戦争とは互いのナニカを奪いあう行為だ。
相手の土地を、金を、名誉を、誇りを、尊厳を――命を。
譲れぬナニカを守るため、敵のナニカを奪う。
戦争が外交の最も愚かな選択と言われる所以がよくわかってもらえると思う。
戦場の命の価値は紙屑のように軽い。
剣をひと振り、槍をひと突き、銃の引き金を引くだけ。
たったこれだけで容易く人の命――その人の全てを奪う事が出来るのだ。
「…………」(この空気はまずい)
足利よりの降将・山本 五十六は曇天にも似た天気の中、織田軍に蔓延する危険な空気を感じ取った。
合戦に負けこそしたものの、まだ戦に負けたわけではない。
だというのに織田軍に蔓延る空気は濃厚な敗戦の気配に支配されていた。
戦とは何も全てに勝たなければいけないわけではない。
勝たなければいけない時に勝ち、負けてはいけない時に負けない。
確かに浅井朝倉の城前での戦いは勝たなければならない戦いではあったが、負けてはいけない戦いではない。
自領に戻れば兵士の補充もきくし、まだまだ挽回のチャンスはある。
まだ織田に加わって日が浅い五十六だが、この重たい空気の原因は知っている。
そう、理由は明確だ。織田家筆頭家臣・柴田勝家の戦死である。
織田の柴多と言えば鉄壁の足軽隊を率いる猛将として名を轟かせている。
かつて敵であった五十六は勝家の堅固な守りと恐ろしさを嫌というほど知っていた。
仲間になれば彼ほど頼もしい『盾』はいないだろう。
だからこそ解せない。彼が第一陣を任された足軽隊が壊滅し、彼自身も帰らぬ人となったなどと。
五十六には皆目見当がつかないが、あの時戦場に響いた雷鳴にも似た轟音は浅井朝倉の新兵器らしい。
尾張へと帰る道すがらランス・乱丸・光秀・鈴女などの主だった将達は情報を交換していたのだが、鈴女に心当たりがあるとの事。
あの時用いられたのは種子島家で開発された『鉄砲』という兵器なのだと。
その絶大な威力と射程は自分たちの身を持って体感した。
射程こそ弓には及ばないものの、一方的に虐殺できる射程と威力を持っている。
実際に見聞きした事実と聞き及んだ情報からして、如何に猛将勝家といえど――
織田と関係が浅い五十六でさえ動揺しているのである。
古くからの戦友であった光秀や乱丸―――特に乱丸の動揺は計り知れないものであった。
勝家戦死との報せが織田に齎された時、乱丸の錯乱は酷いものだった。
愛刀を地面に叩き折れんばかりに突き刺し、雄叫びをあげながら周囲の静止を振り切って戦場へと戻ろうとしたのだ。
鬼気迫る表情でもがき暴れる乱丸を屈強な男数人がかりで押さえつけて事無きを得た。
何事かと五十六や光秀、ランスなどが様子を見にきた時には静まっていたが―――。
(あれではまるで、死人ではないか……)
まるで全てに絶望し、思考を捨てた死人のように虚ろな目の乱丸。
行軍している今こそ将として兵士を動揺させないため気丈に振舞っているが、活力というものが削げ落ちてしまっている。
持ち前の目の良さでちらりと遥か前方で武士隊の先頭を歩く乱丸を見てみても、目は虚構で何も映していなかった。
これからどうなるのだろうかと五十六は思う。
当初五十六でさえ順当に勝てると思っていた浅井朝倉戦だが、手酷いしっぺ返しによって痛恨の被害を受けた。
純粋な兵力という意味では織田の優勢は覆っていないものの、これからどうなるのか見当もつかない。
戦場での一番槍といえば武士の誉れだが、鉄砲の威力を目に焼き付けている兵士は使いものになるだろうか。
死を覚悟しているとはいえ、確実に死ぬとわかっている役割を誰がするというのだろう。
鉄砲にも弱点はあるが、それを今の織田が知る由はなかった。
鈴女とランスは鉄砲の性能をある程度予想できるだろうが、それは予想に過ぎない。
ましてや弱点などわかるはずもなかった。
ここで鉄砲を回収出来ていれば話も変わってくるが、浅井朝倉によって鉄砲は全て回収されている。
戦後の事まで考えていた裕輔を流石と褒めるべきかもしれない。
あの時一丁でも拾ってくればよかったと鈴女が後悔したのは言うまでもない。
(―――だが、同時にこれはチャンスでもある…)
一応今もランスの好意で五十六の大事な弟である太郎の捜索はされている。
だがここで活躍して、織田家の中での地位を上げれば更に捜索に割けられる人数を増やす事が可能だ。
不謹慎である事を承知で言えば、ピンチであればあるほど伸し上がる可能性も高くなるのだから。
「…尾張の城、か。隣国だというのに、とても長かった」
少しだけ見なれた道に入り、視界の端に小さく織田の居城が映る。
兵士を休ませ、これからの戦に関してやることはいくらでもある。
それらの事を同時に思考しながら処理している五十六にとって思いにもよらぬ事が起こった。
「五十六様! 五十六様!!」
「…井上? 今戻った。しかし、それほど焦って如何した?」
「とにかく来て下さい!」
「ま、待て。一体どうしたという…」
尾張の城で待っていたはずである彼女の腹心の部下井上成美が五十六を見つけるや、五十六の手を引き城へと急かす。
尾張の城から五十六の姿を見つけた瞬間飛び出してきたのだろう。汗で額に髪が張り付いている。
彼女のそんな姿を一度も見たことがない五十六は眼を白黒させるばかりである。
「参られたのです! 尾張にあの方が!」
彼女がこれほどまでに焦っている理由。
「太郎様が! 太郎様が単独で尾張へと脱出してこられたのです!!」
その理由は五十六の人生そのものだった。
「………――――――!!」
手を引っ張られながら暫し呆然と、なすがままにされていた五十六だが。
井上の言葉を理解するや否や重苦しい甲冑を脱ぎ棄て、戦の疲れを忘れて己の脚で駆けだした。
ただただわき目も振らず手を必至に振り、城の城門を駆け抜ける。
門を潜り、自分に宛がわれた離れの屋敷へと一目散に。彼女の頭の中に占めるのはたった一つ。
これからの戦いの事やフォローの事など、まるっきり頭から抜け落ちてしまっていた。
「太郎!!!!!」
屋敷の玄関をくぐり、一つ一つの部屋を開いて回る五十六。
井上に太郎がいる部屋を聞けばよいのだとは理路整然とした考えだが、そんな事まで五十六の頭は回らない。
それに井上は五十六の健脚についていけず、まだ城の城門あたりにいたりする。
「どこだ、太郎!!?」
―――――――そしてついに、五十六は再会した。
ある一室にいた少年は五十六の剣幕に驚き、目を丸くしている。
その姿は五十六が知っているものより背が高く、髪も伸び、服も粗末な物を着ていた。
しかし精悍になったものの顔つきには五十六の知っている、愛すべき弟の面影があった。
「ああ、ぁあ………ッ!」
五十六の目からはつぅっと自然、涙が溢れてしまっていた。
それすらも五十六は気付かず、視界が曇って太郎の顔がよく見れない事を煩わしく思うのみ。
先ほどまでの勢いは完全に消失してしまい、茫然自失としてぺたりと座り込んでしまう。
少年はすくっと立ち上がり、座り込んでしまった五十六の前までゆっくりと歩み寄る。
そしてぎゅっと五十六の背に両手を回し、抱き締めた。
「……ただいま、姉さん。」
耳元で告げられた懐かしい声に、五十六の中で堰き止められていた何かが溢れだす。
感情の奔流。胸によぎる暖かい何か。けして不快ではないソレを繋ぎ止めようとは思わなかった。
「少し、痩せましたか?」
「ぅ、ぅぁ―――あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁああ!!」
自分からも背中に手を回し、五十六は確かめるように強く胸にかき抱く。
暖かい。この熱を失くしてしまわないように、離れてしまわないように。
■
「はい、どうぞ。
焦らなくとも皆さんの分はちゃんとありますので、順番をしっかりと守ってくださいね」
「おぉ、雪姫様…」
「ありがたや、ありがたや」
浅井朝倉では戦のための兵糧を震災を受けた民へと配るべく、炊き出しを行っていた。
震災は大きく浅井朝倉に影響を及ぼし、深い爪痕を残した。
こうやって炊き出しを行えるようになったのも、裕輔達講和の使者が尾張へと向かったためである。
講和が成立すれば良しであるし、仮に失敗しても時間は稼げる。
浅井朝倉の忍者隊は先の戦、たった一人の手によって壊滅させられた。
音もなく、誰にも気づかぬままに一瞬で。恐れるべきは鈴女。何が起きたのか浅井朝倉にはついぞ知り得なかった。
そのため織田の動向を知ろうにも知りえず、使者を立てた事でようやく一息つけたのである。
女の身であり、幼少から蝶よ華よと育てられた雪姫は武芸で浅井朝倉の役に立つ事は出来ない。
そのため震災の復興作業に専念する事で役に立てない歯痒さを忘れようとしていた。
彼女に出来る事は本当に少ない。少なくとも彼女はそう思っていた。
「………」
本当なら、既に戦は終わっていたはず。
発禁堕山の力を借りた一戦ではいとも簡単に織田を追い払っていた。
あれを使えば大地震が起こる前に尾張まで攻め込み、織田を潰せたはずだったのに。
はずだったのに。あの男が邪魔さえしなければ。
「…ッ」<ギリッ>
裕輔の事を考え、知らずの内に雪姫は歯を噛み締めていた。
雪姫にとって自分の身より大切なのは浅井朝倉の民。ひいては父・義景や家族のために。
浅井朝倉の人々が幸せに暮らせれば、それでよかったのだ。
彼女は知らない。
義景が雪姫を嫁がせるのを拒否し、この戦争が勃発したのを。
己の身を投げ出して浅井朝倉を救おうとした行為が如何に愚かな選択だったのかを。
「雪」
「おお、義景様じゃ……」
「こんなところに、お忙しいでしょうに」
雪姫は炊き出しである粥を配る手を止め、声の主へと向き直る。
民衆が有難そうに手を合わせ、そんな彼等に優しい言葉をかける声の主。
それは今最も忙しいはずの義景であった。
「話がある。とても重要な。お前にはまだ話していなかったが」
「話、ですか…? ええ、わかりました。みなさん、ここはお願いいたします」
「はっ、雪姫様。ここは我等にお任せ下さい」
雪姫は粥を配るのを他の兵士に任せ、義景の後について歩き始める。
先を歩く義景の顔は重苦しく、苦々しいものだった。
あとがき
すみません、短くて。
今回は織田勢の空気と、浅井朝倉の現状。
そして何よりも無事に太郎と五十六が合流できたとこまで書きました。
五十六の弓で太郎が死んでしまうというドS展開を期待していたかた、すみません。
え、いない? デスヨネー。