朝倉 雪は恵まれた女だった。
父親を国主に持ち、穏やかな父と優しい兄弟に囲まれて育つ。
彼女自身も優れた容姿と器量を持ち、神に二物を与えられたと言われていた。
雪も自分は恵まれていると感じていたし、それで他者を下に見る事もなかった。
領内の農民、武士と階級に分け隔てなく接して誰にでも愛される。
『雪、お前を北陸一の花嫁にしたいんだ』
次々と姉達が政略結婚として他国の重臣に嫁がされる中、義景が雪に言った言葉である。
彼女自身幸せを感じていたし、これからの幸せを疑ってもいなかった。
『これから織田との戦いに入る』
――――――何故
『一郎兄様! その怪我はどうなされたのですか!?』
『雪…お前は城の自室にいなさい。
僕はこれから五郎の事で父上に報告しなければいけないからね』
『五郎兄様…? 五郎兄様がどうなされたのですか!?』
――――――何故
『よかろう。姫が嫁になるというのならば手を貸そうではないか』
――――――何故…?
■
「まったく、とんだ骨折り損だったわ」
発禁堕山は一人山道を歩き、自分の小屋へ戻る道を歩いていた。
織田軍を襲ったパンダの群れを操っていたのは彼である。
彼の体は【呪いつき】と言い、妖怪によって呪われ体を蝕まれている。
だが呪われた代償として、人間では持ち得ない【力】を【呪いつき】は得るという。
発禁堕山は体の変調と引き換えに、パンダや熊を操る能力を得た。
その力をもってして織田軍をテキサスから追いやり、尾張へと押し戻したのだ。
無論彼が無償で協力する事はない。
彼が織田を追い払ったのはある人物に懇願され、約束をしたから。
その約束が彼をして力を貸すに値すると判断したから、彼はパンダを率いたのだ。
彼はその約束を履行してもらうために浅井朝倉へと赴いたのだが、結果は門前払い。
どうやら相手に最初から約束を守るつもりはなかったらしい。
内心腹ただしく思いながらも自分の小屋へと帰っていた彼だが――――
「出てくるがいい」
脚を止め、後を振り返る。
がさごそと木の影から現れた人物――雪姫に侮蔑の言葉を投げかけた。
「そうか、浅井朝倉の姫は約束も守れぬ愚か者だったか」
彼と雪姫の間で結ばれた約束。
それは織田軍をテキサスから追い出す代わりに雪姫が発禁堕山の嫁となるというもの。
小娘に一杯食わされたわ、と憤りを篭めた言葉で雪姫を突き放す。
「なっ」
「別に構わん、言いふらす相手もおらん。好きにしろ」
そう言って雪姫に背中を向け、また自分の家へと歩き始める発禁堕山。
躊躇し、言い淀んだ雪姫だったが、浅井朝倉の名を汚すわけにはいかない。
雪姫は着物の袂を持ち、発禁堕山に追い縋る。
「おっ、お待ちなさい…。
私は浅井朝倉の娘。父義景の名を汚すような事はいたしません。
妻にでもなんにでもすればよろしいわ」
「そうか、ならばついてこい」
表情は険しいものの、声が微かに震えている。
声だけでなく手も震えている雪姫を見て強がっているのは明白だが、発禁堕山はそれ以上何も言わない。
彼の後をつけるように一定の距離を保ち、雪姫と発禁堕山は小屋へと向かった。
■
裕輔は走った。
山のぬかるみに足を取られ、何度も山の斜面に無様に転がった。
それでもすぐさま立ち上がり、一度だけしか訪れた事のない発禁堕山の小屋を目指して脚を動かす。
顔は泥に塗れ、服は土がついて汚れている。
だが裕輔はそんな事気にも止めずに走り続けた。
通常で考えるなら一度見ただけの小屋に辿りつくなど不可能。
ちゃんとした山道があるわけでもないのに辿り着くなんて、それこそ神でもないと不可能の偉業。
誰かに同じことをしろと言ったら一笑に服して嘲笑され、あり得ないと言われてしまうような出来事。
山を知っている人間からすれば、山を嘗めるなと言ったくらいに。
―――――だが、ここで辿り着けば面白くないだろうか?
片思いの恋人が連れ去られ、それを追いかける主人公。
恋人があわやというピンチに駆け付けて危機を助ける主人公。
ありふれた、使い古された物語だが、王道であるからこそ面白い。
見ている者がいれば、中々に面白い演目ではないだろうか?
必至に山を駆ける裕輔の目に、以前一度だけ見たことがある小屋が映る。
信じられない奇跡を何度も繰り返し、裕輔は発禁堕山の小屋に辿り着いたのだ。
冷静になれば出来過ぎている展開だが、裕輔の頭の中にそんな考えが浮かぶはずもない。
裕輔が最後の力を振り絞り小屋の戸に手をかけて中に雪崩れ込む。
そこには雪姫の着物に手をかけようとした発禁堕山がいた。
■
「ゆうすけ、どの…? どう、して…?」
「間、に、合った!」
全身から汗を流しながら、息も絶え絶えに雪姫の様子を見てセーフだという事を確認。
雪姫は何故? という困惑の表情を張り付けて俺を呆然と見つめている。
発禁堕山は天狗の面を被っているからわからないけど、どうにも怒っているような雰囲気を感じる。
それもそうか。
これからお楽しみってとこに男が現れたら、なんとも面白くない。
だが俺はその面白くないを更に悪化させるために来たのだから、覚悟を決めないといけないのだろう。死ぬかもしれないという。
「発禁堕山様、面をお取りになられて下さい」
「…何?」
「面を。これから生涯の伴侶となされるのなら、面を取り素顔を見せるべきです」
そう、この瞬間に間に合いさえすればこの一言でかたがつく。
発禁堕山が一瞬躊躇しながらも仮面を外し、雪姫がショックから立ちなおり発禁堕山の顔を目にする。
そして雪姫は嫌悪感を露わにして悲鳴をあげ、小屋の隅へと逃げた。
原作からすれば雪姫が発禁堕山の素顔に嫌悪感を抱くことはわかっている。
また発禁堕山は原作ではそんな雪姫を見限り、浅井朝倉に二度と手を貸さなくなったという事も。
俺がどうにかするというまでもなく、素顔さえ見せればこの問題は終わるという事は簡単に想像できた。
しかし、全てが計画通りというわけにもいかなかった。
「ふざけるな…! そこになおれ!! 鱠斬りにしてくれるわ!!」
「ひッ! お、お許しを…ごめんなさい、ごめんなさい」
原作では雪姫を興味がないと見限った発禁堕山だが、雪姫の態度に激昂したのだ。
今や天狗の面と変わらない程に体中を真っ赤にし、杖らしき物の中から仕込み刀を抜きはなつ。
小屋の隅でガクガクと震えながら許しを乞う雪姫に今にも斬りかかろうとしている。
「お待ち下さい!!」
「お前…裕輔か。そこを退けぃ。今からその女に落とし前をつける!!」
しかし、それを黙って見過ごすわけにはいかない。
俺は雪姫を庇うようにして発禁堕山の前に立ちはだかる。
ぶっちゃけ先ほどから首筋かチリチリして命の危機がレッドアラートを示しているが、そんなもの無視だ、無視。
ここで踏ん張らないと今までの頑張りと覚悟が全て無に帰すのだから。
「落とし前は俺が…自分がつけますので。ですから雪姫様はどうか、お許しを」
「ほぅ? お前がなぁ。
このワシをここまで虚仮にしたのだ。覚悟は出来ているのだろうな?」
「無論です」
もう自分が何を言ってるのかわけわかめ。
それでも雪姫を助けなきゃという一心で発禁堕山と向き合う。
その俺の思いが通じたのかどうかはわからないけど、発禁堕山は盛大な舌打ちと共に刀を納めた。
「ふんっ。不愉快だ。その女をさっさと捨ててこい」
そう言って侮蔑の眼差しで雪姫を一瞥する発禁堕山。
俺は当面の危機が去ったと知り、未だに恐怖から体を震わせている雪姫様の肩をやんわりと肩にのせて立ち上がる。
そして発禁堕山の気が変わらない内に小屋から出ようとして―――
「お前はッ…お前のせいでッ…!」
小屋の外へと出た辺りで、雪姫から猛烈な殴打を顔にくらった。
あ~…少なくない可能性として考えてはいたけど、こうなったか。
■
「お帰り下さい」
「裕輔殿! いえ、お前は、理解しているというのッ!?
これは浅井朝倉が生き延びるための最後の機会、それを台無しにして!!
お前は浅井朝倉が滅びる原因を作っているのですよ!!}
「お帰り下さい」
裕輔は雪姫の背を押し、強引に小屋の遠くへと押しやる。
雪姫は必死に身を捩り、裕輔を憎悪の眼差しで射抜きながら細い腕で顔を殴った。か細い腕で何度も殴るが、裕輔は頑なに態度を変えなかった。
ジタバタと体を動かして小屋に戻ろうとする雪姫を裕輔はドンドン突き放していく。
「お帰り下さい」
「お前の、たった一人の行動が浅井朝倉を滅ぼすのよ!? 理解しているの!?」
雪姫にとって、浅井朝倉を。優しい父や領民を守る唯一の方法だったのだ。
悲鳴をあげ、発禁堕山に見限られたのは自分の責任だという事は聡明な雪姫は理解できている。
それでも雪姫は何かしらに理由をつけなければ到底平静ではいられなかった。
「お帰り下さい。
それに雪姫様も発禁堕山様のお言葉をお聞きに成られたでしょう。
貴女様が今更もどった所で発禁堕山様が応じられるとは思いません」
「! それも、お前のせいで! 全部お前のせいよ!!」
機械的に事実を述べる裕輔に図星を刺されたのか、雪姫はビクリと体を震わせた。
そして侮蔑の言葉を吐き捨てると共に渾身の力で裕輔の頬をひっ叩く。
パシンという大きな音と共に裕輔は顔に強い熱を感じ、真っ赤な紅葉が浮き上がった。
裕輔が面を外せと言ったから、発禁堕山に見限られたのだ。
裕輔がここに来てその言葉さえ言わなかったら、浅井朝倉を救うまでは発禁堕山の協力を得られたかもしれないのに。
その後怒り狂った発禁堕山に滅ぼされるという推測を完全に無視し、雪姫は激しく裕輔を罵った。
「許さない…浅井朝倉が滅亡したら、お前を絶対に許さない!」
人はどれほど人を憎めばこんな眼が出来るのだろうか。
憎悪に塗り固められた瞳で裕輔を睨み、雪姫様は強引に抵抗するのを止める。
そして城の方向に向かって走り去って行った。
おそらくこの戦の発端となったランスと同格、もしくはそれ以上に恨まれたかもしれない。
雪姫の目に映る裕輔とは浅井朝倉が生き延びる唯一の手段を潰した大罪人なのだから。
冷静になれば発禁堕山と夫婦になったとしても長く続くはずがない。
いずれ顔を見る事にはなるし、その時は今回の事態をなぞる結果にしかならない。
そして浅井朝倉を救った力が今度は滅ぼす力になりかねないだろう。
しかしそれは冷静になればこそ。
浅井朝倉を救いたいという焦燥観念に取りつかれた雪姫が気づくことは可能性として低い。
もし冷静であれば浅井朝倉が何のために戦をしているのかを理解できぬほど、雪姫はうつけではないのだ。
だが彼女はその事実に気付かないだろう。
気付いてしまえば、己の行動が全てを否定し、無にしているという事にも気付いてしまうのだから。
「…裕輔よ。アレはお前が落とし前をつける程の女か?
助けるに値する女か? とてもそうは見えぬがな。アレは顔だけの女にしか見えぬ」
「普段はもっとお優しい方なのですよ。
今は目先に大切な家族の滅亡の危機が迫っているので、本質が捉えられなくなっているだけです。
それと俺の仕えている家の姫を愚弄しないで頂きたい」
いつのまにそこにいたのか。
当然のように裕輔の背後に立っている天狗面に、裕輔は愚弄を許さないと告げる。
天狗面は裕輔を哀れむかのように見下ろし、溜息を漏らした。
「浅井朝倉に手を貸したのは事実。
アレに覚悟がなかった分の落とし前はお前につけて貰う。今更自分の言葉を覆すなよ?」
「当然です。俺が落とし前をつけさせて頂きます」
「して、どのように落とし前をつける?」
裕輔は無言で左腕の服の裾を捲り上げ、肘の部分までを露出させる。
そして脇に一応護身用に刺さっている刀を天狗面に差出し、内容を切り出した。
「―――――腕一本。それで勘弁して頂きたい」
恐怖から腕をぷるぷるさせなながら、裕輔は左腕を差し出した。
ヤクザ屋さんの映画とかで落とし前をつけると言ったら小指だが、ここは戦国。
下手すれば切腹しろと言われかねないので、裕輔は左腕を差し出す事にした。
「これが妥当かなんてわからないけど、これで勘弁してくだしあ」
ぶっちゃけ怖い。痛いのは嫌だ。
左腕ばっさり切られたら血が吹き出て、死ぬほど痛いに違いない。
現代人の俺だと激痛から発狂するんじゃあるまいか? と裕輔は思う。
麻酔なしで手術する数十倍は痛いだろう。
しかも切り落とされたら、二度と左手はないという覚悟も必要だ。
ひょっとしたら式神の応用で似たものは作れるかもしれないが、それも望み薄。
「…よかろう。しかし、ソレは何もお前の腕でなくてもいいだろう。あの娘で――」
「―――頼みます。意思が揺るがない内に」
元来からして小心者の裕輔が何故ここまで他人のために身を張るのか。
命の恩人とはいえ現代人の裕輔、戦国時代のように命をかけてまでご恩を返すという観念はない。
下手したら腕だけではなく、出血多量で死ぬ危険性もあるのだから。
人間誰しも自分の命が大事。
例外はごく希にあるものの、それは生物としての基本であり重大な本能だ。
では、その例外に含まれているものはといえば。
(それでも―――――惚れちまったんだから、仕方ない)
にこやかに笑いかけてくれた笑顔が好きだ。
ちょっと驚いて、クスクスと微笑む顔が好きだ。
ああ、もうチクショウ。本当に俺はヘタレだから、今頃は逃げ出しているのにな。
雪姫様があの非道な末路を辿るかもしれないと思うだけで、恐怖を抑え込めるんだからイカレてる。
嫌われたからどうという事ではない。
胸は張り裂けそうなくらいに痛みを訴えているけど、それらを全てのみ込む。
見返りが欲しいけど、それは強制するものじゃない。俺が助けたいから助けるんだ。
裕輔にとって、雪姫は左腕を代償にしても。
そこから出血多量で死ぬかもしれない危険をおかしてでも助けたい対象になったのだ。
「…ならば何も言うまい。お主の覚悟、見せてもらおう」
ザリ、と土を踏み締めて発禁堕山が刀を抜き放つ。
ギラリと刀の刀身が太陽の光を浴びて煌めき、斬れ味の鋭さを暗に語っている。
そして裕輔の左腕が丁度両足の中央間近に来る様にして、刀を頭上に振り上げた。
…ああ、グッバイ俺の左腕。
惚れた女のためとはいえ、お前には苦労をかけるな。
覚悟を決めて裕輔は眼を瞑り、発禁堕山の一撃が下るのを待った。
<ヒュッ……>
耳に聞こえる風切り音。
裕輔はただ漠然と刀が振り下ろされたのだという事を思った。
そして…………。
「ッッッ、が、がアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!?
痛い、いたい、イタイ!!
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ――――!!
裕輔の頭に占める思いはそれだけで、ただただ激痛に雄叫びを上げる。
口からは言葉になっていない獣の絶叫が漏れ、体をくの字に折って激痛に耐える。
ビシャビシャと鮮血が肘の部分から噴き上がり、顔と言わず全身を血に染め上げた。
ただ痛いという思いと、ヌルヌルとした生暖かい何かが顔に吹き付けているのが裕輔にはわかる。
「あああああぁぁぁぁあぁぁぁ……――――――」
裕輔は失血多量のためか、目の前がどんどん暗くなって眼を開けていられなくなる。
激痛に全身が悲鳴をあげながら、それ以上裕輔は意識を保っていられなかった。
■
「ほれ、起きんか」
「ぐ、ぅ…」
「さっさと起きろ」
ゆっさゆっさと体を揺さぶられ、裕輔は苦悶の声を上げながら意識を浮上させた。
未だ頭の中には霧がかかったようにまどろみ、覚醒には至らない。
それでも左腕にはしった鋭い痛みに目を開け、きょろきょろと眼球を動かす。
見慣れない天井だと裕輔はぼんやりと思う。
過去に見慣れていた病院の真白い天井でもないし、浅井朝倉の自室の天井とも違う。
ただ板を張り付けただけの簡素な天井は裕輔の記憶の中には存在していなかった。
鉛のように重い首を左右に振って視界を広げて見る。
すると自分の顔間近に迫った真っ赤な天狗顔が視界いっぱいに広がった。
「のわぁぁぁああ!?」
「やっと目が覚めたか。気楽に眠りおってからに」
心臓に悪い光景に悲鳴を漏らして後退する裕輔を見て、発禁堕山は酒を飲む手を止めた。
「しばしゆるりとしておけ。その体に慣れるまでな」
「慣れるって、何――――っぁ!?」
「ほれ見たことか」
咄嗟に立ち上がろうとして左手を床に置いた裕輔はバランスを崩して転がる。
やれやれと発禁堕山はため息をついて、手に持った酒を再度煽った。
「そうだった、俺って…」
裕輔は自分の左手―――包帯が巻かれ、先端が棒のようになっている左手を見て事の顛末を思い出した。
時折鋭い痛みが走るものの、恒常的には痛みを感じない。おそらく修経者の秘伝の薬のお陰なのだろう。
あるはずの物がないという寂寥感は裕輔が思っていた以上の物だった。
「これは貴方が?」
「そうだ。あのままでは死んでしまうからな。
ワシ秘伝の薬をつけてやったから出血と傷の痛みは取れておろう」
肘から先がすっぽり無くなっている自分の左手。
変な感慨と奇妙な感覚に包まれる中、裕輔は発禁堕山に礼を言うが、発禁堕山はむっつりと酒を飲むばかりだ。
裕輔は雪姫を助けられたと割り切っているが、発禁堕山としては納得がいかない。
「ふん、左腕を無駄にしよってからに。馬鹿なやつだ。
いいからお前は暫くここで休んで、何処にでも行くがいい」
発禁堕山からすれば雪姫とはなんら価値のない女という評価なのだ。
その女のために一応認めている男である裕輔が四肢の一つを失うなど、到底許容できない。
けじめのためだという裕輔の意志を買って腕を切り落としたが、本心ではしたくなかった発禁堕山だった。
「そういうわけにもいきません。傷の治療ありがとうございました」
だというのに、何故裕輔はこれ以上価値のない女のために動こうというのか。
「馬鹿な。まだバランスも取れない癖に、何を動こうとしている」
体のバランスというものは非常に精密に出来ている。
左肘から先がないだけで左右のバランスが崩れて体は傾き、まともに歩くことすら難しい。
それなのに小屋から出ていこうとする裕輔を発禁堕山は見咎めた。
「悪い事は言わん。戦が終わるまでここにいろ」
「身を休めていたら戦が終わってしまいます。
戦が始まる前に城に戻らないと。俺には待っている人も、すべき事もありますので」
そういう裕輔の瞳に迷いはなく、今度の足取りは確りした物に変わる。
そこまでして城へと駆けつけようとする裕輔の後姿を見て、思わず発禁堕山は体が動いた。
「勝算はあるのか? 織田の兵を見たが精強、浅井朝倉は及ばん」
裕輔の肩を掴み引き留める発禁堕山だが、その手は裕輔によって払われた。
「それでも、ですよ…僅かですけど、勝算もあります」
今ここで裕輔を行かしてしまった場合、十中八九死ぬに違いない。
発禁堕山はパンダを用いて織田を奇襲した時の事を思いだし、裕輔に忠告する。
あの時のパンダが帰り討ちになった数は彼の想像を遥かに上回っていたのだから。
「意志は変わらんか…」
自分の素顔を見ても態度を変えない裕輔は非常に稀有な存在。
発禁堕山はそんな裕輔を死なせるには惜しいと思ったが、浅井朝倉に再び手を貸すほどにはお人よしではない。
しかしこのままでは裕輔は死んでしまうに想像は易い。
「――――よかろう。自ら死地に向かおうというお前に選択肢をやろう」
ならば裕輔が死なない程度の力を得ればいい。
「―――力が欲しいか? 自分という存在を変質させてでも欲しい力が」
発禁堕山が力を貸すわけではないが、手っ取り早く力を得る方法が一つある。
しかしソレは禁断ともいえる方法で邪道の極みと言ってもいい。
裕輔という個が消えてしまう危険性もある方法。
「……………」
裕輔が了承しようとしまいとどちらでも構わない。
発禁堕山の言葉を吟味するかのように裕輔は黙りこくった。
そして――――――
「教えてください。その方法を」
少しでも可能性を広げるため、裕輔は発禁堕山の提案にのった。
#誤字修正しました。指摘くださりありがとうございます。