走っていた。
暗い暗い、闇の中を。
灯りはないけど、初めから目は慣れているのか私は全力で走っていた。
なぜ、走っているのかはすぐわかる。
後ろから奴が来ている。
信じられないような速度で四つ足で這いながら。
奴の身につけている指輪やら何やらが時折何かに当たり音がする。
誰か、誰か助けて。
そう思いながら辺りを見回しても誰もいない。
走り過ぎて足が震える。
やつは私の後ろで何かを叫んでいる。
「貴様も同じなのだ。この化け物の私と!!」
ちがう、と叫びたかった。
だけど喉はからからで、叫ぶだけの気力はもう残っていなくて。
それ以上に足がふらついて。
やがて、あいつが……。
「ひぁあああー!!」
自分の悲鳴で目が覚めた。
ぜえぜえと、息が荒くなっている。
「な、なに……なにが……」
顔をぺたぺたと手で触り、周囲を見回した。
見覚えない部屋。壁に備え付けられたナースコールのブザーが目に入った。
ここは病院なのか。いや、まて。
なんで私は病院にいるんだ。
よく見れば服も制服じゃなくなっている。
なんだ。何が起きたんだ。あれは、やっぱり夢だったのか?
きょろきょろと見回しているとドアが開き、そこから人が入ってきた。
「目が覚めたのね。よかった」
スーツをビシっと着こんだ女のひとだ。
白衣を着ていないのもあるけどあまり医者には見えない。
凛とした雰囲気を持っている、黒髪ロングヘアの美しい人だった。
「気分はどう? どこか痛いところはある?」
切れ長のまつ毛が凄い綺麗で。
私はその女性に見惚れていた。
理知的で美しい大人の女性。
「……あ、だい、じょぶです」
「そう、よかった」
そういって、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
その微笑みを見ていると、いよいよもってさっき起きたことは悪い夢なんじゃないかと思える。
微笑む彼女がまぶしくて、視線を下に落とす。
自分の中指に指輪がはまっていた。
映る私の顔が歪んでいる。
『夢だと思ったか』と嘲笑うように。
悲鳴を挙げ、私は全身の力でそれを抜こうとした。
取れない。爪が周りの皮膚をえぐり、指輪の周りが血でにじむ。
抜けろ。
頼むから外れてくれ。
これはきっとまぼろしだ。
私にあんなことが起きるはずかない。
化け物なんか見ていない。
ましてやその化け物を殺してなんかいない。
そんなはずがない。
ないんだ。
「――さん!?……、黒木さん!?」
指輪をはずそうとしている手を思い切りつかまれた。
視線の先にはさっきの美人。
「……おちついて。大丈夫だから」
片手で腕を掴まれ、もう片手は私の腰に。
腕を掴まれた状態で思い切り抱きしめられる。
「あ……が、ぎ……ゆびわ……ゆびわを……ぬかないと」
「おちついて、指輪なんか貴方は身につけていない」
改めて見ると、私の手には指輪などはまっていなかった。
ただ指が真っ赤に染まっているだけ。
思い出したように、ズキズキと指が痛んだ。
彼女も私の腕を離してくれる。
「じゃあ、あいつは……まぼろしだったの?」
両手で自分を抱きしめ、身を震わせる。
つぶやいた言葉は願望に近かった。
私が経験した出来事はとても現実では受け入れられない。
でも、それ以上にあの『怪物』と私の使った『力』はとても幻だと思えなかった。
改めて自分の指をまじまじと見る。
そして、私はもう一度信じられないモノを見る。
まず血が止まり、痛みもなくなった。
あっという間に傷がふさがり、かさぶたができる。
それは自然にはがれ、ついさっきまで痛々しかった私の指は完璧に元通りになっていた。
傷口だった場所には痕もない。
ご丁寧にうぶ毛まで再生していた。
まるで、ビデオの早送りを見ていたような。
だけど、こんどこそ私は夢でないことを実感した。
「黒木さん……落ちついて聞いてほしいの。大切な話を」
彼女の眼はとても真剣だった。
思わず背筋を正すくらいに。
話を聞く体勢をとった私に彼女は礼を言い。
「これから、話すのはほんの20年ほど前。私とあなたが生まれる前の出来事」
告げる。
世界が隠匿し続けていた真実を。