変化と不変、変わらない為に変わり続けるしかない、矛盾。
変わりたくないと願い、変わるしかない、矛盾。
不変を求めて変わる、矛盾。
我々は変化するしかないのだ、例えそれが死に向かっているのだとしても。
極北の地。ドイツ、アインツベルン城の森の一角を切り開かれて作られた、修練場。
息も凍るほどの、寒空の下、衛宮切嗣はコートの内側にある銃把を軽く握り込んでいた。
風はなく、音も無い、ただ身を切るような寒気だけが身を震わせつつあったが、防寒対策の魔術を走らせているのでそれほどの脅威ではなくなっていた。
太陽が中点を指す頃になってさえも、この寒さだけは確実な真実として、体感できる。これは一種の修行だ
過酷な環境で、確実に作動する銃器のように、自分の肉体を機能させる。ルーチンワークに近い修行。
視線の先。50m程。目標は射的用の的。中心部に近い所に穴が開き、だんだんと中心に近づいていることが見てとれた。
衰えたと、男は自覚する。以前ならば、9年前ならばこんな状態にはなっていなかったと自覚する。
孤独であれば、孤高であれば。持たざるものであれば、こんな些末な感情に左右されないはずだった。
だが衛宮切嗣は知ってしまった。家族を持つという温かみを、娘の肌の柔らかさを。滑るような妻の髪を。
彼は戻らねばならなかった。以前の自分へと。何も持たなかった自分自身へと。
聖杯戦争。
たったひとつの願いを叶える為に7人の魔術師と、7騎の英霊を殺し合わせる蟲毒の壺。
生き残れるのは一組のみ。そんな殺し合いに身を投じなければならなかった。過去に経験した修羅場を天秤に、比較してもなお余りある闘争となることは明白だった。
伝説の英霊を召喚し、殺し合わせる儀式。その中では人間一人の力など無力に等しい。
だが、衛宮切嗣は挑まねばならない。己の定めたルールとして。執行すべき正義として。
いつか犯した自分の過ちを拭う事の代償として。
コートの内側に軽く握り込んだのはトンプソン・コンテンダー、たった一種の弾丸をたった一発だけ発射するだけのシンプルな銃器、無力な人間が持つことのなかった、自分自身が持つべき唯一の牙。それは、魔術を扱う人間にとって致命となりうる猛毒となる武器。魔術の盲点を突くことのできる武器。
息を吸う。
瞬きよりも速く、抜き放ち、撃つ。乾いた、響く銃声。
息を吐く。
これ以上ないまでに中心。中心部に穴の開いた的。彼はそれでも不服だった。
及第点といった所だろうか、完全とは言えないが以前ほどの実力を取り戻すことに成功していた。
熱せられた銃身から僅かな白煙が登る、トリガープルを操作し、30-06スプリングフィールド弾薬莢を捨莢する、ちりん、と。新雪にばら撒かれた薬莢同士が小気味よい音を立てる。
数十発の薬莢が散らばる様は、これまで殺してきた魔術師と同数。未だ見ぬ強敵、対峙するであろう魔術師を見据えて、覚悟を決める。
懐から新しく30-06弾を取り出し、トンプソン・コンテンダーの薬室へと装填する。
そして、先ほどよりも、より速く、抜き放たれる銃弾。完成にまた一歩近づいた。
人間と闘争は切っても切れないコインの裏表のようなものだ。ある集団は資源を求めて、ある集団は宗教的熱狂に浮かされて、またあるものは仕方なしに銃器を握る。
愚かしく繰りかえされる、闘争は人間性そのものだった。人間が人間である以上、大小様々な形で闘争は繰り返される。日本のような法治国家はまだいい方だ。アフリカでは地下資源を奪い合い、中東諸国では、自ら信じる宗教教義をめぐり、今もなお、愚かな戦いをくり広げている。
こんな不毛なる闘争はいつ終わるのか? 終わらせる方法は存在しないのか?
万能の願望器たる聖杯はそんな不可能を、可能にする可能性を秘めていた。
少年兵がカラシニコフを撃たなくていい世界。
爆撃で家を焼かれる事のない世界。
地雷で足を吹き飛ばされることのない世界。
理不尽な戦火で誰もが死なない世界。誰もが笑える世界。
そんな夢のような世界。恒久的な平和を実現した世界。
僕は勝つ。
この戦いに勝利し、人間の不毛で愚かな戦いを終わらせてみせる。
「舞弥」
「ここに」
新雪を踏み絞めつつ、背後へと現れた、女性。久宇舞弥。切嗣を魔術師殺しとして補佐する為に、僕が鍛え上げてしまった、戦士。切嗣が切嗣であるために必要な部品。
「召喚に必要な装備はすでに整っています」
「ああ――分かった」
そして再度、銃弾を込める。そして撃つ。幾度も、幾度も繰り返されるのは、自身への不信の証だ。
「今の、僕をどう見る、舞弥」
「以前と比べ、8割といった所でしょうか」
「…………そうか」
ただ冷淡に、そして簡潔に評価を下す、それはただ単に正しい。ブランクがあるとはいえ、衰えた自分を鍛え直すには少々の時間が必要だった。
だが、それも杞憂だった、驚くほどに銃把は手に馴染み、硝煙の香りも以前と同様の、戦場を思い起こす鍵になっていた。
自身は美しい家族を手に入れたが、それに比べどうだろうか、銃を握っている時だけが、自分自身が最良だと感じる。銃器と肉体が一体化するのを感じる。闘争に対して自分は驚くほど適合している。
自分は家族を持つ資格があったのだろうかという自問。持ってしまったのだから素直に愛せればいいのにという自答。
天秤の守り手としての信念。家族を愛したいという感情。その両方を天秤に掛けたとき、僕はどちらを選択するだろうか?答えは出ない。いや、出せない。その問いはあまりに過酷だ。
端的に言えば、僕は殺人者だ。だが、その殺人の結果、数多くの人間が救われる。
仮に一人の殺人鬼がいたとしよう、彼はこれから快楽の為、多くの人間を殺すだろう。だが、僕は正義の為、殺人鬼を殺す。
それによって多くの人間が救われる。犠牲者は殺人鬼一人、救われる者は多数。一人の犠牲で多数を救う。
救われたと実感できる人間はいない、しかし、確実に、僕は人間を救っている。最小限の犠牲で最大限の効果を生み出す。
殺人は悪だという、人間がいる、それは限りなく正しい。世の中には許されぬ殺人と、そうでない殺人がある
それは、正義があるか、ないかだ。純然たる天秤の守り手として殺人か、己の快楽を満たす愚かな殺人か。世界には後者の殺人で満ちている。自分の欲望しか見えない愚者が、溢れている。
僕は、そうはならない、快楽の為、自分の為の殺人であってはならない。全ては無謬たる天秤のためだ、信念のためだ
だが、僕は人を殺し過ぎた。汚職をする政治家。戦場における英雄。天秤がより少ない方を皆殺しにしてきた。
いっそのこと鋼鉄の機械だったなら、と思う時がある。ただただ、信念と天秤を掲げて動き続ける機械に、残念ながら僕は人間だった、弱り、疲弊し、摩耗する、精神も、肉体も。
そんな、限界を迎えつつあった僕を雇ったのが、錬金術の大家アインツベルンだ。
繊細な魔術を得意とする一方、蛮勇に優れぬ魔術体系は、尽く、以前の聖杯戦争に敗北を喫してきた。最後の切り札として用意されたのが『魔術師殺し』衛宮切嗣だったという訳だ。
生涯の伴侶、アイリスフィールに出会った。愛を交わし、子供を、イリヤスフィールを授かった。
それからの、9年間、平穏だった、静かだった、平和だった。求めていたものがここにあった。
そして今、僕は銃を握っている。殺しの道具を。武器を。温もりのない冷たい鉄の凶器を。
たった数グラムの弾丸で人は死ぬ、人間は長い時間をかけて生きる、それを簡単に終わらすことが出来るのが銃だ。
僕は、人を殺した手で、家族を愛そうとしている。いまさら血塗れの手で家族を迎え入れることができるのだろうか?
いや、考えるのは今はよそう。煩雑な思考が、銃器を握る手捌きを鈍らせている。以前のような簡潔とした思考でなければならない。
純然たる命の天秤の守り手として、覚悟定まった時期へと立ち返らなくてはならない。僕ならばできる
8割と、舞弥は言った。充分ではない数字だ。完全な猟犬としての機能を取り戻さなくてはいけない。
改めて標的を見据える。それを強敵へと見立てる、過去に倒した魔術師たちを想像して、銃を構えた。
銃声。的の中心部に開いた孔を、針の穴を通す繊細さを以てして、同じく――――貫通させた。
これでいい。射撃精度。抜き打ち速度、共に許容範囲内だ。戦場では数秒のタイムラグが致命的なモノとなるが、この程度ならば、実戦においても使い物になる。
残りの2割が不安の種となるが、それは実戦の中で取り戻すほかないだろう、最後の2割は、精神的なものに他ならないからだ。
コンテンダーを懐に仕舞い、修練を終了した。
今回の聖杯戦争に賭ける、アインツベルンの熱意は尋常のものではない。
アハト翁の用意した召喚用の触媒に思いを馳せる。あれは奇跡と呼ぶに相応しい一品だ。呼び出される英霊は、かの有名な、騎士の王に違いあるまい。
心配されるのは、僕との相性だろう、高名で誇り高い騎士王と、手段を選ばない暗殺者としての相性。水と油のように交じり合わないものだろう。
アハト翁には悪いが、欲を言わせれば僕には、アサシンかキャスターのサーヴァントの方が相性が良かったのだが。
召喚される英霊が何であろうと、誰であるかはこの際、関係はない。駒の一つとして割り切って使えればそれでいい。
戦力の一単位として考えれば、最良の選択だ。最優の英霊。それを生かすも殺すも己の手腕次第に掛かっているわけだ。
「この戦い、負ける訳にはいかないな」そんな僅かな呟き。
「その為に私がいます」囁くように、彼女は答えた。
この戦いを人類最後の闘争にしてみせる。たとえどんな卑怯な手をつかってでも、僕は勝利してみせる。