「ふーん、これは封印機構のバグという訳でも無さそうね。紺碧の塔のデバイスタワーを担当した当時のプログラマーが遊び心でシステムに密かに埋め込んだ隠しコマンドが、アウスレーゼの末裔のDNAに反応して、二人を異空間に引きずり込んだと見るべきか」
「まだ封印区画の『門』すら開いていない今の段階で、異空間を長時間維持するのは不可能ね。早く出口に辿り着かないと、永遠にあっちの世界に閉じ込められるなんてことに」
「もし、そんな事態に陥ったら、計画の第一段階に支障をきたすわね。まあ、あの娘がついているのだから何とか切り抜けるとは思うけど、念の為に封じていた二つ目の能力を解放しておきますか」
「毎年、始祖であるセレスト・D・アウスレーゼの生誕日の僅かな間、結界の隙間を緩めておくなんて、粋なことを考える人間もいたものね。一年に一度の逢瀬。ふふっ、まるで七夕の織姫と彦星みたいでロマンチックよね。まさか、本当にアウスレーゼの血族が訪ねてくるのを想定していたとも思えないけど、やっぱり発起人はあの王子様みたく始祖様に惚れていたのかしら?」
「けど、今現在の最重要事項は紺碧の塔の早漏反応ではなく、目の前の満漢全席よね。二人がわたくしの目の前に戻ってくる前に、全部食べちゃおーっと」
◇
「ヨシュアさん。ここは一体どこなのでしょうか? 僕たちは二人して同じ夢を見ているわけではないですよね?」
「何でもかんでも私に聞かないでちょうだい、クローゼ。私にだって判らないことはあるのよ」
自らの常識を覆されたクローゼは、己以上の見識者に縋るが、ヨシュアにしても彼を安堵させられる模範解答を持ち合わせない。
本当にこの場所は何なのか?
元いた世界から何らかの要因で切り離された二人は、星が遍く銀河のような不可思議な空間に囲まれて、ぽつんと架けられた立体交差の橋のような足場に打ち捨てられていた。
「状況を整理しましょう。私たちは紺碧の塔の屋上で記念撮影をしていたら、光りの渦に飲み込まれた。気がついたら教授と離れ離れで、この妙な空間に引きずり込まれた」
あの古代遺産(アーティファクト)は物質転移装置か何かで、二人をこの場所にテレポートさせたと当たりをつける。
この装置を作り上げた古代人の目的を、今考えるはナンセンス。それを解明するのはアルバ教授のような考古学者の仕事であり、今の二人の最優先事項はどうやって自分らの世界に帰還するか。
「まあ、ここで、あーだ、こーだ、だべっていても始まらないわね。とりあえず一本道みたいだし、先へ進みましょう」
他にこれといった代案も浮かばず。極めて消去法的に、メビウスリングのように曲がりくねった階段を踏み外し、奈落の底に転落しないよう気を配りながら、一本道の通路をひたすら直進する。
◇
「物質転移装置で跳躍(ワープ)したという説は、一応、正解みたいね」
行き当たりばったりに前進した結果、あっさりと断崖絶壁の行き止まりで立ち往生し、例のアーティファクトと似た輝きを放つ円形の床に足を踏み入れると、二人は先とは全く別の階層へと飛ばされた。
「本当にどんな原理になっているのでしょう? 生身の人間を自在に空間転移させるオーバーテクノロジーなんて、ツァイス工房の数世代先を行き過ぎていますよ」
手摺りのない渡り廊下から、うっかり足を踏み外さないよう注意しながら、恐る恐る直下を覗き込む。さっきまで自分らがいた縦長の階層が支柱も無しに空間に浮遊しており、一瞬で二十アージュ以上の距離をワープした。
これが大崩壊で滅びた古代ゼムリア文明のロストテクノロジーならば、七の至宝も本当に実在するやもしれぬ。
「橋の色使いや雰囲気に、どことなく紺碧の塔の名残を感じるわ。この異空間も塔に何らかの縁があるのでしょうね」
とはいえ、差し当たり今の二人に必要なのは考察でなく、猪突猛進のみ。足元にある円形の空間転移装置は既に輝きを失っていて、もう一度足を踏み入れても、スタートフロアに後戻りすることは叶わない。このダンジョンは完全な一方通行仕様。
さらに少し先に進むと、今度は小型のピラミッドみたいな三角錐の石碑が設置されていた。中央のパネル部分に象形文字が刻まれている。
未だに全容が解明されていない古代ゼムリア文字と思われるが、博識で鳴らすヨシュアにも内容はさっぱりで、アルバ教授のようなその道の専門家でも解読には骨が折れるだろう。
「教授は私達と一緒にこの場所に来られなかったのを、地団駄踏んで口惜しがったでしょうね。まあ、この重そうな石碑(データクリスタル)を持ち帰るのは無理だから、文面だけでもお土産にしてあげましょう」
その言葉に、クローゼは懐から学生手帳を取り出し文字を手書きで丸写ししようとしたが、ヨシュアに既に脳内記録したと宣言されたので、ペンをブレザーのポケットに押し込んだ。
この瞬間記憶能力があれば台本の丸暗記など造作もない作業だろうと納得したが、その感嘆はヨシュアの背後に浮かび上がったより強いサプライズに押し潰れる。
「ヨ、ヨシュアさん、あれ!」
クローゼに指摘されるまでもなく、気配もなく忍び寄った敵影の存在を目敏くキャッチし、後ろを振り返ったヨシュアの琥珀色の瞳に軽い戸惑いが走る。
魔獣ではない。その空中を浮遊する紺碧色の巨大な物体は、まるで二人を威嚇するかのように異様な電動音を発している。
「今日一日で、生涯分の『一体』という言葉を使い果たしそうですが。本当にあのマシンは、一体何なのでしょうね?」
ツァイス工房でも未だ試作段階の域を出ない自立思考型の自動人形(オートマペット)のように見受けたが、例によってこの時代の科学水準を悠々ぶっ千切っており、さしずめ人形兵器(オーバーマペット)と仮称した所か。
「大丈夫ですよね? 『陽炎』クオーツをセットしているから、魔獣にこちらを認識できる筈が」
「シンニュウシャヲカクニン。コレヨリハイジョコウドウニウツリマス」
そんなクローゼの淡い希望を打ち砕く過酷な現実が、無機質な機械音声として人形兵器(ブロークンピースB)のスピーカーから流れてきた。
両腕に円形の鋸を展開し、キィィーンという耳障りな金切り音を奏でて、丸鋸を高速回転させて襲いかかる。至近にいたヨシュアは空中で一回転し紙一重で何とか避けたが、再びスカートを斜めに大きく切り裂かれる。このオーバーマペットには、人間を保護するロボット三原則はプログラムされていないようだ。
「無機質な見た目そのままに、話が通じる相手じゃ無いみたいね。性別があるかすら不明だけど、私の魅了も効きそうにないし」
「確かに……って、それよりも、どうやって陽炎の隠密効果を見破ったのでしょうか?」
「相手が魔獣でなく、機械仕掛けのお人形さんだからでしょうね」
幻属性クオーツの認識干渉能力は対生物に限定される。所謂、精神を持たずに、光学映像と赤外線探知で対象を識別するオーバーマペットには意味を成さない。
「なら、戦るか殺られるかの二択ということですね?」
必然的に戦闘せざるを得ず、ヨシュアを傷つけようとした相手への憤りも手伝い、クローゼは印を組みアーツの詠唱態勢に入る。
「やあっ、アクアブリード!」
最も詠唱速度が短い水属性の単体基本アーツを唱える。クリムゾンアイのブーストでヘルムキャンサーを貫通した高水圧の水龍が人形兵器に直撃するも、あっさりと外殻に弾かれる。
「なっ! 精神系クオーツの特殊効能だけでなく、攻撃アーツまで無効化するのか?」
「いいえ。さっき、この場所は紺碧の塔に由来があると推測したでしょう? 多分、この人形兵器は塔のガーディアンなのよ」
紺碧の塔は世界に存在する七属性の『水』を司る聖域と崇められている。ヨシュアの仮説が正しいとすれば、水属性の遣い手のクローゼとの相性は最悪。
物理反射能力を持つ魔獣と戦った時とは真逆に今度はクローゼが敵へのダメージソースを喪失したので、ヨシュアが双剣を展開させUターンしてきたブロークンピースBを斬りつたが、表層を傷つけるどころか反って短剣の方に刃毀れを生じさせる。ヨシュアの細腕にも痺れが走り、端正な顔を強く顰める。
「くっ、予想した通り、装甲の固さも普通じゃないわね。鋼鉄以上の硬度を誇るレアメタルといった所かしら」
容赦なく相手の弱点を抉ることで軽量の得物の不備を補ってきたヨシュアにとって、生物と異なり一切の身体的急所を持たないオーバーマペットは天敵かもしれない。
苦痛で一瞬動きが止まったヨシュアに、回転鋸が唸りを上げて襲いかかる。リプレイのように再び上半身を斜めに大きく切り裂かれて、クローゼは息を飲むもヨシュアお得意の残像。
本体はクローゼの目の前に顕現し、彼を安堵させる。今度は避けきれなかった上半身のブレザーが見る影もなくズタボロにされ、フロントのホック部分を破壊されたDカップブラがファサリと地面に零れ落ちる。
一応無傷の状態を維持しているとはいえ、高速機動力を売り物にするヨシュアがこうまで敵の攻撃を掠らせるあたり、少女の体調はまだまだ本調子には程遠い。
「ねえ、クローゼ。昔の偉い人やカプア一家の勘の良い女人が、勝ち目のない敵と遭遇した場合の対処法として、実に良いことを教訓としていたのよ。それは何だと思う?」
人形兵器の側に落ちたブラジャーの回収を諦めたヨシュアは、両腕で自分を抱き締めるような魅惑のポーズで乳房を隠しながら、クローゼに問いかける。
「カプア一家って、リベール通信に掲載されていた、ボース地方を騒がせていた空賊のことですよね?」
初なクローゼは、なるべくヨシュアの方角を見ないようにしながら、思考を押し進める。泥棒が特攻や玉砕を至上とするとも思えないし、この場合はやっぱり逃走かとあっさりと真理に到達。
「正解よ、三十六計逃げるにしかずってね。このまま突っ切るわよ、クローゼ」
不撤退を信条とするエステルは、この手の戦略的撤収をなかなか受け入れてくれないが、クローゼにその種の拘りは皆無。
唯一解ともいうべき最善策に何ら異存はない。二人は一端別れて石碑に左右から回り込むと、どちらに対応しようか迷ったブロークンピースBの隙を逃さずにそのまま駆け抜ける。
人形兵器は二人が石碑の設置された階層から螺旋階段に逃げ込んだのを確認すると、それ以上は追い掛けずに、真下に落ちていたブラを拾い上げるとアイカメラに映し解析作業に入る。やがて目の位置のランプを攻撃色の赤から安全色の緑色に切り換え、再び哨戒モードに移行。ブラを回転鋸の先っちょに引っ掛けたまま、巡回作業に復帰した。
◇
(僕はどうすればいいのだろうか?)
一難去ってまた一難。オーバーマペットの追撃からは逃れたものの、新たな試練がクローゼを襲う。
ヨシュアのふしだらな格好は、先の戦闘で一層拍車がかかる。もはや原型がジェニスブレザーとは想像すら叶わず、真っ白な素肌の所々に残滓の布切れが巻かれている惨状。
自ら率先して前方を歩くことで、ヨシュアのあられもない姿を目に留めないよう務めてはいるものの、本当は振り向きたくて仕方がない。
それでも、黄泉の世界から死者を連れ戻す際の、「決して後ろを振り返ってはならない」という約束を尊守する神話のイザナギの如く自らを戒めていたが、そんな彼の忍耐心を挑発するかのように後ろから衣擦れを起こす音が聞こえてきた。
(後ろで何が起こっている? もしかして、ヨシュアさんが制服の欠片を脱ぎ捨てているのか?)
聞き耳を立てたクローゼは、しゅるぅ、ふぁさぁー、すとーんと、衣が擦れ合い地面に落ちる蠱惑的な擬音に心臓をドキマキさせる。
もはや制服の体を成さない単なる残骸を身体に這わせていても、戦闘の邪魔になるだけなので、合理主義を尊ぶヨシュアなら、羞恥よりも実用を重視しバンツ一丁になる英断をしても不思議はない。
(だとしたら、本当に僕はどうすれば良いんだー?)
頭を抱えてその場にしゃがみ込む。フェミニストを気取るのなら半裸のヨシュアの背後からそっと自分のブレザーを被せてあげるダンディな振る舞いも有り得たが、最近覚醒した助平の本能がその男味溢れる選択肢を無意識化で排除した。
「ねえ、クローゼ。こっちを見てもいいのよ?」
そんな彼の心の葛藤を嘲笑うかのように、甘ったるい声でクローゼを誘う。
「また何時、例の人形兵器が現れないとも限らないし、この体制のままゴールに辿り着くのは、どのみち無理があるでしょう?」
心理的負担を和らげる正論が囁かれる。確かにいきなりのご開帳で慌てふためくよりは、今から淫らな姿に免疫をつけておいた方が戦闘中のリスクは軽減する。
(乳房は両腕でガードしているだろうけど、あのサイズの大きさを全部隠しきるのは不可能だから、面積の半分ははみ出てしまう計算に。もしバトルのドサクサに紛れて乳首が丸見えになったとしても、それは不可抗力だよな)
怜悧な思考能力をしょーもない計算にフル稼働させた挙げ句、自己正当化に成功し、己を説き伏せる。「それては失礼します」と幾分の後ろめたさと大いなる期待の相反する感情を同時に抱え込み、身体ごと後方に向き直って少女の全身を視界に納めた。
「あっはっはっ、引っ掛かった、引っ掛かった。むっつりスケベさん」
琥珀色の瞳に軽い涙を浮かべた女狐は、腹を抱えて笑い転げる。化かされて葉っぱのお札を掴まされた間の抜けた被害者の表情をクローゼは曝す。
ヨシュアはクローゼが想像していた半裸姿でなく、東方の民族衣装と思わしき八卦服(チャイナドレス)を身に纏っている。
詰襟で横に深いスリットが入ったボディコンシャスな拳法服。身体への密着度と運動性能の高さは例のブルマに匹敵し、背中の紋章は不正不滅を現している。
「ヨシュアさん、その胴着はどこに隠し持っていたのですか?」
「そこの宝箱の中に入っていたので、着替えたのよ、ほらっ?」
付属の二個の丸布に、愛用のリボンと闘魂ハチマキを上手く併用し、長い黒髪を二つのお団子にセットし直しながら周囲を指差す。
ひたすら前方を見据えていたクローゼは見過ごしていたが、この階層には宝箱が六個も設置されており、全てヨシュアによって開封済み。
「他にも三百個分の『水』のセピスや、非売品の『アセラスの薬』を始め、美味しいアイテムがてんてこもりよ」
ウッシシと笑いを堪えながら、胸一杯に抱え込んだ戦利品の山々を陳列する。
ルーアンでのパーティ面子はエステルが勇者でクローゼが賢者とすれば、ヨシュアは盗賊と言った風情。とても導かれし者たちとは思えぬ凋落ぶりで、エイドスは人選を見誤った可能性がある。ズボン無しのミニワンピースの八卦服を着こなしお団子頭にヘアメイクしたヨシュアの姿は、シーフというよりも東方風の拳法家だが。
「紺碧の塔のお宝は、泥棒(トレジャーハンター)に狩り尽くされたと聞いたけど、まさかこんなレアアイテムが手に入るとは夢にも思わなかったわ」
盗人というのなら、今のヨシュアも十分該当すると思われるが、それはまあ保留しておこう。この八卦服はヨシュアでも装備可能な程軽量で動き易い上に防御性能も高く、いくつかの特殊効果まで封じられている。これまた現代の科学常識を大きく超越しており、「ここまでくるとアーティファクトの一種ね」とヨシュアは大層ご満喫。
ただ、健全なクローゼとしては、至れり尽くせりのチャイナドレスの機能美よりも、様式美の方により魂を奪われる。
全身にぴったりと密着し凹凸の激しい身体のラインを一層浮き彫りとするので、現在ノーブラの胸囲部分にはポッチが浮いており、横長のスリットはヨシュア自慢の脚線美を一段と強調し、その艶やかな衣装は瞬く間にクローゼを誘惑して虜とする。
見栄を張って生乳を視姦するチャンスを逃したのは残念無念も、最近対抗意識が芽生え始めたエステルよりも先にお色直ししたヨシュアのニューコスチュームを享受できたささやかな幸運に満足し、小さな優越感に浸る。
不思議の国の泥棒姫と助平王子の珍道中は、まだまだ続く。