「ここがキリカさんの紹介にあった屋台村ね」
ラッセル工房裏手にある市西域の露店街に顔出ししたヨシュアは、目当ての店を探す前にまずは市場調査として彼方此方の店舗を冷かしまわる。
屋台村はツァイス市の観光スポットの一つ。最新設備を売りにした未来都市の一部とは思えぬクラシックな青空定食屋の集積体。いかに科学技術を発展させようともお腹は減るし無から食材を生み出すことも叶わないので、このような古臭い施設も必要なのだ。
敷地内は観光客や外食に出向いた工房の技術者で溢れ返っており、どの屋台もそれなりに賑わっている。
優良酵素による肝臓の分解機能のお蔭でお酒は幾らでも飲める反面、胃袋の方は体型相応のミニマムサイズ。決め打ちした幾つかの出店で、注文した料理を二口程の試食で切り上げる勿体ない飲食法で店主の眉を顰めさせながら移動を続ける。
貧困地帯の飢餓事情を鑑みれば道義的にどうかと思われる食べ残しも、正規のミラを支払っている以上は法的には何ら問題はない。七件程の屋台を渡り歩いてようやく目的地に到着した。
「へい、らっしゃい………………って、ヨシュア君か?」
「お久しぶりです、エジルさん。その節は、色々とお世話になりました」
法被に鉢巻きの副業衣装に身を窶したツァイス支部所属の正遊撃士エジルは、鉄板の上のお好み焼きを引っ繰り返しながら仏頂面を綻ばせる。ヨシュアも軽く会釈して、席の一つに腰掛ける。
「流石に今度は本物みたいだが、エステル君は一緒じゃないのかね?」
「義弟はクエストで市全域を駆けずり回っている最中です。それよりも、ジルとハンス君はもうツァイスにはいないのですか?」
コリンズ学園長から短期休学の許可は貰っていたし、ゆっくりと市内を見物できるように一週間は滞在できる旅費を手渡したので、今頃影武者カップルはエルモ村の温泉あたりでノンビリ寛いでいると思っていたが。
「ジル君ならダルモア市長逮捕の一報を聞いた途端、「こうしちゃいられない」と彼氏の手を引っ張ってルーアン行きの便に大慌てで乗り込んでいったよ」
「彼氏ねえ……」
エジルのニュアンスに、ヨシュアは何ともいえない表情で両腕を組んだ。
ジェニス王立学園の生徒会長は自分に似て要領が良く計算高い割には、特定の異性に対して素直になれない不器用な一面を抱えているが、少なくともエジルの目から恋人同士に映る程度には副会長に甘えられたみたいだ。
気になるのは二人が既に不在というくだり。兄妹と行き違いになってしまったようだが、折角の蜜月旅行を途中でキャンセルした要因がルーアン市長の失脚ニュースというのが引っ掛かる。
「そう、ジル。あなた、本気で立候補するつもりなのね」
「手を伸ばしても届かない夜空に浮かぶ月そのもの」といっても過言ではないルーアン行政の長のポストは現在空位。市民投票による選挙にて次の新市長を選出するのが、王国憲章によって定められている。
本来なら十年先でも巡ってくるかさえも判らない、まさしく『空の神さま(エイドス)』が与えたもうた二度とないチャンス。
少女の悪友はこの降って湧いた千載一遇の好機を指を銜えて黙って見過ごすようなタマではない。もしかしたら、鼻紙にもならない借用書という名の紙屑は近い将来、狸に化かされた葉っぱのように大金に変化するのかもしれない。
「ヨシュア君?」
「いえ、何でもないわ、エジルさん。ひょっとしたら、メイベルさんの持つ最年少市長着任記録(十九歳)が更新されるかも……って思っただけよ」
それも世襲によって引き継ぐのではなく実力によって勝ち得るのであれば尚更、前代未聞の偉業達成。
ただし、その道程は茨よりも果てし無く険しいだろうが、選挙の実施は先の話。当面の間、野心的な友人にヨシュアがしてあげられることは何もない。
だからヨシュアは当初の予定通りの手助けを試みる為に、エジルにメインメニューのお好み焼きとたこ焼きをセットで注文した。
「…………あら、美味しい?」
極めて無礼千万な物言いで、賞賛の言葉を口にする。
ヨシュアの超辛口基準では、食べ歩きした他のほとんどの屋台は可もなく不可もない大衆食道レベル。客入りが変わらなかったエジルの料理にもさほどの期待を寄せていなかったが、その予想は良い方向に裏切られる。
生地の焼き加減、自家製と思われるソースの風味、具のバランスなど全てが百点満点で文句のつけようがない。気づいたら小食気味で味に五月蠅いヨシュアをして完食。皿には僅かなソース跡しか残されていない。
「これは紛れもない本物。レシピが完成しなかったのは何年ぶりの体験かしら」
一度食せば舌分析のみで脳内レシピを構築、料理を忠実に模倣可能なスキルをヨシュアは保持。アンテローゼのバイト中に高級大皿料理のレシピを根こそぎ盗み尽くして、レシピ手帳を更新した実績を誇る。
その神の舌を持つ少女をして、今食したお好み焼きの再現率は90%程に留まり、残り10%の隠し味のブラックボックスを絞り切れなかった。よほど複雑な手順で鉄板物の命というべきソースを自製しており、長年の努力と試行錯誤の賜物であろう。
(潔く敗北を認めましょう。今の私にはこれより上手いお好み焼きは作れない)
総合的な調理技術はともかく、鉄板焼き物のみと限定するならエジルの技量はヨシュアをも凌いでおり、積年の錬磨が生まれ持った希有な才能を凌駕した目出たい事例。この分だと、ヨシュアが態々料理のノウハウを一からレクチャーする必要もなさそうだ。
計画の見直しを迫られたが、決して悪い意味でではない。何しろヨシュアは失礼にも、ツァイス到着前はエジルの腕前を下手の横好きレベルと見做していた。当初見積もっていた修行時間をまるごと削減できるのだから、俗に言う『嬉しい誤算』という奴だが、だからこそ一つ引っ掛かる。
(これだけ美味しいお好み焼きを作れるエジルさんの屋台が、さほど繁盛しているように見受けられないのは何故かしら?)
別段、閑古鳥が鳴いている訳ではないが、これほど味の差は明瞭なのに客入りは他の屋台と比べてもどっこいどっこい。エジル本人の普段の愚痴振りからしても副業が潤っているとは思えない。
「ねえ、エジルさん。ぶしつけなお願いですけど店の帳簿を拝見させてはもらえないでしょうか?」
一通りお好み焼きを絶賛した後、ヨシュアはそう催促する。褒められて気を良くしたからでもないだろうが、エジルは無警戒に店のマル秘情報録を差し出した。
(なるほど、こういうことだったわけね。なんという呆れた丼勘定ぶり)
出納帳からミラの収支の流れを追えば、なぜ苦戦を強いられるか一目瞭然。味のクオリティに反して杜撰な経営形態が目についた。
食材は仲卸を通さずに近所の雑貨屋『ベル・ステーション』から定価で買い付けている。屋台や機材のリース料も相場を碌に調べず業者の言い値でぼられているようで、これでは利益がでる筈もない。
その上でお世辞にも愛想が良いとは言えない無骨なエジルが、客を呼び込む工夫もコマーシャルも無しに黙々と屋台を営んでいるだけ。その絶品加減は世間に広まることなく、本当に知る人ぞ知る隠れた名店化している。
海千山千の遊撃士として十年近いキャリアを誇るエジルがここまで実務処理能力に欠如しているのも意外だが、世間では剣聖とか稀代の戦略家とか持て囃されているヒゲオヤジも家に戻れば単なる粗大ゴミの宿六に過ぎないので、遊撃士とはそういう商才や生活力に欠いた不器用な人間の集団なのかもしれない。
「エジルさん、一つご相談があるのですが宜しいでしょうか?」
商いの遣り方を根本的に履き違えているのを指摘するのは簡単だが、副業とはいえエジルにも長年屋台を運営してきた商売人としてのプライドがある。十歳も年下の小娘に偉そうに指図されれば良い顔はしないだろう。
幸い味の方に手を加える必然性は皆無なので、商談の振りして店の営業資金を提供する方向に話を軌道修正した。
「ボースの空賊砦で使用したアーティファクトを譲って欲しいって? おいおい、ヨシュア君。本気で言って…………」
「ええ、本気ですよ、エジルさん。発信機の数は分からないですけど、少なくともレーダーの方は二つある筈ですよね?」
あまりに図々しい催促にエジルは苦笑しかけたが、続いてのヨシュアの推論を聞いた刹那、表情を引き締め直す。
「そうでなくては、あの即興作戦そのものが成立しなかった。違いますか、エジルさん?」
ヨシュアの言うアドリブとは、エジル達正遊撃士が独断でチームを三つに編成し直し、琥珀の塔を襲撃した陽動犯の他にもクローネ峠と霜降り峡谷の二カ所に別動隊を待機させた策である。
言われてみれば、もっともな推理。あの地点では空賊のアジトは特定できておらず、もしクローネ峠が本命だった場合は一つしかなければ対応できなかった。
最初から同機能のレーダーは二つあり、クローネ班の同僚にも手渡していたと考えるのが妥当。
「やれやれ、相変わらず鋭いな、君は」
エジルは両肩を竦めて、お手上げのゼスチャーを施す。
少女の指摘通り、このアーティファクトは腕時計を模した双子のレーダーと一ダースの超小型発信機がセットとなっている。発信機の方は対象に悟られないミリ単位の細かさが反って災いした事故で何個か紛失済み。ストックは既に十個を下まわっている。
この汎用性の高い小道具はエジルの本職を支える屋台骨なので、そう易々と手離せる筈もない。当然、ヨシュアもエジルの手持ち凡てを欲している訳ではなく、スペアのレーダーと発信機の何個かで良いと交渉する。
「見習いの立場を逸脱した厚かましい要求で恐縮ですが、五十万ミラまでなら支払える準備があります。もし宜しければ…………」
「すまないが、この話はもう止めにしてくれないかな、ヨシュア君?」
裏社会の闇オークションでは、七耀教会の回収を免れた様々なアーティファクトが数十万~数百万ミラという破格値で取引されており、実はそこまで悪い商談ではないが、エジルは迷うことなく固辞する。
ウンザリした訳ではなさそうだが、花崗岩のような明確な拒絶の意志を全身から感じ取ったヨシュアは、かつてジョゼットが不用意な発言でシェラザードをブチキレさせたように自分が触れてはいけない琴線を刺激しかけたのを自覚する。
テレサ院長が破格の地上げに応じずに最後まで土地を手離さなかったように、あのアーティファクトには単なる商売道具に留まらない強い思い入れがあり、入手する経緯の中でミラでは譲れない大切な拘りが芽生えたのだろう。
「親しさにつけ込んだ厚顔無恥なお願いをして、ごめんなさい。それでは、この件は無かったことにして下さい」
自らの無粋さを悟ったヨシュアはあっさりと前言を翻し、逆に拍子抜けしたエジルは強かな少女の変心を訝しむ。
「君らしくもないな。それ程のミラを注ぎ込んでまで執心する品なら、「断ればアーティファクトを強制徴収する教会に通報する」とか駆け引きの仕方は幾らでも……」
「裏社会のならず者との交渉なら私も手段は選ばないですが、エジルさんは私の恩人です。そんな大切な男性に礼節を欠く真似が出来る筈ないじゃないですか?」
社交辞令でなくヨシュアは満面の笑顔で謝意を述べ、エジルは複雑そうに考え込む。
押されれば反発し逃げられたら追い掛けたくなるのが、人間心理の摩訶不思議さ。色んな意味で意識する少女から謙虚に引かれると、多少なりとも期待に沿わねばという気分になる。エジルは法被の内側の隠しポケットからレーダーと発信機の一組を取り出した。
「エジルさん?」
「正直に言うとね、ヨシュア君。俺のような中堅遊撃士はともかく、こいつは君達姉弟みたいなサラブレットに必要な代物とはどうしても思えないんだ」
「だから二人がツァイス地方で修行する間だけ貸し出すので、本当に多額のミラを費やす価値があるのか見極めると良い」
エジルはヨシュアの掌にアーティファクトを手渡すと正業に復帰する為に暖簾を降ろして店仕舞いする。
マードック工房長から直々に任された大口依頼を抱えており、これから二日仕事でレイストン要塞へと赴く。
尚、アーティファクトのレンタル料替わりとして以前、ボースで虜になった金髪碧眼の美女との再会を熱望。三日後の夜、居酒屋フォーゲルにカリンの扮装で来て欲しいとデートの約束を取り付けるあたり、中々にエジルもチャッカリしている。転んでも只では起きない御仁のようだ。
◇
「失敗か。何がいけなかったのかしら?」
ティータもエステルも不在のラッセル工房に帰宅したヨシュアは、戦利品のアーティファクトを無感動に掌の上で転がしながら、鏡台に映った自分の顔を見つめて憂鬱そうに溜息を吐く。
確かにこのアーティファクトは無限の利用法が考えられる便利なアイテムではあるが、エジルが見透かしたようにヨシュアはさほどこの品に執着していた訳でない。店を開く営業資金を手渡す方便として利用したに過ぎないが、物の見事に肩透かしを喰らった。
「この商売、身体を張ってナンボだから、ダンさんのように若くして引退しないとも限らない。だから、俺も今のうちから第二の人生の可能性を検討しておこうと思うんだ」
カリンとして居酒屋キルシェでエジルと飲み明かした晩、程よく酔いがまわったエジルはツァイスに自分の店を持ちたいというささやかな人生設計を語っており、『定期船失踪事件』を独力で解決し五十万ミラの報酬を受け取れば、その夢はかなうと豪語していた。
その当時の正遊撃士を見下していた生意気娘は、話半分で聞き入って。
「十代半ばの小娘が五年で稼げる額を大の大人のブレイサーが十年掛かっても貯められないとか、シェラさん並にその日暮らしの自堕落な生活をしていたのかしら?」
などと不届きにもせせら笑っていたものだが、その後のボースやルーアンでの貴重な体験を経て、様々な心情の変化が育まれ一部考えを悔い改める。
特に金儲け全般に関する価値観の見直しが顕著。エステルが常々主張し学園祭の寄付金集めでも証明されたように少女は商いに関する特別な才能を有しており、他人がヨシュアの真似事が出来ないからといっても、それは決して軽視や侮蔑には値しない。
「多分、エジルさん独自の商法を貫いたら店を開くなんて早くて十年は先の話よね。かといって、開店資金を寄進しようにも素直に受け取ってくれる訳ないし」
預金の五十万ミラは半丁博打に勝っただけの泡銭。マーシア孤児院の存亡にも貢献したことだし、手離すのに何ら未練はない。
人生の教訓を賜った先君に役立てるのなら無意味に銀行に遊ばせておくよりは有意義なミラの使い途だと思うが、エジルが謂われの無い大金を貢がれてはしゃぐようなオポチュニストならそもそもヨシュアは骨を折ったりはしない。
「内助の功を気取ろうとした私らしくない善行じみた遣り方が、そもそも間違っていたのよね」
相思相愛なのに一向に進展しない煮え切らないカップルを第三者が強引に仲立ちするような余計なお節介であるのは、当人が重々承知している。
だからアーティファクトを買い取るという生緩い口実を設けたりもしたが、どうせ出しゃばるつもりなら、いっそ相手側の都合などトコトン無視し思いっきり罠に嵌めてしまえば良い。
それこそがロレント一の悪女と呼ばれた腹黒完璧超人に相応しい美人局(おもいやり)というものではないか。
「うふふふふっ、エジルさん。エステルなみに鈍いあなたがいけないのよ。こうなったら、五十万ミラの借金を背負ってもらうわよ」
ヨシュアは妖しい笑みを浮かべながら、鏡の中に自分自身に向かって囁く。
何やら少女の中で、とんでもないあさっての方角に向かって自己完結したみたい。鏡の世界に住んでいるもう一人のヨシュアの琥珀色の瞳はとても愉快そうだった。