side:ラウラ・ボーデヴィッヒ
私の生まれは闇と共にあった。
暗い暗い闇の中。人の温もりも知らず、試験管の冷たさの中に私は産み落とされた。
ラウラ・ボーデヴィッヒ。
それは私を識別するための記号であり、社会に紛れ込むための名称。
最強の兵士になるべく産み出された、人間の都合によって生み出された遺伝子強化素体。
その作られた生命が故に私は優秀だった。幼い頃より戦うためだけに学び、育てられ、鍛えられた。
私はその期待通り銃を取り、白兵戦をこなし、あらゆる戦闘機を操った。
その最強の地位を我が物として固めつつあった頃、一つの誤算が生じた。ISの登場である。
ISの機動性は戦闘機を上回り、攻撃力は戦車を軽く超え、防御力は機関銃や砲弾の一斉射撃では歯が立たない。
戦車や戦闘機といった戦争のための兵器はISの前ではただのガラクタに成り下がり、男たちの世界はISによって女たちの世界に一転した。
当然、現存する最強の兵器であるISは軍にも重宝され、軍にも配備されることとなるのは時間の問題だった。
女しか扱えないISは当然生物学上、女である私にもその役目が回ってきた。
私はその地位が揺らぐ不安はなかった。ありとあらゆる兵器を扱ってきた私が遅れを取る訳がない。
そんな自尊心と自信を少なからず持っていた。
そんな最強を更なる高みへと導くべく、軍は私たちにナノマシン移植を薦めた。
脳への視覚信号の伝達速度の向上と超高速戦闘下での動体反射の強化を目的とした肉眼のナノマシン移植手術。
そのナノマシン移植した瞳は北欧神話に登場する神の名になぞらえて、『越界の瞳』と呼んだ。
理論上、まったく危険性はないとされていた。事実、移植手術を受けた隊員全員がその移植手術を成功し、後遺症も不適合も何も見られなかった。
―――たった一人、私を除いては。
起こる筈のない事故は私の番に回ってきた時に起こった。
それは意図して起こされたことなのか、本当に不具合があって起きたことなのか今となっては分かることはない。
だが残された事実として私の左の瞳は常に金色に染まった稼動状態になり、それを扱い切れない私は再び闇の中に突き落とされることになった。
人の不幸は蜜の味。
優秀であった人間が出来ないようになった時、人は優越感を得る。それは私の出生の特殊性のためか一層酷いものだった。
人の形をしたナニカが自分たち以下だという安息。それに対する侮蔑、嘲笑、蔑み。
私が失敗する度にその批難は日を追うごとに激しいものなっていった。そしていつしか私は「出来損ない」と呼ばれるようになった。
人の黒に塗り潰され私を覆う闇は更に深くなり、ついには私自身すらも見えなくなった。
ある時、一筋の光が差した。私の手を差し伸べるように伸びた一筋の力強い光。
それは救いの光だった。私を変える―――そんな予感をさせる光。
闇に落ちぶれたあの時だからこそ強く憧れを抱いた織斑千冬という、眩い光。
私はその光に手を伸ばし―――。
「………………ぁ」
気がつくとベッドの上だった。首をもたげると眩い光がカーテン越しに零れてくる。
どれほど長く眠っていたのだろうか。
最後に覚えているのは真っ暗な闇から差し込む光、眉間に走る痛み、教官に抱かれた時に感じた温もり。そして、教官が私を助け出した時のあの何とも言えない切なげな表情。その表情はブリュンヒルデらしからぬ感傷的なものだった。
(そうさせたのはおそらく私なんだろうな……)
私が勝ちに固執するあまり力に飲まれたがために教官は手を下すことになった。
紛い物とはいえ最強の剣士を止められる実力者を即席で用意しようと思えば、あの場には教官とジャンヌダルクの二人しかいない。
「っ……」
思案の最中に眉間に痛みが走る。その痛む場所を手で押さえると布の手触りがした。
恐らく教官の最後の一撃が運悪くも眉間に入ったのだろう。その時肌が切れる感覚はおぼろげに覚えている。
それが報いであるのであればどれほどよかっただろうか。
「気がついたか」
聞きなれたアルトの声と共に個別に仕切られたカーテンを開いて入って来たのは、この時間にはいる筈のない織斑千冬だった。
「教官……。授業の方は」
「それなら山田先生に任せてきた。それよりも、あれからたっぷり半日寝ていたぞ。全身に無理な負荷がかかった事による筋肉疲労と打撲がある。しばらくは動けんだろうが、まあそれだけ寝ていられれば心配あるまい」
そう言ってベッドの横のパイプ椅子に腰を下ろす。
「何が起きたのですか」
筋肉痛に痛む身体を押しながら、上体を起こす。
何かが起こったことは分かる。しかし何が起こったのかが分からない。それを当事者が何も知らないでは済まされない。
教官の端整な顔を赤と黄金の両目がまっすぐに射抜く。
しばらく黙っていたが一度ため息を吐き、開かれたカーテンが再び閉じられる。第三者に聴かれては拙い機密事項なのだろう。
「束が調べたところ、シュヴァルツェア・レーゲンにVTシステムが積まれていた」
篠ノ之束が私の機体を弄り回したことにわずかながらの嫌悪を覚えたが、その嫌悪感を包み隠すほど教官から告げられた事実が衝撃的だった。
ヴァルキリー・トレース・システム。
VTシステムと略されるそれはその言葉通り、誰もが過去のモンドグロッソの部門優勝者の動きを模倣することの出来るシステムである。
最強の動きを再現し、敵を屠るそんなシステム。
そんな夢のようなシステムには当然リスクもつきものである。
当初はヴァルキリーの動きを模倣するために作られた筈だった。しかし、その姿かたちまでも似せなければ動きの伝達に支障をきたすことが開発が進むにつれ露見していった。
それはシステムの稼動と再現に人の感情というのはあまりにもノイズが大き過ぎるためだろう。
開発はヴァルキリーの動きを再現することを優先していったその結果、VTシステムの使用者の自由意思を封じることになった。
今回のように部門優勝者の完全に模倣をするために使用者を閉じ込めることが開発中の起動実験で起こっていたことが押収された研究室のデータから報告されている。
結局、起動実験の暴走事故の多発は改善されず被験者の多くが廃人同然となり、その影響もあり開発は頓挫しアラスカ条約にもその研究開発・使用は固く禁じられまともな形になることなくVTシステムは表舞台から姿を消すこととなった。
そんな社会の闇へと消えた非合法の技術がシュヴァルツェア・レーゲンに積まれていた。
そしてそれを意図せずに起動させてしまった。いや、例の男に乗せられたとでも言うべきか。
「あれの使用には機体の蓄積ダメージ、操縦者の精神状態、そして操縦者の意志、というよりも願望という方が正しいか。それが起動のキーになっていたそうだ。現在、学園は極秘裏にドイツ軍に問い合わせている。今のところ知らぬ存ぜぬで通しているようだが、近々委員会によって関係施設には調査が入るだろう」
教官の言葉は耳に届いてはいたが、事の大きさに頭にまったく入ってこなかった。
VTシステムを使って始めて理解する。
確かに私は強大な力を望んだ。比類なき最強を。全てを排除出来る絶対を。
それを欲したことには違いない。
しかし実際にその力を手にしてみてあったのは教官の動きを再現出来た嬉しさとか強大な力を持った優越感とかそう言った感情は全くなかった。ただただ無機質にブリュンヒルデの技を再現して敵を排除する機械に成り下がった屈辱感だった。
機械に感情を閉じ込められた世界。そんな人らしい感情さえも失われてしまう世界に、どうしてか私は恐怖した。
自分が自分でなくなる感覚、ラウラ・ボーデヴィッヒがなくなる感覚。
私は最強の兵士として完成されることに意味があった。
そこに感情という余分は必要無い筈だった。
情は正しい判断を鈍らせる。それを乗り越えて判断してこそプロフェッショナル。
そうあることが私には求められている。少なくとも、以前の私にはそれが可能だった。
情けもかけず、正しい判断を下せたそうであったと信じていた。
しかし、そのノイズが私を作る思想と相反することとなる。
では一体私は何になりたかったのか……? 何をしたかったのか……?
そもそもどうして私は―――。
「――――――あ」
一つの結論が心に波紋を落とす。
ああ、そうか。
私はただの一兵卒ではなく―――。
一人の人間になりたかったのだ。
兵士である前に人間でありたかったのだ。
でも人になることにはどうしたらいいのか分からなかった。そう生き方を教えられなかったから。そんな在り方を求められなかったから。
だから憧れた。
織斑千冬という存在に。
強く、気高く己を持つブリュンヒルデに。
それが理解出来ると涙が頬を伝う。
機械は涙を流さない。
涙は生物である証。感情は人が生み出した慈しみの産物。
それを今私は大いに噛み締めているのだ。
「何を泣いている」
「私は、貴方のようになりたかったんです。どこまでも突き抜けるように強く、凛々しく、はばかる壁もなんともしない、そんな圧倒的な強さに私は憧れた。私は憧れただけなんです……。
貴方になりたかっただけなんです……」
それが15の少女の全てだった。
事故によってどん底を味わい、拾い上げてくれた時のあの時の感情が今の私を作り上げている。
私が生きていく理由は憧憬しかなかったのだ。
教官のように強くありたい、負けない力が欲しい、あの戦いの内にそう思ったのは間違いではない。
失敗作の烙印を二度と押されないようにするために。
憧れることはいけないことなのですか? 貴女のようになりたいと思うことはいけないことなのですか?
その問いに答えられる者はいない。
それは決して悪いことではないことを知っているのだから。
「だから、お願いです……」
―――捨てないでください……。
両目から堪えきれずにぽとり、ぽとりと熱い雫が手の上に落ちる。
そんな不安の前にどうしようもなく自己を制御出来ない。
見切られてしまうだろうか。嫌われてしまうのだろうか。
そう考えるだけで手足が恐怖に震える。
支えを失った私はまた暗闇に身を投げることになるだろう。
そして次はきっと戻ってくることは出来ない。
その再び落ちるという状況というのがどうしようもなく、恐ろしいのだ。
それを静かに見ていた教官は呆れたように大きくため息を吐いて、
「誰が捨てるか、戯けめ。お前のような問題児を外にほっぽり出すわけにはいかん。この三年で社会に出しても恥ずかしくないよう矯正してやるから覚悟していろ」
そういつものようにごくごく普通に、吐き捨てるように言い放った。
その一言は厳しく、けれども温かく不安に怯える私の心を溶かし、安心感が心を満たしていった。
「ありがとう、ございます。教官……」
溢れ出す涙を拭いながらそれだけをどうにか絞り出すと、そこで感情は決壊した。
今まで吐き出されていなかった分まで流し出すかのようにひたすらに泣いた。
私を落ち着かせるために背中を摩る教官の手は、温かく優しかった。
ひとしきり泣いて気分が落ち着くと教官にみっともない姿を見せたという羞恥の念が瞬時に襲った。
「き、教官。その、みっともない姿をお見せして申し訳ありませんでした」
教官自身はそんなことを気にする素振りもなく、なんでもないかのように頭を振った。
「いや、泣くことはみっともないと私は思わない。それに、強くなることを望むことは間違いではない。お前が問題なのはその“強さ”について何も知らないから問題なんだ」
「“強さ”……」
「何のために力を振るい、何のために戦うのか。貴様にはその使い方を示していなかったな」
そう言ってしばらく思案した後、口が開かれる。
「“私のために戦うな”」
「え……?」
教官のその一言に思わず耳を疑った。
「お前は私を中心に思考が動いている。私に仇なす物は貴様の敵。そう考え、そう思い込むから今回のことに発展するのだろう。だから、私のために戦うな」
「し、しかし……!」
「私は新興宗教の祖になるつもりはないぞ? 思考を放棄するな。若いお前にはまだ無限の可能性が秘められているんだ。それを私への盲信で棒に振るな」
そう言い切るがそうなれば私は今後、どうしていいのかが分からなくなってしまう。それほどに自分とは何もない存在だ。
だから教官の存在が必要だった。私を導く道標だった。教官のために戦うことは私の中の確立された一つの在り方だった。
しかし、そのあまりに大きな柱を否定されてしまった。
そんな不安に俯いている私に教官は口を開く。
「ラウラ・ボーデヴィッヒ。私はお前が思うように強い存在ではない。昨日のようにお前を傷付けてしまう時もあるし、一夏を危機に晒したこともある。織斑千冬という個人はあまりにちっぽけな存在だ。あまりにちっぽけであまりに弱い生き物だ。そう言った意味で私は貴様とそう対して変わらん」
教官の言葉に思わず目を見開く。教官は自分を“弱い”と称した。だから私の口から次に出る言葉は決まっている。否定だ。
「そんな筈は……!」
「買い被りすぎだ。私は全知全能の神なんかじゃないただの人間だ。だいたい世界経済や宗教問題に女尊男卑を私一人でどうにか出来るとでも思うのか?」
「………………」
そんな薄っぺらな私の答えも教官の言葉にはかき消されてしまう。
軍人だって出来る範囲がある程度限られていることは理解している。
教官にしても世界一のネームバリューがあればその出来ることの範囲は私よりもずっと広いだろうがこの世に蔓延る全ての問題を解決することは出来ないだろう。
そんなことを出来るとすれば、きっと世界征服を出来る人間だけ。
「以前、束は『一夏がいなければと私とお前と出会わない』と言ったな? 一夏がいなければ私は大会二連覇することが出来ただろう、と」
確認するように教官はそう口にする。
その意見は悔しくも当たっている。教官と出会わなければ、私は今も闇の中に囚われたままだっただろう。ひょっとしたら私という存在はなくなっていたかもしれない。
そう考えればやはり彼女の言葉は真に間違ってないのだろうか、と考えが及んでしまう。
「だが考えてみろ。それは言い換えればお前を教えた織斑千冬があるのは一夏がいるからということなんだ。あいつがいるから、強さとはなんたるかを心のなかで持ち続けることが出来る。
あいつがいなければ、おそらくは力に溺れていたのだろうな」
そんな筈はありません、とすぐに否定しようとしたがそれが出来なかった。
それは私が道を誤ったように。織斑千冬もその可能性がゼロであることが否定出来ない。
教官の口から出た言葉は織斑千冬がどうしようもなく人間であることを感じさせる。
織斑一夏をなくして、織斑千冬の存在はありえない。
それをまざまざと感じさせられることが非常に歯痒かった。
「お前が私のことを憧れようが恨もうが勝手にしろ」
だが、と教官は言葉を区切る。
「お前は私のようになることは出来ても、私自身になることは出来ん」
そうきっぱりと教官は言い切る。
「お前はお前だ。ラウラ・ボーデヴィッヒという人間は一人しかいない。誰もお前の代わりにはなれないし、お前は誰にもなることは出来ん」
織斑千冬がこの世界にたった一人しかいないように。
ラウラ・ボーデヴィッヒもこの世界にたった一人しかいないということ。
「そしてお前自身をお前を作れ。胸を張って私とはこういう人間だと胸を張って言えるようになれば、そうだな半人前くらいには認めてやるさ」
「そ、そんなことを仰られても……。私には何もありません……」
「何もないというのならばなおさらちょうどいい。その空っぽな器にこれからいくらでも好きなように詰め込めるじゃないか。それともお前が私を尊敬しているというのは嘘だったのか?」
「い、いえ! そんなことはありません! 私は教官をお慕い申し上げております!」
「ほら、あるじゃないか。お前のものが」
教官の意地悪な質問に呆気に取られ思わず、あ……と小さく声が漏れる。
そうだ。教官に抱いた憧れも、織斑一夏に抱いたあの憎しみも、篠ノ之箒に負けたくないという想いも全て私が感じたもの。
私がそう思い、そう感じた私の心。綺麗なものも、醜いものも私から生まれた「ラウラ・ボーデヴィッヒ」のもの。
「そうやって色んなものを詰め込んでお前はこれから何者でもない、ラウラ・ボーデヴィッヒになればいいさ」
―――私が私になる。
おかしな言葉だが、それは私の心のなかに深く染み込んでいった。
それは当然の筈なのに、どうしてこうも胸を熱くさせるのだろう。
ラウラ・ボーデヴィッヒを始める。
きっとこれはそれを表している言葉なのだろう。
「ああ、その傷跡だがな。医師が言うにはそれほど深くないようだから時間を置けば綺麗に消せるそうだ。心配するな」
女の顔に傷など残れば貰い手がいなくなるからな、と教官は続ける。
容姿は無頓着な方だが確かに顔に傷が残れば嫌なものだなと思い馳せる。
しかし、
「いいえ、これは残しておきます。私の過ちの証として。私の始まりの証として。そして教官を苦戦させた名誉の負傷として」
こればかりは別だろう。
この傷こそが私が進むために必要な新たな道標。
過ちを犯しそうになった時に立ち止まらせる戒めとして。
自分を見つめ直すための印として。
教官は一瞬呆気に取られたような表情をするが、それもすぐにいつもの表情に戻りふっと鼻で笑う。
「物好きがいたものだ。後からキズモノにしたと騒ぎ立てても責任は取らんぞ?」
そう言って教官は椅子から立ち上がり保健室を出ていこうとするとああそれと、と言って思い出したかのように一枚の紙切れを渡す。
「織斑先生、これは……?」
「今月末の学年別トーナメントだが、どこぞの馬鹿がやらかしてくれたおかげで急遽タッグマッチになった。そこにペアの名前を書いて期日までに提出すること。提出がなかった場合、抽選でペアの選出となるので不参加扱いにはならんので安心しろ」
目の前の紙切れに対しての簡単な説明を受けるが、気後れしてしまう。
「なんだ、理解できんのか?」
「あ、いえ……。あんなことのあった後だというのに、私にペアを決めろと……?」
「お前に足りないのは人と関わることだ。人を見下してたお前には丁度いい薬だ。この機会にもっとお前自身を見つめ直してみてはどうだ」
私自身を見直せと言われても私には何も―――、
「何もないなんて言うなよ? 搾り出せ、捻り出せ。そうすればお前という人間のエッセンスが多少なりとも出るだろう」
言おうと思っていたことを先に口に出されてしまい、それを封殺されてしまう。流石、教官……。
では、と今度こそ用事がなくなった教官は部屋を出ていこうとする。
「教官は織斑一夏がそんなに大切なのですか?」
質問に足を止める。
「まあ、そうだな。家族だからな」
僅かな思考の末、振り返らずに質問に答える。
「教官に多大な迷惑をかけているのにですか?」
「迷惑をかけられたとは一度も思ったことはないさ」
その言葉に息を呑む。
モンドグロッソであれだけの仕打ちをされて尚、迷惑と感じないなんて。
しかし思えば彼と教官の二人しかいない家族だ。その片割れを失うことを迷惑に感じることがあるだろうか。
そこまで言われてしまえば二人の絆に入り込む余地のなさを感じさせられてしまう。
ああ、ただと教官は振り返る。
「面倒事を運んできたなと頭を痛めたことは何度もあるがな。あいつの姉であることはそれなりに苦労するのさ」
その一言に思わず笑いがこみ上げてくる。
「何がおかしい、ボーデヴィッヒ」
「いえ、教官は彼のことを思ってらっしゃるんですね」
「どこをどう解釈すればそうなる」
教官から訝しげな視線を向けられるが笑いは一向に収まりそうにない。
「泣いたり笑ったりおかしな奴だ。だが、そうやってる方が前よりずっと人間らしいな。これからも人間になれるように励めよ小娘」
最後にそう言うと授業のために部屋を出て行った。
教官が出て行った後もしばらくは笑いは収まらなかった。
好き放題言って出て行ったがあれだけ言って結局のところ、解決策を何も提示せずに自分で考えろというのだから厳しいことこのうえない。
でもそれが教官の優しさなのだろう。この答えは私にしか出すことが出来ない難題なのだから。
「織斑一夏、か……」
あれほど憎かったのに、教官の話を聞いていると織斑一夏への憎いという感情は不思議と消えていた。
いや、今まで憎いと思っていた感情はきっと嫉妬だったのだろう。
自分よりも教官に近い存在でいる織斑一夏がどうしようもなく妬ましかったのだ。
気づいてしまえばおかしな感情だ。私よりも彼の方が近くにいる時間が長いに決まっている。
だから私と彼とでは優先順位では向こうの方に歩があることぐらいすぐに理解出来る。
でもそれを認めることが出来なかった。あれだけのことをしておきながらのうのうと過ごしてきたのが許せなかった。
姉の名を汚したことの罪悪感があるのならば、もっと力に貪欲になってもいいはずだ。
私はそういう闇の中を足掻いていたから、教官の名を汚すことにならないように必死に足掻いてきた。
だから許せなかったのだろう。姉の名を守ると言いつつも、そういう努力を怠り今日という日まで過ごしてきた織斑一夏を。
あとはそう、羨ましかったのだろう。家族の絆というやつが。
私はそういうものとは全くの無縁だったのだから。
だから教官が彼のことを話すときの憮然とした顔が緩むことが落ち着かなかったのだ。
『知りたい』
それが今の織斑一夏に対する想いだ。
織斑千冬の心の支えであり、その強さの根幹である織斑一夏を。
教官が強くいられるその拠所とはどんなものなのか―――私は知りたくなってしまった。
* * *
3ヶ月振りであります。作者の東湖です。
しばらく二次創作を書くことから離れていましたが、やっぱり未完よくないということで帰ってきました。
これからもペースが不安定になると思いますが、長い目で見てやってください。よろしくお願いします。
さて、ラウラの話も終わっていよいよトーナメント。今後の展開は一応、構想はあるんですがどうしましょう……。