ゆったりとコーヒーを啜る。
鼻をくすぐる豊かな香りを楽しみながら時を過ごす。
いつもの日曜、いつもの昼下がり、いつもの喫茶店。しかし今日の客は自分一人しかいない。
磨り硝子の向こう、強い陽に眩いビルの壁と、果ての空を見やる。
「梓ちゃんまでいないのは珍しいな……」
ぽつり、呟く。
最近は梓と二人のことが多かった。夏だというのにロングコートを纏った姿を最後に見たのは一月前になる。
やはり寂しい。補われていた心がまた欠けてゆくような気がした。
何か用事があるのだろうか。いつも何をしているのかは知らないが、仕事が忙しいのかもしれない。
そう思って、気づいた。
「……そうか、びっくりするほど名和さんのこと知らない」
どこに住んでいるのか、普段は何をしているのか、どんな人生を送ってきたのか、好きな食べ物も、何も知らない。顔と名前と、少なくともコーヒーは嫌いではないだろうことと、それだけが知っている全てだ。
近くにいると安心するのだ。それが当たり前にしか思えなくなって、疑問を抱かなくなってしまう。
「雰囲気が……似てるんだよね、すごく」
ずっと守っていてくれた存在、三つ上の兄。友人とともに行方知れずとなって、もう一年半だ。
空から目を背ける。急に耐えられなくなった。
そして、背けたその先に一人の少女の姿を見つけた。
入り口のベルの音を聞いた覚えもないのに、手を伸ばしても届かぬ程度の場所にいた。
息を呑み、時を忘れる。
年の頃は十代の後半に入った程度、華奢な肢体を白いワンピースに包み、短い栗色の髪が恥らうように頬に触れている。すべらかな白い肌、どの人種ともつかぬ美貌は硬質に整いつ、少女のやわらかさ、愛らしさも息づいている。
並べる人間などあるまい。敵うとするならば魔神くらいのものだろう。
見惚れているうちにその可憐なくちびるが開かれた。
「水上春菜さんですね」
声もまた涼やかに、どこか甘く。
「雅年さん……名和雅年は、少なくともしばらくはこの地域を離れます」
「……えっと」
予想だにしない名を聞いて戸惑う。
「あなたは名和さんの関係者……ですか?」
「そうですね、私は……」
韜晦の沈黙、そして憂えげなまなざしとともにわずかに笑った。
「ビジネスパートナー、のようなものでしょうか。今は……ええ、今はまだ」
潜んだ響きは自虐か、悔しさか。
いずれにせよ、気付きはしても春菜の意識を染めたのは、このような少女と共に行う仕事というのは一体何なのだろうかということだった。
しかし疑問を発する暇は与えられなかった。
「お伝えすることはこれだけです。これ以上の詮索はご遠慮願います」
やわらかなのに反論を許さぬ声。
自分などより落ち着いた、ある種の洗練された空気を纏い、だというのに何故だろうか。ほんの僅かにだけ、羨むような。
まなざしは今、強く優しい。苦痛に喘ぐ患者を労わるように。だというのに何故だろうか。あるいは敵を見るかのような。
「お名前くらいは伺っても?」
せめてと尋ねてみれば、返って来たのは驚きの表情だった。目を丸くした様は歳なりにあどけなく映る。
それから困ったように笑って、少女は答えた。
「失礼いたしました。まさか名乗ることすら忘れるなんて」
「私はステイシア。ステイシア=エフェメラ=ミンストレルと申します」