あの激戦から少しの時間がたった。
魔人を倒せなかったのは痛かったが、元から他力本願なのだ。贅沢は言えない。
むしろ使徒の一角を切り崩せただけでも良しとしなければいけない。
戦後、俺に出来る事は何だろうと考えた。
予定では毛利に直行で行くつもりだったが、本当にそれでいいのかと。
毛利にはしばらく腰を据えて落ち着くつもりなので、毛利に滞在する事を決めた場合、容易に身動きは取れなくなる。
いや、そんなに毛利とは友好関係だったわけじゃないですけどねwwうぇww
一応とはいえ、ちぬの命を助けたのだから滞在は出来ると思うんすけどねww
……それはともかくとして、だ。俺にしかできない事は他にないのか、と。
あるといえばあるし、ないといえばない。
俺に出来る事といえば未然に原作知識を元にして後の悲劇を防ぐ事。
俺自身が悲劇を救えるわけではないが、誰かに忠告するくらいは出来る。
「……長かった。本当に尻が割れるんじゃないかと思う日々だった」
旅の道中にあった毛利で警邏に出ていた毛利兵の自転車をパクり。(命懸けで)
一日十時間くらい自転車のペダルを漕ぎ続け、やって参りました西JAPANの端。
ええ、本当に痔になるんじゃないかと思いましたよ。この自転車クッションとか付いてないんだもの。
あの時の毛利兵(チンピラ)との追走劇は思い出したくもない。
あの二時間の記録は出来るだけ思い出さないようにしよう。
「ほえー…でっかい橋だな。よくもまぁ、こんなデカイの作ったもんだ」
そんな俺の数週間に及ぶ旅の疲れも吹っ飛ぶような景観に感嘆の声を漏らす。
今俺の目の前にある橋はここJAPANと大陸を結ぶ橋であり、天満橋という。
その広大さは現代人の俺からしても、圧倒的な大きさとスケールで驚きを隠せない。
ここまでで賢明な奴はわかっていただけたと思う。
俺が今いるのはアフリカ半島を統べる大名―――島津家のお膝元だ。
■
島津家。
ここJAPANの最西端に位置する大名である。
大陸との唯一のつながりである天満橋があり、交易も盛んな土地である。
この地を支配しているのは島津一族。
今代の島津はそれぞれ別の時代に生まれれば各自が国主になれたであろう四兄弟が力を合わせて統治していた。
■
その女の美しさは他から群を抜いて美しかった。
流れるような長髪は吸い込まれるような黒。その端正な顔立ちは東の雪姫と並ぶほどのものである。
大きく見開いた瞳は青く透き通っており、誰もが認める絶世の美女がそこにいた。
その女性は自室で一人、目を瞑り正座をし、ぽんと手を膝に置いている。
瞑想、ではないだろう。その顔は集中をしているものの、表情はやや険しい。
何かに気付いてはいるが、認めたくない。そんな表情。
「………」
普段の彼女を知る人間からすれば、彼女がこんな表情をするとはと驚きを顕にするだろう。
そんな彼女はドタバタと部屋の前を騒がしく歩き立てる物音にも気づかない程に集中していた。
「なぁなぁ黒姫、一緒に団子でも食いにいかないか?」
「いーや、黒ねーちゃんは僕と一緒に遊びに行くんだ!」
がらっと集中している彼女がいる部屋の扉が開かれる。
外から現れたのは理髪そうな顔立ちの少年と男臭さというよりもワイルドな男の二人だった。
理髪そうな顔立ちの少年の名前は島津 イエヒサ。
この島津の地を納める四兄弟の末兄弟であり、島津家の軍師である。
その軍略は幼い年齢を考えても異端。鬼才の軍師というのが妥当な評価だろう。
そしてもう一人の野暮ったい男の名が島津 カズヒサ。
四兄弟の次男で、その剣技の冴えは織田信長に勝とも劣らぬと噂されるほど。
島津家の武士隊を率いる彼は島津家の特攻隊長である。
「…もう、二人共。喧嘩は駄目よ?」
そんな島津の頂点に位置する二人を子供扱いするように諌める女もまた、島津家のお偉いさんなのだ。
女の名前は黒姫―――島津において、四兄弟の寵愛を最も受けている姫である。
もっとも彼女自身は島津の四兄弟を子供のように扱っており、男と女の関係には至っていない。
「二人共まだ仕事があるでしょう? それが終わったら、ね。一緒に食べにいきましょう」
「ちぇ、やっぱり固いな。
仕方ねぇ。さっさと仕事終わらせてもっかい来るわ。
ほら、さっさと行くぞイエヒサ。お前が一番仕事多いんだからな」
「へっへーん。僕の手にかかればあれくらい、一瞬だね、一瞬。
それよりもカズヒサ兄ちゃんのほうこそ早く終わらせてよね!
…いや、けどそれもアリかも。カズヒサ兄ちゃん、仕事ゆっくり終わらせてね! その間、黒ねーちゃんと一緒にお茶飲んでるから」
フハハ、こやつめ。やめろー、ショッ○ー、ぶっとばすぞー。
そんな感じで頭を拳でグリグリされながら部屋を退室するイエヒサとカズヒサ。
イタイイタイと叫ぶイエヒサを見送り、黒姫はクスリと笑った。
あの子達は本当に…と内心苦笑しながらも、直前までの鬱然とした気分が幾らか和らいでいる。
それに黒姫は少し感謝したが、胸中に燻る嫌な予感はそのまま黒姫の中にあった。
この黒姫、実は魔人ザビエルの娘なのだ。
ザビエルが過去に一度復活した際に人間を犯して生まれた、ただ一人の遺児。
現在推定520歳前後で、肉体年齢は20歳くらいを境に止まってしまっている。
ずっと前の島津の当主に厄介になり、そのまま島津家に滞在していた。
それからというものの彼女は大恩ある島津の当主に少しでも恩義を返すため、その力を貸してきている。
ここ数百年、戦はあるものの平穏そのものの日々を過ごしていた。
―――つい先日までは、という注釈がつくが。
黒姫は直感とも言える部分で魔人ザビエル復活の予兆を感じ取っていた。
日に日に強まる胸のざわつき。悪夢という形で復活を伝える黒姫の第六感。
彼女のここ最近の鬱然とした気分はそれに端を発していた。
しかし彼女に出来る事はないと言ってもいい。
いたずらに確証もないのに魔人復活を仄めかしても混乱するだけだろう。
四兄弟は信じてくれるだろうが、彼女は四兄弟を危険に晒したくなかった。
まだJAPANの最西端にある島津まで天志教の使いは到着していない。
そのため黒姫には魔人復活の確定的な確信を持てなかったのである。
「本当にどうしたら…」
魔人が復活してしまえば、結局四兄弟も巻き込まれるのはわかっている。
しかし理屈ではわかっていても感情では納得できない。彼等にザビエルと関わって欲しくない。
現在JAPANでもっともザビエルの恐ろしさを知っているのは他ならぬ彼女なのだから。
〈カァ!〉
「‥あら?」
抜け道のない思考の迷路に嵌りかけていた彼女を現実に戻したのは一羽のカラスだった。
そのカラスは窓枠から入ってきたかと思うと、黒姫を恐れる事なくトコトコと近づいてくる。
随分と人馴れしたカラスだなと黒姫は思っていたが、カラスの脚に何か括りつけられているのに気付く。
歩いて近づくカラスは黒姫の目の前まで来ると、もう一度カァと鳴いた。
「これ、私に?」
「カァ!!」
そうだと黒姫の問いかけに答えるように強く鳴くカラス。
どうやらカラスの脚に括りつけてある文は自分宛てらしい。
黒姫はカラスを怯えさせないようにゆっくりと脚に結えられている紙を解く。
するとカラスは用が済んだと言わんばかりにバタバタと羽ばたき、入ってきた時と同じように窓から出て行った。
あとに残されたのは黒姫の手の中に残ったくしゃくしゃの紙だけ。
黒姫はいったい何だろうと疑問を浮かべながら紙を広げていき、
「え!? ………どう、して」
驚きの声をあげ、苦渋の表情で手紙の内容を噛み締めた。
黒姫は今日二人と城の外へ行く事は出来なくなった事を伝えるため、部屋を出る。
黒姫の手の中にある手紙の中にはこう書かれていた。
【魔人が復活しました。俺は魔人に関する正確な情報を持っています。
あなたの能力の事や魔人の事についてお話がありますので、今夜宵の刻にお時間頂けますか。
使いにやったカラスをお迎えにあがらせます。カラスの後に付いて行って頂きたい】
■
祐輔の島津家に訪れた目的とは大きくあげると二つである。
一つはザビエルが島津まで落ち延びて身を隠していないかの確認。
そしてもう一つはこれからザビエルが島津に落ち延びた時の保険。
まず島津の居城にまで来て、ザビエルが落ち延びていないという確信は得られた。
城下町にも変わった様子は何一つ見られないし、祐輔の能力で鳥を城内に視察に飛ばしても異常事態が起こっていないようだ。
まず最悪の事態を避ける事が出来たと祐輔は胸を撫で下ろした。
では次―――もう一つの目的。
万が一。いや、高い可能性で島津へと落ち延びる可能性が高いザビエルに対する布石。
最悪の事態を回避するために保険を用意することである。
そこで祐輔は城内にいる黒姫に手紙を出す事にした。
祐輔本人が行ってはどうかとも思うが、祐輔の能力的にそれは不可能である。
いくら鳥を扱えると言っても城内で人のいない道を探すのは無理であるし、神速の逃げ足も発動しない可能性もあるのだ。
その手紙の内容とは黒姫を呼び出すというもの。
これから祐輔が話す内容は島津四兄弟はおろか、城内の誰にも聞かれるのを避けたい代物。
黒姫本人に直接会って情報を渡したかったのである。
無論祐輔もこの方法で上手く行くという甘い考えは持っていない。
五分五分。いや、三分七分ぐらいの割合で黒姫が手紙の内容に応じるはずはないと思っていた。
誰が宛名かも知れない呼び出しである。祐輔自身呼び出されたのが自分だった場合、絶対に姿を現さない。
それ故に―――――
〈カァ!!〉
「あなたが…手紙の?」
カラスの鳴き声の後に現れた妙齢の美女の姿は大いに祐輔を動揺させたのだった。
■
「あの……人違い、ではないのでしょう?」
「え、ぇぇぇえええ、人違いではありませんにょ?」
思わず声が裏返ってしまうぐらいに驚かされる俺。
来るはずないだろうし、手紙に忠告文書いてもう一回カラスに送らせようと思った矢先の遭遇である。
そりゃ舌を噛んでしまっても許して貰えると思う。キモイとかも思われなければいいなぁ。
「立ち話もなんですので、席を用意しておきました。
単なる石しか用意できず申し訳ありません。ここら辺にはこれくらいしかありませんでした故」
ワタフタとしているのを精神力で内に抑えこみ、予め用意していたお話の場所を黒姫に勧める。
今思えば俺も随分成長したものである。こんな風に自分を抑えこみ、冷静な仮面を被る事が自然と出来るようになった。
死なないためには成長せざるを得なかった、というのが悲しいところだが。
「ええ、ありがとう」
俺の言葉に礼を述べた黒姫はゆったりとした動作で石の上に腰を下ろした。
今まで暗いので良くわからなかったが、近くまで来てその美貌に思わず息を飲んでしまう。
やっぱり黒姫も他のキャラクターと同じく、類稀なレベルの美人さんでした。
まぁ黒姫の美貌は一旦横に置いておいて、だ。
ゲームの中で彼女は島津四兄弟に宝物のように扱われていたし、彼等からすれば何者にも代えがたい者だろうし。
あんまり長い事そんな彼女が一人で外に出ていられるはずがないので、俺は早々に話を切り出す事にする。
「まずは初めまして。今宵は自分のお誘いに応じて頂き、まことに感謝しております。
この場では敢えて狂子様とお呼びしたほうがよろしいですか?」
「……その呼び方はやめて頂きたいです。
貴方が私とザビエルの繋がりを知っているという事も、真実を話すつもりだという事もわかりましたから」
あらら、バレてーら。
「これは失礼を。どうか平にご容赦下さい」
黒姫から殺意さえ漏れ出したので、ここは素直に謝る事にする。
作中で島津四兄弟よりも強いという描写があったが、どうやらそれはマジらしい。
何も俺は黒姫を挑発する目的でザビエルから与えられた名前を呼んだわけではないのだから。
「魔人ザビエルが復活した事は既に手紙でお伝えしましたね?
ではこれからその詳細な経緯と現在の状況を説明させて頂きます」
では何故俺が黒姫の反応を予想しつつも【狂子】と呼んだかというと、話に信憑性を付けるためである。
ひょっとしたら黒姫はザビエルが復活している事を感覚で知りつつあるのかもしれない。
そのためザビエル復活を信じてもらえるかもしれないが、俺の情報を信じてくれるかは又話が別なのである。
最悪、ザビエルの手の者と思われているかもしれない。
ザビエルが復活した時に娘である黒姫に接触しようなんて真似をする人間なんて限られているのだから。
「まずは今代のザビエルの依代が誰になったかですが。
織田信長はモチロン知っておられますよね?」
ではどのようにして身の潔白を信じてもらうかだが、それは正確な情報を提示する事でしか証明できない。
未来の知識を出したり、原作でしか知り得ない情報を出しても疑われるだけである。
ならば実際にあった過去。
しかも黒姫の最も隠しているであろう事を口にする事で自分の情報を信じてもらおうとしたわけなのだが、あっさりと信じて貰えたので少し肩透かしをくらった気分だ。
ただの挑発ではなく言葉の裏の意図をすぐさま汲み取れるという事は、黒姫は原作通り聡明な女性らしい。
「彼が今代のザビエル。いえ、ザビエルに体を乗っ取られた被害者です」
黒姫と話を交わせる時間は少ない。
それを察している俺は要点だけを絞って今までの経緯を黒姫に語るのだった。
■
祐輔の話を聞き終えた黒姫の感想は、やはりそうだったかという諦めだった。
魔人ザビエルは再び世に放たれ、彼者の手下である使徒も続々と目覚めている。
話に聞く限りは最悪の事態には至っていないようだが、それでも一つの未来が伺えた。
「次のザビエルの目的地はおそらく―――」
「この島津、でしょうね」
「ええ。そうだと自分も思っています」
祐輔の言葉を沈痛な面持ちで引き継ぐ黒姫。
それに是と祐輔は返答した。
「まず第一にこの地にあなた様――黒姫様がいらっしゃる事。
そして第二にこの地には【魂縛り】がいますね? 第一の条件は第二の条件に繋がります」
「っ!? 貴方、魂縛りの事まで知っているの!?」
「ええ、まぁ…何処に封印されているかは知りませんが」
――魂縛り
JAPANの妖怪において、最も危険とされる五体の妖怪:【禁妖怪】の一体である。
それ単体の力はそれほど強くはないが、その妖怪の持つ能力は国を滅ぼしかねない程危険な物なのだ。
魂縛りの能力とは異様なまでの感染とも呼べる【呪い】。
魂縛りに触れた者は無条件で呪われ、自我を失い、生者を呪うゾンビと成り果てる。
自ら死ぬことすら許されない体になるのだ。
この世に縛られ続けるという苦痛から逃れる方法は一つ。
自分以外の人間五人に呪いを移す事でしか解放されない。
一人が五人、五人が二十五人、そして…といった具合に魂縛りは【増殖】していく。
かつてこの妖怪によってJAPANは滅びかけた事すらある。
今度封印が解ければ大陸にまで被害が広がり、猛威を振るう事になるだろう。
過去の指導者達は多大な犠牲を払って魂縛りを封印したのだが。
「超危険な魂縛りの封印の地がここに。
それだけでも危険だというのに、更には黒姫様がいらっしゃりますしね。
【封印斬り】という、どんな封印でも解いてしまうという技能を持った黒姫様が」
封印斬り。黒姫の持つ固有技能である。
その技能を使えばどんな封印も立ち所に切り裂かれてしまう。
たとえそれが禁妖怪を封じている大掛かりな物でも、だ。
「貴方どこまで…!?」
「殺気を出すのはやめて頂きたい。
黒姫様の手にかかれば、自分の命なんて容易く消えてしまいますので」
誰も知る者がいなくなっているはずの自分の能力を知る人物。
あまりにも情報に精通しているため、ザビエルの手の者かもしれないと黒姫はすくっと立ち上がる。
黒姫の殺気と殺意、そして充分に命を刈り取れるだけの危険を感じ取り、祐輔は冷や汗を流しながら肩を竦めておどけてみせた。
「心配なさらずとも自分は黒姫様の味方ですよ。
…いえ、それは少し違うかもしれません。自分はザビエルの敵ですから。
正確な言い方をするならば、ザビエルを強化させないために黒姫様をお助けするつもりです。
………うん? 自分でも何を言っているのかわからなくなってきたぞ?」
やれやれ困ったと祐輔は頭をかく。
原作知識は確かに便利だが、説明しづらいというのが欠点である。
「それはともかく、自分の立場から言わせてもらえれば。
黒姫様が魔人ザビエルの手に落ちるのも困りますし、魂縛りを解放するのも困るのです。
そのために黒姫様に助言するために、今宵こうして御呼び立てしたのですし」
「助言…?」
「ええ、助言です。
自分が黒姫様をどうこうできるはずもないですし、どうこうするつもりも有りませぬ。
そんな事をすれば島津家が地の果てまで追いかけてくるでしょうしね」
訝しげな視線を祐輔に投げる黒姫を見て、祐輔はこれくらいで丁度いいと割り切る。
祐輔は己の身の程を弁えている。自分が出来ない事は出来ないし、出来る事をやるしかないのだ。
この黒姫の境遇にいくら同情し、助けてやりたいと思っても、祐輔にその力はない。
祐輔は黒姫の如何ともし難い状況を救えないのだから。
「まず一つ目の助言ですが、島津をお出になられる事。
さすれば魔人に発見されるのも遅れますし、仮に発見されても島津まで戻る間時間稼ぎが出来るでしょう」
「そんな事、出来るはずが!!」
「ない、ですよね。ええ、わかっていましたけどね。
そんな事をすれば血眼になって四兄弟が探すだろうくらいは。
しかしこれ、本当にオススメなんですけどね。黒姫様の貞操を抜きに考えれば」
「……どういう事ですか?」
はっきり言うと、四兄弟は黒姫に依存しきっている。
そんな彼女がいきなり姿を眩ましたら、国規模の捜索が行われるだろう。
最悪それだけのために全国に喧嘩を売りかねない。それがないと言い切れないのだ。
それを知っている黒姫の言葉に、祐輔は『ですよねー』と首をカクンと落して落胆した。
貞操の部分について疑問を呈する黒姫に、祐輔は補足を加える。
「今織田に異人がいるという事は知っていますか?」
「ええ、噂は流れてきています。カズヒサやヨシヒサが随分乱暴な方だと」
「そう、そいつです。
正しく噂の通り乱暴な奴なのですが、奴はこの世で二人にしか出来ない事が出来るんです。
魔人を殺して、魔血魂にまで戻すという事を」
「そんな事、出来るはずが…。
あ! 聖刀日光!? まさか、今代の使い手が今JAPANに!?」
「微妙に外れです。
この世に魔人を殺せる武器は二つ。
一つは黒姫様ご存知の聖刀日光、そしてもう一つ魔剣カオスがあります。
その男が所有しているのは魔剣カオスなのですよ」
聖刀日光に思い至り、はっと口元を押さえる黒姫。
彼女は前回の魔人復活の際も存命していたので、日光の存在を知っていたのである。
もっとも祐輔は外れだと言ったが、魔王一行は既にJAPANにいるかもしれないでのそれは正確ではない。
「その男、大層女癖が悪くて。性格も非道、卑劣漢、鬼畜の三拍子揃ってます。
黒姫様の美貌なら必ず保護して下さるでしょうし、JAPANで最も安全な場所となるでしょう。
しかし最悪です。女性にとって最大の敵です」
「…嫌いなの?」
「はい、大嫌いです」
ニッコリと満面の笑顔で即座に疑問に答える祐輔。
そんな祐輔を見て盛大にひきつつ、この情報は黒姫にとって大きなプラスになった。
選択肢ゼロの状態から一つ選択肢が出来たのだから。
「あともう一つあるんですけど…こっちは命の保証はできません。
例え黒姫様が不老不死であろうとも、です」
そう説明しながら、ゴソゴソと懐をまさぐる祐輔。
手に触れるガラス質な感触に指を這わせ、懐から小さな小瓶を二本取り出した。
「これは超強力な睡眠薬でしてね。
水で数万倍に薄めた奴ですが、それでも目覚めるという保証はできません。
どれだけ眠り続けるなんて検討もつかない代物です」
それはカ・グヤからの手土産だった。
祐輔はどうにかして有効活用できないかと考え、結論として薄めれば使えるんじゃね? に行き当たったのだ。
しかし湖に一滴垂らしただけで湖にいる全てとも思える魚が腹を見せてプカプカ浮かんできたため、使用を思いとどまっている代物である。
「死にはしないが、目覚める保証もないものです。
ここに水で数万倍に薄めた物が一本。そして原液が一本あります。
使うかどうかは黒姫様の判断にお任せします」
立ち上がり、黒姫の目の前に二本の瓶を並べる祐輔。
その内の一本が湖中の魚を昏睡させ、薄めた物。そしてもう一本が原液を半分程詰めたものである。
黒姫は目の前に並べられた二本の瓶を迷わず手に取った。
「お使いになられるので?」
「最悪、使う事になるでしょうね。
でもそれはザビエルに捕らえられて、身動きが取れなくなってしまった時です」
それもそうだろうなと訊ねた祐輔も得心がいく。
祐輔が提示した二つ目の案とはどうしようもなくなった事態を想定しての事なのだから。
最悪黒姫が眠りに付けば魂縛りは解放されないという、己の目的だけを達成する方法。後の黒姫や島津四兄弟の事を考慮にいれていない策。
「お話はこれだけですよ。そろそろ…城のほうも騒がしくなってきましたし。
ひょっとして何も告げずに来られたのですか?」
「ええ。だってあの子達、絶対理由を聞いてくるでしょうし。
理由を話さなかったら、一人や二人は必ずついてきます」
国主をあの子達扱い、やっぱ黒姫パネェ。
齢500を超えていると違うな、と祐輔は撤収準備を整えながら考える。
精神年齢は体に引っ張られているのか、まだまだ若いようだが。
「それではご機嫌よう、黒姫様」
「待ちなさい!」
なんか最近こういう去り方が多いな。ポーズと言い回しでも決めるか?
そんな馬鹿な事を頭に浮かべる祐輔を黒姫の静止の言葉が呼び止める。
「貴方、一体何者なの?」
「先程の答えでは満足して頂けませんか?」
「ええ。貴方の情報はとても重要な物です。
しかしその情報の出所がわからなければ、信用する事はできない」
背を向けた祐輔が振り返ると、石の上に座っていた黒姫は着物の裾をいつの間にか破っていた。
体は半身に、肩の力はほどよく脱力させている。それは闘うための構えであった。
無力化させてでも捕らえる。そんな黒姫の意思を感じさせる構え。
祐輔は全てを知りすぎている。
黒姫にとって、祐輔の情報は有意義な物だった。
しかしそれ以上に祐輔の存在が危険だと判断したのである。
「城まで来て下さい。決して手荒な真似はしません」
「それは俺が抵抗しなかったらの話ですよね?」
「そうなります。私には貴方が新たに生まれた使徒としか思えないのです」
黒姫の過去、能力を詳細に知る者はいないと言ってもいいだろう。
ある一人――ザビエルを除いて。ザビエルの使徒ならばこれほどまでの情報を持っていてもおかしくはない。
祐輔は使徒ではないが呪い憑きなので、使徒と判断し辛い雰囲気を持っていたのが仇となった。
「はぁ…やれやれ、こうなっちゃったか」
祐輔の話を真実だと信じ、好意的に受け取られる事は本当に少ない。
黒姫の人となりを知っていても、それはあくまでゲームでのもの。
実際に会った人物が黒姫のような性格でなければ、手紙を差し出した時点で島津の兵にヌッコロされてもおかしくないのである。
「カラス―――『やれ』」
だから当然、祐輔は手を打っていた。
「な!? いったい何をしたのですか!?」
ざわりと祐輔の体の中から異質な何かが漏れ出す。
目では視認できないソレを黒姫は本能で感じ取っていた。
目に見えない封印を斬る事が出来る彼女は祐輔が能力を発動した事を敏感に感じ取った。
カァカァと無数に夜の帳が広がる闇から黒い影が集まる。
それは10や20ではない。およそ50羽ほどのカラスが突如として現れ―――
「――くぅ!?」
黒姫の視界に広がった。
カラスは黒姫を攻撃する事はしない。
しかしその体を使って黒姫の視界を塞ぎ続ける。
これが祐輔の能力なのだと黒姫は気づいたが、あまりの突然さに対応が少し遅れてしまう。
「それでは」
カラスを振り払い、黒姫がカラス達の包囲網から抜けだした時。
そこに既に祐輔の姿は見えなかった。
「彼は本当に何者…?」
これは祐輔が悪いのが祐輔は己の情報を一切明らかにしていない。
それは保身のためなのだが、今回祐輔がした事といえば一方的に黒姫の個人情報を晒しまくった上に選択肢を選べと言って去っただけである。
これで信用してくれ、怪しむなという方がおかしい。
しかし祐輔は島津四兄弟が怖かった。
全員が黒姫を溺愛しており、黒姫に接触するだけでも命懸けなのだ。
そこで命の代わりに貞操を差し出せ、命の保証がない薬を飲めと提案する。知られたら首ちょんぱは確定である。
「信じていいのですか…?」
まるで黒姫にとって、祐輔との対合は刹那の間に見た夢のようだった。
しかし黒姫の手元には祐輔が残した二本の瓶が残されているのであった。