「アネラスさん、中々、ユニークな戦技(クラフト)をお持ちですね」
「プリティーなクラフトって、『独楽舞踊』のこと?」
ジョゼット達が待ち構えている階層最奥を目指しながら、人質を救った妙技を尋ねる。
「あれは本来は味方でなく、屈強な敵を私の周囲に集める技なんだよ」
ガンナーやアーツ遣い等の非力な後衛の盾となるべく、前衛のアネラスが独自に編み出した補助系クラフト。大型の重機などは吸い込めないが、相手が等身大の人間ならどれほど力量差があってもキャンセルされず効果を発揮できるのが強み。
「なるほど、そういう他人を労るクラフトもあるのね」
集団戦でのサポートを前提としたアネラスの献身性に、己の持ち技が他者を傷つける攻撃系クラフトのみで占められている歪さを自虐する。
「だったら、とりあえずヨシュアちゃんも、『挑発』あたりから覚えてみたら? あれも敵を自分に惹き付け、仲間を守る為のクラフトだよ」
「ふーん、挑発って、こんな感じですか?」
アネラスの無責任なアドバイスに珍しく興味を示したよう。その場に立ち止まり、艶っぽい表情でしなを作ると、「こちらにいらっしゃいー」とエステルに投げキッスを施した。
「あははははっ。面白いー」
挑発の意味を取り違えたヨシュアの勘違いに、アネラスは腹を掲げて笑い転げる。義妹のフェロモンへの抗体持ちのエステルは、飛んできたピンク色のハートを煩わしそうに手で払いのける。
「なによ、全然、効果ないじゃない」
ヨシュアは憤慨したが、エステル以外のY染色体(♂)なら、人と魔獣の垣根なく問答無用で撃沈される破壊力を秘めており、オリビエなど目をハートマークに時めかしてルパンダイブを敢行するだろう。魔眼と同様に殿方専用スキルと化しそうなのは、お約束ということで。
「それにしても意外だったね。ヨシュアちゃんって、もっと取っつきにくい娘だと思っていたけど」
笑いを納めて立ち上がったアネラスが目に溜まった涙を拭きながら、意味深な供述をし、エステルとヨシュアの二人は耳を傾ける。
聞けば一昨年、推薦状取得活動でロレントに滞在していた時、世話になったシェラザードからヨシュアの悪口を色々と吹き込まれた。
「誑かした男をぼろ雑巾のように使い捨てるロレント一の悪女だとか。結構なミラを隠し持っているのに絶対に身銭を切らない守銭奴とか。義兄をいたぶることに快感を覚える生粋のサディストやら。それはもう散々だったけど、シェラ先輩の思い違いみたいだね」
「あっ、それは一切の誇張無しで、全部真実だから」
シェラザードの証言に太鼓判を押そうとしたエステルの足をヨシュアは払い、頭からレンガ張りの地面に叩きつけられる。
大事なボス戦を前にして、こんな無意味な小競り合いで消耗するのもどうかと思うが、これもヨシュアがエステルの頑丈さを信頼している証。少なくともアネラスは、兄妹間の無邪気な戯れ合いと受け取った。
「うふふ。クールぶっていて、結構なブラコンなんだね。私はまだ恋をしたことないから、ヨシュアちゃんの男性観については何も言えないけど、リボンとか服装のセンスを見る限り、私たちのお洒落の方向性は結構近いと思うよ」
「クエストが終わったら、一緒に可愛いものについて語り合おうね」と恒例のフレンドリーな笑顔で告げると、左手でエステルの掌を掴んで立ち上がらせ、右手でヨシュアの頭をナデナデする。
男性とのスキンシップに手慣れた反面、女性から撫でられるなどほとんど体験がないのか。ヨシュアは困惑しているようにエステルの目に映った。
「どうした、ヨシュア?」
「なんでもないわよ、エステル」
さっきから妙に精彩を欠く義妹にエステルは声を掛けるが、ヨシュアはますます混迷の度を深めようとしている。
「ははーん、さては、お前」
エステルはピンと来た。ロレントではエリッサとティオしか友達がいなかったのに、ボースに来てメイベルやアネラスと立て続けに仲良くなれた現実を受け止め切れないのだ。
(なんだよ、本当に可愛い所があるじゃないか)
同性でヨシュアのような腹黒完璧超人を受け入れるには、相手側の女性に相応の度量が求められるが、世界は広いものでボース地方だけで既に二人。
今回のリベール一周旅行は、上級遊撃士相応の力量を持つヨシュアにとって退屈な旅路にならないかと危惧していたが、この調子で友人を増やせるのなら意義がある。
アネラスに撫でられて、借りてきた猫のように縮こまっているヨシュアの姿に珍しくも義妹への庇護欲を刺激されたが、廊下の奥がキラリと光ったのを視認した瞬間、第六感が危機を訴える。
「危ない!」
反射的にアネラスとヨシュアに覆い被さる。同時に導力エネルギーがエステルの背中を掠めるように通り抜けて、後方の地面を抉り取る。攻め入るまでもなく、敵さんの方から態々こちらに出向いてくれたようで、お茶の間タイムは終了した。
「今のは、ジョゼットの導力銃(オーバルガン)か?」
「いえ、違うわね、エステル。この破壊力は、対戦車クラスの導力砲(オーバルキャノン)よ。移動式の大型導力砲でも用意してきたのかしら……って、信じられないわね」
精神のチャンネルを戦闘用に切り換えた立ち上がったヨシュアが、まるでUMA(未確認生物)でも発見したかのような表情で、廊下の先を見つめる。
手下四人にキールにジョゼット。そして中央に威風堂々と佇む巨漢の空賊。
左目に傷痕があり、いかつい手下たちをパンピーと錯覚するぐらいの生粋の極悪面だが、真に驚くべきは脇に抱えた大型導力砲の存在。
本来なら対戦車用装備として飛行艇に取り付ける固定式の大型導力砲を、生身で軽々と扱うなど尋常な膂力ではない。その威力は対人特化の小型導力砲(P-03)とは比肩すら出来ない。
「あのエステルに匹敵しそうな怪力の主が、カプア一家の元締めみたいね。見た感じ頭の方もエステルとどっこいぽいけど」
「一応ジョゼット達と髪色は同じだし、全然似てないけど長兄か親父ってオチか?」
「本当、可愛くないよね。まあ、あの二人と違って、あの風体で出歩いたら直ぐにお縄になりそうだから、矢面には出られないのはしょうがないよ」
三人は好き勝手に空賊の首領を酷評する。それに気分を害した訳でもないだろうが、第二射を放たれる。今度は不意打ちでないので三者は悠々と避けたが、再び地面が削り取られる。威力、射程、攻撃範囲、全て申し分なく、前衛過剰なブレイサーズとしては、この距離での戦闘はかなり分が悪い。
「だったら、導力砲を撃てないようにすれば良いんだよ。はぁぁぁぁ、はぁーい」
再び、独楽舞踊でクルクルと回転し、カプア一家の手下四人を纏めて吸い込んで、敵味方入り乱れての乱戦状態を演出する。
アイコンタクトで自らの役割を心得たヨシュアは、同士討ちを恐れた敵の飛び道具が封じられている隙を見計らい、後衛の三兄弟を仕留めようと飛び出したが、キールにカットされる。
「長剣(フェンサー)?」
「兄弟だからって、勝手にあたしまで遠距離系で一括りにしないでくれる? それより、やたら好戦的だったブレイサーのアレは、あなた達の密航を隠す為だったのね?」
今更ながらにキールは仕込みを見抜くが時既に遅く、ヨシュアはこの砦が正遊撃士によって占拠され、人質も解放済みの事実を告げる。
ぶっちゃけると増援として駆けつけた遊撃士は三人だけだが、ヨシュアの発言そのものに嘘がないだけに、キールお得意の直感でもカラクリを見破るのは困難。
「ねえ、キールさんでしたっけ? 運良くこの場を切り抜けられたとしても、もうあなた達は完璧に詰んでいるわよ。ここまで攻め込まれた地点で、あなたならその程度弁えているでしょう?」
キールの振り回すフェンサーを、双剣でマインゴーシュのように巧みに捌いて受け流しながら勧告する。
「あなたのいう通りかもね、お嬢ちゃん。でもね」
自嘲するようにヨシュアの見解を肯定したが、鍔迫り合う長剣にさらに力が籠もり、投降する意志は欠片も見受けられない。
「ポーカーに譬えるわけじゃないけど、切札がなくても降りられない瞬間って、人生には必ずあるでしょう? 私にとっては、今がその時なのよ」
キールはエレボニア帝国の由緒ある貴族だったカプア一家が、この一年で辿った没落の一途を邂逅する。
放浪癖のある彼女が、山猫号で旅から数ヶ月振りに戻った時、カプア家は全てを失っていた。自分がその場にいれば、あんなチャチな詐欺師に騙されることはなかったのにと、欲深で愚鈍な兄を罵ることなく己の不在を呪った。
だから、先祖伝来の土地を取り返すというドルンの意思に共鳴し、多くの使用人と一緒に空賊稼業を支えてきたし、無謀と思えるリンデ号のハイジャックも唯々諾々と従った。
「今、一家は危機にあり、今度こそあたしは、その場に居合わせている。なのに、見捨てられる訳ないでしょう」
今まで飄々としていたキールが初めて感情を露わにする。長剣でヨシュアを牽制しながら、虎の子の手榴弾を懐から取り出し左手に抱える。
「そう、残念ね」
次の刹那、電光石火の斬撃で、キールの長剣と爆弾を同時に弾く。
駆け引き相手としては苦手なタイプではあるが、単純に物理的な敵と見做せば、彼女の戦闘力は弟のジョゼットにも遠く及ばない。
「出来れば降伏してもらいたかったけど、仕方ないわね。まだ例の発煙筒を隠し持っているのだろうけど、それを出したら本気で斬るわよ」
琥珀色の瞳に冷酷な光を宿しながら警告し、喉元に刃を突き付ける。精一杯の気迫がまるで及ばない現実の過酷さに打ちのめされたキールはガックリと膝を落とした。
「うわあああ!」
「きゃああああ!」
激しい爆発音と一緒に仲間の悲鳴が上がり、ヨシュアは反射的に振り返る。ドルンの大型導力砲が直撃し、エステルとアネラスの二人が倒れ込んでいる。敵のカプア一家の四人の手勢と一緒に。
「エステル、アネラスさん」
心が折れて放心しているキールを放置し、二人に駆け寄って容態を確かめるが無事のよう。
アネラスは深刻なダメージを負って気絶しているが、「アイスクリーム。ローズマリー」と妙な譫言を呟いていて、生命に別状はない。
エステルに至っては、「痛てて」とノーダメージに近い状態で、普通に意識を保っている。相変わらず信じられないタフネスさだ。
苦しそうに蠢いている手下を虫けらのように見下すと、ドルンは葉巻に火をつける。
「おかしいな、何で生きているんだ、こいつら……って、設定がMIN(非殺傷)になっているじゃねえか。キール、お前、さっきレバーを弄くりやがったな?」
つまらなそうに葉巻を食い潰すと、導力砲のエネルギー設定をMAX(殺傷)に切り換える。
「ドルン兄ぃ、どうして」
家族のように慕っていた一家のメンバーごと薙ぎ払った長兄の非情さに、隣にいたジョゼットは襟首を掴んで抗議するが、ドルンは煩わしそうにジョゼットを張り倒して、ヨシュアの眼前まで吹き飛ばす。
「けっ、どうせ、こいつらじゃ、ブレイサーには対抗できないんだ。なら、纏めて吹き飛ばせば、囮としてぐらい役立つだろが?」
がははっーと高笑いするドルンを、殴られた左頬を抑えてうずくまったジョゼットは、捨てられた小犬のような切ない目で見上げる。
「なかなかご立派な頭領をお持ちのようね、カプア一家は」
ヨシュアはドルンのご高説を皮肉ったが、 ゼロサムゲームとして見るなら、手下四人の対価で前衛ペアを潰せるなら安い投資なのも事実。ドルンの主張自体は戦理に適っている。
ただ、このような外道にあれほど部下たちが忠義を尽くすとは思えない。自分らが戦略を見誤ったのも、今日まで散々見せつけられたカプア一家の温さが根底にあってのことなので、どうしても違和感を拭えない。
(ならば、試してみるしかないわね)
そう決意すると、手近に転がっていたジョゼットに絡んで双剣を振るう。
いきなりゼロ距離戦に持ち込まれたジョゼットは、ベアアサルトを抜くに抜けない。仕方なしに隠し持っていた予備の短剣を振るって抵抗するが、剣技に関してはキール以下の素人。
瞬殺するのは容易い筈だが、何故かヨシュアは敢えて止めを刺さず膠着状態をキープする。
(そろそろ導力エネルギーの充電が完了する頃かしら)
チラリとドルンの次行動を確認する。今度は殺傷モードに設定された導力砲の照準を、こちらに向けている。
「やっぱりね」
ジョゼットに身体ごと体当たりし、二人は縺れ合うように地面を転がる。
さっきまで二人がいた空間に、前射とは比べ物にならない凄まじい導力エネルギーが炸裂し地面が大きく陥没する。手下はおろか実の弟の殺害にすら、ドルンは何の躊躇いもない。
「わっ、わっ、わっ」
ヨシュアに馬乗りで押し倒されたジョゼットは、目と鼻の先に押し付けられた二つの大きな膨らみに、兄に殺され掛けたショックや交戦相手に救われた現実も忘れ赤面する。
取り乱すジョゼットとは対照的に、ヨシュアは身体の密着をさして気にすることなく、思考を押し進める。
血を分けた肉親さえも道具扱いする酷薄な人間は、この世界のどこかに実在するのだろうが、そんな下種にあの姉弟がついていく筈もなく疑惑は深まるばかり。
「ねえ、ジョゼット。今の屑っぷりが、あなたのお兄さんの本性だと解釈していいの?」
侮蔑の言葉に、夢心地だったジョゼットはようやく我を取り戻し、必死に抗弁する。
「そんなこと、あるものか。ドルン兄は顔は怖いし剛愎だけど、本当は優しくて馬鹿みたいにお人よしで。だから、あんな子供騙しの詐欺に引っ掛かって、全てを失って」
今まで溜まっていたものが吹き出し、最後は涙目になる。
「そうね、あの人は私たちのドルン兄さんじゃない。全くの別人よ」
ようやく精神の失調から少しだけ回復したキールも、ジョゼットの想いに同調した。
「だったら、答えは一つね。あなた達のお兄さんは、何者かに洗脳を受けている」
ジョゼットの慟哭に疑惑を確信に替える。ヨシュアは立ち上がると、瞳を真っ赤に光り輝かせる。ヨシュアの魔眼に反応するかの如く、ドルンの瞳が赤く染まる。それは異能の術者に人格を弄ばれた者の証。
「洗脳って? それより、ヨシュア。君の瞳も真っ赤に」
「元のドルン兄さんに戻せるの?」
疑問が状況の変化に追いつかずに困惑するジョゼットに替わって、キールが要点だけを的確に問いかける。
「多分ね、一度ぶちのめして、戦闘不能にする必要性があるけど」
ヨシュアの外観にそぐわぬ力量を承知しているジョゼットにも、それは無理ゲーに思えた。彼の兄はヨシュアとは真逆の見た目通りのパワーファイターで、その上に一撃必殺の大型導力砲まで備えている。遊撃士のパーティーで攻略するならともかく、タイマンで勝てる筈がない。
「別に何の問題もないわよ。ただ、ちょっと本気を出せば良いだけ」
そう宣戦布告すると、双剣を構え正面からドルンに立ち向かう。
「ヨシュア」
「黙って見てろよ、空賊のクソガキ。いや、ジョゼットだっけ?」
ヨシュアを引き止めようとしたジョゼットの肩を誰かが掴む。左肩に走った激痛に耐えかねて振り返ると、気絶したアネラスを右脇に抱き抱えたエステルが、凄い握力で彼の肩口を締め上げている。
「脳筋ブレイサー? まだ、そんな力が余っているなら、ヨシュアに加勢しろよ。君は自分の義妹が心配じゃ」
「エステル・ブライトだ。俺に何か含む所でもないなら、いい加減名前ぐらい覚えろ」
ジョゼットをそのまま片手のみで押し潰して、地べたに平伏せさせる。以前のライルの報告通り、確かにこの馬鹿力はドルンと甲乙つけ難い。
「お前の兄貴がどれほどの怪力か知らねえが、パワーであいつをねじ伏せられるものなら、この俺がとっくにやっている」
先程からヨシュアの琥珀色の瞳が深紅に輝いている。珍しく怪物がやる気に漲っている今、エステル如きが手を貸す必要はない。
「多分、瞬きする間に全てが終わる。その後、どうやって洗脳とやらを解くかは知らねえがな」
正面から高速で切り込んでくるヨシュアに、ドルンはフルチャージした大型導力砲を炸裂させる。一瞬直撃したかと錯覚したが、それは残像。本体は得意の超スピードで、あっという間に懐深くに潜り込んだ。
「次弾を撃つには再チャージが必要で、導力銃と違って連射は効かないでしょ? なのに、盾となって守ってくれる仲間を自ら潰したあなたの負けよ」
「うがああああ!」
獣のような雄叫びをあげながら、導力砲そのものを鈍器にし、ヨシュアの脳天をかち割ろうと、大きく振りかぶって真下に叩きつける。
だが、ヨシュアは素早い身のこなしでドルンの一撃を避けると、導力砲を踏み台に上空に大きくジャンプし、クルクルとヨーヨーのように回転する。
「断骨剣……って、殺したらいけないのよね」
落下途中で双剣を反対に持ち替えると、刃でなくダガーの柄の部分の方をドルンの首筋に叩きつける。鍛えようがない人体の急所の一つである天柱に、落下の遠心力をモロに喰らったドルンの巨体は、そのまま前のめりにぶっ倒れる。
エステルの予言通り、美女と野獣の共演は瞬く間に閉幕した。
「さてと、ここからが本番ね」
ヨシュアは気絶したドルンの額に掌を翳すと、彼の認識に浸食する。
(やっぱり、使い捨ての簡単な暗示が刻まれているだけみたいね。これなら私の力でも解除できる)
なぜ、自分にそんな能力が備わっているのか? どうしてその使い途を把握しているのか、ヨシュア本人にもその答えは分からない。
魚が海を泳ぎ、鳥が大空を羽ばたくように。ヨシュアも魔眼の能力を自然と使いこなし、ドルンにかけられた暗示をキャンセルした。
「終わったわよ」
ヨシュアが背を向けると同時に、ドルンはゾンビのような緩慢な動作でフラフラと立ち上がる。一瞬、エステルは背中の物干し竿に手を伸ばそうとしたが、ドルンはヨシュアを無視し、倒れている四人の手下を抱き締めてオイオイと号泣した。
「うおおおお、お前ら、済まない。俺は、俺はー」
僅かながらに洗脳されていた時の記憶が残っており、己の仕出かした所業にショックを受けているらしい。確かに彼の生来の性分は、ごつい見た身とは裏腹の気の良いお人好しみたいだ。
「ドルン兄」
胡座をかいて涙ぐむジョゼットの姿を一瞥した後、キールは懐の発煙筒に手を伸ばしかけて止めた。
「降伏しましょう、ジョゼット」
キールは一言、弟にそう囁き、ジョゼットは一瞬戸惑いの表情を浮かべたものの、すぐにコクリと頷いた。
元から何かが奇怪しかった。突然、人が変わったように凶暴になった兄が、定期船のハイジャックを強行させ、身代金承諾の情報を入手した途端、人質の皆殺しを命令した。
侵入者の警報が鳴り響いたので、兄妹間の紛争は一時お流れになったが、今のドルンに精神異常を感じたキールは密かに導力砲のレバーを非殺傷モードに切り換えておき、その行為が結果的にアネラスや手下の生命を救った。
「ねえ、ヨシュア。君はロレントで取り返しのつく間違いと、そうでない過ちがあるって諭したよね? こんな酷い有り様なってしまったけど、まだ僕たちはやり直すことが出来るのかな?」
縋るようなジョゼットの質問に、ヨシュアが何かを答えようとした瞬間、無粋な闖入者が少年の懺悔を有耶無耶にする。
「動くな、空族ども。武器を捨てて投降しろ!」
ドタドタと複数の靴音を響かせながら、多数の王国軍兵士が乱入し、三兄弟や瀕死の空賊たちを強引に抑えつけた。
「王国軍だと? 何で、こいつらがここにいるんだ、ヨシュア?」
「私にも分からないわよ。エジルさん、これは一体?」
エステル同様に困惑したヨシュアは、兵士達に混じっていた三人の正遊撃士に問いかけたが、彼らも似たような心理状態だ。
警備飛行艇がピンポイントで乗り入れてきて、空賊の逮捕と乗客の移送などの後始末は全て軍が引き受けると、エジルらの仕事を横取りした。
「ふふっ、本当にざまぁないわね。最初っから、あたし達はあいつらに踊らされていたみたいね」
手錠を嵌められ拘束されたキールが、忌ま忌ましそうに呟く。恐らくはキールの言う『あいつら』とは、カプア一家に情報を提供していた軍のスパイのことなのだろうが。
「ヨシュアだっけ? 兄さんを助けてもらった恩があるのに、あなた達ブレイサーの手柄にしてあげられそうもないから、一つだけ情報をあげる。今、あたし達を逮捕した連中と、軍の内部情報を横流ししていた黒装束とは、どこかで必ず繋がっている」
「証拠は何一つないけど、強いていうなら女の勘よ」との置き土産を残すと、ドルンやジョゼット達と一緒に大勢の兵士に連行された。
◇
こうして長い間続いた、『定期船失踪事件』のクエストは予期せぬ形で幕引きする。
後日、リベール通信にリンデ号事件の解決記事を扱った特別号が発刊されたが、空賊を逮捕し人質を救出した功績は、王国軍に新設されたリシャール大佐率いる情報部ということに改竄されており、エステル達遊撃士の活躍が掲載されることはなかった。