名門明石。
姫路に居城を構える、古くから伝わる武家の名門である。
しかしその名も久しく寂れ、今代の明石風丸の代には相当に落ちぶれてしまっていた。
今代の明石は特に運が悪かったと言っていい。
戦国乱世の世の中に生まれていなければ。平時の平和な世の中に生まれていれば。
あるいは名君となっていた人物、それが明石風丸である。
今明石は隣国である毛利から猛烈な攻勢を受けており、落城寸前。
既に戦える若者も全て戦死。今戦に出ているのは前線を退いた老兵と子供ばかり。
つまり戦を継続する能力が完全にこそげ落ちている状態にある。
もう戦を続けられず、勝つ見込みもない。
だがここで負けを認めれば毛利という名の獣に全てを貪り尽くされる。
自分たち幹部全ての首を差し出し、せめてもの情けを期待するか。それとも玉砕覚悟で攻勢をしかけるか。
明石風丸に連絡が入ったのはそんな時だ。
「使者の方は既に通しているのか!? 決して粗相はしていないだろうね!?」
「わ、若、落ち着いて下されませっ。
なにも若が直接応対せずとも、まずは我々で話を――」
「馬鹿者!! あの毛利が使者を出してきたんだ! あの毛利が!」
毛利からの使者が自分に会いに来た、と。
条件次第では降伏を認め、自治権すら認めると。
「すぐに通してくれ! 早急にだ!」
これが自分に神より与えられた最後のチャンスかもしれない。
明石風丸はかつてない程に焦りを強く、城の廊下を闊歩した。
■
はい、見事に釣れました。
甘いエサに絶望的な戦力差、そりゃ誰でも飛びつきたくなるものだけどさ。
こうまで上手く釣れてくれると清々しいものがあるわ。
明石に来て毛利からの使者ですよと言っただけで、いとも簡単に城までVIP待遇でもてなされる始末。
これだよね、これくらいが使者に対する待遇だよね。前の織田が異様すぎたせいで、これが普通のはずですよ。
さすがにお茶とお茶菓子まではでなくても丁寧に案内してもらいました。
「さて、と。早速お話に入りたいのですが、明石側は貴方。えーっと…」
「朝比奈と申す。そなたの話は某が伺おう」
「そうですか」
案内された部屋で待っていたのは、年齢だけでなく疲労によって幾重にも深まった皺。
しかしこちらを眼光鋭く見据える頑固ジジイといった感じの老人がこちらを見ていた。
こちらが受ける印象は朝倉景義様と大きく違い、武人といった印象を受ける老人だ。
「では俺が受け持った、こちらが譲歩できる条件を――」
〈ドドドドドドドドド!!!〉
言おうとしたのだが、それは物凄い足音で掻き消される。
一体何事ですかと咎めるべく朝比奈をみると、朝比奈老人はまさかと青い顔をしていた。
ま、こんな場所に早足で会談を中止してまで来て、尚且つ怒られない人間なんて限られているけどな。
「失礼! 遅くなってすまない、貴方が毛利からの使者殿か!?」
がらりと。
話は聞かせてもらったと言わんばかりに勢い良く引き戸が引かれ、とある人物が部屋に息を切らせながら現れる。
それはお前ワックスなしでどうやって立たせてるの? と疑問に感じさせる髪型の人間。
「風丸様! ここは私だけで応対すると説明したでしょう!?」
「馬鹿者! ここで礼を尽くさず、一体どこでこの頭を下げよと言うのだ!
地獄で父上や母上にか!? それともこれから戦で死に行く我が領民か!?」
完全にこっちを置いてけぼりでギャーギャーと喚く二人。
重要人物な朝比奈に対してここまで口をきける人物なんて、明石にはたった一人しかいない。
「まぁまぁ落ち着いて。では貴方が?」
「おぉ失礼しました使者殿。数々の非礼、誠に申し訳ない。
僕が――――――――――明石風丸、この明石家の領主だ」
目の前のヘンテコな髪型の青年。いや、少年がそう名乗る。
原作通りの優しそうな青年で、とても戦国時代の大名をやれそうには見えない。
どうやら原作通りの人間なようだから、話を容易に進められそうだ。
■
祐輔が今回のように冷静でいられるのは幾つかの条件が重なっているからである。
一つにこの対話が成功しても失敗しても毛利家にとってなんら痛手はないという事。
そしてもう一つに前回の織田との和平講和の使者としての経験が祐輔に余裕をもたらしていた。
もうね、余裕。
ぶっちゃけ祐輔にとって今回の和平はそんな感じである。
だから厳つい爺さんが何人も祐輔を睨んでいても、乱丸の殺気に比べれば蚊に刺されるくらいでしかない。
「ではこちらからの条件を先に口頭で述べましょう。
それさえ認められれば自治権を残したままの降伏も認めます」
「降伏を認めるとは、なんとも傲慢じゃな。毛利の使者殿」
「朝比奈、少し黙っていてくれ。まずは話をお聞かせ願おう」
祐輔の傲慢とも取れる言葉に朝比奈が噛み付くが、それを風丸はピシャリと止める。
風丸から感じるこの対話に対する意気込みに祐輔は案外簡単に対話は成功するかもしれないと思った。
■
祐輔が勧告の内容を明石風丸に告げた時、それぞれの反応は違っていた。
朝比奈は憤怒を。
朝比奈以外の重臣は疑いを。
明石風丸は困惑を。
各々違う感情を祐輔の言葉に受けたが、勧告の内容にしばし場は凍りつく。
しかして一番早く我に返り、祐輔に猛然と噛み付いたのは朝比奈だった。
「…使者殿、もう一度言って下さらぬかな?」
「ええ、いいですよ。こちらからの条件は以下の物です。
まず明石家にある軍組織を段階を踏まず即時解体、最低限近衛を除いて刀や槍も全て押収します。
また最初の数年間は必要最低限と思われる以外の全ての収穫物を徴収します。
無論軍を解体するのですから、明石の守りには毛利兵から出兵させますよ。
それさえ守って頂ければ自治権、統治権は明石風丸殿にお預けします。もっとも非常事態にはこちらの指示に従って頂く事になりますが」
「貴様は、貴様は我等に無条件降伏をしろと言うのか!?」
「まぁ、そう思って頂いていいですよ」
朝比奈の怒声を涼しい顔で受け流す祐輔。
この反応は予想通りであり、ザビエルからの殺気を受けた事がある祐輔にとって蚊に刺される程度にしか感じない。
それ故眉をピクリともさせずに淡々と条件を告げた。
これはてると事前に話し合った、毛利にどこまで可能かを見極めたラインなのだ。
勧告の条件をよーく見れば毛利の性質に非常に適っている事が良くわかる。
まず毛利は戦いたいが、それはあくまで強者と。
もはや主要な武将が討死し、女子供や老人しか残っていない明石と戦ってもなんら面白くない。
つまり毛利にとって土地を奪う以外に明石と闘うメリットは少ない。
そして明石家に統治権を残すという方法。
はっきり言おう、毛利に国を治める力はない。
ただでさえ自国だけでもギリギリセーフどころかアウトなのに、他国の政治や統治まで手が届くはずがないのだ。
つまり国は任せてやるから、収穫や年貢を寄越せという非常に分かりやすいものなのだ。
ただ軍が残っていれば一揆や反乱を起こされかねないので、限定的に刀狩りを行う。
それによって薄くなった他国からの護りは、それこそ血気盛んな毛利兵がすればいいだけの話。
美味しい所総取り作戦。
これこそが祐輔の立てた作戦なのだ。
「そんな毛利の話を信用できるか!
貴様らの事だ。軍を解体した途端に条約を破棄して攻め入れられない保証はどこにもない!!」
朝比奈の言葉に追随するようにして吠える明石の重臣。
そんな質問は想定内だと祐輔は表情も変えずに返す。
「あのですね。何故我々が明石に対して条約を破棄して攻めなければならないんです?
この国に残っているのは前線を引いて久しい老人、まだ年端もいかない子供。女。
はっきり言いましょう。滅ぼすつもりならいつでも滅ぼせるんですよ、この国」
祐輔がこんな物言いをしたのは失敗してもいいからである。
交渉とは相手に弱みを見せず、絶えず攻撃の手を緩めない者が勝つ。
しかも圧倒的に毛利側が有利な状況なのだ。何故下手に出なければいけない?
「貴様――!!!」
「―――と、いう不安は当然あるでしょうね。領民にも説明しづらいでしょう。
だからそちら側にもそれなりの戦力を残す事を許可します」
本当なら祐輔が明石から一番取り除きたい脅威。
だが毛利姉妹は交渉が決裂した時に絶対に戦いたいというので、仕方ない。
祐輔はあくまで使者。話を出してしまった時点で、お上の命令には逆らえないのだ。
「この国に眠る四体の『ぬへ』。そちらの切り札を残す事を認めます」
ぬへ。
この言葉を聞いた時、知っている者と知らぬ者の差は歴然だった。
知っている者は何故ぬへの存在と個体数まで知っているのかと戦慄し、知らぬ者は頭をかしげた。
「使者殿…そのぬへという存在は何だろう? 僕はそのぬへという存在を知らないのだが」
この国の城主、明石風丸も知らぬ側の人間だった。
無理もない。毛利との戦いで父が死に、兄弟も死に、繰り上がりで城主となったのだから。
重臣であり、青い顔をしている朝比奈が知っていても、風丸はぬへという存在を知らない。
「そちらの青い顔をしている方のほうが知っていそうですが、いいでしょう。お教えします」
「貴様…!」
青い顔である朝比奈を見やり、先程と打って変わって覇気のない朝比奈を無視して風丸に説明する。
「ぬへとは人が作りし、人に非常に似通った人造生命体。
その躰は人と寸分違わず、言葉を操り、感情まで有しています。
しかし一度戦が始まれば人を殺戮し尽くし、己の命が事切れるまで闘う兵器。
現在ではその非情で倫理に反し、また製造にかかる費用も莫大であるため技術は失われて久しいですが。
前代の明石の城主はそのぬへの製造に四体成功しておりまして、今もどこかの山で眠っています。
あまりに強く、あまりに悲しい生物。それがぬへですよ」
「そんなもの、父上がお作りになられるはずがないだろう!!」
「俺が信じられないというなら、そちらの方に聞いてもいいですがね。
ぬへの製造には国が傾くほどの費用が必要。国政に携わっていた朝比奈殿が知らぬはずがありませんから」
「………………」
「朝比奈…本当、なのだな」
祐輔が言ったぬへの説明は全てを説明していないが、嘘は言っていない。
ぬへという人造兵器はあまりに人に似通っており、それを使い捨てのように扱う事が非人道的だとされて禁呪扱いにされたのだ。
それが全てではないにしろ、朝比奈に祐輔に反論する言葉はなく、項垂れるしかなかった。
「そのぬへは一体で一部隊を凌駕するほどの戦闘力。
たとえ毛利が条約を破棄しようと、明石が軍を組織するまでの時間は充分稼げるでしょう。
そちらの保険として残すことを認めるというのです。ま、起動するか起動しないかは自由ですが」
毛利では祐輔しか知らないが、明石の脅威を語る上でぬへの存在は隠せない。
そのため毛利てるに報告し今回の勧告でぬへの扱いにまで言及する羽目になったのだ。
彼女たちは楽しい戦いができたらいいので、ぬへバッチコイ! なのである。
もっとも小市民で危ない博打は打ちたくない祐輔。
そのためぬへを明石には残したくなかったのだが、苦虫を噛み潰したかのような顔になっている。
「こちらからのお話は以上ですよ。
断るもよし、断らないもよし。毛利元就様はどちらでもいいと仰っています。
もっともこれが最後の勧告。断るというのなら、明日にでも本丸に攻めこんで見せましょう」
これはハッタリではない。
祐輔から滲み出る雰囲気に、明石の重臣達は怒りを削がれて押し黙ってしまう。
毛利にはそれを実現できるだけの力があり、彼等に対抗する力はない。
「貴方に直接聞きましょう、風丸殿。
貴方は自国の領民の命を救いたくはないですか?
このまま戦となれば、老人やこれからを担う子供達が次々と死んでしまう。
戦で負けてしまえばここまでの条件は用意できないと思いますよ。統治権を残すなんてね。
領民を思えばこそ、この条件を呑んで頂けないでしょうか。
毛利はこの条件を破りません。破るメリットがありませんからね」
今までの挑発的な態度を一変し、真摯に風丸に説き伏せる祐輔。
流れる血は少ないほうがいい。ましてやそれは祐輔よりも年下の少年達なのだ。
この降伏勧告に風丸が首を振りさえすれば、家臣達は渋々ながらも従うだろう。
「風丸殿、お答えを」
「僕は……」
風丸は助けを求めるかのように朝比奈へと目をやった。
しかし視線の先の朝比奈は何も言わず、ただ風丸を見返すのみ。
その目が雄弁に語っていた。開戦を決めたのが貴方なら、決着も貴方がお決めください。我々はそれに従うのみです。
「僕は……」
この降伏勧告を受ければ明石は毛利の属国となる。
それは今まで続いた明石家を、先祖を愚弄する行為。
戦って果て、負けた結果ならまだしも、命あるままに敗北を認めるなんて恥以外の何ものでもない。
「僕は。いや、明石風丸は――――」
だが。
「その申し出を受けます。軍は今日にでも即時解体する」
その恥を甘んじて受けよう。
この時代に力がないのは罪。ならば泥は全て自分が被ろう。
明石の次代を担う子供たち、父親の代から使えてくれた老人達を失うわけにはいかない。
ここに明石と毛利の長い戦いが、呆気無く終わりを迎えた。
■
「ふぅ……今回は楽な仕事だったな」
やれやれと祐輔は肩を回しながら、毛利への帰路についていた。
あの後色々な調整や正式な条約締結までの手順などを確認し、これから毛利てるに報告する事になる。
明石の現状と風丸の性格から考えて、明石の脅威度は最低にまで下がっていた。
しかし祐輔の今回最大の目的は空ぶった。
それは。
「しかしまさか瓢箪が既になくなっていたなんて。
単に紛失したってわけじゃないし…多分、もう割られたんだろうな…」
ザビエルの躰を封印した8個の瓢箪。
その内の一つがあるはずの瓢箪が明石になかったのである。
風丸の瓢箪がないと気づいた時の動揺から隠したりはしていないだろう。
ないものはない。これは仕方ない事だ。
祐輔は思考をきっぱりと断ち切り、次への交渉へと頭を巡らせる。
次こそが厄介であり、元就は成功しても成功しなくてもいいと言っていたが、どうしても成功しておきたい場所だった。
「タクガ、か…」
祐輔と同じ呪い憑きが追いやられ、最終的に辿り着く場所。
一つの可能性として祐輔が辿り着く場所だった場所が次の交渉相手だった。
■
死国。
そこは罪を犯して逃げた者、隻腕、呪い憑き。
JAPANで生きていく事を許されない者が一緒くたにして集められる流刑地である。
死国には魔物が発生する門があり、自然と人が死んでいく。
ここは陰陽師である北条家の管理する土地ではあるが、魔物や鬼をここに関してだけは放置している。
さもなければ死国に人が溢れてしまうからである。
土地は痩せこけ、まともに人が住める環境ではない。
しかしそんな死国でも必死に生き足掻いている者達がいた。
死国から毛利へと続く門へと目指して歩く呪い憑きである龍馬という少女が指揮するキャラバンがあった。
「もうすぐだな…譲、枯れ草は充分集まったか?」
どこか中性的な魅力を思わせる少女は、しかし荒っぽい男口調で隣の男に話しかけた。
「おう。騒ぎを起こせるくらいには」
「う、うん…」
隣にいる片目に眼帯をしている男はにやりと笑って答える。
その躰は筋肉質ではないものの極限まで絞られ、鋭利な刀を思わせる。
そして譲に追随して肯定した男は譲とは違う意味で異様であった。
その巨躯、まさに異怪。
毛利元就ほどとまでは言わずとも、大人よりも一回りも二回りも大きい。
その背中からは冷たい刃が生えており、もし彼の突進でもくらえば鏖殺されてしまうだろう。
「門まであと少しだ。あと少しでこのクソッタレな土地からおさらばできる」
ゴンの背中に背負われた大量の枯れ草を眺めて、龍馬は感慨ぶかげに呟く。
彼のキャラバンに罪を犯した者はいない。皆躰の何処かが欠損しているか、呪い憑きだという理由だけで最果ての地に贈られた者ばかり。
世界のシステムという大きな法律によって生きる事を拒否された者ばかりなのだ。
だが龍馬は否定する。
こんな子供が夢も見られないような掃き溜めから這い上がってみせる。
必ず鬼や魔物の恐怖に怯える事なく過ごせる世界で生きてみせるのだ。
「へっ、頼むぜ。譲、ゴン。向こう側に行ったら土地を奪い取らなきゃならねぇ。
俺とお前たちで引っ張っていくんだからな」
龍馬は知らない。
今自分たちが門へと向かっているように、毛利からも門へと向かう者がいるという事を。
門の前で待ち構えている者こそが最大の障害であるという事を。
■
―――――おはよう―――――
―――――こんにちは――――
―――――こんばんは――――
【人と人との挨拶】
―――――毛利きく―――――
―――――毛利てる――――――
―――――毛利ちぬ――――――
―――――毛利元就――――――
【毛利の重鎮】
―――――ザビエル――――――
―――――戯骸――――――――
―――――魔導――――――――
―――――式部――――――――
―――――藤吉郎―――――――
【危険な敵】
それはまるで水を吸い込む土のように。
じわじわと記憶の海から必要な事を吸い込んでいく。
――――ランス――――――――
【物語の主人公】
自己を形成していく。
足りないものを奪い、複製し、略奪し、共有する。
――――雪姫―――――――――
【最愛の人】
それは白に黒が混ざり込む行為ではない。
記憶の海の源泉から水を己へと引き込み自分の物とする。
世界で唯一の存在となるために。
今はまだ早い。
ならば眠ろう。機が熟すまで。
眠る事を許される程には優秀な宿主なのだから。