―――島津―――
島津四兄弟の次男、島津カズヒサは選りすぐりの精鋭部隊を引き連れ早馬を走らせていた。
行き先は無論、長男である島津ヨシヒサが一人残る居城である。
「ちっ…! 笑えない冗談はキツイぜ!」
先頭を走るカズヒサの顔は険しい。
カズヒサの胸中を走る嫌な予感。それはいつも外れた試しがない。
ヨシヒサからの定期連絡が途切れてからずっと感じていた物だ。
黒姫からの忠告を受け、それぞれ四つにわけた軍。
しかしながら内政の中心はヨシヒサの居る城である。
そのためヨシヒサから定期的に連絡が他の三兄弟に伝わり、三兄弟からは有事の際に使いを出すという取り決めをしていた。
カズヒサはヨシヒサから連絡が伝わる順序が最も早い。
そのため四兄弟の中で最も早く異変を察知し、斥候部隊を差し向けたのだ。
危険な斥候部隊を自らが率いたのは間違いであって欲しいという願望もあっただろう。
だが―――――
「どうして…どうして人っ子一人いねぇんだ!?」
城下町に差し掛かり、間もなく城も視界に入ろうという場所。
視界に入って来る家屋はいずれも焼け焦げ、ここで戦闘があった事は疑いようもない。
寄り道せずに直進してきたカズヒサだが、それまで人一人見ていないのだ。
「なっ! 馬鹿、な…」
ようやく居城を視界に収めたカズヒサ。
だがその声から漏れたのは安堵のため息ではなく、絶望。
己の嫌な予感を裏付けるような景観に部下の前だというのに、我を保つ事が出来なかった。
かつて栄華を誇り、美しい景観を振りまいていた島津の居城。
しかし今やそこにはところどころ灰塵に帰し、哀れに焼け焦げ崩れ去った城があるのみ。
兄であるヨシヒサがいてこのような事を見逃すはずがなく、カズヒサの頭に一つの単語が過る。
―――死―――
(ふざけんな! こんな所で死んで、死んでいいはずがないだろうが!!)
「生存者を探せ! 隊を半分に分ける。
半分は俺と一緒に城の探索、もう半分は城下町で生き延びた奴を保護しろ!」
彼等はいくら調べようと信じられないだろう。
既にヨシヒサは亡く、城下町で生活していた人々が黒炎に焼かれて骨も残らず皆殺しにされた事。
一夜にして行われた惨劇がたった一人の魔人の手によって行われた事を。
島津を取り込む計画が崩れ、目的を失った魔人。
次の動きは一体何か。それは誰にもわからない。
次なる魔の手が伸びるのは一体何処だと言うのだろうか。
■
――――死国――――
本土と死国を閉ざす門の前で打開策を探すキャラバン。
彼等に一向に良い考えが生まれるわけがなく、日増しに中心人物の間に苛立ちが募っていた。
そんな彼等だが、祐輔が指定した期日は一日が過ぎている。
「だー! くそったれ!! こうなったら本当に火をつけてやろうか!!?」
「やめときなって。あんた達が集めた枯れ草じゃ、ボヤにもならないだろうよ。
それにそんな事したら向こうに私らを処刑するきっかけを与えちまう」
ゲシゲシと巨大な門を唸りながらヤクザキックする龍馬を諌める美禰。
だがそんな美禰もこの現状を打開する事は出来ず、限界を感じていた。
「あいつらは考えなしにキレるしよ! 俺に一体どうしろって言うんだ!」
龍馬がこんなにも腹をたてるのには訳がある。
それは今まで自分をリーダーと慕っていたキャラバンから不満の声を浴びせられたからだ。
(あいつ、ここまで考えて救援物資を送るって言ってたのかね)
あーあ、こりゃ暫く放っておくしかないか。
やれやれと頭を痛めながら美禰の頭に浮かぶのは飄々とした笑みを浮かべる祐輔。
その横っ面をひっぱたいてやりたい衝動に駆られながら、今朝起こった出来事を思い出す。
毎日のように門の向こう側から運ばれていた救援物資。
それらの中には牛乳や白米などこちらでは手に入らない贅沢品が含まれていた。
自分たちを閉じ込めた憎い奴らとは言え、それらの贅沢品を目の前にして意地を張ることが出来る者はいなかった。
二日三日はいい。我慢も出来る。
だが門の前で膠着状態に陥り、用意していた粗末な食料も底を見始める。
人間として三大欲求に数えられる食欲には勝てないのが人間というもの。
龍馬達でさえ目の前にそれらを並べられ、拒否して燃やす事が出来なかった。
食べ物に罪はないと自分自身に言い訳し、貪るようにしてそれらを口にする。
美禰が今更ながらにして思うのは、それらは自由を得るためには絶対に口にしてならなかったのだ。
人間は贅沢を知れば元の生活に戻るのは容易ではない。
今まで想像の産物でしかなかった、しっかりと炊いた白光りする白米。
それらを一度口にしてしまえば、今まで食べてきた木の根で我慢できるはずがない。
知らず知らずの間に死国の人間は以前の生活を忘れていた。
木の根を掘り、僅かに食べられる部分を露出させるために土の味のする根を噛み分ける。
自分たちをこんな場所に追いやった奴に憎悪を、いつかこんな肥溜めから抜けだしてやるという気概を磨く日々を。
そして今日、今まで送られていた救援物資は届かなくなった。
今まで一日一食も満足に取れなかった腹が、一日食事を抜いただけで空腹を訴える。
空腹は人々を苛立たせ、その不満は燻り蓄積する。
その不満はリーダーである龍馬にさえ向けられるようになっていた。
既に時間は正午を過ぎ、太陽はサンサンと輝いている。
今まで定期的に放りこまれていた食事が来ないという事は、今日の配給もないだろう。
つまり祐輔から与えられた時間が終わりを告げた事を意味する。
「毛利に降るか、キャラバンを解散するか。
もうその二択しかないんだろうね…」
「いや! あいつらがもう一度門を開いた時に奇襲をかければ!」
「お馬鹿。奇襲ってのは奇をてらい襲うから奇襲っていうんだよ。
向こうから門を開いて準備万端なとこに襲いかかるのは玉砕っていうの。
それにこっちには女子供もいるんだよ? 今まで門を背後に妖怪あしらってきたけど、相手は人間なんだ」
この門の前で生活するようになってからも、妖怪に襲われた事もあった。
だが充分な食事を取り、暖かい毛布で気力体力も充分な龍馬達は幾度も追い返す事に成功している。
しかしそれもこれからは難しくなるだろう。
「キャラバンを解散するか、毛利に頭を下げるか。
どっちを選ぼうと譲やゴン、私はあんたの指示に従うよ。決めるのはあんた」
もっとも、それは彼等の目的からは遠のく。
彼等の目的――彼等を呪った妖怪を殺し、その身にかけられた呪い憑きを解く。
毛利の条件をのむのなら、手柄を立てるまでは死国に閉じ込められる事になるのだから。
だがキャラバンを解散しても、中心人物である四人はただではすまないだろう。
ここまで従ってくれていた忠誠はいとも簡単に変わり、最悪四人に襲いかかってくるかもしれない。
毛利に膝を着こうとも四人は中心人物から外されるだろう。
死国の面々は今、重要な選択肢を選ばされる。
それは自由を手にするための破滅か、束の間の保証を得るための隷属か。
キャラバン全員のこれからを左右する選択を迫られた龍馬は門を蹴る脚を止め、空を見上げる。
「くそったれ…」
龍馬の心と違い、憎々しいほどに晴れ渡った空だった。
■
――――北条――――
歴代北条の国主を冠する名前、北条早雲。
わずか齢19にして北条早雲を襲名した青年は仕事に忙殺されながら、ある事を調べていた。
北条という国は他国と違い、特別な使命を帯びている。
それを一言で言ってしまうとすれば、JAPANに出没する妖怪退治である。
国としての体裁を保ちながら、北条は妖怪退治としての機関としての顔も持っているのだ。
北条家は全国から寄せられる妖怪出没の報せに従い、適切な力を持っている陰陽師を派遣。
陰陽師という戦力を自国に入れるという事に忌避感を他国が感じ無い程には必要とされている。
もっとも北条もその信頼を裏切った事もなく、JAPANの秩序を守るために北条家は奔走していた。
北条早雲に寄せられるのは現在応戦中である武田との戦況。
各地に施された封印の管理と維持、死国の管理も任されている。
そこに更に各国から妖怪退治の要請が寄せられるのだ。並の人間では一日で過労死してしまうだろう。
だが今代の北条早雲は非常に優秀だった。
それらの作業を並行して行い、早急に片付けて己の調べ物をする。
初代北条早雲に最も近い男というのも頷ける評価と言えよう。
そんな彼が今調べているのは、彼の恋人(?)でもある南条蘭の事だ。
と言っても彼女の素行などを調査しているわけではない。彼女とは古くから知っている仲なので、調べる必要もない。
ならば何を調べているかというと、彼女が最近になって突如として召喚するようになった式神について。
「あの火の鳥は一体…不死鳥のようにも見えるが…。
いや、そのような高位の存在が何の契約もなしにして現れるはずがない」
蘭自身も何故扱えるのか知らない、戦場や妖怪退治において一個部隊に匹敵する式神。
火の鳥を模し、強大な力を惜しみなく撒き散らす朱雀と名乗る炎の式神。
蘭がその式神を使役し、自在に操れると北条の中でもっぱらの噂である。
早雲は目を通していた資料を脇に置き、新たな資料に目を通す。
彼の幼なじみである蘭は強力な力を得たと得意げだが、早雲は素直に喜ぶ事ができない。
等価交換の原則。強力な力を得る代償が必要ないはずないのだから。
蘭には何度となく朱雀を使うなと伝えてあるが、蘭が朱雀を頻繁に使っているのは噂で流れている。
早雲はそんな噂を聞くたびに胸騒ぎがし、底知れない不安に襲われる。
そのため早雲は無茶とも言えるスピードで仕事を終わらせ、朱雀について調べを進めていた。
「くぅ……」
資料を読み通す目が掠れ、視界が揺れる。
自分自身ですら無理な事をしている自覚はあるが、だからと言ってやめる訳にはいかない。
頑固な蘭に式神である朱雀を使うのをやめるよう促すためには根拠が必要だから。
過労をその身に沈殿させながら早雲は手を動かす。
自分が納得いくまで調べ、それで何もなかったのなら問題ない。
そう自分を誤魔化しながら早雲は朱雀について調べを続けるのだった。
■
――――毛利――――
とある一室で女性が目を覚ます。
起き抜けに周囲を見渡し、寝ている場所が自分の知らない部屋だと寝ぼけた頭で思い描く。
意識が次第に覚醒していくにつれ、女性はポツポツと成り行きを思い出した。
「そう、たしか…毛利で…」
蒼穹のような透き通る青の髪。
ふぁさと痛んでしまった髪を纏め、最低限の身だしなみを整える。
そして立とうとしたのだが―――――
「ぁ」
脚によく力が入らない。
女性は理解していなかった事だが、女性の体は実に限界を迎えようとしていたのだ。
慣れない仕事に度重なる疲労、それでも国のためにと身を粉にして働いてきた。
ほぼ敗戦、勝てて奇跡とも言える戦。
そして家屋が倒壊するレベルの大地震。
二つの天災と人災に見舞わられた国が再興するのは並ではない。
「ど、どうして」
動揺する女性。
今まで蓄積していた疲労を支えていたのは彼女の強靭な精神力。
その精神力をぽっきりと折られてしまう事が起こったのだから。
「こんな所で待ちぼうけしているわけにはいかないというのに」
もう見える事はないと思っていた人間との再会。
彼女にとっては何が何でも、もう一度会わなければならない理由がある人間。
今彼女の胸中を占めるのはその思いのみで、それは強い意思となっている。
ぐ、ぐ、と細い脚に喝を入れて立ち上がろうとする女性。
か細い体はあまりにも壊れそうなほどに儚く、今に消えてしまいそうに見える。
もしこの場にあの男がいれば、顔を真っ青にして駆け寄るだろう。
〈ガラッ〉
「あ、起きたんだー」
彼女がなんとかして立ち上がったところ。
彼女が寝ていた部屋の扉がスライドし、外から呑気な声と顔を覗かせる。
ニコニコと笑いながら彼女は断りを入れるわけでもなく、女性が部屋の中へと入る。
「あなたは…?」
「私? 私はちぬだよ。あなたは?」
「失礼致しました。私は浅井朝倉の朝倉雪と申します」
女性の質問に彼女は快活に答えを返す。
女性――雪はその名前に思い当たり、会釈を返した。
小早川ちぬ。確かその名前は毛利の三女だったはずだ。
「ちぬ殿。不躾ですが、質問が…」
「あ、駄目だよ起き上がっちゃー。
しばらくは寝てないと駄目ってオジジが言ってたよ☆」
立ち上がっていた雪を再び布団の中へと戻させる。
ちぬなら自分の知りたい事も知っているだろうと雪は大人しく布団へと戻った。
「すみません、このような失礼な格好で。
ですが聞きたい事が一つございます。どうか教えて頂けないでしょうか?」
「いいよー。ちぬの知ってる事ならなんでも教えてあげる」
「では…森本 祐輔という人間に心当たりはございませんか?」
「森本…祐輔…?」
そう。それこそが今、雪が一番欲していた情報だった。
何も知らない愚かな雪に何も言わないまま、国を救い去った人間。
もう一度出会って何をすればいいかは考えられない。だが自分に出来る限りの贖罪はしなければいけないだろう。
浅井朝倉も武家の家。
義を重んじるのは彼女も同じ。
彼女が尊敬する父の代でお家取り潰しの恥を救ってくれた恩は返しきれない物がある。
祐輔、祐輔と首をうんうんと捻るちぬ。
ひょっとすれば名前を変えているのかもしれないと雪は思い至った。
「私と面談して頂いた方です。ひょっとすれば名前を変えておられるかもしれません」
「面談……あー! ユウちゃんの事か!
それだったら毛利で一番ユウちゃんの事知ってるよー☆」
どうやらちぬの頭の中において、祐輔はユウちゃんと記憶されているらしい。
そのため雪の質問に該当しないわけである。
「でもユウちゃん、今ちょっと出かけてるからいないんだ☆
だからそれまでいる? すぐ帰るんだったら、おねたま達呼んでくるけど?」
「いえ、是非待たせて頂きたく思います」
祐輔の不在を知り、内心どこかほっとした雪。
だがそんな自分をすぐさま嫌悪し、嫌らしい女だと思う。
贖罪までの猶予が伸びたと安堵してしまったのだ、雪は。
人間なら誰でも持つ感情。
だが清廉な心を持つ雪にとって、それは度し難い事。
「ひょっとしてユウちゃんの知り合いなのー?」
「ええ…」
「そっか。ならユウちゃんが帰ってくるまでこの部屋使っていいよ。
食事も運ばせるから心配しないでねー☆ じゃ、またね☆」
バイバイと掌をヒラヒラさせて部屋から出て行くちぬ。
そんなちぬを見送って、雪は再び一人になった部屋で思いを巡らせる。
一体自分は何をすればいいのだろうか。その答えを中々出せないまま。