「世辞や気遣いは要らん。そなたの眼から見た真実だけを聞かせてくれ」
さすがに、そこまで言われては才蔵としても応えざるを得ない。
忍び者の彼にとっては、敵との実力比較など、大して有意義な話とは思えないが、それは彼女には通用しない価値観だという事は、これまでの付き合いですでに知っている。
ならば訊かれたことを誤魔化して適当に茶を濁すという選択肢は、才蔵には無い。
困惑した表情を隠さず、才蔵は天を仰ぐと、
「……とりあえず、まあ、これ以上立ち話もなんですし、歩きながら話しましょうか」
そう言いながら歩き出した。
無論これまでのような、早足ではない。
「…………正直、難しゅうございますな」
「…………」
「あの伊織とかいう若造が相手ならば、さすがにせいばー殿が尋常な立ち合いで遅れを取ることはありますまい。なれど、相手が宮本武蔵ということなれば……」
「勝てぬか?」
「勝つ、というだけならば、あるいはたやすい話でございましょうがな」
「……“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”……か」
「貴女様のあの光は、砦を丸ごと吹き飛ばす威力がおありだ。アレをまともに喰らって生きている人間など、この世にはおりますまいよ」
「そういう話を聞きたいわけではないということも、そなたは知っておるはずだろう」
そう言って真顔で才蔵を睨みつけるセイバーに、彼はボリボリと頭を掻く。
「なれどせいばー殿、そもそも貴女様は確か一度、武蔵とは立ち合われているはず。あっしの目から見て如何などと問うまでもなく、貴女様は御自分でその答えをお持ちのはずでございましょう?」
そう言われてしまっては、セイバーに答える言葉はない。
確かに彼女はかつて原城の防衛線で、幕軍の小笠原隊との遭遇戦の折に武蔵と剣を交えている。
この寛永の世に現界を遂げて以来、自分の人間としての肉体の不便さに閉口していたセイバーであったが、それでも正直言えば、篭城戦の戦闘に参加しているうちに、おのれの強さに自信を取り戻しつつあったのも事実だ。
だが、その自信を粉砕したのが、例のミヤモトムサシという名の剣客なのだ。
彼は強かった。
しかも、その強さの底をセイバーは見たとは思えない。
雑魚の有象無象などとは、まったく異質な存在だった。
確かに“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を放てば、勝負はつく。それも一瞬に。
だが、さすがにそれは彼女の“騎士王”としての気位が許さない。
いや、それ以前に、その選択肢を許さない別の事情さえ、今の彼女にはあるのだ。
今のサーヴァントならざる彼女の肉体では、おそらくもう“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”級の魔力放出には耐えられない。
半ば無意識の習慣と化している“風王結界(インビジブルエア)”ごときとは違う。あの宝具が要求する魔力消費は、もはや自身の生命維持にすら影響を及ぼすレベルなのだと、一度使用してセイバーはすでにハッキリと思い知っていた。
おそらくアレを発射できるのは、あと一回。
しかも、撃った瞬間に彼女はおのれがどうなるのか、想像もつかない。
よくて意識喪失、下手をすればショック死する可能性さえあるのだ。
なればこそ、確実にタイミングと相手を選ばねばならない。たとえセイバー本人が勝敗を危ぶむような最強の剣客が相手であろうとも、それでももはや、たかが「人間」相手に浪費していいような切り札ではないのだ。
眼前の才蔵は、その事実を知らない。
ならばこそ彼女は、かつて以上におのれの“剣士”としての実力に依存せざるを得ないのだという事情さえも。
「私は……まだシロウを救っていない……まだ死ぬわけにはいかない……」
無論ここで彼女が言う「シロウ」とは「士郎」ではなく「四郎」――原城より彼女たちとともに脱出した乱の首魁・天草四郎時貞その人である。
しかし、やはりセイバーにとって「シロウ」という名の少年は、特別な対象なのだ。
彼を「救う」ということは、平穏無事に彼の逃避行を完遂させる、という意味ではない。
ただ天草四郎を逃がすというだけの話なら、才蔵ら忍者たちに任せれば済む。才蔵たち真田忍軍ならば、たかが少年一人を無事に匿うくらい何でもないはずだ。
だが、そうではない。
すでに天下のお尋ね者である彼を「救う」ということは、彼を罪に問い、刑に処さんとする法と、その政府――江戸幕府と徳川家を何とかするしかない。
(そんなことができるか……今のこの私に……)
そう思うと、セイバーの表情は曇らざるを得ない。
「セイバー」であった頃の彼女ならばともかく、今の「アルトリア」は、かつての自分に比べてあまりにも非力なのだ。
しかし才蔵は、そんな彼女に敢えて厳しい表情を見せる。
「せいばー殿、あんた少々、考え違いをしちゃいませんかい?」
弾かれたように顔を上げるセイバーの胸倉をつかむと、才蔵は怒りのままに言い放った。
「あんまりふざけちゃいけませんぜお嬢ちゃん、あんた自分ひとりで戦ってるつもりなんですかい!? あっしたちは、あんたにとっちゃそんなに頼りにならない連中なんですかい!?」
「サイゾー……」
いつも愛想笑いを欠かさないこの五十男の怒声は、さすがに衝撃だったのか、しばし彼女も呆然となっていた。
しかし、才蔵はそんな彼女にも容赦しない。
というより、彼は原城の頃から、いい加減苛立ってもいたのだ。
作戦立案に関しても戦闘指揮においても、必要以上に正面攻撃や先陣での一騎駆けにこだわる、彼女の思考の悪癖に。
「あんたそもそも、さっきから一体何をガキみてえな事言ってるんです!! 相手が自分より強けりゃ、そこで戦いは終わりなんですかい? 負けて死ぬのは確定なんですかい? そうじゃねえでしょ!? 戦いってのは、そんな簡単なもんじゃねえでしょ!?」
「…………」
「まともに技を比べあってどっちが上か? そんなことは勝敗にゃ関係ねえんですよ! 戦いってのは、要するにすべからく合戦なんですよ! 合戦である以上、相手の裏をかき、不意を突き、罠を張り、背中や寝込みを襲うのは当然の事でしょうが!!」
「…………」
「重要なのは勝てるかどうかじゃない。勝てるように戦えるかどうかなんだ。一対一で敵わねえなら二対一で当たればいい。剣の腕で敵わねえなら弓なり銃なり使えばいい。そうでしょう!?」
「…………」
「あっしは一介の忍び者だ。騎士道やら武士道やら正直よくわからねえが、それでも、そんな御託はしょせん戦に勝って初めて言えるもんだってこたぁわかりやす!! あっしにもわかるようなことが、なんであんたにゃわからねえんですかい!!」
そこまで怒鳴り散らしてから、才蔵はハッと我に帰ったように手を離して、うつむきながら片膝をつき、それでも堅いままの口調で言った。
「……無礼の段はお詫びいたしやす。しかし、あっしはどうしても一言、せいばー殿に言わずにおれなかったんです」
「わかっている」
「あっし如き忍び者風情が、せいばー殿にまともな口を利こうなんて許されざることだというのは重々承知しておりやす。されどあっしにゃ――」
「わかっていると言っている」
セイバーは才蔵に最後まで言わせず、言葉と同時にその右手を差し出した。
「……かつて私は、衛宮切嗣という男に仕えたことがある」
むろん才蔵にその名について知識があろうはずがない。
だが、顔を上げた彼の網膜に飛び込んできたのは、さっきまでの苦悩の表情を、むりやり抑え込んだように微笑する、彼女の美貌だった。
「切嗣は、まぎれもない外道であったよ。私の前で騎士道を誹謗し、戦場を侮辱し、英雄を否定した」
「…………」
「彼の立案する策は、そのことごとくが私に受け入れ難い悪逆非道なものばかり。我が存在を無視し、我が言葉を無視し、徹底して我が力を道具のごとく扱った」
「…………」
「むろん我らは、その最後の瞬間まで相容れることなく、それどころか怒りのあまり一度は剣を向けたことさえある。立場上は我が主であるにもかかわらずな」
「…………」
「しかし、それでも奴は信念を持っていた。悪を憎んでなお悪を為し、それでも結果として正義を得られるならば、この世のすべての悪を引き受けてみせるという信念をな」
「…………」
「サイゾー、確かにそなたの言葉は正しい。今から思えば……私も少しは切嗣のやり方を理解しようとするべきだったのかも知れないな」
「…………」
いつの間にか、彼女の顔から、その辛そうな笑みは消えていた。
「やはり私は、いい加減独りよがりになりすぎていたのかもしれん。今のそなたの叱責は、深く心に響いたよ。ないものねだりは……やはり戦という現実にはそぐわない。そんなことは百も承知していたはずだったのにな」
「せいばー殿……」
「これからも力を貸してくれ。霧のサイゾー」
あらためて名を呼ばれ、才蔵は子供のような笑顔で彼女の差し出された手を握り返し、そのまま立ち上がった。
むろん握手という習慣は、当時のこの国には無い。
だが、差し出された彼女の手には、これ以上は無いほどに感情がこもっていた。才蔵でなくとも、その手を握り返したであろう。
「あっしでよければ喜んで」
そう言ってセイバーに見せた才蔵の笑顔は、いつもの彼の、感情を窺わせない営業スマイルのごとき笑顔とは違う、爽やかさと喜びに溢れていた。
「ただし、今度から私に隠れてこっそりお目付け役になったりとかは勘弁してくれ。いいな?」
「へえへえ、森殿にもそう言い聞かせておきますよ」
「まあ、あの骸骨老人が私の言葉を素直に聞くとも思えぬがな」
「そこはそれ、物は言い様ってやつですよ……それよりも急ぎやしょう。日が暮れる前に皆と合流してえ」
「そうだな……いい加減お腹も空いたしな」
「つーか、せいばー殿は少し食いすぎなんですよ。その細い体の一体どこに入るんですかい」
「原の城ではほとんど食事らしい食事も取れなかったしな。埋め合わせのためにも無意味な我慢はせぬと決めたのだ」
「無意味な我慢って、まったく……」
数分前とは打って変わって、ぐちぐちと喋りあいながら、一組の男女はあぜ道を再び歩き始め、やがて彼らは、みるみるうちに地平線の果てに消えていった。