No.022『虐殺』
「――おい、マジでぶち殺すぞ? 良いからさっさと『同行』か『磁力』を出せ」
「ねぇ、さっきから誰に物言ってんの? 何なのかしら、この愚かな身の程知らずは」
まるで会話が噛み合わず、ヨーゼフは殺意と苛立ちを顕にした。
白いゴスロリ服を着たおさげの少女もまた同様の反応を示し、臨戦体制に入る。
彼女の身体から漲るオーラはコージ組よりも上等なものであり、まだグリードアイランドに此処までの実力者が居る事にヨーゼフは内心驚いた。
「なるほど。嬢ちゃんもその歳で中々の使い手だ。賞賛するぜ」
確かにそれほどの強さを持っているなら己に過信の一つや二つぐらいするだろう。
ヨーゼフは手っ取り早く『練』でオーラを練り上げ、圧倒的な差をその紅眼に見せつける。
「これで格の違いって奴を理解しただろ? オレは大人だからな、暴言の一つや二つぐらい聞き流してやる。『同行』か『磁力』を寄越せ」
迸る怒気を籠めてヨーゼフは少女を脅し――されども、少女の口元は歪ませて、満開の笑みを浮かべた。
「くく、あはははっ! 本当に嬉しいわぁ、このグリードアイランドで手加減しなくて良い相手が居るなんて。――『同行』使用、ソウフラビ」
本すら出さず、少女はそんな事を囀り――在り得ない事に、独特の浮遊感を経てヨーゼフは共に飛ばされた。
(本を出さずに呪文カードが発動しただとォ!?)
その異常を可能とする唯一の存在を、彼は知っていた。彼等が探し求め、見つからないと結論付けた最終対象――。
「まさかテメェが『幽霊』かッ! コイツは良い、飛んで火に入る夏の虫か、怪我の功名って奴だなァ! テメェの隠し持つ指定カード全部を渡して貰おうか!」
ルルスティの方はバサラが何とかするだろう。今、この少女から指定カードを奪えばそれで晴れてゲームクリアとなる。
予期せぬ幸運にヨーゼフは歓喜した。
まるで運命だ。飛び切りの不運に見舞われたと思ったが、もはやこれは自分達の組がゲームクリアしろという神からの天啓だろう。
「不貞不貞しい奴だねぇ、まな板の上の鯉の分際でさ」
おさげの少女はくつくつと笑う。それは憐憫であり、同時に嘲笑であった。
――おかしい。今、この少女が浮かべて良い表情は圧倒的な敵に対する恐怖と畏怖、これから行われる一方的な殺人劇への絶望だけである。それなのに何故――。
「ハッ、勘違いも此処まで来れば大したもんだ。嬢ちゃん程度の発展途上の『練』じゃオレには――」
「『練』? そんなの此処に来てから一度も使ってないわよ」
今の段階で中堅ハンターの領域を超える程の量のオーラを纏いながら、彼女は心底不思議そうに言った。
ヨーゼフは「は?」と呟いた。空耳か聞き間違えか、在り得ない言葉を聞いた。彼の反応はまさにそれであった。
「何奴も此奴も柔でさぁ、使ったら戦闘にもならないからねぇ。その分、アンタは合格。――簡単に殺されないでよ?」
そして、彼女はグリードアイランドに入ってから初めて『練』を使った。
ぞわっと、人間とは思えない禍々しいオーラに全力で身震いする。
彼女を中心に渦巻く凶々しいオーラの規模は、彼が遭遇した中で最強格を誇るレイザーをも超越していた。
此処に至ってヨーゼフは何方が力量の差を勘違いしていたのか、否応無しに思い知る事となる。
(……な、何だこの馬鹿みたいなオーラはッ!? このオレの倍、いや、三倍以上だと……!? 在り得るのか、こんな不条理がァ……!)
こんな少女が、自分の半分も生きていない小娘が、何故此処までの力を得られたのか、ヨーゼフは全身からカタカタと震える。
才能の違い? 血統の違い? そんな些細なものなど、飽く無き努力と修練の果てに凌駕して行った。何が何でも、今の彼女の存在を認める訳にはいかなかった。
「――ッ、外見年齢と実年齢が違うパターンか!?」
「失礼ね、私はビスケとは違ってぴっちぴちの十二歳よ?」
「っっ、巫山戯るなァッ! 高々十二年程度で其処まで鍛えられるかよオオォッ!」
それはヨーゼフの魂からの叫びであり、少女は天使のような微笑みで心の底から嘲笑った。
「一ヶ月で十分間」
一体何の事か、錯乱状態にあるヨーゼフには察せず、構わず少女は続けた。
「ビスケが言っていた『練』の時間の事さ。私はね、念に目覚めてから九年間、一日足りても欠かさず『練』の鍛錬をした。――才能無かったのかな、ゴンやキルア達のように一ヶ月間で二時間も『練』の持続時間を増やせなかったけど、十分間ずつ伸びていった。まぁグリードアイランドに来る前に成長限界に達しちゃったのか、カンストしちゃったけどねー」
――もしも、彼女の戯言が真実だとすれば、一年間に二時間ずつ『練』の時間を伸ばし、今や十八時間も持続出来る程の化物、という事になる。
ヨーゼフでも最高に調子が良い時でも六時間程度が限度なのに――彼と彼女の差は、余りにも不平等だった。
「さて、お喋りは此処で終わり。安心して死んでね」
「っ、舐めんなよこのクソガキがアアアアァ――!」
ヨーゼフは獣が如き咆哮を上げ、自らの肉体を最高の殺戮兵器に作り変える。
これが変化系の真髄だと言わんばかりに、純粋な破壊のみに特化した筋肉へと豹変し終え――一つに束ねられたおさげを背中に揺らす少女は、完全に見下しながら率直な感想を述べた。
「やぁねぇ、醜い顔――」
ぷちんと頭の中の何かが切れ、ヨーゼフは怒りに任せて突進した。
掠っただけで粉微塵になるような暴力の塊に、少女は正面から立ち向かった。
大木の如き異形の魔腕から振るわれる拳打は全て空振り、少女の細腕から繰り出された拳がヨーゼフの顔を何度も盛大に殴り飛ばす。
「グオォッ!?」
あんな、掴めば折れそうな細腕から無視出来ないほど重いダメージが叩き出され、蓄積する。
咄嗟に苦し紛れで繰り出した蹴りは膝打ちで迎撃されて骨を粉砕され、全オーラを纏って『硬』となった渾身の拳がヨーゼフの顔面に叩き込まれ、意識がブレながら殴り飛ばされる。
一本目、二本目、三本目――衝突した四本目の大木にして漸く止まるが、根元から折れて倒壊する。
「――クソッ、タレェ……!」
純粋な力と耐久は此方が圧倒的に上であり、オーラの総量に並外れた差があれども、一発でも入れば致死には程遠くてもダメージは与えられる。
だが、純粋な速度とオーラの攻防移動の速さには天と地ほどの差がある。迂闊に『堅』状態から『流』で動かそうものなら、薄くなった部分から引き裂かれるだろう。
「あら、それが素顔? さっきより良い顔だねぇ」
「巫山戯るなァッ! こんな、こんなガキに! 何の代償も覚悟も背負ってないガキに負けるなど、そんな不条理が許されるかァアアァ――!」
怒り狂うヨーゼフは自身の右腕を変形させ、平面にひたすら肥大化され、巨大な蠅叩きの要領で逃れようの無い面攻撃を叩き付ける。
そして握り潰して――途端、鋭利な激痛が走る。巨大な掌を八つ裂きにして突き破って、穢れ無き純白を真紅の鮮血に染めたゴスロリ服の少女は童女のように笑う。
「グギィ――!?」
彼女の血塗れな両手には見慣れぬ短剣が握られており、少女はその二本を即座に投擲した。
具現化した獲物か、愛用の品か――前者ならば碌でも無い効果が付属されている可能性が極めて高い。
激痛に悶えながらヨーゼフは飛翔したナイフを屈んで躱し――不似合いなほど大きな破砕音が響き、巨木が倒壊して森を崩す。
「うーん、やっぱり白は駄目ね。すぐ染まっちゃう」
少女は目の前に敵を全く気にせず、自身の服の汚れに口を尖らせる。
あの化物じみた少女を前に一瞬でも目を離すという愚行は絶対に犯せないが、彼の背後にあった大木が一投で崩れ落ちるなど、明らかにおかしい威力だった。
(何だあの短剣、何かとてつもなくヤバい仕掛けがある! これが奴のメインの能力なのか!?)
何の躊躇無く投擲した事から愛用の品ではあるまい。
恐らく幾らでも代用品を作れる具現化系――しかし、具現化した物を手放して使えば放出系の領分になってしまい、威力も精度も大幅に低下するだろう。
(それを覆す能力が付属されている? 着弾した瞬間に爆発して炸裂でもするのか? クソクソクソッ、こんな面倒な事を考えるのはオレの領分じゃねぇよ!)
彼等の参謀役が此処に入れば即座に彼女の能力の正体なんざ看破して攻略法が立てられるのだが――ヨーゼフが焦りながら無い物ねだりする最中、少女は次々と同じ短剣を具現化し、連続で投擲する。
「――っ!」
短剣が着弾した箇所は爆発したかの如く破砕される。
ヨーゼフはこの破壊力に戰きながら、必死に走り、紙一重で回避する。が、一本、回避した方向に先回りされて放たれる。
(――避け、いや間に合わねぇ! クソオオォ!)
彼の頭部目掛けて飛翔するそれを、ヨーゼフは負傷覚悟で変化させて強化した手で受け止め――危うく貫通して何処かの陰獣みたく死にそうになるが、手の肉を貫いた処で止まる。
(痛ぇ痛ぇ痛ええええぇ! クソ、絶対ぶっ殺してやるッ! 絶対に犯して殺してまた犯してやるッ! これでこのクソッタレの短剣の仕掛けが――は?)
そしてヨーゼフはこの短剣に――何も仕掛けが無い事を漠然と悟った。
これは単に丈夫で非常に重いだけの、本当に何の能力も付属されていないただの短剣だった。
強いて言うならば、オーラを籠めやすく、術者が手放しても霧散し難い事だけか。
そんな初心者レベルの簡易な具現化ならば、手放しても具現化の精度も威力も然程落ちずに保てるだろう。
戦闘中に関わらず、思考に一瞬の空白が出来上がる。
こんな稚児じみた具現化能力は明らかに魅せ用の能力であり――その致命的な隙を見逃すほど少女の性根は甘くない。
さながら弾幕の如く無数の短剣が投げられる。
ヨーゼフは咄嗟に手を八つに増やして対応するも、取り零しが次々と彼の体に突き刺さる。足を止めてしまったのが運の尽きだった。
(――はは、運? おいおい、んなもん最初から無かっただろ。何で最初に出遭ったのがコイツなんだよ……)
――血飛沫が流れ、突き刺さった短剣で身体が物理的に重くなる。
だが、抜き取る暇など彼女が与える筈が無く、その為に身体能力が鈍ってより穿たれる数が増えるという足掻きようの無い悪循環に陥る。
(――暫く忘れていたな、この感覚……)
一本に付き大体五十キロ前後かと、秒毎に鈍る思考は「ゾルディック家の特注品かよ」と突っ込みながら、ヨーゼフは地に倒れ伏した。
既に眼下は真っ赤であり、瀕死の彼を中心に血の海が出来上がる。他人の血なら見慣れた光景だが、自分の血で溺れるとなると笑うに笑えない。
(あれは、絶対に戦ってはいけない敵だった――)
修行時代に幾度無く遭遇し、必死に逃れて――久しく忘れていた己の死の感触にヨーゼフは血反吐を吐きながら身震いする。
「……参っ、た。オレの、負けだ。ブック、頼む、これで、見逃して、いや、助けて、くれ。このままじゃ、流石のオレも、死んじまう……」
「ああ、その必要無いよ。残りは『影武者切符』と『シルバードッグ』だけだから」
「……は?」
――二人にあった致命的な齟齬は最後まで消えない。
そんな事も解らないのかと、少女は小馬鹿にしたように冷然と見下した。
「君達の独占が崩れたお陰で後はコージ組が独占するカードだけだって言ったの」
「ま、待て。降参、降参しただろ……! 手を上げて、無防備になった奴を、殺すってのか……!?」
「私が殺害対象に認定するほどの有力なプレイヤーは君で二人目だ。あの世で誇って良いよ」
少女は短剣を具現化して、手の先でくるりと回しながら弄ぶ。
「待て、お願いだから待ってくれ……! お前も、お前も同胞だろッ! 同じ日本人の仲間を、その手で殺すのか!? そんなの嫌だよなぁ、オレだって――」
「――これは予感だけど、君の仲間も私が殺す事になるだろうね」
その少女の死刑宣告じみた言葉が、無様な命乞いを選んだ彼の眼の色を一瞬にして豹変させ――正真正銘、最期の力を振り絞った特攻になる。
「……誰がァ、やらせっかよオオオオオオオオオォォォ!」
それは自身の生存を度外視した、否、死を前提とした一度限りの秘技。
全骨格、全筋細胞を液状に変化させ、自身だったモノの全てをあらゆる生物を一瞬で死滅させる究極の致死毒と成す。
――殺させない。この世界で唯二人だけの仲間を――。
彼の決死の特攻は、されども少女には届かなかった。
たった一歩、されども明暗を分けた大きな一歩、後ろへ大幅に退く事で完全に回避する。
「失敗失敗、これもある意味死者の念だけど違うんだよなぁ」
少女は残念そうに呟き、何の未練無く踵を返した。
――醜悪なまでの瘴気を色濃く残す猛毒の死地。
恐らくこの凄まじい怨念は晴れる事無く、未来永劫留まり続けるだろう。それが無貌の彼の墓標だった。
ヨーゼフ(♂24)
変化系能力者
【変/強/操】『千変万化(メタモルフォーゼ)』
自身の身体を自在に変化させる能力。
必要性が欠片も無かったが「千変万化の肉体に原型は必要無い」という理由で元の体を削ぎ落として焼き、実際に能力の性能が飛躍的に向上する。
他人に瓜二つなほどそっくりに化ける事や、異形の怪物に変化して身体能力を爆発的に向上させるなど、応用性に富んだ能力である。