(案の定、一騎打ちの決闘ごっこに勤しんでいたのね……)
真田忍軍“十勇士”の一人たる由利鎌之助は、溜息をつきそうになるのをこらえながら、そう思った。
彼は今、船の舷側の外壁に、ヤモリのようにへばりつきながら、気配を消して甲板の様子を窺っている。
セイバーが飛び出した直後に、天草四郎から彼女のフォローを命じられた鎌之助は、しぶしぶといっていい顔のまま、続いて海に飛び込んだ。
どちらにしろ敵船に向かうのなら、前方船団の他の船の乗員たちの視線が、森宗意軒の巻き上げた“竜巻”か、もしくは沈みもせずに海上を全力疾走するセイバーの姿に集中しているうちでなければならないからだ。
で、鎌之助は海中を泳ぎ切ってこの船に辿り着き、その手持ち武器である鎖鎌をザイル代わりにして甲板が見える位置まで舷側をよじ登ってきていた。
登攀している間は、鎌之助ほどの手練の忍びであっても無防備状態になってしまうが、構うことはない。どうせ甲板でセイバーが大暴れしている状況では何も出来やしないのだ。
もちろんセイバーならば、船の一隻程度ならその剣で制圧することも困難ではない。
が、何事にも不測の事態というやつがある。
万が一、彼女の戦闘が膠着状態に陥ったなら、助太刀に入る者が必要になるだろう。
なにしろ“竜巻”を操る宗意軒の魔力が尽きる前に、どんな手を使ってでも、この船の大砲を沈黙させねばならないのだから。
その理屈は鎌之助にも理解できる。
ならばこそ、彼は顔をしかめながらも四郎に反論もせず、黙ってここまできたのだ。
だが――。
(三つ子の魂百まで、ね……)
まるで果し合いか稽古試合のごとく、一対一でセイバーが敵と剣を交えている“絵”を見ると、その地金はやはり騎士道主義の石頭のままなのだなと思わざるを得ない。
むろん鎌之助にも状況を見る目はある。
彼女が闘っている赤毛の女も、さらにその背後で、船員たちに混じって二人を見ている隻眼の武士も、ともに只者ではないという事実に気付いている。
おそらく彼ら二人と同時に戦ったら、いかにセイバーといえど間違いなく助からない。
ならば現状の、二人の女による一騎打ちの形は、あるいは乱戦を回避するためのセイバーの機転なのかも知れない――とは鎌之助は考えない。
(あの子は間違いなく、自分の“決闘”を状況より優先させたわね)
そう確信する。
「はッ!!」
セイバーの気合が甲板に響く。
それを待ち受けていたかのように、真正面から唐竹割りに振り下ろされる赤毛の女の大剣。
防ぎもせずにそれをかわし、踏み込もうとするセイバー。
赤毛の女の剣先は跳ね上がり、セイバーを追尾するように斜めに斬り上げ、しかしセイバーは、その一撃さえも予期していたかのように、腰をかがめてよける。
しかし、かわせたのはそこまでだった。
赤毛の女の足が飛び、姿勢を低くしたまま懐に入ろうとしたセイバーのみぞおちを、強烈に蹴り上げたのだ。
「かはッ!?」
予想外の攻撃にセイバーの動きの止まった刹那、赤毛の女の袈裟切りの一剣が叩き付けられ、凄まじい音が周囲に響く。
(やられた!?)
鎌之助の位置からは一瞬、そう見えた。
赤毛の女の剣が、セイバーの肩に食い込み、血が吹き出たのが見えたからだ。
が、そう見えたのも束の間、赤毛の女の剣が、ギリリ……という金属同士の擦過音とともに、セイバーの肩から持ち上がる。
敵の剣をむざむざ喰らったわけではなかった。エクスカリバーはしっかりと赤毛の女の剣を受けていたのだが、それでも受け切れずに傷を負った――ということらしい。
だがセイバーは、その負傷にひるむどころかむしろ喜ぶかのように目を輝かせ、そのまま鍔迫り合いの形に持ち込み、睨み合う。
「やるではないか」
「貴様こそな」
鍔迫り合いの体勢のまま数秒。
二人の女は何の気合もかけず、それでいて二人同時に距離を取り、互いに視線を絡み合わせている。
赤毛の女は大砲を背にし、あくまでそれを守護するように立ち塞がり、セイバーはそんな女をあくまで正面から斬り伏せようと睨み合う。
そして、その二人の女剣士を取り巻く周囲の者たちは、彼女たちの非常識なまでの剣さばきに、呆気に取られたような表情のまま立ちすくんでいる。
この一騎打ちを余裕を持って検分しているのは、おそらく例の片目の男だけであろう。
(やれやれ……)
まあ、いま鎌之助が考えた――乱戦回避のための一騎打ち――という思惑も、少しはセイバーにあったことは確かだろう。
あの女は直情径行ではあるが、決して馬鹿ではない。
鎌之助にとってもセイバーは原城以来の戦友である。馬鹿か利口かくらいは知っているつもりだ。
が、それでも彼は自信を持って、セイバーがおのれの欲求と美学に従って、あの赤毛の女と向かい合っていると断言することができる。
その論拠は、赤毛の女の、その笑顔だ。
(戦いながら、あんな顔で笑うような女が、せいばー以外にまだいたなんてねぇ)
鎌之助は、げんなりしながらそう思う。
世間は広い。腕の立つ人間などいくらでもいる。
だが、命のやり取りをしながら、あんなに自然に、無邪気に、子供のような微笑を浮かべられる者など、そう滅多にいるものではない。
つまり二人は似た者同士なのだろう。
そんな相手に一対一での決着を持ちかけられたら、敢えて拒むような真似は、セイバーには到底出来まい。
しかし――。
「…………悪く思うな、シグナムとやら」
そのセイバーの呟き声が聞き取れたのは、鎌之助の忍者独特の聴力があればこそだったであろうか。
しかし、鎌之助は(おや?)と思ったのは、その言葉にではない。
その瞬間、彼女の背中が、不意に悲痛な感情に歪んだからだ。
目は口ほどにものを言うという言葉があるが、こと内に秘めた感情の吐露に関しては、背中は顔よりもよほど正直だ。
(何かやる気ね)
そう気付いたのは、どうやら鎌之助だけではなかったらしい。
隻眼の男もまた、
「シグナム殿気をつけろ!!」
と声を上げるが――すでに間に合わない。
「風王鉄槌(ストライクエア)ッッ!!」
その瞬間、巻き上がる突風。
全くの不意討ちだったためか、赤毛の女はなすすべなくその場から船外――空中にまで吹き飛ばされ、セイバーの眼前には――誰もいなくなった。
セイバーは、そのまま足を止めずに黄金の剣を振り下ろし、鋼鉄製の大砲を叩き割っていた。
「「「「「「「「「「「「
シグナムは最初、何が起こったのかわからなかった。
まるで「空気の壁」と表現すべきような風のカタマリに突然、全身を叩かれ、気が付けば彼女の足には床の――甲板の感覚がなかった。
いや、足の感覚に頼るまでも無い。
視界を埋め尽くすのは、雲一つ無い青空。
そして照り輝く太陽。
さっきまで眼前にいたはずの――セイバーと名乗った金髪の女の姿は、そこにはない。
まるで記憶が断絶したかのように、目の前の景色に関連性が無かった。
が、その瞬間、背中から水をぶっかけられた感覚が彼女を襲う。
(……ッッ!!)
いや、違った。
気付けばシグナムは冷たい水の中にいた。
水をかけられたわけではない。
上甲板から空中に放り出され、落下し、背中から海面に叩きつけられたのだ。
さすがにシグナムは正気を取り戻し、ごぼりと息を吐いた。
海面に顔を出す。
その数メートル横に、真っ黒な鋼鉄のパイプが落下し激しい水音と水柱を立てたのは、タイミング的に全く同時のことだった。
もしも彼女が顔を出すポイントが体一つ分ずれていたら、シグナムはこの鋼鉄の落下物に顔面をまともにぶつけ、致命傷を負っていたであろう。
が、そんな事実に戦慄を覚えている暇は無い。
落下してきたそれは、ただのパイプではない。シグナムが守るはずだった、例の大砲の砲身だったからだ。
「かあああッッ!!」
叫ぶと同時に魔力を放出し、さらに上昇して高度を取る。
と同時に、デバイスをリロードし、空になったカートリッジが無骨な機械音と共にスライドから排出される。
骨の髄まで叩き込まれた空戦魔導師としての反射運動。
十数メートルを一気に上昇し、眼下にあるのは、さっきまで自分たちが戦っていたのであろう戦船。
が、その甲板には、例の金髪の女の姿は見えない。
船首一帯の数メートルを、黒い霧のような何かが包み込んでいたからだ。
さっき女と交戦していたときには、そんなものは甲板には無かった。
しかし金髪の女が、その煙というか霧の中にいるのは、間違いないだろう。
そう思った瞬間、シグナムの心の中で何かがブツリと音を立てて切れた。
「レヴァンティンッッ!!!」
怒りと共に振り上げられる右手の魔剣。
「よせっ! やめろシグナム殿ッッ!!」
という十兵衛の声が耳朶を打たなければ、おそらくシグナムは、何の迷いも無くその黒い靄の中に、炎の魔力を宿した連結刃を撃ち込んでいただろう。
(あぶなかった……)
怒りに我を忘れそうになっていても、さすがにそう考えるだけの理性はシグナムには残っていた。
さっき自分の傍らの海面に落下してきたのが例の大砲である以上、あの黒い粉塵の正体は明らかだ。
――黒色火薬。
金髪女が大砲を切断したときに、砲身に詰められていた火薬が巻き上げられ、船首全体を覆う、あの黒い霧のようなものを形成しているのだとすれば、もしそこに自分の炎の魔力攻撃をぶち込めばどうなるか、結果は馬鹿でもわかるだろう。
だが、それで彼女が冷静になったかと問われれば、残念ながら「否」と答えるしかない。
むしろシグナムの怒りは増幅されたと言ってもいい。
(剣士の戦いを侮辱しおって……ッッ!!)
まあ、しょせんは風の強い船上での出来事だ。
巻き上げられた火薬の粉塵など、一分も経たぬうちに吹き飛ばされてしまうだろう。
そのときにもう一度、あらためて決着をつければいいだけのことだ。
あの女が“風”を使うというなら、それもいい。
「そういう戦い」を望むと言うなら、こちらも剣での戦闘にこだわる理由は無い。
今度は自分も容赦なく“火”を使うだけだ。
一人のベルカ騎士として、空戦魔導師として、持てるスペックをフルに駆使して戦わせて貰うだけの話だ。
いや、本来シグナムが積み重ねてきた戦いとは、そういうものであったはずだ。
一般的な魔導師にとって武技とはあくまで近接戦闘用の技術であって、戦闘手段の全てではない。
持てる能力をぶつけ合い、総合力で敵を凌駕した者だけが勝者を名乗り、生き延びることができる。
――むろん余人は知らず、シグナムにとって剣とは単なる戦闘技術の一つではない。
だが少なくとも、そういう戦いこそが、シグナムの知るベルカ騎士の戦場であり、戦闘であったはずなのだ。
わかっている。
そんなことは百も承知だ。
にもかかわらず――何故こうも心が苛立つというのか。
「ちっ!!」
誰に聞かせるわけでもない。だが、それでも聞こえよがしな舌打ちをする。
そう。
その問いの答えもまた、シグナムにはわかっている。
あの女のせいだ。
(たしかセイバー、とか言ったか)
その姿を、一瞥した瞬間にわかった。
この女は自分と同じだ。
ただの異人女でもなければ、ただの女剣士でもない。
管理世界か、もしくは管理外世界かはわからないが、それでも何処かの別世界から「ここ」にやってきた異邦人。
しかも自分と同じく、その戦闘技術の基盤も、戦闘美学の在り方さえも「剣」に置く、一個の戦士。
そして、それを証明するかのように、シグナムと互角に渡り合って見せた、あの剣さばき。
なにより、生死をかけた戦いの最中に、自分と同じ笑みを浮かべることが出来る女。
おそらくはこの世界で、シグナムが唯一、互いの存在を心底から分かり合える可能性を持った相手――立場を変えればそう言えたかも知れない女だったはずだ。
にもかかわらず、あの女は勝負の決着を「剣」ではなく「魔法」に頼った。
シグナムを甲板から吹き飛ばしたあの突風――あれが単なる偶然の自然現象だなどという冗談はありえない。「魔術」か「魔法」かは知らないが、明らかにアレは金髪女の発動した“技”であり“術式”だったはずだ。
それが許せない。
他のサムライどもを相手にするならともかく、このシグナムを相手に、そんな真似をするのは明白なる背信であり、侮辱であるとさえ言える。
むろん自分たち二人の間に、何らかの直接的な交渉が存在したわけではない。そんな得手勝手な思い込みを相手に――しかも明確なる「敵」に強制するなど、寝言・妄言と一笑されても仕方の無い理屈だ。
が、シグナムはそうは思わない。
真正面から対峙して、互いの眼を見た。それで充分だったはずなのだ。
その眼を見てシグナムが彼女を理解したのと同様に、あの女もシグナムを理解していたはずなのだ。
にもかかわらず……女はシグナムとの決着を、剣以外のものに頼った。
それが許せない。
許せるはずが無い。
ぎりりと奥歯を鳴らし、シグナムは、そろそろ火薬の靄が晴れそうになっている船首甲板に、一直線に向かった。