「やあ、エステル君にヨシュア君。優勝おめでとう。私には武術の蘊蓄はさっぱりだが、君達の晴れ舞台を生鑑賞できただけでも、ダブ屋の言い値で高いチケット代金を支払った甲斐があったわい。ここまで順調に推薦状を集め残りは王都だけのようじゃし、君たちが正遊撃士として故郷に錦を飾れる日もそう遠くはないようじゃな。ロレントに戻ったら、久々にまた一緒に釣りでも楽しもうか? 爆釣対決のような熱い勝負も悪くないが、無心で釣糸を垂らしながら世俗の塵芥を忘れてノンビリまったりするのも良いものじゃぞ」
◇
「エステル様にヨシュア様…………」
「ふふ、また会えましたわね、ヨシュアさん。お二人が訪ねてきてくださるのを、今か今かとお待ちしていましたのよ。クラウス市長からお聞きしましたが、武術大会に優勝されたそうですね? 本当に残念至極ですわ。そうと承知していれば、せめて本日の決勝に間に合うぐらいにはスケジュールを遣り繰りして、応援ツアーを企画しましたのに。陛下の出席なされない公爵主催の晩餐会など気が滅入るだけですが、唯一の楽しみは王国一の腕前と名高いグランシェフの宮廷料理だけかしらね。ヨシュアさんは舌分析だけでレシピを再現するスキルをお持ちのようですが、是非とも期待していますよ」
「…………お嬢様、涎がでています。それよりもヨシュア様に何をさせるおつもりなのですか?」
◇
「フフ、久しぶりじゃのう、エステル君にヨシュア君。短い間とはいえ学園に籍を置いた子供の顔は忘れぬし、そうでなくとも君たちが学舎に残していた影響は大きすぎるからな。いやいや、あくまで私は投獄中のダルモア市長の代理として招待されただけで、次の市長は厳選なる選挙によって決められることになる筈じゃ。ふふっ、君たちとも旧知の私の教え子が、もしかしたら来年の五大市長会議に出席することになるやもしれんが、若者の情熱を年寄りの道楽とさせてもらおうかの」
◇
「おお、エステル君にヨシュア君。やはり王城は封鎖されていたようだが、まさか武術大会に優勝して潜り込むとは大したものだな。実は一つ悪いニュースがあって、ラッセル博士がロレントに潜伏しているのがばれたらしい。いや、もちろん傍受の危険性がある導力通信の遣り取りなどしていないのだが。その……何と言えばいいのか、ティータ君が思春期相応の悩みを抱えていて、それでツァイス放送局が襲撃されて…………って確かにこれじゃ何の説明か意味不明だよな。とにかく、アガット君たちは君らの実家から離れたようで完全に音信不通になった。まだ軍に発見されてはいないようだが、博士は有名人の上に三者とも色々と目立つ取り合わせだから、このままでは捕縛されるのは時間の問題だろうな」
◇
「リベールのお国柄を反映してか、一国を代表する最高幹部会議の面子にしてはあまり緊迫感を感じられなかったわね」
メインの夕食会に出席する前にジンと別れて、エステル達は旅で馴染になった各都市の市長連中と会話を交わしたが、真相を知るマードック工房長以外の面々は呑気なもの。
ルーアン市長のピンチヒッターにジェニス王立学園のコリンズ学園長が招待されていたが、クローゼの真名を知る賢人も現在の虜囚の身の上までは把握していまい。
ヨシュアの予想に反して意外と城内の監視の目は緩かったが、当然いくつかの行動禁止エリアが設けられている。目的地たる女王宮などはその最たる聖域。
(やはりエステルをアリシア女王に面会させるには、内部の者の協力を仰ぐ必要がありそうね)
豪奢な絨毯が敷きつめられた幅広の廊下を歩きながら、案内係として同行しているシアという侍女の雀斑顔を値踏みする。
要所を警護する特務兵を見る都度、微妙に表情が強張る。常に社交辞令に徹して、エステル達との会話も必要最小限に留めており、内情を漏らさぬよう堅く口止めされているのが容易に想像がつく。
情報部から抑圧される側の勢力であるのは相違ないが、その極悪非道の逆賊に反旗を翻す片棒を担がせるとなると一筋縄ではいくまい。
「ねえ、貴方。クローディアル殿下を助けたくない?」
だから、ヨシュアは宮廷内で働く年頃の娘に威力を発揮する勇気のおまじないを耳元で囁いてみる。効果は絶大。シアはトクンと心臓を震わせた後、頬を真っ赤にして硬直する。
薄々察していた通り、身分を隠した一学生の時でさえも多くの女学生を虜にした選民意識皆無のハンサムで誠実な王子様が、彼のキャパシティーを最大限に発揮可能な王宮で無意識化のフラグをばら蒔いていない訳がない。
特にこのシアという少女はクローゼお付きの侍女だったそうだから、好感度がMAXまであげられているのは疑いなく、潜在的な味方と思ってよさそうだ。
「あ、あの、私は……何を?」
「別に難しいことをする必要はないわ。このユリア中尉からの紹介状をヒルダ夫人に渡して欲しいのよ」
少女が敬愛する二人の上位者女性の名前を告げられ、シアの微かな警戒心がみるみると氷解する。
遊撃士とはいえ、自分と同年代の初対面の人間からいきなり物騒な提案を持ちかけられ戸惑いもあっただろうが、ルビコン河を渡る覚悟が芽生えたようだ。
手紙を渡したシアに女官長への手引きを任せると、エステルと連れ立って晩餐会会場の大広間に入った。
◇
「よう、待ちかねたぜ。エステル、ヨシュア」
室内では縦長のテーブルを挟んでジンや先程挨拶周りした市長が勢揃いし、既に自分の席に腰を降ろしていたので、兄妹もジンの隣に並んで着席する。
テーブル上に綺麗に並べられた複数のナイフとフォークの山々にエステルがソワソワし始める。
基本質より量の大食漢ではあるが、贅の限りを尽くした宮廷料理に興味津々のご様子。テーブルマナーの最低限の基礎知識をヨシュアがレクチャーしていると、各々の腹心を従えたデュナン公爵とリシャール大佐が入場してきた。
(あれが諸悪の根源の情報部の親玉か?)
執事のフィリップを控えさせた公爵の独創的なオカッパ頭に今更感慨振るものはないが、副官のカノーネを連れた黒い軍服の中年士官の存在感に緊張が走る。
「各市長の方々及び優勝チームのブレイサーの諸君。お初にお目にかかります。情報部司令のアラン・リシャール大佐と言います。この度は多忙のモルガン将軍に代わり、軍関係の責任者代理という形で公爵閣下の格別のご厚意で招待させていだだきました。無粋な軍服姿で失礼ですが、どうか同席をお許し願いたい」
そう自己紹介して、オールバックに束ねた金髪を恭しく下げる。物腰も口調も実に理知的で穏やか。粗暴さや野心の欠片も伺えず、本当に軍事クーデターを目論む謀反人なのか?
エステル特有の直感でも不思議と厭な感じは見受けなかったので、大悪党の先入観に自信が持てなくなってしまうが、料理が運ばれて晩餐会が進行するにつれて否応なくリシャール大佐の本性を突き付けられる。
「陛下は今回のご不調を理由にとある政治的決断をなされたのです。それは御自身の退位とこちらに居られるデュナン公爵への王位継承です」
酒宴の酣、山海の珍味をふんだんに注ぎ込んだ至高のメニューの数々に舌太鼓を打ったエステルと舌解析を成功させるも食材の高騰さに再現を断念したヨシュアは一気に現実に引き戻される。
「そ、その、失礼ですが、無礼講の席のジョークということではないですよね?」
事の壮大さに一堂は仰天する。海千山千の経済界を生き抜いてきたメイベル市長すら動揺を隠せない中、事前に簒奪劇場の公演をある程度察知していたので基本リアクション要因のエステルがこの爆弾発言に動じなかったのは皮肉であろう。
四十年近くも女の身一つで激動の時代に翻弄されたリベールを導いた陛下を生誕祭を契機として俗事の柵から開放してあげたいとの御為倒しが公爵の口から囁かれた。一見身につまられる主張も後継者の選別に疑惑を感じたのか、会食の間中は枯木のように佇んでいた賢者が初めて口を開いた。
「さて、公爵閣下に王位継承権があるのは私も存じておるが、もう一人、同位の継承権を持つ直系の者がおられる筈だが?」
内部情報を知るが故にボロを出さないように敢えて無言を貫いた工房長の隣で、古の大魔道師のような風体の白髪白髭の老人が嗄れた目に鋭い光を称える。
「陛下のお孫さんにあたるクローディアル王太子のことですね?」
クローゼの本名を仄めかされ苦虫を噛み潰した公爵と異なり、大佐は予めカンペが手渡されていたかのようにスラスラと口上を述べる。
まだ年端もいかず能力に疑問符もある故、アリシア女王はデュナン公爵を推したとのこと。
非公式ながら別国の姫君の入婿として政略結婚……もとい、縁談の申し入れがあるそうなので、彼には他国で見聞を養ってもらう予定と聞かされる。年齢はともかく、あの公爵閣下に器量で劣るとなるとどれほどの馬鹿ボンなのだろうと、他者への悪意と無関係に生きてきた善良なクラウス市長でさえも不安を覚えた。
「すいません、公爵閣下。私もエステルも未成年故、お酒が飲めない一事で折角の宴会に水を差しては申し訳ないので、先に退出しても宜しいでしょうか?」
かの好々爺をしてこの反応なのだから、事情を知らない第三者の市長連中もデュナン公爵の即位を吉兆とは思えず。裏面を熟知するエステル達は、リベール最悪のシナリオを阻止する為に迅速に行動を起こさねばない。
必要な情報は仕入れられた。これ以上留まるのに益はないと判断したヨシュアは機転を利かし上手く場を外す口実を設けると、即位に浮かれて逆上せている公爵の酒の相手を先輩遊撃士に任せ、ザワザワと騒めく市長達に挨拶してこの場からトンズラした。
◇
「エステル様、ヨシュア様。女官長のヒルダ様がお会いするそうなので、私と一緒に侍女控室へ……」
「何をコソコソとお話しているのかしら、シアさん?」
宴会場を出た兄妹は、吹き抜けの中央メインエントランスで侍女に先の用件を告げられたが、まるで後を追跡してかのように背後からリシャール大佐とカノーネ大尉が出現。シアは表情を青醒めさせる。
「ボースで娘の栄職を誇りに思っている祖母を悲しませるような真似をなさってはいけませんわよ、シアさん?」
「も、申し訳ありません!」
カノーネ大尉が粘っこい瞳で意味深な脅しをかける。シアは平伏せんばかりに身体をガタガタと震えさせるが、リシャール大佐が包容感のある笑顔で窘める。
「こらこら、カノーネ君。何ら失態を犯した訳でもない人間に不必要にプレッシャーを与えてはいけないよ」
「うふふ……失礼しました」
副官を下がらせた大佐の「特に用件がないのなら、仕事に戻って構わないよ」との有り難いお言葉に、一礼してから踵を返すシアをエステル達は黙って見送った。
敵幹部に怪しまれても不味いので、適当に時間を潰してから侍女控室を訪ねようと無言でアイコンタクトを交わしたが、次の展開は想像外。
「テロ事件の続報が届いたので、職務に復帰する為に公爵閣下にお断りして退席させていただいたのだが、こうしてカシウス大佐のお子さん達と話せる機会を得られるとは都合が良い」
自分は軍時代にカシウスから色々世話になった過去を訴え、是非とも個人的に話をしたいとのお招きされる。
流石は情報部というか、兄妹の素性は全てお見通しのよう。まさか王城に潜入した目的まで見抜かれているとは思えないが何を企んでいるのやら。
更には軍人将棋のセットをチラつかせて、「折角だから奥の談話室で一局嗜みながら、四方山話に華を咲かせないか?」と妙なお誘いを受けるが、何故こうも士官学校を卒業した秀才軍人はこの運ゲーを愛顧しているのかヨシュアは不思議に思った。
「あのー、三人必要なゲームらしいけど、俺ルールを全然知らないんだけど」
「閣下、それなら僣越ながら、わたくしが公平な審判約を務めさせて……」
エステルの発言にカノーネが何とか割り込もうと自分を売り込むが、上官は首を横に振る。
「いや、それには及ばない。君が持ってきてくれたアンティークがあるから、勝敗は自動判定してくれるからね」
策士策に溺れるというか、敬愛する大佐と二人っきりの蜜月を約束する導力チップ付きの特注将棋板の所為で逆に締め出される嵌めになった女狐はガーンという擬音を発してショックを受ける。
「先に詰所に戻って、私が遅れる旨を伝えてくれたまえ」との命令を受けて不承不承ながら承諾すると、殺意の波動に芽生えた視線で兄妹を一睨みしてから消えていった。
「あの、おばさん。偉くおっかねえ顔してたけど、一体何に腹を立てているんだ?」
「これ程、判りやすい事例は滅多に存在しないと思うけど、ここまで来ると鈍いというよりももはや病気の域ね」
クエスチョンマークを浮かべながら首を傾げるエステルと嘆息するヨシュアを等分に見渡しながら、「それでは、ついてきたまえ」と大佐は足早に談話室に向かう。腰の低そうな振りして中々に押しが強い御仁のようで、兄妹は選択を迫られる。
「どうする、ヨシュア?」
「行きましょう、エステル。上手くいけば、相手の目論見を引き出せるかもしれないしね」
禁止エリア以外の監視体制は比較的隙だらけ。特別な謀を弄さずとも、すんなり女官長に取り継げた点から考慮しても、大佐は態とエステル達を泳がせ反応を楽しんでいる節が伺える。
「互いに一物隠しての腹の探り合いも楽しいけど、たまにはエステルみたいに裏表無しで正面突破してみるのも面白いかもしれないわね」
善悪は別にして、リシャール大佐はかなりの傑物であるのに相違ない。多少馬脚を現した所で今更行動を束縛するような小さな真似はすまい。
ならば、リベール軍人御用達の軍人将棋の勝負に託つけて、大佐が単なる権力欲に憑かれた独裁者か、はたまた独善的ながらも何らかの国家百年の計を王国に齎そうとする救世主気取りのつもりなのか、その正体を見極めるつもりだ。