バロール症候群のオーヴァードは『魔眼』ないしは『宝玉』と呼ばれる物体によって重力を操る。
だが、その能力は個々のオーヴァードによって様々だ。
周囲一帯の磁場を操作し、通信を封じる者。
派生した斥力で持って吹き飛ばす者。
そして、バロール能力最大の切り札とさせる力。
それが、磁場、重力を歪めて行う時間の操作。
いまだ、解明されないバロール症候群の真髄。
周囲一帯の時間を数秒停止させるその力は攻守ともに切り札として使用される。
私たちは切り札をこう呼んでいる。
時間停止の能力、『時の棺』と。
黒木さんは誰に教えを受けることなくその力を使いこなした。
そして、今 彼女は全てを終わらそうとしている。
身体を震わせ、歯の根を鳴らし、それでも右手を高々と。
呼応するように魔眼達は一斉に敵を見下ろす。
私が診察室で見た、歓喜に呆ける彼女とも。
目の前から去って行った、絶望に打ちひしがれる彼女とも違う。
片方の目には澱んだ絶望、もう片方の目には未来へのかすかな希望。
そして空に在る多くの目には傲慢と虚無。
その全てが鋼の軍勢に向けられる。
「う、うてえぇぇ!!」
振り下ろされるのは右手と光。
エンジェルハイロゥ症候群のオーヴァードが持つ広域殲滅能力。
『スターダストレイン』
美しい名前と裏腹に戦場の敵すべてをなぎ払う光線の雨。
光に撃たれ、一人、またひとりと雑兵は倒れ伏してゆく。
そして、大将である『鋼の軍勢』のみ、暗黒を束ねたかのようなような黒い光線がその胸を射抜く。
「き、きひ、きひひひひ」
狂ったように。
攻撃を受けてなお、奴は笑っていた。
「これが、これが、貴様の攻撃か。いい、いいぞ。何も見えない。聞こえない。
攻撃を与えるだけではない。他者に絶対の孤独を与え、絶望させる、これが貴様の能力、貴様の本質」
わたしも、春日恭二も、そして黒木さんもだまって鋼の軍勢を見ていた。
サラサラと音を立て彼の体は衣服ごと銀の砂と化そうとしている。
この場所にはじめてあらわれたときのように、鋼の軍勢は崩れそうな上半身だけをグルグルと回転させていた。
奴の言葉が真実なら、今は見ることも聞くことも出来ない暗闇にとらわれているのだろう。
「ああ、さびしい、さびしいなあ、だがな、このすがたは、みらいのおまえだ、クロキトモコ」
ひざ丈までが砂となって消えた。
孤独なジャームは虚空を見上げ、黒木さんに呼び掛ける。
「こんな、さびしい、こうげきしかできない、きさまが、こどくな、こどくな、おまえが、ジャームでも、にんげんでもない、うらぎりものが
けわしい、けわしい、いばらのみちをあるいていけるものか、かぞくも、しゃかいも、そこのふたりも、おまえを、みすてる」
黒木さんは怯え、震え、それでも鋼の軍勢から眼をそらさなかった。
魔眼達までもが全て、砂の海に溶けてゆく怪人を見つめている。
「きさまは、ひとりだ、ひとりぼっちだ、さきに、まっているぞ、ぜつぼうしかない、まっくろな、みらいでな……」
ヒビの入ったあご骨が銀色の砂になり、怪人『鋼の軍勢』は消滅した。
空がうっすらと朝焼けに染まり、消えゆく銀色の煙を照り返す。
長い長い夜が、今 ようやく明けたのだ