男女混合騎馬戦は赤白双方の大将騎の壮絶な相討ちで、死闘に幕を下ろす。
ジェニス王立学園体育祭史(※現在休止中だが)に残る名勝負を心ゆくまで堪能し、歴史の証人に成り果てた来場者は何時までも忘れ得ぬ思い出を胸に秘めて、この場から解散する筈だったのだが。
「「「アンコール! アンコール!」」」
『楽しい時を過ごす程、時間の流れを早く感じる』という定説に基づいた誤謬ではなく、実際に騎馬戦が行われた光陰は10分間にも満たず、その現実を把握したお客様は些か物足りなさを覚えてしまう。場所取りに費やした労力と次の演劇までの待ち時間の長さを天秤にかけて、延長戦を訴える。
「アンコール! アンコール!」
「やっぱり引き分けで終わらさずに、きちんと決着をつけなきゃ駄目しょ?」
「そうそう、延長戦キボンヌ」
「折角、帝国からリベールくんだりまで足を運んで来たのだから、もう少し楽しませくれよ」
「みんな、好き勝手なことほざいているわね」
やっとジルのラブコールから解放されたヨシュアは泥だらけになった体操着をパンパンと叩きながら、琥珀色の瞳にシニカルな色を浮かべて総立ちになった観衆を見回す。
呆れたことに帝国客のノリに引っ張られて、現地のリベール人までもがアンコール喝采の仲間入りを果している。
「そういえば、どうしてメイベル市長は参加していないだ?」
「そうだ、そうだ。大陸三大紙に数えられる歴史と由緒あるリベール通信だからこそ、『現職のボース市長、体育祭復帰!?』の眉唾記事を信じて俺らははるばる国境を越えてきたんだぜ」
「メイベル市長を出せー。市長のブルマ姿を拝ませろー!」
「「「「「「「「アンコール! アンコール!」」」」」」」
「「「「「「「「メーイベル! メーイベル!」」」」」」」
アンコール要求に続いて、メイベルコールまで炸裂。想定外の事態の連続にヨシュアは困惑する。
『ゴシップ載せてもヨタは載せない』がリベール通信、ひいてはナイアルのポリシーなので、別段彼が面白可笑しく記事をでっち上げた訳ではなく、帝国人たちが碌に文面も読まずに都合の良いように脳内補完してしまっただけの話だが。
「過去の体育祭のスナップ一枚から何を勘違いしたのやら、なんか市長さんにまで飛び火したみたいね。常識的に考えれば成否は一目瞭然だし、メイベル市長もいい迷惑でしょうね」
「さて、それはどうかな」
呆れたように両肩を竦めたヨシュアに、クローゼとエステルの二人は意味深なアイコンタクトを交わす。
「どうする、ヨシュア?」
「シカトしてましょう。ミラを支払ったアイドルのコンサートやライブ公演じゃあるまいし、きちんと公約した通り騎馬戦は鑑賞させたのだから、アンコールに応える責務はないわよ」
ようやく正気に返ったジルが、先の求愛行為にバツが悪そうに頭を掻きながら問いかけ、ヨシュアは冷然と言い放った。
確かに入場料金を徴収したわけではないが、寿司模擬店の収益を預けた集金係の生徒に聞いた所、まだ途中経過だか例年の倍以上のペースで喜捨金が潤っている。
帝国からのリッチビジターが大金を寄進してくれたのは疑いようがない。その貢献を鑑みれば、先のデュナン公爵のように多少の我が儘は許されてしかるべきかもしれないが。
「善意の寄付行為に見返りを求めるなんて、もっての外ね。却下よ、却下」
寄付金の余剰半額分を報酬として受け取る予定のヨシュアは道徳的にどうかと思われる己の所業を思いっきり棚に上げて、例によって本人すら信じていない御為倒しであっさりと切り捨てる。
「ヨシュアの言うことは正論だし、参加した女子の体力気力も限界だから切り上げ時ではあるのだけど、ここまで盛り上がった来客を放置するのはちょっと怖いわね」
まるで一匹の大蛇のようにうねり続けるトラックを取り囲む観衆のボルテージに、寒けを覚えたジルは身を震わせる。
多数の民間人が集うデモや集会の群衆心理というのは結構恐ろしい。誰が煽動するでなく、時には収拾のつかないパニックに発展するケースも有り得る。
その切っ掛けが、政治的要求や自由平等の権利主張とはまるで無関係のブルマ相撲(※オリビエ命名)の継続欲求なのがちとアレであるが。
「理も義もなく暴徒と化すというのなら、私が鎮圧してあげるから心配いらないわよ、ジル」
女子生徒の一人に預けていた収納ベルトを両太股に装着したヨシュアは、得物のアヴェンジャーを抜き出して両手に装備する。
対集団戦闘を極めたヨシュアを前にすれば、数の多寡は何ら意味を持たず。暴動など一瞬で無力化できるが、無差別蹂躙技の『漆黒の牙』を発動させてしまえば無辜の民にも累が及ぶ危険性があり、これは本当に最後の手段だ。
「まあまあ、ヨシュアさん。ここまで穏便に進めてこられた学園祭に水を差すのもいかがなものでしょうか?」
「メイベル市長?」
放送テントの隣にある生徒会テントに、ボースコンビが訪問してきた。
「たとえ筋が通らない要望だとしても、多くの願いが一つの形を取るのならば、その想いを無下に遇うことはできませんわ。帝国客の目当てはわたくしなのでしょう? ならばボースの市長ではなく、ジェニス王立学園の卒業生の一人として一肌脱がせて貰う所存です」
メイドのリラが恒例の仏頂面で、購買から卸したばかりの透明袋に入った新品の体操着を手渡す。市長の思惑を悟ったヨシュアの瞳孔が驚愕で大きく見開かれて、軽い興奮に琥珀色の瞳が真紅に染まる。
「メイベル市長、まさか騎馬戦に参戦されるおつもりで?」
「ええっ、愛する母校の危機を救うために、やむなくですけどね」
しみじみと供述するメイベルの慈愛に満ちた憂い顔に、まるで自らの身を犠牲に捧げた聖女ジャンヌ・ダルクが火刑に処された痛々しい光景をヨシュアは重ね合わせる。
「我が身を人身御供に捧げようとする市長さんのお気持ちは大変尊いのですが、先の騎馬戦を闘った生徒はほとんど満身創痍で数が……」
「その難題なら解消されたみたいよ、ほらっ」
ヨシュアのもっともな指摘にジルが後方を指差す。何時の間にやらフラッセとレイナの主従の他、数十人を数える女生徒がテント前に集結している。
「なんでも直に騎馬戦を観戦していたら凄く面白そうに見えたので、自分たちも参加してみたいと集まったみたいなのよ」
「私はレイナがやってみたいというから、仕方なくよ」
「相変わらず意地っ張りですね、フラッセは。騎馬戦を試してみたいというから、彼方此方で興味深そうだった女子を誘ってきたのはあなたでしょうに」
「……理解に苦しむわね」
そう呟いたものの、これで山積みされていた問題点は全て解決されたことになる。ヨシュアも別段、武断的な制圧を望んでいた訳ではない。装備していた双剣を両太股に巻かれたホルスターに納めて武装解除した。
「そうと決まれば、早速、体操着に着替えてこないといけませんね。わたくしが白組の大将騎を引き継ぐとして、赤組にも出来ればそれに相応しいライバルを……そういえばわたくし以外にももう一人、優秀なOGが顔を出していましたね。声を掛けてみることにしましょう。行くわよ、リラ」
「畏まりました、お嬢様」
メイベルはリラを引き連れて、女子更衣室の方向に移動を開始。瞳を現色に戻したヨシュアは、その後ろ姿に後光が射しているような錯覚を覚えた。
「大の大人がこんなしょーもない子供の遊びに態々付き合ってくれるなんて。やっぱりメイベル市長は傑物…………って、どうしたのよ、エステル、クローゼ?」
必死に笑いの衝動を押し殺そうとする殿方二人に不思議そうに首を傾げる。尻尾の動きを確認すれは犬の感情が丸判りなように。シリアス顔で体裁を取り繕っていた彼女がスキップするように膝を踊らせてる。
ボース市長の思惑は、『女子はブルマに羞恥を感じる』という先入観に支配されているヨシュアには絶対に解けない謎である。常々真相からハブにされているエステルが辿り着いた真実を、サトリクラスの超能力じみた洞察力を発揮する名探偵が勘違いする普段の逆転現象が発生していた。
◇
「おおおー! 本当にメイベル市長が出てきたぞ!」
あれから三十分の準備期間を置いて、選手をそっくり丸ごと入れ換えた赤白の騎馬が再入場してきた。
観客は得手勝手なもので、延長了承のアナウンスを聞いた途端、あっさりと静まり返って固唾を飲んで再開の時を待ち続ける。帝国社交界のアイドルであるメイベル市長のブルマ姿に会場は今までにない興奮の坩堝と化す。
「やっぱり、少しばかり気恥ずかしいですね」
騎馬上で白いティアラを被ったメイベルは、中央馬役のクローゼに照れ笑いしながら、カールのかかった髪を軽くかき上げる。再試合に伴い籤に漏れて見学を余儀なくされた男子生徒全員に敗者復活の機会が与えられたのは、スケベ男子らにとって願ってもいない僥倖だ。
「王子様に馬役を押し付けるのは心苦しいですが、よろしくお願いしますね」
「やっぱり、気がついていられたのですか」
デュナン公爵の目を欺く為、体育の時間で使われるリバーシブルの赤白帽子を深く覆ったクローゼは軽く嘆息する。彼女は特に正体を喧伝するつもりはなく、今日は身分も立場も忘れて無礼講で楽しもうと耳打ちする。
「それにしても、リラ。あなたまでわたくしの道楽に付き合うことはなかったのに」
一張羅のメイド服を脱ぎ捨てて、主君と同じブルマに着替えて、隣の騎馬に乗り込んだリラに申し訳なさそうな顔をする。リラを羞恥で頬を軽く染めながらも、毅然として首を横に振る。
「主が壇上に登られスポットライトを浴びる時は影ながらそっと見守り、断頭台に昇らされて処刑される際には一緒に頸を斬られるが真なるメイドの務めゆえ、ご心配には及びません」
「自分たちは運命共同体なのですから」とリラは得意の能面に譲れぬ誇りを秘めて、一連託生のメイド魂を訴える。
喜びを共に享受できても、中々苦難を分かち合うのを叶わないのが人間の本性の中、その真逆を貫くとは真に務め人の鏡。周りの女子生徒が感動し、馬上で拍手する。ただし、このリラの言い草だと、彼女の基準ではこの騎馬戦で衆目の脚光を浴びるのは栄光よりも汚辱のイメージの方が強いみたいだが。
「皆さん、先程の打ち合わせ通りにフォーメーションを組んで戦って下さい。そうすれば勝利は自ずとわたくし達白組の頭上に輝く筈です。宜しいですね?」
「「「「「はい、もちろんです、メイベル先輩」」」」」
憧れの大先輩に心酔する白組の女子は、一糸乱れずに返事をする。物欲に釣られた参入した旧赤白の面々と比較すれば、チームワークという点では新世代の白組は一枚も二枚も上をいくようだ。
「うううっ、なぜ、どうして、わたしくがこのような辱めを……」
赤組の大将を任され、欲してもいない赤いティアラを被らされてブルマ姿で騎馬に乗せられたたギルハート・スタインは現在の自身の境遇が信じられず、まるで荷馬車で市場へ売られていく子牛の気分。耳元にはドナドナのメロディーの幻聴が聞こえてくる。
発端はあの忌ま忌ましい後輩のメイベルが、メイド共々ブルマ姿のいかれた恰好でルーアン市長秘書コンビの面前に現れたことで、あろうことか、「一緒に騎馬戦を楽しみませんか?」と満面の笑みでお誘いしてきやがりやがった。
大勢の来客や後輩の女子生徒の手前、罵詈罵声を浴びせるわけにもいかず、秘書の職務を理由に穏健に断りを入れようとしたのだが、よりにもよってダルモア市長が。
「市民の要望に応えるのも、市の行政に携わる我々の務めだ。私のことは構わず楽しんでこい。これは市長命令だ」
などど本音が透けて見える恒例の嫌らしい笑みを浮かべながら奇麗事を宣う。その一言を切っ掛けにメイベルの手下の男子生徒たちに胴上げのように担げ上げられて女子更衣室まで拉致され、ある意味下着姿より恥ずかしい衣装を強要された。
「おいおい、赤組の大将はどうなっているんだ? どう見ても三十路の婆じゃねえか?」
「見てくれは悪くないけど、あの歳でブルマとか完全にダウトだろ? 太股を晒して恥ずかしくないのか、ちっとは空気読めよ」
「おいおい、勘弁してくれよ。せっかく現役女子高生のブルマ姿を堪能していたのに、コスプレ喫茶に逆戻りしたみたいで白けちまうじゃないか」
赤組大将の御尊顔を拝まされた客席から、ブーイングが飛んできた。ギルハートは恥辱にプルプルと身体全体を震わせながら、馬上でシャツを伸ばしてブルマ隠しを行う。
気の毒なぐらい晒し者状態だが、勧誘したメイベル市長には彼女を貶めようという悪意は全くない。ジェニス王立学園を首席で卒業した先輩後輩のOGとして、一緒に騎馬戦を楽しもうとこれ以上ない有難迷惑で悦びを共有しようとしただけ。
人の持つ固定観念とは中々に厄介なもの。「自分が羞恥を感じるから、他の女子も恥ずかしがるだろう」「自分は慶ばしいのだから、きっと先輩もそうだろう」とヨシュアやメイベルのように理知的で対人経験の豊富な辣腕女性をして、自身の感情を他者にもそのまま適用し大きく見誤ることがある。
時に無知なる善意は打算的な悪意よりも遥かにえげつなく他者を傷つけるケースあるが、これはその最もたる一例。ヨシュアはメイベル市長を人身御供と称したが、本当にサバトの生贄と処された犠牲者は紛れもなくルーアン秘書だ。
「はーあ、赤組に割り振られて、ギルハート先輩の指揮下に置かれるなんて。私も白組のメイベル市長の元で戦いたかったな」
「無礼ですよ、フラッセ。彼女に何の愚もありません。ただメイベル先輩に比べて、家柄と人間としての器量で大きく劣っているだけです」
「レイナ、あんたの方が私よりもよっぽど失礼なこと言ってない?」
「事実を客観的に述べただけです。まあ、白組には私の憧人のリラさんがおられるので、同じ務め人の先君として色々教訓を賜りたかったですけどね」
赤組に振り分けられた女子生徒は好き勝手にギルハートを酷評している。一致団結した白組に比べると士気は極端に低く、仮に作戦を立てても言うこと聞いてくれるか甚だ怪しい。
赤組のまとめ役として、メイベル市長に比べると悲しいぐらいカリスマが欠如しているが、ギルハート本人が今の立場を望んだわけではないので彼女を咎めるのは酷だ。
メイベルの手勢のやる気満々の白組、年齢制限を厳しく突っ込む無粋な観衆に忠誠心ゼロの赤組の面々。四面楚歌の状況にギルハートは臍を噛むが、そんな彼女の忠実な馬が下方から声を掛けてきた。
「何だか色々と大変そうだな、秘書さんも。けど、大丈夫だせ。たとえ世界の全てが敵にまわったとしても、俺だけはギルハートさんの味方だし、俺があんたをメイベル市長に勝たせてやるから、どんと大船に乗った気分で安心してくれていいぜ」
「エステルさ~ん」
頼もしそうに勝利を確約する唯一人の朋輩の存在に、ギルハートは瞳をウルウルと潤ませて思わず涙が零れてきた。
観客はアラサーとか不届き千万を抜かしたが、ギルハート・スタインは今年まだ二十五歳のお肌も艶艶のバリバリの現役。十六歳のエステルとの年齢差は九つである。
一回り年下の彼氏というか若い燕を囲うのも悪くないかなとオリビエ並に妄想が暴走し始めたギルハートは、恐らくは性格と主義主張が水と油ほども異なる筈のユリア・シュバルツ中尉(二十七歳)と良い酒を酌み交わせるかもしれなかった。