼き付けろ。あれが己が道を踏み外した姿だと。もう一人の自分がそれを忘却させないことでその己が持つ危うさを知らしめさせようとする。
ぼんやりと画面を眺めているとあるところで指が止まる。
篠ノ之束。
どうして彼女の名前がこんなところにあるのか自分でも不思議でたまらない。
そもそも政府から手渡された携帯に一番最初からこの名前だけが入っていた。父や母でもなく、一夏でもなく仕種でもなく束の名が。
……もしかしたら。彼女ならば、姉さんならば自分の今の悩みを解消してくれるかもしれない。
「……っ。駄目だ、それは」
一瞬よぎった悪魔の囁きに頭を振る。
分かっている。姉さんにそれを頼むということは、身内贔屓以外のなんでもない。
けれどもし今日みたいなことが起こった時自分はまた一夏の隣に立てないのかと思うとたまらなく胸が苦しくなる。
それに、一夏のように自分を見失わないように私もなると誓ったのだ。
今度こそ力に振り回されないように力を御してみせると。
「………………」
しばらく携帯の画面とにらみ合った後、意を決してコールボタンを押した。
side:篠ノ之束
「むーん……」
どことも知れぬ暗闇に一人、若い女はPCの前でにらめっこをしていた。
特段、不思議な行動ではない。夜中のこんな時間にPCと向かい合ってるなんて光景は〆切が明日に迫った一般企業ではよくよく有り触れている光景なのだ。
不思議なのはその女の格好にあった。
ウサミミカチューシャを付け、青空のようなワンピースを着ているその様は一人『不思議の国のアリス』状態なのだ。常軌のセンスを斜め135°ほど傾いて盛大に逸脱している。とうてい普通の人間には理解し難い。
この人物こそISを生み出した世紀の天才、篠ノ之束である。
馬鹿と天才は紙一重と言うがまさしくその通りだろう。天才は凡人には思いつかないセンスを持ち、凡人には到底思いつかないようなことを平気でやってのける。
見ていた映像は昨日、IS学園を襲った謎のISだった。
「なんとか形になるってな具合かな。あー、けどまだまだ先が長いなー。危うく箒ちゃん蒸発させそうになったし」
何でもないようにあっけらかんと言ってのける。しかし一つ間違えると大惨事だ。自分のミスで肉親一人をこの世から消し去ってしまうところだったのだ。
実のところ、学園の中継をハッキングしてそれを見ていたが当時は酷く取り乱していた。緊急自爆のプログラムさえ半分以上をリアルタイムで組み立てたくらいだ。
ISのコアを作れるのは全世界において、篠ノ之束しかいない。登録されていないコアを作りだしたのも束自身。ISの独立稼働。束だけが唯一持ち得る技術の一つだ。
しかし今回の襲撃さえ、あまり意味を持たない。試しに作った無人機の稼働状況を確認したいだけ。そのためにわざわざIS学園まで飛ばしたのだ。
結果、所詮はまだまだ発展途上。Ⅰでは専用機持ち数人がかりだと相手にならないレベルだった。それでもそのうちの一人を大破させたという功績を残したが。
「ま、二人のナイトくんが助けてくれたからいいけどね」
くすくすと笑う。彼女のいうナイトとはあの異形のIS―――ゴーレムを止めた織斑一夏と実妹、箒を身を楯にして守った露崎仕種のことだ。
束も仕種の秘密を知る数少ない人間である。
織斑、篠ノ之、露崎。
束はこの苗字の幼なじみとその姉妹にしか興味を示していない。両親はかろうじて身内と認識できるが後は等しく他人。どうなっても構わない存在だ。
自分に害をなすものは別に束自身は殺してしまっても構わないと思っているが、それは二人の親友である千冬や沙種が嫌がるためしていない。今のところは。
しかし、それに準ずることは束は既に経験済みである。
所謂――――――社会的地位の抹殺。
ちゃらら~、ちゃらら~♪
どこぞのシマ取り抗争のテーマソングが流れる。最初に断っておくが束は別にこのシリーズが好きだという理由でこの着信音を使っているのではない。かといって本人も何故この着信音を使っているのかは自分でもよくわかっていない。
「この着信音は! とう!!」
行動が機敏だった。その行動の早さはまさしく脱兎のようだ、ウサミミなだけに。どこぞの世界のつけるとフィールドでの移動速度が1.5倍になる頭巾か。いや、あまりにメタ過ぎて分かる人間がどれくらいいるのだろうか。
「もすもす終日~! はろはろ~みんなのアイドル束さんだよ~」
『……姉さん』
げんなりとした妹の返事が返ってくる。深夜のこの時間にハイテンションな姉に対して電話の向こう側で頭を抱えているに違いない。
「やあやあ箒ちゃん、箒ちゃんがかけてきてくるのずっとずーっと待ってたんだよ!」
『…………』
「うんうん。言葉にしなくてもこの束さんには要件は分かってるよ。代用無きもの。欲しいんだよね箒ちゃんの専用機」
『っ…………』
電話越しから息を飲む音を聞く。それすらも楽しむかのように、実の妹からの電話を楽しむかのように、束は言葉を続ける。
「にしても意外と早かったな?。もちっと時間かかるかなーって思ってたのに束さんの読みが外れちゃったなー。どういう心境の変化って奴です?」
うふふという楽しげな笑い声に一瞬、言葉に詰まるが箒は意を決したかのように告げる。
『力がなくて守れないのは、もう嫌だから。誰かが目の前で傷つくのは見たくないから』
「ふぅん。それって今日のこと?」
『どうしてそのこと!?』
「ふふふ、何言ってるんだい箒ちゃん、私は天才束さんだよ? 束さんが知らないことなんてこの世界において一片もありはしないのさ!」
もっとも『この事件を起こした犯人は私、篠ノ之束なのだ~♪ 驚いた? ね、ね、驚いたでしょ~』なんて口が滑りでもしない限り言わないが。
それにしてもまさかあの暴走がこんな形で箒と自分を繋ぐことになるとは束自身も思ってもみなかった。
箒は昔から強い力を望むきらいがある。それが今回のことで大きく天秤が傾いたと見るのが妥当だろう。
「それで箒ちゃんの専用機だけど来月の終わりに個人戦のトーナメントあるよね? それに間に合うようには調整するから。だから、もう少しだけ時間が欲しいな~、なんて言っちゃってみたり」
「お願い、……姉さん」
その一言に垂れていた耳がピーンと立つ。
今日は吉日大安に違いない。嫌われていた妹に頼られるなんて自分の生きてきて最も嬉しかったベストテンに余裕でランクインするレベルだ。何がベストテンなのかは知らないが。
「天才束さんにぽぽぽーんと任せなサイ! 箒ちゃんに見合うだけの最高スペックの機体、『紅椿』をぜったいぜ~ったい用意するから!」
ピッと電話が切れると電話を投げ捨て再びPCに向かい出す。その表情は先程のつまらなさそうな事後処理とは雲泥の差で創作意欲にあふれた子供のように生き生きしている。
「さてさて忙しくなりそうだね! ゴーレムのスペックアップ、箒ちゃんの紅椿も急ピッチで完成させなきゃ出しそれに、しーちゃんのISも調整しなくちゃね」
そう言うと、PC画面からラボの別の部屋の映像が映し出される。中身はまだ未完成のようだがフレームだけは完成しているらしい。
それらは白式と同様、無駄なものを削ぎ落としたシンプルなデザインだった。
片や絢爛な真紅、片や繚乱な黄金。
名は体を表す。その言葉通りなら、紅い機体は篠ノ之箒のために作られたIS、紅椿だろう。
そうなると残りは、
「しーちゃんの第四世代IS、全能にして特化型。白式と紅椿、白騎士に暮桜と灼焼のノウハウを全て詰め込んだ最高性能。その名も、」
黄菊。
* * *
あとがき
東湖です。
これで一巻の終わりです。長かった……。
箒さんの独白については独自解釈だらけです。三巻の落ち込みようからするに今回もこれくらい落ちるだろうなあという予想のもと書きました。
次回からようやく話が進む! と信じたい。