隣の県くらいの距離しかないから楽勝じゃね? そう思っていた時期が俺にもありました。
一応整備してある街道を歩いてはいるのだけれども、この時代の街道を舐めてはいけない。
道はでこぼこ、道が途中でなくなっているというのもしばしば。
しかも織田の兵士が途中で力尽きてしまったのか、首のない死体がゴロゴロしてある。
織田の兵士も本音を言えば亡骸をちゃんと持って帰りたかったのだと思う。
しかし往々にしてそうもいかないわけで。追撃を受けている身で、仲間の死体を連れ帰れるほどの余裕があるはずがない。
そのためせめて首だけでも。きっとそういう考えの下、首なし死体が転がっているのだと思う。
だがこうしてみると、俺もこの時代に順応してきているなと思う。
不治の病にかかる前は色々としていたものの、それでも他府県まで歩いていこうなんて考えもつかなかった。
そして人の死というものに馴れてきている。死体を見ても、それほど忌避感を抱かなくなってきてしまっている。
これがいい事なのか、悪いことなのか。
まったく判断がつかない。発狂しないだけ恩の字だと考えたほうがいいのだろうか。
慣れてきているのか、心が壊れかけているギリギリなのか。後者だったらヤバいよなぁと益体もなく考える。
『おーい。そろそろ現実に帰ってこいや』
『し、心臓に悪いっすよ…もう、いざとなったら逃げるっすからね?』
まぁ待てよ。お前ら雀だから逃げるなんて、ズルいぞ。
そろそろ現実に意識を戻さないといけないのだが、戻したくない。
しかし俺の意識は背中に突き刺さる殺気に否応なく戻された。
「うぅ………」ゴソゴソ
「何をしている。不審な動きを次第叩き斬ると言ったはずだが?」
「み、水! 水を飲もうとしただけですって」
一郎様から渡された竹筒の中に入っている水を飲もうとしただけで、背中に突き刺さる幾つもの眼光。
俺は必至に事情を説明して事無きを得ようと試みるが、それもあまり効果がない。
あからさまに舌打ちされてしまった。
「織田の影番、ランス殿が待っている。さっさと歩け。
既に浅井朝倉より使者がきたと知らせたのだからな」
「あ、歩きながらでも水は飲めるんですけど…」
「い、いえ! なんでもないです! はい!」
さっきから俺の首筋の危険度アラームがレッドです。
■
何故こんなことになったかの発端は簡単だ。
もはや要塞と化していた尾張国内の関を普通に越そうとした所、兵隊に囲まれて絶体絶命。
そこで自分は浅井朝倉より使わされた講和の使者だと説明して、俺は少しくらい待遇が改善されると思っていたのである。
使者といえば大事にされてしかるべきであるし、重要な物だと思っていた。
しかし、その考えは何処までも甘かった。
人間というのは理性より感情が時によって上回る生物であり、ましてや戦時中。
使者だからという名目で身体の無事は保障されたものの、突き刺すような殺気の嵐だった。
関からは俺の周囲を兵士が取り囲み、まるで囚人護送のように尾張の城まで連れて行かれる。
スムーズと言えばスムーズで大変喜ばしいが、それは俺の体調と精神状況を無しに考えた場合。
俺はようやくここに至って出立前に一郎様より渡された胃薬の意味を知り、心の中で涙するのだった。
尾張の国は俺にとって、地獄にも等しい場所という認識でおk。
来てからはずっと殺意が飛ばされているし、周囲からは何かチャキチャキと鉄が擦れるような音が威嚇なのか絶え間なく聞こえるし。
もはや首のチリチリがおかしくなったのではないかと思うぐらいに命の危機を感じ取っていた。
本当は尾張の城に行くまでの道程で例の団子屋へ行くつもりだったのだが、こうも包囲されてはそれも出来ない。
ここでランスとの会談前に香姫や信長と会話できたら良かったんだけどな……。
いや、いない可能性のほうが高いか。いくら二人といえど、戦時中に団子屋をやっているほど能天気ではあるまい。
「粉薬、マジ苦ぇ」
コホコホと咽ながらも、水で胃薬を流し込む。
この時代にも良薬アサクヒロクなどの錠剤タイプの薬があるが、高価で一般にはあまり流通していない。
そのため不味くて飲みがたい胃薬を呑むはめになった・
あ”―――…この苦さ、久々だわ。
思わぬところで入院生活、ひいては現代を思い出してしまう俺。
それもこれも、尾張の城に案内されてからの殺気の持ち主のせいだ。
紫色の髪の毛の持ち主は凛々しい女性だった。
甲冑と言い難いような身体部の要所要所にしかない鎧を身に纏い、鋭利な瞳は俺を射殺さんばかりに絞られている。
下半身には場違いだとツッコミを入れたくなるような、ガーターベルトが覗いていた。
城についてからは『ついて来い』とだけ告げられ、前を歩かされて後ろからルートの指示を出されるようになった。
しかしこの女性が現れたのは移送の際に付き纏っていた織田の兵士にも予想外だったらしく、狼狽していた。
きっと彼女は独断で俺の案内(先に立って道を示すのが案内で、断じてこれは案内ではないと思う)を引き受けたのだろう。
それはともかく、彼女から発せられる殺気はただ事ではない。
一つ呼吸、一つ瞬きをした瞬間、首と動体が生き別れになってしまうかのような錯覚さえ覚える。
そしておそらくそれが可能なだけの実力を持っているだろうという事を俺は知っていた。
「織田家の重鎮、乱丸殿に案内して頂けるとは光栄だな。
出来ればもっとちゃんと案内して頂けると助かるんだが。
それとも織田家の作法では使者にこのようにするのが礼儀なのですかね?」
返答は更に眼光が圧力を増したことによって返された。
ただ名前の否定はしなかったことから、俺はこの女性が乱丸であるという確証を深める。
織田家武士隊の乱丸。
織田家にて勝家と共に仕えていた将であり、性格は冷静沈着。
将兵だけあって刀の武もずば抜けているとの事だ。
こんな状況でもなければ原作キャラとの遭遇と喜ぶ事も出来るが、この状況では無理。絶対無理。
彼女にとって俺とは敵国の使者であり、殺し殺されの仲なのだから。
しかしながら俺の周囲にいるのは彼女一人だけだというのに、首筋の危険度アラームは尾張に入って以来の最高値を示している。
それもそのはず。
今浅井朝倉の牢の中にいる勝家に惚れているのだ、この乱丸は。
そりゃ惚れた相手を殺した敵国の使者となればこの対応も頷けるというもの。
まるで親の仇のように憎悪を滾らせ、隠そうともせずに感情をぶつけてくる。
いますぐにでも恐怖で気を失ってしまいそうだが、なんとか気力を振り絞って気を強く持っていた。
胃が恐怖とストレスで捩じ切れそうなのは、もうどうしようもない。
彼女の怒り、憎悪……俺はそれに思い当たる節がある。
そしてこれが結構これからの会談で重要な事なので、確認する必要があった。
俺はまるで火薬庫から伸びる導火線に火をつける気持ちでこう呟いた。
「はぁ……やれやれ。これではあの猪武者のご同輩だと納得できるわ。
あの馬鹿みたいに鉄砲の前に突っ込んできた、足軽の大熊のような男。
もっとも鉄砲の餌食になって血だらけになって地面に横たわっていたけどな」
俺のぼつりと呟いた独り言。
それは正しく乱丸の逆鱗に触れたようだ。
今までの殺気が子供の癇癪のように思えてしまうほどの、本当の鬼気。
【――――――ザンッ!】
「――――あ」
肩から斜めに刀を斬りおとされ、内臓を撒き散らす。
血脈から血飛沫が舞い散り、廊下を真っ赤に染め上げた。
俺は何も出来ず、ただただ乱丸の凶刃をその身に受けるしか出来ない。
「黙れ。口を開くな。
使者だというから生かしてはいるが、交渉が決裂すれば生きて帰れると思うなよ。
貴様だけではない。浅井朝倉は鏖(ミナゴロシ)だ。そして貴様の首は真っ先に跳ねてやる」
それだけ一方的に伝えると、乱丸は一人先にある部屋へと入っていった。
「あ、ぅ、ぁ………俺、生きてる?」
『ああ? 何を言ってやがる』
『可哀そうに、遂に脳味噌がバグったっすね』
今のは、何だ……?
まさか、殺気だけで自分が死ぬ様を幻視したとでもいうのか。
しかし切り裂かれたはずの体には傷一つなく、ぺたぺたと触ってみても服に裂かれた後はなかった。
アニメや漫画で見たことがある。
一流の武者による殺気はそれだけで人を殺しかねないと。
俺の脳は外界から取り入れた乱丸からの殺気を受け、本当に斬られたと錯覚してしまったのだ。
しかも首筋が疼いたという事は、乱丸は俺を殺す気だったわけで…。
純度100%の混じり気のない殺意。
「やべ、ちょっとチビった」
狒々の時ですら、これほどまでに自分の死を意識しなかった。
ははは……一騎当千とかいうけど、この時代の武将って本当に俺とは違う生物だわ。
存在としての格が違う。そんな生物達とこれから対談し、成功させないといけないとか無理ゲーすぎる。
しかし、やらなければいけない。
俺は震えが広がっている脚を叱りつけ、一歩一歩乱丸が入った部屋へと進む。
会談における手札はいくつか手に入ったから、なんとかするしかない。
先ほどの乱丸の反応、そしてインテリ雀には尾張に入ってからある人物に貼り付けている。
ここが一番の正念場だと意気込み、俺は一歩部屋へと足を踏み入れた。
■
乱丸にとって、勝家は己の半身にも等しい相手だった。
幼いころから肩を並べて戦場を駆け抜けた戦友であり、そして―――彼女の想い人でもある。
いつからかはわからなかったが、気づいた時にはどうしようもなく勝家に好意を持っていた。
その勝家が戦死した。殺された。
浅井朝倉との合戦の中、敵の新兵器によって。
あり得る筈がないと思っていた事が、ある日突然に起こってしまった。
乱丸も勝家も部隊を率いる武将だ。
戦場に出るという事は命のやり取りをしているわけで、その可能性はいつでもつき纏う。
しかしその可能性が浅井朝倉との合戦で起こってしまうとは、乱丸は露にも思っていなかったのである。
乱丸も戦場で何人も人を殺している。
そのため勝家が戦死したと聞いて、納得は出来ないまでも事実を受け入れなければいけない。
今まで自分たちがしていた事は等しく自分たちの身にも起こりうる事なのだから。
――――だが、それは通常の場合。
乱丸が許せなく、使者に対して感情的に当たってしまったのにも理由があるのだ。
それは浅井朝倉の新兵器・鉄砲。
勝家も強者との戦いの果てに力尽き、最後に果てるのであれば本望だったろう。
しかし鉄砲は武士としての誇りを奪い去り、一度も刃を交える事無く勝家は殺されてしまったのだ。
毎日のように武芸に励み、己を鍛えていた勝家。
より高い高みへと昇るため、より高い段階へと進むために邁進していた勝家。
その勝家の努力が、勝家の人生が否定されてしまったかのように乱丸は感じてしまったのだ。
「黙れ。口を開くな。
使者だというから生かしてはいるが、交渉が決裂すれば生きて帰れると思うなよ。
貴様だけではない。浅井朝倉は鏖(ミナゴロシ)だ。そして貴様の首は真っ先に跳ねてやる」
本来なら使者に放つ言葉ではない。
乱丸の身に許されているのは案内のみであり、講和の是非に口を挟むことではない。
しかし勝家の名前すら出されては、抑えられるはずもなかった。
乱丸は己を律するため、部屋に入ってからは口を閉じる。
早急に人がいる部屋へと入り、口を閉じなければ暴走しかねない自分がいるから。
この腸の底にあるマグマのような熱を一度放ってしまえば、自分は使者を斬り殺すまで止まらないだろう。
乱丸個人は講和を望んでいなかった。
くだらない事から始まった戦だが、乱丸には戦の目的は意味を持たない。
心の中に住まう猛りが絶え間なく乱丸に語り続ける。
『浅井朝倉の血肉を。屍を築きあげろ。
我が身を焼き尽くす灼熱は浅井朝倉の血によってのみ鎮められる。
浅井朝倉の兵士を鏖にして犬畜生に食わせてやるのだ』
■
「そう…その御人には感謝しても仕切れない。
村から助け出して貰えた上に、その後の面倒まで見て頂けるなんて。
とても頼れる方なのだな」
「あー…その、頼れるかどうかは微妙というか、頼りないけど稀に頼りになるというか。
とても評価に難しいです、姉上」
「ふふっ。私はまたその御人に興味が出てきた」
裕輔がストレスで胃に空きそうな時と時間を同じくして、山本家姉弟は安らかな一時を過ごしていた。
配下の者達は気を利かせて部屋に二人だけを残して、五十六がすべき仕事にまで奔走している。
今はただ、二人に再開を喜んで欲しかった。
太郎と五十六は色々な事を話した。
太郎が足利超神より引き離され、村に隔離された話。
五十六が残された家臣を纏め上げ、なんとか山本家再興実現のために奮起していた話。
そして話は裕輔の事にも及んだ。
川からどざえもんの状態でプカプカ浮かび、裕輔が流れてきた事。
そして足利の殲滅戦から裕輔によって命からがら逃げのびた事。
「本当に無事でよかった…すれ違ってしまった時はどうなる事かと思ったが。
またこうして会えて姉さんはとてもうれしい」
「すれ違い、って何の事?」
「む? これは太郎の機転ではなかったのか?」
ちょっと待っていてくれと五十六は向い合って座っていた太郎に断りを入れ、上着の裏側に縫い付けてあるソレを丁重に脇差で千切る。
丁重に取り除かれ五十六の掌に納まったソレを見て、裕輔はあっと声を上げた。
「それ、裕輔さんに預けたままのお守りだ。
そうか、裕輔さん、姉上に届けてくれたんだ……」
「あの時は本当に、私は自分の愚かさを呪った。
千載一遇の機会を逃し、もう二度と太郎と会えないのではないかと」
またこうして会えたが。
五十六はそう言葉にはしなかったが、彼女らしからぬ行動で示した。
存在を確かめるようにぎゅっと抱きしめたのだ。
「あ、姉上。恥ずかしいよ…」
「そう言わないでくれ。お前は私にとって、可愛い弟なのだから」
ワタワタと気恥かしさから慌てる太郎はスルーし、五十六は暫しの間抱きしめ続ける。
女性――更に言うなれば姉は強いのだ。弟がいくら抵抗しようと反撃出来るものではない。
太郎は顔を真っ赤にしながら五十六に抱き締められる他道はなかった。
久しぶりにあう太郎を存分に堪能したのか、五十六はゆっくりと太郎から離れる。
そしてその裕輔の事について詳しく話しを聞きたいと太郎に訊ねた。
太郎にとっても是非はない。太郎にとって裕輔とは紛れもない命の恩人であり、兄のようなものなのだから。
「しかし……太郎を救ってもらった恩はどのようにして返せばいいものか…。
我が家の財産といっても超神に没収されてしまったし。取り立てるにしても、今の山本家では受けた恩と見会わない。
私が嫁ぐしか……しかし、山本家再興のためには私は有力な家柄に嫁がなければ…いや、しかし、それぐらいしか……」
「あ、姉上……?」
太郎から裕輔の話を聞き終えた後、五十六は自分の殻に閉じこもってブツブツとつぶやき始めた。
どうやら太郎を救ってくれた裕輔に対する恩返しをしなければと考えているようだが、内容が内容である。
思考が駄々漏れしているので、太郎は危険な方向に向かいつつある姉を止めた。
「あ、あの姉上? まさか恩に報いるために、裕輔さんと一緒になるとか言い出さないよね」
「…それだが、太郎はどう思う? 私はそれしか方法はないと思う。
しかしそれでは山本家復興の道のりが遠のいてしまう。
あっちを立てればこっちが立たぬ。世の中というものは難しいものだ…」
「姉上御乱心!!? 裕輔さんはそんなつもりで助けてくれたわけじゃないから!!
それにご恩といっても、僕もそれなりに裕輔さんの役に立ってるから、そこまで姉さんが思いつめなくていいから!」
「そ、そうか。うん、わかった。
しかし太郎がそこまで反対するとは、そんなに裕輔殿とやらを義兄上と呼ぶのが嫌なのか?」
太郎の剣幕に五十六は逞しく育ったなと感慨深く思う。
だがそれと同時に不審にも思った。裕輔の事は話に聞く限り、裕輔の命の恩人であり、好ましい人物に思える。
なのにどうしてそれほどまでに否定するのだろうかと。
「別に嫌というわけじゃないですけど。
こう、なんというか、うーん…義兄上と呼ぶのも吝かではないのですけども…」
「? よく分からない太郎だ」
ぐぬぬぬと唸る太郎を見て、五十六は素直にそう思った。
五十六は幼少の頃から武家の娘として教育されてきている。
そのため政略結婚などは普通に受け入れられるし、それが当然であると考えていた。
好ましいなれ人のほうが望ましいが、裕輔の性格は太郎から聞く限り好青年のように思う。
懸念となるのは長女である五十六が他家に嫁がず恩に報いるために嫁ぐ事による、山本家再興の遅延の事だけだった。
そして太郎は今まで想像すらしていなかった事を告げられ、混乱していた。
あんなに綺麗で器量良く、頭も賢い姉上が裕輔と夫婦? それなんて冗談?
所々抜けていて、お調子者で、怠け者な一面もある裕輔と姉上が?
白い花嫁衣装を纏った五十六(目の前バージョン)と普段の記憶にある裕輔を並べて見た。
「ねーよ」
じっっと想像力を膨らませるため、刀剣のような美しい女性に成長した五十六を凝視する。
何故かいつか裕輔がくちにしていたその言葉がすんなりと出てきた。
五十六は頭に疑問符を浮かべながらも、太郎の奇行を優しく見守った。
確かに裕輔は慕っているが、義兄となると言われれば違和感がある。
太郎にとって裕輔とは悪友に近い関係と言ってもいい。二人の関係は対等だった。
(いや、けど少し待てよ)
太郎は花嫁衣装の五十六の横に並べるのを普段の裕輔から最後の別れの時の裕輔に置き換えてみた
「いや、ひょっとしてありかも…?」
するとどうだろう。
あの時の裕輔は頼りになる男の顔だったし、五十六の隣に居ても然程におかしくはないのだ。
あの時の裕輔なら義兄上と呼んでもいいかもしれない。
いや、けど普段がアレだからなぁ…だけど、いざという時は頼りになるし。
敬愛する姉を裕輔とくっつき、あまり違和感を感じないと少しでも思ってしまった太郎。
悶々として一人頭を抱える太郎に五十六は慈しみの視線を送っていた。
五十六にとって、太郎の話や行動全てが真新しく、また同時に懐かしさを覚えるものだった。
囚われてから見違えるように成長した太郎。
その成長を間近で見られなかったのは無念の一言に尽きるが、それは今さら栓無き事。
そしてその成長を手助けしてくれた裕輔という青年に五十六は感謝が絶えなかった。
束の間の再開を喜び、噛み締めている五十六。
ああ、自分はなんという幸せものなのだろうと。
しかしそんな彼女の幸福な時間は終わりを告げる。
「五十六様、ランス様がお呼びです」
「ああ、ランス殿が。ありがとう井上。
ランス殿にも太郎が見つかった事と捜索の謝儀を述べなければ。
すぐに行くと伝えてくれ」
五十六はもっと太郎と語り合いたかったが、彼女も織田の武将である以上仕事がある。
それにランスには太郎の捜索を願い出ていたのだから、その礼も言わなければならない。
五十六は別れ難そうに席を外すと太郎に言い付けて屋敷を出て、井上に要件を訊ねた。
「して、今回はどんな呼び出しか?
おそらく次の浅井朝倉への遠征への事だとは思うが」
「それどころではありませぬ。
浅井朝倉より講和の使者がこの城に参ったとの事。
ランス殿や3G殿、乱丸殿に光秀殿に利家殿、信長殿は病のため来ておりませぬが、香姫まで来ておられまする」
「なんと、一大事ではないか」
「ですからお急ぎください。既に講和の使者殿は天守閣に到着したようですので」
話しが本当ならば、これからの戦の流れを大きく変えかねない場になるはず。
五十六は太郎と再会した喜びを胸に押しこみ、武将としてのスイッチに切り替える。
天守閣に着くころには織田家弓兵部隊隊長・山本五十六としての彼女がそこに在った。
■
(はい死んだ。俺死んだ。今死んだ)
裕輔はたったひとりで天守閣にて頭を下げながら、そう思った。
はっきり言って見通しが甘かったという他ない。
裕輔は先ほどの乱丸の殺意が極限だと思っていたが、それは間違いだったのである。
厳密な意味では間違いではないものの、今この部屋に充ちる濃密な殺気に比べれば児戯に等しい。
立ち並ぶそうそうたる面々。
乱丸と同じレベルの殺意を抱く者は少なくなく、それが絡まり密集し裕輔に突き刺さる。
一瞬でも気を抜けば卒倒しかねないほど。
(あの顔三つなのは3G。すると3Gの隣にいる綺麗な女の子は香姫か。
他はよくわからないが…あれは光秀かな。それとあの恐ろしい顔しているのが利家かも)
それぞれの顔に共通するのは裕輔に対する憎悪。
3Gや香姫、光秀などは冷静にこちらを窺っているが、その他大勢の敵意の視線は凄まじい。
モブとはいえ、大の大人―――しかもこの場に呼ばれる程の重臣なのだ。
(こりゃ勝家効果が強すぎたか?)
それは正鵠を射ていた。
勝家が戦死したと勘違いされている戦から、本当に僅かしかたっていない。
そんな中に浅井朝倉の使者が来たとなれば…殺意の針の筵となっていてもおかしくはないのだ。
(鈴女がいない?)
気がかりがあるとすれば、それくらいだ。
裕輔の危機察知は危険を察知する事は出来るが、それがどのような方法でどの方向からくるかまでは知れない。
そのため暗殺などの攻撃には極端に弱くなるのである。
右の「して浅井朝倉よりの使者殿」
真ん中の「話を聞くからに、講和を結びたいとの事」
左の「なんでも朝倉義景殿より書状を預かっていると聞く」
三つ巴「「「それは真であるか?」」」
初めて聞く3Gの言葉に裕輔は動揺しつつも、『然り』と答えた。
間をおかずして3つの顔が話すというのは中々に衝撃的なものだ。
それでも3Gはこの殺意の中にあっても尚冷静でいようとする裕輔を見極めようとしていた。
そもそも、3Gはこの戦に反対だったのである。
理由が雪姫を奪うために始めたこの戦。結局はランスの強硬に反対しきれずに承諾してしまったが、本当は織田から使者を出したかったくらいである。
彼からすれば、講和の使者は条件が許す限り受け入れたい。
彼は浅井朝倉の当主・朝倉義景をよく知っている。
戦を嫌うなれ人であり、戦ではなく話し合いでJAPANを統一しようとしていた。
その志は難しいながらも、3Gは素晴らしい物だと共感していたのだから。
この戦を始めた理由を知っている3Gとしては、ここで戦を終えたいと思っている。
この戦においてどちらに大義があるかなど一目瞭然。
いっそ領地拡大などなら大義がなりたたないものの、ぐっと己を恥じながら戦に専念できる。
しかし敵国の姫が婚姻を断って来て、それを強奪するためなど……先代に申し訳が立たなかった。
ランスには他の人間にはないカリスマがある。それは3Gも認めている。
長年の懸念であった足利を滅ぼしたのも見事であるし、織田家の家臣も何もしていなが何故か綺麗に纏めている。
しかし大義なき戦争には疑問を感じざるをえなかった。この戦において正義は何一つとてない。
3Gの隣にいる香姫はただ、勝家戦死の報を聞いて悲しみに明け暮れていた。
勝家はロリコンなので香姫に対して大層優しく、そして同時に紳士でもあるために香姫の印象はとてもよかった。
そんな彼が死んでしまったと聞き、戦とはいえど世の無情を嘆く香姫。
だが悲しみに落ち込んでいる場合でもない。
兄である信長が病でふせっている以上、このように重要な場では自分がしっかりしなければいけない。
織田の全権はほぼランスが握っているようなものだが、彼は時に無茶無謀を言いだす事があるのだ。
その時に彼に面と向かって意見できるのは3Gを除けば彼女しかいないのだから。
そんな面々に囲まれている裕輔だが、ここからが本当の正念場である。
裕輔は己の双肩にかかる未来の重さと織田家家臣からの敵意に押しつぶされそうになりながらも、毅然とした態度で天守閣の上座に視線を這わす。
傍らにシィルを侍らせ、織田の玉座に座している世界(物語)の王(主人公)へと。
「お初にお目にかかります、ランス殿。
この度は講和に応じてくれた事を」
「―――能書きはいい。さっさと話せ。
俺様は今、お前を斬り殺したくてうずうずしている。
つまらない、くだらん話だったらわかっているだろうな」
ランスという男におべっかは必要ない。
ランスは思い通りにいかず、自分に手痛く噛みついてきた浅井朝倉に腸が煮えくりかえっていた。
それこそここで妄言を垂れ流すようであれば即座に斬り伏せるくらいには。
ランスの良くも悪くも裏表がない態度から裕輔はそれを機敏に感じ取っていた。
ならばランスを納得させるしか、裕輔に選択肢はない。
浅井朝倉と織田における戦争の最終局面を迎えていた。