もしかすると、ギルハート・シュタイン秘書(二十五歳の恋する乙女)と良い友達になれるかと思われるユリア・シュバルツ中尉(二十七歳の忠義の武人)は、未来ではなくかつての旧友と軍人将棋をしながら親交を暖めている最中。
「総司令部の占拠により、黄色(カノーネさん)の勝利です」
審判役の男子生徒が、高らかとカノーネの勝利を謳いあげる。
エステルが器物破損した『ゲームセンター』の対戦机には大陸で遊ばれる古今東西のあらゆるボードゲームが置かれており、『軍人将棋』もその中の一つ。スパイや工兵などの一部の例外駒を除いて階級によって予め駒同士の勝敗が決しており、対戦相手に駒の正体が判らないよう伏せて戦うのがゲームの特徴。
駒の優劣を図る審判役の第三者が必要なので、二人だけでは遊び辛く。また、戦略性はあるが、将棋や囲碁などのメジャーゲームに比べて初期配置に伴う運の要素が高すぎるのがプロ化されるほどの市民権を得られずマイナーゲームで寂れてしまった要因。
逆に一部のマニアにはその部分が好評。本人が軍人である故かユリアとカノーネもこのゲームを愛用し、士官学校時代は暇を見つけては何度も対戦した仲である。
「ふふっ、これで通算成績はわたくしの二百八十七勝二百二十敗ですわね。これを遊ぶのも久しぶりだけど、大将を動かしすぎる癖は変わっていないようね」
スパイによる大将撃破という最高のカタルシスを果たしたカノーネ大尉は、旧友の悪癖を特に揶揄するでなく、冷静に勝因を分析する。
文のカノーネ、武のユリアと称された両君だが、ユリアは単なる猪武者でなく知勇兼ね揃えた得難い人材なので、知的ゲームで参謀タイプのカノーネを相手取っても、ヨシュアとエステルほどの極端なスコア差は顕れない。
「まあ、性分だな。そういう貴殿は、ほとんどの場合は大将は総司令部に引き籠もっているので、いかに地雷を見極めるかが勝敗の分かれ目だが、昔に比べて随分とルールも風変わったものだ」
懐古主義の遠い目で、在りし日の戦略ゲームに没頭していた学生時代の自分たちの若々しい姿を顧みる。
ちなみに彼女がいうルール改変は、飛行機に移動制限がついたり工兵がタンクに勝てたりなどのマイナーチェンジだが、戦略そのものを左右し兼ねないのは地雷がたった一回で撤去される点。
中将や少将などの強駒が延々と餌食となる悪夢が避けられるが、別に大陸で統一ルールを定めている訳でもないので、どちらかといえばローカルルールに属する違いだ。
「尉官(少尉、中尉、大尉)が引き立て役なのは、今も昔も変わらないがな。ルール上、仕方がないことだが、偉ぶっているだけの将官に負けるつもりはないのだが」
自身が中尉の階級に属するユリアは、工兵よりも使いでがない自分らの階級駒の存在価値の希薄さに遺憾の意を示すが、多数の弱駒がいるからこそ少数の強駒の強さがより際立つのだと、カノーネは別視点から光を充てる。
「それと今の地雷撤去ルールなら、尉官の駒を生贄に捧げることで地雷を取り除けるのだから、昔に比べれば存在意義が生まれたかもしれませんね」
実際の戦場でも最前線で敵の矢面に立ち、真っ先に犠牲となるのが名もなき兵士に与えられた役割なので、ある意味現実に即していると言えるかもしれない。カノーネの達観に何かを感じたのか、ユリアは軽く嘆息すると間を外す為に窓の外を眺める。
すると、グラウンドで騎馬戦が行われている風景か目に入る。
勝負に夢中で気づかなかったが、校庭を埋めつくした観衆から、締め切った窓越しでも響く程の大歓声があがっている。窓を開けた途端、より一層音量が跳ね上がったので、他のゲームに集中している客の迷惑にならないよう慌てて閉じる。
「あら、騎馬戦ですか。これはまた懐かしいものを。そういえば、体育祭が部分的に復活するとかリベール通信に掲載されていたけど、この余興がそれみたいですわね」
カノーネもトラックの様子に気づいた。ゲーム疲れの脳を癒す為に校舎三階窓からゆったりと騎馬戦を鑑賞する。ただし、息抜きのつもりでも、どうしても軍人的な思考が入り込んでしまうのが職業病所以。
「ふふっ、こうして上部から眺めていると、各騎馬の動きが丸判りで面白いですわ。まるでプレイヤーが基盤上の駒を見下ろすかのようね」
赤組の騎馬が個々に好き勝手に動いているのに対して、白組はメイベル市長の薫陶宜しく、実に戦術的。一つの騎馬に必ず三体が一組になって殴殺している。開始して数分で両軍の戦力比は倍近くまで広がっていて、時間が立つほどその差は開く一方だろう。
「急拵えとは思えないほど各騎馬の動きも連携が取れていますし、白組の指揮官はよほどのリーダーシップに優れた人物なのでしょうね。ランチェスターの法則に紐解くまでもなく、この勝負は白組の圧勝……」
「さて、それはどうかな?」
白組の動きが戦理に適っているのを認めながらも、ユリアはカノーネの常識論に異議を唱える。別段、彼女に対抗してとかではなく、烏合の衆の赤組の中に面白い騎馬を見つけたからだ。
「確かに現実の戦争でも、ここまで両軍の戦術格差に違いがあれば勝敗は決したも同然。だが、大陸の数々の戦史を学んできた我々は知っている筈だ。時には一騎当千の英雄が常識を覆す圧倒的な個の力で完成された組織を撃ち破り、有り得ない逆転勝利を弱軍に齎した歴史が幾度となく存在することを」
「個の力?」
カノーネは訝しむ。彼女の敬愛しやまない上司のリシャールは、『百日戦役』での英雄カシウス・ブライトの重要性を強調していたが、その剣聖にした所で単身剣一本で帝国軍を撃破した訳ではない。
近代戦術の発達による徹底した組織化と導力革命による科学技術の急速な進歩により、一人の英傑の存在が戦争の行方を左右するような歪な時代は終わりを告げた。
その意見にはユリアも賛成だが、眼前で披露されているのは古代戦争をモチーフとした原始的な騎馬闘争なので、個人の勇が戦局を引っ繰り返す余地は充分だ。
「赤組の大将騎、アレは中々に面白いぞ。もっとも、騎手は凡だから、本当に優れているのは馬の方。いにしえの赤兎に勝るとも劣らない名馬だな」
◇
「おほほほほっ、やっぱり団体競技は燃えますわね。騎馬戦サイコー!」
三個目の鉢巻きを奪い取ったメイベルは、額の輝く汗を拭き取りながら騎馬上で満面の笑みを浮かべ、馬役のクローゼは市長のハイテンションに若干引き気味になる。
勝利条件のティアラを保持する白組大将騎だが、護衛の奥に隠れるような臆病な真似はしない。古代の覇王のように自ら陣頭に立って身を危険に晒しながら、得意の三位一体の隊列で数的優位を築いて敵を狩り続ける。帝国社交界のアイドルの大活躍に客は大いに沸騰する。
「惜しむらくは、赤組の騎馬の行動に全く統一性が見られないことですね。ほとんど準備期間もないぶっつけ本番だから仕方がないかもしれませんが」
「というよりは、単に敵大将側のやる気の問題ではないでしょうか、お嬢様?」
ワンサイドゲームを憂慮するメイベルに、常に彼女をサポート出来るポジションをキープしているリラは自身の見解を控え目ながら述べてみる。
明らかに主君を目の敵にしているルーアン秘書に普段はあまり良い感情を抱いていないが、ヨシュア並みにブルマへの羞恥心を持ち合わせているメイドさんは望まぬゲームに無理やり巻き込まれた彼女に今回ばかりは同情している。
ただ、市長の激務でストレスを溜めがちなメイベルの子供みたいに楽しそうにはしゃぐ姿と天秤にかけたら、ギルハートへの憐憫など微々たるもの。お嬢様のガス抜きの肥しになってもらおうと諦観していたが、その赤組大将騎が異常なやる気を漲らせてメイベルが考案した完成された包囲陣に皹を穿ち始めていた。
「よっしゃあ、行くぜ、ギルハートさん!」
「よろしくお願いします、エステルさん」
早馬の如くトラックを疾走するギルハート騎。自らを取り囲もうとする三騎をすり抜けると、弧を描くように回り込んで左手前の騎馬の一つに激突する。
白組の中央馬役の男子生徒はエステルに体当たりを敢行したが、まるで花崗岩のようにビクともしない。逆に長身のエステルから圧倒的なフィジカル差で肩口を上から押し込まれると、今の態勢を維持出来ずに前のめりになる。そして、白組騎手の頭部がお辞儀するように、ちょうどギルハートの腰のラインあたりの美味しいポジションまで下げられた。
「いただきですわ」
闘いにおいて上座の位置をキープするのは、圧倒的な優位を生む。運動音痴のギルハートをして楽々と鉢巻きを分捕るのに成功する。
三位一体での袋叩きを基本とする白組は逆に一騎でも欠けたらどう対処して良いか判らず。他の赤組の女子に襲われて、第七分隊(※メイベル命名)が壊滅し白組初の犠牲をだした。
「いいこと、エステル? 馬役の男子生徒なら何人病室送りにしても問題ないけど、その騎馬に乗っているのはか弱い女子生徒なのだから、落馬して怪我させたりしないように注意しなさい」
騎馬戦の開始前にヨシュアは口酸っぱくそう警告する。要するに体育のドッチボールの悲劇を再現しないように暴走に釘を刺されたのだ。
男女均等に基づかない女尊男卑のヨシュアの主張は男子の側から苦情がきそうであるが、女子の身体を労るのはその逆よりは正しい考えだ。
尚、そのヨシュアは戦利品の鉢巻きの査定をしなければならないとかで、前戦に参加した女子を引き連れてこの戦を見学することなく姿を消した。
「全く、ヨシュアの奴は心配しすぎだっての。俺だってそこまで空気が読めない訳じゃないんだぜ」
エステルが本気なら暴走ダンプカーのように全ての騎馬を弾き飛ばすのも可能だが、ここまで落馬失格した白組の騎馬の数はゼロ。
実際、ぶちかましを封印しても他にいくらでも遣りようがある。他の騎馬と衝突すると身長差を利用してまるでヤクザの難癖のように自分の肩口を相手の肩に上からグリグリと押し付ける。
鍛え抜かれた鋼の肉体による大人と子供以上の絶望的なフィジカル差。当然、相手はその圧力に耐えきれずにジワジワと沈んでいき、ギルハートが労せずして鉢巻きを奪える定位置まで頭部を下げさせられる。
更には多数の騎馬に囲まれる前に得意の脚力で戦場を縦横無尽に駆け巡り包囲網を突破。単騎に狙いを定めて個別に各個撃破する。幸い後脚の二人も現役の運動部員なので、エステルのハードワークについていくのを可能とするので、ギルハート騎の機動力は戦場ではずば抜けており、白組の連携術を以ってしても取り囲むのは至難の業。
この手法が功を奏し第三・第六分隊が纏めて餌食になり、二桁近いお宝の鉢巻きをゲットするのに成功している。
そして、これが一番肝心なのだが、様々なお膳立てにより必ずギルハートに鉢巻きを取らせ、花も実も彼女に持たせるようにエステルは腐心しているので、素人目には先のヨシュアのように騎手が無双しているように映っていて、さっきまでブーイングを浴びせていた観客も掌返して活躍を応援し始めた。
「いいぞー、赤組の大将ー!」
「ルーアン市長の秘書なんだってな? そのままボース市長に下克上してやれー!」
「わたくしが脚光を浴びている? あのメイベルよりも」
鉢巻きの束を強く握りしめながら、羞恥に震えていた先とは全く別の意味で馬上のギルハートは打ち震える。
元々目立ちがり屋の上に、若くして市長職を手にした後輩のメイベルに対するコンプレックスは半端ない。この賞賛の雨は快感だ。
エステルが必要以上にギルハートに肩入れしているのは、或いは無意識的に義妹に劣等感を抱いている自身と似た匂いを野生の嗅覚で嗅ぎ取ったからかもしれない。
「なかなか、やりますね。ギルハート先輩。ならば、先に倣って大将同士の直接対決で決着をつけるとしましょうか」
無双劇と謳っても、所詮は匹夫の勇。タイムアップまで時間を稼げれば、白組の勝利は確実だが、その選択肢はない。
別にミラを賭けている訳でなし、とことんまで楽しまなければ損。現役時代の騎馬戦でも巡り逢えなかった好敵手との邂逅にワクワクと胸を踊らせると、リラともう何人かの女子生徒に合図し自ら率いる手勢でギルハート騎との距離を詰めていく。
「メイベル?」
「さあ、ギルハート先輩、この鶴翼の陣を交わせますか?」
メイベル、リラ他、計五体の騎馬は円形でギルハート騎を取り囲んで、時計周りに回転しながら距離を狭めていく。
「ちっ、こいつは厄介だな」
白組五騎の巧みな連携に抜け出る隙間を見出せなかったエステルは軽く唇を噛む。
一点集中突破で強引に包囲網を突破するのは容易いが、その場合、敵を落馬させる危険性が高く、相手に怪我させず自騎手に功を譲るという自らに課した誓約を破ることになる。
ヨシュアなら五騎相手にしても余裕だろうが、ギルハートの身体能力では二体同時に襲いかかられたまずアウト。まだ各騎馬の距離が離れている内に、一か八か正面の騎馬に向かって特攻する。
例のフィジカル勝負で圧倒し鉢巻きを奪うのに成功したが、その隙を見計らい後方から別の二騎が襲いかかる。ギルハートに回避する術なくゲームオーバーかと思われたが、フラッセとレイナの主従騎馬が割り込んできて盾となって敵の攻撃を防ぐ。
「あなた達?」
「ほらっ、私らが食い止めている間にさっさとティアラを奪っちゃいなさい」
「どうのこうの言っても負けず嫌いですからね、フラッセは」
ようやく赤組にも少しばかりチームワークが芽生えた。鉄壁の筈の包囲網は崩壊し、逆にメイベルは単騎で赤組の大将と相対することになった。
「メイベル覚悟ー!」
エステルが身体ごとぶつかってきた。細身のクローゼでは到底支えきれず、メイベルの頭部がベストフィットボジションまで下げられて、ギルハートは舌舐りしてティアラに手を伸ばす。
「危ない、お嬢様」
今度はリラが身体を張ってインターセプトし、ティアラの代わりに彼女の鉢巻きが奪われる。先のヨシュアのような変態超人バトルはないが、ブルマ女子(※メイベルとギルハートの年齢はアレだが)が力を合わせて等身大で戦う様は実に見応えがあり、観衆の興奮具合も絶頂に達する。
リラの献身で態勢を元に戻せたメイベルは、その好機を逃さずにギルハートとがぶり四つの態勢で組み合い、無言のまま互いのティアラを奪い合うラストバトルに突入。
「こうなったら、もう僕たちにできることはありませんよね、ねっ、ねっ、エステル君?」
「クローゼ、お前、必死だな。まあ、最後ぐらいはギルハートさん本人に任せてみるか」
ここまで盛り上げての落馬決着では締まりがない。体力勝負の分の悪さを悟ったクローゼの口からでまかせの話術に敢えてエステルは乗っかることにして、自らの立場を弁えた二人の殿方は衝突を止めて足場の馬役に徹する。
馬上では互いの騎手が髪の毛を引っ張り、ほっぺたを抓ったりとなどの壮絶なキャットファイトを繰り広げ、その死闘が遂に終息する。
「か、勝った、このわたくしがメイベルに…………」
「完敗ですわ、ギルハート先輩」
ギルハートの左手には真っ白いティアラが握られている。勝利こそ得られなかったものの心ゆくまで騎馬戦を満喫したメイベルは満足の笑みを零して、ギルハートに握手の掌を差し伸べる。
騎馬の上で互いの健闘を讃え合う両者の感動的な姿に満場の観衆は総立ちになって、スタンディングオベーションで拍手喝采する。その余韻は何時までもグランドに残り続ける。
ギルハート・スタイン、二十五歳。今後の彼女の七難八苦の人生を彩るささやかな栄光の一時をしみじみと噛み締めていたが。「来年もまた一緒に楽しみましょう」とボース市長から微笑まれて、ピシリと馬上で石化する。主君が騎馬戦に味を占めてしまった現状にリラは軽く嘆息した。
その頃、『白き花のマドリガル』の舞台となる講堂。白の姫セシリアの衣装ドレスに着替えたヨシュアは琥珀色の瞳に憂いを秘めて無人の講堂を見渡し、そっと呟いた。
「いよいよ、クライマックスね。このまま何事もなく終わってくれれば良いけど」