「ふうー、やれやれ。今日は本当に酷い目に遭ったぜ」
男子寮宿直のエフォード先生から、エステルはお昼休みの痴漢行為をコッテリと絞られる。午後の授業を丸々潰して、生徒指導室で二時間正座させられた挙げ句、きっちりと反省文を書かされた所で、ようやくこの苦行から解放される。
「ったく、ヨシュアの奴、教師にチクリやがって」
コンクリートに脳天から叩き落とされるぐらいは、何時もの兄妹間の軽いスキンシップ(?)だが、例の反省会は堪えた。
あの後、ヨシュアは職員室に駆け込んで、得意の嘘泣きで男性教員のエフォードを誑かし、熱血体育教師を刺客として送り込んできた。
結果、『僕は美しい義姉に欲情してしまったスケベで馬鹿などうしよもない義弟です』という屈辱の一文を原稿用紙十枚、二百回分も書き取りさせられるという精神的苦痛を伴う単純作業を強いられた。これが噂に聞く体罰に名を借りた教師による苛めなのか?
「それは仕方ないですよ、エステル君。アレはどう考えたって君が悪いですから」
「いやー。本当に良い物を拝ませてもらいました。ナンマンダブ、ナンマンダブ」
ここは男子寮のクローゼとハンスの相部屋。学園祭までの間、同居するエステルも含めて、三人は胡座を掻いて向かい合っている。
ハンスは掌同士を擦らせ、美少女のパンチラという望外の幸福を授けてくれた新友を御神体ように拝んでいる。同じ恩恵を賜ったクローゼだが、フェミニストとして二人に苦言を呈してみる。
「ハンス、下着を覗いたのを何時までも有り難がるのは、相手の女性に失礼……」
「俺よりもずっと真剣に、ヨシュアちゃんのパンツを食い入るように眺めておいて、なに今更、いい子ちゃん振ってんだよ、クローゼ」
「うぐっ」
呆れたようにハンスはそう指摘し、クローゼは赤面しながらゴホゴホと咳を零し、弱みを見せた草食動物に肉食獣が躊躇なく襲いかかる。
「随分と仲良いんだな、お前ら」
ハンスは左手でヘッドロックをかましながらうりうりと右肘で攻撃し、クローゼは彼の脇腹を擽って必死に抵抗。仲睦まじく攻防を続ける野郎どもの姿をエステルは感心したように見つめる。
二人は入学以来のルームメイトでフェンシング部の仲間でもある。腐れ縁のジルも含めて三人で一緒に行動していることが多かった。
ただ、既にルビコン川を渡り切ったハンスやエステルに対し優等生のプライドが邪魔するのか、未だに自分が助平である現実を認めるのを躊躇しているのがクローゼの若さ。ハンスやジルから格好のネタとして弄られている。
「男は皆、昔からスケベと相場が決まっているんだから、今更恥ずかしがるなよ、クローゼ。とはいえお前ら、たかだか布切一枚で騒ぎすぎだぜ。普通、スカート捲りなんて、親しい女子への挨拶替わりにするもんじゃねえのかよ?」
エステルの爆弾発言に二人は再び度肝を抜かれるが、その宣言は比喩でも誇張でもなく信じられないことに事実。そもそも下着が見られて困る代物なら、スカートのような捲れ易い腰巻きでガードすること自体ナンセンス。「女子は潜在的に男にパンツを見せたい生き物なのだ」というとんでもない曲解を抱いていた。
故に物心ついた頃から、二人の幼馴染みのティオとエリッサのスカートを時と場所を選ばず捲り続けてきた。ティオがスパッツを履き始めた頃から張り合いをなくして、スカート捲りを卒業した経緯がある。
尚、二人の少女がどれだけ被害にあっても決してズボン系に逃避せず、必ずエステルの前ではスカートを着用してきたのは乙女心の摩訶不思議さが成せる業。
「けど、それって……、いや、何でもありません」
「恐るべし、ロレントの田舎町。王都やルーアンでそんな大それた真似をしたら、憲兵さんに逮捕されてしまうぞ。畜生、俺もそんな天国に生まれたかったなあ」
クローゼは一瞬何か言い掛けたが、敢えて無言を貫き辛うじて節度を守ったが、ハンスの方は心底悔しそうな表情で、都会に比べての田舎の性の開けっ広さを渇望する。
しかし、世の中には「美人の論理」、または「ただし、イケメンに限る」という男女共通の奇妙な不文律が罷り通っている。幼馴染みの少女たちが痴漢行為を許容していたのは田舎の気風云々以前に相手がエステルだからで、仮にハンスがロレントに転生して助平道を歩んだとしても王国軍にお縄になる運命は覆らないが、クローゼなら彼とは異なる未来を見つけていた可能性が高く真に理不尽だ。
とはいえ、熱血硬派のエステルからすれば個性溢れる幼馴染みや腹黒な義妹よりも、互いに切磋琢磨し高めあう兄弟分が欲しかったのが正直な本音。
「だから、俺に言わせれば、お前たちの方がよっぽど羨ましいっての。団塊の世代とやらで同窓が少なくて、同い年の男子と連めた記憶があまりなかったしな。あれ、もしかしたらヨシュアなんかより俺の方がよっぽど可哀相だったりするのか?」
義妹の同性ぼっちをちょくちょく酒の肴におちょくってきたエステルは、己の供述を再検討し自身の孤独な境遇に疑念を抱いたが、自らを憐憫し始めた刹那ハンスとクローゼが氷のような冷たい瞳で睨んだ。
「だってさ、どう思う、クローゼ?」
「なんというか、エステル君に羨ましがられるのだけは、納得いかないですね」
「そうだよ、黒髪ボーイッシュ娘に大人し目の茶髪ロングとか、色とりどりの幼馴染みが二人もいて何が不幸っていうんだ? ギャルゲのテンプレ主人公みたいな爛れた生活しやがって、彼女いない歴十六年の喪男を舐めてんじゃねえぞ、テメエ」
「そうですよ、エステル君。ヨシュアさんと一緒に生活してきて、不満を零すなんて、万死に値します」
ハンスとクローゼで微妙に憤りポイントは食い違っているが、エステルが身の程知らずの贅沢を自覚していないという点で意見を一致。二人の剣幕にエステルは一瞬だけたじろいだものの、直ぐに「判っていないなー」という上から目線でわざとらしく両肩を竦め、まずはクローゼの見解を諫める。
「かーっ、お前ら本当にド素人だな。そりゃ、ロレントでもヨシュアは凄えモテていたぜ。あの通りの外観に普段は何枚も猫を被っていて、しおらしさを演出しているからな」
基本的に義妹を性的対象と認識しないエステルだが、別に美醜感覚を常人と違えている訳でなく、美しさ自体を認めるのは吝かではない。ただ、ヨシュアについて語る場合、どうしても避けては通れないのが、エステルを凌駕する物理的な戦闘能力の高さ。
「俺はヨシュアがブライト家の養女になってからの五年間、軽く千を越える回数、あいつと早朝稽古で仕合ってきたが、自慢じゃないがヨシュアに勝てたことは一回しかない」
「そりゃ確かに何の自慢にもならないよな。けど、ヨシュアちゃん、そんなに強いんだ?」
ハンスも見掛けによらず、フェンシングの大会でクローゼと決勝を争った程の実力者なので、エステルの身体全体から発散される化物じみた闘気を肌で感じている。それ故にあの華奢な少女がエステルを凌駕する武芸者とは正直信じ難い。
(けど、エステルって、どこかで見たような気がするんだよな。棍術使いでスケベで……思い出した)
「なあ、お前、エステル・ブライトだろ?」
「今更、何寝言ほざいてんだよ、ハンス? 今朝方、教室で自己紹介しただろ?」
正気を疑う二人の目線に、ハンスは必死に記憶の古井戸の底からエステルという名が刻まれた鉱石を掘り起こす。
「いや、そうじゃなくて、確か五年ほど前に王都の武術大会で優勝した」
そのハンスの言葉にクローゼは仰天したが、彼が云う武術大会とは、『大人の部』と並行して行われる年齢制限十二歳以下の子供が参加する『幼年の部』を指す。
王都育ちのハンスはジェニス王立学園に入学するまでの間、格闘マニアの祖父に連れられて毎年のように武術大会を見物し、エステルが優勝した大会にも居合わせていた。
幼年の部はここ十年程の間、王都に道場を構える『八葉一刀流』の門下生がタイトルを独占していたが、その連覇の歴史に終止符を打ったのがエステルである。ハンス自身も八葉一刀流で剣術の稽古をしていた時期もあり、より強く印象に残っていた。
「そうだったのですか。少し早とちりしてしまいましたが、どちらにしても凄い偉業ですね」
クローゼはフェンシングの国内チャンプで、大陸別学生選手権でも上位に入賞したことがある実力者だが、得物フリーの武術大会に比べれば、先述の柔道と等しく同じ生簀の中でポイントを競い合うスポーツ競技であるのを弁えていた。
「いや、無差別格闘(バリートゥード)と謳っても、所詮は子供のお遊びだしな」
尊敬の眼差しで見つめるクローゼに対して、エステルはバツが悪そうに頭を掻く。
二十万ミラという莫大な賞金を賭けて、大陸全土から百を数える腕自慢が集結する大人の部に比べれば、無報酬で十名前後の王都の武門の子供だけが参加する幼年の部はエキシビションの意味合いが強い。何よりも有頂天になっていた直後にヨシュアに天狗の鼻をへし折られたトラウマがあるので、幼少期の快挙はエステルからすれば忘れたい黒歴史に分類される。
「そう、謙遜するなよ、エステル。五年前のお前の雄姿は今でもありありと俺の目に焼きついているぜ」
当時からマセガキだったエステルは、表彰式でトロフィー授与役の女性のスカートをピースサインで捲るという暴挙を敢行。黒の見せパンを周知に晒された王室親衛隊の若い女性は顔を真っ赤にして、細剣(レイピア)で大人気なくエステルを叩きのめした後、我に反ってひたすら平謝りしたという逸話があり、王都では今でも語り種になっている。
もしかすると、ハンスがエステルの存在を記憶に留めていたのは、武術の腕よりもこちらの痴漢行為の方がより印象的だったのかもしれないが、ハンスは急に表情引き締めると彼の肉親についても言及する。
「お前が幼年の部チャンプと知った後だと、ますますヨシュアちゃんがそんな強者だなんて眉唾ものだけど、嘘を吐く理由もないし事実なんだろうな。けど、千回以上負けたといっても一回は勝てたんだよな?」
そこまで力量がかけ離れているなら、紛れの入り込む余地は皆無に等しい。むしろ一度限りとはいえ勝ちを拾えたことに不自然さを覚える。
「いや、俺には全く身に覚えがないだけど、ヨシュアの奴がな」
記憶にない勝利に縋るなど虚しいだけなので、ノーカンにしたい所だが、「この敗北は私の人生の誇りだから」と真顔で譲らなかったので、仕方なく受け入れることにした。普通、格下に足元を掬われた醜態など消し去りたい黒歴史だろうに。負けを有り難がるヨシュアの思考が負けず嫌いのエステルには理解できない。
元々、強さに執着心を持たないヨシュアがなにゆえ勝敗に拘らせるのか興味を惹かれ、何度も思い出そうとトライしてみたが、その都度、頭の中に黒いモヤが発生して記憶を阻害する。この脳内に巣くう黒い霧が晴れた時、エステルは「たった一度の勝利」の内容を思い出せるのだろうか。
「話が大分、逸れちまったな。そろそろ本筋に戻るとするか」
エステルは首をグルグル廻して気持ちを入れ換える。過去記憶の復帰作業を一時的に断念し、長々と続いた脱線劇に歯止めをかける。
「まあ、何を主張したいのかと言うと、この間のレイヴンとの立ち回りを見た感じじゃ、俺とクローゼの腕前にはそこまで大きな隔たりはないけど、ヨシュアは確実に俺達より数段上の世界に棲息しているぞ」
いざという時、力ずくの抑えが効かないなど、男にとってこれほど惨めなことはない。いくら可愛くても自分より物理的に強い女性にぞっこん惚れたりしない方が身の為と教訓を垂れる。
ロレントでは頭は足りないが豪腕の兄貴と清楚で華奢な妹の愚兄賢妹で通ってきたが、その唯一の拠り所の腕っぷしの強さまで実は後塵を拝まされているエステルの口惜しさはいか程のものか。
「けど、それでも僕はヨシュアさんに憧れてしまいますね。彼女の尻に敷かれるのなら、正直本望です」
ヨシュアの別次元の戦闘力と意外ときつい上に黒い性格を承知して尚、クローゼは自分の道を曲げるつもりはないが、この科白はある意味告白そのものではないか。
相変わらず臆面もなく恥ずかしい台詞を平気で吐き、それがまた絵になるのがクローゼのエステルにはない魅力。
「はあー、そりゃまあ、好きにすればいいんだろうけどさ。態々ヨシュアみたいな火薬庫に手を突っ込まなくても、クローゼならいくらでも相手がいるだろ? 俺に女心が判るとは言わないが、お前みたいなタイプが学園で女子から全くお呼びが掛からないとは思えねえ」
どこまでも己が想いにひたむきなクローゼに、自分のお株を奪われたようでなんか面白くないので、今度は別の角度から攻めてみる。クローゼは先のエステルに倣って両肩を竦めると軽く首を横に振る。
「それは買い被り過ぎですよ、エステル君。ジェニス王立学園に入学して以来、女子生徒から告白されたことなんてありませんから」
「一度もか?」
「ええっ、精々が『このお弁当を食べて下さい』と手作りの弁当箱を渡されるぐらいで、愛の告白には程遠いですよ」
軽く溜息を吐き出すクローゼに、ハンスは思わず殴り掛かりたくなる衝動を辛うじて抑制し救いを求める様な目でエステルに同意を求める。
「聞いたかよ、エステル。こいつ、嫌味や謙遜じゃなく本気で言っているんだぜ。鈍いとかそういう次元じゃなくて、これはもう病気……」
「何だ、それじゃ、しょうがねえな」
「はいっ?」
「お前の気持ちは心底判る」という憐憫の眼差しで、エステルはクローゼにシンパシーを示し、ハンスは素っ頓狂な声を上げる。可笑しいのはこいつらじゃなく自分の方だというのか?
「俺も、もしかしてティオやエリッサが俺に気があるんじゃないかって、自惚れていた時期があったけど、お手製の御飯を毎日のように食べさせてくれるだけだもんな。スカート捲りより一つ先の大人の世界に進めなくて残念だぜ」
無念そうにエステルは、やらしい手つきで架空の二つの膨らみを両掌でにぎにぎする。もし、幼馴染みの少女達の想いにエステルが気づいていたら、我道を往くエステルのこと。盛りのついた猫のようにどんどん行為をエスカレートさせていき、一線を超えるのもそう遠い日ではない。
キャベツ畑やコウノトリを盲信する程には幼くないとはいえ避妊や生理の概念をまるで知らないので、十代半ばで幼馴染みのお腹がぽっこり膨らんだなどという未来図も余裕で有り得た。告白を躊躇った少女らの怯懦はエステルの関係者全てに調和を齎していたが、当人は己の無限の可能性にまるで気がついておらず。その方向に関してだけは、クローゼもまた同類。
「そうそう、現実なんてそんなもので甘くはないのですよ、エステル君」
「はっはっは、そうだよな、そうだよな。これで判っただろう、ハンス。結局、幼馴染みは只の幼馴染みであって、彼女でも恋人でもないんだからよ」
二人は共に肩を組んで互いを慰め合い、エステルは先のハンスの幼馴染みへの羨望が、単なる絵空事であることを訴える。
「畜生、何て酷え奴らなんだ。エイドスよ、こいつらを七十七の悪魔が住まうという煉獄に落として下さい」
意気投合しながら犯罪レベルの鈍感さで、少女達のなけなしの勇気のモーションを踏みにじった二人のモテメンにハンスは血涙を流して呪詛する。
◇
その後も漢達の熱い夜は続いていき、一夜を明かして男同士の秘話について色々と語り尽くした三人は翌朝寝坊してしまい、全寮制の王立学園は久方ぶりの遅刻者を輩出する。
問題児のレクター・アランドール前生徒会長以来の遅刻者リストに、優等生のクローゼや皆勤賞継続中のハンスが名を連ねたのに皆は驚く。諸悪の根源と見做されたエステルがクラスに与える悪影響について懸念されたが、現生徒会長のジルは「彼こそ閉塞した学園に新風を巻き起こす救世主たる逸材だ」と妙に中二病じみた台詞でエステルを擁護。彼女の隣でジト目で溜息を吐き出したヨシュアの様子を全く意に介さず、さらなる珍動の期待をエステルに寄せ始めていた。
尚、三人の男子生徒は遅刻のペナルティに、一時間ほど廊下でバケツを持って立たされる実にレトロな体罰を味わった。
エステルの学園伝説はまだまだ続く。