目当ての新刊は、楽に入手することができた。
目的を果たしたら後は帰るだけ。
店員の「ありがとうございました」を聞きながら自動ドアを抜け外に出る。
まぶしかった太陽はもう沈む間近だ。
外は温かい風が吹いて気持ちよかった。
普段はあまり寄り道しないけど、こうやって変わった感触を味わえるなら悪くないとおもう。
そんな風の中に聞き覚えのある声が響いた。
「ねー、時間は大丈夫?」
「わるい、雑誌一冊買ってくだけだから」
自分の姿を認められないように裏路地へと駆けこむ。
心臓がものすごい勢いで脈打ち、息が恐怖で荒くなる。
「あれ、今 うちの制服見えなかった?」
「気のせいじゃない?」
数人の男女の声が聞こえた。
まちがいない。クラスメイトだ。
危なかった。
店の前は大通りだから誰が来てもおかしくはないけど。
はち合わせでもしたらすごい気まずい。
でもどうしよう。
来た道を引き返したら、また、彼らに会ってしまうかもしれない。
いやだ、一人っきりでいる所を見られたくない。
彼らの前を通りたくない。
「この裏道って、どっか別の通りに出られないかな」
通りを一本はさんだだけなのにひと気がない。
下水から立ちのぼるわずかな悪臭が鼻につく。
「不審者とか……でないよな?」
呟いてそのまま奥へと進む。
クラスメイトに見つからないように音をたてず、暗い方へ暗い方へと。
「ドブネズミか。私は」
無意識に言葉が出て泣きそうになった。
だからこそ。
「そんなことないよ。美しいお嬢さん」
返事が返ってきたことに死ぬほどびっくりした。
私が今通ってきた道。
さっきまで誰もいなかったその道に、一人の人物が座っていたから。
「えひゃひ!?」
舌がもつれて言葉が出ない。
声を掛けた人は顔を隠していた。
占い師が着るような、ローブというのか。
顔はもちろん、頭から布をかぶって全身を覆っている。
手にも黒い手袋をはめており、肌の露出は一切ない。
声からして若い男のようだった。
座っている膝元には売り物だろうか、多くの金属製のアクセサリーが黒い布の上で輝いている。
「きれいなお嬢さん。よかったら見ていかないかい?」
「は、ひ、ひ」
怖かった。
裏路地で声を掛けてきた見知らぬ男。顔を隠した謎めいた人物。
幽霊のような男。
「わ、わ、わたし、べ、べ、べつにいい、いいです」
「いい? それはどちらでもいいという意味かな? まあ、安心して。別にとって食べたりしないから」
確かに距離があったのに。
彼がごく自然な動作で近付いてきたのと、私が腰砕けになっていたせいで。
回り込まれ、肩を掴まれた
「わ、わ、わたし、ききき興味なくて」
「興味がない? それはいけない。年頃の女の子ならおしゃれはステイタスだよ」
そう言って、彼は私の目前で一個の指輪を懐から取り出した。
特に装飾もないシルバーリングを。
「怖がらせてしまったお詫びだ。これはタダであげよう」
「いい、い、い、いいです」
首をぶんぶんと横に振るが、男はお構いなし。
肩にかけていた手を離し、私の手首をきつく握る。
「あ、い」
強く握られ痛みに思わず声が出た。
「本当にきれいだ君の瞳は。鬱屈として、濁りきって、どんな衝動を抱え込んでいるのか、ほんの少しでいいから見せておくれ」
男はぶつぶつと呟きながら、私の顔を覗き込んだ。
フード越しの顔を見て、私は今度こそ悲鳴をあげそうになった。
男の顔、声こそきれいだったが、そのフードの中には何もない。
ただ空洞だけがあった。
恐怖のあまり気を失いそうだった。
むしろ気絶できたらどんなにか楽だろう。
腕の痛みが、気を失うのを許してくれない。
そいつは私の人差し指にむりやり指輪を嵌めこむ。
「ギ、アア、ァァァァ」
あまりに強い刺激に、ひざから崩れ落ちる。
今まで経験したことない、未知の感覚だった。
何も見えない。何も聞こえない。
ただまっ白い光が視界を覆い尽くし、今までの人生の中で味わったことのない絶頂のなかで。
その日、人間であった私は死に。
超人としての私が生まれた。