「お邪魔しまーす」
「あーエスティマくんやー」
研究室に足を踏み入れて、最初に感じ取ったのは場の空気だった。
疲れ果てたオーラを撒き散らした白衣の皆様がちらほらと。中には机に突っ伏して死んだように眠っている人すらいる。
換気もしていないのか、嫌な熱気のこもった部屋。その中で、目の下に派手な隈を作ったはやてが笑っていた。
……正直、怖いです。
「……あ、ああ。エスティマさん」
と、今にも息絶えそうな声が聞こえたので顔を向ければ、そこには生まれたての子鹿のように手を振るわせているエクスの姿が。
……ここはド修羅場の跡地である。
クリスマスが過ぎた辺りから、はやてが研究室に籠もりっきりとなり、リインフォースの製作に勤しんでいた。
その間、我が家や八神家の食卓から温かいご飯が姿を消していたのだが、そこら辺は割愛。
雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず――まぁ室内なんだけど――といった調子で徹夜を続け、今朝方、ようやく完成したらしい。
……まぁ、それはともかくとして。
「……はやて。取り敢えず、眠った方が良いんじゃない? 隈、酷いよ?」
「ははは、大丈夫やってー、なんかリインが完成してから異様に目が冴えてるんよー」
「それ興奮してるだけだから」
「まぁまぁ。それより見てーな、エスティマくん。ほら、リイン。エスティマくんがきたよー」
「むむ!」
「あぁっ……!」
はやての呼びかけに応える声がある一方、死に体といった様子でコンソールを叩いていたエクスからは悲鳴じみた声が。
部屋の中央にあるシリンダー――デバイスのメンテナンスベッドに浮いていた金十字のペンダントが浮かび上がり、それが一瞬で姿を変えた。
空色のロングヘアーが特徴的で、白いバリアジャケットを身に纏った、妖精じみた存在――リインフォースⅡだ。
「おはようですよ、エスティマさん。あなたのことは、はやてちゃんからよーく聞いているです!
これからよろしくですよー!」
「よろしく、リインフォースⅡ」
「お、ちゃんと挨拶できたね、リイン。偉い偉い」
「えへへー」
……なんだこれ。異様にテンションが高い……って、元からこんな感じか。
ああ、そうか。この空間が死屍累々としすぎていて違和感があるんだ。
南無。ベルカの技術は次元一だけど、それを支える技術屋の皆様は本当に大変だ。
「なーなー、エスティマくん」
心の中で合掌していると、不意にはやてが声をかけてきた。
なんだ、と首を傾げてみると、彼女はどこかくすぐったそうに笑った。
「少し早いけど、私からエスティマくんに誕生日プレゼントがあるんよ」
「ん……そうなの?」
ちなみに、俺の誕生日は四月一日。ちょっとどころじゃない早さだが。
「実はなー、リインのユニゾン、エスティマくんにも対応させようと思って。
今日きてもらったのは、そのデータ取りのためなんよ」
「え……良いの?」
「遠慮せんでええよー」
そう言いながら、はやてはリインフォースを手に乗せて俺の方に差し出してくる。
リインはリインで、ユニゾンですよー、と乗り気なようだ。
……正直、興味はある。
だってユニゾンデバイスだ。魔法を欠片も知らないはやてがユニゾンして、俺がフルドライブを使ってやっとの状態まで術者のポテンシャルを引き上げる代物。
ベルカ驚異のメカニズムである。惹かれないなんて嘘だ。
「ちょ、ちょっと待ってください主はやて! まだリインフォースⅡは調整中なので……!」
「ほら、早う早うー」
エクスの叫びを無視してリインを押し出すはやて……って、この子、目がグルグルしてる……!
「ちょ、ちょっと待って。ほら、エクスも止めてるし――って、アッ――!」
「ユニゾン、イン!」
元気の良いリインフォースの掛け声が上がり、彼女は俺の胸へと飛び込んできた。
そして、セットアップが始まり、呼応したSeven Starsが起動するわけだが――
……あ、あれ?
……眠い。
リリカル in wonder
サンライトイエローの光が研究室に満ち、一瞬でセットアップが行われる。
その光景を見ながら、はやてはちょっとだけグルグルした目を期待に輝かせていた。
気分としてはジョグレス進化を目にした感じである。
エスティマのバリアジャケットがどんな風に変色するのだろうか、とか、そんなことばかりを考えて待つこと一秒。
サンライトイエローの光が爆ぜ、姿を現した――
……現した女性を目にして、首を傾げた。
着ているバリアジャケットは白を基調としており、エスティマの物と良く似ている。ただ、水着の上から前の裂けたスカートを履いているのはどうかと思うが。
褐色のタイツに浮かぶ脚のラインは、ほどよく引き締まっていて弾力がありそうだ。
視線を上に上げると次に目に付いたのは、ここ最近エンカウントしていなかった、巨砲である。
エスティマには隠しているが、大艦巨砲主義者であるはやてにとって、それは無視できないほどの圧倒的存在感を持っていた。
思わず手をにぎにぎとしてしまうぐらいには。
と、そこまできて、彼女はようやく違和感に気付く。
……あれ? なんで女の人なんやろー?
いい加減回転の悪くなってきた頭でそう考えるも、答えは出ない。
なんかおかしいなぁ、と思っていると、
「むむ……!」
女性の口から声が漏れた。
声色はリインフォースのものだが――はて。ユニゾンしたならば、エスティマが表に出るはず。
これは一体どういうことだろうか。
「私、外道リイン、今後ともよろしくですよー!」
「……ゆ、融合事故」
「うわ、エクス!?」
あまりのショッキングな出来事に、いい加減限界に達していたエクスはぶっ倒れた。
はやては床に座り込むと膝にエクスの頭を乗せ、再び自称外道リインに顔を向ける。
そして胸ではなく今度こそリインの顔を見て、う、と顔を引き攣らせた。
赤い瞳に腰に届くほどの金髪。顔の作りは、エスティマがそのまま成長したら――というよりも、フェイトのものに近い。
リインフォースの名残と言えば、バッテンの髪留めぐらいだ。
フェイトそっくりの顔をしたリインフォースは、自分の体をいろんな角度から確認して不思議そうに首を傾げる。
「……色々混じっちゃってるですよ」
『旦那様』
「はいです」
『……お嬢様?』
珍しいことに、Seven Starsも困惑しているようだ。
「あー、リイン? とにかく、一旦ユニゾンを解除せえへんと」
「はいです!……あれ? はやてちゃん、なんだか変なくっつき方をしちゃったみたいで、分離できません」
「な、なんやて……!?」
この段階になって、ようやくはやてにも事の重大さが理解できた。
なんとかしないと、とコンソールを弄って資料を漁ってみるが、主にリインフォースの人格形成などを担当していた彼女には融合事故についてなど知る由もない。
「……リイン。原因は何か分かる?」
「えっとですねー、なんだか、胸に違和感が……こう、奥の方に変なのが挟まっている感じがするのですよ」
そう言い、ぐに、と自分の胸を鷲掴みにするリインフォース。
「……重いです」
「くっ……!」
なんだこの敗北感、と思いながらも、はやては真っ白に燃え尽きた状態のエクスの頬を叩く。
んん、と呻き声が上がるが、目覚める気配はない。
どうしたものか、と盛大に溜息を吐く。
「ええっと……私のときは、魔力ダメージでノックアウトで分離できたなぁ」
「痛いのは嫌ですよぅ!」
「うん、分かっとるよ? 最終手段ってだけで。しっかし、困ったなぁ……」
と頭を抱えていると、不意に研究室の扉が開いた。
おそるおそる振り返ると、そこには軽食を乗せたトレイを持つシスター・シャッハの姿が。
ぶわ、と一瞬で冷や汗が吹き出す。
「……これは酷い有様ですね。おや? あなたは」
「はい、外道リインですよー!」
「あ、あんなシャッハ……ええと、これは……」
マルチタスクを駆使していくつもの言い訳を考えるはやてだが、そうこうしている内にシャッハはリインフォースに視線を注ぐ。
そして、彼女の持っているデバイス――白金のハルバードを目にして、
「はやて? 何故リインフォースがエスティマくんと同型のバリアジャケットを着て、彼のデバイスを持っているのですか?」
にこやかだが、こめかみに浮かんだ青筋を目にして、はやてはジャンピング土下座を敢行した。
「困りましたね」
ふむ、と顎に人差し指を当てて、シャッハは考え込む。
「……しかし、どうしたものでしょうか」
「難しいこと考えずに、魔力ダメージでぶっ飛ばせば良いんじゃねぇか?」
「ヴィータ。不用意に手を出して取り返しの付かないことになったらどうする」
「わーってるよ。けど、どうすんだ?」
「……ふむ」
任務から帰ってきたヴィータとザフィーラ。そしてシャッハは、顔を突き合わせながらどうしたものかと頭を悩ませていた。
ちなみにはやては、エクスと共に落ち着けと無理矢理寝かされている。
リインフォースは気楽なもので、借り受けたエスティマの体を使って空を飛び回っている。これ幸いとデータを取らせてもらっているが。
「……闇の書事件でユニゾンデバイスに対して否定的な意見があるというのに、今回の出来事。
内々で処理しないと、面倒なことになります」
「面倒なことってなんだよ、シスター」
「端的に言って……まぁ、海と陸の両方から責められますよ」
ようやく解決したと思われた闇の書事件の再来だと難癖を付けられたら敵わない。陸からはエスティマを実験に使うなと苦情がきて、今以上に関係が悪化するだろう。
「そうならないためにも……早々に手を打たなければなりません」
「そうだな……それに、シグナムが学校から帰ってくる前になんとかしねーと、心配させるし――って、ん?」
何かに気付いたのか、ヴィータは窓から外へと視線を向ける。
そうして見えたのは、サンライトイエローの魔力光を吐き出しながら空を縦横無尽に飛び回るリインフォースの姿だ。
「……しっかし良く飛ぶな」
「ええ。外見はどちらに主導権があるか、といった目安で、能力自体はどちらが体を動かしていても変わりありません。あれだけの速度が出せるなら、飛ぶのも楽しいでしょうね。
……しかし、呆れましたよ。見てください」
そう言い、シャッハは半透明のウィンドウを呼び出す。
書いてあるのはエスティマとユニゾンしたリインフォースの能力値を数値化したものだ。
リインフォース自体が生まれたばかりなので魔力操作などは悲しいぐらいに下手だが、最高速度や保有魔力などが冗談のような次元に達している。
もしエスティマがメインでユニゾンを行なった時に防御をリインフォースに依存すれば、欠点らしい欠点がなくなるだろう。
「そもそもエスティマの魔力ランクがSを超えてるし、そこにはやてから魔力を供給してもらっているリインフォースがユニゾンしたら、まぁこうなるか」
「ええ。エスティマくんが主導でユニゾンをしたら、と思うと楽しみです」
「……シスター。話が逸れているが」
「……申し訳ありません」
ザフィーラに指摘され、ヴィンデルシャフトにかけていた手を離すと、咳払いをするシャッハ。
再び流れを融合事故の対処に戻そうとすると、不意にエクスが跳ね起きた。
「はっ……! ああ、夢ですか。そうですよね。まさか融合事故だなんて……」
「……ワリーけど、夢じゃねぇぞ」
ほら、とヴィータが指差す窓には、外見とはミスマッチな――ある意味では似合っている――童女の笑いを浮かべて空を飛び回るリインフォースの姿。
それを見てガックリと肩を落とすと、彼女は再び布団を被った。
「ちょ、エクス! 寝るな!」
「……これはただの夢です」
「夢じゃねーよ! おら、起きろ!」
「うう……」
ヴィータに無理矢理ベッドから引きずり下ろされ、ずるずると床を引き摺られるエクス。
彼女はぐすぐすと鼻を鳴らすも、仕事をするつもりはあるのか、眠っている最中に溜まったデータに目を通し始めた。
「……で、エクス。何が起こっているのですか?」
「はい。融合事故と一口に言っても、それには色々な形があります。
相性が悪かったり、デバイスの破損によるものだったり。本来ならば主導となるべき魔導師が動けないほどの傷を負ったりした場合、デバイス主導となることがあります。
今回の場合は……ええっと、どうなんでしょうね。
エスティマさんのデータは以前から取っていたので、相性が悪いということはないと思うのですが……」
「原因不明、ということですか?」
「はい。なんらかのエラーがあったとしか……ん?」
ウィンドウを眺めていたエクスの目が、ある一点で止まる。
そこにはリンカーコアについての項目があり、リインフォースとのユニゾンでエラーが出ているのもそこだった。
「……異物が体に入っている? けれど、ユニゾン自体は成功している……ううん、難しいですね。
主はやてのために作った存在である以上、エスティマさんとの融合相性がやや落ちるのは分かるのですが、それとは違うようだし……。
そうだ、エスティマさんに意識はありますか?」
「いえ、眠っているようです」
「そうですか……彼の意識があったら、もう少し詳しく調べることができるのですが――」
と、エクスが外に視線を投げる。
それに釣られて全員が窓へと顔を向け――
「……あの子は」
ヒク、とシャッハの頬が引き攣った。
窓ガラスの向こうでは、緑の長髪が特徴的な少年が、リインフォースの手を取って話しかけていた。
端的に言って、口説いている。
リインフォース本人は何を言われているのか良く分かっていないのだろう。首を傾げたまま、取り敢えず笑顔を浮かべている状態だ。
「……ヴェロッサ、あれがエスティマだって知ったらどんな顔するんだろうな」
「ふむ。それよりも、ヴェロッサに言い寄られた、という事実をエスティマが知ったらどうなるか」
ヴォルケンズは、あまり関わりたくない、といった様子だ。
そして、ヴェロッサがリインフォースの肩に手を回して――
「あ、殴り飛ばされたぞヴェロッサ」
「ふむ。そしてリインフォースは、何やら自分の体を見て頭を抱えているな」
「あー、エスティマ起きたか?……ってあ、アイツ、砲撃魔法を頭に向けてるぞ!?」
「止めねば!」
ヴィータとザフィーラが急いで窓から飛び出すも、遅い。
非殺傷設定の砲撃魔法を自分の頭に放ち、外道リインは墜落した。
「ごめんな、エスティマくん」
「……もう良いよ」
上目遣いで何度も謝ってくるはやて。
もう良いと言いながらも、どうしても拗ねた口調を止めることができない。
……だってさぁ、嫌な予感がして目を覚ましたら、野郎が顔を近付けて肩に手を置いてたんだぜ?
そして更に自分の体がちょっとした悪夢になってるんだ。
誰だって驚くよ。っていうか錯乱したっておかしくないだろ!?
ちなみにリインフォースは頭部への魔力ダメージを受けて、現在治療中。ひどいですよー、と恨み言を言われたが、仕方ない。
……はぁ。それにしても良かったよ。元に戻れて。
「今度はしっかり調整するから……」
「いや、結構です。ユニゾンデバイスはもうこりごりです」
「うう……」
断言すると、はやては顔を俯けてしまう。
……なんとも悪者になった気分になってしまう。
気にするな、と彼女の頭を撫でると、溜息を吐いた。
「……気持ちは嬉しかったよ。うん。
そうだな……ピンチになったらリインフォースを頼りにさせてもらう」
「……ほんま?」
「あ……うん」
迫り来る女体化の危機に冷や汗を流しながらも、首を縦に振るしかない我。
……いや、本当。気持ちは嬉しいんだけどさぁ。
なんでこう、ユニゾンとトラウマが――それも女装じゃなくて女体化という究極の悪夢が――隣り合わせなんだよ。
機嫌を直してくれたのか、えへへ、と笑みを浮かべるはやてを見ながら、どうしたものか、と思ってしまう。
そうしていると、
「……ん? ああ、エスティマじゃないか。すまないが、ちょっと訪ねたいことがあるんだ」
「……なんだよヴェロッサ」
「君には姉上がいたりしないかい? いやぁ、君に良く似たすごい美人がいてねぇ」
「知るか……!」
通りがかったヴェロッサを怒鳴りつけ、頭を抱えたい気分になった。
こんなのばっかりかよ……!