一時撤退を余儀なくされた織田軍。
今や撤退が完了し、織田軍はテキサスと尾張の国境付近まで下がっていた。
必死の撤退に一般兵士達の疲労は極みに達しており、しばらく進軍は不可能。
ほうほうの体で逃げ出した織田軍は今、各部隊における被害報告を纏めているところである。
各部隊の被害は死傷者、重軽傷者を含めれば消耗率は五割を超え、殆ど壊滅状態。
無事なのは織田の後方で撤退支援の援護射撃をしていた弓兵隊くらいなものである。
中でも乱丸率いる武士隊、とりわけ―――――鉄砲の一斉射撃に晒された勝家の足軽隊の被害が酷い。
「勝家殿! 勝家殿! 何処にいますか!!」
大声を張り上げて織田の陣営を駆けまわるのは明智光秀だ。
光秀はランスから部隊の再編成を命じられ、休憩する間も惜しんで駆けまわっている最中である。
織田家の良識人かつ苦労人、彼が倒れれば織田に政治が出来るのは3Gだけというのが寂しい。
(消耗率が激しい…こんな状態では再攻撃なんて無理だ)
光秀の目に映る兵士の姿は疲れ果てており、今にも倒れかねない者ばかり。
ランスはすぐにでもリターンマッチする気満々だが、戦は一人でするものではない。
こんな状態で再戦などした場合、本当に壊滅してしまうのは眼に見えている。
なんとも頭が痛い事だ。
光秀は実質織田の全権を握っているランスの事を思うだけで胃に穴が空きそうだった。
第一今回の合戦にだって彼は言い表せない不快感と疑問を抱いていた。
合戦は多くの命と資金、食糧が失われる。
合戦をするに当たって国と国は互いの信念、譲れぬ物を奪いあう。
だというのに今回の合戦の発端というものがそもそもおかしい。
『雪姫ちゃんをもらいにテキサスに行くぞ。さっさと準備しろ』
彼の尊敬する主君、織田信長が全権に等しい権利を任した影番・ランス。
信長が任した以上ランスの命令を聞くのが忠臣の務め。
しかし――――――――――しかし。
果たしてこの戦いに織田の正義・信念はあるのか……?
これ以上は考えてはいけないと光秀は頭を振る。
この思考はいずれ己を殺す。合戦は始まり、とうの昔に賽は投げられたのだから。
「光秀!! ここにいたか!」
「乱丸殿ですか。私も探していましたよ」
丁度武士隊の被害を纏めていた乱丸と合流を果たす光秀。
だが乱丸は息を切らし、酷く憔悴しきった顔。乱丸のこんな顔は見たことがないと光秀は思った。
嫌な予感がする。光秀のそんな思いを裏切らず、乱丸の口から出たのは想像したくなかった言葉。
「勝家が、どこにも、いない! 見なかったか!?」
「ッ! …いえ。私も探していたところです」
「くっ…引き続き足軽の兵に訊ねてくる。武士隊の報告は後にしてくれ」
光秀の答えに乱丸は知れず、体が震えた。
過去何度も戦場を経験したが、これほどまでに恐ろしかった事はない。
さっと見たくない物から眼を逸らすように顔を伏せた乱丸は見てとれるほどに青褪めている。
光秀の横を通り抜け、乱丸は再び勝家を探しに地面に座りこんでいる兵士達に声を掛けに行った。
「勝家殿………」
勝家の足軽隊は謎の攻撃により一番被害を受けた部隊だ。
その悉くが屍を晒し、力尽き、壊滅した様は織田全軍が見ていた。
最悪の事態を想定していなかったわけではないが、普段の勝家を知っていれば想像も出来ない。
――――――勝家が討ち死にしたなどとは。
織田家の家臣の中で最も忠義に厚く、足軽を纏め上げて鉄壁の部隊へと鍛え上げた。
また武芸の腕前も織田家の中で随一である。怪我が完治していないとはいえ、死ぬはずがない。
彼が死ぬような事があればそれこそ織田の足軽隊―――いや、全兵士の士気に関わる。
しかし彼等がどれだけ探そうと勝家は見つかる事はなかった。
――――――勝家、討死。
その報は織田全軍を駆け廻り、大きな衝撃を与えた。
ランスは全軍を再編し再侵攻する気満々だったが、全軍の士気の低さ、乱丸や光秀ら将兵の間に走る動揺のため侵攻を断念。
残存兵力を全て引き連れて尾張へと退却する事になったのである。
■
「そちらに援軍を出すわけには行かない。
真に遺憾ではあるが我が上杉に他国へと回す兵力に余裕はないのだ」
「しかし! 織田の余りの暴挙、このまま見過ごせば上杉家にも―――」
「気持ちはわかるがどうしようもなかろう。
浅井朝倉の使者の方がお帰りだ。丁重にお送りしろ」
「お待ちください! どうか、何卒! 何卒お力添えを―――!」
上杉家謁見の間。
必至の様相で援軍を乞う浅井朝倉の使者を無理やり下がらせ、上杉県政は清々したと従者に茶を持ってくるように命じた。
その顔には苦渋の選択をしたというやり切れなさは微塵も存在していない。
「ふんっ。武田との戦いでも危険だというのに兵をやれるか。
防衛の戦力を削ってまで他国を救うなど、馬鹿のする事よ」
県政は上杉の城主、上杉謙信の叔父にあたる人物。
彼は常々女でありながら城主である謙信の事を忌々しく思っている。
毘沙門天の化身と呼ばれると知った時は吐き気がした。
それほどまでに嫌っている謙信だが、人信も篤く個人の武力はJAPAN一と言われている
如何に謙信の事を疎ましく思っていても謙信がいなくなれば上杉家は間違いなく潰れる。
県政は自分の力でもやっていけると思っているが、それは大きな間違いというもの。
県政は自尊心だけは高いが、城主の器を持っていなかった。
それ故先代上杉国主は幼い謙信を指名したのだが、県政からすれば納得がいかない。
隙あればといつも狙っているのだが、謙信の腹心の部下である直江愛がいるためそれもままならない。
「今回の事もきっと何も考えずに受けようとしたに違いない。
まったく、武田との戦いへと行っている間に処理できてよかったわ」
自分の安全を脅かしてまで他国に援軍を出す? 馬鹿馬鹿しい。
県政にとって選ばれた者である自分が最優先であり、その他は二の次。
上杉謙信がいれば上杉は織田の狼藉を許さず、援軍を出していただろう。
しかし運悪く武田との小競り合いに謙信と愛は出陣しており、上杉城にいたのは県政のみ。
浅井朝倉の使者は快い返事を何一つ得られぬまま、失意のどん底で上杉家を後にした。
■
どどどどどど!
一郎が負傷したとの報せを受け、裕輔は一乗谷城の廊下を急いで進んでいた。
勝家を捕虜にした事の報告を一郎に上げようと本陣に行けば一郎はおらず、本陣は騒然としていた。
そこで兵士の一人を捕まえてみたら一郎が何者かの凶刃にあい、負傷したというではないか。
すぐに一郎は城へと運ばれ、手当を受けたという事までは情報を得られた。
しかしそれ以上の事が不明のため、裕輔は直接一郎を探しに城を爆走しているのである。
一郎が治療している部屋はすぐにわかる。
負傷者は山ほどいるが一郎は最上級の治療を受けるため、最も清潔な部屋にいる。
言わずと知れた一郎の部屋の襖を勢いよく裕輔は開いた。
「一郎様! 大丈夫ですか!? 死んでいませんか!? 毒を受けてはいませんか!?」
「何物だ、無礼であろう!」
中にいたのは医者と思われる白衣の人物。
部屋の中には刀を携帯した武士が何人も陣取っており、いきなり襖をあけた裕輔を咎めている。
そして一郎は布団の中で弱々しいながら、血色のよい顔で裕輔を見返していた。
「…あぁ、裕輔君か。やめろ、彼は僕の副官だ」
一郎の掠れるような声を聞いた兵士達が矛を収める。
一郎は二人で話しがしたいと裕輔のみ残るように小さく命じる。
兵士達と医者は部屋のすぐ外で警備している旨を一郎に伝えると、ゾロゾロと部屋を退室した。
「それで大丈夫なのですか。暗殺者に命を狙われたと聞きました」
「ははは、なんとか、ね。
傷自体は浅いものだったし、塗られていた毒も良薬アサクヒロクで解毒できた。
数日は動けないだろうけど命に別状はないさ」
「そう、ですか。それはよかったです」
一郎の身の安全を聞きほっとする裕輔。
だが―――――― 一郎は苦々しく胸中を語る。
「こんな大事な時に、と自分で自分が情けない。まだ詳しくその後の経過を聞いていないんだ。
織田が撤退したのは知っているのだけれど、何処まで撤退したのか教えてくれるかい?」
「織田は尾張まで撤退したようです。
あれだけ鉄砲で傷めつけましたから…少しの間は大丈夫かと」
そうかいと一郎は安堵し、同時に悔しくも思う。
尾張まで撤退したという事は時間を稼げたという事。それはいい。
だが同時に一郎は自分がやられなければ織田軍を包囲殲滅できたのではないかとも思えるのだ。
「鉄砲も500丁全て回収できました。
これで織田に弱点を知られるのを遅れさせる事が出来ると思います」
裕輔がすぐに一郎の所へと飛んで来れなかったのはそのためだ。
鉄砲は第一級の機密兵器。織田の手に渡るのだけは避けなければならない。
だが回収できたからと安心できるわけでもないのである。
「そうか、それはよかった…だけれど解せないね。
ならどうしてそんなにも眉間に皺を寄せているんだい?」
言うべきか、言うまいか。
迷っていた裕輔だが、一郎の指摘に全てを切り出す事を決めた。
即ち鉄砲の優位性が崩れ去っている可能性と講和を結ぶ事を考えて欲しいという事を。
「はい。鉄砲なのですが、実はモデルとなった兵器があるのです。
モデルとなった兵器の名前はチューリップ。大陸の兵器です」
「大陸の…ちょ、ちょっと待ってくれ。まさか…」
思わず起き上がってしまうほどに驚いた一郎。
すぐに呻いて布団へと沈んだが、一郎の反応からして気付いたのだろう。
「まさか、織田の異人は鉄砲の事に気付いているかもしれないって事かい?
しかも鉄砲の欠点を知っている可能性もあると。そういう事なのかい?」
こくりと無言で頷く裕輔。
一郎は有能な士官である。その危険性にはすぐに気づく。
鉄砲のアドバンテージが消えるという事はそれほどまでに浅井朝倉にとってダメージが深い。
単純な理屈で言えば浅井朝倉の戦力が大幅に減少する。
鉄砲の性質を知れば雨が降ってくる日に合戦をしかける。これだけで鉄砲は無力化されてしまうのだ。
また鉄砲の運用を前提とした布陣を敷いていた場合、結果は火を見るよりも明らかである。
更に悪いことに浅井朝倉の間に鉄砲の絶大な戦果が目に焼き付いている。
過ぎた自信は過失に繋がり、決定的な敗北に繋がる。
鉄砲の力を過信するあまり元からない戦力差を錯覚してしまう恐れすらあるのだ。
「なんていう事だ…」
鉄砲はあくまで裕輔がもたらした望外の戦力。
織田との戦は浅井朝倉の戦力のみで戦う計算をし、その難しさは理解していた。
だというのに鉄砲が使えなくなるかもしれないという事実は一郎を絶望の淵に追いやる。
よくも悪くも鉄砲は強力すぎたのだ。
「一郎様。そこで真に無礼ながら、俺から提案があるので……ッ!?」
愕然とする一郎を見ている裕輔は心苦しかったが、いわなければならない事がある。
しかし二人のいる部屋を襲った異変に言葉を噤んだ。
「こ、これは!」
<カタカタカタカタッ…!>
始めの異変は一郎の枕もとに置いてある湯呑に波紋が生まれ、全体が震え、中身を零した事。
「地震!? しかも…大きい!」
次の瞬間には一郎と裕輔も揺れを感知し、部屋全体が目に見えてわかる程に震える。
振動は時間が過ぎれば過ぎるほどに大きさを増して裕輔は立ってもいられなくなった。
(く…っそ……! この、タイミング…で、かよ!)
身を低く屈めながら裕輔は毒を吐く。
本当に忌々しい。可能性はあったけど、そんなに高くない可能性だったというのに。
余りの不運に裕輔は神を恨んだ。
――――――――浅井朝倉の地震イベント。
浅井朝倉と織田との戦いが長引いた場合に起きる可能性があるイベント。
原作内では地震によってかなりの被害が出たとなっており、ランスの卑怯戦略で浅井朝倉の戦力を削る事が出来る。
裕輔はそのイベントを身を持って体感し、被害の大きさに心のどこかで納得が行っていた。
揺れがおさまった時、部屋の中はぐちゃぐちゃに錯乱して酷いあり様を晒している。
幸いなのは一郎と裕輔が無事であったという事くらい。
重臣が住まう部屋なだけあって丈夫な作りで助かったと裕輔は胸を撫で下ろした。
「無事ですか、一郎様」
「なんとか、ね…しかし、泣きっ面に蜂とはこの事だ…。
何もこんな時に地震が起こらなくても。どれくらいの被害が出たのか計り知れない…」
部屋の惨状から察するに、城下町の造りの甘い民家では倒壊などの被害が出ている可能性もある。
民家を失った民への炊出し、当座をしのぐ場所の手配…とてもではないが、戦時中に出来うる事ではない。
だと言ってしないわけにもいかない。浅井朝倉にとって民とは守るべき宝なのだから。
「一郎様。ここはもう、取るべき道は一つしかないと思います」
だがこの逆境すら裕輔は有効活用する。
確かに浅井朝倉は甚大な被害を受けたかもしれない。
まだはっきりわかってはいないが、被災者の数も数百単位におさまらないだろう。
しかしこの時期にこのタイミングでの地震はある意味で都合がいい。
性悪な神様はきっと笑っているのだろうが、裕輔はそんな事は知るかと逆境を利用する。
裕輔は断腸の思いで一郎へと切り出した。
「―――――織田との講和を。今ならまだ、対等の立場で講和を結べます」
織田との講和。つまり停戦条約を結び、この戦を手討ちにすべきだと。
裕輔は一郎の前で臆することなくハッキリと上申した。
あとがき
やっとここまで書けた。
各勢力の複雑な心境を書けていたらいいなぁ…特に織田陣営。
まだランスが来て日が浅いという事を象徴したかった話です。