No.030『蟻喰い(4)』
――異変は『十発目』から訪れた。
どういう仕掛けか、ギバラは自身の身体に強烈な違和感を覚える。
この戦闘での消耗はあの少女の方が数倍激しい。此方は変わらず、徐々に動きが悪くなる。勝敗の天秤は刻一刻とギバラの方に傾いていく。
(……っ!? 何だ? 何故今の一撃を外した!?)
何度か追い詰め、確実に捉えたと確信して拳を振るったのに関わらず、安易に避けられる事が何度も起こった。
(間合いを読み間違えた? このオレが……!?)
未だに全貌を把握出来ないが、相手の能力の発動条件が整ってしまったらしいが、違和感はあれども原因が掴めない。
息切れ一つせずに困惑するギバラに、おさげの少女は息切れしながら笑い、狙撃銃で撃つ。
(おいおい、流石にそんなのは避けれるっつーの!)
ギバラは撃たれる前に回避行動を取ったが故に、今回の甘い一撃をギリギリで躱せる――筈だった。
されども横腹に着弾し、また衝撃無く消える。今度は避けられる筈だった銃弾を受け、被弾回数は十一発となる。明らかに異常だった。
(何だ? 精神系に干渉する類か!? 絡繰りが解らんがとにかくヤベェ……!)
これ以上被弾するのは不味い。ギバラは多少危険を覚悟して距離を詰め、一撃で殺さんと全力で拳を振るう。
彼女の普通の攻撃でダメージが無い以上、一度でも捕まえればそれで終わり――ギバラは銃が無用の産物になる零距離まで踏み込み、イルは狙撃銃の具現化を一旦解いて迎撃する。
(一発はくれてやる! それを掴んで――!?)
イルの繰り出した拳がギバラの腹に突き刺さり、「がはっ!?」と吐き出してくの字に折れる。
確かにその一撃は『硬』だったが、ギバラの『堅』を貫く程の威力は無かった筈――続く『硬』の回転蹴りを顔に受け、痛烈にノックバックする。
(奴のオーラは同じ量! それなのに何故攻撃力が上がっている!? ……違う。奴は変わっていない。変わったのは、防御力が下がったのはオレ!?)
追い打ちに再具現化した狙撃銃の銃弾を受け――『十二発目』にしてギバラは違和感の正体を掴んだ。
あの銃弾でオーラを与えられているのに関わらず、自身のオーラの全体量が急激に減っている。
そして自身の手にも見える異常があった。長年付き合った我が手が他人のように感じる。長年掛けて鍛え上げた肉体が、極限まで圧縮された筋肉が、明らかに目減りしていた。
「まさか、テメェの能力は……!?」
今更気付いたのか、と狙撃銃を構えるイルは凄絶に嘲笑う。
客観的に見れば、この能力の効果など『五発目』ぐらいから一目瞭然だが、それが自分視点だけとなれば自覚が遅くなる。
「この狙撃銃の能力は至極単純、着弾した対象に銃弾を中身ごと吸収させる事のみ。容量(メモリ)が限界だったんでね、これ単体では相手にオーラを吸収させるだけで無意味な能力よ」
相手を絶対に傷付けず、オーラを与えてしまう無意味な能力。
だが、足りないのならば他から補えば良いという言葉通り、イルは致死の銃弾を外部から用意した。
――そしてそれは、このグリードアイランドにあった。
「けれど、これの銃弾に『魔女の若返り薬』を入れれば、生後一年未満の蟻を一撃で確殺出来る、対蟻専用の最強の念能力『蟻喰い(キメラアントキラー)』になる」
『魔女の若返り薬』入りの銃弾を十二発も浴びて、十五歳まで若返ったギバラを見下しながら、イルは勝ち誇るように笑う。
人間相手には年齢分着弾させなければ殺せない不便極まる代物だが、生後一年未満の蟻ならば、ネフェルピトーであろうが、モントゥトゥユピーであろうが、シャウアプフであろうが――恐らくは、王さえも一撃で殺せるだろう。
「……何が理想が強化系だ。テメェのその能力の方が数倍も悪辣だろうによォ……!」
「怪我の功名って奴よ。特質系の私では奴等に傷一つ付けられない。此処まで追い詰められなければこれに辿り着かなかったでしょうね」
此処に勝敗の天秤はイルの方に傾き落ちた。今のギバラのオーラ量はバサラ達程度しかなく、既に素手で殺せるレベルである。
「逃げるなら今の内よ? 死ぬまで逃がさないけど」
「誰が逃げるってんだ、このヤンデレめ。ちっ、長年の修練が台無しだ。また鍛え直さないといけねぇから『クラブ王様』が不必要になっちまったぜ」
少し緩くなった靴を無造作に脱ぎ捨て、臨戦体勢を取る。
未だにギバラの眼から戦意は薄れず――逆に爛々と輝いていた。彼もまた自分と同じような狂人である事を改めて思い知り、少女は静かに笑う。
「さぁて――あと何発で死ぬかな?」
「残り十五発だクソッタレ!」
「選んだのは17『大天使の息吹』62『クラブ王様』65『魔女の若返り薬』――以上の三枚で本当によろしいですか?」
「ええ」
全ての敵対者を排除した上でグリードアイランドをクリアした『ジョン・ドゥ』――本名、イル・アルテナは三枚の指定カードを受け取り、現実世界に帰還する。
その一室はテーブルとテレビに接続されたジョイステ、その他様々な備品が備え付けられたハンター協会本部のビルだった。
「回収回収っと――」
グリードアイランドのロムとメモリーカードを回収し、イルは外に出る。
彼女は昨年、272期ハンター試験に唯一合格したプロハンターであり、この場所がグリードアイランドを設置するのに一番安全な場所と判断しての事である。
廊下をぶらぶら歩いていると、運が良い事に目的の人物に遭遇する。成人男性なのに彼女より背が低く、顔が豆粒みたいな年齢不詳の彼に――。
「おや? おかえりなさい、イルさん。グリードアイランドはどうでした?」
「ただいまビーンズさん。今クリアして帰ってきた処です。ネテロ会長はいますか?」
相変わらず珍妙な生物だと思いながら、イルは秘書みたいな立場の彼にネテロ会長の居場所を尋ねた。
仕事中ながら、ビーンズは快く案内を引き受けてくれた。
「本当に十三年間も引き篭もるんですか? 貴女ほどのハンターなら様々な分野で多大な功績を――」
「残念ですけど、星に興味は無いので」
「……あの予知を全面的に信じる、のですか?」
――原作知識を持って生まれた者は数十年前から輩出していたらしい。
その内の一人が、予言の念能力と題目付けて原作知識を一部の者――ハンター協会の上層部に知らせている。
蟻編までしか原作知識の無いイルからしてみれば迷惑極まりない話である。同年代に存在していたら間違い無く殺しているだろう。
「ええ、多少は変わるでしょうがね。私はこの生命を『蟻狩り』に全て賭けるって決めています」
「ですが、その十三年後に出現しなかったら――」
在り得る話だ。発生前――王が生まれる前、いや、直属護衛軍が生まれる前、雑兵が揃う前に女王を始末しようとする輩は絶対に出るだろう。
そもそも、事前にこの情報があって、未来の副会長が人間大のキメラアントの女王を用意するかどうかが死活問題となる。
「それがベストなんでしょうけどね」
もちろん、後者は神か実行犯と思われる副会長殿に祈るしかないが、前者の存在を許すつもりはない。十三年後の蟻狩りはまず最初に邪魔な同胞狩りから始まるだろう。
ビーンズに案内された先は特徴的な和室だった。何処か懐かしいようで、何処か違うその部屋に、彼女を超える世界最強の怪物は静かに鎮座していた。
「おぉ、久しぶりじゃのう。どうじゃった? ジンの作ったというグリードアイランドは?」
「ええ、あの人のネジ曲がった性格通り、凄まじい難易度のゲームでしたよ。出来れば、ソロプレイヤーでもクリア出来るように調整して欲しかったですね」
齢百を超える、ハンターの頂点であるネテロは笑う。
これで全盛期の半分だったとは、一体何の冗談だろうか。
もしも、イルがネテロと戦ったら、考えるまでもない。一瞬で『百式観音』の掌で潰されるだろう。
あの攻撃に耐えられる防御力は彼女にはないし、能力を全開に使用しても回避など到底不可能である。
持ち前の素早さで全部避ける事を前提とする彼女にとって最悪の相性と言って良いだろう。
「それで例の場所は?」
「うむ、案内しよう」
ネテロは徐ろに立ち上がり、イルに背を向けて先導する。
「おっと、そうじゃ。イルよ、お前さん『十二支ん』に入らんか? まだ『卯』が空いていてのォ」
「? 何ですか、その『十二支ん』というのは?」
振り返って子供のように笑うネテロに対し、イルは不審そうな眼差しで凡そ全ての可能性を疑う。
ネテロの要求はとんでもない事が多い。迂闊には返答出来なかった。
「ネテロ会長がその実力を認めた十二人のトップハンターの事です。有事の際には協会の運営を託したりします。メンバーは全員が星の称号を持っているプロハンターで、あのジンさんも一応所属していますね」
ビーンズが親切丁寧に説明し、あのジンが所属している事にイルは驚く。
ジンがいるという事は正真正銘、彼等が世界で五指に入るほどの念能力者の集団なのだろう。
だが、同時にそんな最強戦力があったのなら何故蟻編で出なかったのか、漠然とした疑問を抱く。
「それじゃ私では無理じゃないですか。私は星無しの新米ハンターですよ?」
「どの口が言いおる。グリードアイランドをクリアした事は、星一つに匹敵する偉業じゃと思うがのォ? ――何せ本来なら十二年はクリアした者が出ない筈だしのォ」
そう、本来ならゴン達が来るまでクリアした者が出ない。ネテロの人を喰ったような飄々とした笑顔にイルは苦々しい表情を浮かべる。
「今じゃ三ヶ月でクリアされたゲームですよ。……それにしても会長は信じているのですか? 御自身の死が予言されたあの与太話の数々を――」
「フォフォフォ、この年で挑戦者とは心踊るのォ。今から愉しみじゃわい。そういう御主は完全に信じているようじゃが?」
ネテロの底知れぬ笑顔を見て、何となくその『十二支ん』を呼ばず、ノヴとモラウを呼んだ理由が掴めた。
この爺は自分の手で狩る気満々なのだ。絶対敵わぬと知っていても、いや、逆に知っているからこそ自身の手で挑みたいのだろう。
「……食えない人ですね。お断りしますよ、私まで出し惜しみされちゃ敵わないですから」
「ホッホッホ」
「?」
あの勧誘が商売敵の排除に直結していたとは誰が考えようか。
イルは引き摺りながら顔を歪ませ、ネテロは意味深げに笑い、ビーンズは一人だけ疑問符を浮かべた。
程無くして目的の部屋に辿り着く。扉を開いた部屋には窓も無く、備品一つ無い空間だった。
「ここじゃ」
広さ的には申し分無いとイルは判断し、即座に「ブック」と唱えて三枚限定の本(バインダー)を開き、『クラブ王様』を取り出して「ゲイン」と唱える。
何も無かった部屋に酒場のカウンターと椅子が具現化され、複数の従業員が笑顔で持て成す。
「へぇ、これがグリードアイランドの指定ポケットアイテムですかぁ。念で具現化された従業員まで付属しているとは――」
ビーンズは見回しながら関心する。
この一室だけ時間の流れが変わる。自分から竜宮城に入って浦島太郎状態になろうなど、人生は何があるか解らないものだとイルは笑った。
ふかふかのソファーに座り、ウェイターから受け取ったジュースを飲み干す。
「それじゃ暫く引き篭もっていますので、何かあったら其処の呼び鈴でも鳴らして下さいねー」