No.009『名前』
(うー、久々に負けた気分……)
限り無く敗北に近い勝利に、ゴスロリ服の少女は辛酸を嘗める形となる。
全く使う気の無かった奥の手の一つを晒してしまった上で、どうでも良いと断じた敵の名前が勝ち手になる始末。これ以上無く無様な有様である。
(こんなヘマやらかしたの、あの時以来かなー?)
マフィアからの仕事中に『生涯現役』という奇妙な四字熟語の札を服に貼り付けた暗殺家業の爺ちゃんと遭遇した時を思い出す。
あの時ばかりは死を覚悟した。今、思い出しただけで背筋が震える。
死に物狂いで逃げて、逃げ切れなかった悪夢、かの爺様の依頼主の死亡が一秒でも遅ければ、今の自分はグリードアイランドにいなかっただろう。
(あの時は発展途上だったからなぁ、限界まで鍛えた今ならどうなるかなぁ?)
少女は見た目とは裏腹に、ほぼ生涯の全てを鍛錬に捧げた修練者であり、十二歳という幼い年齢にして自身の成長限界に達した狂人でもある。
これ以上強くなるには『感謝の正拳突き一万回』みたいな、実現不可能の狂気の沙汰を十年以上掛けて実現させなければならないだろう。
(手加減抜きでぶん殴ったから、いつ目覚める事やら)
仰向けに倒れている彼の後ろ袖を引っ張って引き摺り、木陰に腰を掛け、彼の頭を自身の膝元に置いて安静にさせる。
俗に言う膝枕の状態だが、地面に寝転がしているよりはマシな姿勢だろうと結論付ける。
此処までやってから、一体自分は何をしているのか、彼女はふと自分の行動を疑問視してから考え直す。
(カードだけ奪って送り返す? 『交信(コンタクト)』を使えば気絶中だろうが相手の本を強制的に出す事が出来るし、コイツの本で『磁力』を使えば仲間の下に送り返す事は可能だけど――)
仲間だった二人の女の名前は余りにも印象が無かったので思い出せない。
別の見も知らずの他人に送り返す訳にもいかないし――何よりも、自分は彼の要求を果たしていない。
「女を待たせるなんて、駄目駄目な男ねー」
それは彼女にとっては極めて珍しい、悪意が欠片も無い微笑みだった。
少女は今日の予定の、現在の最優先事項である指定カードの収集を取りやめる。
いつになるかも解らない目覚めを、彼の寝顔を眺めながら、まだかまだかと楽しげに待ち侘びるのだった。
――別に、何かが欲しかった訳でもない。
グリードアイランドに来た理由も、物語の主人公の道筋を辿ってみたかったから、という曖昧な理由だった。
何か欲しい指定カードがあったからでは断じて無い。どれも凄い効果だとは思うが、それでも彼の琴線には触れなかった。
それ以前の話だが、ハンター試験も同じ理由で受けたが、余りにも退屈過ぎた。
原作とはまた異なる奇抜な受験内容は中々楽しめたが、他の受験者と比べて彼等三人は突出し過ぎていた為だ。
この時、彼等は初めて自分達以外の同胞に遭遇したが、大半の者は念すら使えず、使える者も原作の天空闘技場にいるような雑魚レベルに過ぎなかった。
その年のハンター試験の合格者は三名、それが誰だったのか言うまでもない。
それ故か、彼等は自分達が同胞達の中で最も突出した実力者だと信じて疑いもしなかった。
――その天狗の如く伸びた鼻をへし折ったのが、あの三つ編みおさげの少女だった。
彼女に完膚無きまで倒され、それから全身全霊で修行に励んだ一ヶ月、彼女の事を片時も忘れた事は無かった。
彼女こそが『HUNTER×HUNTER』の世界に生まれて初めて出来た目標であり、それこそが彼が無意識の内に求めた痛快なまでの『刺激』だったからだ――。
「あ、やっと目覚めやがったわねコイツ」
目を開くと、其処にはあの少女が眼と鼻の先と呼べるほどの間近で自分を見下ろしていた。
一体これはどういう状況なのか、コージは素で混乱する。後頭部には柔らかく暖かい感触があり、地面の冷たく硬い感触とは余りにも異なる。
(え? まさかこれは膝枕? 何でこんな状況に!?)
咄嗟に起き上がろうと思ったが、今動けば少女の顔に接触しかねないので自重する。
意識を取り戻した事で痛覚も復活したのか、後頭部から鈍い痛みが走り、無理に動かす事を諦める。
「……あ。負けたのか、オレは」
気絶するまでの一部始終を思い出し、コージは混乱から覚め、一気に落胆した。
つまり、彼女は報酬を奪う為に自分の意識が戻るまで待っていたのだろう。現実は得てしてそういうものであるが、何処か虚しい。
「ブック――ほい、約束の品だ」
「それは受け取れないわ」
「は? 何言ってんだよ?」
本を開き、指定ポケットから『美肌温泉』を抜き取って少女に差し出すが、少女は首を横に振って断る。
困惑するコージの様子が可笑しいのか、少女は小悪魔のようににんまり笑い、耳元まで顔を近寄せる。
少女の小さな吐息さえ肌で感じ取れるほどの距離に、コージは顔を真っ赤にして動揺する。
――彼女はコージの耳元で、小さく呟いた。
「――え?」
「二度は言わないよ」
少女が浮かべた咲き誇るかの如く笑顔に、コージは思わず見惚れてしまった。
突然の事でコージはまた混乱する。この事を全て飲み込むには、余りにも時間が足りなかった。
「なぁ、一緒にグリードアイランド攻略しないか? 一人じゃ流石にきついだろ」
暫しの沈黙の後、コージは真顔でそんな提案をした。
答えなんて最初から解り切っている。それでも言葉にしておきたかった。
「別に問題無いわ。今、このグリードアイランドで私以上のプレイヤーはいないし、クリア後に選ぶ指定カード三枚はもう決まっているしね」
コージは「そっか」と残念そうに諦める。
自分の分の1枚程度なら譲って良かったが、他の2枚となるとアリスとユエの分が無くなるから、やはり彼女とは相容れない。
「ま、最初にクリアするのは俺達だがな!」
「さぁて、それはどうかねぇ」
今は競い合う『好敵手(ライバル)』でいい。
対等の立場とはとても言えないが、いつかその横に並び立てる程の実力を身につけ、自分の事をもっと認めさせたい。
――もっと強くなる。コージは誰にでもない、自分自身にそう誓った。
「……あ。『磁力』について聞くの忘れていた」
それに気づいたのは彼女が立ち去ってから暫く後の話であり、また次に遭遇した機会に聞けば良いか、と思考の片隅に放り投げてしまう。
この事が後程どれほど重大な事態を招くか、今の彼には知る由も無く――。
「よぉ、ただい――へぶしっ!?」
『同行(アカンパニー)』を使用してユエとアリスの下に帰還した彼に待っていたのは、一瞬にして彼を押し倒すほどの痛烈なタックルだった。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ッ! 一人で勝手にあんな奴の処に行って! どれだけ心配したと思ってんのッ!」
「無謀過ぎ……!」
ユエは涙目で胸元を叩き付け、後ろに立つアリスは珍しく感情を荒らげて非難する。
此処まで心配してくれる仲間が二人もいてくれるなんて、自分は果報者だなと思い、同時にコージは二人に対して申し訳無くなる。
「二人とも、済まなかった。その、ごめん」
誠心誠意に謝り続け、感情のまま怒りをぶつけるユエを宥める。
少し冷静に戻ったのか、ユエは赤く頬を染めてコージの下から離れる。
「……怪我は?」
「ああ、でけぇタンコブが一つ出来たが、アイツが――あ、いや、何でもない」
アリスの疑問にそのまま答えそうになり、コージは慌てて訂正する。
間違っても彼女が膝枕していたお陰でなんて、恥ずかしすぎて口が裂けても言えないが、既に手遅れだったりする。
「アイツが? コージ、アンタもしかして何かされた!?」
「――まさか。操作系の念で操作されているかも……!」
盛大に勘違いされ、いや、本当の事を言えばより一層酷い事態に成り兼ねないから大いに結構だが、ユエは力任せに揺さぶり、アリスは素で深刻な表情となっている。
「えぇーい、二人とも落ち着けっ!」
このまま放置すれば除念能力者を探しに行き出すような勢いだったので、コージは一喝して沈める。
「まぁ、また負けちまったがよ、キルアほどでは無いが、凄い技のヒント掴んだぜ。次は絶対勝つ! ――待ってろよ、 」
「え? 今、何て?」
「何でもねぇよ! ユエ、それにアリス、さっさと行くぞ!」
コージは張り切って「さぁ指定カードどんどん集めるぞー!」と奮発する。
ぐずぐずしていれば、すぐにあの少女は全種類の指定カードを集め切ってしまうだろう。
しかし、向こうは一人、此方は三人、負ける道理など何処にも無いとコージは心の中で断言したのだった。