「おッ……これちょっとヤバいんじゃね!?」
言わずもがなの言葉を誰かが叫ぶが、それが誰かはセイバーにはもう分からなかった。
揺れる船から海に落とされないように甲板にしがみつくのが精一杯だったからだ。
そして、さらに続く三発目の砲弾。
帆布をつらぬき、大穴を開けて船の後方に着水する。
さすがに後方からの衝撃と波は、さっきの二発ほどの横揺れをもたらさなかったが、問題はそこではない。
「か、かしらぁ、帆に穴がッッ!??」
船員の誰かが喚きたてる。
これで、この船の機動性はさらに低下したはずだ。つまり、大砲の直撃を喰らってしまう確率が、さらに高まったことになる。
が、それでも判ることはある。
この船を翻弄している「前方船団」の艦砲射撃であるが、しかし奇妙なことに先程から砲撃をしてくるのは戦船は、船団中央の一隻のみなのだ。
というより、発砲の間隔から考えても、その一隻にも大砲はどうやら一門しか存在していないのではないか――そう判断せざるを得ない。
まあ、当然と言えば当然であろうか。
いや、そもそもヨーロッパ諸国の海軍ならばいざ知らず、この当時の日本には、大砲を装備した軍艦なるものは存在しないはずなのだ。
大砲という兵器は、日本においてはそれほどまでに希少かつ貴重なものであったということである。
かつて大坂冬の陣で、家康がオランダから入手した三門の大砲を使って数十発の砲弾を大坂城に撃ち込み、その威力に怯えた淀君が、外堀の埋め立てという軍事的にありえない和睦の条件を飲んだという逸話がある。
もしもそのエピソードが実話であったとするならば、徳川家康という男は、大砲という兵器の威力をすでに知っていたということになるが、それでも家康は、この旧来の軍事兵制を一新させるはずの新兵器を生産も輸入もせず、自軍に配備もしなかった。鉄砲の威力を認め、金に糸目をつけずに日本最大の鉄砲隊を自軍に編成した信長とは違い、家康という男の頑ななまでの保守性をそこに読み取ることができる。
艦船同士を接舷させての白兵戦が主たる目的であった「水軍」ではなく、艦砲射撃による広域攻撃を目的とする「海軍」を日本が所有するには、少なくともあと二世紀――幕末まで時を待たねばならない。
まあ、それはいい。
つまりは、この前後あわせて八隻の追撃船団には、大砲は一門しか存在しない――そう考えるならば、こちらとしても動きようはある。
「せいばー殿、こうなったらアンタの“えくすかりばー”で、あの大筒を撃ってくる一隻を沈めておくんなせい!!」
才蔵がそう叫び、四郎一党の他の者たちも(そうかその手があったか)と言わんばかりの視線を彼女に向けた。
が、セイバーはその声に答えない。
無視ではない。
聞こえなかったわけでもない。
ただ彼女は、痛みをこらえるような表情のまま、無言のままうつむいた。
――そう。
彼女が恐れていたのは、まさしくこういう事態だったのだ。
近接戦闘技術では対応できない、飛び道具による敵からの攻撃と、それに対抗すべく要求される“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”の行使。
むろん予期できる事態ではあった。
セイバーと真田忍軍によって構成される天草四郎一党の戦闘力は、宮本武蔵レベルの剣客でなければ渡り合えないほどのものであり、その事実はこれまでの逃亡中に、いやというほど追っ手の幕軍たちが思い知らされているはずだったからだ。
なれば、わざわざ海上におびき出した自分たちを、何の工夫もなく水軍としての通常戦闘である白兵戦で仕留められるとは、さすがに考えないであろう。
ことに、松平伊豆守ほどの男が作戦の指揮を取るならば、それは尚更だ。
ならば海上で張られている罠とは、数に任せた飛び道具による包囲戦であろう――と、ここまではセイバーにも予想することは出来た。
そして、それに対抗できるのは、おのれの“約束された勝利の剣(エクスカリバー)の一刀だけであろうということも。
いや、もちろんセイバーといえど、この期に及んで対城宝具級の魔力砲を、たかが人間ごときの戦船に撃ち込む行為が“卑怯”だ、などと考えていたわけではない。
むしろ、かつてのサーヴァント時代と同じ身体状況であったなら、彼女は何の躊躇もなく新しい仲間と自分自身を守るために、この切り札を使ったであろう。
が、そうではない。
現状の彼女には“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を行使することに関しての重大な懸念がある。
聖杯戦争の頃とは、もはや違うのだ。
今の彼女は英霊でもなければサーヴァントでもない。
魔術師・森宗意軒個人の魔力と召喚儀式によって、この寛永十五年の日本に現界したアルトリア・ペンドラゴンは、サーヴァント時代とは比較にならぬほど劣悪な状態で受肉しており、行使できる魔力も、その反動に対する耐久力も、かつてに比べて著しく制限を受けていたのだ。
その証拠に――以前、原城の篭城戦でこの宝具を使用し、敵将の本陣を破壊した時には、セイバーはその膨大過ぎる魔力放出に肉体が耐えられず、三日三晩こん睡状態に陥った。
そして、そのとき彼女は思い知っていた。
今度この対城宝具を使えば、おそらくは自身の生命に関わるであろうということを。
が、セイバーのこの恐れを真田忍軍たちは知らない。
彼女を召喚した森宗意軒も知らない。
知っているのは、彼女から個人的な相談を受けた天草四郎のみであった。
「おい、せいばー何で黙って――」
「新左、舵を左に!! とりあえず包囲を抜けて下さいッッ!!」
無言をつらぬくセイバーを糾弾するように声を荒げる十蔵の声を、さらに遮るように四郎が叫び、とっさに新左衛門が反応する。
「取舵急げッッ!!」
新左衛門が叫び、操舵手は指示通り左に舵を切り、前方の四隻と後方の四隻の中間を抜けようとするが……しかし帆に穴の開いたこの船では、もはや通常の速度は出せない。
むしろ、風を帆に受けたことによって、穴はさらに広がり、帆布はズタズタになってゆく。
「後方船団」からは砲撃がこない代わりに、やむことなく火矢がこの船を襲い――いや、後方のみならず、いまや「前方船団」からも、火矢の発射が開始され、宗意軒が上空の気流操作で懸命にそれを防いでいる。
が、それでは足りない。
四郎は叫ぶ。
「宗意、“風”の威力を上げなさい! この船全体を包み込むように“風”で壁を作るのです!!」
むろん宗意軒は、いきなりの命令に(おい待てよ)といわんばかりの表情をする。
四郎の言う通りの――火矢だけならともかく、艦砲射撃の直撃や着水の際の衝撃波から、この船全体を防御する“風”――ともなれば、要求される魔力や集中力は気流操作ごときとは違いすぎるからだ。
が、それでも四方八方から引っ切り無しに襲来する火矢の雨を、気流操作で防御しながらでは、何かを言い返すような暇も無い。
いや、そもそもこの危機的現状では、もはや「そんなことは出来ない」などと言える状況では無いことは確かだった。
しかも、便宜上は「亡君の御曹司」として仰ぎ奉っている相手からの言葉となれば、尚更だ。
「長くは持ちませぬぞ!!」
そう叫び返した老人は、口中で何事か呪文のような言葉を囁き、その瞬間、彼の体が黄土色の魔力に包まれ、船員たちや新左衛門は、まさしく奇跡を見るような視線を宗意軒に向ける。
が、奇跡が起こったのは次の刹那であった。
まさしく竜巻のごとき風のカーテンが、船体全体を囲むように巻き起こり、立ち上ったのだ。
「な、なんじゃこれは……ッッ!!?」
船員たちが絶句して、立ちすくむ。
魔術の存在を知らぬ者たちが、魔術の行使を見た際に起こる当然の反応というべきか。
だが、今は当然、そんな状況ではない。
「今のうちです新左、破れた帆を換えて下さい――早くッッ!!」
四郎の具体的な指示に、正気に戻った新左衛門は「御意ッ!!」と応えると、自ら船員たちを指揮して、帆布の交換作業を開始する。
そして四郎は、最後にセイバーに顔を向け、言った。
「セイバー、エクスカリバーを撃つ必要はありません、それよりも波を渡ってあの船を無力化して下さい!!」
「シロウ……」
セイバーが何かを言おうとするが、四郎は皆まで言わせない。
「湖の乙女の加護で水面を走れる貴女ならば、あの船までも一走りのはずです。そして船に乗り込みさえすれば、貴女一人であの船を制圧することはたやすいでしょう。あそこには水夫と砲兵しかいないはずですから」
「いや、しかし……」
「早くッ! 宗意がこの船を守っているうちにッッ!!」
そう叫ぶ四郎の瞳は――しかし、その荒げた声に反して、いつもの理性的な光が放たれていた。
つまり、彼は冷静だということだ。
セイバーに“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を撃たせない――という以上の意味を込めての指示だということなのだろう。
ならば彼女に異存のあろうはずがない。
「…………承知ッ!」
重々しくうなずいたセイバーは、そのまま舷側に向けて走り出し、欄干を飛び越え、海上にその身を躍らせた。
森宗意軒は、そんな彼女の後姿と、毅然たる四郎の顔に交互に視線をやりながら、初めて納得したように、
「なるほど……確かにのう」
とつぶやいた。
「四郎殿、どういうつもりでやんすか」
という質問は才蔵のものだが、彼のみならず真田忍軍全員が、疑うような視線を真一文字に向けてくる。
“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”を撃つな――という四郎の指示は、彼らにとってそれほど不可解なものだったからだ。
だが、四郎は冷静な表情で首を振った。
「わからんのかそんなことが」
代わりに森宗意軒が才蔵を怒鳴りつける。
「大筒を装備しているのが、あの船一隻とは限らぬわ。あれを沈めてセイバーが倒れた瞬間に、もう一隻がこっちを撃ち始めたら、わしらは今度こそ最期であろうがッ!!」
不気味な黄土色の魔力に包まれながら、天を支えるような姿勢で竜巻を制御している宗意軒が何かを喚きたてている絵は、真田忍軍からすれば――お喋りはいいからそっちに集中してくれよ――と言いたくなるものであったが、それでも納得いかない言葉には人は反論せずにはいられない。
「馬鹿な……なぜ敵がそんなまどろっこしい真似を!? 今この場でそいつが撃ってこない理由がどこにあるんです?」
が、老人に投げかけられた質問は、四郎が引き取る。
「セイバーにエクスカリバーを「撃たせる」ことが目的だとしたら? 彼女の放つ光は一発撃ったらその場で意識を失うほどのものです。こちらに反撃の手立てを無駄撃ちさせて、その後こちらをゆっくり料理するための陽動だとは考えられませんか?」
「まあ、わしが伊豆なら、少なくともその程度の策は講じるじゃろうな」
四郎の尻馬に乗る形で宗意軒もそう言い切る。
「…………」
確かにそう言われてみれば、確かに才蔵は反論する言葉を持たない。
なにしろ、セイバーは原城で一度この技を使い、三日三晩意識を失っているという歴然たる事実があり、それは真田忍軍どころか原城にいた島原一揆軍の全員が知っている話なのだから。
となればむしろ、その情報は敵方にも知られていると考えても不思議はないだろう。
味方全軍が等しく知ってるようなセンセーショナルな情報を、敵が知らないなどという冗談は無いからだ。
敵軍の指揮を取るのが「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守ならば、それは尚更だ。
そして知られている可能性がある以上、対策は必ず立てられているものと考えなければならない。
となれば、彼女に確実な昏睡をもたらすその切り札は、この状況においては使用を控えるべきだという結論もやむなし、ということになる。
考えすぎだと言われても仕方がない理屈ではあるが、これまでの経緯を省みても、松平伊豆守という男の計略は、どれだけ警戒しても、しすぎるということはないのだから。
「まあ、それでもとりあえず後詰めは必要でしょうから――鎌之助、お願いします」
四郎はそう言いながら、そこにいた男を振り返り、彼は(ええ~私が!?)と言わんばかりに顔をしかめた。
」」」」」」」」」」」」」
派手な水音ともに、セイバーは海中に身を沈めると、宗意軒の行使する竜巻の圏外とおぼしき辺りまで水中を泳ぎ、そこで初めて波の上に顔を出す。
砲撃を仕掛けてくる例の船の方向を確認すると、残り少ない魔力を使い、その水面に足をかけた。
(三分だ。三分以内に片をつける)
セイバーの目が光る。
いや、目だけではない。
淡い燐光のごとき魔力光が彼女の全身を輝かせ、波を蹴立てて彼女は目的の敵艦めざし、疾駆する。
彼女が見るところ、魔術師としての森宗意軒は一流と呼んで差し支えない技量と魔力を持っている。なんといっても、このアルトリア・ペンドラゴンを召喚したほどの術者なのだから。
が、それでも、あの竜巻ほどの術式をいつまでも行使できるほどの魔力量は持ち合わせてはいまい。
セイバーはそのタイムリミットをあと五分と見た。
ならば、余裕を見ても三分。それ以内にやるべきことを済ませてしまわねば、万が一の場合に対応できまい。
万一の場合――いや、もういい。
そうなったら、そうなったで、また考えればいいだけのことだ。
今は、眼前の敵を払うことだけに集中するべきだ。
そういうことを、思うともなく思いながら、セイバーは海上を走る。
「前方船団」の船員たちがざわついているのがわかる。
当然だろう。水面の上を異人種の女が全力疾走して、自分たちに向かってくるのだ。
現実にありえない光景を目の当たりにして、何も驚かない人間などいない。
船員たちが慌てながら、こっちに矢を射掛けてくるが、そんな狼狽しながら射た矢など当たるものではない。
セイバーは笑みさえ浮かべながら、それらの攻撃を無視し、そのまま目的の船の舷側を駆け上がって、甲板に飛び乗った。