※用事ができて十四日に投稿ができなさそうなので、完成している分だけを上げます。申し訳ありません。
A’s編九話より分岐。
もしエスティマがはやてよりフェイトを優先したとしたら。
「彼女を止めることは君にしかできない。他の誰にもできないことだ、これは」
「分かってるよ。くそ、なんで……」
いや、分かっている。
俺はフェイトについていてやるべきだ。
しかし、そうするとかなり行動が制限される。
……はやてを取るか、フェイトを取るか。そういう選択になるのだろうか、これは。
はやてを救うためにはフェイトを誰かに任せて動き回るしかないが、フェイトを安心させるには――たとえ彼女が俺のことを正しく認識できないのだとしても、側にいてやるしかない。
どちらかを選ぶしかないのだろうか。
天秤にかけること自体が不可能な二つの事柄。
取捨選択を行うしかないのか?
だとしたら……。
だとしたら、俺は――
「……そう、だな」
……俺は、フェイトの兄なんだ。
血の繋がりがどうとか、クローンだとか、そういうことじゃあない。
俺は彼女に兄なのだと嘘を吐いて、その役目を全うするのだと決めた。
それなのに軽率な行動で彼女を悲しませ、あの様だ。
その責任は取らなければならないんじゃないのか。
……ふと浮かび上がってきた考えが、価値観の天秤を傾かせる。
頭の片隅で組み上がっていたこれからの行動がボロボロと破綻し始め、下手な博打を打つんじゃないと、何かが囁く。
そして、
「……エスティマ。何を迷っているんだ?」
そんなクロノの一言が、トドメとなった。
……そうだ。
俺は何を迷っているんだ。
もう手の打ちようがないヘマをした俺に、チャンスなんかない。
これ以上の最低な状況が出来上がってしまう前に、この事件を終わらせよう。
「……クロノ。話がある」
「ああ。なんだ?」
「闇の書の在処。何故俺が襲われたのか。裏で暗躍している連中のこと。どれから聞きたい?」
俺の言葉にクロノは驚きに目を見開くと、すぐに視線を鋭いものにする。
向けられる視線から思わず視線を逸らし、
……こうするしかないんだ。
そんな言葉が脳裏に浮かび上がってきた。
リリカル IF wonder
クロノへの説明はそれほど長いものではなかった。
PT事件の際に俺がはやてに保護されて、そこで不自然なストレージデバイスを発見した。
解析はできず、持ち主であるはやてにもそれを使っている痕跡はなかったので管理局にも知らせずにいたが、先日、クロノから聞いたことで闇の書関連のことを知り、それについて調べていたら嫌な予感がした。
はやては魔法や次元世界のことをまったく知らない子だったので、大事にならない内に回収しようと思って海鳴に向かったのが一月前のこと。
しかしその頃には闇の書が起動を始めており、俺の存在を怪しんだヴォルケンリッターによって口封じをされた。
それに関連して、八神はやての周りをうろついている妙な人影がある。おそらく闇の書に関係しているのではないか。
……それだけだろう、俺が言えるのは。
憑依云々なんてことを口にしたって信じて貰えない。いや、それどころか病院に押し返されるんじゃないかな。
……まあいい。
これからどうなるかだなんて、あまり考えたくはない。
はやてが管理局に保護されれば、もう戦力を出し渋る必要がなくなる。きっと芋づる式にシグナムも捕まるはずだ。
そうすれば魔力の蒐集だってできなくなる。
その果てに何が待っているのか――どうなったって、もう原作以上にはならないんだ。
誰にも顔向けができない。今は手元にないLarkにだって。
……こんなことになるぐらいなら、始めから何もしなければ良かったんだ。
きっと上手くいくと思い込んで踏み出した勇み足が、ぽっかりと空いた落とし穴にはまるなんて、どんな不様だ。
その上最後には面倒を見てくれた友人を売って、始末を他人に任せるだなんて。
……状況も、俺自身も、最悪すぎる。
ふらふらと廊下を歩き、角を曲がる。
その先にあるのは局に用意してもらったフェイトの部屋だ。
一歩一歩を踏み締める脚が酷く重い。
けれど俺は、フェイトの兄であることを選んだのだ。
だからせめて、彼女ぐらいは……自分自身に課した役目ぐらいは、果たさないと。
遅々として進まない歩みだとしても、やがては目的地にたどり着く。
フェイトがいるであろう部屋のドアを前にして、一瞬だけ目を伏せた。
そして息を吐くと、部屋に足を踏み入れる。
電気も、スタンドすら点いていない部屋の中は真っ暗で、廊下から差し込む光のみが光源だ。
先程まで訓練をしていたようだし、疲れているのだろう。
髪を解いたフェイトは胎児のようにベッドの上で丸くなり、寝息を立てている。
鍵も掛けないで不用心――いや、アルフがいるのだから、そうでもないのか。
今は席を外しているようだが、その内戻ってくるのかもしれない。
ドアを閉めると、足音を立てないようにフェイトの眠るベッドへと近付く。
ベッドサイドにあるスタンドに明るすぎない程度の光を灯すと、ベッドを背にして床に座り込んだ。
空調の吐き出す排気音を耳にしながら、ぼんやりと天井の隅へと視線を向ける。
薄く光に照らされたそこは、まるで袋小路へと陥った俺の状況を表しているようで、妙な親近感が湧いてしまった。
飽きもせず――いや、何も考えていないのだから飽きることすらない。
そんな風に、ぼう、と視線を彷徨わせて、どれぐらい経った頃だろうか。
ん、と短い声が背後から上がり、振り返る。その先には寝返りを打ったフェイトの顔があり、少しだけ驚いた。
……こうやって見ていると、本当、年相応の顔をしている。
けれど、目覚めている時は違う。戦いの中に身を置いて、復讐に心を焦がして。
……彼女をそんな風にしたのはプレシアであり、俺か。
なんだ。あの女を責めることなんて、できやしないじゃないか。
体をフェイトの方へ向け、ほつれた髪の毛を掬おうと手を伸ばす。
そうすると、唐突にフェイトの目が開かれた。
まだ夢うつつの状態なのだろう。焦点の合っていない、半開きの視線が向けられる。
「ん……兄さんだぁ」
辛うじて聞き取れるぐらいの小さな声色。
しかし、フェイトの言葉には幸せそうな響きがあった。
衣擦れの音を立てながらフェイトはゆっくりと腕を動かして、俺の手を取る。
掴む力は酷く弱々しいが、じん、と染み入るように温かい。
……しかし、掌にできた固い感触――きっとタコだろう。デバイスを握り続けてできた。その感触が浮いていた。
フェイトの手を握り返し、何を言おうか――そう迷うが、
「……ただいま」
ありきたりの言葉が零れた。
その瞬間だ。
弱々しかった手を握り力が増し、痛いぐらいになる。
微かに顔を顰めるが、薄暗い中では分からないのか。それとも、構おうとは思わないのか。
茫洋とした視線はそのままで、フェイトは幾分かはっきりとした声を出した。
「……兄さん?」
「ああ」
「兄さん……だ……」
自分自身で口にした言葉を咀嚼するように呟き、そして、フェイトは横にしていた体を起こした。
子犬がじゃれつくように――いや、そんな生易しいものじゃあない。
逃さない、とでも言うように繋いだ手を握り締め、フェイトは俺を床に押し倒す。
その際に俺は後頭部を床にぶつけるが、彼女が気にした様子はない。
フェイトは空いている腕を俺の首に回すと、そのまま抱き付いてくる。
息苦しさと、鼻に届く汗の臭い。続いて、鈍い痛みが首筋を襲った。
締め付けられるような――おそらく、噛まれているのだろう。犬歯の刺さる痛みが、ちりちりと頭に届く。
そして続くのは、押し殺した嗚咽だ。
熱を持った吐息がそのまま噛まれた肌に当たる。じんわりと服を濡らすのは、きっと涙だ。
しゃくり上げる度に肩が揺れて、うう、と猫の喉が鳴るような嗚咽がずっと響く。
きっと密着していなければ、大声で泣きわめいているんじゃないだろうか。
……こんな風に妹を悲しませて、俺は何をやっていたんだ。
ずっとどこかで躊躇していた腕を伸ばして、歯を噛み締めながら、フェイトを抱き締め返した。
それからのことだが。
執務官、クロノ・ハラオウンが担当した闇の書事件。
結論から言うと、これは、闇の書を凍結封印することで一応の解決となった。
はやての体が限界近くになるまで解決策は模索されたが、結局、出来たことは解決を先延ばしにすること。
闇の書がどういうものなのか。自分の命が残り少ない事実。
それらを管理局の説明によって理解した八神はやては、管理者権限によって闇の書を一時的に機能不全に陥らせ、自分ごと封印処理をされることを望んだ。
無論、ヴォルケンリッターたちも共に。
シグナムとシャマルへの凍結封印は、刑罰という扱いになっている。これはクロノ・ハラオウン執務官による裁量だ。
家族と過ごせるならばどれだけ時間が経っても構わない。そう笑っていた彼女を直視できた者は少なかった。
ちなみに、ギル・グレアムと使い魔の二人は、原作と同じように自主退職となった。
凍結封印が施される前に闇の書のデータは保存され、その解析が完了次第、彼女の凍結は解除されることとなっている。
しかし、古代ベルカの遺産であるユニゾンデバイスの解析、改変、復元が可能となるのか――それは、誰にも分からない。
聖王教会も協力はしてくれているが、終わる目途など一切ない。
素体のあったリインフォースⅡは例外として、今の技術力ではオーバーテクノロジーの結晶とも言えるユニゾンデバイスを扱うことなど不可能に近いのだ。
そもそも、それに関する資料すら、サルベージが困難だというのに。
……そう、困難だが――
円筒形の、果てが暗闇の向こうへ広がる書架。収められている書物の数は、この空間につけられた名前を示しているかのようだ。
無限書庫。
知識の倉庫とされ、誰一人寄りつかない無重力空間で、今日もエスティマ・スクライアは検索魔法を行使する。
探しているものはユニゾンデバイスに関するデータ。
それがどんな些細なものでも良い。とにかく、八神はやてを助け出す手段を。
それだけを求めて、彼はずっと無限書庫に籠もっている。
聖王教会からスクライアへの『発掘』依頼として頼まれた仕事。それをずっと彼は続けている。
ノンフレームの眼鏡越しにある瞳は、どこか生彩を欠いていた。それは視力の低下ではなく、中身の摩耗によるものか。
それでも彼は魔法を行使し続け、今日もひたすらに情報を探す。
封印が行われる間際、未来で会おう、と強がりながら映画の台詞を真似た八神はやてとの約束を果たすために。
そうして、どれだけの時間が経った頃だろうか。
外では日の暮れた時間になった頃、エスティマのずっと下にある書庫の入り口が開いた。
姿を現したのは、使い魔を引き連れた一人の女性だ。
彼女は周囲を見渡してエスティマの姿を見付けると、花が咲いたような笑みを浮かべた。
「エスティ!」
決して外では口にしない呼び名。後ろに立っているアルフは、額に手を当てながら溜息を吐いている。
上にいるエスティマは、彼女の姿を目にして笑みを浮かべた。
濃い疲れが浮かんでいるが、それでも暖かな笑みを。
書庫に籠もって自らの人生を贖罪に当てている彼には、外のことなど関係はない。
戦闘機人事件も、JS事件も。
戦闘を行わなくなったエスティマから、スカリエッティも既に興味を失っている。
今の彼に干渉する人物は、親しい友人ぐらいのものだ。
――彼は、八神はやてとの約束を果たすことができるのか。
その答えは、随分と先に出るだろう。
これも有り得た終わり。IFである。