「おおー、懐かしのグランセルだ。昔ここを訪ねたのは、五年前に親父に連れられた時以来だからな」
つい先日、友人のクローゼが大捕り物にあった因縁の場所とは露知らず、セントハイム門からキリシェ通りを歩いて大広場の前に辿り着いたエステルは感慨深そうに、戒厳令が解かれ常日頃の喧騒さを取り戻したリベールの首都を眺める。
「確か武術大会の幼年の部で優勝したんでしょ? 今ならギリギリ間に合うと思うけど、エステルは大人の部に申し込むの?」
「その黒歴史を逐一穿り返さないでくれ。俺だって物事の優先順位ぐらいキチンと弁えているし、また次の機会に譲るわ」
大陸全土の腕自慢が覇を競う武術大会に興味がないといえば嘘になるが、王国の命運を左右する特命を請け負っており、私心は抑えるつもり。
また、アーネンベルグの食堂で偶然相席になった今年の参加を取り止めた帝国出身の武芸者に聞き及んだ所、今回の大会は特別ルールで四人一組の団体戦によって行われる。
結果、外国籍の武闘家の大多数がエントリーを見合わせ、出場チームのほとんどが徒党を組み易かった国内の王国軍各部隊の歪な参加構成になる。
「まっ、俺もタイマン嗜好があるから、気持ちは判るかな」
即席でパーティーを組む者もいたが、あくまでマイノリティ。元来、武闘家は各々の流派の看板を背負っており、他門と交わるのを快しとしない一匹狼の方が多数派だ。
そのような事情で、例年に較べれば参加層が薄い上に個人の力量を発揮できる場とはいい難く、格闘馬鹿も今一つ気乗りせずに参戦を見送れた。
「それよりも、ここまで呑気に歩いてきて良かったのかよ、ヨシュア?」
僅かながらに残った大会への未練を振り払うように、義妹に問い掛ける。
「飛行船に頼らず、自分達の足で各地方を渡り歩こう」と旅立ち前に誓いを立てはしたが、それも時と場合による。
今は一分一秒でも早く女王に面会すべき緊急時だが、ヨシュアには別の思惑があるようだ。
「シード少佐の情報が正しければ、城内は情報部に占拠されているだろうし、平時と違って一般人が易々と見学可能な警備体制が敷かれている筈もないわ」
まずすべきは王都の受付と相談し、どうやってグランセル城へ忍び込むかの算段を企てること。無限テレポートを約束するニガトマトの在庫が心細くなったこともあり、ヨシュアは持久論を展開する。
もちろん、隠密活動に特化したヨシュア単独であれば空間転移能力に頼らずとも潜入自体は容易いが、元々エステルのサポートを目的として始めた旅路なので、このラストクエストは二人でやり遂げなければ意味がない。
要塞救出ミッションで調子に乗って使い過ぎたニガトマトを土壇場の切札として温存する意味でも、エステルがアーティファクトに頼る安直な近道を撥ね除けたようにヨシュアもお手軽なチート術を封印し共に歩める道を模索するつもりだ。
こうして、各々決意を胸に秘めてメインストリートを直進した兄妹は瞬く間にギルドの前に辿り着くが、その隣にある建物が非常に気になった。
『釣公師団本部』との表札が高々と掲げられていて、屋上にはどこかで見たような巨大なパラボラアンテナが添え付けられている。
「ここがあの釣キチ共の総本山か。まさかグランセル支部と隣接していたとはな」
釣行者(レギオン)を名乗る変人達から賞金首としてつけ狙われているエステルは頭を抱える。爆釣百番勝負など常時でも御免極まる拷問。ましてや、この火急時に奴らと戯れる時間的猶予はない。
「さっさと入るぞ、ヨシュア」
義妹を急かしたエステルは、師団関係者の目に止まる前に慌ててギルドの中へと逃げ込んだ。
◇
「では、これより月一の釣公師団幹部会議を始めます」
本部二階の会議室の中は窓が閉め切られていて薄暗く、ブイ字型に並べられた七つの椅子は欠席多数で参加者は僅か二人という寂しさだが、実際は何の問題もない。
不在の席前のデスク上に置かれたモノリス然とした五つの双方向スピーカーで遠隔会議が可能。『SOUND ONLY』のラベル下には、Ⅱ~Ⅵまでのローマ数字が刻まれている。
「今回の議題は、新たな剛竿トライデント継承者となったエステル・ブライトについて。既に釣行者の何人かの刺客が破れたとの報告があり、かくいう私も川蝉亭でヴァレリア湖のヌシを釣り上げた際に面識を持ったことがあるのだけどね」
中央の椅子に座った第一柱、ボース支部長の特級釣師ロイドが司会役として音頭を取ると、真っ黒な墓石みたいなオーブメントが騒がしくなる。
第六柱 ツァイス支部長・釣帝レオパレス
「ふんっ、俺は別に負けた訳ではない。ただ、どうしたことか副業の不動産がやたら多忙になり、奴がツァイスにいる間に戦いそびれただけだ」
第ニ柱 海外総支部長・???博士
「ああっ、私の可愛いティータぁー。早くモチモチのほっぺをプニプニして、クンカクンカしたいわー」
第四柱 ロレント支部長・好々爺????
「博士は一体どうしたんだ?」
第五柱 ルーアン支部長・執事???
「例の禁断症状だから、放置しておけば良い。それよりも私が留守にしている間に旦那様が逮捕されてしまった。私はこれからどうすれば良いのだぁー?」
Ⅵ「執事殿が途方に暮れているようだが、どうなされたのだ?」
Ⅳ「気の毒に。何でも勤め先の屋敷が借金のカタに競売に掛けられ、副職と寝床を同時に失ってしまったそうじゃ」
Ⅵ「何だ、そんなことか。我々には本業があるではないか。『包丁一本、さらしに巻いてー』ならぬ、釣竿一本あれば魚は食い放題。吐き出したセピスを換金すれば安定した収入源になるし、腸を割けば稀にレアアイテムも出土しウッハウハ」
Ⅳ「うむ。下手な商売よりよほどボロい本業が、なぜ世間的にちっとも流行らないのか本当に不思議じゃのう。ともかく基本的に私らは自給自足には困らぬ故、何時副業がポシャっても問題はない」
Ⅴ「あんたらは副業が潤っている癖に、人事だと思って簡単に言わないでくれ。若い頃はともかく、この歳で野宿は厳しいものがあるんだ」
Ⅱ「ああっ、ティータ、はぁはぁ……」
Ⅵ「博士、いい加減、釣りとは無関係な喘ぎ声で貴重な会議の時間を潰すのは止めてもらおうか」
Ⅱ「五月蠅いわね、あたしの後釜で魚の使徒(アンギス)に収まった若造風情が。誰のお蔭で釣公師団が秘密結社ゴッコに興じていられると思っているのよ?」
Ⅴ「あなたの技術支援で師団の科学水準が上昇し、グローバルな活動が可能になった。無論、感謝しているが、釣りにまで発明品を持ち込むのは行き過ぎでは?」
Ⅳ「ふむ、確かに。釣りとは魚と人間の知恵比べで、ルアーに近づいた魚を拡散ネットで問答無用で捕縛するギミックを竿に仕込むのは、ちと風流に欠けるかのー」
Ⅱ「はん、どんな手を使っても、釣ったもの勝ちよ。それをいうなら、ウチらの大将だって、アーティファクトという反則竿で釣りをしているじゃない?」
Ⅴ「は、博士、盟主に対して不敬であるぞ」
Ⅱ「へいへい。盟主様は良い金蔓(スボンサー)ですからね。持ちつ持たれつ……ってね。うひひひひっ……」
Ⅴ「こ、こほん。まあ、釣りの作法は一先ず置いておくにして。最近、王都の怪しげな地下組織に肩入れし、御婦人方に知恵を授けておるそうではないか?」
Ⅱ「あたしら以上に胡散臭い真似している集団が王国に跋扈しているとも思えないけど、もしかして『ユリア様ファンクラブ』のこと? あの御方を崇拝する同志として、力を貸すのは当然だし、ユリア様を侮辱したら許さないわよ」
Ⅳ「しかし、王室親衛隊は反逆の門で追われているというし、被害に遭ったのは博士のお膝元の中央工房ではなかったかのう?」
Ⅱ「はっ、あの凛々しいユリア様と素顔を晒す度胸もない情報部のむさ苦しい連中のどちらが正義かは論評するまでもないでしょう? まあ、リシャール大佐は男前だけどダンの包容力には到底及ばないし、百歩譲って犯人が親衛隊だとしてユニフォームのまま悪事に及ぶ道理がないのに気がつかないあたり、小学生以下の脳味噌しか持ち合わせていない低能みたいだけどね」
「無関係な雑談ばかりで、全然、議題が進みませんね」
ロイド以外に唯一生身で会議に参加している第七柱、グランセル支部長・ルアーの聖母ノーチェは退屈そうに欠伸を噛み殺すと、エステルとやらの力量を試す為に自ら出陣すると主張。
ノーチェ婦人は元使徒だった良人のヘルムートが釣りにかまけて、ちっとも家庭を顧みないのに腹を立て自ら釣公師団の門を叩き、圧倒的な釣力で夫の地位を奪い取って、釣行者へと格下げさせた下克上経歴の持主。衆目が一致する所、釣帝さえも凌駕する師団最高の釣師なのだが、その彼女の上位者たるレジェンドが声を掛けてきた。
「いや、ここは私が行くとしよう。同じ『太公望』の称号を持つ者同士で雌雄を決するべきだろう」
洒落たシルクハットを被った初老の男性が二階の階段を登ってきて、ロイドとノーチェは片膝をついて最敬礼を施す。
この男が釣り男爵と名高い旧貴族出身のハーバート・フィッシャー。資産を投げ打って釣り協会を立ち上げた諸悪の根源……いや、真に釣りを愛する釣道楽だ。
「そのエステルという少年の釣力は確かなようだし、私は彼を現在空位となっている第三柱として迎え入れようと思うが、皆の意見はどうか?」
またぞろ、エステルにとって実に傍迷惑な提案が盟主から囁かれる。他の使徒に異存がある筈もないが、組織には鉄の掟として入団希望者は爆釣百番勝負に勝利せねばならないという実に面倒臭い決まり事があったりして、ロイドは慄いた。
「盟主御自ら試験官を務められるとは、かつての築地伝説再びでありますか?」
「ああっ、こうしていると、在りし日の光景が今でも瞼に浮かんでくる」
剛竿トライデント第二十六代正当後継者にまだ無名だったフィッシャーは五百番もの超がつく長丁場を挑む。飲まず喰わずで三日間徹夜の勝負の行方は両者ノックアウトで引き分けに終わり、共に病院に救急搬送され退院に二週間を要した。
Ⅴ「私もこの目で拝見しましたが、アレは後世に語り継がれるべき大一番ですな。その戦いの後遺症で長老殿は二度と剛竿を振るえなくなったというあたりが、死闘の凄まじさを物語っておる」
Ⅵ「うむ、歴史の狭間に散り逝くが敗者の悲しき宿命とはいえ、武士が戦場で死ぬことを誇りに思うように、釣人が釣堀で燃え尽きるのに何ら悔いがある筈もなかろう」
いじめっ子にとっては学童時代の良い思い出でも、苛められた側は全く異なる認識を抱えている場合が多々あるように、長老とは灼熱の溶岩と絶対零度の永久氷壁ほどの温度差があり、平行線が交わることは未来永劫無さそうだ。
Ⅳ「だが、盟主よ。私はエステル君のことを良く知っているが、彼は爆釣勝負を受けないだろうよ。かくいう私も最近百番もやるのは長すぎるかなと」
Ⅵ「年を召されたのか好々爺殿。かつてロレントの釣戦鬼と呼ばれリベール釣界を震撼させたお人とも思えぬ弱気な発言」
Ⅴ「確かに百番勝負は釣公師団の誇りと伝統。勝負数をさらに水増ししても、減らす事態などあってはならないこと」
Ⅳ「しかし、最近、私はこの師団の伝統行事が入団希望者の敷居を高くし、却って釣りの普及活動を妨げているように思えてならないのだが」
Ⅱ「おやおや、キチガイの巣窟にも、ちっとはマトモな見識の御仁もいたみたいだねぇー」
またぞろモノリスが騒がしくなってきたが、エステルに挑戦を受けさせるのに盟主に腹案があるとのこと。
こうして、九十九回目の定例会議はお開きとなる。フィッシャー男爵の敗北など思いもよらない一堂は、次回の記念すべき百回目の節目の会議では新たな使徒の加入により、三年ぶりに七つの定席全てが埋まるのを確信した。
◇
「そうですか、まさかリシャール大佐が王国軍の実質的な支配者たったとは。俄かには信じ難い話ですが、これで中央工房の親衛隊テロ事件に対する情報部のお粗末すぎる対応も解ったような気がします」
王都グランセル支部、歌舞伎座俳優が務まりそうな優男風の美丈夫は、転属手続きを済ませたばかりの見習いが持ち込んだ極秘情報に理知的な瞳に軽い戸惑いを浮かべながらも全てを受け入れた。
大凡真っ当な思考回路の所有者なら、親衛隊が変装もせずに犯行に及んだのに違和感を覚えるようだ。この頭脳明晰っぽい受付になら安心して秘事を託せそうで、更に話が博士の依頼の件へと及ぶと金髪碧眼のエルナンは渋く表情を歪めた。
「ヨシュアさんが察した通りに、テロ対策と称して現在のグランセル城は関係者以外立ち入り禁止です。つい先日など、テロリストが潜伏しているので、王都全域に一時的な戒厳令が敷かれたぐらいです」
やはり真っ当な遣り方でアリシア女王に面談するのは難しそう。エルナンは王城への侵入方法の調査を約束すると、高難度指定のクエストが届いている現状を告げる。
「依頼人は釣公師団のフィッシャー男爵とあって、準遊撃士のエステル・ブライトを名指しで指定してきています」
エステルが遊撃士であるのを逆手に取り、依頼という形で爆釣勝負を挑むのが盟主の策謀のようだ。義妹は軽く嘆息し、義兄は受付のデスクにうつ伏した。
ヨシュアから事情を伺ったエルナンは依頼をキャンセルするか問い掛けたが、エステルは首を横に振る。
「クエストである以上、犯罪の片棒担ぎや人を傷つける類のものでない限り、どんなしょーもない依頼でも引き受けるつもりだせ、俺は。ある意味では、これは願ってもないチャンスでもあるからな」
盟主様直々のお誘いというのがポイント。これを無下に断れば、あのしつこい連中のこと。釣行者の暇人が続々と送り込まれて、無限地獄に陥るのが目に見えている。
だが、エステルがフィッシャー男爵に引導を渡せば、長く無意味な争いの歴史にようやく終わりが見えてくる。
毒蛇の頭を踏み潰すと自ずと胴体も息絶えるように、トップを仕留めればどんな組織でも瓦解するものだ。
「正念場でまた空気を読まずに乱入されて、全てを御破算にされでもしたら敵わんしな。同じ釣り好きの人間として、奴らには言いたいことが山程あるし」
「そういうことなら、止める理由もないわね。私はその間に街中を散策し情報収集するついでに、カトリアさんから預かった手紙を婚約者のフィネルさんに届けてくるわ」
「御武運をエステルさん。フィッシャー男爵は爆釣勝負で四百勝一分という信じられない成績を誇るゼムリア大陸有数の釣師ですから、くれぐれもご用心の程を」
その唯一の引き分けは築地の長老なのだろうが、四百戦無敗と謳ったところで、別段エステルに恐れはない。
爆釣対決が本当に百番単位で行われるのなら対戦者が途中で馬鹿らしくなって棄権した不戦勝扱いが大半を占めるだろうし、実際にエステルの推理は正鵠を得ており、最後まで勝負がやり遂げられた事例は名目上のスコアの1/10にも満たなかったりする。
かくして、長い間続いたエステルと釣公師団との腐れ縁に終止符を打つ盟主とのラストバトルの瞬間が刻一刻と近づいていた。