「ご来場の皆様に申し上げます。本日はジェニス王立学園の学園祭にお越しいただき、真に有り難うございます。特にエレボニア帝国やカルバード共和国など、遠方より御足労された方々に深く感謝します。そこで遠路遥々外国より訪れたお客様の労を労われる為に、これよりクラブハウス一階の食堂にて特別に鮨の模擬店を行います。本格の江戸前寿司を格安にてご提供する所存なので、外国籍の方は奮ってご参加なされるようお願いします」
ピンポンパンポンと校内放送のアナウンスが終了すると同時に、敷地内が騒然とする。
「おい、今の聞いたか?」
「聞いた、聞いた。寿司だってよ」
「まさか、リベールで食べられるとは夢にも思わなかったぜ」
「やっぱり、鮨といえば江戸前だよな。最近はエレボニアも回転寿司だらけで本物の店は少ないもんな」
「ほう、稀代の美食家のワシに江戸前寿司を勧めるとは良い度胸だ。もし、米の上に魚を乗っけただけのゴミを鮨と偽ったら、どうなるか覚悟しておけよ」
「とにかく品切れになる前に急ごうぜ」
鮨に馴染みがない地元の来客が首を傾げる中、帝国の旅人は先を争うようにクラブハウスへと詰めかけて、五分としない内に周囲の来場者の数は半数近くに減少した。
リベールの現地人は、ここまで帝国人を虜にする寿司とやらに若干好奇心を刺激されたものの、どうやら旅行者限定イベントの模様。何よりもラッシュアワー状態が緩和され人の流れが穏やかになったので、この隙に落ち着いて学園祭を楽しむことにする。
器物破損罪でゲームセンターから逃走し、喫茶『フォンタナ』に隠れていたダイヤエースは絞りきりジュースを一気飲みすると、相席しているジャックザスペードに声を掛ける。
「おい、クローゼ。俺たちもクラブハウスに行ってみようぜ」
「エステル君、学生に振舞われるのは後夜祭なので、まだ早いですよ」
「んなことは判っているよ。いくら俺が食い意地張っているからって、ルールはちゃんと守るつもりだぜ。けど、ヨシュアがどんな寿司を握るか興味あるだろ?」
「ええっ。そりゃ、まあ」
「おっし、なら決まりだ」
クイーンオブハートから、ダイヤエースとジャックザスペードという妙ちくりんな渾名を頂戴した二名は会計を済ませると、自分らを捜索する追手の係員の目を掻い潜り、コソコソと喫茶店を抜け出した。
「僕たちが苦労して釣った鮪をこれからヨシュアさんが調理するのかと思うと、感慨深いものがありますね。んっ、どうかしましたか、エステル君?」
少しばかり顔色を悪くしたエステルをクローゼは心配する。もしかして、海釣りの功績を漁船の乗組員全員で分かち合ったのに、主役級の大活躍をしたトライデント保持者として気分を害したのかと勘繰る。もちろん、エステルはそんな度量の狭い人間ではなく、その剛竿に纏わる嫌な逸話を思い出したからだ。
◇
トラックに黒鮪や物々交換した海産物を詰め込み、午後には築地漁業組合一堂で学園祭を見物しに行くのを約束した長老はエステルに喚起を促す。
「小僧、一つ忠告しておこう。新たな剛竿の継承者が誕生した今、奴らが再び胎動することは間違いない」
「奴ら?」
アーティファクトのロッドをお付きの漁師二人に手渡したエステルは鸚鵡のように問い返す。
いくらエステルの掌の内なら軽量とはいえ、全長5アージュにも達し物干し竿のように伸縮自在というわけでもないトライデントを、常時持ち運びながら日常生活を営むのは無理があるので、再び時が訪れるまで築地に預けることにした。
だが、長老の口ぶりだと剛竿はエステルの手を離れて尚、新たな戦いの火蓋を切らせるつもりらしい。エステルはゴクリと生唾を飲み込んで、次の一言を待つ。
「そう、釣公師団じゃ」
嗄れた長老の目がクワッと見開き、ガラガラドッカーン!……っと、バックに演出の雷が発生する。
『釣公師団(つりこうしだん)』
王都に本部を構え、クロスベル他外国にも多数の支部を置く、釣道楽の相互扶助団体。
剛竿トライデントと双璧を成す伝説の釣具、アクアマスターの所有者のフィッシャー男爵を盟主と構え。『魚の使徒(アンギス)』と呼ばれる7人の幹部と、多数の『釣行者(レギオン)』から構成される。エステルがボースで遭遇したロイドも、実は使徒の一人だったりする。
「ああっ、アレね」
長老の思わせぶりな前振りに、緊張感を漲らせていたエステルは些か拍子抜けする。
盟主だか使徒だのどこぞの秘密結社を真似たのかは知らないが、川蝉亭で会ったロイドは仰々しい役職とは裏腹に無害な釣り好きのおっさんにしか見えなかった。
「侮るでないぞ、小僧。彼奴らに勝負を挑まれたものは、皆病院送りにされるか二度と釣りが出来なくなる程の精神ダメージを受けておる」
「おいおい、そいつは穏やかでないな。熱血スポコン漫画みたいに無意味に危険な場所でクラーケンのような化物釣りを強要されるのかよ?」
「いやっ、釣り自体は至って普通じゃが、数が尋常じゃないんじゃよ。何しろ爆釣百番勝負とか徹夜の長丁場を平気で仕掛けてきおるからな」
エステルは呆れて声が出ない。そりゃ、そんな釣り漬けにされたら、体調を崩す者や竿を折る者がでてきても不思議ではないが、釣公師団は自分ら以外の釣り好きをこの世から撲滅させるつもりなのか。
「うーむ、本人たちは至って真面目に釣りの面白さを世に広めようと、普及活動に尽力しておるつもりらしい」
「それって、完全に逆効果だろ? 釣りは仕事の息抜きにもっと気楽に楽しんでやるもので、他者と競って逆にストレス溜めこんでどうするんだよ?」
エステルにしては珍しい、この上ない正論が飛びだす。
何よりも釣公師団の連中は何かを嫌いにさせる一番効果的な方法は、その対象物を熱心にしつこく勧め続けることだと気がついているのだろうか?
実際にアイドル、スポーツ球団、漫画アニメなどの娯楽の熱狂的なファンの近親には、強烈なアンチが潜んでいる場合が多い。大抵は行き過ぎた勧誘による悪影響の賜物だ。
「ふーむ、俺も全く同感だが、奴らに言わせれば、百番勝負ぐらいまでは確かに苦しいが、二百番までいくと痛みも周囲の雑音も消えて世界が真っ白で不思議と笑みが零れてくる。そんな悟りの境地に達してこそ、はじめて一人前の釣人になれるらしい」
かつて、長老が剛竿の持ち主だった頃、若気の至りでフィッシャーという若造と爆釣五百番勝負をこなしたことがあったが、今にして思えば正気の沙汰じゃない。
もしかしなくても、長老が剛竿から三行半を突き付けられた要因は、男爵との勝負のトラウマが禍根になっていた。
「何て言うか。あまり関わりたくねえな」
ボースでロイドから誘われた時は入団しようか悩んだエステルだが、止めておいた方がよさそうだ。
「新なる剛竿の担い手が現れたと知って、あの暇人どもが大人しくしているとは思えん。盟主もお主と同じ称号を持つ釣師じゃし、真の太公望を決する為に次々と刺客を送り込んでくるじゃろう。心して掛かれよ、剛竿トライデントの第二十七代正当継承者よ」
◇
「そういえば、そんな話もありましたね。もしかすると、既に釣公師団の人間が潜入して、エステル君を血眼になって探し求めているかれしれないですね」
「おいおい、薄ら寒いこと言わないでくれよな、クローゼ。勝負事は大好きだけど、道楽にまで勝ち負けを持ち込みたくないぜ、俺は」
クローゼは笑いを押し殺してエステルをからかうが、実際に学祭に紛れ込んでいるのは彼の関係者の親衛隊員。その姉代わりの女性がヨシュアをつけ狙っていると知ったら、卒倒しただろう。
このようなどうでもいい四方山話に花を咲かせている中に、二人は瞬く間にクラブハウスの門前に辿り着いた。中を覗いてみると、既に満席に近いほど客が詰めかけている。椅子は全て片づけられていて、立食パーティーの形を取るみたいだ。
給仕役の女生徒がブルマにエプロンのマニアックな恰好でお茶を配ったり、机の上に人数分の醤油皿とガリを並べている。少女たちの働く様をさり気なく追い掛ける帝国人の目が完全に泳いでいる。
帝国内のコスプレ喫茶で二十代の婆(オタク基準)の偽ブルマで代謝行為し悶々とした欲求を慰めていた彼らにとって、十代の瑞々しい現役女子高生のブルマ姿を拝めるのはハンス曰くのまさしく天国そのもの。
「あっ、クローゼ君にエステル君。ちょうど良い所に来た、こっちに来て」
エステル達の存在に気がついた女生徒の一人が、軽くはにかみながら二人の手を掴むと厨房の奥の方に導いていく。男手を必要とする何か手伝って欲しい案件があるみたいだが、帝国人の歪んだ眼鏡にはイケメン共がイチャイチャしているようにしか映らない。
「ちっ、あいつら。ブルマ少女と戯れるなんて、俺らと無縁の羨ましい青春送りやがって」
「本当、産まれてくのが早すぎたぜ。あと十年遅かったら…………いや、その頃にはブルマは廃絶されていたから、リベールに生誕しない限りは反って藪蛇だな」
「ちきしょー、タイムマシンで十年前に戻って、性に未熟な馬鹿な俺に警告してやりたいぜ。今眼前には無限のパラダイスが広がっていて、その貴重な可能性をお前は無為に押し流そうとしているのだってな」
エレボニア民族の嫉妬の視線としょーもない残懐話を背に受けながら二人が暖簾を潜ると、机上に一匹の黒鮪が丸々と横たわっている。
何でも余興の解体ショーに使うために漁師の人たちに大型の移動式机に乗せてもらったのだが、400kgという鮪の質量に耐えきれずに四足のキャスターの後輪二つが潰れてしまい途方に暮れていた。
「確かに脚車が壊れちまったら、女子の力じゃどうにもならないよな。よっし、俺たちが食堂まで運んでやるから任せておけ」
「きゃあー、流石にエステル君にクローゼ君。頼りになるぅー」
二人は女子に取り囲まれてチヤホヤされるが、肝心のヨシュアの姿が見えない。クローゼが尋ねてみると、何でも現在解体ショー用のコスチュームに着替えている最中。
どんな派手なドレスや極端な話、水着や下着姿だったとしても、ここに集まった観客がブルマより喜ぶとは思えないが、きっとヨシュアのことだから何か考えがあるのだろう。
そうこうしている内にショーの時間が来たので、二人は仕事に取りかかる。怪力のエステルが机の後方部分を持ち上げ、僅かながらに浮かせてキャスターの代わりとなり、その間にクローゼが細身の筋肉をフル稼働させて台車を押し込み、ゆっくりと暖簾を潜った。
「皆様、長らくお待たせしました。まずは特別セレモニーとして、黒鮪の解体ショーを行いますのでごゆるりとご鑑賞ください」
司会役の女子生徒がマイクを片手にそうアナウンスする。奥の厨房扉から、大型の移動式机に乗せられた今し方締めたばかりの黒鮪がエステル達の手によって運ばれてきた。
厨房手前の中央まで移動させ役割を完了させた二人は、黒鮪から離れると観衆の最前列に陣取る。後は一観客として、ショーの成り行きを見守る所存。
全身3アージュを超える黒いダイヤの見事な巨体に、クラブハウスを埋めつくした観客から感嘆の溜息と舌舐りする音が聞こえてくる。更に調理人のヨシュアが長い黒髪をお団子に変え、東方の民族衣裳である八卦服(チャイナドレス)を纏って入場してきた。
「あれっ、ヨシュアの奴、あんな服持っていたっけ?」
エステルは小首を傾げる。お洒落で衣装持ちのヨシュアは普段着の一張羅の黒のミニスカ&ニーソックスの他にも、貢がせた高級ブランド服や自ら縫製したオートクチュールが山のようにクローゼットに飾られてる。たまにファッションショーと称してエステルに何十回ものお色直しを披露してくれるが、このチャイナドレスはエステルの記憶にはない。
「ああっ、あの八卦服ですね。まるで数年前の出来事みたいです」
クローゼが昔を懐かしむような遠い目でヨシュアを見つめ、またぞろエステルの胸の奥が騒めく。クローゼはヨシュアの新衣装に心当たりがあるみたいだが、その件を問い質す前に周囲が騒然としてきた。
「おいおい、あの娘が解体人かよ? スゲエ、可愛いじゃん」
「確かにな。けど、あの華奢な細腕でどうやって硬質の鮪を捌くつもりだよ?」
「それより、何でブルマじゃないんだ? きちんとTPOを弁えた服装をしてくれないと困るだろう」
ヨシュアの外見から当然の危惧と馬鹿馬鹿しい苦情が飛び出す。男二人はは互いに苦笑未満の表情を見合わせたが、少女の実力を良く知る彼らにとっては、観客の心配事など単なる杞憂。これから帝国人たちは奇跡の情景を目の当たりにすることになる。
「皆様、ご静粛に。これより解体ショーを始めます」
演出として窓と扉を全て締め切って日光を遮断し、暗がり状態を作り上げる。一つを残して照明を全て消して、ヨシュアと鮪のみにスポットが当たるようにする。室内が静寂になり、ヨシュアは両太股に巻かれたバインダーから得物のアヴェンジャーを取り出して両手に構える。
「行くわよ!」
キュピーンという流し目のカットインと同時に琥珀色の瞳を真っ赤に染めながら、Sクラフト『断骨剣』を発動せさる。
「せぃ、はっ、せやっ!」
可愛い喘ぎ声と一緒に常人の動体視力では追いきれない音速の速度でせわしく両腕を動かし続けて、鮪を滅多斬りに切り刻む。古代文明の叡知の結晶にヨシュアの人並み外れた技量が加わって、固い黒鮪の身がまるでゼリーのようにいとも容易く骨まで切断される。
「これで終わりよ!」
頭部が切り離されたのを確認すると、そのまま上空に大きくジャンプし、ヨーヨーのようにクルクルと回りながら自然落下。落下と回転の遠心力を利用して鮪の分厚い身を両断。双剣を鮪の背中に沿って右身、左身、中骨の三つの部分に切り分けて、見事に三枚下ろしを成功させる。
「おおっ、何か凄いぞ、あの娘」
「それより落ちてくる時、ミニワンピースからお尻の黒いブルマが丸見えだったんだな」
「何か生でブルマ鑑賞するよりも興奮するぜ。畜生、マニアの心を擽る壷を心得ていやがるぜ」
一部の観客が解体ショーとは別の場所に注目しているが、これもヨシュアの計算の内。一時的に例の絶対領域を解除し、スカート内部をあざとく衆目に晒したのがその証拠。
元来ブルマはエステルのようなスカート捲りするエロガキ対策のガードとしても機能し、体育の授業がある日はスカートの下にそのまま直に忍ばせておく女生徒も多かった。
もっとも、ここに集っているのは生下着よりもブルマを有り難がる特殊層が大部分なので、見せパンとしての効能は薄く、ヨシュアにとっては普通にパンチラしているのと大差ないが、それだけに観衆の心を一気に鷲掴みしたのは確か。
「これにて解体ショーは閉幕です、はいっ!」
自らに注がれる淫らな視線を感じ取ったヨシュアは軽く頬を染めるが、強いプロ意識の力で羞恥心を強引に捻じ伏せると、最後の締めとしてアヴェンジャーの柄の部分で鮪の頭をトンと軽く小突く。
その微小な衝撃で、三枚に下ろされた鮪の身は頭部を覗いて更に何百という細かい立方体の部位にパラパラと崩れ落ち、ピンク色の極上の生肉を披露する。
「凄いぞ、黒髪チャイナ娘ー」
「ひゅー、ひゅー、ブラボー」
空中落下前には既に今の状態に綺麗に切り分けられていたようで、完璧な活け造り状態で解体ショーを締め括った少女の神業に衆目は邪な想いを一時的に忘却。クラブハウスは拍手の洪水で埋めつくされる。
「いやー、実に良いものを拝ませてもらったね。やっぱり、燃えと萌えの融合たる『ダブルもえ』が今のトレンドだよね」
「全くだぜ。本当にブライト姉弟に引っついていると、ネタに困らないから助かるぜ」
「確かに大変素晴らしいショーでしたが、何時になったらあの脂の乗った大トロを格安で食させて頂けるのでしょうか? わたくし、もうぺこぺこでお腹と背中がくっついちゃいそうです」
解体ショーに素直に感動していたエステル達の背後に、またぞろ見知った連中が姿を現す。外国籍のオリビエとアルバ教授になぜかジャーナリストとしてヨシュアにこの場に招待されたナイアルだ。感嘆の意を示した男二人はともかく、教授の思考は相変わらず食べ物中心。クローゼを破産寸前まで追い込みながら、まだ全然食い足りないみたい。
ただ、彼女のハングリーが周囲に伝染したようで、「解体ショーは十分堪能したので、早く寿司を食べさせてくれ」という声がチラホラ出始めた。