「おぬし、本当のところはいったい何者なのじゃ?」
シグナムとしても、その質問を覚悟してなかったといえばさすがに嘘になる。
まあ、ここが管理世界ならば、普通に答えることに何の迷いも必要ない問いだろう。
ならば、そんな質問をされることになぜ覚悟が必要なのか。
簡単な話だ。
ここは管理世界どころか、科学文明すら存在しない封建時代の「世界」だからだ。
もしも万が一、おのれの正体をあますところなく正直に説明したとして、そのとき彼らは、どういう反応を示すであろうか。
天女として奉られるくらいならまだいい。
人知を超えた化物・妖怪として恐怖を抱かれでもしたら、シグナムはその足でこの里を去らねばならないだろう。
十兵衛との決闘前――狭川老人に初めて天女呼ばわりされた朝ならば、まだこんな考えは持たずに済んだだろうが、もはや今では事情が違う。
ミッドに帰れる手段があるならばともかく、次元漂流に巻き込まれてここにいる以上、言うまでもないことだが、シグナムにはこの地を離れたら身を寄せる場所のあてなど、当然無い。
なによりシグナムは、この柳生ノ庄を――そして何より、今おのれの眼前にいる柳生十兵衛という男を、すでに気に入ってしまっている。
ならばこそ、彼らに無用の警戒と恐怖を抱かせる可能性のある、自分自身の正体について、正直に話すべきか否か、彼女は非常に迷っていたのだ。
まあ誤魔化すのは簡単だ。あの部屋で目覚めるまでの記憶が、まだ定かではないとでも言えばいい。
一度シグナムと名乗っておいて記憶が無いなど、まともに通じるとは思えない弁解だが、それでもこの男なら静かに笑って受け入れてくれるだろう。
少なくともこの柳生十兵衛という男は、シグナムが嘘をついたとしても、そこをあえて追求してくるような刺々しいところは無いと思う。わざわざ嘘をつくなら、つかねばならない理由があるのかと配慮した上で、
「そうか、わかった」
と言ってくれる事だろう。
しかし――十兵衛がそういう男であるならばこそ、シグナムは彼に偽りを語ってお茶を濁すという行為に、深いためらいを覚えていたのだ。
「……確かに十兵衛殿、私は貴殿らが言うような“天女”などではない」
「まあな、こんなに腕の立つ天女様なぞいてたまるか――」
「しかし、人間では無いというのも間違っていないのだ」
その途端、男の顔から表情が掻き消える。
しかし、ただ一つ残された男の左目には(やはりそうなのか)という、驚きにも似た光が宿ったのが、シグナムにも見て取れた。
「シグナム殿、それはそなたがこの日ノ本の人間ではない、という意味では――」
「――ない。今の言葉は正しく文字通りの意味だ」
「…………そう、か」
大きく溜息をつくと、十兵衛はそこでシグナムに背を向けて立ち上がり、懐から取り出した種火で、口に咥えたキセルに火をつけた。
「まあ、そんなこともあろうかよとは思うていたが、な」
そこで言葉を切った彼は、ちらりとクレーターを一瞥し、
「だいたい、流星として空から落ちてくるような女がまともな人間であろう筈がないわな」
と、苦笑を浮かべる。
しかし、シグナムはその笑いに応える言葉を持たない。言われてみれば確かに、自分が流星のごとく空から落下してきたなどという現実がある以上、誤魔化すもクソも無い。最初から自分が人外の存在である事を、自白しているようなものではないか。
だがそれでも、彼らが自分の存在をどう解釈するかは、やはり彼ら自身の判断に委ねねばならない。
だからシグナムは続けて口を開く。
おのれの真実を残らず打ち明けるために。
「私は“夜天の書”によって生み出されたリンカーコア蒐集用プログラム“ヴォルケンリッター”の将。そして現在は、最後の夜天の主・八神はやてに従い、一等空尉として時空管理局首都航空隊に奉職する身だ」
「…………」
「ちなみにただの剣術使いでもない。むしろ貴殿らが言うところの妖術使いに近いだろう。空も飛べれば指から火を出すこともできるしな」
「…………」
「貴殿らと同じ言葉を話し、同じく箸を使って米の飯を食すのは、かつて私もこの日本という国に住んでいた経験があったからだ。もっとも私が知っている日本は、おそらくこの時代より数百年は未来のはずだが」
「…………」
「何か他に質問はあるか?」
十兵衛は無言で首を振る。
もっとも、彼がシグナムの言葉をすべて理解した上でその仕草を行ったわけではないということは、さすがに彼女にも分かった。十兵衛の表情には、もはや呆れや驚きさえなく、どちらかと言えば異国の言語を聞き流すような感情が浮かんでいたからだ。
「せっかく告白してもらったところ申し訳ないがシグナム殿よ、おれには今そなたが何を言ったのかすらもよくわからんのじゃ」
「……そうか」
「今の言葉を、おれにわかるように説明し直すことはできるか?」
そう言われても、今度はシグナムが苦笑を浮かべざるを得ない。
「できない事は無いだろうが……貴殿にわかるようにと言われれば……むずかしいな」
「まあ、そうじゃろうなぁ」
そう答えながら、十兵衛もシグナムにつられるように苦笑する。
「いや、そういえばおれも訊きたい事があるかの」
「なんだ」
「おぬしは今、おのれのことを妖術使いじゃと言うたのう」
「ああ」
「ならば、何故おれとの立ち合いでその妖術とやらを使わなかったのじゃ? 空を飛んで火を噴けるならば、おれに勝つことも簡単じゃったろうに――」
しかし、シグナムはその言葉を最後まで言わせなかった。
視線に静かに殺気を込めて十兵衛の口を遮ると、ゆっくりと立ち上がる。
「……貴様、このシグナムを侮辱する気か……ッッ!?」
しかし十兵衛にとっては彼女の反応こそ意外だった。
「なぜ怒る? おれたちの兵法には空を飛ぶ敵に対する技など皆無じゃ。ならば空から攻めれば一本取るのも容易であろうというのは、自明の理であろうが」
「そんな勝利に何の意味があるかッッ!! 剣士同士の立ち合いに剣以外の技を使えと――そんな技を使わねば私は貴様に勝てぬと――そうほざく気かッッ!?」
「「「「「「「「「「「「「「「「「
そう言われて、ようやく十兵衛はシグナムの憤慨を理解した。
つまり彼女にとって十兵衛とは、持てる技術のすべてを出し尽くして戦う相手ではない、ということなのだろう。剣しか使えぬ者を相手には、おのれも剣以外の技を使わない。いやむしろ、技を限定することによって、初めてこの十兵衛と対等の土俵に降り立つ事になる――それがシグナムにとっての矜持なのであろう。
まあ、その考え方自体は彼にも理解できないわけではない。
(侮辱してるのはどっちだという話ではあるがな)
しかし、おそらく彼女は、技を限定する行為すなわち“手加減”と相手に解釈されても仕方が無いという事実に気付いてはいまい。気付いていれば、ここまで素直な怒りの感情を剥き出しに出来るはずが無いからだ。
もっとも、十兵衛はその点を指摘してシグナムと口論する気はない。
むしろ彼女の直情的過ぎる怒りに、微笑さえ浮かべてしまいそうになるのを懸命にこらえていた。
(化物だろうが妖術使いだろうが、中身はしょせん見かけ相応ではないか)
そういう思いが、シグナムの告白によって生まれかけていた十兵衛の警戒心を、水のように溶かしていく。
ならばこそ、彼は納得したように静かにうなずくと、片膝を付き、素直に頭を下げて詫びた。
「済まぬ、確かに今のはおれの失言だった。許せ」
「ああ、うん……いや、わかってくれればそれでいいんだ」
十兵衛の率直すぎる謝罪にシグナムも少し面食らったようで、むしろ彼から目をそらすように横を向き、倒木に腰を下ろす。
態度だけ見れば、まさしく十代後半の少女のように初々しい。
そんな彼女に口元が緩みそうになりながら、十兵衛は近くの倒木に座り直し、ごりごりと頭を掻いた。
「そういえば、もう一つ質問があるのじゃが、構わぬかシグナム殿」
「……なんだ?」
「おぬしの持っておった首飾りについてじゃ」
その言葉に、シグナムの横顔が一瞬あからさまに凝然となった。
「そなたが日ノ本の人間ではないということは、その肌や髪や眼の色を見れば誰にでも分かる。その口から何を聞くまでもなくな」
「…………」
「しかし今そなたは、自分は人間ではないと言うたのう? つまりその言葉を信じるならば、シグナム殿は紅毛人でも南蛮人でもないということになる――そこまではよいか?」
「……ナン、バン人?」
案の定、シグナムはまばたきを繰り返し、自分が何を言われたのかも正確に理解していない顔をしている。
そして、そんな彼女の態度に十兵衛は少し気が楽になっていた。
だが、シグナムにはわからない。
「わかるように言ってくれないか十兵衛殿。いったい貴殿は何が言いたいのだ」
「いや、確かにまどろっこしくて済まないな」
そう言いながら、彼は袖の袂(たもと)から、何かを取り出す。
シグナムの視線が露骨な感情を持って、それに注がれる。
「これは屋敷に運び込まれたそなたの胸元にあったものじゃ。もちろん話が済めば返す気でおった」
剣を模した十字のネックレス――アームドデバイス“レヴァンティン”待機フォルム。むろん十兵衛は、その何たるかも知らない。
わかるのは、この十文字の紋章は、異人にとって命よりも大事な神の教えの象徴であると同時に、日本人にとっては悪夢に等しい邪宗門の宣教師たちの旗印である、ということだ。
「つまり訊きたいのは――そなたが南蛮人のバテレン(宣教師)にあらざれば、なぜキリシタンの“くるす”を持っているのか、ということじゃ」
「紅毛人」や「南蛮人」という言葉は、当時の日本では、双方ともにヨーロッパの白人種を指す。
「紅毛人」とはイギリスやオランダというプロテスタント系白人のことであり、「南蛮人」とはスペイン・ポルトガルなどのカトリック系白人を言う。
いや、もっとざっくばらんに言えば「南蛮人」とは、布教を目的に日本に潜入を図る、カトリック系修道会の神父や宣教師のことであり、「紅毛人」とは幕府の朱印状によって貿易を許可され、日本に寄港するプロテスタント系商人――つまり、布教を目的としない白人たちのことである。
この年――寛永十五年(1638)、すでに江戸幕府によってキリスト教は禁教とされ、布教を目的とする宣教師はもちろん、その信者までもが弾圧の対象とされていた。
日本史上最大の農民反乱にして最後の宗教戦争というべき島原の大乱から、いまだ半年。
幕府のキリスト教アレルギーは、これ以降高まる一方となってゆく。
つまり、身元の知れない白人女性を柳生家が保護するには、今は最悪の時期だということなのだ。