さらさらと水が川で流れ、清涼な空気が一杯に広がっている。
耳を澄ませば小鳥の声だって聞こえるだろう。
だが竿を構えて呆然と座っている青年――森本 裕輔にとってそれはどうでもいい事だった。
■
(まさか時代逆行とはなー…)
ぽつんと全く反応がない竿を虚空に彷徨わせながら溜息をつく裕輔。
今いる川は以前太郎が魚釣りをしていた川である。
裕輔が自分の陥った境遇を理解してから時間にして一日がたっていた。
何故魚釣りをしているか理由はともかく、何もしない暇な時間は考えを纏めるには丁度いい。
裕輔は自分が何時の何処にいて、自分は一体何なのかについて考える。
(場所は…美濃って言っていたから、岐阜県の何処かだよな)
昨日は混乱して思い出せなかったが、よく考えれば現在でも地名が地図に載っている。
詳しい場所まではわからないが、それでも大体の場所は掴めた。
ただ、現時点でそれはなんの役にも立たないが。
(問題は何時かって話なわけで…まさか室町、もしくは鎌倉だとは)
そう、驚く事に裕輔は現代からタイムスリップしてしまったのだ。
厳密には更に驚きの現象が起きているのだが、それは現時点では判断できない。
裕輔は【足利】の勢力圏であるという事実からそう判断に至った。
(こうなった原因もわからんし…そもそも俺って死んだよな?)
何故こうなったかという起点がわからない以上どうしようもない。
極めつけは裕輔自身に自分の【死】についての記憶があるという事である。
確かに一度死んだという実感はあるのだが、それでは現在生命活動している自分はどういった存在なのかという新たな謎が出てきた。
(ま、いっか)
どうやら放置する事に決めたようだ。
幸いな事に心臓の病も悪くならないし、特にさしせまって問題はない。
器が大きいのか単なる馬鹿なのか判断は難しいが、こうでも考えないとやってられないのだろう。
非常識の世界において生き残るには自分も非常識になるしかないのだ。
そして現在、彼にとって重大な問題が発生していた。
「ああっ!! 左クリックがしたい! 活字を読みたい!
チクショウ、あと独眼流と島津でエンディングだったのに!!」
胸を掻き毟り悔しがる裕輔。釣竿は既に脇に置いてある。
裕輔はPCを触らない事による禁断症状が早くも出始めていた。
もちろんこんな時代にマウスなどあるはずもなく、裕輔が欲しがっているライトノベルのような小説もない。
現在彼の直面している危機とはこんな物だった。
阿呆なという事なかれ。彼にとって生きる目的を奪われたような物なのだから。
■
「あ、裕輔さんここにいたんですか」
「太郎君か」
禁断症状も一旦治まり、また静かに川の水面に糸を垂らす裕輔。
そんな裕輔の背後から太郎がひょっこり顔を出した。
「……何か思い出しましたか?」
「ううん、なんにも」
「大変ですね。ボクに何か出来る事があったらなんでも言って下さいね」
「ありがとう。恩に着るよ」
伺うような太郎の質問に裕輔は明るい声で答える。
会話から見てもわかるように、裕輔は自分についての説明で【記憶喪失】と説明した。
まさか【ボク未来から来たんだ、えへへ♪】なんて言おうものなら、この時代発狂したと思われて見捨てられるだろう。
そしてこれが思ったよりもあっさりと納得された。
言動がはっきりしているのに意味不明な単語を発する裕輔を見て、太郎は薄々おかしいなとは思っていたらしい。
記憶喪失と説明した時、やっぱりと顔を振られて裕輔はちょっぴり傷ついたそうだ。
「俺ってこの川から流れて来たんだよね?」
「はい。桃太郎の桃みたいに流れてきました」
びっくりしました、とくすくす笑う太郎。
「じゃあもうちょっとここに居るよ。ひょっとしたら何か思い出すかもしれないし」
裕輔は時間が欲しかった。
今は感覚が麻痺しているようなものなので、
今の内に無理やりにでも納得しておかなければ、正気に戻った時発狂するかもしれない。
そのためぼーっと一人でたそがれていたのだ。
「ボクも横にいていいですか?」
「いいけど…暇だと思うよ?」
「いいんです。あの村はボクの居場所じゃないですから」
「(居場所じゃない?)そっか」
太郎の物憂げな表情に思う所があったものの、裕輔は再び水面に視線を戻す。
込み入った家庭の事情なのかなと思い、敢えて踏み込む必要もないと判断したのだ。
二人はピクリとも動かない竿を見つめて時間を過ごした。
■
結局釣果はゼロ。
辺りも暗くなったので二人は村に帰る事にした。
裕輔にとっては時代逆行して2日目の夜。
太郎にとっては慣れた、いつも通りの夜。
だがこの日の夜は二人にとって忘れられない夜となる。
「あれ、妙に村が明るくないか?」
「本当ですね。おかしいな…今日は何もないはずなんですけど」
村に近付くにつれ異変は姿を明確にしていく。
遠目に見ても村は明るく、時間から考えてそんなに火を焚くはずがない。
ならばあれはなんだ?
「まさか、村が燃えているんじゃ…!」
「!! じぃ!!」
「おい、急に走り出すなって!」
思いついたまま、ぽつりと呟いた裕輔の言葉に太郎は過剰に反応する。
太郎は弾かれたように走り出し、裕輔も慌てて太郎の後を追い村へと走り出した。
■
村は二人の予想を超えて最悪の事態となっていた。
村は火事ではなく、甲冑を着込んだ鎧武者によって焼き払われていたのだ。
鎧武者達はしらみ潰しといった感じで次々家に火を点け、中から逃げ出してきた人を一刀の下に切り伏せる。
バッサリと戸惑いはなく、特に幼い子供に焦点を定めているようだった。
「ぅぐ……」
「惨い…」
その様子を太郎と裕輔の二人は少し離れた茂みから見ていた。
裕輔は始めてみた惨殺現場に必死に吐き気を堪え、太郎は険しい表情で鎧武者を睨む。
特に裕輔の顔色は真っ青になっていた。
「助けないと!」
「馬鹿、丸腰の俺等が出て行って何が出来る!?」
「それでも、ボクのせいなんです!」
身を乗り出して茂みから出ようとする太郎を押し留める裕輔。
それでも太郎はもがき、裕輔の拘束を解こうとする。
「ああ、もうじっとしろ!!」
「放して下さい! 早く人質の子供達を助けないと!」
「おっ? なんだ、餓鬼がこんな所に二人いやがった」
「「!!!」」
言い争う太郎と裕輔。
だがこんなにも騒いでいたら見つかるのは当然で、一人の鎧武者が二人に気付く。
そして血塗れた刀を鞘から抜き放ち、一歩一歩近付いてきた。
「ぎゃああ! 刀!?」
「っく!」
「へっへっへ、こんな楽な仕事ないってもn《ズシャーーーー!》ぐわっ!?」
始めてみる真剣にビビリ悲鳴を上げる裕輔。
まるで親の仇を見るかのように鋭い目をする太郎。
鎧武者は下卑た笑いを浮かべながら歩いていたが、突如として鎧武者の背中から血飛沫が舞った。
「その人には…手を、出させん…!」
「じぃ!」
ドサリと倒れた鎧武者の向こう側から現れたのは先日裕輔に食事を用意した老人だった。
だが老人も深い切り傷を負っており、どくどくと血が流れ出している。
太郎は跳ねるようにして老人に駆け寄った。
「ぁ…ぅ」
裕輔はというと完全に脚が竦んでしまっている。
戦国時代にはこういった闘いもあったという事実は知識やテレビの映像として知っている。
だが実際目の当たりにしてみるとそんなのは吹き飛んだ。
濃密な血潮の匂い。断末魔の悲鳴。
ここに至り、ようやく裕輔は自分がとんでもない体験をしていると実感したのだった。
「じぃ、しっかりしろ!」
「逃げて下され、太郎様…もうじぃは駄目ですじゃ。自分が一番よくわかります。
太郎様を逃がさないため、にと、囚われていた、人質の子供も、全員、殺され…」
「なんと…奴等! 捨ててはおかぬ!」
「山本家、の長男である、太郎様は今は逃げて、生き延びて下され…
どうか、じぃの、最後の願いを聞き、届けてくだされ」
「……わかった、必ず、必ず…!」
涙を流しながら老人の話を聞く太郎。
老人の息が次第に弱くなっていき、誰の目から見ても長くないとわかる。
「…裕輔、殿」
「は、はい」
老人に話しかけられ、ビクリと体を震わす裕輔。
やっと体が動くようになったのか、おろおろと鈍い動作で老人へと歩み寄る。
「どうか太郎様を連れ、足利 超神の魔の手から抜け出してくだされ。
まだ会って、間もない、貴方ですがお願いしますじゃ…」
「足利…超神…だ、と?」
「お願いしま、し……」
「じぃ!!」
裕輔の手を握り、最後の願いを伝える老人。
だが言葉半ばでこと切れ、太郎が縋り付くようにして号泣した。
(そんな馬鹿な名前があるはず…いや、俺は知っている! 足利 超神という名前を知っている!)
老人の言葉にまるでハンマーで殴られたかのような衝撃を受けている裕輔。
超神なんて馬鹿げた名前がこんな時代につけられるはずがない。
しかし、彼は足利 超神という名を知っている―――――――戦国ランスというゲームで。
「(なんてこった、こんな…今はそんな所じゃないか)太郎、逃げるぞ!」
「逃げる…? じぃを殺した、奴らを置いて…?」
「しっかりしろ、太郎! その人はお前に生き延びろと言ったんだろうが!
なのにこんな所で死んだら申し訳が立たないだろうが!」
「! …そうでした!」
初めは胡乱な瞳で俯いていた太郎だったが裕輔に肩を揺すぶられて正気に戻る。
その瞳には迷いがあったものの、それ以上に自分がすべき事を理解しているようだ。
「川の方角に逃げて下さい! テキサスへと抜けられます。
逆の方角だと京へと行ってしまうので」
「わかった」
方角を指差し、自ら先頭を務めて走り出す太郎。
裕輔の頭の中に【ここはランスの世界か?】という疑問が溢れ出すが、今はそんな事を言っている場合ではない。
命の危機を脱出するため裕輔も太郎の後を全力で追いかける。
《ズギャン!!》
「って、早!? 裕輔さん速!?」
「え? なんで太郎君そんな後ろにいるの?」
「裕輔さんが追い抜いたんですよ! どんなけ速いんですか!? 今目に映りませんでしたよ!?」
目をまん丸にして驚く太郎と不思議そうに後を振り返る裕輔。
そして自分が走った足跡を見て裕輔も驚愕した。
地面が裕輔の足跡で抉れまくり、無残に掘り起こされている。
某アメフト選手の高速の走りでもここまではならないだろう。
裕輔はそんなに脚が速い方ではない、
だが事実として地面が抉れており、説明がつかないがとてつもなくスピードが向上している。
今やっと太郎がはぁはぁと息を荒げながら裕輔に追いついた。
「もう、ちょっと、速度、を、さげて、もらえませんか?」
「(けどそれじゃあ鎧武者達に追いつかれそうで怖いしな…)よし、こうしよう」
「え、ちょ?」
裕輔は無言で太郎をおんぶする。
太郎は困惑気な声を上げるが、裕輔は有無を言わさずしっかりと担ぐ。
正直な所裕輔の頭は情報が多すぎてパンクしてしまっている。
脚が速い? 逃げるのに有利だからむしろおk ぐらいにしか考えていなかった。
「しっかり口を閉じてろよ!」
「まさか…ぅ、うわああああああ!?」
《ズギャアアーーーン………》
ドラップラー効果で悲鳴を残す太郎を担いだ裕輔は疾走する。
裕輔の背中にいる太郎はジェットコースターに乗っているような物なので、気が気でない。
振り落とされまいと全力で裕輔の背中に張り付いた。
暗くなった森の中を裕輔は走る。
もし万が一鎧武者に追いつかれた場合、彼らには死しか残されていない。
現代日本人である裕輔は血に塗れた鎧武者の刀を見ただけで体が竦んでしまっている。
そんな状態で闘う事なんて出来るはずがなかった。
■
《ズギャン!》
「ん、今何か通り過ぎなかったか?」
「動物だろ? 超神様の命令であいつらが行ってるから村は全滅。
もし仮に山本 太郎が逃げてきても俺らが見落とすはずがないしな」
「ちげぇねぇ! ひゃはははは!!」
実は村を包囲するようにして足利の兵は配置されていた。
太郎は村で殺されるだろうが、万が一逃げ延びた場合に対する保険である。
子供である太郎一人なら100%この包囲網を抜け出せなかったであろう。
だが裕輔とその背中に乗る太郎は辛くも生き延びる。
裕輔の唯一の特性の【神速の逃げ足】によって。
ここに新たな外史の幕開けとなった。
今までの世界ではあり得なかった一握りの可能性。
これからどうなるかなんて誰にもわからない。絶対の存在であるルドラサウムでさえ。
もっともそれこそが彼にとっての望みであるが。
■
Interlude
「あははっ! 腰が抜けないだけでも大したものじゃないか!」
「もうすぐ彼もJAPANに来るし、今から楽しみだよ」
「これからも楽しませてくれよ、虫けら君?」