ティータの命と一緒に心まで鷲掴みしたアガットは背を向けたまま前のめりにぶっ倒れて、一堂を驚愕させる。
男二人が慌てて駆け寄る中、ヨシュアは塔の外周にめり込んでいた弾丸を目敏く発見して拾い上げる。一目で植物性の神経毒が仕込まれているのを見抜いて、負傷したアガットの脇腹を覗き込むと銃弾が貫通した皮膚が壊死しかけている。
急いでエステルの治癒クオーツをアガットの戦術オーブメントに付け替えた上で水の回復アーツを唱えてみる。傷口は塞がったものの細胞の変色は変わらず、応急処置の効果しかない。
本格的に手当てを施す必要性があり、市のメディカル施設に運ぶ為にエステルがアガットを背負い、オーガバスターは意外と力持ちのティータが抱え込む。
背中に押し付けられた二つの胸の膨らみに、「この感触には覚えがある。はて、どこだっけ?」などとこの期に及んで首を傾げるエステルはもはや鈍いというより脳幹の一部に亀裂が走っている。
エステルの逞しい背中にオンブ抱っこされたアガットは朦朧とした薄れゆく意識の中、ルーアン秘書と親衛隊の服飾の見慣れぬ女性が「ショタコン同盟にようこそ」と手招きしている摩訶不思議な情景を真っ赤な夕日の中に幻視しながら気を失った。
◇
日が暮れ周辺が真っ暗になった頃、ツァイス市に辿り着いた一行はようやく先の混乱が収まった中央工房4Fの医務室にアガットを担ぎ込んだ。
並行して2Fの資料室に運良く発見した本を返却したり、紅葉亭から脱走したお子様の安否を気遣っているであろうマオ婆さんに無傷の当人に導力通信で声を聞かせて謝罪させたりしながら専属医のミリアムに患者の容体を確認してもらったが、普通の解毒剤も効かずこのまま昏睡状態が続けば危ういとのこと。
役割分担した三者はヨシュアが受付のキリカへの報告を承り、エステルが七耀協会の伝統医療に精通するビクセン教区長に教えを請いに行っている間、ティータがアガットの看病を担当することにした。
◇
もう何度目だろうか。
頭に濡れたタオルを乗せても、瞬く間にオデコの熱が冷気を吸収し干からびる。ティータはバケツの氷水に絞って、タオルを冷却する。
そんなルーチンワーク化した作業をせっせとこなしている最中、アガットが焦点の定まらない目つきで、タオルを新品に交換しようとしたティータの左手を掴んだ。
「あっ、アガットさん。気がついた…………」
「ミ、ミーシャン! ミーシャンなのね?」
「えっ?」
人違いされたことよりも、その時の彼女の奇異な仕種にティータは困惑する。
身命の危機に瀕しても決して怯懦な態度を晒さないであろう女丈夫がポロポロと大粒の涙を零しながら、ティータに縋るように抱きついた。
「ごねんね、弱虫で情けないお姉ちゃんでごねんね。でも、もう大丈夫よ、ミーシャン。お姉ちゃん、今度は絶対に逃げないから………………だ…………か…………ら…………」
険のない暖かな笑顔でそう宣誓すると、力尽きたようにベッドにうつ伏した。
笑窪の下の涙跡を拭いて布団を掛け直すと、ティータは複雑そうな表情で熟睡する不思議女性を見下ろす。
「僕には良く判らないですけど、あのおっかなくてワイルドな姐さんも今の泣き虫で優しそうなお姉さんも、どちらも同じアガットさんなのですよね?」
ティータはその小さな身体に並々ならぬ決意を秘めると、所用でつい先程まで席を外していたミリアム女医にアガットの介護を任せ、医務室から飛び出していく。
「必ず助けるですから、待っていて下さい。二人のアガットさん」
◇
「事後報告のような形になってしまい申し訳ありません、キリカさん」
「気にすることはない。結果は伴わなかったが、あれが最善の形であったの相違ない。しかし、敵の口調からすると工房を襲撃した本当の狙いは博士でもカペルでもなく、あの黒の動力器のようね」
「はい、奪還という言葉遣いからして、例の『K』の手紙にあった怪しげな一団と同組織と思って間違いないでしょう」
「拾得物……もとい盗難品が本来の持ち主の手元に戻ったわけだけど、取り返し方に問題がありすぎて素直に祝福する気にはなれないわね」
「同感です。彼奴はアレを福音(ゴスペル)と呼称していましたが、その名の通りの良い便りには思えません。まさか、エステルの妄想通りに導力停止現象を大陸中に広めるつもりもないでしょうが、平和的な有効利用を考えていないことだけは確かです」
深夜の遊撃士協会(ギルド)ツァイス支部一階の受付前、周囲からA級遊撃士相応に見積もられている二人の黒髪の女傑が会話を弾ます。
質問とボケで話を滞らせるエステルのような第三者が口を挟まずに切れ者同士で意見交換すると実にスムーズに討論がはかどるが、その進捗を意地でも阻害するかのように惚け役が教会のお使いから帰参したので一時小休止する。
ゴスペルの使い途や博士の再救出は重要課題だが、まずは同業者の危篤症状からの脱却に全力を注ぐべきだからだ。
「ヨシュア。教区長さんの話では、神経毒全般に効果のある薬が教会に伝わっているらしいが、その為に必要な材料の『ゼムリア苔』を切らしているんだとよ」
治療法の目処が立ったが、その古代文明の名を冠した発光植物は地下のカルデア隧道に入口がある鍾乳洞にのみ生息している。
今すぐ採りに行こうと性急にヨシュアを嗾けるが、キリカが待ったをかける。
数年前に教会の依頼で遊撃士のチームが赴いた時の履歴があるので、クエスト報告書を参照し明確な採取ポイントを確認するとのことで、書棚の任務記録帳を取り出した。
「鍾乳洞北西の湖で発見したとあるが、元よりあの洞窟は獰猛な魔獣が棲息し一般人の立ち入りが禁止されている危険指定地域よ。行くのなら入念な準備をして…………」
「ぼ、僕も、連れて行ってくださーい!」
説明途中にギルドの扉が乱雑に開かれ、またも別な闖入者が割り込んで話の腰を折る。キリカの言いつけを先取りしたかの如く、導力砲と機関砲をフル装備し準備万端のちっちゃな破壊神が軽く息を切らせながらお供を申しつける。
「ティータ、お前な」
アガットを助けたい一心なのは判るが、先の暴走もあまり骨身に染みていない模様。失態を何時までも引きずらずに精神の切り替えが早いのはエステルと似通った長所ではあるが、反省がその場限りなのもまた類似する欠陥だ。
見掛けによらず頑固で押しの強いお子様の要望にどう対処するか二人は迷ったが、ティータはニッコリと微笑むと故あってカルデア鍾乳洞に詳しいので案内役が勤まると自らを売り込む。
「あと、キリカお姉さん、一つ訂正事項があるですよ。鍾乳洞はデンジャラスゾーンじゃなく、可愛いペンギンさん達がたむろするワクワクペングーランドです」
◇
「ここがカルデア鍾乳洞か。随分と神秘的な場所だな」
結局、なし崩し的にティータの同行を許可した兄妹は鍾乳石で覆われた岩壁を見回す。基本、花より団子でアートに感心を示さないエステルをして、周囲の絶景振りに感嘆の声をあげる。
「アガットは今夜が峠だとミリアム先生は危惧していたし、紅蓮の塔のケース以上に時間との勝負だな」
例のスニーカーマラソンでもこの地下洞窟は訪問外。ティータの道案内だけが頼りだが気になるのは魔獣の動向。
「クエー………………? クエ、クエ、クエ!」
「クエー! クエー! クエエー!」
赤、青、黄、白、桃、緑とカラフルな魔獣がエステル達のパーティー……というよりも真っ赤な繋ぎを纏ったお子様の小さな姿を視界に留めるや否や、まるで恐怖の大王が降臨した被災民のように恐慌を起こす。
そのペングー達のうろたえ様は翡翠の塔内部で腕白小僧を発見した時の魔獣の反応に酷似しており、違和感が拭えない。
「なあ、ティータ。お前、こいつらに何をしたんだ?」
「ここは僕に庭場みたいなものだって宣言したでしよね? ガトリングガンの改造が済んだら、実際に威力を検分する為にこの鍾乳洞に試し撃ちに来るでしよ」
ティータは澄まし顔で実にとんでもないことを宣い、エステルは呆然とする。
よく観察すると鍾乳石の彼方此方の壁に削られた跡があり、風化した弾丸や薬莢が大量に埋まっている。
人の出入りが皆無で、標的となる魔獣に溢れているこの鍾乳洞は少年にとっては格好の射撃訓練場なのだ。
「改良に改良を続けて思えば五年。長かったような短かったような……でし」
最初は車輪をつけた移動式のガトリング砲を持ち込んで、威力と携帯性を両立させるよう魔改造を施す。祖父の飛行船実験回数に近い試行錯誤を経て、バージョン9.3にしてようやく今の小型軽量化に成功したが、まだまだ向上の余地は山積みと現状に満足せずに高みを目指す気構え。
「今日はペンギンさん達に用があるわけじゃないから、そんなに怖がらないでもいいでしよ」
呑気な顔で逃げ惑うペングーの群に声を掛ける。幼い子供が昆虫の羽を千切るような無邪気な残酷さを感じ取ったエステルは何とも言えない気分になったが、「人間の一方的な都合で無垢な魔獣を狩るのは、昨日今日に始まったことじゃない」とヨシュアはあっけらかんとしている。
ここにいるペンギンが人畜無害かは別にして、今回のように目当てのお宝があれば魔獣の安住地に強引に侵入し喧嘩を売るのは人間の側なのだ。どこかで一線を引いて達観するしかない。
「まあ、急いでいることだし、戦闘無しで辿り着けそうなのは助かるか」
モーゼが海を割るが如く魔獣がエステル達に道を譲るので、目的地まですんなり行けそうではあるが、ティータは急に真顔になると今回のミッションで避けては通れない難敵について喚起を促す。
「はじめてお兄ちゃん達と会った時に、ガトリングガンの一斉射撃を浴びて生き残った魔獣はいないと見栄張ったですけど、実は一匹だけ無傷で生存した怪物がいるですよ」
それが洞窟湖の主、オウサマペングー。並のペングーの十倍以上の質量を誇り、体脂肪を燃焼させると皮膚が鋼鉄のように硬化し弾丸も通さなくなる。
以前、調子に乗ってヌシの縄張りまで足を伸ばしこの魔獣と遭遇した時には、スモークカノンで煙幕を張って命辛々逃げ出してきた。それに懲りたティータはその日以後は深潜りせずに入り口周辺で実験を済ますことにした。
「オウサマペングーは洞窟湖近辺を根城にしていますので、ゼムリア苔を採取しようと思ったら戦闘は免れないです」
「そいつは厳しい戦いになりそうだし、覚悟を決めた方が良さそうだな」
ツァイスの武者修行中にはついぞ出会うことがなかった大捕り物を予感し、武者震いしたエステルは気を引き締める。
「そんなにDEF(物理防御力)が高い魔獣なら、例のクラフトの試し斬りにはうってつけの相手ね」
「僕の新型Sクラフトもあの頃とはもう違うでしよ。あれからヌシ対策に編み出した直線貫通型の『カノンインパルスF』をお見舞いしてやるですよー」
好戦的なエステルを差し置いて、同行者二人が妙なやる気を漲らせて、得物のアヴェンジャーとガトリングガンを装備したので、負けじと物干し竿を展開する。
だが洞窟湖を目前にした三人が戦闘態勢に入った途端、急に地響きが発生する。天上からぶら下がった鍾乳石に皹が入り、ポロポロと欠片が落ちてきた。
「何だ? 地震か?」
「震源は湖のある方角みたいね。行ってみましょう」
洞窟湖は光が万華鏡のように乱反射する幻想的な雰囲気を醸しだしていたが、三者はその景観を無視して目の前で繰り広げられている光景に唖然とする。
「バトルが既に始まっている?」
◇
「はああぁぁ………………とりゃああ…………!」
「クエーっ、クエ、クエ、クエー!」
湖の手前の広場で取っ組み合う巨躯の怪物二匹。
その雄叫びは大地を震撼させ、鍾乳洞全体が揺れ動いているような錯覚まで感じる。
「なんだ、なんだ。魔獣同士の仲間割れか?」
「いえ、違うわ、エステル。片方はれっきとした人間よ。もっとも体格も膂力も常人離れしているけどね」
黄色い鶏冠と青い羽毛を持ち、嘴から雷のようなブレスを吐く超巨大ペンギン。あの化物がティータが畏れ敬うオウサマペングー。
その4アージュ近い等身の規格外のヌシと真っ向から殴り合う相手を、エステルが遠目から魔獣と見間違えたのも無理はない。
太眉で精悍な顔つきをし東方風の胴着を纏った茶髪の中年男は、ゆうに2アージュを越える巨漢。全身の筋肉が鋼のように鍛えられており、丸太のようにぶっ太い両腕には手甲が嵌め込まれていて、まるで大熊(グリズリー)のよう。
グリズリーvs王様ペンギンのまさに怪獣大決戦ともいうべき大一番が目の前で上演されている。エステル達はどうしていいものやら、鍾乳石の影に隠れて戦局を見守ることしかできない。
「はうっー、あのおじさん、信じられないです。オウサマペングーと素手でやりあっているですよ」
「俺も背丈はある方だけど(約1.85アージュ)、あのおっさんの前じゃ、まるでお子様ランチだな。けど、何でこんな辺鄙な場所で魔獣と決闘しているんだ?」
「見た感じ、拳法家(ウーシュウ)のようだし、主の噂を聞きつけて挑みにきた道場破りの腕自慢といった風情じゃないの? あらっ? 何だかペンギンさんが可愛く羽をバタつかせ始めたわよ」
オウサマペングーが忙しく退化した両翼を上下に振ると、身体全体を覆う羽毛が硬質化される。
大男が魔獣のお腹に渾身の正拳突きを放つが、鉄鉱石を殴ったような鈍い音が響いて、拳に感じた激痛に顔を顰める。
「あれが、オウサマペングーの十八番、『体脂肪燃焼』です。ああなるともう一切ダメージが通らなくなるですよ」
戦闘歴のあるティータが解説する。エステルは加勢しようか悩んだが、同じ武人の心意気として漢同士のタイマンを穢すのは気が引けたので、もうしばらく様子を見ることにする。
「フフン、態々こんな地下洞窟まで立ち寄った甲斐があったみたいだな」
劣勢に立たされたものの、大男から不敵な笑みが零れている。まだ奥底を全て見せていないようで、「龍神功!」と呟きながら両腕をクロスに組むと、攻防力を大幅にアップさせる。
「基礎能力値が格段に高そうなのに、その上でブースト技まで持っているのかよ、あのおっさん?」
「けど、エステルの麒麟功と同じく、活動限界を迎えたら肉体に反動をきたすことになるから、それまでの短期決戦でケリをつけるつもりね」
「はああぁぁ………………せいや、せいや、せいやぁー!」
大男は愚直に拳を何度も叩きつけるが、STRブーストが掛かって尚、魔獣の強固な防御壁を突破するには至らず。オウサマペングーは涼しい顔でケロッとしている。
反撃のサンダーブレスで幾度となく手傷を負いエステルは助太刀すべきかハラハラしたが、大男は考え無しで闇雲に攻撃していたわけでない。打撃箇所は全て一極に結集しており、やがてお腹の真っ白い羽毛の部分に拳大の痣が出現する。
「はあぁ……、そこだっ!」
「ク…………クエエー!?」
メキッと肋骨が砕ける音がして、はじめてオウサマペングーが片膝をつく。
一点集中で一部分の抵抗力を弱めて、弾丸さえも跳ね返す鋼鉄の肉体に穴を穿ち、ダメージを与えるのに成功。だが手負いの魔獣は最後の切札を始動させるべく、大きく息を吸い込むと身体全体を真っ赤に変色させて待機態勢に入る。
「たぁっ、せいやぁっ、せいやぁー!」
大男はさらに連撃を叩きつけるが、ヨシュアと同じく解除系のクラフトを保持していないらしく魔獣の待機モードを止められない。
「はうっ、あれは? お兄ちゃん、お姉ちゃん。急いで耳を塞いで下さい!」
「耳を塞げって、こんな遠くまで一体何が届くというんだよ、ティータ?」
自分らと魔獣の位置はかなり離れているので多寡を括ったエステルはそう尋ねるが、ティータは質問を無視し帽子を抑えてしゃがみ込んだまま対ショック姿勢で備える。
「クエエエエエエ……………………!!」
義妹も無防備に棒立ちしているので油断したが、次の刹那、洞窟湖全体を揺るがす超ド級の雄叫びが炸裂。エステルは引っ繰り返った。
「大丈夫ですか、エステルお兄ちゃん?」
「はれほれひろー。テ…………ティータ、い……まのは……いった…………い…………なぁーんだぁー?」
「オウサマペングーの奥の手、『超破壊音波』でしよ。距離があったからお兄ちゃんは目を回しただけで済みましたけど、至近距離から浴びたあの熊みたいなおじさんは三半規管が完全に麻痺した筈ですよ」
手の内を知っていたので、予め準備しておいたヘッドフォンのお蔭で怪音波を遮断できたティータは瞳をナルトのようにグルグル巻きにしたエステルを介抱しながらも、顔色一つ変えずに隣に佇むヨシュアが平穏無事なのを不思議そうに見上げた。
「クエーっ、クエ、クエ、クエー!」
周囲の風景が抽象画家の絵画のようにドロドロになり、酔っ払いのようにふらつく大男を槍(ランス)よりも鋭い嘴で突つき、一方的に叩きのめす。
エステルがしばらく遣い物にならずに介入不能となったので、格闘馬鹿の性根を解さない科学少年が導力砲の回復戦技(バイタルカノン)でサポートしようとするが、騎士道精神と無縁の筈のヨシュアに押し止められる。
「どうして止めるですか、ヨシュアお姉ちゃん? このままじゃあのおじさん、出血多量で死んじゃうですよ?」
「よく見なさい、ティータ。少しずつだけど回復しているわよ」
「ふぇ?」
そう忠告されたので、ゴーグルを嵌め込んでつぶさに観察してみる。血塗れになった大男の開ききっていた瞳孔が黒目が戻り、乱れていた呼吸も整いつつある。傷口から滴り落ちていた血も乾いて凝固している。
「東方武術には『気孔(養命功)』と言って、身体の気の流れをコントロールし、状態異常の解除から止血まで内部から行える秘術があるのよ。あの中年男性、単なる力自慢のデカブツでなく相当な技量の達人ね」
ヨシュアの太鼓判通りに超破壊音波で受けた精神障害を養命功の治癒効果で完全克服したが、血は止まっても今まで受けたダメージまで帳消しになるわけではない。先の龍神功のブースト効果も残り少ないこともあり、大男は最後の大勝負に出る。
「行くぞ、洞窟湖の主よ。こいつを受け切れるか?」
キュピーンと遠目目線のカットインが入り、Sクフラト『龍閃脚』が発動する。例の拳大の弱点箇所を狙ってドガガガガッとマシンガンのような勢いで連続飛び蹴りが浴びせられる。
「でやっ、はあっ!」
オウサマペングーの巨体が大きくぐらつき、フィニッシュの正拳突きが羽毛にめり込むように刻印として刻まれ、その打撃部分が陥没する。
「クエーっ、クエエー!」
たまらすオウサマペングーは湖の中に飛び込んで、尻尾を丸めてトンズラする。
「ふうっ……いい勝負だったぜ。また何時でも相手になるぜ、強敵(とも)よ」
挑む者は拒まず去る者は追わず。釣りでいう『キャッチ&リリース』の精神で兵との死闘に充足感を覚えた大男は景気づけに腰にぶら下げた瓢箪で手酌すると、エステル達が隠れている岩場を振り返った。
「まさかこんな場所にまでギャラリーが押しかけてくるとは思わなかったが、途中ヤキモキさせただろうに最後まで黙って見守ってくれた武士の心遣い痛み入る」
「押忍(おっす)!」と腹に力を篭めて体育会系の挨拶を交わした後、表情を崩して不敵に笑い「一緒に一献やるかい、お二人さん?」と冗談めかして相伴を申しつける。
「はえー、あれだけの激闘を演じながら、僕たちの存在に気がついていたのですか?」
「ふうっー、やっと目眩が治ったぜ」
大男の怪傑振りにひたすら舌を巻くティータと気付けにリーベの薬を嗅がされて意識をリフレッシュさせたエステルが岩影からヒョッコリと顔を出す。続いて三人目の少女が出現すると大男ははじめて飄々としたポーズを崩して「もう一人いたのか?」と瞳に軽い驚きを篭めて囁く。「お言葉に甘えて一杯貰えるかしら?」と酒の強請りをするヨシュアの遠慮のない態度に更に粛然とする。
洞窟湖の主を単身で撃破したこの巨漢男性こそが、八人の最後にして恐らくは最強の導かれし者である。ようやくエステルとヨシュアの二人は、リベールの混沌を払う為にエイドスが遣わした御使い全員と面識を持つようになった。