始めよう。
始めよう。
舞台を始めよう。
役者も揃った。大道具も揃った。時も来た。
主役の英雄。敵役の復讐鬼。ヒロインの二人。
始めよう。
始めよう。
終わりの始まりを。
■
ニ割。
この数字が何を表すか、知っている者はこのJAPANにはいない。
だがこのニ割という数字が今のJAPANの惨状を示していた。
ニ割。この数字は黒鬼の起こした妖魔大戦争のJAPAN全人口における死傷者数である。
兵士はおろか女子供、老人。果てには妖怪さえもこの数の中に入っている。
それはあまりにも酷く、現実的な数字。
島津を除く西JAPANを食い散らかした黒鬼の軍団は近畿へと進出。
だがその行軍は精鋭率いる織田の軍勢によって引き止められ、明石との境界付近で足踏みをしていた。
だがそんな状況はさいたまで復活した、鬼神セキメイによって激変する。
一体だけとは言え復活した鬼神に武田、上杉、北条は一時的とは言え休戦。
三国の精鋭達によってセキメイに対する事になったが、それでもセキメイの勢いは止まらなかった。
このままではJAPAN全土の危機に繋がると判断した三国は織田家に支援を要請。
妖魔達との戦いがある織田家だが、セキメイの危険性を考えると無視はできない。
決して少なくない数の援軍を東へと割かれ、妖魔達との戦いは増々厳しい物となった。
JAPAN全土が阿鼻叫喚地獄の地獄と化している中。
この絵図を描き出した黒鬼は復讐の時を今か今かと待ち望んでいた。
復讐の時は近いと。あと少しでランスにまで辿り着く、と。
■
血塗れの城を歩く、一人の修験者がいた。
この城は妖魔(妖怪王ではなく、黒鬼に従う者)達によって既に滅ぼされた物。
そこかしろに肉片や腸が食い散らかされているが、修験者は顔色一つ変える事はない。
時々にちゃりとした感触を感じながらも、城の天守閣へと到着する。
天狗の面をつけた修験者は伺いを立てるでもなく、そのまま天守閣の中へと脚を踏み入れた。
「祐輔。来たぞ」
『発禁堕山か。入ってくれ』
修験者――発禁堕山を迎え入れたのは般若面の黒鬼。
黒鬼は上座にてあぐらをかいて座り、その巨体に包まれるようにして座る雪がいた。
面をつけているので黒鬼の表情は読み取れないが、ずっとスヤスヤと眠る雪の頭を撫でている。
「ふん。今更確認するまでもあるまいに。
この城で人間など儂ら三人しかおらぬ。皆人間でありながら、人間ではないがな」
『それもそうか。だが口は慎め。雪は俺達と違い人間だ』
「お前がそう云うのであれば、そう扱うとしよう」
気に食わないと言わんばかりにフンと鼻で笑う発禁堕山。
そんな彼の態度にも気にする事なく、黒鬼は計画について訪ねた。
『それで、明日の事はどうなっている』
「お前に言われた通り、空を飛べる者は既に足利の山中に潜ませておる。
土の中を掘らせた通路も既に織田の真下まで開通しておるわ。これは今日、郊外で確認したから間違いない。
脚の遅い者、身体の大きい者は地上の前線に配置。存分に織田の注意を引きつけておるわい」
『そうか』
それは翌日に行われる、織田本陣――尾張の本城への奇襲について。
今まで考えた事のないような奇抜な戦法を祐輔はとっていた。
戦において、何も馬鹿正直に国を一つずつ落していく必要はない。
ましてや祐輔の目的は国の掌握ではなく、ランスの抹殺。
であるならば祐輔が勝利するのはたった一回の勝利でいいのだ。
周囲には気付かれぬように、夜の闇に紛れて翼を持つ者達を足利の山中に待機。
そして広大なダンジョンを創りだしたとも言えるモンスター達に地下に道を作らせる。
ランスや織田の軍師が如何に優秀だろうと、地下を通って直接本城を落としに来るとは想像もつかないだろう。
ましてやランス達は黒鬼達がそんな戦法を使うとは夢にも思っていないに違いない。
だがここにいるのは見た目が黒鬼でも、中身は祐輔。
文明が500年は先であろう世界から来たのだ。これくらいは造作もない。
そしてこの作戦も人の裏をかいたものだ。
例え本城に強襲が可能だとしても、並の人間では非戦闘員を殺すのには抵抗がある。
本城にいるのはおそらく最低限の兵士と、兵士たちの帰りを待つ女子供くらい。
どんな悪人だろうと、無抵抗の子供を殺すのは中々難しい。
だが強襲するのは妖魔という獣なのだ。彼等からすれば人間は餌でしかない。
先に彼等を少数だろうと街に放てば、城で戦える武将や兵士はそちらの処理に掛かり切りになるだろう。
また少しでも化物じみた武将を引き剥がすために、終と織田の境界線には多数の兵士を配置してある。
強襲のその瞬間まで、織田の主戦力は自分達が織田を守っているのだと錯覚するだろう。
自分の足元を妖魔の大軍が素通りし、愛する者達に牙を突き立てようとしているとも知らず。
『念には念を入れ、強襲時には地上の奴らに突撃させろ。
そうすれば地響きに気付くという、万が一の可能性も摘み取れるからな。
その指揮は貴様が取れ。俺の髪があれば、妖魔達は扱える』
ブチリと祐輔は自分の髪を千切り取り、発禁堕山へと放り投げる。
その髪を「ほぅ」と感嘆のため息をつきながら、眺めた。
「これで妖魔達を操っておったのか」
『この身体へと変貌した後、呪い憑きの力も変化した。
鳥ではなく、夜の闇に生きる者達に対する絶対命令権。
もっともはっきりと自我を持っている者には大した制約にもならないけどな』
了解したと発禁堕山が散らばった髪を纏め、それを手に取る。
そして祐輔を最後に一度見やった後、何も言う事なく部屋を去った。
「ん、んぅ…一郎お兄様? こんな所におられてよろしいのですか?
浅井朝倉に、ついに恥知らずの織田が攻めてこられたとか。軍議では?」
『ああ、そうなんだ雪。ついに織田…ランスを殺す時が来たよ』
「ランス、そう、ランス……ふふ、そうよ。殺さなきゃ。
あれ……? けど、戦はまだで、けど一郎お兄様は殺されて…?
あら? あれ? …?」
『何も考えなくていいんだよ、雪。
明日はランスの髑髏で酒を飲もう。祝いの酒だ』
【くくっく、クハハ、ハーッハッハッハッハッハ!!!】
しゃがれた、おどろおどろしい声の高笑いが天守閣に響く。
壊れ物を扱うように優しく雪をその腕に掻き抱き、祐輔は狂ったように笑う。
憎悪の炎に身を焦がし、最果ての空へと己を捨てた復讐鬼の願いが叶う時が来た。
『正気にては大業ならず。上手く言ったものだ』
■
時間は正午。場所は尾張の織田家、本城。
常であれば皆昼食を取り、一時の休みを取っている時間帯。
だが突然として地獄の獄炎は舞い上がった。
天災とは何時起こるかわからぬもの。
そして人の力では予想できず、抗えないもの。
では今織田で起こっているこれは、人災とでも言うのだろうか。
「乱丸殿は西地区の三番地へ」
「勝家殿は兵を率いて、空からの妖怪達に対応」
「鈴女殿は市街地に紛れてきた妖怪達の排除を」
「「「時は一刻を争いますぞ!! 急いでくだされ!!」」」
「おう!」
「わかった」
「わかったでござるよ」
「五十六殿は城内へと侵入して来た妖怪達の対処をお願いします。
本当にごく少数のようですが、ここまで来たという事は相当の手練。お気をつけて」
「委細承知した」
城下町は火の手が上がり、空と地上からおぞましい数の妖魔達が湧き出ている。
城下町の領民にまで被害が出ている以上、落ち着いて行動している余裕はない。
すぐさま城に残っている将軍たちに兵士を与え、各場所へと派遣して事態の鎮圧を急ぐ。
「ぐぬぬぬぬ。魔物の癖に生意気な。
こっちに人がいない間に奇襲をするなど、なんと腹ただしい奴らなのだ!」
精力的に各武将へ通達をする軍師達の後ろで、ランスは歯噛みをしながら苛々していた。
ランスの隣にはいつものようにシィルと怯えてしまっている香がいる。
香がいるのは不本意ながら、ランスの実力がずば抜けているため。つまりランスの横が一番安全なのだ。
「それではランス殿」
「儂は空から状態を見てきます」
「香様の事、くれぐれも頼みましたぞ」
「「「では!」」」
ダダダと3Gは窓へと走っていったかと思うと、懐から縄を取り出す。
あらかじめ形が作られている縄の先端を知り合いのカラス達にくくりつけ、大空へと飛び出した。
鬼太郎で有名なカラスコプターに乗り、城の被害状況を空中から確認しに行くのだった。
「ランスさん、どうしてこんな事に…」
不安に揺れる瞳で香はランスに訊ねる。
今までこんなに香の近くで戦が行われる事はなかった。
戦場に赴く事はあっても、ここまで追い詰められる事はなかったのである。
「ガハハッ! なに、心配するな!
俺様は最強だから、どんなザコが来ようとカオスで斬り伏せてくれるわ!」
かつてより衰えたとは言え、ランスのレベルは40を軽く超えている。
そこら辺のモンスターが太刀打ちできるレベルではない。
「そうですよ。それに、ここまでモンスタ―が来る事はないと思います。
織田の皆さん、とてもお強いですし! ですから――――――」
「!? シィル、避けろ!!」
「そうだね。こんな所にまでモンスターが来る事はないだろうね」
「――へ?」
心配げにオロオロする香を元気づけようとするシィル。
だが突然ランスが声を荒げ、シィルに回避をするように怒鳴る。
しかしいきなりの事なので、シィルは何の事だかわからず反応が遅れてしまう。
「だって―――ここまでモンスターを通したら、それは王手って事だから」
ゴウ、と風を切り裂く音が聞こえる。
空間を貪り、シィルへと飛来する刃は鋭利で薄く細い。
だがその摩擦の無さから速度を失う事なくシィルの身体を貫き、刀身を赤く濡らして壁に突き刺さった。
「シ…シィィィィィイイイイイイイイイイル!!!!」
「ら、ランス…さ、ま」
「ハハッ、刺さったのは脇腹か。それもいい。
即死ではないけど、痛みは大きいし辛い。放っておけば失血死もするしな」
こぽりとせり上がってきた血の塊を口から零し、シィルの身体が傾く。
倒れてくるシィルの身体を支え、ランスは絶叫を上げた。
「久しぶりだね、ランス。
今までの借りを全て返しに来たよ。そして返してもらう。
君はここで死ぬんだ。俺に殺されてね。無残に、虫けらのように。ああ、愉快だなぁ」
シィルに刃を投擲した存在がこつ、こつと階下から階段を登って姿を現す。
それは在りし日の祐輔の姿。今の祐輔の真の姿は人間ではなく、鬼。
だがランスと対面した時は人間の姿でと祐輔は決めていた。
「きっさまぁあああああああああああああ!!
殺す! ぶち殺す! 百万回殺す! どこのどいつだか知らんが、必ず殺す!!
香ちゃん、シィルを頼んだ!」
「は、はい! シィルさん、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!!」
「名前はおろか、顔さえ覚えていないか。
いいだろう。貴様の傲慢は今日、俺が裁く。天でもなく、閻魔でもなく、俺が裁く。
煉獄の炎に焼かれ、永続の毒の責め苦に塗れ、絶望を抱いて溺死しろ」
「ごちゃごちゃウルサイのだ!! オラァァアアアアア!!」
ランスがカオスを手に、激情のまま祐輔へと突っ込む。
大事な者を傷つけられ激昂するランスに対して祐輔は嘲笑しながら姿を変えた。
醜い鬼の姿へと。般若面は必要ない。もう姿を隠す必要などないのだから。
この身は人に在らず、この心は人に在らず。
この身も心も鬼に在り。ただ人に害なす存在ナリ。
■
英雄の資質を持つ男、ランス。
通常決められたレベル上限がなく、またその力も人より並外れたものを持っている。
あくまでただの人である祐輔なら逆立ちしても勝てないだろう。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
「うおおおおおおおおおおお!!!」
だが今の祐輔は違う。
その身は魔の者。人とは種族からして違う。
飛躍的に向上した動体視力でランスの剣を捌き、本能のまま横殴りに爪を薙ぎ払った。
「っち!」
だがランスには祐輔にはない、幾多の戦闘経験がある。
剣を捌かれたと同時に前脚で強く地面を蹴り、バックステップ。
祐輔の渾身の一撃はランスの服を薄く割くだけに留まった。
『ゴアアアアアア!!』
後ろに引いたランスに対する追撃。
横薙ぎに凪いでしまったため身体が泳いでおり、すぐさまに追撃はできない。
だが祐輔は顔だけをランスに向け、その口から真っ赤な獄炎を吐いた。
「ック、そがぁ!」
流石のランスもこの追撃を避けきる事は不可能。
手に持ったカオスの刀身に闘気を滾らせ、強引にランスアタック。
充分なタメがなかったため完全には発動しなかったが、祐輔の炎を消し去るには充分だ。
『ッチ! あれを避けきるとか化物かよ』
「それを言うなら、貴様が化物だろうがぁぁああ!!」
互いに渾身の一撃を躱し躱され、一度大きく距離を取る。
祐輔は仕留め切れない、マトモに当てられない事に歯噛みをし。
ランスは祐輔の破格な身体能力に舌を巻く。
このままなら膠着状態が続き、戦いは長引くだろう。
そうなれば異変に気づいた織田の将軍達が援軍に駆けつけるかもしれない。
だが――――
「ランスさん! シィルさんの血が! 血が止まらないです!」
「…ッ!」
『そういう事だ。時間稼ぎをしようなどとは思うな。
持ってあと十分。さっさと血止めをしないと、失血死するだろう』
傷ついたシィルの存在がそれを許さない。
流れ出る血のためか、顔が青白いを通り越して土気色へと変わっている。
香が必死に手当をしているが、幼い香では力も能力も圧倒的に不足。
「―――もういい。次で決める」
【こ、心の友…?】
ランスから、余裕という物が一切消えた。
ランスの膨大な闘気が研ぎ澄まされて行く。
次の一撃で決める。魔剣カオスがいつにない真面目なランスに驚きの声を上げていた。
『俺も我慢弱い。お前の首を刎ねたくて、もう我慢できそうにない』
目の前に、焦がれに焦がれた男がいる。
祐輔は血走った目で前傾になり、突撃姿勢を取った。
彼にとって己の武器とは己自身。ならば、この身は弾丸となりて敵を貫こう。
『雪、今、お前の仇を取るよ』
祐輔は後ろ足で畳を蹴る。
蹴り出された畳は大きく抉れ、基板となっている木材まで破裂したかのように砕け散った。
そうして得た前へ進む力で祐輔は文字通り、魔弾となってランスに飛び込んだ。
対するランスは剣を振り上げ、唐竹割りを狙う。
純粋な身体能力は祐輔のほうが上。ならば、必殺のタイミングでカウンターを繰り出す。
魔剣カオスに漲らせた闘気は陽炎となって空間を歪める程に高まっている。
弾けるように飛び出た祐輔がランスの間合いに入った。
祐輔は右手を床と水平に構え、そのままランスにぶつかり穿ち貫くつもりだ。
祐輔の爆発的なスピードと運動エネルギーを考えれば、当てさえすればランスは死ぬ。
「死ねぇえいいい!!!」
ランスが必殺のタイミングで魔剣カオスを振り下ろす。
ただ振り下ろす行為は祐輔がランスにぶち当たるよりも早い。
勝利のニ文字を確信したランスは口元を歪めるが、それはすぐさま違った意味に変わった。
祐輔が地に脚を付けず、地面を蹴り上げてランスへ一直線に跳んだ。
更に大きく身体を捻り、横殴りにカオスの刀身を殴ったのである。
祐輔の運動エネルギーに加え、更に横の回転を加えた衝撃がカオスに激突した。
カオスから放たれるエネルギーと祐輔の渾身の一撃。
それら二つは相殺され、祐輔の右腕は跡形もなく弾け飛ぶ。
だがその代償としてランスの姿勢を大きく崩し、必殺の魔剣さえも退けた。
(殺った!)
衝撃は全て右腕が吸収し、犠牲となった。
未だ祐輔には突進のエネルギーがあり、このままランスに衝突するだけでも決着がつく。
人外の巨体と岩石のように硬質な肌。即死は免れても、戦闘不能に確実に出来る。
【アハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!】
だが――――――――――――
祐輔の頭の中に不快な笑い声が響いたと思うと、祐輔の身体が意思とは関わらず劇的に変化する。
岩石のような身体は人に近い柔らかい物に。大樹のような太く大きい身体は普通の人間のように。
正しくあと一歩の時点で、祐輔の身体は人間に近い物へと戻ってしまう。
【嘘はいけないなぁ、嘘は。神様は怒っているんだよ?】
祐輔の意識が落ちる。
ランスと戦っている、必殺の瞬間から精神世界へと。
強引に連れられた世界では、巨体のクジラのような生き物が祐輔を見下ろしていた。
■
クジラ、キサマァァアアアアアアアア!!
『はは、駄目だよ。ズルしちゃ。
だって君、彼を殺したら自分も死ぬつもりだったでしょう?
駄目駄目、契約違反。だから力は没収しましたー。キャハハハハハ』
ふざけるな! ふざけるな! あと一歩だっていうのに!
『その顔、最高だよ! そんな絶望、本当に久々すぎるね。
あー、でもこんなに愉快な催しを見せてくれた君にチャンスを上げる』
何が望みだ! 俺が出来る事なら、全てやってやろう!
『なら君が大事にしているお人形、殺してよ。
それなら君に力を返してあげる』
俺に雪を殺せと。そう言っているのか!?
『出来ないなら、だーめ。けど特別にサービスしてあげるよ。
人形を殺す時には君がする必要はない。君はただ、見ているだけでいい』
だが、俺は、雪のために。
ランスへの復讐は……
『彼を殺すのは本望じゃないの? 彼女だって喜ぶはずさ』
そうさ…雪ダッテ、ランスヲ殺シタカッタハズサ。
例エ、自分ヲ犠牲ニシテデモ、殺シテ欲シイハズ。
ダカラ、俺ハ、雪ヲ殺シテモ―――――――
■
(アア、ソウダ。俺ハ、何ヲ犠牲ニシテデモ、ランスヲ)
あと一歩の距離、祐輔が前へと進めばランスを殺せる。
現実に戻った祐輔が見たのは、驚愕の感情を貼りつけたランスの顔。
本当にあと少しで憎いランスを殺せるのだ。
(ニクイ、ニクイ、ニクイ、ニクイ、ランスガ、ニクイ。
雪ヲ、殺シテデモ)
ヒュッ。
祐輔がクジラの誘いに飲まれかけた時、小さな風切り音が鳴った。
それは破魔の力を込めた一本の矢。
その矢は弱体化した祐輔の身体をいとも簡単に貫き、心臓に刺さった。
祐輔の内部に刺さった破魔の力は祐輔の内部を浄化していく。
碌に力も残っていない祐輔の身体は浄化され、見る見る内に人間へと戻された。
勢いはあっても、重さと硬さという最大の武器を失った祐輔。
その身体はランスへと到達するものの、ただランスを突き飛ばすだけの結果に終わる。
壁まで叩きつけられたランスは多少苦しそうにはしているものの、まだ戦いは続けられる。
【ちぇ、あともう少しで堕ちたんだけどな。
残念だけど、もうポイしちゃお。また新しい玩具見つけよっと】
「俺、は」
クジラの戒めが解かれた祐輔は正気に戻る。
そして自分がしようとしていた事の恐ろしさに震える。
祐輔は愛する者をその手で殺そうとしていたのだから。
「糞クジラの、やつ、!? ゲホッ、ゴホッ!?」
きっと雪を殺す瞬間の祐輔の絶望を楽しもうとしていたのだろう。
糞が、と祐輔が毒づくと同時に祐輔は吐血した。
弓矢に救われたが、弓矢は祐輔を殺す。
もはやただの人でしかない祐輔は力なく床へと崩れ落ちた。
「ランス抹殺、できなかった、か」
己の全てを賭けても殺す事が出来なかった。
完敗を悟った祐輔は力なく意識を失う。
激痛のために強制的に意識を取り戻し、意識を失うを繰り返す。
ランスは祐輔が倒れたのを確認すると、シィルへと一目散に駆けて行った。
■
俺は…そう、か…弓矢を、受けた、のか。
だがそれもいい。雪を殺してしまうよりかは、いい。
しかしあの矢は一体、どこから飛んできた…?
「祐輔さん、ごめんなさい…! ぅう、うっ。
貴方に矢を向けるなんて、したくなかった!!」
「この声…そう、か。太郎君、か」
天井しか映っていない視界に、涙でぐしゃぐしゃになった太郎君の顔が映る。
泣く必要はない。むしろ礼を言いたいくらいだ。
だがランスは殺せなかった。それだけが、心残りと言えば心残りか。
「太郎、君。俺が死んだ、後、左腕を、切り取れ。
それで、妖魔達は、従う。ダンジョンにでも…押し込、め」
この戦いの後始末をしなければ。
クジラに力を奪われたため、まだ従うかどうかはわからない。
だが俺の能力の起点は左腕だ。おそらく、大丈夫だろう。
「太郎君、図々しいが、毛利の城に、雪が、いる。
気が触れてしまって、いる、が。面倒を、見て、くれ、ないか。
それだけが……俺、の、願い、だ」
「祐輔さん…! はいっ、はいっ! わがりまじた!!」
更に涙腺からボロボロと涙を流す太郎君。
だがそんな太郎君の顔が引き、忌々しい顔が次に視界に映った。
「ランスさん! 祐輔さんを許す事は――」
「ならん。こいつは俺様の物を傷つけた。
万死に値する。たとえ五十六が俺の物になったとしても、こいつは必ず殺す」
「ふ、ふ、ふ」
「何がおかしい!?」
ランスの言っている事があまりにも滑稽すぎて、思わず噴き出す。
激昂したランスは俺の右手にカオスを刺し貫く。俺を黙らせようとしたのだろう。
だが俺は侮蔑の笑みを崩す事なく、ランスへ吐き捨てた。
「あの刃、には、俺の、神経、毒が、塗られて、る。
命は、無事だろう。だが、身体の一部が、動かなく、なる、はず、だ…。
クク、ク、クク。お前は、シィルを見る、たび、罪悪、感に、苛まれ、ろ」
「!? 貴っ様ぁあああああ!!」
「が!? ふ!? かは、くふふ、ハーッハッハッハ!!」
ランスがカオスの刀身を抜き、そのまま俺の腹に突き刺す。
身体を貫く異物に俺の意識は一瞬にして遠のきかけるが、笑みを止めない。
ランスを殺せなかったのは残念だが、これで復讐は成った。
「あ、あぁ…」
視界がボヤケる。
かつて一度だけ感じた、体験した事のある身体の虚脱感。
どうやら俺は本当に死ぬらしい。
「いったい、どこで、間違えて、しまったんだろう…」
俺はただ、雪を救いたかっただけなんだけどな。
■
祐輔の身体が崩れていく。
最初は脚から石化するように固まり、灰となるように脆く砕け散る。
ランスが慌てて切り離したため左腕は無事だが、祐輔の身体は見る見る内に石化していった。
そして最後にはただ、灰塵が残すのみとなる。
こうして妖魔大戦は幕を閉じたのであった。
■エピローグ
祐輔の死後、終の国はいとも簡単に瓦解した。
祐輔の左腕は案の定というか、やっぱり効果はなかった。
しかし妖魔達は祐輔が無理やり呼び出した者なので、帰巣本能があるのか勝手にダンジョンへと帰っていったのである。
猛威を振るうと思われたセキメイも北条早雲の目覚しい働きによって鎮圧。
一刻とは言え休戦協定を結んだ三国は少しでも仲間意識が出たらしく、上杉と北条が同盟を結んだ。
また行方不明だった織田信長だが、元毛利の城の一室で寝ているのを発見される。
ただ強力な睡眠薬で眠らされていただけのようだ。
だが信長の傍に書き置きがあり、祐輔の筆跡で信長魔人化について書かれていた。
誰もが信じなかったが、山本太郎がかたくなに天志教に支援を要請。
早期の状態で魔人化が発覚、偶然にもJAPANを訪れていた美樹によってザビエルの復活は防がれた。
信長も以前のように病弱に戻ってしまったが、奇跡的に生き残る。
妖魔大戦によってJAPAN人口のニ割が死んでしまった。
しかし魔人が復活すれば、この被害と同等の被害を受けるかもしれない。
もっともそれは誰にも気づかれないが。
そしてシィルだが、早期決着によって一命を取り留める。
だが祐輔の神経毒の後遺症か、手が僅かに震えるようで食事を取るのも大変なようだ。
本人は気にしていない、迷惑をかけて申し訳ないと言っているが、それでも辛そうにしている時がある。
ランスはどうにかして治療できないかと躍起になり、大陸に戻って治療法を探している。
またシィルに対して少し、優しくなったようだ。
恐れ多いとシィルはびくびくしているが、内心ちょっぴり嬉しいらしい。
「ほら、雪さん。こっちですよ」
「んー、太郎お兄ちゃん、雪疲れたー」
「もう少しですから。頑張ったら信長様のお団子あげますから」
「ほんと!? なら雪、頑張るー」
浅井朝倉郊外の墓地に太郎と雪は脚を伸ばしていた。
毛利の城で発見された雪を太郎は保護し、保護下において面倒を見ている。
流石のランスも痛々しい雪の姿を見ては襲うきにはなれないのか、手は出さなかった。
雪だが、奇跡的な回復を見せていた。
しかし幼児退行をしてしまっており、6歳以降の記憶を失っている。
おそらく耐え難い記憶を封印してしまったのだろう。
そんな雪を連れ、太郎は墓参りに来ていた。
墓地とは言いがたい荒廃した場所に立っている、一つの無名の墓石。
雪は無邪気に笑いながらぴょこんと墓の前に立って、首を傾げた。
「太郎お兄ちゃん。この人はお兄ちゃんにとって、どんな人なの?」
「この人はね…命の恩人かな。
雪もこの人に一杯お世話になったんだよ」
「そうなの? じゃあ雪もお参りするねっ」
「うん、そうだね」
墓石を磨き、掃除をし、花を手向ける。
名前は彫れない。あの事件の首謀者として、彼の名前が発表されているから。
祐輔は手を合わせ、目を閉じる。
墓の下には何も残っていない。
唯一遺された左腕もランスによって、無残な事になってしまった。
(祐輔さん…どうして、こんな事になったんでしょうね。
あの戦いの疵痕はまだ残っていますけど、思っていたよりも被害は少ないようです。
ひょっとして、祐輔さんが仕向けたんですか? 本当は、変わっていなかったんじゃないですか?)
「祐輔様…私のために、ごめんな、さい」
「えっ?」
思考に埋没していた太郎は弾かれたように目を開き、横を見る。
そこには目を閉じ、一筋の涙を流した雪の姿があった。
普段の雪ではない。歳相応の知性を感じさせる姿に驚く。
「雪姫…? まさか、記憶が」
「え? どうしたのお兄ちゃん? もういいの?」
「あ、いえ。なんでもありませんよ。帰りましょうか」
「はーい」
だがいつもの雪にすぐ戻り、見間違いだったかと思い直す。
城に戻ろうと言う太郎の後ろに雪は着いて行ったが、雪はくるりと墓に振り返る。
「じゃあね、【私】。ずっと連れて来てって言ってたけど、ここに来たかったんだね」
タタタと再び雪は太郎の後を追って走りだす。
ポツンと佇む墓石に手向けられた、一輪の花の花びらが舞い降りる。
それはまるで真白い初雪のような。墓石に付き添うように、花びらは寄り添った。
悪鬼ルート YUSUKE END