「なっ?」
地下室に降り立ったユリアは面食らう。
彼女のスリーサイズを模した不埒なパスワード設定からてっきり野獣の如き雄共が潜んでいるのかと思いきや、数多くの有閑マダムが屯して、コントラクトブリッジを嗜んだりお茶してだべったりしながら寛ぎ中。
「おい、ここは一体何だ?」
「貴方の熱烈なファンを自称する女性たちみたいですよ、ユリアさん」
戸惑いながらヨシュアの肩を揺する中尉は、その返答に表情を引き攣らせる。
グランセルに到着した当日、情報収集がてらに街中を散策していたら、『ユリア様ファンクラブ』なる怪しげな地下組織を発見。将来何かの役に立つかと密かにチェックした。
「ねえ、ユリア様の臭いがしない?」
「本当だわ。この香水は間違いなくユリア様御用達『クロエ オードトワレ』よね?」
「ということはユリア様がこの部屋のどこかにいる?」
「「「ねえ、ユリア様、どこどこ?」」」
常軌を逸した嗅覚で焦がれ人の所在を探り当てた女傑衆の様子が慌ただしくなる。更に顔を強張らせたユリアは正体を隠そうとフードを深く被りこもうとするが、「ユリア様、ご開帳」とヨシュアにフードを捲られて飢えたハイエナの面前でご尊顔を露わにしてしまう。
「「「「「きゃあー! ユリア様ー!」」」」」
早速、数十人に揉みくちゃの押し倉饅頭にされて目を白黒させる。
相手が男性なら問答無用で蹴散らせば済むが、まさかオナゴ相手に暴力を振るう訳にいかず、成すが儘に蹂躙される。ついでに巻き添えを喰ったドロシーまで目を回すも、ヨシュアはちゃっかり人込みから退避している。
「ご、ご婦人方、どうか落ち着いて…………ぐわっ!」
「きゅううー、目がチカチカしまーす」
マダム達の興奮が収まるまで二十分近い時間を必要とする。ユリア分を補充した貴婦人方の肌が艶々に変化した頃には、二人は完全にグロッキ状態でバタンキューした。
◇
「ユリア様御自ら私たちの本部を尋ねてきてもらえるとは感激です」
「貴方、昨日倶楽部に入会したばかりのヨシュアちゃんね。『明日、ユリア様をここに連れてくる』と予告した時には半信半疑だったけど、まさか本当に実現させるとは夢にも思わなかったわ」
他よりも二段程高い居心地が悪い特等席に座らされて、『踊り子さんには手を触れないでください』状態でVIP扱いされているユリアは自分をこの魔境に引きずりこんだ張本人を恨みがまし目で見つめるも、ヨシュアは涼しい顔。
まさか決勝戦前夜に襲撃された時の意趣返しという訳でもないだろうが、何を企んでいるのか図りかねていると、ヨシュアが対応していたファンクラブ会長のご婦人が思い出したように柏手を打つ。
「そうそう、喜びは倶楽部の会員全員で分かち合わないと。ユリア様が降臨あそばせた旨を是非とも博士に報告しないとね」
そう宣言すると、奥の方にあるモノリス然とした動力器を作動させる。
釣公師団が使用していた双方向スピーカーにソックリ……というか瓜二つで、『SOUND ONLY』のラベルに光が点灯する。
『今何時だと思っているのよ? 釣り基地外の暇人共が! 月一の定例会議はまだ当分先………………』
「博士。私たちです。それと現在の時刻はもうお昼過ぎでして……」
『ふわあああー。あー、悪い、悪い。師団の馬鹿共の催促かと勘違いしたわ。ここ一週間、徹夜で作業していたから昼夜が完全に逆転していたけど、何の用?』
「実は積年の努力の甲斐があって、ついにユリア様が私たちのアジトに来訪され……」
『ぬ、ぬわんですってえー!? 今そこにユリア様がいるのね? 是非声を聞かせて…………ぐっ、ユリア様の凛々しいお姿をこの目で見られぬとは残念無念。金蔓……もとい盟主様からもっと開発費をせしめて、一刻も速く広域音声送受信システムを映像も送れるように改良しなくては』
「博士には技術協力や戦術指南など様々な技を提供していただきました。ユリア様ファンクラブが今の形を保っているのは全て貴方のお蔭です」
(なるほど、この通信相手が御婦人方にいらん知恵を授けた諸悪の根源か?)
黒い墓石を通じての会話を又聞きしながら大凡の裏事情を把握する。
昨年までは目の前の餌に見境なく食らいつく魔獣さながらの烏合の衆が突如、秩序だった集団行動でユリアを追い詰めるようになり散々手を焼かされる羽目に陥ったが、どうやら博士なる人物の教練の賜物らしい。
(たった一人の参謀の加入でこうまでドラスティックに組織が生れ変わるとは身に詰まらせられるものがあるが、この博士とは一体何者なのだ?)
今まで判っている情報を統合すると、女性でありながらアルバート・ラッセル博士に匹敵するずば抜けた科学力を誇り、第二柱として釣公師団に幹部として在籍しているが会話の端々から釣りマニアの同僚を小馬鹿にする気配が見え隠れして性格はあまり宜しそうには見えず、中央工房に深い縁を持ちティータを溺愛しているっぽいが、その正体は全くの謎である。
「さて、皆さん。ここで私の話を聞いていただけないでしょうか? ここにいる人で親衛隊謀反の与太話を信じる愚か者はいないと思いますが、なぜユリアさんが地下に潜ることになったのかその経緯を説明します」
博士との問答が一段落した所でヨシュアが皆の注目を集めると、ユリアが止める間もなく更なる演説に入る。
情報部のクーデターによる親衛隊の冤罪から王太子の救出作戦まで、守秘義務の観点から一般人には到底漏らして良い筈のない極秘情報をペラペラと吹聴する。
「まさか、王都でそのような大それた陰謀が進行していたなんて……」
「リシャール大佐が男前だったから、すっかり騙されましたわ」
「きー! これだから男なんて信用ならないわ」
「そうよ、そうよ。やっぱり私たちにはユリア様しかいなのよ」
場が再び騒然とする。ここにいるご婦人方は全員ユリア中尉の大ファン。潜在的な味方なのは確かだが、かといって謀反の事実はまだしも、計画の肝となる奪還作戦の決行をこれだけ多くの一般市民の前で明るみにするなど論外。
無論、怜悧な腹黒軍師がその程度の道理を弁えていない筈はなく、何か裏があるのは確実。どのように話を展開させるつもりなのか、諦観と怒りが入り交じった視線でヨシュアを睨むが、黒髪の少女は急に芝居がかった仕種で皆に別れの挨拶を告げる。
「私たちギルドとユリアさん達親衛隊はこれから共同して、決死の救出作戦に臨みます。情報部との兵力差は絶大で生きて帰れる望みは少ないですが、であればこそ私はユリア中尉をここに連れてきました。ユリアさんの真の理解者である貴方たちに、王室親衛隊中隊長は最期まで逆賊に屈することなく力の限り戦い尽くしたという歴史の証人になって欲しかったからです」
中々に熱がこもった煽動(アジテート)。ご婦人方はジーンと感涙に打ち震えると、このまま後生の別れとするのを潔しとせずに「何か私達でも役立てることはないですか?」と助太刀を申し入れる。
「気持ちは有り難いですが、一般人を巻き込む訳には…………けど、もし王都からの援軍を阻止できたら、ユリアさんが生きて戻れる可能性も……」
ギルドの建前を取り繕いながら、チラチラと未練がましい本音を散りばめてご婦人方の思考を誘導すると、自らの思惑について語り始める。
「馬鹿な。そんな非道が許されるか!」
「やっぱり、そうですよね。すいません、今言ったことは忘れて下さい」
どのような過激な謀略が囁かれたのやら、当事者のご婦人方よりも先にユリアが激昂するが、ヨシュアは何時になく気弱な態度であっさりと前言を翻して却ってユリアを不審がらせる。
「絶望的な決戦を前に少し焦ってしまったのか、地域の平和と民間人の安全を守るべきブレイサーとして恥ずべき要求をしてしまいました。エイドスが正しい者の味方なら、きっと私たちに奇跡を齎してくれる筈です。行きましょう、ユリアさん。親衛隊とギルドが力を合わせれば越えられない壁などないですから」
シスターの仮装に精神まで引っ張られているのか、腹黒完璧超人らしからぬ殊勝さで篤信に溢れた言葉が零れる。
少女の過激な提案に戸惑っていたご婦人方は流石に即答し兼ねていたが、互いに目線を合わせて意志を固める。「やります、ユリア様」とルビコン河を渡る決意を訴え、中尉を絶句させる。
「いや、王太子殿下を己が生命に替えてもお守りするのが我は親衛隊の務め故、本来無関係の貴方たちに負担を強いる訳には……」
「私たちのことなら気になさらないでください、ユリア様」
「うんうん、そりゃ、ヨシュアちゃんのアイデアには最初は面食らったけど、今はリベールそのものが滅ぶかもしれない非常事態な訳ですよね?」
「ならば、私たちも我が身の安寧ばかりを求めてはいられませんわ」
エステルがそうであったように、打算や嘘偽りのない言葉ほど人の魂を深く揺さぶる想いは他にない。ユリアが彼女たちを案じるほどに却ってご婦人方を追い詰めている節があり、それと知って中尉をこの場に連れてきたのなら、やはりヨシュアは人の心を操る策士であろう。
「ありがとうございます。こんな酷い提案をしてしまい私は皆に顔を向けられません」
「気にしなさんな、ヨシュアちゃん。そもそも、あんたみたいな若い子にこんな過酷な役回りを押し付けてのうのうとしている男共の方が情けないんだから、自分の成すべきことをしようとしているあんたは立派だよ」
感涙に震えたヨシュアは両手で顔を抑えながらポロポロと涙を零す。周囲にいるご婦人方に慰められる微笑ましい光景をユリアは強い違和感と共に見つめる。
(何故だ? この魔少女から溢れ出る禍々しい気をどうして誰も感じ取れない?)
自分がかの少女に偏見を抱いていることを百も承知の上で、それでもユリアの目線からはヨシュアの身体から発散される淀んだ空気が垣間見える。
Y染色体(♂)の親衛隊員の単純な馬鹿どもが少女の迫真の演技にいいように踊らされるのは判るが、この場にいるのは自分と同じX染色体(♀)だと自問自答するが、中尉は一つ勘違いしている。
ヨシュアは同性ではなく、単に乙女(おとめ)との折り合いが悪いだけ。
だから性を意識する前の幼女や、出産を経験して人生に余裕を持った中年女性には意外と受けが良いが反面、思春期に入った少女やまだ女としての自負心に捕らわれている者は色んな意味で負の感情を逆撫でされる。
故にヨシュアの嘘泣きを見抜けたご婦人はユリア以外にこの場にいなかったが、唯一人、黒髪少女の本性を看破した者が遠方よりの刺客として声を放った。
『よーう、腹黒娘。中々に凝った芝居を聞かせてくれるじゃない?』
モノリスから漏れた突っ込みの一言に一瞬ヨシュアはビクッとするが、ご婦人方は今度はユリアを取り囲んでの談笑に夢中になっていたので、誰も博士の揶揄を聞いていない。
「あ、あの……」
『そう警戒すんな、別にあんたの遣る事を止める気はないから。むしろ、あたし達夫婦の大事な一人息子を傷つけた情報部こそが敵だから、その策略に乗っからせてもらうわ』
「……恩にきます」
ヨシュアはモノリスの向こう側にいる未知の人物に頭を下げる。
かつてグランセル地方の動力器設定に関わり王都の地理を知り尽くしていると自負する博士は、少女の謀を実務レベルで取り仕切り最も効果的かつ決して人的被害が出ないようにサポートすると明言。計画の仕込みの一部であるドロシーをこの場に残すと、ご婦人方に挨拶してユリアと連れ立って地下室から退出した。
◇
「おい、貴様。私をダシにしたな?」
空き家の外に出るや否やユリアは親の仇のような目つきで睨むが、ヨシュアは泣き虫少女の仮面を外すとシニカルな面構えで中尉の言を肯定する。
「まあね。あのご婦人方は私に敵意は持ってないけど、それだけじゃ動いてはくれないからね。けど、今回の作戦を非難される理由が判らないんだけど?」
フード下の小首を傾げる。無辜の一般市民に身命を張れと脅したのなら殴られても文句は言えないが、彼女たちには財産の一部を提供してもらうだけで血が一滴も流される訳ではない。ましてやあの寛大なアリシア女王陛下なら必ずや失われた遺物を国庫を叩いてでも復元してくれるのは明白なので、尚更咎められる意味が理解できない。
「マーシア孤児院の事件に関わったのなら、知らぬ訳ではあるまい。家屋にはミラでは贖えない大切な想いや思い出が育まれるものだ。それを…………」
「貴方の部下の生命よりも思い入れが染みついただけの単なる無機物の方が大事だと言うのなら、確かに私の考えは間違っていますね」
煩わしそうに反論不可能な禁断の切り返しで強引に議論を打ち切る。既に話は纏まっているのに今更蒸し返されても非効率この上ないからだが、こういう合理主義に徹した態度がヨシュアが他者から反発を買う要因の一つである。
「まあけど、ユリアさんやエステルはそういう熱血漢なノリで良いのだと私は思いますよ。人には向き不向きというものがありますので、私は私にしか出来ない悪行をしているだけですから」
国を落とす時は単純な力攻めだけでなく、城壁内にいる不穏分子を煽動し敵を内側から弱めるのは兵法の常道なので、今回の策略は実はそこまで画期的なアイデアという訳でもない。
ただし、軍略にも明るいジンやクルツのような上級遊撃士も基本的には良い人属性。無関係な人間を大勢巻き込むような策謀を思い付きはしても決して実行することはない。
力押しだけで楽勝な勝ち戦ならともかく、極めて劣勢を強いられた中で必勝を義務づけられたリベールの存亡を賭した大一番なので仕方がなくヨシュアが汚れ仕事を代行しており、皮肉にも少女の功を労ったご婦人は正鵠を射ていたりする。
策の是非を巡って、一度は鎮火した二人の女性の間に燻っていた宿怨の炎が再燃仕掛けたが、辛うじて破局を回避される。
最後の下準備を終えたユリアとヨシュアの二人がギルドへと帰還した。王太子(クローゼ)の身柄を奪還するエルベ離宮への救出作戦の決行はもう間もなくだ。