「突然ですが太郎です。城内の空気がものものしいです」
そう太郎は一人ごちて溜息をはき、再び自分に宛がわれた作業を再開した。
現在太郎は城外の周辺に防護柵を作る作業をしている。
彼くらいの年齢の子供たちは例外なく集められ、太郎のように木材を紐で縛り、単純な防護柵を作っている。
太郎は周囲の子供たちの強張った表情を見て気が滅入りながらも、キュッと木材同士を縛り上げた。
今浅井朝倉では動ける者全てがなんらかの作業をしている。
戦える若い男は例外なく城へと赴いて軍として動く修練、そして武芸の鍛練。
女たちは兵士が食べる食事の炊き出し、諸々の雑用と大忙しである。
そして戦うには老いたお年寄り、まだ戦えない幼い子供たちは子供でもできる作業を任せられているのだった。
今の浅井朝倉に農民を遊ばせておけるだけの余裕はなく、まさに総動員の様相を呈してる。
緒戦の兵士達がほうほうの体で帰ってきてから数日、毎日のように行われている風景。
太郎は大人達によって運ばれてきた新たな木材を受け取りながら、今までの事とこれからの事について考える。
(織田との戦…負けたら雪姫様が奪われ、浅井朝倉の尊厳と国も失われるか)
その立ち振る舞いから国内の信望篤く、半ば神格視さえされていた雪姫。
それが力づくで奪われ、蹂躙される。そう憤って出陣した兵士達が大敗し、敗走。
両者にある戦力差に愕然としながらもよく反戦の意志を保てのは凄いことだと太郎は思う。
(浅井朝倉には恩がある…)
身よりのなり自分たちを保護し、滞在を許可してくれた浅井朝倉。
身分は名乗っていないとはいえ、その恩は相当に大きな物だ。
普通であれば戦に太郎自身が参戦して恩を返すべきであろう。
(けど……)
太郎の武芸の腕は一般の水準より高く、戦に貢献できるだろう。
しかし織田に足利が滅ぼされたと聞き、太郎は自分から申し出る事を躊躇していた。
人が殺されるのは一瞬。合戦では例外なくいとも簡単に命が失われていく。
山本家の後継ぎ――――それが彼を躊躇させている原因だった。
死は怖くない。だが自分が殺されでもしたら、山本家再興を願い死んでいった者達に申し訳が立たないではないか。
その考えが彼に従軍を申し出ることをためらわせていた。
そして、気になる事がもう一つ。
(織田の弓兵隊、流れるような黒髪。まさか姉さんなのですか…?)
負傷した兵士を介抱している時に兵士が苦悶の声を漏らしながら言った言葉。
偶然にも耳にした太郎をおおいに動揺させるには十分な言葉だった。
捕虜として織田に捕まり、織田に抱えられた。
可能性としては限りなく低い可能性だが、ゼロではない。
奇跡的可能性で足利にいた姉が生きている可能性はたしかにあるのだ。
浅井朝倉の恩義を返すために戦に出る。
だが織田には姉がいるかもしれず、戦になれば姉弟で殺し合う事になる可能性もある
「あ~~!! もう、裕輔さんはこんな時に何処にいるんですか!?」
突然大声を出して頭を掻き毟る太郎に隣で作業をしていた子供がビクリと体を震わせる。
そんな事は眼にも入らないのか、太郎は苛立ち紛れに縛っていた紐を千切ってしまっていた。
唯一太郎の事情を知っている裕輔は今浅井朝倉にはいない。
興味半分で口を出してしまって種子島家に逗留していると太郎は一郎から聞かされている。
常日頃頼りないが時々頼もしい兄貴分を思い出し、太郎は不安を抱えるのだった。
■
織田の苛烈な攻めにどんどん劣勢に立たされる浅井朝倉。
そんな浅井朝倉に一人の修験者が現れた。
「聞けば浅井朝倉の危機。ワシは以前浅井朝倉に世話になった者
ワシの技が浅井朝倉の役に立てばと思い馳せ参じた」
筋骨隆々とした肢体に天狗の面。
修験者というよりも物の怪の類に近い様相。
かつて裕輔と邂逅したことがある発禁堕山その人であった。
「それはありがたいです」
義景は男の風貌に内心顔をしかめつつ、表には出さないで謝辞を述べる。
今は織田と戦うための戦力は少しでも多いほうがいいため、多少うさんくさくても助かるのだ。
しかし発禁堕山とて善意からくる手助けではなく、打算があった。
「北陸一の美人と言われている雪姫を嫁に頂きたい。
さすれば織田程度、ワシの技でいくらでも追い返してしんぜよう」
人と人との触れ合いによる温もりを知ってしまったからこそ。
太郎と裕輔との邂逅で人恋しさを覚え、発禁堕山は嫁をくれと要求したのだ。
どうせ嫁にするなら美人がいい。それは男にとって否定しがたい性である。
「お引取りください」
「…いいのかな? 見た所大分窮地に陥っているようだが」
「お引取りください」
そして、義景の返答は初めから決まっていた。
雪姫をランスにやらないために始めた戦だというのに、ここで勝利と引き換えに渡してしまっては本末転倒。
それ以降両者の意見と要求は一度も交わらぬまま分かれる事になった。
「……まだ使者は帰ってこない、か」
度重なる訃報に義景の生気は薄れ、疲れ果てた老人のように覇気がない。
この戦で勝てる可能性は少ない――――先の合戦の報告を受け、老獪な義景は半ば覚悟をしていた。
雪姫の身の安全を保障してくれるなら降伏してもよいというくらいには。
だが織田の異人、ランスの事。
浅井朝倉がどれだけ譲歩しようと、雪姫を放免してくれるとは思えない。
降伏は、できない。ならば最後まで足掻くしか道はないではないか。
浅井朝倉が他の国に秀でているのは軍事力ではなく、外交と交渉力。
長年培った能力を最大限絞り出し、義景は諦めなかった。
■
発禁堕山としては残念な結果に終わったと思うが、無償で手を貸すほどお人よしではない。
浅井朝倉の者に城の外まで送られていく発禁堕山。
だが、城から出て行く彼を義景との会談以降からずっと追い続ける影が一つあった。
雪姫、義景、発禁堕山、裕輔。誰もが望まぬ方向へと物語が進んでいく。
人と人とは分かり合えない。そのために言葉があるのだ。
しかし人の心はちゃんと言葉にして伝えないと相手には伝わらない。
■
織田・浅井朝倉討伐軍、本陣。
遠征軍は今補給部隊が持ってきた兵站でしばしの一時休憩を取っていた。
それは本陣でも変わりなく、ランスはシィルをいつも以上にこき使って贅沢をしていた。
無論見張りは立てているものの皆くつろぎ、疲れを癒している。
「シィル~、茶―」
「はい、ランス様」
「お、早いな…って、温いじゃないかッ。淹れ直してこい!!」<ボカッ>
「ひん! す、すいません~~。すぐに淹れ直してきます」
相変わらずの暴虐武人ぶりでシィルにお茶の入れなおしを命じ、頭を軽く殴るランス。
シィルは涙目になりながらランスから湯のみを受け取り、パタパタとお湯を貰いに行った。
気に入らなければ城でも戦場でも我慢しない。それがランスクオリティ。
勝家はいつもと変わらぬ風景に和みながら、戦前の英気を養っていた。
それにしても歯応えがない。自慢の豪槍を手入れしながらも勝家は先の合戦の内容を思い出す。
戦意はあるものの碌に隊列も組めない兵士。あれでは足利のほうが何倍も遣り甲斐があったと。
「ランス殿ではないが、さっさと終わらせて寺小屋にでも行くか……って、この地響きはなんでござるか!?」
ゴゴゴゴゴゴと地を割るかのような地響きにただ事ではないと勝家は槍の手入れを中止し、手に持つ。
続く見張り番役の兵士が本陣に滑り込むようにして報告に上がった。
その顔には摩訶不思議な物を見たという困惑を浮かべて。
「で、伝令ですっ! 近くの山より千を超えようかというパンダが来襲!!
パンダだけではなく熊もいますが、圧倒的パンダが多いとのこと!!」
「は…? パン、ダ?」
何言ってるんだ、コイツ? 寝惚けているのか?
図らずともランスと周囲の面々の心は一致した。
「と、とにかく御覧下さい!
山から数え切れないほどのパンダがこっちの陣に向かって突進しているんです!」
しらけた視線にも屈せず、切羽詰った様子で訴える兵士。
あり得ないと思いつつもランスは本陣の幕から顔出し、山を眺めてみる。
「な、なんじゃありゃーーー!?」
そして口から出たのは兵士の言葉を肯定するものだった。
まるで山が鳴動するかのようにウジャウジャと白いコントラストが移動し、蟻のように湧き出ている。
そして山を降りたパンダ達は脇目もふらず突進していた―――織田軍に向かって。
全てのパンダは凶悪な牙と爪を剥き出しにしており、興奮しているのは眼に明らか。
「ぐ、ぬぬぬぬ。さっさと陣を下げるぞ!
敵と戦うならともかく、パンダ如きと闘って兵士の数を減らせるか!」
しかも相手のパンダは浅井朝倉の兵よるも強力で凶暴。
更に悪い事にパンダが増える数に限りがないのだ。
何処に今までいたのかと聞かずにはいられない程の数が次々と湧き出てきている。
これは堪らないとランスも陣を下げる事した。
結局織田軍を猛追するパンダの群れはテキサスを抜けるまで続き、織田軍は一歩後退する事になる。
不思議な事にパンダの群れはテキサスを抜けるとパッタリと追撃を止めるのだった。
■
逸る心を抑え、迅速に浅井朝倉の城へと向かう俺と種子島の技師達。
やっとの思いで到着した浅井朝倉だが、そのあまりの惨状に目を背けたくなる。
浅井朝倉の甲冑を来た兵士が彼方此方に野ざらしにされ、屍を晒していたのだ。
その中には織田の兵士も稀に混じっており、誰の目にも戦が起こった事は明らか。
技師さん達の見立てによると、死体の腐敗状況からそんなに日数はたっていないらしい。
「間に合わなかったか…!」
後悔も言い訳も後だ。
今は一刻もはやく浅井朝倉の城へと帰還し、取り返しのつかない事態になっていないかを確かめなければいけない。
物言わぬ骸となった兵士達に手を合わせて黙祷し、俺達は城へと急いだ。
■
浅井朝倉の城門は硬く閉ざされ、厳重な警護がしかれていた。
それは当然であり、彼等にとって最後の砦とはもはや自分たちの居城に他ならない。
他の砦では織田の足止めは出来ても打倒は不可能だと判断したのだ。
そのため一郎達は城周辺に何十もの防護柵を造り、少しでも有利に戦を進められるよう準備をしていたのだ。
背水の陣。もはや彼等の背後に退路はなく、決死の覚悟で織田と当たるしか道はない。
背水の陣とは聞こえはいいものの、その実情は追い詰められた浅井朝倉最後の抵抗と言えよう。
このままテキサスを守りきる。
明らかに守りに入った闘いだが、織田にとって浅井朝倉はアウェー。
持久戦となっても体を休める場所はなく、補給も自国から運び込むしかない。
遠征軍の弱点として兵站による持久戦に弱いという点があった。
信長が国主をやっていた時はともかく、ランスに統率されるようになってから織田の評判は悪い。
また彼はどの国とも同盟を結んでいないため、他国から援助を受ける事は出来ないのだ。
そして見るからに堅牢に固められた浅井朝倉の城を落すには数倍の兵士が必要だろうと思わせた。
さて、そんな中黒光りする鉄細工を大量に運び込んだ裕輔達はというと。
「だーかーら! 一郎様に取り次ぎ頼むって言ってるだろ!?
早くしないと取り返しのつかない事になりかねないんだから!!」
「怪しい奴め…織田の回し者か?
一郎様がお前のような下賎な者を知るはずがない!
それに取次ぎを頼めるような方々だったら俺は知っているが、お前の顔は知らん!!}
見事に門前払い。むしろ捕まりそうな勢いだった。
それはそうだろう。
連絡もなしに不審者が国のトップクラスに会わせろと言ってきているのだ。
これではいどうぞと通したら門番失格である。
「えぇい! 間に合わなくなってもしらんぞ!!」
「いい加減にしないとこっちもひっ捕らえるぞ!!」
某M字禿げ王子のように気迫を滾らせて訴えるも、兵士も揺るがない。
ここで冷静ならば種子島からの使いとでも言えばいいのに、熱くなっている裕輔は気付かない。
そうこうしている内に両者ヒートアップし、本当に門番が裕輔を捕らえようとしたところ。
「ひょっとして裕輔君!? 裕輔君かい!?」
騒ぎを聞きつけ何事かと様子を見に来た一郎の姿を見つけ、裕輔はほっと胸を撫で下ろした。
■
懐かしささえ憶える一郎様の部屋に案内され、俺は一郎様と向き合った。
技師さん達には調練用に宛がわれている広場に案内し、そこで一時待機してもらっている。
決して失礼には当たらないよう食事と茶の用意はしてもらっているから、そこは心配しなくていいだろう。
「まだ浅井朝倉との約束があったから、君は来れないかと思っていたよ。
一応使者を出したけど、織田の攻勢が早すぎて間に合わないとも思っていたしね」
戦時中だから茶はたてられないけど…そう言いながら、一郎様はコトンと水の入った湯のみを俺の前に置く。
俺はありがとうございますと礼を述べ、冷たい水で喉を濡らした。
「早速ですが今浅井朝倉はどのような状況で? 織田は?」
「そうだね。まずはその話をしないといけない。
君から種子島家での話しを聞くのはその後だ」
一郎様の険しい表情から大体想像はつくが、まずは確認しないといけない。
織田との戦いがどのように進んでいるのか。そして浅井朝倉はこれからどうするのか。
不躾な俺の問いに一郎様は疲労が色濃く浮かんだ顔で現状について説明をした。
開戦の理由、織田との戦い、敗戦、修験者の来訪、背水の陣。
織田軍の進撃は凄まじく苛烈であり、破竹の勢いで追い詰められようとしていたという事。
そして―――――――パンダに追われた織田軍がテキサスの地より撤退したという事。
一郎様の話のくだりがそこまで進んだ時、体からへたりと力が抜け眩暈がした。
思わず思考を停止させ、意識を彼岸の彼方へと飛ばしてしまう
目の前が真っ暗になったという表現があるが、それは本当の事らしい。
一郎様の言葉を信じるなら、雪姫はあの天狗野郎と契約を結んでしまったという事なのだから。
まだ間に合うだろうか。
「―――――!」
いや、間に合わせる。
あんな結末認めてやらない。絶対に間違っている。
ならば今俺に出来ることはたった一つじゃないか。
「織田がパンダに襲われたのは何時の事ですか! それと発禁堕山が来ましたか!?」
「報告では昨日の事だと聞いているが…確かについ先ほど来たけど、どうして君が知っているんだい?」
【先ほど】、か…俺に出来ることなんてたった一つ。
必死で走って発禁堕山の所まで行って、雪姫の事を諦めてもらうよう盛大に願い倒すしかないじゃないか。
こんなところで面識があるという事が役に立つとは、人生というのはわからない。
「一郎様、命を賭けてもやる事が出来たのでこれで失礼します。
それと種子島より鉄砲500丁譲り受けてきました。必ずや浅井朝倉のためになると。
鉄砲は種子島より参られた技師達が所持していますので、早速訓練に入ってください。
鉄砲の砲弾も八回戦しても十分に足りる数を運んできています」
「疑問に答えて…ッぇぇぇぇえええええええ!?
あ、あのもの凄い奴を500丁もかい!? それは有難いけどいくら吹っかけられてきたんだ…って。
裕輔君!? 裕輔君!!!! 投げっぱなしは酷くないか!?」
それこそ一分一秒を争う事態。
こんな重要な時に首筋はチリチリとこないし、爆発的に脚が速くなる事がない。
くそったれめと毒づきながらも記憶にある発禁堕山の小屋を目指し、城を飛び出した。