No.008『磁力』
一ヶ月間の不眠の修行を終えて、再びコージ組はグリードアイランドの指定カード集めに復帰する事になった。
久しぶりの自分での睡眠は感慨深い。幾ら眠気が無くても意識が途絶えずに連続していれば精神的な疲労は蓄積される一方であった為、頭が妙に軽く思える。
だからこそ、もっと疑問に思うべきだったのだ。コージが何故その提案をしたのかを。
「そうだ、まずは呪文カードと指定カードを整理しようぜ」
その何気無い一言から始まり、コージは三つの本から忙しくカードを移動させる。
主に手に入れた指定カードはコージが持って、ダブりはユエ・アリスの指定ポケットに、というのが最初の話の流れであり、入れ替えなど最初から必要無い筈だ。
「いきなりどうしたの? コージ、何か企んでない?」
ユエはジト目でコージを問い詰めるが、コージは笑ってるだけで何も答えない。
ユエとアリスは不信感を募らせつつも、程無くしてこの妙なカードの整理が終わった。
「ごめんな、ユエ、アリス。すぐ帰ってくるから」
「コージ? アンタ、何を――!?」
コージの手にはカードが一枚握られており、制止の間も無く唱えた。
「『磁力(マグネティックフォース)』使用、ジョン・ドゥ!」
瞬間、独特の音を立ててコージは何処かへ飛翔して行った。
『磁力』は指定した他のプレイヤー(ゲーム内で出会った事のあるプレイヤーに限る)の居る場所へ飛ぶCランクの呪文カードである。
「あの馬鹿っ! 一人であんな危険な奴の処に――ああぁっ! コージの馬鹿ッ、移動系の呪文全部取って行ったぁ!」
「っ、私の本にも入っていない……!」
「んな!?」
「正面から覗きなんて無粋な輩ね」
其処に居たのは髪を下ろし、水浴びの途中だったのか、一糸纏わぬ姿で――いや、何故か腰元に鎖を括り付けて銀時計だけを垂らして浅い泉の中心に立つ、あの少女だった。
女性として色々大切な箇所を隠す素振りすら無く堂々と立つ少女に対し、顔を一気に真っ赤にしたコージは即座に後ろを向いた。
「ば、ばば、馬鹿野郎! 年頃の娘が何で全裸でッ! 今すぐ服着ろっ!」
「……背中向けて良いの? 隙だらけでいつでも殺せるけどー?」
「っ、お前には羞恥心とか欠片も無いのかよ!?」
予想外の事態に混乱の極地に陥ったコージは感情のまま叫び、少女は不用意に背中を見せる彼に純粋に疑問を抱く。
そして異性に裸を見られて何も感じないのかと、逆にコージが怒るという奇妙な構図となる。
「変な事を言うのね。蟻や猫に裸を見られた処で何か恥ずかしがる必要がある?」
どうやら異性以前の問題だったらしい。
その発言に一瞬にして理性が沸騰しかけ、堪忍袋の緒が切れそうになった。
だが、改めて今の状況を客観視すると、この状態で自分が切れても変質者が発狂するように、いや、最悪の場合『発情』するように見られかねない。一生ものの不名誉である。
「ああもう! 良いからさっさと着替えろっ!」
「人の水浴びを邪魔したのに自分勝手な奴ねぇ」
少女は呆れながら泉から上がり、着替えだす。
コージは後ろをずっと向いているものの、布の擦れる音などが生々しく耳に響き、胸の動悸が激しくなるばかりで落ち着かない。
素数を数えて冷静になろうとしても何が素数だったのか、今の錯乱した思考ではそれすら覚束無い。
「まだかよっ!?」
「女を急かす男は嫌われるわよ」
永遠にも等しいと思えるほどの短い時間が経過し、コージは漸く少女と対面する。
いつものゴスロリ服姿で、髪は濡れているので三つ編みに束ねていなかった。
「はいはい、何か用? 私の美貌に惚れて指定カードを貢ぐ気になった? 私ってば罪作りな女ね」
「……お前ってさ、最高なまでに性格悪いよな」
「あら、褒めても何も出ないわよ?」
嫌味の一つを平然と受け流す少女を見て、コージはがっくり項垂れる。
自分のペースを終始乱されている。彼は自身の両頬を叩いて活を入れ、早々に本題に入る事にした。
元より細々とした小細工など苦手だ、真正面からぶつかり合うのみである。
「要件は一つだ、この前のリベンジに来た!」
前回との違いを見せつけるが如く、コージは今現在の自分が出来る最高の『練』を少女に見せつける。
少女は小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべて、戦闘態勢に入る。
「確かに前よりオーラ量が少しは増えているようだけどー?」
明らかに見下した言い方であり、事実、その通りであった。
以前と比べればまだマシだが、自身のオーラは彼女の顕在オーラに届いていない。それでも前回が3倍差なら、今回は1,5倍差である。
「勝つ! つーか、勝つまでやる!」
その発言に少女の表情は即座に暗く沈み、機械の如く無表情から凍えるような殺意が放たれる。
「何か勘違いされたかな? 私はナックルのように優しくも無いし、ましてや甘い訳じゃ無いんだけど?」
「……ふん、オレに勝ったら指定カード一枚くれてやる! 『美肌温泉』だ。どうだ、欲しいだろう!」
彼女の恐ろしい顔貌に若干気押されながらも、コージは声を大きく発しながら張り合う。
「その代わり、オレが勝ったらお前の名前を教えて貰うからなっ!」
コージは指差しながらこの一ヶ月間、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすが如く宣言し――きょとんと、少女はその赤い眼をまん丸にした。
殺意溢れる緊迫した空気はいつの間にか霧散していた。
「名前? ナテルア――ああ、今はこれじゃなかった。えーと、何だっけ、あれだ、そそ、ジョン・ドゥだけど?」
「巫山戯んな! どう考えても100%偽名じゃねぇかっ!」
コージは怒鳴り散らし、少女は心底不思議そうに頭を傾げた。
「名前なんてどうでも良いじゃん。仲良く呟き合う仲でも無いし。正直さぁ、私自身、君の事に興味持てないんだけど」
――絶望的なまでの認識の違いが、其処にはあった。
否、彼女は凡そ全てに興味を抱いていない。
分類があるとすれば、自分とその他全てで片付いてしまう程までに、その実力も精神的も、あらゆる意味で隔絶している。
今の自分の事すら、敵とすら認定していない。いつでも刈り取れる程度の獲物、いや、道端に転がる石ころ程度の認識しか持っていない。
それが悔しかった。彼女にとっては自分など有象無象に一つに過ぎず、眼中にすら無い。
――生まれて初めての経験だった。他人に認められたいと、心の底からそう願ったのは――。
「――オレの名前はコージ、コージ・カカルドだッ! テメェの興味なんざ一々知った事じゃねぇ! 無理矢理でも刻み込んでやる、オレの名をォッ!」
地を蹴り上げて突っ走り、一直線に突っ込む。
それは前回の戦いの焼き直しであり、コージは敢えてそれを選択した。以前との違いを彼女に強く思い知らせる為に。
「まるで一人前の男の台詞じゃないの。そういうのは私に指一本でも触れてから言うんだね!」
(――速っ、だが、躱せられない程では、無い!)
初戦の時と同じように霞むような速度で繰り出された蹴りを、コージはギリギリの処で踏み止まって回避する事に成功する。
(良し、ぶん殴れる――!)
大きな隙を晒し、驚く少女の顔に渾身の拳を叩き込む。
だが、やはり簡単には行かず、その小さな右手で打ち出した右拳を掴み取られ、万力の如く固定されて押すも引くも儘ならない。
――まずいと思考した刹那、少女の左手からマシンガンの如く拳打がコージの腹部に叩き込まれる。
「がぁっ、つぁあ……!」
その猛撃を受けながらも、コージは構わず左拳を振るう。
苦し紛れの一撃を少女は後ろに跳び退いて回避し、再び距離が開く。
「随分とタフになったみたいね。驚いたわ」
一ヶ月前なら内臓破裂すら危ぶまれる連撃だったが、コージは耐え切り、尚且つ戦闘意欲に陰りも無い。
この一ヶ月間の不眠の修行で最も伸びたのは、身体能力や基礎能力、オーラの総量でも無く、耐久力に他ならない。
(――っ、相変わらずの馬鹿力だな!)
かと言って、そう何発も受けられる攻撃ではない。
少女はとんとんと靴の爪先を地面に当てる。まるで自らの調子を微調整するような仕草であり、真実、その通りだった。
「これならもうちょっと強くやっても壊れないよね?」
目の前の少女の姿が一瞬にして消失するのと背後に気配を感じたのはほぼ同時、強烈な衝撃が頭部に走る。
「ぐがぁっ!? っ――!」
蹴りを受けた。鈍痛を堪えて振り向けば、其処には眼と鼻の先まで隣接した少女がくすりと笑っており、複数の拳打が顔面に叩き込まれた。
咄嗟に繰り出したカウンターの右フックは空振り、また少女との距離が開く。
(……っ、チーターのキメラアントに攻撃力があれば、こんな感じなんだろうなぁ……!)
何とか踏み止まり、息切れする。まだ戦闘が始まってそんなに経っていないのに、もう無視出来ないぐらいの消耗となっていた。
「ほらほら、あの霊丸で一発逆転は狙わないの? 万が一にも当たれば倒せるかもよ?」
足りない。圧倒的に足りない。絶望的なまでに速さが足りない。
これでは必殺の一撃を当てる機会など永遠に訪れないだろう。
(どうすればこの差を埋められる? 知恵? 経験? 両方共勝っている自信ねぇよ!)
自分に出来る事は基本全てと『隠』と『円』を除いた応用技、そして必殺の『念丸』ぐらいである。
あとは放出系の修行の過程で身につけた『浮き手』ぐらいだ。
直撃すれば数メートル以上素っ飛ばす威力の放出系攻撃だが、この攻撃は相手から間合いを強制的に引き離す的な用途なので、近寄れなければ意味が無い。
(いや、待てよ……? オーラの放出のみで身体を浮かせる? 数メートルはすっ飛ぶ程の威力だから――!)
この土壇場での閃きを信じ、コージは地を這いずるまで姿勢を低く沈めた。
何か仕掛けてくる。ゴスロリ服の少女は眼を細めて警戒を強める。
その姿勢はさながら短距離走で用いられるクラウチングスタートであり、コージは両掌で地を叩きつけると同時に駆け抜けた。
――地を砕く二つの破砕音、そして信じられない程の瞬間加速をもって繰り出された愚直な体当たりに、回避が間に合わず、即座に防御に徹した少女の小さな身体が宙に舞った。
「……っ!?」
(成功した……!)
掌から零距離で繰り出せる放出系攻撃を、コージは自らの加速に使ったのだ。これこそが放出系の奥義なのだと自然と悟る。
今は掌からの放出しか出来ないが、これが足裏などでも出来るようになれば、この瞬間的な加速は『発』と呼べるほどの強大な武器になるだろう。
そして、この一手が招き寄せた千載一遇の機会を逃す訳にはいかない。右手の人差指に全オーラを集中させて圧縮し更に圧縮させる。
空中で身動き出来ない少女に、追撃の『念丸』は容赦無く放たれた――。
(決まった! 避けられるもんなら避けてみろっ!)
前回と違って回避行動を取るに取れない、瞬き一つ出来るかどうかの刹那――常に纏っていた余裕をかなぐり捨てて少女は叫ぶ事を選んだ。
「――『磁力』使用ッ、コージ!」
だが、それはこの必殺の一撃から生存する為の――勝利する為の選択だった。
『本』さえ開いておらず、カードさえ手に持っていない。
錯乱と思われた叫びは、されども『磁力』の効果が発揮し、一旦上空まで飛び上がって流星の如きオーラを回避し、よりによって彼の背後に少女を移動させた。
「な――!?」
即座に『硬』の一撃を持って後頭部を殴り抜き、コージは地に伏した。
何故、あの状況で呪文カードが発動したのか、その疑問だけを残して――。