「やあ、エステル君。お久しぶり」
「あなたがエステル様ですね? 中でわたくし達の盟主がお待ちしています」
グランセル支部の外に出るや否や、隣接する師団本部エントランス前で待ち伏せていた顔馴染のロイドと、羽根突き帽子を被った妙齢の女性ノーチェが挨拶してきた。
「あっ、お茶とかお構いなく。こっちも訳ありで急いでいるので、とっとと釣り場に行こうぜ」
エステルはお招きを断るが、ロイドが悲しそうに首を横に降る。
波止場や周遊池等のグランセル地方の主立った釣りポイントは、テロ対策と称して王国軍に封鎖されて、王都の釣り愛好家達は嘆いているとのこと。
「おいおい、釣堀がなくちゃ、勝負もへったくれもねえだろ?」
「だからこそ、本部においで下さい。直ぐに分かります」
不審がるエステルをノーチェ婦人は有無を云わさず内部に拉致し、室内の様子に呆れ返る。
一階奥の倉庫の床下に地の底深くに続く大穴が開けられて、鉄製の梯子が掛けられている。
地下水路には魔獣が頻出するので、東西の出入り口は固く施錠され一般人は出入り厳禁だが、現行で釣り可能な貴重な源泉が存在する為に本部と直通するトンネルを勝手に繋いだのだ。
「釣りの真っ最中に魔獣に襲われたらどう対処するんだ? なんて説法は、こいつらには今更だよな」
梯子を伝って、地下水路に降り立つ。ロイドの案内で少しばかり移動を重ねると、左手にキラキラと光り輝くアクアマスターを所持した初老の紳士がシルクハットを胸の前に翳してお辞儀しながらエステルを出迎えた。
「あんたが釣公師団の親玉か?」
「いかにも。初代盟主、ハーバート・フィッシャーと申す。君がトライデント二十七代目継承者のエステル・ブライト君だね?」
「ああっ、早速勝負を始めたい所だけど、後ろにいる連中は何なんだ?」
フィッシャーの側には、サングラスに黒スーツ姿の怪しげなスタイルで煙草をふかす中年男、東方風の衣装を纏い大きめの扇子を扇ぐケバイ女性、髪にリボンをしたティータと同年代のワンピース姿の小柄な少女が控えている。
全員釣竿を標準装備している所から師団関係者に違いないだろうが、釣行者(レギオン)にはこんな年端もいかない幼女まで在籍しているのだろうか。
「ああ、この子は私の孫じゃよ」
「釣船天使リンって呼ばれているわ。よろしくね、エステルお兄ちゃん」
子供用の可愛らしい短竿を振り回したリン・フィッシャーは、「わたし、釣り大好きだよ」と無垢な笑顔で微笑み、エステルは何とも言えない表情を隠せない。
「ねえ、エレオラ。わたしがおじいちゃんの所に遊びに行くとパパとママは嫌な顔するのは、どうしてなのかな?」
「ここでは、フィッシャー男爵のことは盟主とお呼びしなさい、リン」
「はーい、私も大きくなったら、おじいちゃんみたいな立派な盟主になれるかな?」
「くかかかかっ。使徒を飛び越えて、いきなり盟主の首を狙おうとは、大層なガキだぜ」
「ほっほっほっ。その心意気やよし。じゃが、釣人は人の心を捨て修羅と化さねば勤まらん。釣場で竿を握れば親子、祖父孫も関係ない。ましてや、釣公師団に世襲制度はないから、私の跡目を継ぎたくば実力で奪い取るしかないぞ」
「うん、リン、もっともっと頑張って、釣りが上手くなるよ」
物騒な会話に反比例して、雰囲気は結構仲むつまじい。師団の大人たちから愛でられ祖父の趣味を無理強いさている訳でもなさそうだが、何もこんな幼少時から変人の巣窟で朱に交わることもないだろうにとエステルは軽く両肩を竦める。
「では、釣公師団伝統の百番勝負で、どちらが真の太公望たるか決めるとしようか。異存はあるか、エステル君?」
この場にいる釣行者や使徒も単にギャラリーとして見物にきただけで、盟主との一騎討ちで雌雄を決するとのこと。
案の定、ウンザリするような持久戦(これでも盟主側はかなり短く設定したつもりだが)を提唱されたが、なぜかエステルは表面上受け入れてみせる。
「いいぜ、それこそ五百番でも千番でも付き合ってやるぜ」
エステルの予想外のリアクションに周囲は騒めく。
今日までの挑まれた側の反応は勝負数に尻込みしクレームをつける軟弱者が大半で、更に上乗せを要求した兵など前代未聞。
そんな彼らの戸惑いを見透かしたように、エステルにニヤリと不敵に笑うと「ただし、盟主様にその技量があればの話だけどな」と意味深な前置きを添える。
「エステル君、それはいかなる意味かな?」
「なあに、あんたらの温すぎるお遊戯に一つ刺激的な条件を付け加えるだけさ。サドンデスで決着をつけるっていうのはどうだ?」
(このガキ、何てとんでもない提案をしやがる!)
互いに釣糸を垂らして一度でも失敗したらジ・エンドなど無茶苦茶にも程があるので、ワルサー達は慄く。
そういった紛れの運要素に左右されずに釣力を正確に図る為に百番単位でトータルスコアを競い合うのだが、エステルはそんなアベレージ制度をせせら笑う。
「おいおい、爆釣対決ってのは、とんだおままごとだな。武術の世界ではお互いが生命を賭して戦えば、敗者に二度目のチャンスなんてないんだぜ」
絶対にミスが許されない一発勝負だからこそ、其の者の力量と何よりもプレッシャーに負けない精神の強さが試される。土壇場で力を奮えずして真剣勝負を自称するなど、ちゃんちゃら可笑しい。
「なるほど、エステル君の云う事も一理ある。良かろう、その挑戦受けて立とう」
「め、盟主?」
自分たちの釣りに対する真摯な姿勢を侮辱されては引くに引けないようだ。エステルの誘いにまんまと引っ掛かったフィッシャー男爵はサドンデスを了承する。
「そうこなくっちゃ。あっ、アクママスターは使って構わないぜ。そのぐらいのハンデがないと、あっさり十番以内で終わっちまいそうだからな」
更なる口車に面白いように乗せられた盟主は剛竿を保持しないエステルと対等の条件で渡り合う為、アクアマスターをロイドに預けると師団入団者に進呈するプログレロッドを装着する。
これで両者とも同じタックルを用いたので、純然たる技量勝負ということになる。
(思っていた以上に扱い易い連中だな)
「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、良い歳こいた大人が単細胞のエステル如きに振り回される情景は身に詰まるものがある。
「多分、俺もヨシュアからそう侮られているんだろな」と思い当たったエステルは、これからは脊髄反射で義妹の挑発に踊らされないようにしようと心に誓った。
「ねえ、おじいちゃ……じゃなかった、盟主。わたしもこれ、やりたーい」
下手したら最初の一回で終わりかねない外連味のないバトルに戸惑う大人達とは異なり、新たな決闘法に興味津々の幼子は瞳をキラキラと輝かせて乱入宣言して、ロイドから窘められる。
「これ、リンちゃん。盟主とエステル君のタイマンを邪魔するんじゃ……」
「別にいいんじゃないか。サドンデスだから釣れなかった奴からどんどんドロップアウトしていく訳だし、何ならあんたらも加わっても構わないぜ?」
エステルは気前良く皆を勧誘し、一堂は再び騒めく。
色々と協議したが、元より釣りが三度の飯よりも大好きな連中なので、なし崩し的に全員参加を決める。
「それではこれより、爆釣サドンデスを始めます」
かくしてお子様を含む七人の男女が横一列にズラリと並んで、水路に釣糸を垂らすシュールな地獄絵図が地の奥底深い煉獄で繰り広げられた。
◇
「お、恐るべし、爆釣サドンデス」
「そうね、一度もミスれない重圧が、まさかこれほどのものとはね」
三十分後、三人の釣行者とロイドが脱落して、残りは三人だけとなる。
「にしても、使徒さんよ。いきなり一回目で失敗するのは不味いんじゃないの?」
「そうだよね、それでも特級釣師なのかな?」
「私は釣果平均(アベレージ)では、師団の中でも二番目の成績なんだ。けど、プレッシャーで指先が奮えてしまい、つい「!」のタイミングを見誤って……」
周囲が哄笑に包まれる中、ロイドが必死に弁解する。
彼は四十八回連続成功記録を保持する確かな釣力の持主だが、ちょっと精神に負荷が掛かっただけでこの態では、真剣勝負を名乗るのは烏滸がましかったかもしれない。
「確かに百番もこなすよりも、こちらの方がより鮮明に釣人の力量を図れるのかもしれないな」
ロイドが己の釣り人生を見つめ直している間に師団最高の釣師たるノーチェ婦人までもがミスしてしまい、当初の予定通りにエステルと盟主のマッチレースに突入。
Ⅵ「(ジジジ………………)何だか判らないが、凄まじい勝負になって(ジジジ………………)いるようだな。この目で直に(ジジジ………………)見れぬのが、真に遺憾だ」
Ⅴ「博士、音声だけ(ジジジ………………)でなく、映像は送信できない(ジジジ………………)ものなのかね?」
Ⅱ「無理難題を(ジジジ………………)押し付けるんじゃないよ、科学ど素人共が。この広域音声送受信システムだって、(ジジジ………………)アルバート・ラッセルでさえも未着手の、中央工房の二世代先の(ジジジ………………)最新鋭技術なんだよ」
Ⅴ「(ジジジ………………)博士、何だって? さっきからノイズ混じりで、良く(ジジジ………………)聞き取れない」
Ⅱ「そりゃ地下水路な(ジジジ………………)んぞに装置を持ち込んだら、電波障害を起こすに決まっ(ジジジ………………)てるじゃないの。とにかく、これよりバージョンアップさせたければ、もっとミラを…………(ジジジ………………)」
Ⅳ「流石は(ジジジ………………)エステル君じゃな。まさかこのよ(ジジジ………………)うな形で、師団の有り様に変革を促すとは思わなんだぞ」
水路の床下に放置された墓石が騒がしくなるが、エステルやフィッシャーの耳には届かない。
勝負が始まって二時間近く経過。互いに三十匹以上連続で釣り上げるのに成功しているが、共に失敗する気配は感じられずにエステルの心に焦りが芽生える。
(参ったな、このじいさん、マジで強いぞ)
てっきりアクアマスターに頼りきって、腕は錆びついているものと多寡をくくっていたが、心技体全てに置いて下手の横好きレベルの釣行者とは桁違い。
(せっかく、早めに切り上げられる口実を設けたのに、このままじゃ結局百番まで……って、ヤバイ!)
考え事に気を取られて、コンマ数秒反応が遅れたエステルはヒヤリとするが、辛うじて釣針にカサギンが引っ掛かった。
比較的判定が甘い小魚(~100リジュ)なので助かったが、これがタイミングがシビアな大物(200リジュ~)なら確実に釣り逃していた所。エステルは軽く頭を振って、余計な雑念を振り払う。
(こうなりゃ、百番だろうと千番だろうと、とことん付き合ってやる。どっちが先に集中力を切らすか、勝負だ。フィッシャー男爵!)
いつの間にか、この真剣勝負そのものを愉しんでいる自身の変化にエステルは気づかなかった。どうのこうの謳っても、エステルもまた釣り馬鹿の一人である。
「おいおい、この二人の勝負は、一体どこまで続くんだ?」
神経を鑢で磨り減らすような異常な緊張感の中で爆釣対決は続行される。やっている当人よりも、固唾を飲んで見守るギャラリーの方が胃が痛くなってきた。
勝負開始から四時間を経過。バケツの中には百匹近い魚が積み上げられる。
地下に昼も夜もないが、既に日は落ちている。ヨシュアのような一般人なら馬鹿らしくなって居眠りする所だが、この場にいる釣りキチは誰一人として勝負の行方から目を離さず、ウツラウツラと舟をこぎ始めたリンをエレオラが膝枕しているだけ。
どちらが勝とうとも、築地伝説を上回る死闘となるのは確実。自分達は歴史の証人になるのだと確信したが、無粋というよりもある意味必然の闖入者が勝負に水を差す。
「「「ケロケロケロ……」」」
夜行性の魔獣であるホエールフロッグが水辺から続々と水路に攀じ登ってくると、長い舌を伸ばして人間達を威嚇する。
「ホエールフロッグだ!」
「しまった、今は奴らの活動時間帯よね」
大型魔獣に匹敵するサイズの巨大蛙の群に師団連中は一瞬気押されたものの、名勝負の邪魔はさせじと各々の得物の釣竿を振り回して無謀にもホエールフロッグに突進していく。
「両生類共が粋がりやがって、いいだろ、死ね。オラオラオラオラァ、アルティメット・ルアー!」
「魚は釣られてこそ魚、旋風よ、砕き散らしなさい。奥義・魚釣風魔の舞!」
威勢の良い必殺技名が叫ばれるが、所詮は釣糸を口先に引っ掛けるだけの釣り芸。獲物の重量(リジュ)か違いすぎるので、二人は逆に釣り上げられて遠方へと飛ばされる。
「きゃあああ……!」
役に立たない大人達の防御壁があっさり突破され、ホエールフロッグ(♂)の一匹が鞭のような舌を胴体に巻きつけ、少女の身体が宙高く持ち上げられる。
「リン!?」
浮きが当りの反応を示したが、全く躊躇することなくフィッシャーは竿を放り捨てるとロイドの手からアクアマスターをひったくる。
ホエールフロッグは一匹の雌が多数の雄を従える習性があり、リンを産卵の栄養にすべく舌から舌への空中リレーで後方に運ばれて、最後尾で待ち構えるホエールフロッグ(♀)の大口へと放り込まれる。
「させるか!」
男爵のアクアマスターから放たれた釣針がリンの首根っこに引っ掛けると魔獣に呑み込まれる前にこちら側に引き寄せて、ノーチェ婦人が身体を張って抱き留める。
小さい子供とはいえ人一人を軽々と空中キャッチするあたり、流石は剛竿と双璧をなすアーティファクト。
「正解だぜ、じいさん」
瀬戸際で正しい選択をした老人にエステルは敬意を払うと、物干し竿を展開し捻糸棍の態勢で構える。
鬼だのと粋がった所で、孫を見捨てることは叶わなかった。色々と非常識な連中ではあるが、人としての大切な心までは失っていない。
「はあっ、せいや!」
捻糸棍の貫通エネルギーが凄い勢いでホエールフロッグ(♂)の合間を通り抜け、後衛に陣取っていたホエールフロッグ(♀)に直撃する。
「ケロケロ!!」
「「「ケロケロケロ……」」」
一撃で深手を負ったホエールフロッグ(♀)は水の中へ逃げ込み、ホエールフロッグ(♂)の群は後を追いかけるように次々と飛び込んでいく。
「ふうっ、思った通りだな」
もし(♀)を殺していたら、怒った(♂)の集団との殲滅戦に陥った所だが、手負いで逃がせば雌を守るために雄どもは撤退すると踏み、態と威力を押さえ目にした上で急所を外した。
エステルがチラリと後ろを振り返ると、幼子が祖父の胸の中で「恐かったよー」と泣き叫んでいる。爆釣サドンデスは有耶無耶になりそうな流れだが、釣公師団に対するエステルの印象は大きく変化した。
◇
「エステル、遅いわね。まだ百番勝負とやらを続けているのかしら?」
深夜のグランセル支部。街での聞き込み調査を終えたヨシュアが、受付のエルナンと女王に面談する算段について意見交換しながらエステルの帰りを待ち続けているが、一向に帰参する気配がない。
「釣公師団は隣のビルだし、様子を見に行ってみましょうかしら」
「おーい、ヨシュア、エルナンさん、今戻ったぞ」
噂をすれば影が差すというわけでもないが、ようやく待ち人が帰宅。ヨシュアが安堵したのも束の間、エステルが背中に背負った黒の墓石にアンテナを植え付けたような奇怪な物体を怪訝そうに見つめる。
「エステル、それは一体、何?」
「俺専用に渡された師団の幹部会議用のオーブメントだ。これがあればリベールからある程度近い範囲なら、外国にいたって本部と音声による遠隔会議が可能なんだぜ」
「どっこらしょっ」と、五十キロ近くありそうな巨大なアンテナ付きの墓石を地面に置くと、『支える籠手』の遊撃士紋章とは別の模様が入った『釣竿と魚』の師団紋章(エンブレム)を誇示する。
エンブレムには『釣公師団 第三柱 無地藩長エステル・ブライト』との姓名が刻まれており、エステルは使徒として釣りキチ達の仲間入りを果たしたみたいである。
「まさか、ミイラ取りが本当にミイラになって帰ってくるとはね」
ヨシュアは諦観の表情で嘆息したが、エステルは全く聞いておらず。無地藩長とは他の使徒みたいに支部を持たずに旅先で釣りの普及活動に務める役柄だと説明するが、あの重たそうな墓石を担いで遊撃士の出張をこなすつもりなのだろうか。
「そうそう、俺の記念すべき最初の勧誘者として、ヨシュアの名前を登録しておいた。これはお前のものだぜ」
ブログレロッドに釣り餌一式、更には師団のエンブレムなど入団者に無償で支給される初心者釣りセットが次々と机の上に並べらて、ヨシュアは唖然とする。
付属の師団員証明書には、『釣行者(レギオン)ナンバーⅩⅢ・漆黒の鯉』とか記載されているが、どう反応すれば良いのやら。
(まっ、好きなようにさせるしかないか)
考えてみれば、釣公師団は常々賢妹と理不尽に比較されてきた愚兄の方を高く評価してくれる希有な集団だ。
『エステルの世界を広げる可能性』に感化され、これからは爆釣勝負を気の遠くなるような長丁場でなくサドンデス方式の短期決戦に切り換えるようなので、エステルのガス抜きという意味では貴重な存在なのかもしれない。
まあ、本来釣りとは仕事の息抜きに気楽に楽しむものなのだろうが、彼らにいきなりそこまでの変化を求めるのは性急すぎなので、気長に取り組むしかない。
かくして、思わぬ形で釣公師団との共存を確立させたエステルは、後顧の憂いなく従来のクエストに取り組めるのであったが、まさか一旦参加を断念した武術大会に再出場することになるとは、この時には想像すらしていなかった。