セイバーは笑みさえ浮かべながら、それらの攻撃を無視し、そのまま目的の船の舷側を駆け上がって、甲板に飛び乗った。
そこにいたのは、まるで妖怪変化でも見るかのような、恐怖そのものの表情を浮かべた船の乗員たち。
腰を抜かしたように甲板にへたり込む者もいれば、帆柱の陰に隠れようとする者もいる。
セイバーが思わず頬を緩めたのは、怯えている者たちの割合的に、一目見て非戦闘員とわかる水夫よりも、腰に剣をたばさんだ者たちの方が明白に多いということだ。
笑止なことだが、そんな彼らでも国許に帰れば、肩で風を切って闊歩するようなサムライたちなのだろう。
いや、それでも抜刀している者たちも何人かいる。
弓を引き絞ってこちらに狙いをつけてるのは、さっき矢を射掛けてきた弓兵か。
その勇敢さや良しと心意気を汲んで、相手をしてやりたくもなるが、残念ながら今はその暇も惜しい。
セイバーは彼らを意に介さず、船首に視線をやる。
そっちの方向から、顔をしかめそうになるほどに強烈な硝煙臭が漂ってきているからだ。
そこにあるのは、一対の車輪に乗せられた、一抱えほどもある大きさの黒光りする鋼鉄の管。
無論セイバーは、大砲の実物など見たことはなかったが、それでもその異形の物体が、彼女たちを乗せた船を脅かした長距離兵器に間違いないであろうことは、一瞥で判った。
(あれか)
セイバーは走り出した。
船首の大砲に向けて走り出した彼女を見て、サムライたちもようやく我に返ったのか、声を荒げて追いすがってくる。
「ちぇすとぉぉ!!」
そう叫びながら斬り込んでくるサムライを一人、足を止めて後ろ殴りの一剣で斬り捨てると、セイバーはその死体を盾代わりにして、弓兵たちが射る矢を防ぐ。
「こっ、こん化物女がっ!!」
「人のむくろを盾にするたぁ、戦場の礼儀を知らんがかよ!!」
「異人とはいえ、おはんも剣士の端くれじゃろうがっ!!」
狼狽したように叫ぶサムライたち。
無理もなかろう。死体を盾に飛び道具を防ぐという戦法は、この国のいわゆる「ブシドー」には存在しない行為だからだ。
が、セイバーは歯牙にもかけない。
もう他人の言葉にいちいち動揺するのはやめたのだ。
そのサムライの死体を背負うような形で担ぎ上げると、彼女はそれを背中を守る盾代わりにしながら、再び走り出す。
船首にあるのは例の大砲と、その専門の砲兵らしい二人だけだ。しかもその二人は腰に刀も刺していない非戦闘員らしい。
つまりセイバーにとって、現状における敵の攻撃は後背からに限定されている。
ならば「盾」を背負えば、その攻撃も無視して標的の無力化に全力を注げるという道理だ。
「どけぇぇぇッッ!!」
と一声叫ぶや、砲兵の二人が恐怖と狼狽のあまり、彼女に道を譲るように逃げ散るのが見えた。
それでいい。無益な殺生はこちらも望むところではない。
死体から手を離し、右手に持つ黄金の聖剣を振り下ろして、そこにある長距離兵器を鉄クズに変化させる――はず、だった。
その瞬間に、彼女の頭上から降り注いだ、その“剣気”さえなければ。
「ちぃっ!!」
反射的にセイバーは身を投げ出すようにその場から飛びのき、同時に、その剣気に導かれるように、直前まで彼女がいた甲板を寸分の狂いもなく「何か」が貫通し、床に大穴を空けた。
むろんセイバーは、その攻撃が魔力を帯びたものであることに気付いている。
それが単なる魔力弾ではなく、鞭状の何かに“火”の属性魔力を付与した物理攻撃であったことも。
もしその炎の魔力が大砲に装填されている火薬に引火したら、この船ごと沈みかねない大爆発を起こしただろう。
(迂闊なやつめ)
とは、セイバーは考えない。
正確には、今のセイバーには何かを考える余裕は無かった。
素早く体勢を立て直し、剣を構えた彼女の前には、すでに一人の女が立っていたからだ。
今この瞬間まで、そこには誰もいなかった。
しかし、今はいる。
数歩の距離まで迫ったセイバーの標的である大砲。その前に、まるで壁のように立ちふさがる女。
おそらく、さっきセイバーを空中から攻撃した後、余裕を持って、そこに降りてきたのだろう。
甲冑の上から洋服らしい上着を着込んだ、セイバーの知らない戦装束。
いや、それ以上にセイバーの目を引いたのは、その女の外貌だった。
その女は、セイバーが見慣れた平たい顔の日本人ではなく、ヨーロッパ系を思わせる白人種だった。さっき行使した“火”属性を象徴するように、その髪は燃えるような赤に彩られ、その瞳は猛禽のような鋭い視線をセイバーに向けて放っている。
いや、“火”の魔力付与攻撃を仕掛けてきた以上、この女も魔術師であるはずだし、ならば日本人でないのはある意味当然と言わねばならないが、しかし、セイバーの覚えた違和感は、女の放つその剣気だった。
魔術師は剣気を放たない。
いや、それ以前にこの女は魔術師ではない。
そいつが右手に持った剣が証明するように、女は、誰が見ても一目でわかる「剣士」だった。
セイバーと同じく、一本の剣を自らの分身として振るい、呼吸するように、食事するように敵を斬り捨ててきた――そういう生き方をしてきた者。
しかも、騎士道もしくは武士道的な戦闘美学を、おのれのプライドとして抱く者。
さもなければ、さっきの回避運動で体勢が崩れたセイバーは、一刀の元に斬殺されていなければならない。
あの瞬間の彼女は、まさしく隙だらけだったのだから。
いや、それどころか今この瞬間でさえも……。
「十兵衛殿、わかっていようが手出しは無用だ」
――そう。
女が声をかけたのはセイバーに向けてではない。
セイバーの後ろにいる、もう一人の存在。
無論セイバーは、女と対峙した瞬間には、背中の気配に気付いていた。
そいつは、眼前の女ほどにむき出しの剣気を放ってはいなかったが、それだけにその落ち着いた存在感は、この赤毛の女と同様に、容易ならぬ敵であることを立証していた。
つまり、こいつらはその気になりさえすれば、二人がかりであっさりセイバーを殺せたということだ。
しかし今、赤毛の女はその選択肢を自ら捨てた。
そして背後の存在も、(やれやれ)と言わんばかりの溜息とともに、その殺気を収めたのがセイバーにもわかった。
ここまでお膳立てされれば、もはや赤毛の女の言い分を理解せざるを得ない。
「つまり、貴様の望みは一騎打ち、ということでいいのだな?」
そういってセイバーは、背後の敵に対する一切の警戒を解いた。
“一騎打ち”という言葉を聞いた瞬間に、赤毛の女が子供のように微笑したのが見えたからだ。
わかっている。
この女は私と同じだ。
一瞥でわかる、この世界に本来いるはずのない存在。
だがそれだけではない。
同じ異邦人として以上に、戦士として、自分と同じ匂いがするのだ。
人斬りが好きなのでも戦争が好きなのでもない。
闘うのが好きなのだ。
一対一で、対等な、強者と、命を懸けて、勝負するのが好きなのだ。
死や敗北は、あくまでもその結果でしかない。
ならばこそ、セイバーは言う。
「我が名はアルトリア……人はセイバーと呼ぶ」
ならばこそセイバーは問う。
「貴公の名を聞かせよ」
そして、その問いかけに、赤毛の女は誇らしげに答えた。
「時空管理局一等空尉……いや、最後の夜天の主・八神はやてが守護騎士」
――シグナム、と。
むろんセイバーには「ジクウカンリキョク」なる組織も「ヤガミハヤテ」なる人物も聞き覚えは無い。
しかし、ここで敢えて無粋なツッコミを入れるほど彼女は野暮ではないし、もはやそんな些細なことはどうでもいい。
重要なのは、剣を交えるに足る相手がここに――自分の眼前にいるということだ。
なればこそ、セイバーは言う。
「いくぞ、シグナムとやら!!」
そして、火花散る剣戟音が、その場に巻き起こった。
」」」」」」」」」」」」」」
(案の定、一騎打ちの決闘ごっこに勤しんでいたのね……)
真田忍軍“十勇士”の一人たる由利鎌之助は、溜息をつきそうになるのをこらえながら、そう思った。
彼は今、船の舷側の外壁に、ヤモリのようにへばりつきながら、気配を消して甲板の様子を窺っている。